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公女と商人


 ウェンユェは満足そうに、指先に絡んだ長い尾を撫でた。黒曜石の鱗は滑らかで、剣のような先端が軽くテーブルの縁を叩く。カチカチと応接室に響く音は、まるで時間の経過を測っているかのようだった。


「あてが望まん事をする玉やないのは分かっとるやろけど、困った事に『勇者』の言葉しかきかへんしな」


 侍女として控える彼女に向けられた言葉には皮肉と、それなりの呆れが含まれていた。今回の発端は珍しく能動的にアクションを起こしたとある勇者が起因しており、当たり前に真意は有耶無耶にしたまま今に至っている。企てた当人の姿はウェンユェに面倒事を押し付けてから一度も表には立っていないし、勿論、現在なにをして、なにをやらかしているのかすら把握もしていなかった。


 勇者様の命令に脊髄反射で是とし、即座に迷いなく実行する侍女は相変わらず澄ましたもので。ウェンユェの気掛かりは幾つもあるが、単純に利用されるだけなのも気に食わない、なのでこうして厄介な事柄に頭から突っ込んではいた。


 例えるなら揉めると知っていた案件に手を出すような、そうした煮詰まらないものだ。


「今のお立場は、えらい複雑で大変やろけど。あてかてそれは承知した上で、助力しとぉて来とるさかい」


 テーブルに並べられた紅茶に翡翠を浮かべ、口角を上げたか。リリーはウェンユェの思惑を探りながら、続ける言葉を吟味する。


「ほんま、そうやろ? アイリスさんは働き者やし、優秀や。帝都での暮らしを気に入って、給金にも満足してくれている優秀で貴重な人財や。それもこれも、ほんまは関わらんでもえかってんけどな」


 ウェンユェは口元に手を添え、子供をあやすような口調で言った。だが、その翡翠の瞳は笑ってはいない。


 リリーは顎に添えていた指をゆっくりと外し、テーブルに置かれたティーカップに手を伸ばした。


「働き者であることは、否定しませんわ。並の侍女ではないことは、一目瞭然でしたから。ただ、私としては恩の押し売りに思うのも、当然だと考えております」


 静かに紅茶を一口飲んだ。舌の上で茶葉の苦みが広がって、鼻先に上質な香りが広がった。美味しい紅茶は気分を好転させるが、現状の不安定な空気を今一払拭は出来ていない。


「問題は、あなたが、そのような貴重な人財を『皇位継承権を持っているだけ』の私になにゆえ差し向けるのでしょうね? それこそ、利害の帳尻が合いませんわ」


 優雅な所作でティーカップをソーサーに戻した。本質と真っ向から向き合う覚悟が浮かぶ瞳を瞼で拭い、二度の瞬きの後に。


「外交官と違い、商人は利を求めますでしょう? 私へ『剣聖』を委ね、あなたが得る利は如何なさるのかしら? 商売は慈善事業ではなく、損得ではなくて?」


 鋭い問いに対し、ウェンユェはくすくすと笑った。鈴の音のように軽やかで、一瞬、この場の緊張を霧散させるように感じられた。然し、蓋を開ければそうではない。ウェンユェの思惑は他の勇者とは違うのだ。


「ええよ、隠すつもりもないさかい。あての利益はリリー公女殿下の『即位』や」


 ウェンユェは身を乗り出し、机の上に肘をついた。黒髪が滑らかに肩から流れ落ちて、一連の出来事はリリー公女の表情に亀裂を走らせた。


「あてが欲しいもんは一つだけやで? 元の世界に『帰りたい』これに尽きるわ」


「女神様の導きですか……?」


 リリーは訝しげに眉を上げた。


「ほんに女神様がおるならな? せやかて、あてにならん話やから。現実的な話をするなら、帝都の技術や知識を利用したいし、面倒なボケをなんとかせぇちゅう話でもある」


「あら、魔王を倒したのは貴女方ではありませんの?」


「魔王の方は気にしてへんよ、あれはそう言った催しやろ。今、気にしとるのは……バーゼルが政界から去った言う話とかやね。つまり、あんさんはついに政治に首を突っ込んだ訳やろ」


