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地図にない道へ

作者: 狐塚あやめ

 高校生活の二度目の夏は一番楽しい時期と言うけれど、それはたぶん生徒側の甘い考えだと思う。

 なぜなら夏休み前になると教員たちは口を揃えて進路のこと、つまり受験について熱弁してくるからだ。

「進路希望調査の紙を配るから終業式までに提出するように。いいですねー?」

 夏休みを前に早く休みにならないかと浮き足立っているみんなをよそに、担任の修善寺(しゅぜんじ)先生はホームルームを粛々と進める。若い女性の教員ということで人気はあるものの統率力には乏しく、血気盛んな高校生をまとめるのは難しいようだった。

「ほぉら、喋ってないでプリントを後ろに回してください」

 僕は前の席から流れてきたプリントを受け取り、振り返らずにプリントを掴んだ手だけ後ろへ回す。

「せんせー、第三希望まで書かないとダメなんすかー?」

「そうですよ。なるべく第三希望まで書いてください。でも強制ではないですから、どうしても書けないのであればひとつでもいいですよー」

 それはいいことを聞いた。進路なんて何も考えてないから、あたりさわりのないものをひとつ書けばいいか。

「きょうはこれでおしまいです。提出期限は守るように」

 ホームルームを聞きながら帰り支度を済ませておいた僕は、さっさと教室を出ようと席を立つ。するとうしろから肩を叩かれ、振り返ると氷智(ひさと)だった。彼とは親友と呼ぶには付き合いが浅く、知り合いよりは深い付き合いをしている。

「なあアキヒト、進路希望なんて書く?」

「ん? なにも決めてないから適当に書くよ」

「てきとうっておまえ進学だろ? まさか就職とか言わないよな」

「だから決めてないって。まぁふつうに進学だと思うけどね。そっちは?」

「あ、そんでさ。いまから遊びに行くんだけど、アキヒトも行くか?」

 聞いといて僕の質問には答えないのかよ。

「悪いけどやめとく」

「あっそう。じゃあいいわ」

「いやそこは誘ったんならもうちょっと食い下がれよ」

 行く気はないけど、そんなあっさり流されたらさすがに悲しくなる。まぁ、毎回誘いを断ってるからしかたない反応だとは思う。

「んだよ、どーせまた生徒会だろ?」

「そうだけどさぁ……。明日の休みだったらあいてるよ」

「いや、明日は俺がダメだ」

「そうなのか?」

「妹の買い物に付き合うことになってるんだよ」

「へぇ、妹がいたんだ。氷智がそんなに面倒見がいいとは知らなかった」

「ひとつ下なんだけど、さいきんちょっとあってな。たまには兄らしいことでもしようと思ってさ」

「ふぅん。それじゃあ邪魔するわけにはいかないね。また今度にしようか」

「あぁ、また誘うさ。そんじゃまたなー」

 氷智はそう言って、待たせていたグループの元へ行く。それを見届けてから僕も教室を後にした。


 教室を出て廊下の人波に逆らいまっすぐ三階の教室へ向かった。北側の端っこにあるその教室には手書きで生徒会室と書かれた札がかかっている。妙にまるっこいその字はひと目で女子が書いたものだとわかる。

 扉をノックしてから開けると予想通りの先客がいた。雑然とする教室内でパイプイスに座ってだらだらしている馴染みの顔が、だらだらしたまま軽く手を振り僕を迎える。

「あ、柏木くんだ。きょうもいらっしゃーい」

「こんにちは、先輩。きょうも居るんですね」

「生徒会長が生徒会室にいてなにが悪いのよぉ」

「授業をサボるのは良いことじゃないのでは」

 僕の指摘に先輩はバツの悪い顔をしたかとおもうと、わかりやすく目が泳ぎだした。

「さ、サボってないし! 言いがかりは良くないんじゃないかなぁ?」

「リボンつけ忘れてますよ」

「え、うそっ! さっきつけたはず」

「嘘です」

「……あぁ! 引っかけたなー!!」

「引っかかりませんよ、普通は」

「なによその、わたしがおかしいみたいな言い方は」

「みたいなじゃなくて、おかしいですねっていう話しをしてます」

「むぅ、柏木くんのくせに!」

 生徒会長の茅野(かやの)先輩と生徒会役員の僕は、授業が終わると生徒会室に来るのが習慣になっていた。先輩は授業をサボっているイメージしかないけど。

 イベントでもない限りなにか活動をしているわけではないんだけど、生徒会室にはふつうの高校にしてはクーラーが設置されている貴重なオアシスだ。夏場の蒸された教室からすぐに外へでて紫外線を受けるような行為はあまりしたくない。いったん涼んで熱を冷ましてから帰れる、それだけでここに来る意味は十分にある。うん、涼しい。

