義洞家訪問2
リヒトの魔成剣が、金光の首を断つべく無慈悲に振り下ろされた、その刹那。
――キィィィィィンッ!!!!
鼓膜を突き刺すような高音が響き、リヒトの剣が強引に弾き飛ばされた。
獲物を逃した驚愕よりも速く、リヒトの視界には「紺と黒の旋風」が割り込んでいた。
リヒト「……!?」
宗光「弐科流――『緋扇閃』」
名乗るよりも速く、宗光の抜刀術が炸裂した。
それは弐科流の真髄。基本にして最速。初見でこの居合を破れる者は、大陸全土を探しても存在しないと言われる神速の業。
リヒトは反射的に魔力を練り上げ、剣で威力を殺そうとした。しかし、予期せぬ連続攻撃の前に体勢は万全とは程遠く、防壁ごとリヒトの体は大きく後方へと吹き飛ばされた。
リヒト「ぐっ……!?」
石畳を数メートル滑り、リヒトは膝を突く。
一方、宗光はリヒトを追撃することなく、傷ついた弟の前に立ちはだかった。
宗光「飛鳥!」
飛鳥「はい!」
屋根から舞い降りた飛鳥が、すぐさま金光の肩を貸し、離脱の態勢をとる。
飛鳥「宗光兄様の指示です。引きますよ!」
金光「……すまない。情けないところを見せた……」
飛鳥「兄様の邪魔にならないよう、屋敷まで! 急いで!」
二人が戦域から離脱したのを確認し、宗光は初めて、リヒトへとその鋭い視線を向けた。
宗光「賊が何者かと思えば……。案外…大物であったな」
リヒトは静かに立ち上がり、煤けた外套を払う。手中の魔成剣をより濃密に、より鋭利に再構成し、不敵な笑みを返した。
リヒト「ふっ……。お前たちの力を貰い受けるんだ。俺自らが来なくては失礼だろう?」
宗光「ほう、我らの力が欲しいと……。なるほどな」
リヒト「……何がおかしい。今の問答だけで、何がわかった?」
リヒトの苛立ち混じりの問いに、宗光は刀を正眼に構え直し、静かに宣告した。
宗光「貴様らの目的は……『戦争』。そうであろう?」
リヒト「…………!」
リヒトの眉が微かに動く。図星であった。
宗光「確かに、戦争には戦力が必要だ。だがな、我ら弐科は、どこの国にも、どこの組織にも属さぬ! 誇りのみを研ぎ澄まし続ける剣士の一族。貴様のような傭兵の風下に立つ道理はない!」
言葉の終わりと同時、宗光の姿がブレた。
予備動作ゼロの突進。リヒトは間一髪でその刀を受ける。
だが――。
リヒト「ぐっ!?」
リヒトの腹部に、焼けるような激痛が走った。
刀は確実に弾き返したはずだ。リヒトは即座に後方へ跳躍し、距離を保ちながら自身の状態を確認する。激痛の走った箇所に触れると、指先にべっとりと熱い鮮血がまとわりついた。
リヒト(斬られている……!? 確実に防いだ感触があった。なのになぜだ……!)
宗光「……疑問か?」
余裕の態度を崩さぬ宗光。その刀身には、リヒトの血が一滴も付着していない。
リヒト「お前の刀、確実に防いだはずだ。物理的な軌道は俺の剣が遮っていた」
宗光「防いだ……か。貴様がそう思い込んでいる限り、これ以上生き長らえることはできぬな」
リヒト「へぇ……。なら、思い込みじゃないことを証明してやるよ!」
今度はリヒトが攻勢に転じた。
正面から突っ込むと見せかけ、超高速の左右跳躍を繰り返し、残像で相手の視覚を攪乱する。宗光の死角へと回り込んだ瞬間、最大火力の斬撃を正面から叩き込んだ。
宗光「速い……が、防げぬわけではない!」
宗光は最小限の動きで正面の連撃を捌く。しかし、リヒトの猛攻はそこからが本番だった。
右から、左から、あるいは頭上から。重力と慣性を無視した四方八方からの間断なき打ち込み。
火花が散り、剣鳴が重なり、庭園の空気そのものが熱を帯びていく。
カン! キン! キン! キン!
リヒト(まだついてくるか……。なら、これならどうだ!)
