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「計算しかできない」と追放された兵站担当、元パーティの遠征に『兵站を切った代償』を叩きつける

作者: _mon_mon_
掲載日:2026/08/25

ロラン・ヴェイスは粗末な木机の上で羊皮紙の帳簿を広げ、真鍮製の小天秤を使って麻袋から掬い取った乾燥麦の重さを一斤刻みで計量していた。指先に残る小麦の粉を払いながら、日々の消費速度と残量を正確に数値として書き留めていく。その手元を、前触れもなく差し込まれた無骨な革手袋が激しく払い飛ばした。羊皮紙の上に置かれていた羽ペンが転がり、黒いインクの染みを作る。


「おいロラン、呑気に数字遊びをしている場合か。明日からの大遠征に、お前のような戦えない足手ま盗を連れて行くつもりはない」


「ジークハルト、この計算は遊びではありません。明日からの遠征計画には、根本的な物資不足があります」


ジークハルトは大剣の鞘をドスンと床に叩きつけると、蔑むような視線でロランを見下ろした。後ろに控える仲間たちからも、くすくすと抑えきれない嘲笑が漏れ出る。


ロランは飛び散ったインクを布で静かに拭うと、書きかけの帳簿を指先で叩いた。羊皮紙に記された隊員たちの行軍速度や必要カロリーの数値を、まっすぐに示してみせる。


ジークハルトは不快そうに鼻を鳴らし、重厚な革鎧の胸を張って威圧するように言い放った。


「強い剣士と魔導師がいれば魔物を倒して戦利品が得られる。貴様のような計算係の給与など金の無駄だ」


「戦利品で腹は膨らみません。補給線を持たずに迷宮深層へ入れば、二十日目で確実に備蓄が底を突きます」


ロランの冷静な指摘は、ジークハルトの自尊心を逆なでしただけに過ぎなかった。リーダーは苛立ちを隠そうともせず、腰の大剣の鞘を激しく蹴りつける。


魔導士の女が呆れたように肩をすくめ、前衛の男は腹を抱えて大声で笑い飛ばした。


ロランは手元の帳簿をパタンと閉じ、そっと息を吐き出した。


「戦えない奴に用はないのだ。計算しかできない無能は、今日限りでわがパーティから追放する」


「分かりました。では、私の個人所有物である消費予測記録の帳簿と、この天秤を持って出ていきます」


ジークハルトは鼻で笑い、ロランの荷物をまとめて部屋の外へと放り投げた。ロランは散らばった資材の中から、自分が購入した天秤と帳簿だけを静かに皮袋へ回収した。


ロランは哀願することなく、その足で冒険者ギルドへ向かい、自らの手でパーティ退団の届出を提出した。


深夜の静けさの中、ロランは王都の門をくぐり、一人で辺境へと続く夜道を踏み出した。自らの意思でこのパーティと縁を切り、計算の力を証明するための取り消せない一歩であった。


「私は私のやり方で、数字が示す真実を証明していくだけだ」


闇に包まれた街道を歩きながら、ロランは胸の奥で静かに誓いを立てた。


手元に残された数冊の帳簿には、王都の誰も理解しようとしなかった正確な世界の理が刻まれていた。


ロランの足取りは迷うことなく、遥か東の辺境駐屯地へと向けられていた。


「次の雇われ先では、まず在庫の全容を算出することから始めよう」


「正確な数値こそが、兵たちの命を救う最大の武器になる」


夜風がロランの髪を揺らし、皮袋の中の真鍮天秤が小さな金属音を響かせた。


自らの判断で退団を選んだロランには、後悔の念など一切存在しなかった。


ただひたすらに、己の計算がもたらす結果だけを信じて歩みを進めていた。


「ジークハルトたちが愚かな選択に気づく頃には、すべてが終わっているはずだ」


「それでも私は、目の前の数字に向き合い続けるしかない」


東の空が白み始める頃、ロランの視界の先には、遠く第三駐屯地の無骨な砦が見え始めていた。


◇◇◇


第三駐屯地の門をくぐったロランは、立ち並ぶ天幕の間を縫い、すぐさま兵站補佐の配属先である糧食倉庫へと足を進めた。すれ違う兵士たちの顔には焦燥と困惑の色が濃く、王都からの定期補給部隊が途絶えて久しい状況を物語っていた。


