第1話 死神を殺すまでの物語
仄暗く、埃っぽい路地の中、少女が1人走る。
「はあ、はあ、はあ」
その少女は、前にあるビル境の光を目指し、ただひたすらに走る。
「はあっ、はあっ、はあっ、」
息が上がり、苦しそうに喘ぐ。
やがて光の中に1人の人影が見えてくる。
藻掻くように、縋るように、少女はその影に手を伸ばす。
「環ー?」
そう呼ばれる声に、僕は目を覚ます。
机の上に散らばる書きかけのノートやペン。遠く前にある黒板には、びっしりと文字が書かれている。
教室の中はガヤガヤと喧騒に満ちている。
どうやら授業の途中で寝てしまっていたらしい。
「おいっ、返事をしろ、環。」
先と同じ声音がして、僕はゆっくりとその声の主の方を向く。
するとそこには、金色短髪の、僕と同じくらいの歳の男がいた。
未だぼんやりとしている頭を必死に稼働させて、僕は重く気怠そうに、先の人影を問うように、返事をした。
「…誰?」
「…はぁ、折角昼飯の時間なのに起こしてやったのに、なんだよ『誰?』って」
銀色の弁当箱を開けながらさっきの人、改め 傍部 祈がブツブツと文句を言っている。
「うーん、ごめん。」
僕はあまり釈然としない態度で謝る。
「まあ別にいいけどさ、お前いっつも昼飯食わねーし。」
祈は箸で玉子焼きをつつきながら言う。
「でもこの時期食わねーと、体壊すぞ?俺たちは今絶賛成長期だからな。食うか?俺の唐揚げ。」
玉子焼きを頬張りながら祈はそう言う。
「いや、いいよ、お腹空かないんだ。」
「えぇ…」
キッパリと断った僕に祈の眉が下がった。
祈が弁当を食べ終わり、僕たちは教室の外に出る。
廊下に出た時点でムンムンと暑い。
「うへぇ…まだ7月初めだろ?これ8月になったらどうなんだよ。」
あまりの暑さにずっと元気だった祈が一瞬でバテ気味になる。
「やっぱり、教室内でゆっくりする?」
「いや、いいよ。やりてーんだろ?キャッチボール。」
「…ありがとう」
「なんじゃそりゃ、俺より元気なくてどうすんだよ。」
そんな会話を垂れ流しにして、僕たちは校舎の外へと向かう。
校舎の外に出ると、太陽の光が俺たちを刺す。
地面の上では陽炎がゆらゆらと踊っている。
校庭にはすっかりと青葉に着替えた桜に張り付く幾匹もの蝉たちが、残り僅かな余生を謳歌していた。
「…死ぬ」
辛うじてその一言だけが、俺の口から溢れ出た。
早くどこかの影に入りたいが、急ぐ気力もない。
この暑さのせいで、人影もやけに少ない。
よろよろと器具庫にグローブとボールを取りに行く途中で、男子の3人組とすれ違った。
クラス章を見るに、1年生らしい。
その3人組は俺たちの方をチラチラと見ていた。
「なー、あれってさ…」
「あー、あの黒髪の人…」
「やっぱあれって噂の…」
「『魔力無し』だよね」
3人組はこっちを見ながらそんなことをコソコソと話している。
聞こえてないとでも思っているのだろうか。
「おい」
俺は3人組に近づいて話しかける。
3人組は皆俺の方を驚いたように見る。
「いやー…なんも無いっす、へへ…」
「なー、行こうぜ…」
3人組は逃げるように校舎に帰って行った。
「…ごめん祈、僕のせいで。」
「いや、いいよ。気にすんなよ。」
3人組が噂をしていたように、環には魔力がない。
多分、生まれつきなのだろう。
この世界では、魔力の量が個人の強さに直結する。
なので魔力の持たない環は、当然下に見られる。
だから俺が、環を守る。
グローブとボールを持った俺たちは、校舎の影に入り、キャッチボールを始める。
俺は、環に向かってボールを投げる。
ボールは弧を描きながら、環の頭上に向かう。
ポスッ。
環はそのボールを左手のグローブでキャッチをする。
右手でボールを持ち、俺の方に投げる。
ポスッ。
俺はキャッチをして、また投げ返す。
ポスッ。
ポスッ。
ポスッ。
しばらくそうしていると、環からボールが返ってこなくなった。
環の方を見ると、ボールをキャッチしたグローブの中をじっと見つめていた。
「どうした?環?」
