第36話 救いの手はすぐ傍に
白一面の空間の中。
祈はゆっくりと立ち上がる。
何度も、色んな人に、シャスナハは危険だと言われ続けた。
でも。
それでも。
俺は、俺だけは、シャスナハを―
「ミカ。」
祈は立ち去ろうとするミカの後ろ姿に声をかける。
すると、ミカはその言葉に反応して此方を振り返る。
「…なんだ?まだ駄々を捏ねるのか?」
ミカは怪訝そうな顔をして此方を見る。
「…下らない。何もかも。お前が幾ら駄々を捏ねようと、お前は何も出来はしない。何も変わらない。…分かったらさっさと帰れ。」
ミカはそれだけ言ってまた反対方向を向こうとする。
確かにな。
俺は無力だ。
大切な人を守れなかった。
救えなかった。
でも。
それでも。
俺の底で呻いてる。
あの日の俺が。
いや、それよりもずっと前の。
俺の根幹が。
俺は、ずっと、誰かを助けたいんだ。
俺は無力だ。
でも。
それでも。
俺はそれを何もしない理由にはしたくない。
無力でも。
這いつくばってでも。
俺は、誰かに寄り添いたい。
俺は、誰かの傍に居たい。
「ミカ。」
祈は再びミカに呼びかける。
ミカは溜息を着き、再び振り返る。
心底鬱陶しそうに祈を見る。
その瞬間に、ミカの息が止まる。
ミカの視界に入ったのは、祈を中心に歪み出した空間。
明らかな異変を前にして、ミカが固まる。
(…何だ!?急にこんな変化…!)
理解できないまま、その歪みは広がり、ミカの体までもが歪み出す。
原因を突き止めようとミカは必死に思考を巡らせる。
(いや…これはまさか!)
そして、1つの結論へとたどり着く。
(…こいつ!この魂の空間を掌握し始めたのか!)
助けたい。
救いたい。
祈の意志が、具象する。
「ミカ、俺を連れて行け。」
歪みの中心で、祈は静かに再びミカに言う。
その眼差しは、凛々しさと決意を帯びて。
ただひたすらにミカを見つめていた。
(…くそっ!)
歪みに巻き込まれ、ミカは捻れて潰れてしまいそうになる。
自身の安否と、祈の意志を秤にかけて、苦悩の末にミカは祈へと手を伸ばす。
その瞬間に、空間の歪みは引き伸ばしたゴムから手を離すようにして、一瞬で元に戻る。
そこには、祈の姿はなかった。
「…はは…。全く…理解に苦しむ。」
ミカはへなへなと力無くその場にへたり込む。
そして、重厚な敗北感に浸されながらも、何処か嬉しそうにミカは笑った。
黄昏の中で、3人は邂逅する。
倒れ込むシャスナハ。
それを斬ろうとするハルバード。
そして、それを少し離れて後ろから阻止する祈。
祈の一言で、ハルバードは一瞬躊躇う。
そして、一度剣を下ろす。
「…何をしに来た。」
ハルバードは祈の方を向き少し冷たい目をする。
祈は構わず少しづつ歩み出す。
「…止めに来ました。それは、させる訳には行かないので。」
祈は近づきながら、ハルバードを見上げる。
しかし、その目は確かな熱いものを孕んでいる。
「…はっ。止めるだと?させる訳には行かない?何を生意気な…。」
ハルバードは呆れたように笑う。
「お前に何ができるというのだ!今更…こんなところに来て…!」
ハルバードは語気を強くする。
「ははっ。俺が無力なのは、俺がいちばんよくわかってます。」
祈は視線を捨てるように俯き、自嘲する。
それでも、再び顔を上げて、笑みを浮かべたままハルバードを見る。
「…ただ、単純に俺がそうしたいからなんです。」
祈は真っ直ぐにハルバードを見つめる。
ハルバードはその言葉に唖然とする。
「誰かを助けたい。誰かを救いたい。俺は、そんな俺を止めたくないんです。だって、それが無くなったら、俺は俺じゃないんです。」
そんなハルバードを横目に、祈は続ける。
「…何を言ってるんだ貴様?質問と噛み合ってないぞ?それで結局お前はなにができるというのだ?」
ハルバードは自由に話す祈に圧をかける。
「話しましょう。」
祈は静かに、ただハルバードに言う。
「それなら、俺にだって出来る。」
祈は笑って言う。
