火を守る者・森の掟
翌朝。
森の光は、地球の朝よりも静かだった。
眩しいのに、騒がしくない。
鳥の声がする。
だがそれも、遠慮しているように聞こえる。
焚き火の跡から、細い煙がまだ立っていた。
昨夜、長老は言った。
「今夜は火を絶やすな」
理由は聞けなかった。
答えは森の奥に沈んだままだ。
私はフレキシブルpadを握り直し、視界に浮かぶ表示を見た。
インテリジェンスwatchは沈黙している。
《ネットワーク接続:不能》
《座標参照:失敗》
《因果タグ:不明》
相変わらずだ。
「……帰り道どころか、現在地すら分からない」
呟いた声は森に吸われた。
⸻
居留地は、思ったよりも“生活”していた。
木の上の住居から降りてくる者。
焚き火の周りに集まる者。
水を運び、木を組み、黙々と動く。
誰も急がない。
誰も騒がない。
私の存在に驚きもしない。
落ちてきた者は、珍しくないのだろう。
その中で、昨夜レンと呼ばれていた若いエルフが近づいてきた。
長老ほど古くはない。
だが目は同じように静かだった。
「目が覚めたか」
レンは小さく合掌した。
「静寂のうちにあれ」
「……ああ」
私は周囲を見回す。
「ここでは、火を絶やしちゃいけないのか?」
レンは焚き火を見た。
「火は守る」
「守る?」
「森の掟だ」
掟。
その言葉が妙に重かった。
私は思わず笑いそうになる。
「掟って……文明社会じゃないんだぞ」
レンは首を傾げる。
「文明とは、何だ」
まただ。
問いが返ってくる。
私は息を吐いた。
「火を絶やしたらどうなる」
レンは少し黙ってから、淡々と言った。
「帰れぬ者が増える」
帰れぬ者。
それは嘆きではなく、居留地の常識のように語られた。
私は思わず口元を引きつらせた。
「……なんだよ、それ」
だが笑えなかった。
焚き火の向こうで森が暗く沈んでいる。
火は温かいのに、森は冷たい。
私は小さく呟く。
「帰れぬ者、か」
その言葉が、煙みたいに喉に残った。
⸻
昼。
居留地の端で、金属の遺物が静かに埋もれていた。
レンはそれを見ても驚かない。
「昔のものだ」
私は喉が乾くのを感じた。
「君たちは……忘れたわけじゃないんだな」
レンは頷いた。
「忘れない。だが、救えないものもある」
「帰れぬ者たちか」
レンは焚き火を見た。
「そうだ」
⸻
夕暮れ。
森が一段深くなる。
火の周りに人影が集まり、誰もが静かに薪を足していた。
レンが小さくよぶ
「リュネ、少し薪を」
私はその輪の外に立っていた。
この火は、ただの火ではない。
道標なのか。
境界なのか。
それとも――
長老が近づいてきた。
「森だけでは抱えきれぬ答えがある」
岩。
ドワーフ。
論理と技術の民。
私は息を吸った。
「……森では答えが出ないのか」
長老は微かに笑う。
「森は抱く。岩は刻む」
火が揺れる。
その揺れの向こうで、私はまだ帰り道を見つけられないままだった。
⸻
(つづく)




