公女、応接室にて
時は暫し経つ。
外交官であり、また政界にもその肥満体型を転がした男――コフィレスト・バーゼルはリリー・ド・ヴィクトリアにより政から完全に退散した。立つ鳥跡を濁さず、この言葉は正にあの男の為にあるのだろう。
政界の諸悪の根源、先々代帝より脈々と受け継がれた『風潮』を得意とした官僚共は、支柱であった彼の辞任により破局的な弱体化を辿るであろう事は想像に難くない。
特に、今は繊細な力加減が必要だ。要となるのはリリー・ド・ヴィクトリア、皇位継承権を持った少しだけ変わった女の子である。
「おぶっ……あなた正気じゃないわ」
彼女は現在酔っていた。酒に、ではない。口を手で抑え、帝都公女住まう館に、その身を押し込まれながら。
「おや、当方は命令には疑問を抱かぬよう強制されておりまして」
澄ました顔をし、侍女は規則正しい足音で帝都公女を追い立てる。
「SHAS……なんでこう、う、まだ、だももも……! うぶ!」
青褪めた顔で弱音を言っても、侍女らしからぬ膂力で背を押すキャロには今一効果は薄かった。
「そのようなはしたない言葉遣いは頂けませんね、公女様。お客様が首を長くして待っております、さあさ、おいそぎ下さい」
ぐいぐいと小さな侍女に背を押され、彼女は年相応に抵抗をしていた。学徒のローブを脱げぬままに、広々とした玄関口を進む。
「あなたねえ……! もう! 分かったから、せめて化粧直しを……!」
階段を越え、応接室を目指す。道中には化粧室がある、リリーはその扉を指差していた。
「当方は軍人ですので、心得が御座いませんな」
都合が良い時だけその侍女は軍人に傾く。要望は素気なく却下された公女は、堅物極まる頑固なチビに舌打ちを贈って。出来る範囲で自らの姿を確認する、乱れた髪、衣服は学生服姿のまま、致し方なしと瞬く。
長い廊下を足早に進むのはには当然、然るべき理由や訳があった。客人が来訪しているのだ。この帝都公女が住まう館に、なんなら呼び付けた側となる。キャロルが翡翠の瞳を光らせ、凛と闊歩する公女の周りをうろちょろする。
それはリリー公女が手を回せない箇所の確認と是正、結っていた髪も荒々しい運転で解れていた。いっそ結った部分を解いて櫛を通した方が早く、確実だ。
「髪を解かせて頂きます」
「好きにして、まかせるわ」
短い思案の後、キャロルは淀みなく実行する。背の高さの違いで苦戦はしたものの、数回櫛を上げ下げすれば、髪は綺麗に靡いていた。
そうこうしていれば公女の足音は館の最奥にて止まる。木製の扉を前に、血の気が引いた顔のままで息を整える。特徴的な瞳で目配せすると、全ての是正処置を完了したキャロルが首を振って。
小さな人差し指、先にあるのは公女の顔だ。
「……、……」
青褪めた顔と不満そうな表情のままである。
そもそも、掘り返せばキャロルの運転に問題があった。しかし、そもそもを更に深く掘り返せば公女の思い付きが発端であるのだ。
帝都の端っこにあるアガレス大使館に足を運び、予定をほっぽったのはリリーである。理由の是非ではない、もっと根本の過ちである。人なりを知るキャロルは、故に間に合わせんと精一杯奮闘したのである。であれば公女は背を正し爽やかな微笑を湛え、余裕のある足取りをすべきであった。
侍女の献身に報いる意味もあるのだ。
「公務」
ぼそっとした囁き。
「……」
「……」
リリーは数秒間、頑固なチビめとばかりに目を向けた。ややもすれば、そのチビから放たれた鉄骨染みた眼力に負けて、渋々ながら目尻を揉み解す。改めて、認めつつ不服を公務で押し流そうと駆動させる。
「――ふぅ」
頬を軽く叩いて公務を纏ったその美しい蝶に、キャロルは満足そうに首肯した。
「失礼します、公女殿下が到着なさいました」
キャロルが扉のドアノッカーを叩けば、呼吸一回の沈黙。
「どうぞ」
声を確認し、二人は応接室に入った。アガレスの大使館とは風情が違い、木の温かさある室内にはずんぐりと魔動機の中身が展示されている。金属の冷たさと、柱から滲む温度がせめぎ合って、反発するでもなく落ち着いた空気を作っていた。