ロランは薄暗い倉庫の薄汚れた木机に羊皮紙を広げ、真鍮の小天秤を置いた。袋から掬い取った小麦の重さを計量し、残存する干し肉の棚を一つひとつ検分して正確な数値を書き留めていく。


「補給が途絶えて三日が経つ。このままでは兵たちの士気が持たんが、在庫はあとどれくらいある」


「現在の消費ペースでは、あと四日で完全に兵糧が底を突き、全隊員が全滅の危機に瀕します」


見回りに訪れた駐屯隊長の問いに、ロランは淡々と算出した現実を提示した。


「配給量を熱量ベースで三割削減し、迂回路を使って分散補給を行えば、全員の命を維持できます」


ロランは手元の帳簿に新たな数式を書き加え、兵士一人あたりの基礎代謝と運動量から算出した再構成案と、地形データから弾き出した補給ルートの修正案を隊長へと差し出した。


隊長は提示された紙面を検分すると、すぐさま配下を呼び寄せ、新たな配給規定と輸送計画の発令を命じた。


猛烈な吹雪が襲った六日目の夜、駐屯地では切り詰められた熱量計算に基づく配給が整然と行われていた。ロランは倉庫の片隅で天秤の目盛りを調整しながら、補給隊の到着予定時刻と現在の備蓄減耗率を重ね合わせる。


「予定通りだ」


足止めされていた本隊が到着したのはその翌朝だったが、過酷な寒さの中でも一人の脱落者も出さずに耐え抜いていた。


無事に危機を乗り切った駐屯地に、やがて品物を運ぶ商隊が足を踏み入れるようになった。その中の一人である肥満体の商人が、羊皮紙を整理していたロランのもとへ歩み寄る。


「ロラン殿、我が商隊の輸送管理を引き受けてくれないか。アルス峠を越える難所なのだ」


「荷の重量計算と糧食配分を見直す条件ならお受けします」


ロランは申し出を受け入れ、真鍮の天秤を布で包んで皮袋へと収めた。


手元の羊皮紙には、すでにアルス峠の標高差と想定される積載重量の試算データが書き込まれていた。


ロランは荷物を背負い直すと、一歩踏み出し、次の目的地へと向けて歩みを進めた。


◇◇◇


雪交じりの冷たい風が吹き抜ける集積所で、ロランは息を白く吐き出しながら、巨大なソリの前で脚を止めた。


「そこまでだ。これ以上の積載は馬の膝を砕く」


ロランの声に、絹織物の木箱を担ぎ上げようとしていた若い人足の手が止まる。そばで大口の帳簿を検分していた太った商隊長が、不機嫌そうに顔を上げた。


「何を言うかと思えば。このアルス峠を越えれば絹も鉱石も倍の値で売れるのだ。削れる余地などどこにもない」


「いいえ、削るべきは商品ではなく、死重です」


ロランは手元の羊皮紙を開き、真鍮の天秤の端を軽く指で弾いた。


「現在の積載重量では、八合目の急勾配でソリの摩擦抵抗が馬の牽引限界を十五パーセント上回ります。さらに、気象周期から予測される明後日の降雪を考慮すれば、乾草の補給なしでの足止めは即座に全滅を意味します」


「明後日だと? この晴天で積荷を減らせというのか」


「絹を二箱減らし、その分のスペースに高カロリーの乾燥高地糧食と予備の薪を積んでください。これ以外の配置では、登攀途中で破綻します」


「……ええい、分かった! だが、もし計算が外れて無駄な損が出たら、お前の報酬から差し引くからな」


商隊長は忌々しそうに指示を出し、積荷の再構成を行わせた。


二日後の峠の八合目、吹き荒れる猛吹雪の中で、人足たちはロランの指示で積まれた薪を焚き、配布された高カロリー糧食を口にして寒さを凌いでいた。足止めされた他の商隊が悲鳴を上げる中、ロランは馬の体温低下を防ぐ配分計画を淡々と指示し続けた。


