第10話 言葉足らず
良く熟れた木通のように笑う女だった。
その女と出会ったのは、私が産まれてから17年後のことだ。
私の名は籤竹 文也。
京の名家の長男として生まれた私は、その後継ぎとしてそれはそれはとても期待されていた。
しかし性格は臆病で、猜疑心が深いことこの上なかった。
家族は私を女々しいと罵り、男らしくあれと矯正しようとしたが、全てうまくはいかず、私は家族と目も合わせるのが怖くなってしまった。
この世のすべてが信用できず、私は私を見失わぬように、気づけば吸い込まれるように近くの寺に行き、仏像に願うのが日課となった。
そんな私に、突然転機が訪れた。
17歳のある秋、私はいつもの様に仏像を拝み、紅葉の舞う寺の外から京を見下ろしていたときのことだ。
ぼんやりと京を眺め、そろそろ帰ろうかと振り返ると、私と同じか少し下程度の女が1人いるのに気づいた。
見た目はお淑やかそのもので、上品な着物が大層似合っていた。
私は、その女は私と同じような気性の持ち主だと思った。
その女もこちらに気づき、ゆっくりと近づいてきた。
「あんたもよくここに来るのか。」
第一声がそれだったもので、あまりにも驚いた私は返答に遅れてしまった。
私の悪い癖だ。
自分から勝手に相手の気性を想像し、違えば壁を作ってしまうのだ。
しかし、その時の私が感じたのはそれだけではなかった。
「…美しい。」
見た目とは程遠い彼女の内側が、私の中に強い憧れとして焼き付いた。
私の口から零れ出た言葉に、私は初対面で言うものでは無いと気づくのに時間がかかってしまった。
愚かな私は、彼女が驚いた顔でこちらを見ているのを見て、ようやく私の過ちに気づいたのだ。
慌てて訂正しようとすると、彼女は
「…ふっ、はは。」
と満面の笑みで返してきた。
良く熟れた木通にも似たその笑顔に、私もまた笑みを零した。
ひとしきり笑い終えたあとで、彼女は
「私の名前は古花伊野だ。珍しいな、お前は。」
と言った。
話を聞くに、どうやら彼女―伊野も名家の産まれの様だが、その男勝りな性格から、家族に疎まれていたらしい。
またその笑みも、面妖だ化け物だなどと周りの者に馬鹿にされていたと言う。
私は、そんなことない、素敵だと励ました。
すると伊野はまた笑った。
その日は特に何事もなく、他愛のない話をしてそれぞれの家へと帰って行った。
その日から私は寺に行くのが楽しみになった。
日々の営みも、いつもより苦しくなく過ごすことができた。
世界が、少し明るく見えてきた。
いつもの時間に寺に行けば、また伊野が笑って私を迎えてくれる。
今思えば、私は私に足りないものを、伊野で埋めようとしていたのかもしれない。
程なくして、私たちは寺以外でも会うようになった。
定食屋に何か食べに行ったり、
雑貨屋に何か見に行ったり、
何も無くとも、ただ街を歩いたりもした。
伊野は1つ癖があった。
私が何か伊野に尋ねると、伊野は決まって「ああ。」と一息置いてから、私の言葉を繰り返すような形で肯定した。
定食屋で私が、
「それでいいのか。」
と尋ねると、
「ああ。それでいい。」
と、毎度こんな調子で返してきた。
最初は小馬鹿にされているのかとも思いはしたが、どうやら伊野は真剣に答えていたようだった。
私も、誰かに肯定されたのは久しぶりだったので、とても幸せに感じた。
伊野と会う回数を重ねる度に、私の心の中に、伊野に対して憧れとは違うものが芽生えているのを感じた。
そしてそれは、どんどんと大きくなってくるのも、感じていた。
私は今日こそこの気持ちを伝えようと、心に決めて寺に向かうが、伊野を見る度に心の底へ沈んで行き、明日言おうに変わってゆく。
何度も何度もそれを繰り返し、情けなさだけが私の中に残る。
そんなある日のことだった。
ある日いつものように寺で伊野と会った。
初めて出会った日と同じような紅葉。
「付き合おう。」
そう伊野は当然のように言った。
