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プロローグ:人見知りだったあの子がギャルになっていた件

 いまでも忘れられない女の子が、ひとりいる。


 俺――柳父紀樹(やなぶ のりき)が小学二年生だったときに転校してきた彼女――内木望愛(うちき のあ)は、常にひとりぼっちでいた。


 あとになって知ることになるのだが、望愛ちゃんは生来の人見知りであり、それに加え、親の転勤で幼い頃から引っ越しと転校を繰り返していたらしい。


 彼女が殻にこもっていたのはそのためだろう。周りのひとたちと関わることに、怯えていたのだ。


 ほかの生徒たちが友達と(たわむ)れるなか、望愛ちゃんはひとり、自分の席でうつむいていた。恐れと(うれ)いと諦めで、愛くるしい顔立ちを曇らせながら。


 その表情がどこまでも悲しげで、痛ましくて、俺は望愛ちゃんを放っておけなかった。


「一緒に遊ばない?」と話しかけてみたが、望愛ちゃんは答えようとせず、うつむいたままで黙りこくっていた。


 それでも俺は諦めなかった。


 何度も何度も声をかけた。毎日毎日話しかけた。どれだけ無視されようとも構わずに。


 やがて、望愛ちゃんはポツポツとだが言葉を返すようになり、俺と過ごすようになり、ついには、ずっと曇らせていた顔立ちに明るい笑みを咲かせるようになった。


 それから、俺と望愛ちゃんがふたりでいるのは当たり前になった。俺の後ろをついて回る姿はさながら子犬のようで、純粋な好意と混じりけのない信頼が見てとれた。


 嬉しかった。楽しかった。心地よかった。


 望愛ちゃんが笑顔でいてくれると胸が温かくなった。彼女の笑顔を見守り続けたいと強く思った。いわゆる庇護欲というものを、俺は望愛ちゃんに感じていたのだろう。


 別れは突然だった。


 出会ってからわずか半年後、またしても望愛ちゃんは、親の転勤で引っ越すことになったのだ。


 転勤は急に決まったもののようで、望愛ちゃんの家族は手続きや荷造りで慌ただしかったらしい。そのため、最後に俺と望愛ちゃんが過ごせた時間は、一時間にも満たなかった。


 俺が寄り添う(かたわ)ら、「離れたくない」「ずっと一緒にいたい」と、まるで土砂降りの雨みたいに、望愛ちゃんは泣きじゃくっていた。


 彼女の願いが叶わないことを、俺は知っていた。子供である自分たちが引っ越しをやめさせられるはずがないと、幼いながらも察していたのだ。


 だから、掛ける言葉を見つけられず、俺はただ、泣きじゃくる望愛ちゃんに寄り添っていた。それくらいしかできなかった。


 それでも、たとえ気休めにしかならなかったとしても、「大丈夫だよ」「また会えるよ」と、望愛ちゃんを励ましたほうがよかったのではないかと、あれからずっと後悔している。


(いまごろ望愛ちゃんは、どこでなにをしているんだろう?)