 先輩は会議用の長テーブルの上にスクールバッグを枕にしてだらけている。これもすっかり見慣れた光景だ。

「柏木くんは進路はどーするの?」

 携帯電話を取り出しメールのチェックをしていると、不意に先輩から聞き飽きた言葉が出てきてつい眉を(ひそ)める。

「どーしたの、そんな怖い顔して」

「いえ。まさか先輩にまでそんなこと聞かれるとは思わなくて」

「この時期は先生たちがうるさいよねぇ」

「わかってるなら聞かないでくださいよ」

「だって先輩としてはさ、お世話になってる後輩がどんな道をいくのか気になるじゃない」

「お世話されてる自覚はあるみたいで安心しました」

「だから答えるのよ! ほら!」

 興味津々のキラキラした目でこっちを見つめる先輩。僕はさっき友だちにいったことと同じように答えた。それを聞いた先輩はつまらなそうに「ふぅん」と声をあげた。彼もそうだったけど聞いといてその反応は失礼じゃありません?

「柏木くんも案外ふつーなんだね」

「ただの高校生ですから。魔法が使えたり超能力に目覚めたりしてれば別ですけど。そういう先輩はもちろん進路は決まってるんですね」

 3年の夏ともなれば進路は決まっているはず。ただこのふにゃふにゃして先輩が受験のことを考えているとは思えないし、働いてるところなんて想像もつかない。そう感じてちょっと嫌味な感じで聞いてみた。

「もちろん決まってるよ」

「えっ、決まってるんですか」

「とーぜんでしょ! 私が卒業してからもだらだらしてるとおもってたの?」

「あ、はい。すみません」

「謝られた! やめて!」

 本音を言ったら怒られた。

「わたしはね、進学だよ。わたしには夢があるんだよ柏木くん」むげ

 驚いた。毎日のらりくらりと過ごしている先輩にまさか目標があったとは。昼休みは保健室に入り浸りベッドですやすや眠っている先輩にそんなやる気があったなんて。しかしそれならもうちょっと授業に出たほうがいいのでは……。

「聞きたい? ねぇ知りたい? 私の夢が気にならない?」

 満面の笑みで近づいてこないでください。身体を乗り出し頭突きできそうなほど近づく先輩から距離をとって制する。

「わかりましたから座って。聞きますよ」

「あれ、めずらしく素直だね」

「普通に気になりますから。あの先輩がかっちりしてる姿は想像できませんので」

 僕の言葉に満足気な先輩はひかえめな胸を張る。そして自信満々に宣言した。

「わたしの夢はお医者さんになることなの!」

「またまたご冗談を」

「なんでよ!?」


  ◆  ◆  ◆


 茅野先輩との付き合いはとても短い。

 初めて会ったのは僕が生徒会に所属することになった一年の冬のこと。役員をしていた友だちが転校することになったのが理由だ。彼とは中学からの付き合いだったこともあって、転校するのは非常に残念だった。

 そんな彼から自分の代わりに生徒会に入ってくれないかと言われた。なんでも生徒会長から信頼できる代わりを勧誘してこいとの命令だったらしい。断ろうかと思ったけど彼の頼みを無碍(むげ)にもできないし、なにより信頼されているのだからそこは気持ちを汲んでやるのが友だちというものだろう。

 かくして、彼がいなくなったことでできた穴埋めとして僕は生徒会の門をくぐったのだった。

 そのとき歓迎してくれたのが茅野先輩。生徒会長は集会で壇上にあがることもあったらしいけど、正直まじめに聞いてるわけもなく顔もよくみていない。それに僕の記憶だと、そういう集会とかには女子じゃなくて男子が立っていた気がする。

 彼が転校する前に生徒会長に紹介してもらおうはずが、タイミングが合わせられなかったらしく僕ひとりで会うことになった。よく生徒会室にいると彼から聞いていたから訪ねてみると、小柄な女子生徒がいた。それが生徒会長だった。女子としても低めの身長にサイドで結んだ髪は幼さを助長させている。でもきっちりと着た制服と大人びた顔立ちに落ち着いた印象を受け、さすがに上級生なんだなと密かにドキドキした。