全方位からの連撃すら捌き切る宗光に、リヒトは戦慄に似た高揚を覚えた。
彼はさらに跳躍のスピードを上げ、踏み込みの力を倍加させる。
あまりの加速に周囲には衝撃波が巻き起こり、石畳は砕け散り、屋敷の壁には風圧だけで亀裂が走り始めた。
宗光「くっ……!」
流石の宗光も、その異常な手数と圧力に押され、わずかに後退を始める。
どこから放たれるか予測不能な極限の連撃。最初の速度であれば「集中」で対応できたが、今のリヒトは「勘」すらも置き去りにする領域に達していた。
宗光(やむを得まい……。奥の手を出すか)
宗光は、迫りくるリヒトの影に全神経を注いだ。
大きく息を吐き出し、自身の心臓の鼓動――その一拍一拍を、永遠のように長く感じ取る。
瞬間、宗光の主観世界において、万物の動きが鈍化した。
捉えきれなかったリヒトの軌道が、まるで水中にいるかのようにゆっくりと、そして明確な光の筋となって脳内に投影される。
脳内処理のみを限界まで加速させた、一時的な超集中状態。
宗光(弐科流二式――『空蝉』!)
相手の攻撃が当たる刹那、刀身を自身と並行に滑らせ、受け流すと同時に身を翻す。
リヒトの渾身の一撃が空を切り、宗光はその場から短距離の転進を成功させた。
リヒト「はぁ……はぁ……」
空蝉で距離を取った宗光の衣服には、ところどころに浅い手傷による切り込みがあった。
彼は不敵に笑いながら、袴についた土埃を無造作に払い落とす。
リヒト「ここまでついてくるとはな。……流石は弐科の当主と言ったところか」
リヒトもまた、荒い息を整えながら魔成剣を構え直す。本物の強者に対する、偽らざる敬意を込めて。
宗光「あの『ジャッカル』のリヒトにそう言われるとは、光栄だ。……だが、一つ誤りを正しておこう」
宗光の言葉が終わると同時に、その姿が音もなく、完全に消失した。
――シュパァァァッ!!
次の瞬間、リヒトの腹部に、先ほどを遥かに凌駕する激痛が走った。
視認どころか、気配すら感じさせない、完全な「無」からの横一文字。
鮮血が夜の闇に舞い、リヒトは膝から崩れ落ちた。地面に魔成剣を突き立て、かろうじて上体を支えるが、意識が遠のくほどの痛みだ。
リヒト「……ぐ、ああ……っ!」
宗光「私は当主ではない。……『次期』当主だ」
宗光は、刀に付着した血を鋭く振り払い、リヒトの失言を訂正した。
彼の足元には、極限の舜動法による微かな足摺りの跡が残っている。その全身からは、周囲の空気が陽炎のように揺らめいて見えるほどの、圧倒的な威圧感が立ち昇っていた。
リヒト「……っ! まさ……か……な……」
呼吸をするたび、内臓を直接掴まれるような苦しみが襲う。
常人ならショック死していてもおかしくない重傷。それでもなお、リヒトは意識の灯を消さず、眼前の怪物を睨みつけた。
宗光「喋るな。それ以上は命を落としかねん。……安心しろ、命までは奪わぬ。養生して帰るがいい」
宗光は勝者の余裕を纏い、背中を向けて歩き出そうとした。
しかし、その背後で、リヒトの瞳に宿る「火」は、まだ消えてはいなかった――。
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金光「流石は宗光だ……。あの怪物と、まともに渡り合っていやがる……」
戦いの中心地から離れた屋敷の縁側。飛鳥による応急処置を受けながら、金光は食い入るように庭園を見つめていた。その瞳には、隠しきれない悔恨と、兄への畏怖が混ざり合っている。
自身の全力を注いだ『牙突』ですら、リヒトには子供の手遊びのようにあしらわれた。しかし今、目の前で繰り広げられているのは、次元の違う「死の舞踏」だ。自身の技量では、相手の本気を引き出すことすら叶わなかったという事実が、重く金光の心にのしかかっていた。
飛鳥「……私の目には、もう二人の姿を捉えきれません。火花と衝撃音が聞こえて、時折、残像が揺れるのが見えるだけで……。お二人とも、どれほどお強いのでしょう」
金光の手当てをする飛鳥の手は、微かに震えていた。
庭園から届くのは、もはや剣戟の音ではなく、大気を引き裂く爆鳴だ。跳躍の一歩ごとに地面が爆ぜ、剣を振るうたびに巻き起こる衝撃波が、離れた場所にいる飛鳥の頬をナイフのように削っていく。
金光「……それだけでも十分さ。普通なら、何が起きているか分からぬまま首が飛んでいる」
金光の言う通り、二人の速度は既に物理限界を超えていた。しかし、金光の視線はリヒトではなく、兄である宗光の「異変」に注がれている。
金光「飛鳥。宗光はお前を『弱い』と切り捨てた。……だが、俺はそうは思わない」
思わぬ言葉に、飛鳥は止血の包帯を巻く手を止め、驚愕に目を見開いた。
飛鳥「えっ……? ですが、私は一度として兄上たちに打ち勝ったことはありませんし、先ほども……」
金光「いいか、よく聞け。……あの速度だ。宗光は今、多少なりとも『力』を解放している」
飛鳥「力……? 剣術のこと、ではないのですか?」