公女は歩を迷いなく進め、来訪者の背に『瞳』を翳す。
背は高く、すらりとしながら優雅な曲線。肩程の黒髪は室内の明かりに照らされ、薄っすら緑を帯びている。艶やかな髪にリリーは知り合ったばかりの学友とは違う魅力に気付く。
帝都公女の脳裏に過った母国語の一つに『緑の黒髪』と言う表現がある。美しい黒髪は一言にするには惜しく、その秘めた色合いを切り取った言葉であった。
昔の人々は黒髪に他の色を見ていたのだろう。
「ふん、ふふん、ふふん」
その言葉の由来をリリー公女を反芻して、暫し、様子を見ていた。
本当に綺麗な黒髪だ。展示品を覗き込んで、柔らかな旋律を刻んでいる姿はあどけない印象もあった。鼻歌と合わせて揺れるのは、黒曜石のように輝く長い尾。ゆらゆらする尻尾は、帝都公女も見慣れないものだ。
「お待たせ致しましたわ……、この非礼、謹んで――」
「ええよ、ええよ。それより、これ、魔動機言うん? これをはよ知りたいわあ」
展示しているのは魔動機の中でも珍しくない部類だ。リリー公女の専門ではなく、両手をぐっと固め息巻く侍女の趣味趣向である。
「簡潔に、説明をして差し上げて?」
「はっ。此方は魔動機番号十二、現行の魔導車の原形となります。車体全てを展示出来なかった事は悔やまれますが……心臓部である魔動機構となります」
ぶんぶんっと、小さな身丈が金属機構を紹介する。声は落ち着いたものでも、身振り手振りは忙しない。表情は硬いのに、頬を見れば高揚していた。帝都の旗のような赤さが物語るのだ、非常に嬉しそうである。
「ほお、これが魔導車の……熱動力とは違うんやね?」
異国の衣服を纏った彼女は魔導車の心臓部をまじまじと見詰め、隣で息巻いている侍女に質問していた。リリー公女としては本題を切り出したいのだが、場の空気から察して一歩離れた位置で背筋を正す。
「その通りです、魔石を用いたものとなります。これが、始まりの魔導車なのであります」
「始まり? せやけど、十二号目なんやろ?」
「お客様は、走っていて唐突に爆裂する乗り物を発明と呼べますか?」
「そないなもん……飽きのない乗り物やろうけど、あては堪忍して欲しいわ」
話題に入りたくても入れない、訳ではないのだ。第一に、応接室に設置許可を出したのだから。目的として、なにかしら来訪者の刺激になるような、それでいて金銭ばっかり目に浮かぶような物品でもなく、尚且つ芸術とは違って知的遊戯性もあるような、と考えて魔導車の心臓部なのである。
帝都らしく、それでいて遊び心もある。車体全てを収容可能ではあったが、応接室の主目的である寛ぎを阻害するのでキャロルの意見は切り捨てたのだ。それに、展示する際に態々組み立てた新品だ。
本来ならば油臭さもあるものだ、展示用として油を挿してはいないだけで。キャロルに細かい管理を任せてはいるが、魔導車の歴史にそれなりに精通している自負はある。が、リリー公女は敢えて盛り上がる二人の邪魔をしない。
「この発明を経て、帝都には魔導車が普及しております」
「飛行機もあるんやろ? ほら、えらい綺麗なの」
窓の外を指差したのは、長い尻尾だ。強靭な外骨格に包まれた尾はゆらゆらとして、窓から見える魔導騎兵を示す。
「あれは、厳密には違います。この魔動機関を更に発展させ、小型化したものですから」
「ふうん、そうなん?」
探り、もあった。人なりを判断したいのもあるし、目的が見えていないのでボロを出さないかと若干期待もしている。不意に、鼻を撫でた香り――帝都が誇る茶葉特有の強目なものだ。
目を向ければ、予想通り。白髪の侍女が音もなく、丁寧にラスクと紅茶を用立てていた。机に並べるティーカップから上がった湯気に導かれ、魔導機に食い付いていた女性が振り向いた。
糸目のころころした笑顔は、外交官の見映えの良い態度とも違う。貴族特有の鼻に付く様子でもなく、一番近いのは商人の所作だ。
漂う紅茶に一息を任せて。
頃合いだろう、見計らってリリーは着席を促した。
「帝都の誇るお茶を、あなたも一杯どうかしら?」
「せやねえ、ご相伴になります。せやな……侍女さんらも遠慮せず座りはったらどうです?」