 そしてこの時の僕は、当時の先輩が感じさせた重みのある雰囲気の意味を知らずにいたのだった。


  ◆  ◆  ◆


 夏休み明け、残暑というには厳しすぎる日差しを全身に浴びて、僕は夏バテするギリギリのラインをなんとか保っていた。

 始業式から数日が経ち、だらけた空気から徐々に立ち直っていく生徒たち。蒸される教室内でも僕たち生徒は慣れたもので、下敷きでぺらぺらと扇ぐだけで十分戦えるぐらいには訓練されているのだ。

 それに反して教員たちは涼しい職員室からサウナともいえる各教室に移動するたび、打ち上げられた魚のように生気が失われていった。部活動の顧問をしている体育会系はともかく、デスクワークがメインの先生たちは休み中ですっかり冷房体質が身に付き、環境の変化に対応できていない。教室の隅から扇風機が送るぬるぅい風では効果はいまひとつのようだ。

 そんなうだるような暑さが続くなか、僕の周りである変化が起きていた。

 茅野先輩が学校に来ていない。

 いままでは授業に出ず保健室や生徒会室でサボっていることは何度となくあったけど、登校だけはしていた先輩がきょうもいない。はじめは夏休みボケが抜けなくて遅刻でもしているんだろうと思ったけど、少なくとも途中から登校した様子もなかった。

 まったくこれだけ休むなんて何を考えているんだか。ただでさえ学業がおろそかなのに出席まで減ったら卒業もあやしくなるでしょうに。

 そして放課後の生徒会室を訪れるがやはりそこに待ち人はいなかった。いつもなら長テーブルにだらしなく伸びている先輩が間延びした声で「柏木くーん」と切り出して、熱弁するわりに中身の無い話しをしてくる。だけどその声もいまは遠い昔に感じるほどに懐かしく思う。

 いつか聞いた先輩の夢。医者になることはかなり本気の目標だった。聞きかじった僕の知識でいかに医者になるのが難しいかを話したら「わかってる、それでもわたしは医者になりたいの」と苦しそうに笑っていた。

 最近の先輩は羽毛のようにふわふわしているけど、初めて会った時はしっかりと地に足がついていると感じられる重さがあった。その時の重さを思い出すぐらいの強い言葉だった。

 それから僕は誰もいない生徒会室をあとにして職員室へ向かった。

 扉をノックして中に入ると、三年生の担任を探した。もしかしたら先輩は体調が悪くて、それがたまたま長引いて学校に来ていないと思ったからだ。別の可能性も頭をよぎったけどなるべく考えないようにした。

 とりあえずうちの担任に先輩の担任が誰かを尋ねた。

「学年主任の伊万里先生よ。あ、ちょうどいいところに」

 そういって修善寺先生は声を上げて裏から出てきた老齢の男性教員を呼んだ。やや白髪気味の短い髪に丸眼鏡、細身だが堀の深い顔立ちの鋭い眼差しはベテランの貫禄を醸し出している。

 伊万里先生は手を上げるうちの担任に気づき、そして幽霊かと思うほど音もなく近づいてきて諭すように話す。

「修善寺先生、職員室で大きな声をあげないでください。他の先生の迷惑ですし、みっともないですよ」

「は、はい。すみません……」

 恥ずかしそうに俯く担任に伊万里先生は「次は気をつけてくださいね」と促し、用件を聞いてきた。

 生徒会長のことで聞きたいことがあると話すと奥へ案内されて、おそるおそる付いていった。初めて入る応接室と思われる場所でソファーに座り、話しをきく態勢をとる。

「柏木くんは、茅野さんから聞いていないようですね」

「聞いてないって、何をですか?」

 あいかわらずの落ち着いた口調で話す伊万里先生は僕を見て逡巡する。

 僕は目で返事をして続きを催促した。

「いえ、本人が話していないことを私の口からいうのは悩むところでして」

「茅野先輩が医者になるって話に関係がある、とかですか」

「ふむ、そのことは知っているんですね。そうですか……それならまぁ話しても……柏木くんは生徒会として真面目に活動もしてくれていますし、茅野さんも君になら話しても許してくれるでしょう」