俺が話しかけるが、反応が帰ってこない…と思っていたら、少ししてから環は口を開いた。
「…ありがとう、祈。」
目に若干かかっている環の前髪が、サラサラと風に揺れる。
「お前のお陰で、僕はまだ人でいれる。」
環の黒い目は、まっすぐこっちを向いていた。
今から約1年と3ヶ月前、入学式の日。俺はこの学校の生徒として初めて足を踏み入れた。
校庭に生える桜からは薄い桃色の花弁が風と共に舞って去る。
親は入学式のために、先に体育館へと向かう。
親と別れた俺は、校舎に入り、自分の靴を脱ぎ、下駄箱へと入れる。
自分の鞄から上靴を取り出し、履く。
そして、自分のクラスに向かう。
今でも鮮明に覚えている。
新しい環境に向けての淡い期待と、ぼんやりとした不安が胸の鼓動をはやらせる。
自分のクラスに入り、自分の席を見つけて座る。
正面にある黒板には、入学式が始まるまでの間、ここで待機するという旨が書かれていた。
(これが高校…!)固唾を飲みながら呑気にそんなことを思う。
周囲を目だけで見回すと、周りの人達の魔力は、緊張で大きく揺れていた。
みんな俺と同じ気持ちなんだと思うと、少し安心した。
しかし、異変が起きた。
しばらくすると何故か段々とクラスの中がざわつき始める。
そんな状況を不思議に思った俺は原因を探すために周りを見渡す。
すると、右斜め前の方を見るとみんなの視線が俺に集中していることに気がついた。
(俺かよ!?)と思っていると、どうやらその視線は俺ではなく、俺の左斜め後ろにいる奴の方を向いていた。
俺もその方向を見ると、端正な顔立ちをした黒髪マッシュが少し俯いている姿が目に入った。
そいつは魔力を持っていなかった。原因を理解した俺は、1度前を向き、深く息を吸った。
心臓の音が、とてもうるさい。
息を肺いっぱいまで貯めた後、その息を残さず全て吐く。
長い長い吐息の後に、今度は短く息を吸う。それと同時に、わざとらしく音を立てて席を立つ。
その瞬間に皆のざわつきが止まった。
視線が一気に俺の方へ集中する。
皆からの視線を一身に受けながら、それを横目に俺は魔力無しの目の前に立つ。
魔力無しは俺の目を困惑した表情で見つめた。
俺はもう一度息を吸う。
「俺のっ!俺の名前はっ!傍部 祈!お前、の名前は!?」
力みすぎて、噛み噛みになった俺の名乗り向上がクラス中に響き渡る。
「…環。久町 環。初めまして。よろしくね、祈。」
そんな俺を見て、優しく微笑みながら、環はそう答えた。
これが俺と環の初めての出逢いだった。
「あー、あれなー、懐かしーなー、もう1年ちょっと経つのか。」
俺は少し恥ずかしさに耳を赤くしながら言う。
そんな俺を見て、環は若干口角を上げる。
環はボールを右手に持ち替えて、俺の方に投げた。
「ぉうわっ!」
俺は自分の黒歴史との戦いに集中していたので、咄嗟のことでボールをキャッチし損ねた。
俺は、振り向いて後ろの方へ転がっていくボールを追いかける。
少し遠く後ろの方で、ごめーんと謝る環の声が聞こえた。
学校も終わり、放課後。
校門を通り過ぎた俺と環は、軽く別れを告げて別々の方向に歩く。
前にある陽光が俺を照らす。
すっかり日が傾き、空は黄色がかっている。
この景色を見ると、いつも姉の面影を思い出す。
俺のお姉ちゃんは、2年前に死んだ。
学校がある日の初春の朝、俺は珍しく俺より起きるのが遅かったお姉ちゃんを起こしに行った。
ガチャリとドアを開け、お姉ちゃんの部屋に入る。
白を基調とした部屋は綺麗に保たれていて、ベットで仰向けに横たわるお姉ちゃんの顔は、窓から差し込まれた光に照らされていた。
姉の近くまで寄り、俺はお姉ちゃんを起こそうと体を揺さぶる。
「お姉ちゃーん?朝だよ?おーい、」
そんなことを言って、俺は起こそうと揺さぶる。
しかし、全く起きる気配がない。
揺さぶったことで、姉の左腕がだらんとベットから垂れ下がる。
俺はその手を戻そうと少ししゃがみ、その手に触れた。
その手は、あまりにも冷たかった。
…?
