一メートルの賭け ー再会は轟音と共にー
リヒト(……来る!!)
そう確信するのと、生存本能がリヒトの身体を無理やり後方へ跳ねさせたのは、ほぼ同時だった。
加速した思考世界をもってしても、ドルネの踏み込みはもはや「視覚」には映らない。ただ、空間そのものが削り取られるような死の気配を察知し、反射的に魔成剣を盾にするのが精一杯だった。
ドォォォォン!!!
衝突というよりは、爆発。
リヒトは魔成剣の腹でその一撃を捉えたものの、込められた圧倒的な威力を殺しきることはできなかった。
凄まじい衝撃波に呑まれ、リヒトの身体は木の葉のように後方へと吹き飛ばされる。
リヒト「くっ……!」
ドルネの放った渾身の刺突は、魔成剣の表面を無慈悲に削りながらリヒトの肩口を掠め、その肉を深く抉り取った。
さらにその威力は止まることを知らない。リヒトを通り抜けた赤き閃光は、背後の堅牢な石壁を、まるで紙細工のように粉砕した。
爆音と共に立ち昇る土煙。そこには、巨大な風穴が穿たれていた。
激痛に顔を歪めながらも、リヒトは吹き飛ばされた先で着地し、低く身を構える。
その足元――そこは、くしくも先ほどから目指していた「一メートル」の圏内
ドルネ「次は……ないわよ」
冷徹な宣告。ドルネはさらなる魔力を【ヴェルロザリア】へと流し込み、その刃は脈打つ心臓のように、どす黒い真紅の輝きを増幅させていく。
深手を負い、荒い呼吸を繰り返すリヒトを冷たく見据え、彼女は追撃の型へと移行した。腰を深く落とし、切っ先をリヒトの眉間へと固定。踏み込みの瞬間に爆発させるべく、その脚部には致死量の魔力が凝縮されていく。
リヒト(……次は、防ぎきれない)
リヒトもまた、死の予感に歯を食いしばる。
両手の魔成剣を砕けんばかりに握り締め、体内の魔力回路を焼き切る勢いで身体強化を極限まで引き上げた。もはや、相打ち覚悟の一撃を放つ他に道はない。
刹那。
ドルネの足元が爆ぜ、彼女の身体が一瞬だけ、物理法則を無視した加速で宙に浮いた。
だが、その直後だった。
ドルネ「ぐっ……!?」
突き出されるはずだったドルネの身体が、まるで見えない巨人に正面から殴られたかのように、真後ろへと猛烈な勢いで吹き飛んだ。
ドゴォーーーン!!!
凄まじい轟音が広間に響き渡る。
前進しようとする爆発的なエネルギーと、その真逆から叩きつけられた未知の衝撃。相反する二つの力が完全に衝突し、逃げ場を失った衝撃波がドルネの五内を駆け巡る。
回避も防御も許されない完璧な「カウンター」となったその一撃は、彼女を背後の壁へと高速で打ち付け、厚い石壁を深く陥没させた。
土煙が舞う中、聞き覚えのある鋭い声がリヒトの耳に届く。
ノウス「リヒト様! 今です!」
声の主は、間違いなくノウスだった。
リヒト「ノウス!? 無事だったか!」
土煙の向こう側、聞き慣れた声にリヒトの視界がわずかに開ける。
ノウス「そんなことよりも離脱を優先します! 剣聖があの程度で倒れるとは思えない!」
ノウスの鋭い叱咤が飛ぶ。
その言葉に、リヒトはすぐさま思考を切り替えた。
正面から全力のカウンターを食らわせたとはいえ、相手は帝国の至宝「剣聖三席」だ。もしあれだけで沈むようなタマなら、リヒトはとうの昔に彼女を仕留めていただろう。
ましてや、この塔から供給される不気味な魔力が、彼女のダメージを強引に繋ぎ止め、再生させている。
リヒト「それもそうか……。離脱しよう!」
二人は背を向け、持てる全速力で巨大な大扉へと地を蹴った。
だが、背後からはすでに、冷ややかだった殺意がドロドロとした憎悪に変わり、猛烈なプレッシャーとなって追いすがってくる。まるで巨大な獣に項垂を睨まれているような、退路を塞がれる幻覚さえ見せるほどの威圧感。
ドルネ「……舐めやがって! このクソガキがぁ!!!」
砂埃を切り裂き、呪詛のような叫びと共にドルネが姿を現した。
その美貌は怒りに歪み、周囲に転がっていた頭ほどもある瓦礫を、無造作に掴み取る。
ドルネ「死ねぇッ!!」
放たれた瓦礫は、もはや石塊ではない。
極大の魔力を乗せたそれは、音速を超える砲弾と化し、二人のこめかみを掠めて空気を爆ぜさせる。