 どうやら収まりどころが見つかったらしく納得している伊万里先生。どんな話を聞かされるかわからないけど、笑い話で済む感じではなさそうだ。

「茅野さんには、お兄さんがいたんですが――――」


  ◇  ◇  ◇


 帰り道、僕はだいぶ寄り道をすることにした。

 いつも降りる駅を通り過ぎ二つ先まで行く。なれない駅で降りて、そこからもらった手描きの地図を見ながら十分ほど歩いた。目的の建物が見えると少し呼吸が乱れた。

「女子の家にいくなんて小学校以来だな」

 さすがに緊張するけど、そんなことで引き返すわけにはいかない。僕は十分な時間をかけてインターホンを鳴らした。ガチャっという音と共に聞こえたのは女性の声。おそらく先輩のお母さんだろう。同じ生徒会員の後輩であることを伝え、先輩に会わせてもらえないか尋ねた。

『えーっと、ちなみにお名前は?』

「あっ……柏木、です」

 しまった。名乗りもせず先走って用件だけいうとは、我ながら冷静さを欠いてる。思ったより緊張しているのか。

『……あーはいはい、柏木くんね』

 どうやら僕のことを知っている感じだった。同じ生徒会だから話題にでたことぐらいはあったのだろう。どんな話題だったかは気になるところだけど。

『ちょっと待っててちょうだいね、いま開けるから』

「あ、はい」

 気のせいかずいぶんあっさりと入れてくれるな。後輩とはいえ男子高校生だぞ。もうちょっと拒まれるかと思っていたが。

 しばらくして玄関が開き、中へ入れてもらった。

「本当は人と会うのも控えさせたいんだけど、柏木くんにはお礼がしたかったから特別ね」

「……どこかでお会いしましたっけ」

 先輩のお母さんはにこにこするだけ答えてはくれず、そのまま階段をあがって先輩の部屋まで案内してくれた。二階の一室、ドアにかかったプレートに先輩の名前が書いてある。

「下にいるから何かあったらすぐ呼んでね」

「あ、はい。すぐに引き上げますからご心配なく」

 僕の言葉に安心した様子で先輩のお母さんは階段を降りていった。

「さて、と……」

 僕は深呼吸して気持ちを落ち着ける。言いたいことを頭のなかでシミュレーションしてからドアをノックする。

「先輩、柏木です。起きてますか?」

 中から返事はなかったけど、バサバサと何かが落ちる音は聞こえた。念のため少し待ったけど反応はない。

「先輩? はいりますよー?」

 言うだけいって僕はドアノブに手をかける。その気配を察したのかドア越しに先輩の慌てた声が響いた。

「なに、なんなの!? ちょ、ちょっと待ってくれるかな!?」

 そう言われても、ドアノブを回す手は止まらない。僕は有無をいわさずそのままドアを開けた。

 パジャマ姿の先輩はドアまでダッシュしようとして足を踏み外したのか、ベッドからずり落ちていた。枕元とその周辺にはたくさんのノートや参考書が散らばっていた。さっきの音は積んでたあれが崩れたみたいだ。

「楽しそうですね先輩」

 僕がにやにやしながら言うと、先輩は顔を上げてむっとした表情で睨んできた。この状態で睨まれても愛嬌が増すだけですよ先輩。

「柏木くん。わたし、待ってっていったよねぇ?」

「いってましたねー」

「じゃあなんで入ってきたの!」

「待ってたら閉めだされそうな気がしたので」

「なっ……そんなことしないよ?」

「先輩は嘘が下手なんですから素直なほうがいいですよ」

「ぐぅ、褒められてる気がしない」

「そりゃあ褒めてないですから」

「えぇ…………もう本当に、きみはなにしに来たのさぁ」


  ◇  ◇  ◇


「伊万里先生にぜんぶ聞いてきました」

 僕の唐突な発言に先輩はビクッと肩を震わせた。布団をかぶり身体ごと顔を隠そうとするがチラチラとこっちをうかがっている。

「全部って、どこまで……」

「スリーサイズとか。先輩って着痩せするタイプなんですね」

「いい笑顔でなんの話しをしてるのかなーー!!」

 先輩はいきり立って手元の高そうな枕をぶん投げてきた。先輩が投げた枕をバスンと軽く受け止め、そっと投げ返す。

「それから、お兄さんがいたこと」

「……そう」

「もちろん病気のことも聞きました」

 バツの悪そうな声をあげる先輩はキャッチした枕に顔を埋めた。

 先輩は幼い頃から完治しない病気を持っていて身体が弱い。普通に生活はできるけど過度な運動はできずストレスなんかの精神的なものも負担となりうる。いまになってみれば、先輩がよく生徒会室にいたり保健室で休んでいたりしたのもそういうことだったのだろう。

