第12話 ヤコブとエサウ
私は、アメリカの小さな田舎町にある小さな教会の一人っ子として生まれた。
両親で教会を経営しており、父は神父をしていた。
教会は、とてもおんぼろで、布教をしても信者は増えず、とにかく貧しい暮らしをしていた。
でも、両親はそれはそれは熱心なキリスト教の信者で、その元で育った私もまた熱心に信仰した。
どのくらい熱心だったかと言うと、小学校のとき学校の男の子がミサの時間に家族でお出かけをした話を聞いて、私がその子にとても怒ったくらいだ。
まあその子は全然キリスト教を信仰してるとかじゃないただの一般人で、私もその時にこの世界の人たち全員がキリスト教信者じゃないって知ったんだっけ。
それで、怒った私をお父さんが諌めてくれた。
「怒ってはならない。許しなさい。神様は全てを許される。」
神様は全てを許す。
それが父の口癖だった。
私はこの言葉が好きだった。
口の悪くて、短気な私を父は諌めた。
でも、別に矯正とかはされなかった。
ただ、お父さんは許してくれたんだ。
そんなある雨の日のこと。
私が8歳くらいのときだったかな。
ある日お父さんが捨て子を持って帰って来た。
名前も知らない、どこの誰かも知らない。
年は4か5歳くらいの子。
ただ木の下で、じっと座って誰かを待ってたらしい。
その子は、
「ちょっと前にお母さんがどこかへ行ってしまったの。立っているのは疲れたから座って待ってたんだ。」
と言った。
その辺は人目が少なく何も無いので、その子が捨てられているということがすぐにわかった。
雨の中、泥だらけになって。
父はその子に名前を尋ねた。
アイリス。
それが彼女の名前だった。
私はアイリスがうちに来て、なんだかお姉さんになったみたいで、アイリスの前では変にずっとお姉さんぶっていた。
言葉も丁寧にしたし、
お菓子も分けてあげたし、
経典もいつも一緒に読んであげた。
私は私らしくもなく、ずっと背伸びをしていた。
でも、私らしく接さなかったってことは、多分どこかでアイリスと家族に線を引いてたのかな。
アイリスがうちに来てから数ヶ月。
外はすっかり寒くなり、風で柱が軋む音や、すきま風の音が聞こえる。
なんだか私はそれが面白かったんだ。
アイリスも一緒に笑ってたっけ。
いや、その日の夜はクリスマスだったからってのもあるかもな。
1年にたった1度の聖夜。
夜になれば暖炉に薪をくべて、机をみんなで囲んで晩餐を食べた。
机の上には燭台の蝋燭に火が灯されてた。
その夜のご飯は毎年一緒で、お椀に1杯のミネストローネと、パンが2つあった。
他の人から見たらえらく質素かもしれないけど、私からしてみればご馳走だった。
それで食べるまえに歌を歌うんだ。
今年はアイリスも居たから一緒に歌った。
私はこの日が世界で1番大好きだった。
それから月日が流れて、2年後。
ある日私とアイリスは些細なことで喧嘩をしてしまった。
「…ええと、さてやこぶはめをあげ…えさうがよんひゃくにんをつれてくるのを…」
アイリスが、経典の同じところを何度も何度も読んでいた。
つまるところ、内容を覚えられなかったのだ。
私が何度教えても、ダメだった。
私はそれに癇癪を起こしてしまったんだ。
「もう!アイリス!何回その文を読むつもりなの!?」
私はついアイリスに声を荒らげてしまったんだ。
初めてのことだった。
そしたら、アイリスは泣きそうな顔で部屋から出て言ったっけ。
いつもこうだ。
思ったことをすぐ口に出してしまう。
それで私から人が離れていく。
しまったと思った頃にはもう遅くて、やめようと思ってもやめれなかった。
私は頭を抱えた。
私は、問題ばかり起こすくせに、仲直りの仕方が下手くそだったんだ。
だから、どうしようかとひどく悩んだ。
でも、その夜、私が寝ようと思って部屋に向かっていると、
いつもならもうとっくに暗くなっているアイリスに部屋に、明かりが灯っていた。
なんだろうと思い近づいてみると、何やらひとりでぶつぶつ言っている。
それは、経典の内容だった。
アイリスは私に怒られて、それを反省して夜遅くまで起きて経典の勉強をしていたんだ。
私の心が、軋む音が聞こえた。
明日、アイリスにちゃんと謝ろう。
そう思った。
今でも思っている。
なんでその時謝らなかったんだろうって。
次の日の朝、ミサの時間。
これが終わったらアイリスに謝ろうって思ってた。
それは叶わぬ願いだった。
ミサの最中、バタンと入口の扉を開ける音が教会の中に響きわたる。
音の方向を見ると、1人の男が入口で、こちらを見て立っていた。
その男は、息が荒く、焦点もあっておらず、口からよだれを垂れ流していて、誰がどう見ても様子がおかしかった。
あとから知ったことなのだが、この男は所謂「クスリ漬け」らしく、クスリを買うお金が無くなったので、教会だから儲かっていると勘違いしてここに来たらしい。
父と母は最初は話を聞こうと男に近寄った。
父と母の言葉に、男がわけのわからない叫び声をあげたあと、父と母が倒れた。
その男が手に持つもので2人を刺したのだ。
人を許すばかりの父と母は、他人を疑うことを知らなかったのだ。
私の息が荒くなる。
優しく諌めてくれた父が。
美味しいご飯を作ってくれた母が。
血にまみれて床に伏せている。
私はそれから目を離すことができなかった。
握っていた震えるアイリスの手が、辛うじて私を突き動かした。
「逃げるよッ!アイリスッ!」
そう言って私はアイリスの手を取って逃げようとする。
でも、もう既に目の前に男はいた。
一瞬。
目の前に血が舞う。
その鮮やかな血は、誰のものだ?