 苦い思い出を噛みしめながら、今日から通うことになる西岡(にしおか)高校の昇降口前に、俺は立っていた。


 視線の先にある掲示板にはクラス表が張り出されている。俺は一組の生徒になるようだ。


「あれ? ノリくん?」

「ん?」


 ぼんやりとクラス表を確認していた俺に、鈴の()に似た愛らしい声がかけられた。


 見ると、ひとりの女の子が、まじまじとこちらを眺めている。


 背丈は低いほうで、おそらくは一五〇と少し。


 ウェーブがかけられたセミロングの髪は鮮やかなピンク色に染められ、頭の左サイドで結われている。


 丸くクリクリした琥珀色の瞳はつけまつげで飾られ、ふっくらした唇には、ブロッサムピンクのリップが塗られていた。


 両耳には水色のピアス。両手の先には、ピアスと同じ色のラインストーンがあしらわれた、ピンクのつけ爪。


 一目でギャルとわかる風貌だ。


 そして、特筆すべきは彼女の胸元。


 デカい。とにかくデカい。とてつもなくデカい。


 シャツをパツンパツンに張り詰めさせて、紺色のブレザーをも押し上げている膨らみは、スイカがふたつ実っているんじゃないかと錯覚するほどだ。


 少なくとも、俺が出会ってきたなかで、ここまで大きな胸の持ち主はいなかった。『圧倒的』を超えて『暴力的』とすら形容できるボリュームだ。


 豊満なのは胸だけではない。


 ミニ丈にされた、チェック柄のプリーツスカートから覗く太ももはむっちむちだし、衣服の上からでもわかるくらいお尻が大きい。非常に肉感的な体つきだ。


 振り向いた俺の顔を確かめて、女の子がパアッと破顔した。


「やっぱり、ノリくんだ! うわぁ! ひさしぶり!」

「え? えーっと……」


 はしゃぐ彼女とは対照的に、俺は困惑するほかにない。


 なにしろ、俺と彼女は初対面なのだから。


 いや、『ひさしぶり』って言ってるんだから、俺がこの子を忘れている可能性もあるよなあ……。


 眉間に皺を寄せて、記憶の棚を急いで漁る。


 そんな俺の反応を見て、彼女は頬を掻いた。


「わからないのも無理はないかぁ。あたし、いろいろ変わってるし」


「あはは……」と苦笑して、彼女が打ち明ける。


「内木望愛だよ、ノリくん。あたしのこと、覚えてる?」

「ええっ!?」


 まさかの告白に、俺は目を白黒させる。驚きすぎて、図らずも大声を上げてしまった。


「望愛ちゃん!? 小二のときに仲良くしてた!?」


 俺の返答に、望愛ちゃんがヒマワリみたいに明るく笑って――


「覚えててくれたんだ!」

「おあっ!?」


 飛びつくように、俺の腕を抱きしめてきた。


 またしても()頓狂(とんきょう)な声を上げてしまう。とんでもなく柔らかく、それでいて張りのある胸の膨らみが、むにゅんと腕に押し付けられているのだから、しかたない。


 望愛ちゃんの胸があまりにも大きいため、俺の前腕部はすっかり(うず)まっていた。わらび餅にくるまれているかのような極上の感触。それだけでなく、望愛ちゃんの体温までもが伝わってくる。


 しかも、シャツの胸元が大胆に開かれているため、深い深い谷間も見えている。視線どころか心までも吸い寄せられてしまいそうだ。


 ふわりと香る桃みたいな匂いは、望愛ちゃんのものだろうか?


 触覚・視覚・嗅覚が望愛ちゃんで支配されてしまった気分だ。強烈なインパクトに、頭がクラクラしてしまう。


 ななななにがどうなっているんだ!? いろんなことが一度に起こりすぎて、まともにものを考えられん!


 思い出の女の子との再会。その子のギャル化。刺激的すぎるスキンシップ。衝撃的な出来事に次々と見舞われたせいで、思考回路がオーバーフロー。パニックに(おちい)るほかない。


 放心状態でいると、俺を見上げる望愛ちゃんが、喉元を撫でられた猫みたいに目を細めた。


「今日からクラスメイトとしてよろしくね?」

「ク、クラスメイト?」


 オウム返しする俺に頷きを返して、「ほら」と望愛ちゃんがクラス表を指さす。


 一年一組の欄には、たしかに『内木望愛』と記されていた。


「じゃあ、またあとでね!」

「あ、ああ」


 俺の腕を解放した望愛ちゃんが、元気よく手を振りながら、昇降口へ歩いていく。


 ショックが抜けきらない俺は、半ば呆けたままで手を振り返した。



     ○  ×  ○



「ただいまー」


 今日は入学式とLHR(ロングホームルーム)だけだったので、学校は午前中で終わった。


 今年から暮らしはじめたマンションに帰ってきたあたし――内木望愛は、自分の部屋に入り、スクールバッグをカーペットの上に置く。


 ブレザーを脱ぎ、ボスン、とベッドにダイブして、両手で顔を覆う。あたしの頬は熱を帯びていた。


「うう……は、恥ずかしかったぁ……」


 羞恥に耐えかねて、足をバタバタさせる。


「あ、あんなに胸元を広げて、おっぱいを押し付けて……う、うぅ~~~~っ!」


 ノリくんに抱きついたときのことを思い出すと、顔から火が出そうだ。


 平静を装っていたが、正直なところ、いっぱいいっぱいだった。地面を転げ回りたいほど恥ずかしかったし、心のなかで悶え叫んでいた。


 か、顔、赤くなってなかったかな? 表情は強張(こわば)ってなかったかな? 心臓の音、聞こえてなかったかな?