 病気のことも聞きたいことひとつだったけど、それ以外にわからないことがある。それを知りたくて僕はここにきた。そのためには先輩から話してくれるのが絶対だ。無理強いして聞くようなことじゃないのだから。

 ひとしきり唸り終わったのか、先輩は険しい表情で諦めたようにため息をついた。

「医者になる夢はわたしじゃなくて、兄さんのものだったの。兄さんは勉強もできてクラスで人気も人望もあるすごい人だった。でも小さい頃から病気だったわたしをはずっと気にかけてくれていたの。

 あるとき医者を目指すっていい始めたの。わたしの病気を治すためだ、なんていわなかったけど、少しでも助けになれればっていってくれてた。お父さんもお母さんも兄さんを応援してた。

 でもわたしはちょっとだけ残念だった。兄さんは何でもできたのに、わたしにかまってばかりで自分のやりたいことができなくて、あげくには医者になってわたしを助けたいって……わたし辛かった。兄さんの可能性をわたしのために潰しちゃったことが……」

「そんなこと、お兄さんからしたら余計なお世話だったでしょうね」

 僕の辛辣ともいえる言葉に先輩は僕に視線を送り、そしてすぐそらした。

「柏木くんにはわからないと思う」

「わかりますよ」

 先輩はこっちを見ない。布団をぎゅっと抱きかかえその手を強く握りしめている。

「わかります。僕でも先輩のために何かしてあげたいと思うんです。お兄さんだったらその想いがどれだけ強いかぐらいわかりますよ。それにお兄さんは自分で先輩のちからになりたいと思って行動したんです。それを先輩が否定したらあんまりじゃないですか。だいたい先輩は自分のことになると途端に判断力とか鈍くなるんですから、難しく考えないでください。いつも生徒会を仕切ってるように直感で理解してください。そのおかげで振り回される僕たちがどれだけ苦労して運営してるかわかってます? そんなんで会長が務まってるのが不思議ですよ、僕らのせいですよ!? いいですか先輩、人という字は――」

「か、柏木くん? そんな拳を握りしめるほど熱弁しないで……あと途中から違うこといってない……? 日本語おかしいし……」

「あぁすみません。つい日頃の鬱憤がもれてしまいました」

「短い付き合いだからかな、わたしは時どき柏木くんのことがわからないよ……」

 うっかりヒートアップしてしまったから一度深呼吸をする。先輩の様子をみてから気を取り直して話しを続けた。

「さて、これで先輩がいかにダメな人かっていうのがわかっていただけたと思います」

「柏木くんじつはわたしのこと嫌いでしょ? そうなんでしょう?」

「僕は真面目に話してるんですからちゃんと聞いてください」

「……わたしもう疲れちゃったから流していいかなぁ?」

「そんなダメな先輩に僕から提案があります」

「うん? あぁそうなのね。どうぞーきいてるよー」

「医者になる夢は諦めてください」

 布団にうずくまり呆れきっていた先輩が顔をあげて僕を睨みつけた。その目にうっすらと浮かぶ涙を僕は見て見ぬふりをして、瞳をみつめ返す。

「どうして、そんなこというのかな」

 かすかに震える声。それでもなお力強い言葉で僕を問い詰める。

「理由はあります。最後まで聞けばわかってもらえす」

 先輩は唇を噛み締め僕をみつめ続けた。

 それに応えるように僕は言葉を紡ぐ。

「先輩は治療に専念してください。治らなくてずっと付き合っていかなきゃならない病気だというのは知ってます。それでも無理をするしないとでは身体への影響は格段に違うはずです」

「でも、それじゃあ…………兄さんの夢が叶わない。わたしは兄さんの夢を継がなきゃいけないの。本末転倒だってことはわかってる。でもそうじゃないと、兄さんに合わせる顔が……」

「僕にまかせてください」

 先輩はきょとんとした顔で僕を見た。きっと何を言い出すんだと不思議なんだろう。僕自身、こういう結論にいたったのは驚いたけど、まぁたぶんこれが僕なりのやり方なんだ。

「僕がお兄さんの夢を継いで医者になって、それで先輩の助けとなります」

「柏木くん……?」

「大丈夫です。僕もお兄さんと同じぐらい、いやそれ以上に先輩のことを大事に想っています。まぁ力不足は否めませんが、あと数年もあればちからの使い方を覚えて十分に発揮できますから。これでもけっこうスペックは高いんです」