困惑する飛鳥に対し、金光は痛みに耐えながら、教え諭すように言葉を繋ぐ。それは、義洞の血筋にのみ伝わる、呪いにも似た秘密の片鱗であった。
金光「俺たち弐科の剣は、大陸最強と謳われる流派だ。だが、その中でも俺たち『義洞の直系』が、他を寄せ付けぬ圧倒的な力を保持している理由はなんだと思う? ……そして、宗光がお前だけを執拗に『弱い』と蔑む本当の理由を」
飛鳥「それは……。私の剣が、お二人のように鋭くも重くもなく、未熟だからでは……」
金光「違う。断じて違う。お前の剣の『型』だけを見れば、俺や宗光よりも遥かに正確で、淀みなく、美しい。……だが、俺たちにあってお前にだけないものが一つある。それが、お前が弱者としてこの場に甘んじている根源だ」
飛鳥は息を呑んだ。
これまで、兄たちから浴びせられてきた罵倒は、すべて自分の努力不足だと言い聞かせてきた。しかし今、金光は「型は宗光以上だ」と断言したのだ。自分を否定し続けてきた兄の口から出た肯定は、彼女にとって理解の範疇を超えていた。
飛鳥「意味が、わかりません……。私に何が足りないというのですか……?」
金光「今は分からずともいい。……だが、見ていろ。これからあの二人の戦いは、人の理を外れた領域へ踏み込む。……お前に足りないものが、その身を焼くような殺気の中で、嫌でも突きつけられるはずだ」
金光の視線の先。リヒトが膝を突きながらも、その奥底で「何か」を呼び覚まそうとしているのが伝わってくる。
金光「この屋敷……どこまで形を留めておけるか。義洞の歴史が、更地にならなきゃいいがな……」
金光は自嘲気味に、しかし戦慄を隠せずに呟いた。
飛鳥もまた、拭いきれない不安と、初めて自分に向けられた「期待」にも似た疑問を胸に、再び地獄のような光景が広がる庭園へと目を戻した。
そこには、もはや「人間」としての枠組みを捨て去ろうとしている二人の怪物が、次の瞬間に向けた静寂を共有していた。
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宗光「な……に……!?」
宗光の口から、この日初めて、困惑と戦慄が混じり合った声が漏れた。
眼前の光景は、彼がこれまで築き上げてきた「武」の常識を根底から覆すものだった。
今しがた、自身の刀にて確実に「斬った」はずの男。腹部を横一文字に裂かれ、死の淵に沈んだはずのリヒト・スカーレットが、何事もなかったかのように地に立ち、平然と剣を構えてこちらを見据えていたからだ。
宗光「貴様……何をした? いかなる術法を用いた……?」
宗光は刀を正眼に構え直し、絞り出すように問うた。その声音には、想定外の事態に対する本能的な警戒が宿っている。
リヒト「いやいや……。まさかとは思ったが、本当に『そのまさか』だとはな」
リヒトは呆れたように首を振り、自身の外套にこびりついた血痕を忌々しげに一瞥した。
その姿には、先ほどまでの死の気配など微塵も感じられない。宗光は、目の前で起きている異様な現実を否定できず、ただ沈黙をもってその先を待つしかなかった。
リヒト「さっきのやつとやり合っていた時から、肌が粟立つような違和感はあった。だが、さっきのお前の剣で確信したよ。……お前たち、剣技に『魔力』を乗せていやがったな?」
宗光「…………!」
リヒト「そうだよな。そうでなきゃ説明がつかねえ。ただ腕っぷしがいいだけで、あんな音を置き去りにするような斬撃を放てるはずがない。お前の刀は、もはや目で追える次元を超えていた。……魔力による肉体強化と、極限まで磨き抜かれた型。それらを高次元で融和させた『魔導剣術』……それが弐科の正体か」
宗光「ふっ……。ふ、ふはははははは!!!!」
リヒトの言葉を聞き、宗光は突然、腹の底から突き上げるような笑声を上げた。
リヒト「……何がおかしい」
宗光「いや、悪いな。だが……やはり貴様は強い。そして、底が知れぬ。……その通りだ。我ら義洞の直系に伝わる弐科流は、体内の魔力を行使することで、人を超えた境地へと踏み込む。魔力を扱えぬ門下の者には剣の型のみを模倣させているが……貴様が戦ったのは、その真髄だ」
宗光は笑いを収め、冷徹な双眸をリヒトへと突き刺した。
宗光「だが、私の疑問は未だ晴れぬ。貴様だ、何をした? 私は先ほど、魔力を込めた必殺の一撃にて貴様の臓腑を断ったはず。我が刀の感覚に、斬り損じなどという甘い感触は残っていない」
事実、宗光の足元には、先ほど刀から振り払ったリヒトの鮮血が、どす黒い血溜まりとなって残っている。それは間違いなく、リヒトが致命傷を負った証であった。
だが、今のリヒトに傷一つない。
リヒト「簡単なことだ。お前たちが魔力を使って戦うなら、俺もそうさせてもらう。……それだけだよ」
リヒトは手にした魔成剣を、躊躇いなく自身の左腕へと走らせた。
鋭い切っ先が皮膚を裂き、赤い筋が走る。しかし、血が滴るよりも早く――。
――シュゥゥゥゥ……ッ!