着弾した壁や床は、まるで重火器で撃ち抜かれたかのように無残なクレーターを刻み、破片が礫となって降り注ぐ。
ドルネ「これだけの屈辱を受けて……私が逃すと思うか……!」
怒りに我を忘れたドルネが、床を陥没させるほどの超人的な跳躍を見せた。
一足飛びに距離を詰め、真紅に染まった【ヴェルロザリア】が二人の背中を捉えようと突き出される。
だが、わずかにリヒトたちが早かった。
二人はすでに大扉の境界に到達し、開かれたままの巨大な隙間へと身体を滑り込ませる。
転がるようにして外へ飛び出した瞬間、リヒトの全身を震わせるような衝撃が走った。
塔の内部でじわじわと削られ、澱んでいた魔力の回路が、外気の清浄な魔素に触れた途端に爆発的な循環を再開する。指先まで熱い活力を取り戻し、霞んでいた視界が鮮明に焼きついた。
だが、安堵の暇はない。
視界が開けると同時に目に飛び込んできたのは、広場を埋め尽くさんとする帝国兵の分厚い包囲網だった。
ノウス「これは……詰みかもしれませんね……」
冷や汗を流しながら、ノウスが周囲の状況を忌々しげに睨む。
しかし、リヒトの唇には不敵な笑みが浮かんでいた。
リヒト「ふっ……。雑多共がいくら集まろうが関係ない。この程度なら抜ける。……問題は、後ろの女だ」
魔力を全開にできる今、リヒトにとって目の前の数十人の兵士など、ただの案山子に過ぎない。真の脅威は、背後の闇から今にも飛び出してくるであろう、激昂した剣聖の気配だ。
ノウス「なら、早めに抜けましょう。ここさえ抜ければ、隠し通路を何箇所か見つけてあります。撒くのは容易でしょう」
リヒト「了解した」
短く応じるや否や、リヒトの姿がかき消えた。
次の瞬間、兵士たちのど真ん中で「黒き風」が吹き荒れる。
「なっ、速い!?」「ぐあああッ!」
まともな斬撃の音すら聞こえない。リヒトが通り過ぎるだけで、重装甲を纏った兵士たちが紙屑のように宙を舞い、面白いほど簡単に吹き飛ばされていく。全盛の魔力を取り戻したリヒトの機動力は、もはや常人の動体視力が追える限界を超えていた。
ノウス「さすがです……」
ノウスもまた、リヒトが切り開いた「道」をなぞるように高速移動を開始する。
彼はリヒトのような広域制圧には長けていない。だが、その手には確実に敵の急所を突く冷徹さがあった。リヒトが散らした兵士の隙を突き、一人ずつ確実に始末しながら、リヒトの背中を追う。
背後から迫る「赤き薔薇」の殺意を感じながら、二人は血路を突き進んでいった。
リヒトが振るう魔成剣の軌道に合わせ、帝国兵が次々と宙を舞う。だが、倒しても倒しても、暗がりの奥から新たな兵士が湧き出してくる。
数そのものは、全盛の魔力を取り戻した今の二人の敵ではない。しかし、背後から迫る「赤き薔薇」の殺意は、一秒の停滞さえも死に直結させる重圧となっていた。
そこへ、塔の入り口に降り立ったドルネの、凛とした、しかし毒を含んだ声が響き渡る。
ドルネ「帝国兵に告ぐ! その二人を生かして地上に出すな!! ……首尾よく始末した者は、私が直々に、特別に可愛がってあげてもいいわよ?」
刹那、広場の空気が爆ぜた。
「おおおおおおおぉぉぉ!!!」
地響きのような怒号が上がり、全帝国兵の士気が異常なまでの沸点に達する。
男という生き物は、恐ろしいほどに単純だった。帝国最強の一角にして、誰もが羨む絶世の美女。そのドルネが口にした「可愛がってやる」という甘美な報酬。
その言葉が孕む不純な期待が、兵士たちの恐怖心を完全に塗りつぶしたのだ。
下心を剥き出しにした男たちの瞳に、狂信的な光が宿る。
先ほどまで紙切れ同然に薙ぎ払われていた雑兵たちが、手柄を上げんと捨て身の特攻を仕掛けてくる。一撃浴びせても、歯を食いしばり、泥臭くリヒトの足に縋り付こうとさえするのだ。
リヒト「ちっ……。ドルネだけでも厄介だってのに……お前らまで強くなってんじゃねえよ……!」
思わず愚痴がこぼれる。
一刻も早くこの場を離脱したいリヒトたちにとって、この「死を恐れぬ肉の壁」は厄介極まりない障害だった。
リヒトは舌打ちしながらも、さらに剣に魔力を込め、向かってくる狂熱の集団を確実に、そして冷徹に斬り伏せていく。
