第14話 渇き
俺、グラハムは何の変哲もない、カナダの一般の家庭の一人息子として産まれた。
俺はお父さんっ子で、保育園の送迎とか、買い物とかによく連れてってもらった。
だから、離婚したあとは、母子家庭になったけど、未だにお父さんの顔は鮮明に覚えてる。
キリッとした顔立ちに、右の目元に小さなほくろがあって、髪は決まって短髪のオールバックにセットしていた。
でも、お母さんの顔だけどうしてもぼやけて、上手く思い出せない。
ずっと傍にいてくれたのは、お母さんなのに。
買い物に連れてってもらった時は、いつも好きなものを1個だけ買ってもらえた。
お父さんは色んなお菓子とかジュースとかを買うのを想像してたと思うけど、俺はいつも小さな安いおもちゃを買っていた。
そんなのすぐに壊れるぞ。
なんてよくお父さんに言われた。
実際、2、3回くらい遊んだら大抵壊れた。
でも、それでも俺は大切に壊れたおもちゃを取っておいた。
形なんかはどうでも良くて、俺はずっと誰か、何かに傍にいて欲しかったんだ。
ある日小学校にお母さんが迎えに来た。
いつもはお父さんなのになんでだろうと思った。
帰ったらお父さんの荷物がなんにも無くなってた。
その日に離婚していた。
実はもっと前から離婚していたらしかったけど、俺がギリギリ綱となって、少しだけ家にいたらしい。
それも終わって、少しずつ俺に気づかれないように荷物をまとめて、出て行ったらしい。
初めは、俺は何も理解できなくて、いつ帰ってくるかと窓をよく眺めた。
その度にお母さんは俺を抱きしめた。
今思い返すと、早くお父さんのことを忘れて欲しかったんだと思う。
でも俺はその温もりが心地よくて、安心した。
でも、幸せにはならなかった。
お母さんはだんだんおかしくなった。
空いた穴を埋めるように金を男やタバコやギャンブルに費やした。
だから必然的に、生活は劣悪になっていった。
お風呂は中々入れないし、保育園にもいつの間にか行かなくなった。
何より、ご飯の量がだんだん減って、俺はずっとお腹を鳴らしていた。
お母さんの心の穴はずっと埋まらなくて、機嫌の悪い日は泣きながら俺を殴るようになった。
俺も泣きながら抵抗した。
でも最後は俺を抱きしめた。
俺はどう思えばいいかわからなかった。
抱きしめられると、与えられた傷が、なんだかむず痒くて掻きむしった。
ただ、お腹は絶えず鳴った。
ある日、俺はいつものように殴られて、抱きしめられていた。
その日はもうまともにご飯を食べなくなってから何日もたっていた。
痩せ細った俺の肋をお母さんは愛おしそうに撫でた。
お腹が空いた。
暖かかった。
でも
温もりだけじゃ埋められないものがある。
でも
誰かにそばにいて欲しい。
でも
何か食べたい。
でも
助けて。
誰に?
お父さん。
お母さんは?
…俺を殴る。
でも、抱きしめてくれる。
暖かいんだ。
お母さん。
お母さん。
お母さん。
頼むお母さんお腹が空いてもうダメになりそうなんだ抱きしめて俺どうすればいい俺お母さん暖かい強く強く強く抱きしめて俺もう立てない俺お母さん俺俺俺お腹鳴り止まないよお母さん助けて俺無理だ傍にいてお母さんどこにも行かないでだめ目の前霞む痒い痒い痒いこれなにこれ
なんだ?
これは。
…おいしそう?
…何が?
…お母さんが。
…そうか。
…そうだな。
嵩張り溢れた思考は冴え渡り、俺は意志の儘に、ただ目の前のものに、ゆっくりと齧りついた。
「能力 暴食」。
この能力を所持した者は、如何なるものも消化を可能とする。
また所持者の捕食器官も同様に強化される。
デメリットとして、所有者は常時空腹を感じるようになる。
叫び声が、聞こえた気がした。
お母さんの中身は、いつもの抱擁よりも、暖かかった。
悲鳴を聞いた隣人が、警察を呼んだ。
その警察に、俺は保護された。
色々なにか聞かれたようだが、覚えていない。
ただ、その時は、さっきのお母さんの味と、血に塗れた光景が頭の中でずっと反芻し続けた。
そして、食べ残したお母さんの腰から下が気になって仕方がなかった。
俺は程なくして孤児院に入れられた。
俺のことを耳にして、哀れに思った院長が半ば強引に院に入れてくれたらしい。
何とか俺のことを周りのみんなと共存できるように、俺を矯正しようとしてくれた。
院のみんなも、最初は優しく俺に接してくれた。
でも上手くはいかなかった。
俺はずっとお腹がすいていたから、色んなとこに齧り付いては、台無しにした。
周りのみんなにも齧り付いたので、どんどん俺の周りから人はいなくなった。
周りに人がいて欲しかったのに、空腹が俺を支配して、孤独にした。
俺は、喉がからからに渇いているのに、無理やりパンを口に捩じ込まれている気分だった。
警察や魔法庁にでも俺を預ければよかったのだが、院長はプライドが高かったらしく、引き取ったからには最後まで面倒を見なければならないと思っていた。
だから俺は、院の地下に閉じ込められて、暗い鉄格子の中でテレビを見る毎日を過ごした。
ただ、虚しく。
ただ、孤独だった。
何年経ったか分からないある日、俺を引き取りたいという人が一人来た。
男はフランと名乗った。
どうやって俺を知ったのかは知らない。
でも、久しぶりに人に接するように俺に話しかけてくれて、嬉しかった。
寂しいのは嫌だから、俺はフランについて行った。
それから色々なことをした。
ダフネス、文也。
自分と同じように苦しんでいる人を助けた。
人を傷つけたりも殺したりもしたけど、それでもフラン達がそばに居てくれたから、俺は続けれたんだ。
それが正しいことだと、自分に言い聞かせたんだ。
過去も、忘れることができた。
…それができたら、良かったのに。
「ぐあぁ…」
呻き声をあげながら、グラハムは手に触れたものを確かめる。
腕で体を持ち上げようとするが上手くいかない。
転げ回るようにしてうつ伏せになり、ゆっくりとその触れたものに近づく。
ゆっくり、ゆっくり、這いながらそれに近づく。
ようやく辿り着き、それを抱き抱えると、グラハムに熱いものが込み上げる。
「…お母さん。」
手に触れたそれに、グラハムは嘗て自分を痛め、抱きしめた母の面影を感じた。
「…ああ…お母さん…!」
涙が、ゆっくりと零れる。
ずっと、傍にいて欲しかった。
自分が、離した。
グラハムは夢か現実か、再び母と邂逅する。
「…お母さん…!…お母さん…!」
グラハムは泣きながら、それに頬擦りをする。
何度も、何度も。
自分の罪を精算しながら、
謝りながら。
「…憐れな。」
そんなグラハムの様子を見た華月は、ただ一言、眉をひそめ、口から嘆きが漏れる。
グラハムが愛おしそうに抱きしめるそれは。
―華月によって吹き飛ばされた、グラハムの下半身だった。
華月は歯を食いしばり、手に力を込め、ギシギシと音が広がる。
そして、華月はゆっくりとグラハムに近づく。
泣きながらぶつぶつと何かを呟くグラハムの頭に、華月は静かに刀を突き刺した。




