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まふらーといっしょ  作者: KEITA
番外編
17/21

6.5

※少々キツい表現があります



 あたし、知ってた。

 本当は母さん、家を出て行ったんじゃない。親父によって、「隠された」んだ。だから、あたしの家にはお父さんしかいないの。



 あたしは産まれた時から原因不明の呼吸不全持ちで、生まれながらのポンコツだ。親父が言うには、皆が諦めたその直後にやっと産声をあげたんだって。一度死んでから生き返ったみたいだったって。まるで人のことをゾンビ呼ばわり。でも、あたしも自分のこと、確かにゾンビみたいだなって思う。こんな状態でなんで生きてる、なんで動いてられるんだろって。これだけ、ポンコツなのに。

 とにかく、あたしの母さんはだいぶ苦労したみたいだ。だって、前触れ無く息が止まってる子供だもの。しばらく経ってから普通に呼吸し始めるけど、また止まる。原因も法則も、まるで不明。そんな毎日を繰り返してれば、いつころっと死んでもおかしくない。でも、死なない。ポンコツの状態で、生きてる。寝たきりにもならず、元気なときはとことん元気に過ごして――そしてまた、ぱたっと息が止まる。初めての子供がそんな半ゾンビ状態で原因もわからないとなれば、歳若い女性が大いに悩むのも無理ない。

 あたしの母さんは、とても大人しい感じの女の人だった、らしい。どこかの社長の末娘で、これまた社長の長男である親父とはその縁で見合い結婚した。世間知らずなお嬢様ってやつだ。大人しくておしとやかで真面目で――打たれ弱い、か弱い女性。

 あたしの親父はちょうど仕事が忙しい時期が重なり、病院には頻繁に来てくれてたけど実家にはあまり戻っていなかった。当然、実家は母さんと舅と姑の三人住まい。赤ん坊の頃から病院に入居状態だったあたしは、恐ろしく広い屋敷であるそこに戻ったことがほとんどない。親父の実家で母さんの嫁入り先がどんな場所だったのか、当然ながら知らない。でも、ポンコツな子供を産んで丈夫な男の子を産めなかった大人しい女の人にとって精神的にキビしい場所だったってことくらいは、人から聞いて知った。

 あたしがある程度成長したある日、母さんはあたしを迎えにきた。喜んで母さんに飛びついたあたしは、次の瞬間絶望に包まれることになる。

 母さんの手には、包丁が握られていた。

――さえちゃん、

 虚ろな瞳で、虚ろな声で。

――さえちゃん、一緒に天国に行きましょう。だいじょうぶよ、痛くてもすぐだから

 そう言って、母さんは今までで一番幸せそうに笑った。

 気がついたとき、あたしは母さんではなく親父の腕に包まれていた。意識を失ってすぐに復活、それだけならいつもの呼吸不全が起きたのかなと思ったけど、なんだか違うみたいだった。親父があたしの横に一緒に寝ていて、あたしを何かから護るようにぎゅっと抱きしめていた。

 昼間は滅多に逢えない親父が傍にいてくれている。それは嬉しかったけど、さすがに何かがヘンだと思った。だから、ぱぱどうしたの、と聞いた。そうしたら親父は答えた。やつれた顔で、やつれた声で。

――パパがあまりに家に戻らないものだから、ママは出て行ってしまったよ

 そう言って、寂しそうに笑ったのだ。


 子供の心って柔らかくてふにゃふにゃしてるから、色んな方向に伸びるし色んな方向に曲がる。そして、都合の悪いことを自分でちょん切って無かったことにするのもお手のものだ。

 あたしは、母さんとのその辛い思い出を封印した。心を病んだ母親が自分と無理心中しようとした出来事をトラウマにしないため、都合よく忘れることにしたのだ。

 親父もそのことをわかってて、事実に上書きするようなことをあたしに吹き込んだ。そう、「あまりに自分が不甲斐ないから妻に逃げられた」んだと。親父自身にとってはあながりウソではないことだったかもしれないけど、とにかく幼い娘の心を護るために、そういうことにした。そしてあたしは、そういう親父の口車に乗っかって生きることになった。パパは情けない男だからママに逃げられたんだ、あたしはしっかりしないとね、って感じで。

 親父はそれから、あたしを退院させて田舎の別宅に移した。表向き呼吸器系の不治の病だったので、最後の時間くらいは空気の綺麗なところで療養させるのが筋だと周りを説得したらしい。実家のモンスターどもから娘を隔離する意図もあったことは、これまた後から聞いた。