一撃、また一撃。リヒトの振るう刃は、もはや容赦を捨てていた。
脱出するための最短距離を通り、帝国兵を沈めながら、二人は着実に塔から距離を取っていく。一歩踏み出すごとに、背後に残した巨大な影が遠ざかる。
だが、その努力を嘲笑うかのように、空気を引き裂く轟音が鼓膜を打った。
帝国兵「が……っはぁっ!?」
横を走っていた帝国兵の頭部が、背後から飛来した瓦礫の直撃を受けて消し飛ぶ。ドルネが放った「砲弾」は、味方であるはずの兵士さえも無差別に、そして無慈悲に粉砕していた。
ノウス「いよいよ見境ないですね……」
リヒト「それほど本気……ということだろう」
短く言葉を交わす間にも、瓦礫の礫が雨のように降り注ぐ。
しかし、今のリヒトにとってそれは致命的な脅威ではなかった。全開になった魔力による「自動防御」の膜が、意識せずとも軌道を逸らし、火花を散らして無効化していく。
だが、リヒトの胸中には拭いきれない違和感が渦巻いていた。
リヒト(……それにしても、なぜ追ってこない?)
リヒトの疑問はもっともだ。あのドルネの機動力と剣技があれば、遠くから石を投げるよりも、直接肉薄して剣を交える方が確実に二人を仕留められるはず。
それなのに彼女は塔の入り口から動こうとせず、ただ狂ったように遠距離攻撃を繰り返している。
リヒト(……何にせよ好都合だ。このまま押し切る!)
理由は不明だが、この隙を逃す手はない。リヒトはさらに魔力の密度を上げ、周囲の兵士を嵐のような連撃で薙ぎ払い、血路をこじ開けていく。
ノウス「リヒト様! ここまで離れれば、あとは私の術で目眩ましをかけられます!」
背後に迫る死の気配を振り切るように、ノウスが印を組む。
ノウス「光陣・陽閃光!」
ノウスの短い詠唱と共に、地下の静寂が引き裂かれた。
刹那、広場全体が鼓膜を刺すような甲高い破裂音に包まれ、直後、至近距離で太陽が爆発したかのような白銀の光がすべてを飲み込む。
帝国兵「ま、眩しい!! 目が、目がああッ!」
帝国兵「何だ!? 何も、前が見えないぞ!!」
突然の光の暴力に、帝国兵たちは武器を取り落とし、目を押さえてのたうち回る。
だが、その光景の中で最も深い絶望に叩き落とされたのは、他ならぬドルネだった。
ドルネ「……っ!! あ、がぁッ!?」
ノウスが放ったこの術には、狡猾な仕掛けが施されていた。発せられる高周波の破裂音は、対象の魔力量が高ければ高いほど、魔力経路を伝って脳内へと直接作用する。
塔での魔力供給を受け、限界まで魔力を高めていたドルネにとって、それは脳を直接火炙りにされるに等しい激痛だった。
ドルネ「くっ……ガキ共が……よくも……ッ!」
膝をつき、顔を歪ませるドルネ。最強の剣聖が、皮肉にも己の強さゆえに、一歩も動けないほどの足止めを食らっていた。
ノウス「リヒト様、こちらに!」
白一色の世界で、ノウスの声だけが確かな道標となる。
リヒト「あ、ああ……」
事前に合図を受けていたリヒトは、直撃こそ避けたものの、網膜には焼き付くような残像が残り、視覚はほぼ機能していない。
リヒトは魔力感知を全開にし、周囲の気配を読み取ることでどうにか平衡感覚を保っていた。
ノウス「走ってください! 私が引きます!」
差し出されたノウスの手を、リヒトは迷わず掴む。
かつてないほどに強い力で手を引かれ、二人は盲目のまま、兵士たちが混乱に陥っている広場を駆け抜けていく。
魔力の奔流とノウスの確かな手応えだけを頼りに、リヒトは闇の中へと身を投じた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
視覚を焼く白銀の残光が失せ、耳鳴りが静寂へと戻る頃。
広場に立ち尽くすドルネの目の前には、もはや追い縋るべき背中はどこにもなかった。
静まり返った地下広場で、ドルネの美貌が鬼気迫る形相へと歪んでいく。
帝国最強の一角たる「剣聖」が、名もなき潜入者に二度までも出し抜かれ、あまつさえその身体に「触れられた」のだ。
ドルネ(あのガキ共……。帝国から生きて出すわけにはいかない……。必ず、この私が始末する……!)