理解が追いつかず、立ち上がり姉の顔を再び見る。
その顔は、いつもと変わらず、ただすやすやと眠っているように見えた。
だから、違和感に気づくのが遅れてしまった。
息を、していない。
段々と俺の鼓動が早まる。
鼻息を荒らげながら、俺は恐る恐る姉の胸元に手を当てる。
まだほんのりと温かさが残る姉の胸。
心臓は、動いてくれてはいなかった。
幼い頃、夕暮れに、俺の手を引き歩いてくれる、姉はもう居ない。
休みの日に、クッキーを手作りしてくれる姉ももう居ない。
居ない、居ないんだ。
「お姉ちゃん…」
俺の口から零れた言葉は、寂れた街へと消えて行く。
その時だった。
「魔獣発生!魔獣発生!付近の住民は直ちに避難してください!」
魔獣発生のアラートが町中に響き出した。
魔獣。行き場を失った魂が魔力を肉体として纏った化け物。それは魔獣以外の生き物を際限なく襲う、古来からの生命の敵。
俺は周りを見渡し、避難場所に繋がる道を探す。
見つけた道は、軽自動車くらいの大きさの、真っ黒で狼のような姿をした魔獣の群れによって絶たれていた。
振り返って来た道を戻ろうとしても、その道も魔獣によって塞がれていた。
俺は、息を飲み、覚悟する。
魔獣にも危険度によってランクがあるが、この魔獣は俺では勝てない。
逃げ場を失った俺に、のそのそと近づく魔獣。
俺は死を目前に感じ、目を閉じようとする。
目を閉じる前の一瞬、魔獣の群れの少し上に、1人の人影が見えた。
その人影は、腕も足も顔も、まるで闇を体に塗りたくったように真っ黒で、1枚の黒いローブを身にまとっていた。
俺が瞬きをするとその者は消え、俺の周りを囲っていた魔獣が真っ二つに割れていた。
魔獣の死体が、黒い粒子となり崩れていく。
俺は、あの黒いローブを知っている。
3年続いたヴィクティアの戦争を1週間で終わらせ、数々のテロ集団を壊滅させたと言われている、世界の英雄。
その黒いローブの見た目と、神出鬼没さから、人々はその者をこう呼ぶ。
「死神…!」
寂しさも、焦りも、一瞬にして憎悪に染まる。
俺のお姉ちゃんは、2年前に死んだ。
…違う。
「お前の姉は、死神に殺された。」
気がつくと俺は白一面の、無機質な空間にいた。
地面も空もない、どこを見ても地平線がない。
俺はここがどこかも、何をしていたかも、ぼんやりとしていて分からずにいたが、不思議と心地は悪くなかった。
「聞こえているのか?」
目の前には銀髪のスラッとした男がいた。
ここに来る前のことを、少しづつ思い出す。
確か、お姉ちゃんが死んで、お通夜の準備をして、それで…寝た。
「…夢か?」
「違う、ココはお前の魂の中だ。」
「魂…?」
ぼんやりしながら受け答えをする。
「睡眠の間は外界との輪郭がはっきりするのでな。お陰で干渉しやすかった。」
「…お前は誰だ。」
「オレの名前はミカ。お前の姉の友だった者だ。」
お姉ちゃんの…友達?聞いたこともないし見たこともない。
「オレの魔法は…まあ、魂の観測、干渉と言ったところだな。さて、話を戻すぞ、傍部 祈。」
困惑する俺を無視して、ミカとやらは話を進める。
「お前の姉…傍部 叶は、死神に殺された。」
その言葉に、俺は激しい憤りを感じた。
「殺されただと…?お姉ちゃんが…?死神に…?」
怒りが、俺の口から零れでる。
「どうやって殺すっていうんだ!!お姉ちゃんはベッドの上で眠るように死んでたんだぞ!それに、死神?ヴィクティアの英雄が!なんで俺のお姉ちゃんを殺すんだよ!もうお姉ちゃんの死因は病死だって断定されてる!」
声を荒らげて、少し息切れをする。
「もう俺にお姉ちゃんのことを思い出させないでくれよ…」
ひとしきり言い終えたあとで、ミカが口を開く。