吹雪が止むと同時に、ロランはソリの牽引ロープを締め直させ、先頭に立って足跡の途絶えた雪道を前進させた。動けなくなった他商隊を尻目に、一行は一人の脱落者も出すことなく無事に峠を越えて街の市場へと滑り込んだ。


「本当に助かった……! 正直、あの吹雪ではもうダメかと腹をくくっていたのだ」


「次の集落までの距離と、残りの乾草の重量です。すぐに馬の世話を始めてください。まだ冷え込みます」


ロランは差し出された重い金貨の袋を受け取ると、商人たちの歓声を背に、一人静かに宿場の机へと向かった。


羊皮紙を一枚めくり、アルス峠での実測値を丁寧に書き加える。


「次は、王都か」


ロランは羽ペンを走らせ、次の目的地である「冒険者ギルド総本部」までの所要日数と必要経費の計算を開始した。


彼は荷物を手早くまとめると、夜明け前の静けさの中、王都へと続く街道へ向かって歩き出した。


◇◇◇


王都へ渡ったロランは、冒険者ギルド総本部の執務室で「臨時物資監査員」の腕章を巻き、真鍮の天秤と羽ペンを手に積み上げられた書類を精査していた。


広大な執務室には過去の遠征申請書や消費報告書が山となっていたが、ある一束に触れた瞬間、ロランの手がぴたりと止まった。


「おかしいですね。踏破距離に対する油の消費量と、糧食の購入費用の計算が全く噛み合っていません」


ギルド職員が慌てて台帳をめくり、ロランの手元にある資料の番号を照合する。


ギルドの職員が覗き込む中、ロランは報告書の署名欄に目を走らせた。そこに記されていたのは、自分を追放した「暁の剣」のリーダー、ジークハルトの署名だった。


数字の筆跡に混じる不自然な上書きの跡をなぞりながら、ロランは帳簿の余白へ素早く補正値を書き加えていった。


「彼は兵站を完全に舐めている。この改ざんされた数値では、迷宮深層に到達する前に補給が底を突く」


「大変だ……実は『暁の剣』は半年前に大遠征へ出発したまま、完全に消息を絶っているのだ」


ギルド職員は額に汗を浮かべ、震える手で『未帰還・捜索未実施』の札が貼られた古い受領メモを取り出した。


ロランは即座に自身の帳簿を開き、羽ペンを走らせて「暁の剣」の正確な消費限界日数を弾き出した。


「追放された日の備蓄量と彼らの行軍速度から算出すれば、彼らの生命線は本日すでに破綻しています」


職員は提示された計算式を必死で追いかけ、青ざめた顔で小さく頷いた。


ロランは羊皮紙の上に、迷宮地下五階の補給不能区域を示す特定の交差点座標『E-4区画の岩陰』を素早く書き記した。


羽ペンの先端から滴るインクが羊皮紙の目盛りに染み込み、導き出された最期の地点を黒々と浮き彫りにした。


「ギルド長に報告し、直ちに捜索隊を編成してください。目的地はすでに割り出してあります」


職員は跳ね起きるように弾んで執務室を飛び出し、廊下の奥へと駆け出していった。


ロランは改ざん文書と自らの試算表を重ね合わせて皮袋へ収めると、自らも防寒外套を羽織り、捜索隊に同行すべく執務室のドアへ手をかけた。


羊皮紙に刻まれた「本日、補給が底を突き全滅する」という朱書きの数値を静かに見つめながら、ロランは迷宮へ続く地下階段へと足を進めた。


◇◇◇


ギルド総本部は直ちに救援捜索隊を編成した。ロランは消費予測から割り出した潜伏ポイントへ、捜索隊の兵站責任者として同行した。


迷宮地下五階、湿気と冷気が立ち込める補給不能区域。ロランの計算通り、捜索隊は一切の迷いなく目的地へと到達した。


岩陰に重なるように倒れていたのは、かつて王都で栄華を誇った「暁の剣」の無残な姿であった。


「た、たすけてくれ……頼む、俺たちは英雄の『暁の剣』だぞ……」


「ジークハルト。無残な姿ですね。剣を振るう腕も、もはや上がらないようですが」


痩せ衰え、泥水をすすって飢えに耐えていたジークハルトは、眼前に立つロランの姿を見て見開いた。その背後では、魔導士も前衛も力なく地面に倒れ伏している。


ロランは哀しみも怒りも浮かべず、静かに皮袋から一冊の分厚い羊皮紙の帳簿を取り出した。追放されたあの日から今日まで、積み上げてきた精密な消費予測の記録である。


ロランは自らの足で一歩踏み出し、絶望に震えるジークハルトの目の前に、その帳簿を一字一句はっきりと突きつけた。


「ジークハルト。君たちが動けなくなったのは魔物のせいでも不運のせいでもない。半年前、君が数字を水増しして強行した『兵站を切った代償』を、いま耳を揃えて払っているだけだ」