特に、死体の中から現れ、その小汚い拳で自分を殴り飛ばした少年――ノウスへの殺意は、もはや言葉にできる次元を超えていた。
その美しい瞳の奥には、およそ淑女とはかけ離れた、ドロドロとした醜悪な憎悪が渦を巻いている。
周囲に生き残った帝国兵たちは、そのあまりの禍々しさに息を呑み、声をかけることすら躊躇していた。
交戦前には40、50名といた精鋭たちも、今や見る影もなく、立ち上がれる者はわずか10名程度。あの狂乱を生き延びたこと自体、本来なら称賛に値するはずだったが、今のドルネにとっては失態を演じた「無能な目撃者」に過ぎない。
兵士たちは、自分たちに向けられる視線の鋭さに、死刑宣告を待つ罪人のように項垂を強張らせていた。
だが、ドルネは深く、長く、吐き捨てるようにため息をついた。
ドルネ「……はぁ。逃げられたのなら、探すまでよ」
その声は、驚くほど冷静だった。
己の失態を八つ当たりで兵士にぶつけるような真似はしない。それが「剣聖三席」としての、最低限の矜持だった。
ドルネ「兵士を増員して、地下をくまなく探しなさい。地上にも即刻報告を。……今は武闘会で国内外から多くの者が入り混じっている時期。警備を怠るなと、全関所に通達なさい」
的確な、逃げ場を塞ぐための指示。
その冷徹な言葉を聞き、兵士たちは「命拾いした」という安堵の色を隠しきれぬまま、弾かれたようにその場を去っていった。
一人残されたドルネは、自らの頬を伝う汗を乱暴に拭い、闇の奥――二人が消えた隠し通路の先を、射抜くような視線で見据えていた。
静まり返った広場で、ドルネはふと、先ほどまで刃を交えていた男の残像を思い返していた。
ドルネ(それにしても、片方はどこかで見たような顔……。好みではないけれど、いい男だったわね)
激闘の最中、至近距離でまじまじと見つめたあの顔。装束で半分ほどは隠れていたが、その奥に覗く顔立ちは驚くほど整っていた。だが、思い出すのはその美貌だけではない。
ドルネ(……でも、あの男。私よりもいい女がいるなんて吐き捨てて。ルーグもそうだけど、私ってそんなに魅力ないかしら……)
戦闘中にリヒトが放った渾身の煽り文句は、存外ドルネの心に深く突き刺さっていた。
剣聖三席という肩書きを抜きにすれば、彼女もまた一人の女性だ。そろそろ伴侶の一人も……と考える年頃ではあるのだが、悲しいかな、彼女に寄り付こうとする男は絶えて久しい。
――その原因の九割が、彼女自身の苛烈すぎる性格と、気に入らない男を物理的に叩き伏せる悪癖にあるのだが、本人は微塵も気づいていなかった。
ドルネ「はぁ……。とにかく、今回の失態をどうルーグに弁明するか考えなくちゃね……」
重いため息が広間に落ちる。
自分ほどの強者が、たかが二匹のネズミを取り逃がした。その事実を、あの冷徹な第一席・ルーグや、他の剣聖たちがどう突き崩してくるか。想像するだけで胃が重くなる。剣聖同士の会話は、常に刃を突きつけ合っているような緊張感と、執拗なまでのマウントの取り合いで構成されているのだ。
ドルネ(他の連中にバレても面倒だし。今は可能な限り、あいつらと接触しなくて済むようにしましょう)
今は余計な波風を立てるべきではない。
ドルネは己に言い聞かせるように首を振ると、重い腰を上げて再び塔の中へと足を踏み入れた。
まずは自身の魔力を回復させ、あのガキ――ノウスの奇策によって破損した魔石塔の修繕を急がねばならない。
怒りと、屈辱と、そしてほんの少しの「女としての傷心」を抱えたまま、ドルネは闇に包まれた塔の奥へと消えていった。