 田舎に越してからのあたしは、水を得た魚のように活き活きし始めた。自然がいっぱいの山とか森とかで過ごしていると、なんでだか気分が良かった。呼吸不全になる回数もぐんと減って、普通の子みたいに生活出来るようになった。そしてたまーにだけど、普通の子とは違うことも出来るようになった。ものすごい速さで走れたり、片手ひとつで自分の体重を支えられたり。あと、長生きをした動物の心の声が聴こえたり。親父は不思議がってたけど、嬉しそうでもあった。そんな親父を見て、あたしも嬉しかった。親父は母さんを「隠して」からずっと、心からの笑顔が無くなってたから。

 何より嬉しかったのは、出逢いがあったことだ。同い年のヒデちゃん。眉が太くて手がカエルみたいにおっきくて、でも背はあたしより低くて細い男の子。気が弱いけど面倒見良くて、いじめられっこだけど卑屈じゃないし誰のことも悪く言わない、とっても優しいすてきな子。すぐに大親友になった。

 ヒデちゃんの家族も、とってもすてきな人達だ。いつも機嫌良さそうに笑ってる大工のお父さんとおっとり親切なお母さん、やんちゃで元気いっぱいの弟いっくんと産まれたての妹マアちゃん。特に赤ん坊のマアちゃんはとってもかわいくて、あやしてあげるとつぶらな瞳でにこっとするのがたまらなかった。

 マアちゃんをお膝に乗っけてると、それだけで心がぽかぽかして。ヒデちゃんのお母さんに髪を結ってもらっていると、なんだか泣きたくなるくらい幸せで。親父が仕事でいなくて寂しいとき、いつもヒデちゃんちの家族があったかく迎えてくれた。

 ヒデちゃんのお父さんが仕事の事故で入院したときも、ヒデちゃんのおばあちゃんが他所から越してきてお母さんの代わりとなっていた。あたしはそれを遠目で見ながら、ヒデちゃんちはいいなって思ってた。ヒデちゃんのおばあちゃんも、すごくすてきな人だったから。お父さんお母さんが家にいなくても、ヒデちゃんはちっとも寂しくなさそうだったから。

 地元の学校に通ううち友達は沢山出来たけど、一番の親友はいつだってヒデちゃんだった。二人で色んなところに行って、日が暮れるまで色んなことをして遊んだ。都会では出来ないことをたくさんした。森の探検やカブトムシ狩り、沢釣りや山の袂でのかくれんぼ。ヒデちゃんのおばあちゃんに教えてもらった「やまのかみさま」にお参りをしたり、作ってもらったおはぎを食べたり。毎日が夏休みみたいで、とっても楽しかった。

 繰り返すようだけど、ヒデちゃんのおばあちゃんはとってもすてきな人。そしてとっても物知りだった。「霊力れいりょく」「霊法師れいほうし」っていう言葉を教えてくれて、「あなたはあなた自身の力で頑張って生きているんだよ」と言ってくれた。自分の不思議な能力も意味があったんだと、そこで初めて知った。もっといろいろなことをお喋りしたかったのに、あたし達が小学校に上がる直前に亡くなってしまった。かなしそうなヒデちゃんを見て、あたしもかなしかった。そして一つの決心をする。

 ヒデちゃんと自然の中で過ごすうち、あたしはもう自分のことをポンコツだと思わなくなっていた。そう、あたしはここで生きている。ちょっと呼吸が不完全で変わってるかもしれないけど中身はふつうの子供で、ちゃんとした人間なんだって。少なくとも、ここに越して来てヒデちゃんや周りのあったかい人達と過ごしてる間はそう思いたかった。だから。

――いつか近いうちに死ぬのだとしても、それまで後悔の無いようにしたいと。大切なものを、大切にするんだと。そう、強く決心したんだ。


 何度か、親父に言われたことがある。「紗絵子はママのおうちに行ってみたいか」って。母さんに逢いたいかとは言わない。あたしはその都度「ううん、行きたくない」って答える。母さんに逢えるかもしれないのに、いつもそう言う。親父の表情はいつも行って欲しくないって語ってるから。だからあたしは今の生活に100%満足してるフリして、親父を一人で母さんのところに行かせるのだ。

 あたしの親父はいつだって臆病者の卑怯者でウソつきだ。母さんをあたしの記憶から「隠した」ことも、母さんを実家の目の届かない海辺の療養所に入居させてこっそりと見舞いに行っていることも、復讐のため自分の両親を失脚させる地固めをこっそりしていることも、何も言わない。言わないくせに、娘に嫌われることを恐れている。だからこうやって、不器用にあたしのご機嫌取りをしようとしてはいつも失敗するんだ。バカだね、親父。そんなに後悔してるんなら、ちょっとでも多く母さんに逢いに行く時間を作ればいいのに。ポンコツ娘のことはほっといていいからさ。

