さっちゃんとぼく 1
書けた話を書けた順に好き勝手追加するのが拙宅クオリティ。そういうわけで、季節はずれの番外編です。
――かみさま。山のかみさま。
いっしょうのお願いです。
もしこのお願いをきいてくれるんだったら、お父さんの言うことをきいていい子になります。べんきょうも、大きらいなけいこも毎日がんばります。お母さんのお手伝いもします。おこづかいもいりません。ケンカもしません。ドッキリマンチョコのシールも弟にあげます。それと……もう泣きません。
――だから、かみさま。
いっしょうのお願いです。さっちゃんのびょうきを、治してください。
◇◇◇
ギラギラとした真夏の太陽が、緑の山々を照らす午後。青々とした田んぼの隙間、車の轍がきざまれた田舎道を走る子供達がいた。正しく言うなら、二人が一人を小突きながら手に持っていたものを奪い、からかいつつ駆け出すのを一人が覚束ない足取りで追いかける、という光景だった。
「まって、まって、返してよーぅ」
よたよたと走る少年は、三人の中で一番ほっそりとしていて背も低かった。田舎の少年らしく陽には焼けて、体格の割りに長い手足。ぎょろっと目が大きく眉が太いその顔は、泣きそうに歪められている。
「返してっ」
「ばーか、そう言われて返す奴がいるかよっ」
「返して欲しかったら追いついてみろや、ゲジ眉ひでお」
彼の必死の懇願に、前をゆく二人はげらげらと笑い心無い言葉を投げ返す。片一方の少年の手の上で、しゃん、とそれが音を立てた。
「男のくせに、お手玉かよーっ。だっせーだっせー」
「それぼくのじゃない、おばあちゃんのカタミなんだ、大切なんだ、だから返してっ」
「ゲジ眉ひでおは赤ちゃんでちゅからねー。おばあちゃんが忘れられないんでちゅよー」
「赤ちゃんじゃないよぉーっ返して、お願い返して……わっ」
言葉の途中から泣き出し、覚束ない足取りも相まって転ぶ少年。立ち上がりかけ、草に足を取られる形でまた転ぶ。それを見て、尚もげらげらと笑う少年達。わざわざ周囲に集い、砂利を蹴飛ばして彼に浴びせる。
「だっせー」
「ホコーキ必要なんじゃねえの、おまえ。やっぱ赤ちゃんだ」
「違うよっ」
膝を擦り剥き、土をほっぺたに付けたまま少年の顔が歪む。ぱらばらと蹴り飛ばされる小石を片手で払い、涙と鼻水でぐじゃぐじゃのまま、アンバランスに大きい手を伸ばした。
「……追いついた。お手玉、返して」
彼をからかうため、立ち止まっていた少年の顔色が変わる。服の端をぎゅっと捕らえられてしまったのだ。見上げてくるそれはひどい泣き顔なのに、力は強く、視線に有無を言わせない迫力があった。
「――やなこった」
一瞬浮かんだ恐れを払うよう、いじめっこは身を捩る。掴まれた服を離させようと引っ張ったが、力は緩まなかった。ぐ、ぐ、と引っ張られるまま、地面についた少年の膝が擦られる。相当痛いはずだが、彼はそれでも手を離さなかった。
「返して」
その一種異様な迫力に、優位なはずの側は腰がひける。気圧された事実に気付き、またそれを否定するかのように拳を振り上げた。
「ッぜーんだよ」
「そうだよ、離せよゲジ眉」
後ろからもう一人が、少年の襟首を掴み引っ張る。無意識に首を絞められ、さすがに手は離れた。安心したいじめっこらは、仕返しとばかりに彼を蹴る。小柄な身体は簡単に蹴り飛ばされ、根づいたばかりの青田へと突っ込んだ。
「うっわやっべえ」
「おれ、しらねえからな」
泥だらけでうずくまる姿を尻目に、そのまま逃げるように彼らは去ろうとした。
次の瞬間。
「ッのやろぉおおお何ヒデちゃんいじめてんだ―――ッ!」
甲高い声と共に、ざかざかざか、と勢いのある足音。何がなんだ、と把握する間も無く。
いじめっこらは、つい先ほど自分達がしたことと同様以上のことをされていた。つまり、渾身の力で蹴り飛ばされ、青田に頭から突っ込んでいた。
「ぎゃっ」「ふげっ」
泥の中を勢い良く転がりつつ気絶する二人を背後に、元から泥だらけだった少年はぽかんとその方向を見上げる。田んぼの間にすっくと立つその姿は、ここ数年で見慣れたものだった。
「二対一なんて、ヒキョーな真似しやがって。ケンカすんなら、同じ数でやれッてめえらそれでもタマついてんのかッ」
気絶した彼らの耳には入っていないが、女の子の高い声でガラの悪い言葉が叫ばれる。さらさらの髪、田舎に似つかわしくない真っ白な肌、ほっそりと肉付きの薄い身体に小さな頭。