「なんだ、思い出したくないのか?あんなに愛していた姉を?叶はもう死んだ。死人はもう思い出としてしか、この世に存在出来ないんだぞ?」
そんなことをぼやくミカを俺は睨む。
「殺し方…そうだな。これを見るがいい。」
そう言った途端、俺の中に記憶が流れ込んでくる。
硬い地面に仰向けになる自分と、その身体を踏みつけて立つ死神。
死神は黒い剣のような切っ先を自分の頭に向ける。
そのままゆっくりと刃が皮膚を貫いて、肉の内側にめり込んで来る。
ズシャッ。
その音を最後に、記憶は途切れている。
「…っはっ!」
ただ映像を見ているのではない、まるでその時を実際に味わっているのかというようなリアルさだった。
俺は衝撃によろめき、その場にへたり込む。
「それがお前の姉の最期だ。」
先の記憶が何度も頭の中で再生される。
硬い地面。
踏みつけにされる身体。
冷たい切っ先。
死神。
何度も頭の中で出ては消えを繰り返す。
「オレは叶のことを守れなかった。」
…俺もだ。
「救えなかった。」
俺もだ。
「オレは弱かった。目の前で消えゆく命を、ただ眺めることしか出来なかった。」
俺は、誰かを助けるのが好きだ。
誰かを守るのが好きだ。
誰かが幸せでいると、俺もその気持ちが、何となく伝わってくる気がする。
誰かの笑顔を見るのが好きだった。
だから、いちばん辛いのが誰かを守れなかった時だ。
誰かが悲しんでいるのに、何も出来ない自分の無力さが許せなかった。
誰かを傷つける人が嫌いだった。
戦争を終わらせた死神を尊敬していた。
誰かをたくさん救って、守って。
俺の理想像そのものだった。
なのに
俺のお姉ちゃんを傷つけた。
殺した。
俺の理想像は、憎むべき仇へと変貌した。
「そうだ。」
憎悪に染まる俺にミカが口を開く。
「オレは今動けば死神に勘づかれるから動けない。…忘れるな。今感じている憎悪も、守れなかった屈辱も。お前の姉を想ってやってくれ。そしてオレたちの仇を…」
死神を殺してくれ。
日は山に少しかかり、暗い東の空には星が見える。
俺は死神が現れたところをじっと見つめる。
2年間探し続けた宿敵を見て、俺の心の底で火が盛る。
俺は忘れない、姉も死神も。
決意を胸に、俺は日が差す西へと帰路を辿った。
人気のない神社の社の中で、男は黒いローブを脱ぎすてる。
脱ぎすてられたローブは、次第に黒い影になり、空に消えた。
男の傍に、黒い影が現れる。
やがてそれは、人のような形へと変化する。
その影は、男が召喚した使い魔だった。
「大丈夫ダッタノデスカ?」
使い魔は男に尋ねる。
「…まあ、あそこで死んでしまったら、元も子もないからね。」
男は使い魔にそう返す。
「でもまぁ、流石に姿は見られたかな。」
男は少し笑って言う。
「デハ、ヤハリ少シマズイ状況デハナイノデショウカ?」
「いや、僕が中身ってことはバレてはいない。ここだって祈のところからだいぶ離れてるし、周囲も確認したけど、この辺に人なんかどこにもいやしないよ。」
社を出て、男は陽の光を浴びる。
目に若干かかった黒い髪が、サラサラと風に揺れる。
「呼んで悪かったね。誰かと話したかっただけなんだ。もう戻っていいよ。」
男がそう言うと、使い魔は再び黒い影となって消えてしまった。
「怒ってるよな…祈。」
ひとりでそう呟くと、その男―久町 環は踵を返して東の方へと姿を消した。
これは
祈が死神を殺す物語。
初めまして、MATYです。数ある作品の中から、ジャスティスレイブスを閲覧していただき、ありがとうございます。小説の「し」の字も分からず、ただ自分の書きたいことを書いている小説なので、読みづらいと思いますが、暖かい目で読んでくださると幸いです。また、アドバイス等あれば助言をくださると嬉しいです。




