第1話 やる気なし、眠いから、寝る
ビシャァァァーン!
夜を裂く雷鳴。木々が砕け、炎の舌が空を舐める。ド・ヴァルモン領の森は、まるで怒れる神の咆哮に焼かれていた。ゴオオオォォー! 焦げた匂いが屋敷の窓を叩き、熱風がカーテンを揺らす。
だが、少年の部屋は静かだった。
ベッドの上で、アルヴィン・ド・ヴァルモンは布団を頭まで引き上げ、目を閉じたまま呟いた。
「うるさい……眠い。」
その声は、まるで世界を嘲るように小さく、だるそうだった。だが、次の瞬間――。
シュウウウゥ……。風が唸り、雲が渦を巻く。屋敷の外で、突然の豪雨が炎を飲み込んだ。一面の火海が、まるで水をかぶせた燭台のように一瞬で消えた。静寂が森を包む。少年は欠伸を一つ。
「ほら、静かになった。……寝る。」
眠い。それが彼の全てだった。だが、起きている間だけ、彼は世界を黙らせられた。
「アルヴィン! 火事よ、火事! 起きて、逃げるのよ!」
母イザベルの叫びが部屋に飛び込む。彼女の声は焦りと恐怖に震えていた。だが、アルヴィンは布団の中で身じろぎするだけ。
「うーん、眠い……母様、火事なんてないよ。寝る。」
「外が燃えてるの! 部屋じゃない、森が! 早く、履物を――!」
「眠い。火事、ない。寝る。」
イザベルの額に青筋が浮かぶ。「いい加減にしなさい、アルヴィン!」
その時、扉が勢いよく開いた。父ガストン・ド・ヴァルモン、騎士団長の顔は困惑と驚愕に染まっていた。
「イザベル、一面が燃えていたんだ。だが……いきなり豪雨が降って、火が消えた。バケツをひっくり返したような雨だった。」
イザベルは目を丸くする。「まさか……ド・ヴァルモン領に放火なんてありえないわ。」
ガストンは苦笑し、ベッドの息子に目をやる。「それでも、こいつは起きないのか。火事で寝るとは……イザベル、次の子を頼むよ。」
イザベルが頬を膨らませる中、ガストンは彼女の手を取り、寝室へ向かった。
翌朝、朝陽が屋敷を照らす。イザベルは厨房で朝食を用意し、ガストンは庭で剣を振るう。騎士団長の剣裁きは流麗で、まるで風を斬る舞のようだった。だが、彼の眉間には深い皺が刻まれている。
「昨夜の火災……ただ事じゃない。」
ド・ヴァルモン領は侯爵家が守る聖域。侵入は難しく、放火などありえないはずだ。だが、近隣の村や町では不審火が相次いでいる。王都で何かが起きているのか? ガストンは剣を鞘に収め、決意を固めた。
「食後、王都へ向かう。近衛兵に調べさせ、軍部に報告だ。ついでに……アルヴィンを学校に入れよう。1日早くても問題ない。」
イザベルが厨房から顔を出す。「あら、鍛錬が早いわね。昨夜の火事が気になって?」
「ああ。イザベル、一緒に来るか?」
「ええ、でも……またアルヴィンが起きないの。明日で6歳なのに、王都の学校にやっていけるかしら?」
イザベルは息子の部屋へ向かう。アルヴィンはまだ布団の中、寝顔は無垢で、まるで世界の騒乱を拒むようだった。
「母様……おはよう。まだ、眠いよ。」
「アルヴィン、いい加減に起きなさい! 今日、王都に行くの。明日から学校よ!」
「え、王都? いや、僕、寝てるから……。」
「そういうわけにはいかないの! ほら、朝ごはん! ガストンが待ってるわ!」
アルヴィンは渋々起き上がり、目をこすりながら食卓へ向かった。
食卓は静かだった。スープの香りが漂う中、アルヴィンは欠伸を繰り返す。ガストンは息子を見ながら、ため息をつく。
「アルヴィン、王都の学校は厳しいぞ。こんな調子でやっていけるのか?」
イザベルがフォローする。「まだ6歳よ。少しずつ慣れるわ。」
だが、アルヴィンの心は別の場所にあった。昨夜の火災。燃える森、叫ぶ風。そして、彼の「眠い」という一言で降った豪雨。あの力は、彼にとって当たり前だった。物事を思いのままに操れる力。だが、なぜか違和感が胸を刺す。
(父様も母様も、話してない。僕の力……知らない方がいいのかな?)
彼はスプーンを手に、ぼんやりと窓の外を見つめた。そこには、焦げた森の残骸が広がっていた。
その夜、アルヴィンは再び夢を見た。燃える森、泣き叫ぶ声。そして、遠くで響く、獣のような咆哮。夢の中で、彼は手を振った。すると、炎が消え、雨が降り、声が止んだ。だが、胸の違和感は消えない。
(正義とは何か? 悪とは何か?)
アルヴィンは知らなかった。このささやかな違和感が、腐敗した王国を根底から揺さぶる革命の火種となることを。6歳の少年が、王都で目にする光景――権力者の横暴、亜人の悲鳴――が、彼の眠気を打ち砕き、世界を変える旅の第一歩となることを。
【後書き】 新連載スタート! 異世界ファンタジーとして、「正義と悪」を問い直す物語です。アルヴィンの「やる気なし」と最強の力のギャップ、獣人国での絆と革命を
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