私は断る理由はもちろん無く、承諾した。
伊野は耳を赤らめ、照れるように満面の笑みを浮かべた。
私たちは口で愛を分かちあった。
言葉など最早必要なかった。
私はこの先伊野と幸せを育もうと誓った。
知らなかった。
この日が私の人生の最高潮だとは。
その日の帰り道、辺りはすっかり暗くなったので私は伊野を家まで送ろうとした。
その時だった。
目の前から誰かが走って来る音が聞こえた。
その男の手元が何やら街頭に照らされて光っていた。
「逃げろ!」
そう伊野が私に叫ぶが、もう遅かった。
その男が伊野の腹目掛けて持っていたものを突き立てたのだ。
伊野の口から血が吹き出して、ばたりと伊野は地面にふせた。
男は、両家から疎まれた汚点の始末を依頼されたものだった。
私は目の前の出来事に、足がすくみ、地面にへたり込んでしまった。
伊野を刺した男は、次は私の番だと言わんばかりにゆっくりと私の方に近づいてくる。
「…逃…げろ…。」
伊野がそう言うも、私の体は恐怖で糸の切れた傀儡のように動かない。
助けることはおろか、逃げることすら出来ない。
伊野の腹からは、地面が染まるほど出血していた。
私は伊野から目が離せなかった。
動けなかった、私の罪そのものが、目の前に横たわっていた。
私は絶望した。
次は私だ。
ひたひたと足音を立てて、その男はこちらにゆっくりと近寄ってくる。
せめて、あの世で伊野に顔合わせできるように潔く死のう。
そう思った。
そう思ったのに。
急に目の前の男が、歩みを止めた。
そればかりではない。
膝を着き、手を着き、その場から動けなくなっていた。
これが私の「能力 怠惰。」
私の周囲の者は力が抜けて、その場から動けなくなるというものだ。
私ははじめ、目の前の出来事に理解が追いつかなかった。
そして何も変わらぬまま数秒が経ち、私はようやく理解した。
―初めから家族に見放され、唯一できた居場所も奪われた私に、世界はまだ生きろと言っているのだと。
私は覚悟した。
目の前の男を、伊野の命を奪った者を殺す覚悟を。
それから数十年。
抜け殻のように日本を彷徨い、何もせずにただ日々を過ごした。
この世界をどうこうする気はなかった。
救う気も、壊す気も。
もとより、伊野の居ないこの世界など―
「どうでもいい!!ああ!!どうでもいいんだ!!」
既に風前の灯火同然だった文也の体に、再び魔力が溢れ返る。
(なんだ!?魔力が急に溢れ出した!?いや、それだけじゃない、さっきから感じてた体の怠さが悪化してる!?)
李晨は文也の変化と、自分の体の変化に驚く。
雄叫びを上げながら文也は立ち上がり、李晨の方を睨む。
「まあだからなんだっつー話だけどな。」
瞬間。
李晨は自身の体を魔力で補強し、「世界の門を叩く者」で文也の左側に瞬間移動をする。
そしてそのまま李晨の横蹴りが、文也の左半身に直撃する。
ばきばきと文也の肋骨が音を立てる。
そして文也の体は洞窟の壁に激突する。
限界を超えた文也はもう立ち上がる力はおろか、目を開けるので精一杯だった。
ぜいぜいと荒く息を立てる文也に、李晨は近づく。
「…さっきの続きだ、おっさん。」
文也を見下ろす李晨の目は、何故か優しい目をしていた。
「…あんたの事は多分、誰も許さねぇ。俺も許す立場じゃない。でも、あんた愛してた人はいるんだろ?でも、その人を失ったんだろ?…その人は、初めからあんたのことを恨んでねぇんじゃねぇのかな。」
文也は目を見開く。
「…もうちょっと、愛する人を信じてみてもいいんじゃねぇのかな。」
その言葉を聞き、文也の目からは段々と光が失われてゆく。
現実か、まぶたの裏かで、文也は再び伊野と再会する。
「…伊野。こんな愚かな私を…許してくれるか?」
文也は伊野に問う。
その言葉を聞いた伊野は、慈悲に満ちた笑顔で文也を見る。
そして、木通のような笑みで返した。
もういい
ああ
もういいんだ。