 ウェンユェは用意された菓子一つ手に取り、上品に齧った。


「先々代帝からの『風潮』を支えとった大黒柱、そないなもんを張り倒して、帝都がどうなると思っとる?」


「……混乱が起きるでしょうね。彼に連なっていた官僚達は弱体化を辿りますし……そして、その混乱に乗じて勢力図を塗り替えようとする者も現れますわ。それは、あなた方にとって、良いことではありませんの?」


 リリーは冷静に分析していた、ウェンユェの立場も中々に複雑ではある。第一に勇者であり、第二にセグナンスと言う商会組合の首領だ。セグナンスの厄介な点は、シルトの復興支援に伴って海運を支配した点にある。帝国が出す船の大半は態々シルトに向かうので、必然的にシルトは王都より重要度が高いのだ。


 シルトに現在鎮座する赤竜の亡骸の資産的価値は看過出来ないし、一枚噛むにせよシルト復興を一任されるセグナンスとも関わらねばならない。王国でも主要な貴族を押し退け、彼女が前に出ているのは王国公認の商会でもある証明だ。そんな目敏く地位もあって力もある彼女は、帝都の混乱に対して損失はない筈だ。


 周辺諸国からすれば絶好の機会足り得るものだし、特にセグナンスとは赤竜を巡って微妙な関係にある。帝国の圧力に屈するしかない王国が未だに赤竜の主権を握れているのは、帝国の陥る混乱とセグナンスが仲介をするのが大きい。


「そりゃあ、短期的に見れば帝国がおらへん方が楽やろな。一々噛み付かれんでええし、復興支援を簡単に受け入れられへんのも、そないな面倒な話に繋がるからやけど……」


 ウェンユェは尾を撫でた。


「せやけどな。帝都が崩壊でもして、無秩序になるのは困るんや。国境沿いでドンパチが始まるのも、何より、帝都が持つ最先端の魔導技術とか野心あるちっこい国々の手に渡りでもしたら目も当てられへん」


 ウェンユェの瞳が再び縦に細まり、龍の本能を垣間見せた。彼女の懸念は、帝都の技術が拡散し、優位性が脅かされる事だ。より正しく言い直せば、制御不能に陥るよりはマシだからである。腐っても法制国家、最大規模の国家だ。世界秩序の中核が瓦解する事態に遭遇し、剰え巻き込まれては敵わない。


「帝都はあんさんが思っとるより、強いもんやさかい。帝が姿を現さんようになってんのはなんでやろね……? そないな杜撰さで、なんやえらい普通に戦線維持して、しゃんとせえへんでも危機感なく繁栄しとる。そりゃあ、あんさんら帝国が強いからに他ならんけど」


「……ええ、仰る通りですわ。帝国は列強です、王国に圧力を掛け、他民族国家へ牽制を続け、厄介な宗教団体を煙に巻いて。果ては国境で毎日絶えない小競り合いを繰り返しても――『平和』と言える程度には」


「それもこれも『崩御』が知れ渡れば、別やろ」


 リリー公女は一度ゆっくりと嘆息する。流石に隠せはしないだろうし、近い内に崩御した旨は国民に知らされるものであった。事前に教えたつもりはなかったが、こうも自然に致命の一撃を振られては否定のしようもない。


 知るのが早いか遅いか、違うのはそれだけ。そう納得する。とは言え、勇者に助けを乞うた最たる理由でもある。リリー公女はこのままでは『死去』するだろう、不運にも、不幸にも、どうしてか。


 そうして継承権を持つ第一位、リリー公女の兄であるロイド・シン・ド・ヴィクトリアが帝に即位する。そうした『物語』だ。然し、リリー公女もこのまま黙って死にたくないので、幼少期から根回しを万全に期したのだ。それもあってリリー公女の立場は『政界に首を突っ込まないお飾りの公女殿下』であり、想定される権利争いには属さない予定だったのだが。