 振り返りながらプルプル震えていると、ブレザーのポケットにしまっているスマホが着信音を鳴らした。


 ベッドから降り、ブレザーのポケットからスマホを取り出したあたしは、慣れないつけ爪のせいでわたわたとお手玉をしつつ、発信者を確認する。


 電話をかけてきたのは小豆畑咲希(あずはた さき)。旧姓は内木。六歳上の、あたしのお姉ちゃんだ。


『もしもし、望愛ちゃん? 入学式は終わった?』

「うん」

『望愛ちゃんも高校生なのねぇ……なんだか感慨深くなっちゃう』

「えへへ。ありがとう、お姉ちゃん」


 くすぐったい気分になっていると、『それで――』と、お姉ちゃんが切り出した。


『ノリくんとはどうだった? 望愛ちゃんのこと、ちゃんと覚えてくれてた?』

「うん。覚えててくれたし、お話もできたよ」

『よかった。お姉ちゃん、気がかりだったの』

「あと……い、一応だけど、誘惑はできた……と思う」


 恥ずかしさに言葉を詰まらせつつも、お姉ちゃんに報告する。アドバイザーであるお姉ちゃんには、ちゃんと話さないといけないから。


 ノリくんにとって、あたしと同じ学校に通うことを知ったのは今日だろうけど、あたしは()()()()()()()()()()()のだ。


 話は、西岡高校の合格発表の日に(さかのぼ)る。


 合格しているかどうか、西岡高校の掲示板まで確認しにいった際、あたしと同じく合否を確かめているノリくんを見かけたのだ。


 あたしとノリくんが最後に会ったのは七年と半年前。当然、背丈も顔つきも変わっていた。けれど、彼がノリくんであると、あたしには一目でわかった。


 なにしろ、別れたあとも片時も忘れず想い続けてきた、初恋のひとなのだから。


 そのときは驚きのあまり声をかけられなかったけど、涙が出るほど嬉しかった。またノリくんと過ごせると知って、幸せでたまらなかった。


 ただ、自分で思うより、あたしはずっと強欲だったらしい。『ノリくんと一緒に過ごす』以上の願望が生まれたのだ。


『ノリくんのカノジョになりたい』という願いが。『あのとき叶わなかった恋を、今度こそ成就させたい』という望みが。


 けれど、告白する勇気は湧かなかった。もしフラれてしまったら、きっとあたしは立ち直れないだろうから。


 そこで、お姉ちゃんに相談することにした。


 お姉ちゃんは、高校時代の後輩である、ひとつ年下の旦那さんの実家に嫁いでいる。見ているこっちが身悶えしてしまうくらいのラブラブ夫婦で、ふたりの子宝にも恵まれている。


 お姉ちゃんは、恋愛における大成功者。そんなお姉ちゃんなら、あたしの悩みを解決してくれるかもしれない。


 あたしの悩みに真摯(しんし)に耳を傾けて、お姉ちゃんがくれたアドバイスは――


『それなら、ノリくんから告白してくれるように仕向けたらどうかしら? ノリくんに、望愛ちゃんのことを好きになってもらうの』


 そして、その手段が――


『思春期の男の子はエッチなことに興味津々なの。性的な魅力をアピールしたら、意識せずにはいられないはずよ』


 えっ? 正気? と思った。自分の耳を疑った。


 お姉ちゃんは大真面目だった。というのも、お姉ちゃんはこの方法で、旦那さんのハートを射止めたらしいのだ。


 お姉ちゃんは、全国統一テストで毎回トップ層に入るくらい頭がいいし、中学・高校の両方で生徒会長を務めたくらいカリスマ性があるし、ほかのひとが苦戦する物事でも難なくこなせるくらい要領がいい。


 そしてなにより、思い人を振り向かせて、結婚までこぎ着けた実績がある。


 なら、疑うことはない。あたしはお姉ちゃんのアドバイス通り、ノリくんを誘惑することに決めた。


 だがしかし、問題がひとつあった。


 あたしは臆病者で、とても奥手な性格だ。そんなあたしが、性的な魅力をアピールするなんて大胆な真似、できるだろうか?