私か?
…違う。
私の手中の温もりが冷めてゆく。
力なく、アイリスが倒れる。
「…あァ…っ!!!」
倒れるアイリスを見て、私は感嘆を漏らす。
なんとも情けない声だろう。
全部、終わった。
この教会も、私の家族も、アイリスに謝る契機も。
もう全て、失われた。
この男に、奪われた。
どうして?
神様は、助けてくれるんじゃなかったの?
神様は、許してくれるんじゃなかったの?
私は私の頭の中で必死に思いをめぐらせる。
ただアイリスを抱き抱えて。
腕の中のアイリス。
愛おしかったアイリス。
冷たくなったアイリス。
それを見て、私は突然、何かを理解した。
そうか。
私たちは捨て子だったんだ。
神様から、見捨てられた。
愚かな私たち。
争い、憎み、奪い、そしてすぐに怒り。
いつしかこの穢れた大地に放り投げられた。
だからもう、助けてはくれない。
神様は私たちに、興味はない。
許すも何も、なかったんだ。
何を信じていたんだろうか、私は。
そんなことを考える私の目の前には、あの男が佇む。
次は、私の番か。
そう思うとなんだか胸がモヤモヤした。
なんでだろうか。
私は疑問に思い胸の中に問いかける。
単純だった。
この期に及んでまだ、私は死にたくなかったんだ。
おかしいよね。
おもしろいよね。
全部失ったのに、これ以上何も無いのに。
それでも死にたくないのか。
…じゃあ生きよう。
等しく全て奪おう。
この男のように。
取り返そう。
何もかも。
そんなことできるはずがないのは、心のどっかでわかってた。
それでも、私の心が壊れぬように、大きな穴を塞ぐために、何かで埋めなきゃ行けなかったんだ。
それ以上に、もうどうでもよかった。
そしてダフネスの中に「能力」が開花する。
「強欲」。
その能力は、彼女の周囲にある欲した万物を、引き寄せる。
私は男から刃物を奪って殺した。
何度も何度も刺した。
血まみれになって。
男が叫ぶのをやめて、冷たくなってもまだ刺した。
ただ、虚しかった。
今でもまだ、空いた穴は塞がらないまま。
結局、私は何がしたかったんだろうな。
奪われたものなんて、取り返せるわけがなかったのに。
空いた穴も、塞がるわけがないのに。
生きるために奪って。
醜く足掻いて。
神様に八つ当たりして。
酷いなぁ。
本当に酷い。
そんな私に何が残ったんだろう。
私の…残ったもの…。
…そうだな…。
…私の…世界一好きな…あの時間を…。
…あの…思い出を…。
「…き…よし…。」
目を見開いたまま、すきま風のような声で、ダフネスは口ずさむ。
聖夜で家族と歌った、あの歌を。
既に任務を終え、その場を後にしようとしたルベリアは、その声を聞き、ゆっくりとまたダフネスに近づく。
そしてしゃがみ、ダフネスの顔を覗き込む。
「…こ…のよ…る…。」
また、微かに動くダフネスの口から、また掠れた声が聞こえる。
既に瞳孔が開ききっており、ダフネスはもう―
「…綺麗な歌声ですね。」
ルベリアはダフネスにほほ笑みかける。
そしてダフネスの額に手を当て、ゆっくりと下げ、瞼を閉ざした。
それを終えると、ルベリアは再び立ち上がり、来た道を戻る。
きよしこの夜
星は光り
救いのみ子が
御母の胸に
眠りたもう
「いーとやーすくー。」
パチパチと暖炉の中で弾ける薪の音と、少女の歌声で、ダフネスは目が覚めた。
ダフネスは椅子に座っており、目の前にはミネストローネの入ったお椀と、2つのパン。
そして隣には、アイリスがいた。
ダフネスは、隣に座るアイリスの顔をよく見る。
アイリスは、パンを口に入れて頬張る。
ダフネスはそんなアイリスの様子を、幸せそうに眺める。
そしてダフネスが、ゆっくりと口を開く。
「…ごめんね、アイリス。…ダメなお姉ちゃんで。」
眉を下げ、少し笑いながらダフネスはアイリスに謝る。
それを聞いたアイリスは、ダフネスの方を見る。
口の中のパンを飲み込むと、アイリスはにっこりと笑う。
「ふっふーん。許しましょう。」
アイリスは得意げに鼻を鳴らす。
意外な返答に、ダフネスは口を開けて、驚く。
「だって神様は、誰でも許してくれるんでしょう?」
アイリスは、ダフネスの目を見つめ返して笑う。
その言葉を聞いたダフネスは、目尻に涙をうかべる。
そしてダフネスもまたにこりと笑って、目尻から光の柱が零れる。
「…そうだな。」
暖炉の中の火は、パチパチと音を鳴らし、未だ消えることなく燃え盛っている。




