第15話 旅立ち
朝霧が、獣人国の村を優しく包む。酒場のカウンターで、リリアは自分の耳を、
そっと触る。
「耳がないにゃ……しっぽもないにゃ……お尻のあたりが、むずむずする、変な感じだにゃ」
彼女の姿は、人間の少女に変わっていた。アルヴィンの手品で、耳と尻尾を隠した変身。
不自由な体に、戸惑いが募る。
アルヴィン・ド・ヴァルモンは、欠伸をしながら、
眠たげに目をこする。
「あと6カ国に、それぞれ襲撃を受けた獣人が拉致されている。救出する」
彼の声は、いつものように淡々と。
だが、その瞳の奥に、静かな決意が宿る。
ガレンが、拳を握り、頷く。
「誰が拉致されたのか、わからんのか?」
ガレンの言葉に、アルヴィンが尋ねる。
「もちろんだ。この村が襲われたのだから」
ガレンの目が、鋭くなる。
ギワンが、ゆっくりと立ち上がる。
「少し時間をくれ。欲しいものはわかっている」
そう言うと、ギワンは酒場を飛び出し、
走っていった。
ジュラインが、深く頭を下げる。
「アルヴィン、あんたは娘たちの命の恩人だ。何でもいってくれ、何でもする」
彼の声が、震える。
「それと、酒場で毒を盛って、申し訳なかった。すまない、許してくれ」
ミーナが、ジュラインの肩を叩く。
「そうよ。過ぎたことだけれど、アルヴィンは何が正義で、何が悪なのかを見定める。
そういう人が悪い人ではないのは、わかるでしょう」
ジュラインが、涙を堪え、再び頭を下げる。
「すまん、反省している。俺はアルヴィンが死ねと言ったら、死ねる。うちの家族にとって、救世主様だ」
アルヴィンは、眠そうに微笑む。
「ジュラインさん、気にしないでください」
その時、ギワンが息を切らして戻ってきた。
「アルヴィンの旦那、これだ。この衣類だよな」
ぼろぼろの布切れを、差し出す。
リリアが、鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。
「これは……村の娘たちの匂いだにゃ。
でも、今はないにゃ。かすかに、残ってるけど……」
アルヴィンが、手を差し伸べる。
――シュウ。
光が走り、リリアの体が浮かぶ。二人は、ゆっくりと空に上がった。村の景色が、下に広がる。
リリアの鼻が、風に揺れる。
「匂いが……しないにゃ。村の娘たちは、明らかに匂いがあったのに、今はないにゃ」
アルヴィンが、静かに言う。
「村に降下する」
光が再び走り、二人は地面に降り立つ。
アルヴィンが、リリアに尋ねる。
「匂いは覚えていられるのか、リリア」
リリアが、耳をピクリと動かそうとして、
思い出すように頷く。
「もちろんにゃ。ただ、匂いが無かったにゃ。拉致された瞬間、消されたみたい」
アルヴィンの目が、細くなる。
「一つ一つの人間国内を、くまなく探すしかないかな」
ガレンが、肩を叩く。
「時間がかかりそうだが、やってくれるか、アルヴィン」
ミーナが、笑顔で割り込む。
「もちろんよ。今度は私も行くものねー」
女将が、カウンターから顔を出し、手を振る。
「ほらほら、外でお話しないで、お店に入んな」
リリアが、尻尾の無いお尻を気にするように、体をよじる。
「時間が欲しいから、すぐに行くにゃ」
女将が、にこりと笑う。
「飲んでいかないのかい、救出のお祝いを」
リリアが、目を輝かせる。
「助け出して帰ってきたら、お願いするにゃ」
アルヴィンが、皆を見回す。
「ミーナ、引き続き村に残って、獣人偵察隊の訓練を」
「そして、組織としての指導を、やってくれ」
「俺がどれくらいの間、村を離れるのかわからない。」
「ミーナがいれば、俺も安心して、リリアと行ける」
リナが、足元で尻尾を振る。
アルヴィンが、リナの頭を撫でる。
「リナもお留守番していてね」
リナが、小さく鳴く。
アルヴィンが、手を振る。
――シュウ。
光が二人の体を包む。
人間の商人の姿に、変身する。
リリアの耳が、幻のように隠れ、
尻尾も消える。
「では、行ってくる」
アルヴィンの言葉と同時に、光が走り、
二人は空に飛んだ。
村の空が、静かに広がる。
***
ミーナは、空を見上げ、独り言のように呟く。
(いっちゃった、もう……なんでお留守番なの。しょうがないな。)
(数日で帰ってくるだろうし、聞いておきたい事がある)
彼女は、ガレンに視線を移す。
「ガレンさん、獣人軍はどれくらい居るの」
ガレンが、胸を張る。
「20万」
ミーナの心に、影が差す。
(少ない……追放された国でも50万はいるのに)
「総攻撃を受けたら、耐えられないのでは」
ガレンが、笑う。
「俺たちは、鼻と耳が効く。
近づいて来れば、こちらから奇襲をかける」
「近寄らせない。20万で十分だ」
ジュラインが、娘たちを抱き、立ち上がる。
「ジュライン、娘たちを城へ」
ガレンが、命じる。
ミーナが、尋ねる。
「御城はここから、近いの?」
ガレンが、地図を広げる。
「1日もあれば、つく。
大きな城だ。
長老も国王も、獣人族全てが城に居る」
「ここみたいな、偵察村は、数カ所のみ」
「偵察より、貿易の護衛が主の任務だ」
ミーナの目が、輝く。
「わたしも、ジュラインと一緒にお城に行っても良い?」
ジュラインが、頷く。
「もちろん、ミーナさんも来てください。
アルヴィンに救われた事を説明しやすい」
ギワンが、肩を叩く。
「久しぶりに、ガレンも城に行ってこいよ。ここには俺が残るから」
ガレンが、笑う。
「わかった」
一行は、村を後にする。
馬車が、道を進む。
ミーナの心に、アルヴィンの姿が浮かぶ。
(早く帰ってきて……正義の答え、一緒に探そう)
***
数日後、牢獄の闇が、静かに揺れる。
内通者の獣人が、鍵をこじ開け、脱走した。彼の足音が、夜の森に消える。
これが、悲劇の始まりだとは、獣人国の誰もが、思いもしなかった。
雨季の足音が、遠くから近づく。人間の軍勢の影が、ゆっくりと、
国境を越える。
アルヴィンの手品が、間に合うのか――
村の酒場で、女将が独り、酒を注ぐ。
「救世主様、早く帰ってきな……」
その祈りが、風に溶ける。




