第27話 ひび
起床した祈は、階下へと向かう。
便所を済ませ、顔を洗い、歯を磨く。
朝食を取る前のやるべき事を済ましたら、リビングへと向かう。
長机に、父と母と自分の分のご飯が並べられている。
欠けた食卓。
慣れた食卓。
父はせっせと朝食を済ませ、そのまま仕事へと向かう。
祈は母と他愛のない会話をしながら食べる。
そのうち、母よりも先に食べ終わるため、自分と父の分の食器を洗う。
それも終われば、学校に行く準備をし、姉の遺影と母に挨拶をして、家から出る。
なんて事のない、ただの日々。
学校に着いた祈は、下駄箱から上履きを取りだし、履き替える。
階段を上り、教室へと向かう。
クラスメイトとすれ違う度に、軽い挨拶を交わす。
自身の教室の前に立ち、入る。
そこには日常を共にする、友達がいる。
「おはよ。」
祈は友達に、いつものように挨拶をする。
友達もまた、祈に挨拶を返す。
なんて事のない、ただの日々。
祈は友達と和気あいあいと会話する。
その内、便所に行きたくなってくるので、友達に言って便所に行こうとする。
「あっ、僕も行こうかな。」
久町 環。
彼も祈について行こうとする。
「えー、何気に初めてじゃね?環と連れションすんの。」
祈と環が、横並びになって歩く。
「そうかな?うーん…そうかも。」
環はやんわりと返す。
思えば、あの時こうすればよかった。
あの時、祈に死神に姉を殺されたって聞いた時から。
変だって思ったけれど、結局放置してしまった。
自分の怠慢に、反吐が出る。
ねえ、祈。
別に、祈が死神を殺したいなんてどうでもいいんだ。
いや、寧ろそうなって欲しい。
罪そのものでしかない、僕の人生を、君が終わらせてくれるなら。
『みんな』も、そう思うだろう?
でも、もしも祈に死神の正体を教えた者が、邪な者だったら。
祈に危害を加える者だったら。
―念には念を入れるべきだ。
祈と結託しているのなら安心だが、騙しているなら。
それは駄目だ。
だから、
見させて貰うよ、祈。
生徒たちが溢れかえる廊下。
その中を掻き分けて、隣で前を向き、歩く祈。
それを、環は見つめる。
祈に見られないように、気づかれないように、祈りより少し後ろに位置取る。
そして、環は片目分の能力を発動させる。
そして、環は見る。
祈の魂、その真髄を。
祈の魂の中に入り込んだ環は、情報を得るべく、辺りを見回す。
一寸先も見えないような、深淵。
何かが、おかしい。
そう、違和感を感じ取った瞬間。
1つの真っ白な手が、環の顔を覆う。
「がっ…あっ…!」
急に悶え苦しみだす環。
環の異変に気づいた祈は振り返る。
そして、祈は少し後ろで地面に伏している環を見つける。
蹲る環に、急いで祈が駆け寄る。
「おい!大丈夫か!?」
返事もせず、苦しみ、咳き込む環。
環は自分の手で、口元を抑える。
顔からは、ボタボタと血が流れる。
周囲の生徒たちも騒ぎだす。
それは波のように、騒ぎが遠くまで人を呼び、見物人を引き寄せる。
少し離れたところに人だかりができる。
環の方を見て、ざわざわと思い思いに喋る。
「おいっ!大丈夫かって!」
祈は返事のない環に、何度も呼びかける。
環の口からは、未だ絶えず血が流れる。
祈の脳裏に過ぎる。
姉を亡くした、喪失感。
あの日の、思い出が。
祈の鼓動が早まる。
環の肩をつかむ。
ただ固く。
「環!おい、環!」
祈が何度も環に呼びかける。
2年前のトラウマが祈を焦らせる。
冷たい姉の手。
止まった心臓。
終わった日常。
再び、大切な人がいなくなる。
死の予感が何度も祈を襲う。
祈の心に、罅が入る。
そして、環はようやく答える。
「ああ…大…丈夫…。」
血が混じり、詰まる喉を抑えて答える。
「保険…室に…。」
壁に手を当て、環は立ち上がろうとする。
「おい!落ち着けって!あんまそんなすぐに動くなよ!」
祈は汗を流し、恐怖を抱えながら環に叫ぶ。
その時。
「おい!どうしたんだ!何があった!」
廊下の向かいから、教師が駆け寄る。
「 め、環が…急に血を吐いて倒れて…。」
祈は教師の登場に少し安堵し、小刻みに震えながら答える。
「そうか…。おい、お前ら!ホームルームはじまるから、早く各自の教室に行け!」
教師は状況を把握した後、周りの野次馬を散らせる。
野次馬はしばらく残ろうとしたが、しつこく催促する教師に帰らされて行った。
「行けそうか?環。」
教師は未だ息の荒い環に尋ねる。
「…はい。」
環は教師の肩を借りて、保健室に向かおうとする。
「俺も行きます。」
祈も環について行こうとする。
「いや、お前はいい。」
しかし教師は着いてこようとする祈をキッパリと断る。
「なんでですか…!」
祈は唸るような声で教師に尋ねる。
「おいおい、そんな気を荒立てるなよ。」
教師は威圧する祈を抑える。
「普通なら着いてきてもらってもいいんだがな…なんでも、お前に客人が来てんだとよ。本当はお前にこれ言うために行ったんだけどな。…とりあえずお前は、応接室にいけ。」
教師は祈にそう言い残して、保健室へと向かってしまった。
(客人…?誰だよ…。)
祈は思い当たる節を探すが見つからない。
祈は言われるがままに1階の応接室に行く。
部屋の前には別の教師が立ち、遠くの祈を手招きする。
「なんですか?これ。」
祈は教師に尋ねる。
「…詳しくは話せない。中でお待ちだ。早く入りなさい。」
いつもより仰々しい様子の教師が、祈に早く入るように催促する。
先程の出来事で疲弊した祈は、言われるがままに扉を開ける。
そこに居たのは。
「…傍部 祈君…で間違いないな?」
扉を開けた祈は立ち尽くす。
呆然と、部屋の中でソファに腰を掛ける、その人物から目が離せなくなる。
幾度となく、メディアや雑誌で見た。
人類の、魔法の祖。
その血と意志を受け継ぐ者。
「立ったままでは疲れるだろう。ほら、そこの椅子に腰をかけなさい。」
吸い込むような虹彩異色の双眸が、祈を中へと引き寄せる。
ハルバード・アルステリオ。
賢者の子孫。
(…なぜ、ここに?いや。なんで、俺に?)
あまりの出来事に、祈の脳が停止しそうになる。
必死に稼働させ、腑に落ちる答えを探す。
そして、ふと思い出す。
―いや、絶対危ないよ。
―あの女は、かなりまずい。
―…お母様の…敵?
なんて事の無い、ただの日々。
罅が入り、割れる日々。
そんな予感が、祈の中に湧き上がる。