「柏木くん、それを一般的には暴論っていうんだよ。っていうかちょっと待ちなさい。いまさらっと何言ってくれちゃったの?」

「先輩落ち着いてください。キャラが崩れてます」

「そ、そうね。うん、大丈夫。気にしない気にしない」

「僕がいったことは大いに気にしてほしいんですけど」

「だったらもっと言いかたってものがあるんじゃない!? 落ち着けっていったその口でわたしを動揺させるのはなんなの? 本当に柏木くんのことがわからない!」

 先輩が予想以上に荒ぶってしまいさすがにデリカシーがなかったかなと反省。ことがおさまったら怒られるんだろうな……。すでにだいぶお怒りだし。

 ベッドの上で髪をぐちゃぐちゃにして身悶える先輩の姿に、じゃっかんの申し訳無さを感じつつ話しを進める。

「というわけでこれから先輩のお世話をすることにしたのでよろしくおねがいします」

「え、なに、終わり? 最後まで聞けばわかるっていった理由それで終わりなの? それが理由?」

「はい」

「自信満々だぁ……やだちょっと柏木くんがこわいよぉ……さっきまでのシリアスな空気なんだったのぉ……」

 喜怒哀楽がころころと変わるのを見てる僕はちょっと楽しい。とか言ったらやっぱり怒られそうだ。

「それで先輩は?」

「な、なによ」

「僕はおねがいしますって言いましたけど、まだ返事を聞いてません」

「返事って、それはその、そういうことのって、あれよね」

「引っ張るようなことでもないので手短におねがいします」

「柏木くん、横暴って言葉しってるかな?」

「長いこと興奮してるとお体に障りますよ」

「きみのせいなんだけどね!」

「あ、カウントダウンしましょうか?」

「い・ら・な・い。…………本当にわたしなの?」

 先輩は急にしおらしくなって自信なさげな声をだし、少し赤くなった目で僕をみつめている。

 よかった、やっと本音を引き出せたみたいだ。

 あんなシリアスな空気のまま告白まがいのこと言ったら間違いなく先輩は考えすぎるだろう。考えまくったあげく自分のことは後回しにして、僕に申し訳がないとかなんとかいって遠ざけるなりしていたかもしれない。こうやって思考する余裕をなくしてあげれば先輩の本心が聞けそうな気がしたけど、うまくいったのかな。

 まぁ途中から楽しんでたのは本当だけど、これも黙っておこう。

「先輩さえよければ」

暁人(あきと)くん……」

 僕の名前を呼んだかと思うと、先輩は涙を浮かべぼろぼろと泣き出してしまった。声を出さないかすかな嗚咽ともに流れる涙を僕は静かに受け止めた。


   ◇   ◇   ◇


 気がつけば窓から見える景色が夕焼けに染まっていた。身体中の水分を出しきったんじゃないかと思うほど泣き続けた先輩も、いまはすっかり落ち着いて布団をかぶっている。

 すぐに引き上げるといったのにこんな時間になってしまい、先輩のお母さんになんて説明したものか。さすがに帰ろうと腰を上げると気配に気づいたのか布団がもぞもぞと動いた。あいかわらず髪をぐちゃぐちゃにしたままの先輩が顔をだし、真っ赤な目で、

「帰るの……?」

「長居しすぎましたから今日のところは。先輩はまだ学校休んでますよね、明日また来ますよ」

「うん、ありがと」

 恥ずかしそうに手を振る先輩をみて頬がゆるむのを感じた。

 鞄を取り部屋を出ようとしたところで、もう1つ大事なことを聞き忘れていたのを思い出す。

「先輩、最後にもう1つだけ聞きたいんですけど」

「うん? なにかな?」

「どうして生徒会長にをやろうと思ったんですか? 身体の負担になることはやらないほうがいいてわかってるのに」

 思ってもいない僕の質問に少し驚きつつ、先輩はかぶっていた布団から這い出て身体を起こした。

「わたしは元気だってところを兄さんにみせたかったの。いつも心配かけてたから。わたしはひとりでも大丈夫だって、伝えたかったんだ。あんまり見せてあげれなかったけど」

「そうだったんですか。話してくれて、ありがとうございます」

「ううん。わたしも柏木くんには聞いてほしかったから」

 そう言って先輩はいままでで一番の笑顔を見せてくれた。それだけで僕はきょうのできごとが間違いじゃないと、そう思えた。

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