痴女(偽)が誘惑をしかけてきた! ――2
「ノリくん、おはよー」
学校に着いた俺が昇降口で靴を履き替えていると、あとからやってきた望愛ちゃんが挨拶してきた。ニコニコ笑顔でとてとてと駆け寄ってくる姿は、人懐っこいわんこを連想させる。ほっこりする愛らしさだ。
「ああ。おはよう――」
「――望愛ちゃん」と続けようとして、思いとどまった。
高校生にもなって、『望愛ちゃん』呼びは子供っぽくないか? それに、いまの望愛ちゃんが、どれくらいの距離感を望んでいるかはわからないんだ。むかしと同じ呼び方だと、馴れ馴れしすぎるかもしれないな。
逡巡ののち、改めて挨拶を返す。
「おはよう、内木」
途端、望愛ちゃんがジトッとした半眼になった。
いかにも不機嫌そうな望愛ちゃんの様子に、俺は戸惑う。
「えっと……どうしたんだ、内木?」
「ぷいっ」
「内木?」
「ぷい、ぷいっ」
俺の呼びかけに応じず、望愛ちゃんはそっぽを向くばかりだ。
どうしたものかと頭を掻いていると、フグみたいに頬を膨らませた望愛ちゃんが、じろりと睨んできた。
「どうして『望愛ちゃん』って呼んでくれないの?」
「いや、もう子供じゃないんだし……」
「そんなの関係ないよ!」
俺の弁明に、望愛ちゃんは肩を怒らせる。
「あたしとノリくんの仲に遠慮なんていらない! よそよそしいのは嫌だよ!」
不満げな望愛ちゃんの表情からは、寂しさも見てとれた。どうやら、苗字呼びが他人行儀に思えたらしい。
申し訳ないと感じると同時に、不謹慎ながらもホッとしてしまった。望愛ちゃんが、むかしのような距離感を望んでいると、いまも変わらず慕ってくれていると、わかったからだ。
口元が緩むの感じつつ、望愛ちゃんに謝る。
「悪かった。ただ、『ちゃん』付けは流石に恥ずかしいな」
「なら、呼び捨てでいいでしょ?」
照れくささに頬を掻く俺を、どこか期待するような目で望愛ちゃんが見つめてきた。
望愛ちゃんが構わないのなら、俺に拒む理由はない。
「OK。じゃあ、これからは『望愛』って呼ぶよ」
提案をのむと、望愛ちゃん、改め、望愛が、琥珀色の瞳をキラキラ輝かせて――
「はーい、ノリくんっ♪」
「うおわぁっ!?」
ガバッと抱きついてきた。
昨日も押し付けられた大玉果実が、今日は真正面から密着してくる。相変わらず圧倒的な存在感だ。
水まんじゅうみたいに柔らかな膨らみが、俺とのあいだでひしゃげている。艶めかしく生々しい感触に、頭がパンクしそうになる。
「お、おい! いきなり抱きつくなよ!」
「いいじゃーん。あたしとノリくんの仲でしょー?」
テンパる俺とは対照的に、望愛はご機嫌極まりない様子だった。ひなたぼっこする猫みたいな呑気さが、非常に恨めしい。
顔が熱を帯びるなか、俺は望愛に呼びかける。
「と、とにかく、離れてくれ!」
「えー? どうして?」
キョトンとした表情で望愛が訊いてきた。自分がいま、とても危なっかしいことをしている自覚が、ないらしい。
胸が当たっていることを伝えるのは、正直、気まずい。しかし、伝えなければ望愛は離れてくれないだろうし、胸を押し付けていたことにあとあと気づいたら、恥ずかしい思いをするだろう。
迷った挙げ句、無垢な眼差しから逃げるように顔を逸らして、俺は望愛に指摘した。
「その……あ、当たってるんだよ、胸が」
触れ合った場所から望愛の震えが伝わってくる。
だが、続いての行動は予想と真逆だった。離れるどころか、望愛は一層胸を押し付けてきたのだ。
予想だにしない展開に、ギョッと目を剥く。
「ちょっ!?」
「気になっちゃうんだ? そうだよね、ノリくんも男の子だもんね」
望愛の口元が三日月を描く。白い頬が朱を帯びる。琥珀色の双眸は、鳥肌が立つほど妖艶だった。
突然の変貌と、匂い立つような色香に、俺は息をのむ。
なにをしているんだ、望愛は!? これじゃあ、まるで痴女じゃないか!
あまりの衝撃で頭がこんがらがるなか、ある恐ろしい可能性が思い浮かんだ。
ま、まさか、ギャル化では留まらず、望愛は痴女にまでなってしまたのか!?
愕然とするあいだも望愛は止まらない。なおもグイグイと胸を押し付けてくる。
「ほら。もっと感じてよ、あたしのおっぱい」
「や、やめろ、望愛! 落ち着け!」
「我慢しなくてもいいんだよ? ノリくんになら、いくらでも触らせてあげる」
「できるわけないだろ、そんなこと!」
そう。できるわけがない。
なぜならば――
「見られてるんだよ! 周りから!」
「はぇ?」
目をパチクリさせて、望愛が周囲を見回す。
ありふれた日常のなかに、突如として淫靡な光景が飛び込んできたのだ。注目を浴びないわけがない。
男女も学年も問わず、この場に居合わせた全生徒の視線が、俺と望愛に注がれていた。
「あ……ぅ……」
頬の赤らみが、瞬く間にして顔全体に広がる。
トマトみたいな顔色になった望愛は、口をパクパクさせて、弾かれるような勢いで俺から離れた。
「……お、お騒がせしました」
消え入りそうな声で謝って、縮こまるように頭を下げる望愛。その姿は、殻に引っこむヤドカリに似ていた。