 実の兄であるセイバーやロイドの政敵とならないよう、万全ではないにせよ、努力はしたつもりだ。


「私、争いには無関心でしてよ?」


「でもあんさん、このままやと『死ぬ』やろ?」


「……そうならないよう、尽力しておりますわ」


 ウェンユェは心地良い笑顔を転がした。目の前で繰り広げる異様な会談に息を呑み、同じ翡翠を回すキャロルに一瞥を送って、尾を撫でる。


「努力しても報われるかは別物やろけど。なるべく穏便に生きて、なるだけ権力を持たへんようにして、そうして皇位三位の地位で頑張ってのらりくらりしとるみたいやけどね」


「ええ、失敗してはならないので。私は、なにせ、公女ですから」


 冷めつつある紅茶を手に、リリー公女は一息流した。心配そうなキャロルを伺い、頃合いを見てウェンユェは続ける。


「帝が崩御して、あんさんは大丈夫なんか?」


「まあ……、大丈夫ではないですわね? セイバー兄様やロイド兄様のように、私は(まつりごと)とは関わらないようにしてきましたが、そうあっても、簡単に逃げられはしないでしょう」


「そうやなくて、あんさんの父親やろ?」


 ウェンユェの尾先が分析し俯瞰する、誰かに似て他人行儀な様子のリリー公女を指した。彼女は一瞬、なにを言われたのか理解出来なかったのだろう。きょっとんとして、薄く笑いを滲ませた。冷めつつある紅茶を軽く揺らし、映る顔を確認したリリー公女は蝶を増やす眼を瞼で拭った。


「父上は、誇れる人でしたわ。それを踏まえて、私はとうに失敗した身、これ以上を望めはしませんもの。せいぜい、兄様達の諍いに巻き込まれないように立ち回るだけですわ」


「不思議な言い回しやね、まるで……ほんにどうにかしたろ思っとるような口振りや。人はな、簡単には潰えはせえへん。けど、終わりがあるもんやし……」


 ウェンユェの翡翠は窓外、青天を眺めていた。なにかを思い出したように、途中で言葉を濁す。


「自惚れていたのでしょう、ただの、なんの力もない小娘ですわ。私は、もう、知っております」


「でも、あんさんはちゃんと生きとるやろ。そう、たとえ『転生者』でもな……?」


「……!」


 リリーは目を見開いた。彼女の思考を遥かに超えた台詞であったからだ。聞き返す必要はない、聞き逃していたならば驚きはしなかった。誰かから漏れたか、そうして疑える人物はこの人生に於いて一人も存在しない。それは数年間を共にする侍女、キャロルを含めて。身辺を徹底し固めない理由でもある。


 兎に角、僅かでも疑うならば可能性としてはキャロルが順当だろう。彼女を信頼し信用した上で転生(・・)の身の上話はしなかったけれど、そうあっても、露呈するとすれば。


「かの勇者、ですわね?」


 予定にはなかった行動があるとすれば、一縷の望みを込めキャロルを勇者達に向け送り出した事にあるのだろう。結成されるであろうセグナンスとの接触を見越した一手ではあったが、対局する席は空席ではなかっただけの話。リリーは脳裏に走らせた思考を一時緩め、ウェンユェを見やる。


「ふふ、人を驚かせたるのが好きなんやろね。意外で、逸れたことばかりやらかすんよ」


 彼女は聡いが、転生者であると疑うような切っ掛けはない筈だ。となれば、あの勇者が同じような立場であるか、どうか。つまり、結論から言えば『FOUR/ANSWER:Fantast』をプレイしていた人間である可能性が高い。


 本来のストーリー進行を歪めた張本人であり、ウェンユェを介して圧力とも言えよう妙手を打って来ている。否、悪手であろうか。リリー公女は瞬き、冷めた紅茶の水面を態とまた揺らした。本当にプレイヤーであったなら納得は出来る部分もあるが、そうならば不自然な点も多い。


 然し、転生者と露呈するとなれば比較すべき対象を知らなければならない。どうあっても白い勇者は『ゲーム』を知っている。ならば、何故、とも思う。


「知っていた上で、その方は、どうしてシルトを助けなかったのかしら……?」


 思わずと言った声で尋ねれば、ウェンユェは尾先を指で弄り、にんまりと口角を上げた。


「あんさんがいっちゃん分かっとるやろ」


 リリー公女が壁側の侍女に目を向ければ、まるでその無言の問いを予期していたかのように侍女は静かに口を開いた。


「公女殿下の懸念は十二分に考慮した上で、どうか信じて頂けますでしょうか。いつだって、他の誰かばかり気に掛ける困ったお方なのです」


 紫の瞳は初めて、本心から困ったように憂いていた。その些細な変化は機械のような硬質なものではなく、温かい血潮が流れる生身だと再認識させるには十分であった。語り口こそ淑やかでも、込められた熱量をリリーは感じていた。