 親父の裏の「仕事」について、知っている人は何人かいた。ヒデちゃんのお父さんを筆頭に、近くの格闘道場のおじさんとか家政婦の畑野さんとか。どうやら、親父は信頼のおける人に自分のやっていることを出来るだけ話して、「自分の留守中は娘を頼む」と根回ししていたらしい。目論みは大体、成功したといえる。だってあたし自身、ちゃんと畑野さんに懐いたし自分の家よりヒデちゃんの家で過ごすほうが楽しかったから。それでも誕生日にすら帰ってこない親父には、最近さすがにイライラしてたけど。

 臆病で卑怯でウソつき。そんな親父をみるに、どうしようもないなって思うと同時にしかたないねって感じる。だって、どうしようもない親父はどうしようもなく優しいから。


 ……本当は、母さんのいるとこに行きたいって思ったことはいっぱいある。家族が誰一人いない家で急に具合が悪くなったときとか呼吸不全が久々に始まったときとか、どうしようもない侘しさを抱えてベッドの上で丸まってた。どうしてあたしがこんなに苦しまないといけないの、どうしてあたしは一人ぼっちなのって。でも、それはすぐに仕方の無いことだとわかった。

 事実がわかったのは親父の母親――あたしの祖母が田舎の家に押しかけてきたときからだ。祖父祖母は最近反抗的な息子をどうにかして操るため、最近体調が安定しているあたしを実家に連れて行こうとしたのだ。

 初めて逢う祖母はにこにこしていたけど優しくない、怖い目をしていた。あたしにとっておばあちゃんのはずなのに、ヒデちゃんのおばあちゃんとは全然違う。初めて目の当たりにする実家のモンスター。恐ろしくて身がすくんで、何も出来なかった。

 親父の留守を狙って車に押し込められようとしたあたしを救ったのは、ヒデちゃんだった。空気が読めてないこどものフリをして、「すごい秘密基地見つけたんだ、はやくしないと他の奴らにとられちゃうからすぐ来て」ってあたしの手を掴んで、恐ろしいモンスターの腕を振り切って一緒に走った。後ろから、祖母の汚い罵り言葉が聴こえた。走りながら、あたしは泣いてた。ヒデちゃんのおっきな手のあったかさに。自分の無力さに。そして、やっぱり自分は長くここにいちゃいけないんだって事実がわかって。

 あたしも親父も、ああいうまともじゃない奴と血が繋がっている。家族なはずなのに、あたしと親父以外の家族の絆は無くて中身はメチャクチャだ。ヒデちゃんちとあまりに違う。まったく別世界の人間なはずなのに、ヒデちゃんもヒデちゃんの家族もあったかくあたし達を受け入れてくれた。そんな優しい人達の好意にのっかって、好きなだけ温もりを貪って、そして何も返していない。いつも助けられてばっかりだ。まるで白くてきれいなホットミルクの中にぽつりと落ちたハエの死骸みたく、ものすごく違和感のある汚い異分子。それがあたしなんだ。

 それから、どうやって親父が自分の母親を実家に戻してどういう方法で宥めたのかは知らない。でも、それからあのモンスターがやってくることはなくなった。でも今のところなだけで、またいつかやってくるのかはわからない。その時、またヒデちゃんに助けてもらうのか。もしかしたら、ヒデちゃんちに先に何かが起こるかもしれないのに。

 祖父は金と権力を持ってる大企業の社長だから、中小企業や関連会社を操って建設業者の仕事を減らすなんてこと朝飯前だ。もしそんなことになったら、あたしも親父もヒデちゃんちの皆さんに合わす顔が無い。今までのようにヒデちゃんと遊ぶことだって、二度と出来なくなる。親父はそれを防ぐために色々しているみたい。どうしようも無いときは、祖父の手のものや興信所に金を握らせて情報を祖父の耳に入れる前にもみ消したりとか。

 だけど、全部がぜんぶ、時間稼ぎ。この先も100%大丈夫なんて保障は無い。

 そんな危険と厄介な仇を抱え、それでもヒデちゃん達と一緒に過ごしたい、もうちょっとここにいたいと願うあたしは罪深い。こんな自分勝手な子、独りぼっちで当然なんだ。


 なのに。


 自分が嫌なやつだってのは、わかっているのに。


 「霊法師」な力も限界で、もうすぐ死ぬんだってことも、ちゃんとわかっていたのに。


 ヒデちゃん。


 あたし、もっともっと、あなたと一緒にいたいよ。





 紗絵子はぱちりと目を開けた。視界に映るのは自宅ではない、薄暗い病院の天井。すぐに病院だとわかったのは、慣れているせいだろう。そして動揺も無かったのは、これまた慣れているせいだ。