「さっちゃん」
彼に呼びかけられた彼女は、息を整えつつ汗の浮いた額を拭って見下ろしてくる。お人形さんみたく整った顔は、先ほどレスラー顔負けの鮮やかさでドロップキックを決め下品な言葉を投げつけた少女とは思えない。太陽の下、青空を背景に白い帽子とノースリーブの夏服で佇む姿は、まるでグラビアアイドルのような爽やかさだ。
ぼうっとする少年を前に、少女はにっこりと微笑んだ。
「ヒデちゃん、」
そうして、言った。
「逃げるよ」
あぜ道の向こう側から怒号が聴こえる。田んぼの持ち主たる農家の親父が、カンカンになってここへ向かってきている。少年はぎくしゃくと立ち上がり、自分より背の高い少女に手を引っ張られるがまま走り出した。途中、いじめっこの手から零れ落ちていたお手玉の回収も忘れない。
「ホラ、走る走る!」
「さっちゃん、」
夏風が、頬を切る。前方のさらさらの髪から、甘い匂いがする。
いつもの覚束ない足取りも、彼女と共になら軽いような気がした。
どのくらいの道のりを走っただろう。
水田が織り成す田園風景は、いつの間にか木々の緑が主なものになっていた。道路が少ないので小さな山や森がそこらにあるのだ。
息を切らしながら少年少女はゆっくり立ち止まり、日陰に入った。村人もよく使う共同の水場。窪みの部分は石造りに補強してあり、とぽとぽと清水が湧いている。
「ヒデちゃん、こっち。洗うから膝出して」
「え?」
「ぐずぐずしない!」
手を引っ張られ、そこに連れて行かれる。少女は備え付けの杓で水を掬い、少年の膝に勢いよくかけた。
「冷たいよぉ」「当たり前でしょ」冷水が傷口に滲みてひりひりと痛む。何度も流して泥を丁寧に落としたあと、少女は腰に付けていたポーチから小さな箱を取り出した。半透明のそれに、幾つか選り分けてある無機質な薬の粒。それには目もくれず、下の部分に折り重なって入れてあるキャラクターものの絆創膏の束を掴み出す。びりっと幾つか破り、タオルハンカチで水滴を軽く拭った傷口に貼り付け出した。痛々しかった擦り傷が、見る間にファンシーな柄に覆われていく。
「……さっちゃん」
「なに」
「これ、はずかしい」
「うるさいな」
ぱっぱっと水滴を払っている最中、少女は暑そうに帽子を取ってぱたぱたと扇いだ。白い頬は紅潮し、息をついていた。短めだけどさらさらだとわかる髪が、今は汗で張り付いている。日陰は涼しかったが、座るところが無い。
少年はきょろきょろと辺りを見渡した。山道の入り口近く、小さな空間に縄がめぐらされた石祠。習慣めいた動きで彼はそこに一礼し、手を合わせた。
(やまのかみさま、ちょっとかくまってください)
祠はここらでは一番、立派なものだ。なんでも、山登りの安全祈願の象徴として目立つ場所に置かれている。でもお供えの段スペースの下に、子供が入れる程度の洞があるのは意外と知られていない。内側は逆向きに段々になっていて、二人くらいなら座れる。覗いて、中に動物や浮浪者がいないか確認した。座るところを丹念に掃う。
「さっちゃん、こっちこっち」
「ヒデちゃんは村のあっちこっちに隠れ場所作ってるよね……」
顔を出し手招きすると、ゴミをポーチに仕舞った少女が呆れたような顔で近寄ってきた。
石造りの洞の中は、陽が差さないのでひんやりと涼しい。昼間なので視界もうっすらと開けている。そのわずかな明りの中、少女の綺麗な顔はわずかに顰められている。視線の先に、キャラクターものの絆創膏に覆われた膝があった。それを悔しそうに見つめつつ、薄桃色の唇からまたガラの悪い言葉が洩れる。
「……くそ。あいつら、もっとボコってやればよかった。タマ潰しときゃよかったか」
「や、やめたげて、もう充分だから。それよりさっちゃんはだいじょうぶ?」
「え?」
「いき、苦しくないの」
少年は真剣な顔で少女に問う。自分のこれは本当にどうでもいいものだ。こんなものより、彼女の抱えている「ケガ」のほうが心配だ。そちらの方がよっぽど、深刻なのだ。
その意が伝わったのか、少女は苦笑して言った。
「……苦しくないよ。ホラ、ヒデちゃんより全然平気」
確かに、彼女の呼気は不自然に乱れていないようだ。そのことを確認し、少年はそっと息をついた。
「今日は、『だいじょうぶ』な日なんだね」
「そうだよ。『だいじょうぶ』な日は何やっても平気なの」
嘘ではない。『だいじょうぶ』な時の彼女は、誰もがびっくりするほど超人的な身体能力で動き回るのだ。先ほどのドロップキックしかり。ただ、それが毎度というわけではない。本来の彼女は――