 リリーはとても意外な一面に思考を回す。日本にあった能面を彷彿とさせる鉄仮面を崩したのは他ならぬ勇者であり、勇者はそれだけ誰かに思われる人であるのだろう。


「その勇者様は、なにが狙いですの?」


 リリーは肩に触れる髪を払い、厳しく視線をウェンユェに向け直す。信頼し信用するには一手足りないのだ。確かに、手を組む打診はした。探り合いの席に座らせようとしたのは正体が掴めない不安に突き動かされ、悩み抜いて決断したからだ。かの勇者は『ゲーム』には存在しなかった。


 無論、単純に『転生者』でもない。『転移者』である他の勇者達とも、なにかが違うような気がしてならないのもある。黒き勇者の予言はどうなっているのか、翡翠の勇者がなにを狙っているのか、姿の見えない白い勇者はなんなのか。


 全く分からないからこそ、熟考する。苦悩して、問うのだ。


 ウェンユェは、蝶が舞いながらも突き刺すような鋭い視線を受け流し、ふっと翡翠の瞳を細めた。指先に絡んだ尾の先端がカチリと硬い音を響かせた。時間を刻む規則性はなく、獲物を前にした捕食者の期待に打ち震えているかのようである。強靭な外骨格の輝きと滑らかな質感は、部屋に飾られた魔動機の動力とは様相が違っていた。


 どちらも硬いのだろうが、ウェンユェの尾は女性的な艶めかしさを帯びている。どんなに鋭利で強靭でも、柔らかさが内包されているのだ。ゆらゆらする尻尾とウェンユェの呼吸が重なった。


「狙い、なぁ……。あの阿呆が考えとる内容はあてにもさっぱりや。せやけど、一つだけ」


 ウェンユェは預けていた身を起こし、椅子から背を離した。尻尾が左右に揺れていた。ウェンユェが身を乗り出した瞬間、彼女の周囲の空気が揺らぎ、熱を帯びた。金貨を溶かしたような、若しくは乾いた火薬の如く、龍特有の濃密な気配が網膜を舐る。


「あの馬鹿は、必死に生きとるよ。最初こそ『こいつ優し過ぎ、人やないし嫌いやわ』なんて思っとったし、いまかて『やっぱ嫌いやし人らしいから尚更にキモいわ』って、おもてんけどな――公女殿下、あんさんは失敗したくなくて踏み出せへんやろ? あいつっぽく言うなら『致命傷』が怖いんやろ。やのにせめぎ合って縛られて、ほんに、しんどいまま。間違っとらんよ、人としてな。せやから、日を改めてもええんよ?」


「お構いなく」


 リリーは即座に、だが着実に首を振るって拒否した。配慮は理解するが、無用である。小さな頃から『破滅エンド』を回避しようと奮闘したリリーは、豆腐の如く軟ではない。心外であると目が語り、背筋を正した。


「私は……父上を救えなかった。知っていたのに、どうにも出来なかった。それはひとえに、私が自惚れていたからです。誰かを助けられると、優位性があると努力を怠った結果です。私は言い繕いませんわ。ですから、決して、逃げもしません。公女、ですから」


 それは公女として、或いは転生者としての矜持か。どちらであるかなぞ探るのは野暮であるだろう。ウェンユェはリリーの覚悟に頷き、尾をゆらりと動かした。


「あの馬鹿はな、勇者は泥を啜ってでも目の前から逃げへん。滑稽なほどに……不器用な生き方やろ? 分かるか? シルトで親を失った女の子を、あいつは馬鹿やから蹴っ飛ばしたんやで? 普通、せえへんやろそないな……不気味な優しいこと」


「確かに、その優しさは……自己破壊ですわね。私なら、その方法しかないならば別にしても……敢えて選ぶような真似はしませんわ。優しいからこそ、酷く質が悪いもの……正気ではありませんし……なにより……」


 言葉尻が濁れば、ウェンユェは同意するように尻尾を撫でる。膝上で丸まった猫をあやすような手振りだ。


「せやろ、あてもなぁ……カライト聖女様の愚痴で知ったんやけどなぁ……。どうせ、あの阿呆から言わせれば『誰かに向けるべき殺意は大概は自己に突き刺さるばかりな世の中だけれど、そんなもんだから救いがないよね』とか抜かすようなイかれてっぷりをしとるから、ほんにキモいねん」