「ひでちゃん」

 ぽつりと呟き、身を起こす。きょときょと周りを見渡すと、目に痛くないぼんやりとした照明の影に隠れ、ベッドの下の方で大きな身体の誰かが寝ていた。寝息もわずかに聴こえる。簡易組み立ての台の上、薄いタオルケットに包まっていたのは紗絵子の父親だった。

「おやじ」

 もう一度呟き、点滴を外さないように身を捩ってその顔を覗く。ワイシャツのままで横になっている、何ヶ月か振りの父親の姿。疲れきっているのか、紗絵子が意識を取り戻したことにも気付いていない。イビキもかかず、まるで何かに誘われるよう、ぐっすりと熟睡している。考えてみれば親父の寝顔を見るのは初めてかもしれない。

(いつ帰ってきたんだろう。もしかして……ちゃんと誕生日に間に合うように帰ってくるつもりだった?)

 紗絵子とよく似た端整な面立ちは記憶に残るよりずっとやつれていて、何かを決心しているかのように唇は引き結ばれていて、あんまり幸せそうな寝顔じゃない。でも、まるで昔の懐かしい記憶をなぞるようだった。

「……ばかだね」

 なのでもう一度呟き、紗絵子は横になった。


 ゆっくりと現状を把握するうち、ゆっくりと記憶が蘇ってくる。そうだ、あたしはあの時、気絶してしまったんだ。

 ヒデちゃんが学校のプールに「落とされた」ことを感じ取り、勝手に焦って家を出た。今日は『だいじょうぶ』じゃないと自分でわかっていたのに。そうして、ずたぼろの状態で歩くうち途中で呼吸が薄くなり、これはマズいと無理に『だいじょうぶ』にしようと気を張った直後、意識が無くなってしまったのだ。今考えると、まさに自業自得。ヒデちゃんが見つけてくれなかったら、あのお堂の前で今度こそ冷たくなっていたかもしれない。

(ヒデちゃん)

 ぎゅっと胸が痛む。身勝手に振舞ったあげく自業自得で窮地に陥る紗絵子を助けてくるのは、いつもヒデちゃんだ。あったかくて優しい、紗絵子の大切な人。ずっと一緒にいたいけどそう想うことは赦されない、それだけ大事な唯一の人。

 あれからどうやってベッドのある場所に戻ったのかは不明だけど、きっとヒデちゃんがなんとかしてくれたんだろう。病院を出たら、ちゃんとお礼を言わなきゃ。そしてごめんって。迷惑かけてごめんって言わないと。

(ちゃんとしないと)

――もうすぐ、逢えなくなるんだから。



「……さえこ……?」

 もぞり、と横のかたまりが動き、寝ぼけ眼の親父が起き上がった。はっとしたように顔を振り、もしゃもしゃの頭のままこちらを凝視する。目を開けている紗絵子と視線を合わせ、見る間にそのやつれた顔が安堵に緩む。

「意識が戻ったのか、よかった。具合は。まだ苦しくないか」

「もうだいじょうぶ」

 それからぽつりぽつりと会話をする。どうしてこういうことになったのか、事情を話して近況を報告して。やっぱり、紗絵子の父親は最初から帰ってくるつもりだったみたいだ。ただ立場上、身なりを常に整えているはずなのに、今はまさに着の身着のままでやってきたという風情だった。ベッドの柵に無造作に引っ掛けられた背広とネクタイ、床に置かれたままの仕事鞄が物語る。

「いつ帰ってきてたの」

「三時間前。久しぶりに家に帰ったら、紗絵子がいないんで驚いたよ。すぐ見つかったことは幸いだったが……さっちゃん、もう具合が悪いときに外に出ないって約束しような。お父さん、寿命が縮まったかと」

「親父はだいじょうぶでしょ。殺しても死なないくらい健康なんだから。憎まれっ子ヨニハバカルってやつ」

「こら、紗絵子」

 叱るときは「紗絵子」、それ以外は「さっちゃん」。混ぜこぜの呼び方は、父親だけの癖である。そういえばヒデちゃんは昔、親父の片方の呼び方を聞いて「さっちゃん」と呼び始めたみたいだ。