「な……代償……だと? 俺たちはただ、最強のパーティとして迷宮を制覇しようとしただけだ」


ロランは帳簿のページを指差し、改ざんされた偽りの数値と、実際の消費限界速度を淡々と読み上げた。


「本日、補給が底を突き全滅する」——半年前、ロランが追放された夜に帳簿に書き残していた予測日付と、いま目の前で起きている現実が寸分の狂いもなく一致していた。


「ひっ……!」


ジークハルトの喉から掠れた悲鳴が漏れ、震える指先が羊皮紙の真実に触れることすらできず後退った。


「俺が……俺が間違っていたというのか……強さこそがすべてではなかったのか……」


「兵站のない強さなど、砂上の楼閣に過ぎません。君は自分の手で全員を追い詰めたのです」


ジークハルトの視線は定まらず、喉を鳴らしながら荒い呼吸を繰り返すことしかできない。


仲間の冒険者たちもまた、ジークハルトの虚偽報告によって自分たちが命の危機に晒されたことを知り、怒りと蔑みの視線をリーダーへ向けた。


「ジークハルト……お前、俺たちを騙してこんな無謀な遠征に連れてきたのか」


「答えてみろ! 俺たちは死にかけたんだぞ!」


仲間の一人が這い寄り、ジークハルトの胸倉を弱々しく掴んで揺さぶったが、ジークハルトはただ虚ろな目で首を振るばかりだった。


ロランは視線を交わすこともなく、淡々と背後の捜索隊へ振り返った。


「救援隊、彼らを拘束して地上へ引き揚げてください。罪の追求はギルドで行います」


「了解した。ロラン殿の正確な試算がなければ、我々も捜索で迷うところだった」


救援隊の隊長がロランに深く敬礼し、動けなくなった「暁の剣」のメンバーを回収していった。


ロランは静かに帳簿を皮袋へ収め、パチンと金物の留め具を鳴らして固定した。


そして一度も振り返ることなく、先頭に立って暗い地下通路の地上への階段を登り始めた。


◇◇◇


ギルド本部の審問室で、ギルド総長が重々しく裁定の羊皮紙を叩きつけた。


「虚偽報告、補給金の流用、さらには捜索隊動員の費用請求……ジークハルト、貴様らの罪は免れん」


ジークハルトは蒼白な顔で言葉もなく膝をつき、衛兵によって冷たい鉄の枷を嵌められ、そのまま審問室の外へと連行されていった。


「ロラン殿、君の兵站計算の能力は王国全体の宝だ。ぜひギルド本部の首席兵站監察官になってほしい」


「ありがたくお受けいたします。どれほど強大な力があろうと、数字の真実から逃げることはできませんから」


総長の差し出した任官証書を受け取ったロランは、その足で新設された首席監察官室へと向かった。


廊下には彼の噂を聞きつけた冒険者たちが群がっていたが、ロランは一礼だけを返して執務室の重い扉を閉めた。


彼は静まり返った部屋の木机に歩み寄ると、真鍮天秤を脇へ押しやり、すでに用意されていた新たな遠征計画の羊皮紙を開いた。


「浮かれる必要はない。次の遠征部隊の試算がまだ残っているのだから」


ロランの手元で真鍮の天秤が静かに揺れ、左右の皿に乗せられた重りと銅貨が水平に釣り合った。


窓枠を押し開けると、王都の賑わいを含んだ青い風が部屋を満たし、机上の羊皮紙をさらさらと揺らした。


ロランは羽ペンを走らせ、次の遠征で一人も死なせないための数値を、最初の一行目から刻み始めた。

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