 無理だ。とてもじゃないけど無理だ。想像しただけで、頭が沸騰しそうなくらい恥ずかしかった。


 対策を練らないといけない。


 考えに考えて、悩みに悩んで、ついに閃いた。


『そうだ、ギャルを演じよう』と。


 ギャルならば、露出の多い格好をしていても違和感がないし、積極的にスキンシップを図れる。『演技をしている』という自己認識があれば、恥ずかしさも多少は軽減できる。『スムーズな誘惑』と『恥ずかしさ対策』を両立する、画期的なアイデアだ。


 方針を決めたあたしは、ギャルのメイクとファッションを猛勉強して、なんとか今日に間に合わせることができたのだった。


 まあ、穴を開ける勇気がなかったのでピアスがシールのものだったり、目に入れるのが怖かったのでカラコンをしていなかったりと、不十分なところもあるけれど。


『誘惑できた』というあたしの報告が嬉しかったのだろう。お姉ちゃんの声色が、一段と温かくなった。


『頑張ったわね、望愛ちゃん。ノリくんと付き合うための第一歩、ちゃんと踏み出せて偉い!』

「…………」


 お姉ちゃんは褒めてくれたけど、手放しで喜ぶことはできなかった。不安な点があるからだ。


「ノリくん、あたしの誘惑に惹かれてくれたかな? 興味持ってくれたかな?」

『どうして?』

「だって……あたしの体、だらしないし……」


 スマホを持ってないほうの手で、自分のお尻を(まさぐ)る。ぶにっ、と指が沈んでいく感触に、溜息をつかずにいられなかった。


 お尻だけじゃない。身長に不釣り合いなほど大きな胸。たっぷりと脂肪がついた太もも。あたしの体は肉付きがよすぎる。


「こんなぽっちゃりした体に、魅力なんてあるのかな?」

『望愛ちゃんは勘違いしてる』

「え?」


 意気消沈するあたしに、お姉ちゃんが真剣な声音で()いてきた。


『男の子はね? むちむちした女の子が大好きなの。むしろ興奮するの』

「そ、そうなの?」

『ええ。悲観することなんてないの。望愛ちゃんのむちむちボディは、素晴らしい武器なんだから』

「で、でも……」


 お姉ちゃんに励まされても自信は持てなかった。ぽっちゃりした体つきは、長年のコンプレックスだからだ。


 うじうじするあたしを、なおもお姉ちゃんは勇気づける。


『望愛ちゃんが持ってるエッチなマンガでも、そうだったでしょう?』

「ふひゃあっ!?」


 思いも寄らない一言だった。


 唐突な爆弾発言に、ビクゥッ! と飛び上がってしまう。


『思い出してみて。ヒロインの大きなお尻をわしづかみにしながら、男性キャラはケダモノみたいに――』

「ちょちょちょちょっと待って!? あたしがエッチなマンガを持ってるの、な、なんで知って……!?」

『なんでって、そういう商品を取り扱っている通販サイトから、望愛ちゃん宛に「薄い本」がよく届いていたもの』

「あ、ああぁ……!!」


 あっけらかんとしたお姉ちゃんの回答に、あたしは絶望に襲われた。


 こっそりエッチな同人誌を買っていたことは、お姉ちゃんに筒抜けだったらしい。拷問に等しい恥辱だ。いっそ殺してほしい。


 うう……くっころヒロインの気持ちが、いまなら痛いほどわかる……!


『恥ずかしがらなくてもいいのよ? 望愛ちゃんくらいの年頃なら、エッチなことに興味があるのは普通なんだから』

「慰めてくれるのは嬉しいけど、いまはその優しさが(つら)いよぉ……」


 あたしが涙目になるなか、『とにかく』とお姉ちゃんが仕切り直す。


『エッチなマンガに登場するのは、それだけ需要があるということ。男性が、むちむちした女の子に魅力を感じている証拠でしょう?』

「たしかに……そうなのかも?」

『自信を持って。望愛ちゃんのむちむちボディは、同性のわたしでさえムラムラするほど素敵なんだから』

「驚愕の事実」


 本日二度目の爆弾発言に、あたしは絶句した。


 遊びに来る度にお姉ちゃんが抱きついてきてたのって、もしかして、あたしに欲情してたからなのかな? どうしよう、今度から、お姉ちゃんと会うときに身構えるようになっちゃうかも……い、いや、そんなことをいま考えても、しかたないよね。


 現実逃避という名のペンディングをして、頭を切り替える。


 エッチなマンガに登場するヒロインには、むちむちした体つきの子が多い。お姉ちゃんの言うとおり、男性は肉付きのいい女の子が好きなのかもしれない。


 お姉ちゃんは自分の恋を叶えているんだから、間違ったことを言うはずがないよね。


 疑念と弱気をまとめて振り払い、むん! と拳を握りしめる。


「わかった! お姉ちゃんを信じて、ノリくんをガンガン誘惑してみる!」

『うん。応援してるね』


 気合を入れるあたしに、お姉ちゃんが優しくエールを送ってくれた。

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