「……無理しないでね、さっちゃん」
「あたしのことより、ヒデちゃんだよ!」
突然、少女の声と顔が憤る。
「え」
少年は心持ち仰け反った。狭い洞の中、急に彼女が顔を寄せてきたからだ。ふわん、と甘い汗の香り。狭いので、仰け反ってもぎゅっと身体を押し付けられるかたちとなる。むに、とふくらみかけの二つが腕に当たり、少年の顔が真っ赤になる。
「ヒデちゃんはお人よし過ぎるんだよ! どうしてここまでされて、やり返さないの。そんなんだからあいつら調子に乗って、どんどんひどいことするんだよ」
「え、でもこれは、ぼくが自分から……」
「自分からケガしていいのは、身体が大きくて強い奴だけ! ヒデちゃんはまだちっちゃいでしょ!」
「……どうせぼくは、チビで弱いよ」
「そうだよ! ちっちゃくて弱いのが粋がったって、そんなのギゼンなんだよ!!」
「そこまで言われるとさすがにすごーく傷つくよ、さっちゃん……」
興奮したようにどんどん声を荒げる彼女を宥めつつ、彼は別のことに気を取られていた。さっちゃんはいい匂いがするなあとか、女の子の身体って柔らかいなあとか、そんなことである。
「――さっちゃん、あのね。さっきは助かったけど、本当はあそこまでしなくても良かったんだよ。もうちょっとで、取り返せるところだったんだから」
「強がりよしなよ。吹っ飛ばされてたくせに」
「う……。で、でもさ、暴力はよくないよ」
「また粋がって、弱いくせにキレイゴトばっかり言って。そんなんだから……!」
「お父さんが言ってた。ケンカって、暴力の数だけどんどん大きくなるんだって。相手をやっつけてスッキリしても、やっつけられたほうはスッキリしてない。だから、ケンカってのは無くならないんだって。やられたからってやり返したら、やったあいつらとドウルイになるんだよ。ぼく、さっちゃんがあいつらとドウルイになるの、やだ」
「……」
「だいじょうぶ。あいつらだって、いつかは飽きるよ。弱いものいじめなんて、くだらないもの」
「ッ、ヒデちゃんは、弱いものなんかじゃ、ないよ……」
「なんか言った?」
「ううん」
少女の舌鋒が弱まり、濡れた服が乾いてきた頃。少年はごそごそとポケットを探り、中に入れていたものを取り出した。土埃を被ってはいるが、泥にはまみれていない。表面に付いた汚れを丁寧に払うと、しゃり、と中のものが軽く音を立てた。
「それ、」
睫毛の長い瞳が彼の手元を見つめる。いじめっこから取り返した、小さな布地のかたまりに。
「お手玉?」
「うん。おばあちゃんのカタミ」
一つしかないけど、大切なものである。彼女に手渡すと、綺麗な瞳はぱちくりと瞬きつつそれを眺めた。肉付きの薄い手の平の上で、しゃん、と音が鳴る。
「そうなんだ。でもどうして、あいつらに見せちゃったの」
「宝物を見せ合いっこしてたんだ。本当は見せたくなかったけど、見せないと仲間はずれにするぞって言われた」
「……で、とられたんだ」
「……うん」
はあ、と呆れたように溜息が零される。少女はそれ以上馬鹿にするでもなく、手の平に乗せたお手玉をぽんと宙に放った。しゃん、ともう一度鳴る、涼しげな音。見つめる瞳に、ふっと柔らかい感情が載る。闇の中、星のようにきらきらと輝くような表情だった。
「きれいなお手玉。取り返せてよかった」
きれいだと。
次の瞬間、少年の口から勝手に言葉が洩れた。
「あげる」
彼を見返す彼女の瞳に、驚きが灯される。
「え」
「それ、あげる」
「何言ってんの。これ、大切なものでしょ」
「うん。だから、あげる」
言葉を重ねるごと、これでいいんだとの確信も重なる。その時の彼の気持ちは、巧く説明出来るものではない。けれど、確かに思ったのだ。心から、感じたのだ。
「大切だから、さっちゃんが持ってて」
それが、一番いいんだと。
◇◇◇
――おばあちゃん、おばあちゃん。この前あたらしく越してきた女の子、なんか変なんだ
――変ってどういうことだい
――病気なはずなのに、昨日は元気いっぱいだった。ちゅうがえりとかもしてた。あと……動物と、しゃべってた
――……それ、他の人にも言ったのかい?
――ううん
――そう。いいかいヒデちゃん、その子の秘密は、誰にも話しちゃいけないよ
――どうして?
――どうしても、だよ。その子が、この先もずっと笑顔でいてほしいのならね
◇◇◇