「…ははっ。理想を語るのも大概にしろ。今この娘の命に手をかけているのはお前ではない。俺だ。貴様の意見など聞かずに、この娘を今この瞬間に殺すことだってできる!結局!力がなければ何も救えはしない!」
ハルバードは叫ぶ。
まるで自分に言い聞かせるように。
「でも、それはさっきでもできたことですよね?」
祈はハルバードに対して聞き返す。
その言葉を聞いたハルバードは、眉を少し動かす。
「それは、お前の話を聞いて…」
「本当は、殺したくないんじゃないんですか?」
ハルバードの言葉を遮り、祈は詰めるようにして言葉を紡ぐ。
「なっ…」
ハルバードは祈の言葉に思わず声を漏らす。
「さっき後ろから見ていました。シャスナハを斬ろうとする前の、その一瞬、体が止まっていましたよね。」
祈は淡々と話す。
ハルバードは少し体が弛む。
「…ああそうだ。俺は一瞬躊躇った。だが、それなら見ていたはずだ。結局俺が斬ろうとしたところを。俺は斬ることを選んだんだ。それを見て割って入ったのだろう?」
ハルバードもまた、落ち着きを取り戻して言う。
「俺は簡単に自分一人でどうこう勝手ができる存在ではないのだ!民の先導者として!力無き者たちの代弁者として!俺が!この娘を殺さなければならないんだ!」
再び、ハルバードが叫ぶ。
窮屈な世界で、ただ1人叫ぶ。
「それが、人を殺す理由ですか?」
祈は、それでも尚、勢いを増して食いかかる。
ハルバードは、驚愕した表情で、祈を呆然と見る。
「賢者だから。人の言いなりになって。自分の意志じゃなく、誰かの言葉で。」
祈は続ける。
「ハルバードさん。俺が聞いてるのは、斬ろうとした理由じゃない。止まった理由です。」
ハルバードは、何も言えないまま祈の言葉を聞く。
「その瞬間、貴方は何がしたかったんですか?体が止まったのは、そのみんなを導く使命よりも、大事な何かがあったからじゃないんですか?」
その瞬間、ハルバードの中に、再び末妹の姿が過ぎる。
―俺は…
「貴方は人だ。誰かの意志を背負って、代行する機械なんかじゃない。そうやって、止まってしまったのは、貴方の心が拒んだんです。」
祈はハルバードの目の前に立つ。
その目には、さっきと同じ、固い決心と、慈愛の心が灯っていた。
「もう一度聞きます。何度でも聞きます。貴方は、何がしたいんですか?」
―俺は…
「賢者じゃない。貴方に聞いてるんだ。ハルバード・アルステリオ。」
―俺は…
…俺は、結局何がしたかったんだろうな。
教育を受けている間も、それが終わってからの人生も。
ずっと誰かの言葉に従って生きてきた気がする。
そういうものなんだと。
そういう人生だと思って生きてきた。
自分の意志なんか、そんなものどうだっていいと。
教えてくれ、レーベラ。
たった一つの、後悔と、愛おしさだけがお前に残ったままなんだ。
レーベラ…。
…もう一度、お前に会いたいよ。
「…俺は今、覚醒状態だ。」
少しの沈黙の末、ハルバードはゆっくりと口を開く。
「…だが、直に制限が来て、覚醒状態は終わる。その瞬間、元の体に戻り、魔法も魔力もなく、この空間に生身の状態で放り出される。」
祈は何が言いたいのか少し理解できず、不思議そうな顔を浮かべる。
「はぁ…。お前とは違って、普通の人間はこの空間に来た瞬間に体が消滅するんだ。だから、俺も消滅する。」
ハルバードは自覚のない祈を見て、やれやれと言ったような溜息をつく。
祈はその言葉を聞いて驚く。
「だが、この娘を殺したあと、この空間は崩れるだろう。俺は退却用の魔法陣があるから逃げれるが、そうなってはお前が死んでしまう。…つまり、どの道、お前がここにいる限り俺はこの娘を殺せなかった。」
ハルバードは祈を横目に続ける。
「後始末は、お前に任せる。…証明しろ。お前が誰かを救える人間であるということを。」
ハルバードはそう言って、ここから立ち去った。
真面目な言葉だったが、帰る一瞬、学校とも、さっきとも違う、心の底からの笑顔のようなものが、ハルバードからこぼれ落ちたのが見えた。