 もしあの白い勇者が、同じように結末を知りながら、それでも効率や能率を選ばないのだとしたら。それは、物語の知識という盾に隠れて保身を図った己への糾弾に等しいだろう。不器用で、直向きに不格好である。言い訳をする余裕を当然の顔で踏み躙って、絶えず自壊するようなものだ。


 リリーは何処か、一歩引いて考えていた。当たり前だ、ゲームとは違うから『バグ』だとほざくのだ。ちゃんと生きているか、と、突き付けられたように胸が締め付けられた。にしたって、常軌を逸している。逃げ道を己の手で懇切丁寧に破壊するのは自殺に等しいものではあるが、だからと死にたがりである訳でもなさそうだ。


 一言で表現すれば逸している。人間らしく、人間らしからぬ方法だ。


「あの馬鹿には力もなければ、横に広がりもない。普通なら知識を抱えて震えとる時に……あいつは躊躇いなく、独りで絶望的な盤面をひっくり返す悪辣な手段を、迷わず選びよるからな。シルトに竜を落としたのも、それとも聖女を撃ったことを例にしても……全部『なにかが致命的に間違っとる』からキモいねん」


 ウェンユェの言葉は剣よりも鋭い。彼女なりに彼を考察し、漸く掴めた人物像である。救い難く、度し難い人間だ。人間らしいし、同時に人間には思えない。人は脆く、弱い生き物だ。


 絶えず自壊するような選択を迷わず選び続けて、他の誰かの為に優しくなれる人間は異常である。善意や悪意とか、そうした簡素な区別をするのに難儀する人格をしている。子供を蹴り飛ばした行いは罰せられるべきだし、シルトに竜を墜落させたのも言及すべきだし、聖女を撃ち殺したのは常識的ではない。


 疑いがあるから、晴らす為に最善であり最も間違えた方法を実行した。確信があるならば、余計に質が悪いのだ。


「……普通は……ああまで自分を責めへんのよ。あの馬鹿は、それしか知らんときた。要するに、今回もそうなるやろから困るねん。あんさんは『失敗してはならない』って言うやろ、せやけど、あいつは『失敗が前提』でしか考えてへんような感じがするんよな。初めましてから二進も三進もいかへんみたいに、詰んどるみたいやろ」


 菓子を器用に尾先で弾き、ぱくっと口で受け止めた。咀嚼すると、アイリスやリリー、キャロルを見渡して深く息を逃がした。


「リリー公女殿下、このまま死ぬのを待つだけで終われへんやろ。それとも、あいつが用意するやろう不格好な舞台に上がって、血を吐きながらでも皇帝の座を奪い取るか? 選ぶんはあんさんやけど、選択肢を与えるような人間しとらんからな、あの阿呆は。普通に、問答無用に引っ掻き回しよるぞ」


 それは警句に近い言葉回しだ。穏やかな宣告が応接室に振り積もり、支配する空気に冷めた紅茶の薄い香りが広がった。


 キャロルは不安そうな顔でリリーの肩に手を置こうとしたが、リリーはそれを手で制した。彼女はゆっくりと立ち上がり、窓の外、帝都の空を仰いだ。


「……面白い冗談ですわね。この国を背負えと仰っしゃろうと、私は皇位継承権三位でしかありませんわ。どう即位させると? 暗殺は最善ではなくてよ?」


「せやな。冗談やったら『剣聖』を侍女に化けさせてまで、ここに放り込んだりせぇへんよ。阿呆が考えなしに動いとる訳もあらへんし、動いたからには裏があるんやろ。それでも、あては殿下を帝にするねん、分かるやろ?」


 リリーは再びウェンユェに向き直った。特徴的な瞳には、つい今しがたまで淡いていた困惑や恐怖は消え、代わりに確固たる『覚悟』の火が灯っていた。


「誰とも知れない勇者様とやらが描く『不格好な舞台』、見届けて差し上げます。ただし……、ウェンユェ様には帝国流で楔を打たせて頂きましょう。そうね……バーゼルなら……商売の帳尻を合わせは私ではなく、かの勇者である事を努々お忘れなきよう願う、と」