傷口から白く熱い蒸気が吹き上がり、驚くべき速度で肉が盛り上がり、皮が繋がり、一瞬にして傷跡さえ残さず完治した。
宗光「馬鹿な……。詠唱も、魔法陣もなしに、傷を癒したというのか……?」
リヒト「現実だよ。どうも俺は、人より魔力が多いみたいでな。こうでもして消費し続けないと、体が火照って仕方ないんだ」
この大陸に生きる者の体内には、微弱ながらも魔力が流れている。
だが、それは通常、器から溢れる水のように体外へ放出され、一定量以上に膨らむことはない。もし体内に留まり続ければ、行き場を失った魔力は凝縮し、やがて内側から肉体を爆破させる死の毒となるからだ。
しかし、リヒトは違った。
底知れぬ器。どれほど魔力を練り上げ、体内に留め置こうとも、爆発することなく血肉の一部として循環し続ける。そして、その異常な魔力量が、彼に人外の能力をもたらしていた。
【超回復】
一定以下のダメージを瞬時に無効化する、魔力の暴力。治療魔法という「技術」ではなく、膨大なエネルギーが溢れ出すことで起きる「現象」。それは、まさに魔力の海を背負った者にしか許されぬ神の領域であった。
宗光「なるほど……。ジャッカルの代表、ただの剣士かと思えば……本物の『人外』であったか」
リヒト「人外とは失礼な。……これでも人間としての暮らしを気に入っているんだがな」
宗光「その馬鹿げた魔力を持って、人間を自称するか! だが、面白い……。私が見てきた中でも、これほどの類例は見当たらぬぞ!」
宗光の闘志が、最高潮にまで燃え上がった。
彼は地を蹴る。先ほどまでの比ではない、大地を粉砕するほどの踏み込み。宗光が立っていた石畳はクレーター状に陥没し、その姿は再び「消えた」。
音速に達する斬撃が、四方八方からリヒトを襲う。
しかし、魔力を解放したリヒトにとって、その神速の世界はもはや「静止画」に等しかった。
「ニヤリ」と、リヒトの口角が上がる。
ガガガガガガッ!!
魔成剣が、宗光の刀を完璧な軌道で受け流していく。
両者の衝突が生み出す衝撃波は、庭園の砂利を弾き飛ばし、丹精込めて手入れされた庭木を根こそぎなぎ倒した。余波は屋敷の壁面にまで及び、白壁が悲鳴を上げて崩落し始める。
リヒト「なんだ? 魔力を使っても、この程度なのか?」
全方位からの神速連撃を鼻歌交じりに捌きながら、リヒトが冷たく挑発した。
その言葉に嘘はない。魔力を視覚に回したリヒトの目には、宗光の刀筋はあからさまに「見えて」いた。
宗光は一度大きく刀を振り下ろし、爆発的な跳躍で距離を取った。
宗光「ふっ……。よかろう。これよりは、私も全霊をもって貴様を屠りにかかる。……これまで命は取らぬつもりでいたが、もはや手加減などという侮辱は通用せぬようだな」
宗光は愛刀を一度鞘へと戻し、深く腰を落とした。
彼の周囲で空気が蜃気楼のように揺らめき始める。体内の魔力が極限まで練り上げられ、高密度のエネルギーが体表を覆う不可視の鎧となって、凄まじい圧を発していた。
リヒト「……へぇ。なら、ここからが本当の仕切り直しか」
相手が魔力を練り上げる時間を、リヒトは静かに待った。
その不敵な表情に、余裕の色は一点も曇っていない。
宗光「その余裕……最後まで持てばよいな、ジャッカル」
リヒト「ああ。そっくりそのまま返してやるよ、次期当主様」
庭園の中央。崩れゆく屋敷を背に、二つの「力」が激突の瞬間を待っていた。