「どこで覚えたんだ? そんな言葉」

「親父の知らないとこー」

「親父じゃなくて、お父さんって呼びなさい。それよりホラさっちゃん、約束指きりげんまん」

「むー」

 きゅっと細い指と長い指とが絡まる。その温もりに身体のどこかが不思議に温まった。


 背広をハンガーに掛け、すらりとした体躯は椅子に腰掛ける。置かれていた水差しを取って、カップに注いで一口飲んだ。ふう、とうっすら無精髭の生えた口元から息が洩れる。

「――それにしてもそうか、また秀郎くんが助けてくれたのか」

「うん」

「お父さんのところにも森下さんから即連絡が入ってな。秀郎くんがある程度知らせてくれたお陰で、すぐにさっちゃんのいる場所もわかったんだ」

「そうなんだ」

 本当に、あの一家には世話になりっぱなしだ、と紗絵子は考える。父親も同意見のようだ。

「……ねえ、親父」

「親父じゃなくて、お父さんだ。昔みたくパパでもいいから」

「ヤだよ。ねえお父さん、」

 潜めた声音が、真夜中の病院の個室にて響く。ぽつりと、なんでもないことのように。


「あたし、寿命が延びたよ。だからさ……アメリカに、行く」


 紗絵子の言葉を聞いた父親はひとつ瞬きをして、そして簡潔に応えた。「そうか」と。



 あたしの寿命を延ばしてくれた白黒の獣は、こう「言った」。長生きをした動物特有の、あの不思議な声で。


《おぬしの命数は本来、明日の宵で終わった。しかし、私の霊気を分け与えた今、命数はわずかばかりだが増えた》


 どのくらい…?とあたしは訊いた。


《刻限はわからぬ。しかし、並みの人間よりは短い》


 やっぱりそうか、とあたしは納得する。


《ただ、内在気を一定に抑えたことで器は安定した。これから以降、命数を終えるまでおぬしはほぼ健康体と変わらぬ》


 本当……?


《そして同時に、思念を受け取ることも『癒しの霊力』を行使することも出来なくなる。――おぬしは霊気こそ失わぬが霊力は失って、只人となるのだ》


 それでもいいよ、とあたしは答えた。少しでも長く、生きられるんだったら。ヒデちゃん達にお礼を言える時間が、残されるのだったら。


《……強がりはよすがいい、幼き人間よ》


 獣は、言った。おぬしの真の望みはそれだけではないだろう?と。

 その優しい声に、あたしは決壊する。泣きながら、本当の望みを叫ぶ。


――死にたくない。もっと、もっと生きたい。親父に、お父さんに今まで言えなかったことを言いたい。母さんに、あたしのママにもう一度だけ逢いたい。色んな場所に行ってみたい。色んなことをしたい。好きな人と結婚して、子供を産みたい。マアちゃんみたくあったかくてかわいい赤ちゃんを胸に抱きたい。ヒデちゃんのお母さんみたく、娘の髪を結ってあげたい。そうして大切な人と――ヒデちゃんと、いつまでも笑い合っていたい。


《それがおぬしの望みか》


 うん、とあたしは涙を払って頷いた。それを叶えるため、あたしは生きたい。例え、残された時間が短くても。それを叶えるまでは、あたしは死なない。死んでたまるか。


 白黒の光は、あたしを優しく包む。


《――幼く強い人間よ、再生の眠りにつくがいい。目覚めたとき、おぬしは更に強くなる。孤独ではないこと、おぬしの父御が教えてくれよう》


 だからそれまで、眠るがいいと。



 押しかけてきた実家のモンスターから走って逃げ出した、あの日。

 ヒデちゃんは「やまのかみさま」のお堂にあたしを引っ張っていったあと、涙をTシャツで拭ってくれてこう言った。「さっちゃん、うちの子になりなよ」って。「あのおばあちゃん、コワイもの。うちの子になったほうが、ぜったいいいよ」

 あたし、すごく嬉しかった。嬉しくて、でもなんでだかとっても切なくて悔しくて、またぼろぼろ泣いた。

 気付いたことは、一つじゃない。嬉しいこともかなしいことも、そして悔しいことも、同時にあたしに襲いかかった。

(あたし、ヒデちゃんに依存してる)

 そのことに、気付いてしまった。

(このままじゃいけない。あたしはヒデちゃんから、離れなきゃいけない。――ヒデちゃんたちのためだけじゃなく、あたし自身のためにも)

 それが正解なんだと、わかってしまった。


(ヒデちゃん、あたし、もっと強くなりたい。大切なものを大切に出来るだけの力を、手に入れたい)


 だからね、ヒデちゃん。

 しばらく、お別れしよう。




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