 リリーは、空になったティーカップをテーブルに戻した。カチリ、という陶器の音が、交渉の成立を告げた。呼応するようにウェンユェの尾先も応じる。


「あなた……いえ、これからはアイリスと呼びましょう。あなたのご主人様に苦言を伝えて下さる? 『不良債権になるかどうかは私の働き次第。せいぜい、高く買ってくださいませ』と」


 壁際に控えていたアイリスが、一瞬、驚いたように目を見開いた。直ぐに深く、恭しく頭を下げた。あくまでも剣聖ではなく侍女として振る舞う彼女は、新たな主君を脳裏に思い起こして。


仰せのままに(ユア ハイネス)


 帝国式の礼節を尽くした姿にウェンユェは満足そうに尾を揺らし、そして誰よりも愉快そうに笑うのだ。


「そないな面構え、あては大好きやで。追い詰められた獣は形振り構ったりはせえへんからな。ほな、これから帝都はえらい騒ぎになるやろけど……セグナンスは、あんさんの『後ろ盾』として、しっかり利を吸わせてもらうわ」


 こうして、帝国の歴史に刻まれる事になる一大事が始まった。世界の運命を決定付ける密約を交わし、尚、それでいてリリー公女は冷めた紅茶を啜る。


 予想外と予定外は交渉の花、切り捨てはしないだろう。事態は更にややこしくはなるが、決まって結果事態は簡単になるものだ。


 『兄達を押し退け、即位せよ』


 それは、決められた物語を逸脱し、未知の領域へと足を踏み出す一歩である。同時に、見通せない未来に手を伸ばした公女の奮闘になるだろう。誰も先には居ない、先駆者なき道を切り拓かねばならないのだ。


 最後に、彼女は鮮やかな瞳をウェンユェに向けるのだ。美しい蝶の舞う瞳で、応接室を撫でるのだ。窓外を見れば、青天に一本の軌跡を描く魔動騎兵の姿。雲を引き、勇ましく飛ぶ彼等は帝国の象徴だ。


 帝は、少なくとも肉親の争いを望む方ではなかった。兄達は、それぞれの野心がある。


 皇位継承権三位でしかない娘を気に掛ける『謂れ』はない、それだけ格差がある。本当なら、そうだった。勇者に助けを求めても順位は変わらない、否、変わる要素はある。


 リリー公女は知っていた。先代帝が残す書簡の存在を、そしてそれが発端となりロイド、セイバーの諍いに巻き込まれるのを。だから国外に逃げるなり、引き篭もるなり、そうした後ろ向きの選択をしていたのだ。


 だが、招いた勇者達は言うのだ。


 『あなたを王にする』と。


「お覚悟は宜しくて? やるからには、捨て身になるわ」


 故に、不敵に笑った。紅茶を手にする指先の震えも、なんとか落ち着かせて。


 覚悟の話にはなる。理由は幾つかある、黙認して流して、見ないふりをすれば良い話であった。そうすべきだし、そうしようと後ろ向きだった。だが、リリー公女は気付いていた。


 帝は、父は、誰かに殺されている(・・・・・・)。向き合う、べきだろう。攻略記事で何度も見た『皇帝崩御の真実』を綴る味気ないテキストデータが瞼の裏でチラついた。


 けれど、今リリーの胸を締め付けるのは、公務の合間に自分を抱き上げてくれた父の、革手袋の使い込まれた匂いだ。ゲームの中では、サブイベントを幾つか熟して見付かる文献や、官僚の手記から判明する真実。


 結局の所、リリーはそれを知っていながら父の死を阻止出来なかった。


 その失敗に、無意識的に手が震えていた。


「そうね……、先ずは……セイバー兄様から探りを入れてみましょう」


 リリー公女は、帝の優しい顔を振り切れない。ゲームの中の話、だとか、公務で忙しくも顔を見せに来る人だったから、とか。そうした小さな積み重ねが覚悟を築くのだ。握り締めて、武者震いだと言い聞かせるのだ。


「父上の無念は、私が、晴らします」


 転生者、だからなんだと言う。


 特別な理由じゃあない、父上が好きな娘。


 それだけで、戦うには十二分である。実の兄を疑うのは、やり込んでいたゲームだからか。それとも、幼い頃に見た兄の冷たい瞳を思い起こしたからか、リリーには判断出来なかった。


 話し合いばかりですまないなあ、と思って、元からかと今更気付く作者。


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