にっこりとした笑顔に裏はあるだろうが、この提案だけは悪意や害意らしきものは伺えない。リリー公女は一瞬悩み、キャロルに小さく頷いた。意図を察したキャロルはそそくさと革張りの椅子を整え、一番端っこに腰を休める。続けて、公女が座した。
対面に少し間を作ってゆったりと身を沈める彼女、異国の気配を濃密に燻らせる人。
傍らに白い姿、最近雇った侍女であった。リリーの目配せに対して気付いていないように振る舞って、キャロルの紅茶も用立てると一歩下がって控えてしまった。敢えて、着席を強くは促さない。それは蛇足でもあって、同時に本題への伏線でもあるからだ。
「ほな、一応の自己紹介しましょか。あてはセグナンスの王文月いいます。翡翠の勇者とも呼ばれとります。今後とも、よしなに」
紅茶の湯気に紛れ、翡翠の瞳がリリー公女を一瞬だけ観察していた。
「私はリリー・ド・ヴィクトリアですわ。気兼ねなく、リリーとお呼びくださいな」
紅茶を手に、一口啜る。それはウェンユェに対して毒は入ってはいない、と示す誠意でもあった。帝都では催した側が最初に口を付けるのが習わしであり、対面のウェンユェはそれを把握しているようだった。貴族社会の暗黙の規定は、長年の陰鬱とした争いが背景にあるのだ。
リリーに遅れ、ウェンユェは紅茶を一口含んだ。ゆらゆらする尻尾からするに、機嫌は良好そうでもある。キャロルのような翡翠の瞳を薄っすら晒して、帝都の伝統ある紅茶を眺めていた。
紅い水面に映る翡翠は笑っているようにも思えるが、真実に膜を張る商人特有のものだ。リリー公女が深く関わりを持たない職種でもあり、なんとなしに覚えもある。
腹が膨れた外交官が見栄を一番にするならば、商人はなにを念頭に面差しに添えるのだろうか。
「リリー公女殿下、どないしはりました?」
翡翠は瞼に隠されて、人懐っこい笑みでころころ笑う。思想に耽るばかりでは相手の思惑通り、公務としてもう一度背筋に気力を注ぐ。
「いえ、少し疲れてしまっていて」
張り詰めた背筋を少しだけ緩め、自然に足を組む。これは公的な外交ではなく、私的な対談だと態度に表したのだ。リリーは蝶舞う目を伏せ、指を顎に添える。
「ほんに、えらいおしはったんやね」
瞼には翡翠の化粧、帝都の様式とは違うものだ。王国でもなければ、帝国でもない。況してや他の国でもない。別の世界、異国の美姫である。紅茶に触れていた唇を離して、もう片手で己の尻尾を撫でる。
その所作一つが蠱惑を宿していた。くらりとする丸みで、夜に揺れる雲のような指先が強靭な外骨格をなぞって。爪がかちかちと鱗に鳴る。漆黒の鱗は魔石照明でじんわりと翡翠を纏っていた。
「単刀直入に、お伺いしますわ」
「……、遠慮せえへんよ?」
「お構いなく」
「しゃあないなあ――」
はっきりと、翡翠が晒された。
隠し事はなし、真っ向から衝突する気構え。高額な物品を巧みに売り捌く商人の瞳ではない、決してそんな日和見であるものか。本質を騙し、重ねた嘘で謀る商人の目玉ではない。縦に走る瞳孔は、帝都で見掛ける竜人種とも一から十まで乖離していた。
奥底から捩れず剥き出しにされたのは、本能だ。捕食者、否、生温い。
我と手前のみ、宣言した通りに実行しているのだ。商人ではない、外交官でもない、これは龍だ。産毛が逆立つのを宥め、息を一つ逃がす。リリー公女の凛とした瞳に舞うのは力強い蝶だ、鱗粉を撒いて舞っていた。
色が移る瞳に、異国の美姫は犬歯を剥くように唇を曲げた。醜悪でありながら人を惹く幻聴と、にっかりとしながら垂れるような湿気が混ざっている。獲物を前に舌を舐めずっているのならば未だ良い、要点を絞れば腹の探り合いを止めた上での挑発だ。
リリー公女の出方を試す素振りは、龍の傲慢か。視界の隅でキャロルが萎縮して、震える手でティーカップを置いた。
「なぜ、『水銀』を私に?」
壁側で控える白髪の侍女は、リリーが知る限り水銀でしかない。二十代前後の白髪女性は稀有であるし、かてて加え紫に煌めく瞳は他に存在を確認されていない。青、緑、赤、金、であれば覚えあっても、結局は珍しい色として人物と共に覚えるものだ。
紫はアイリス。燈火は絶えたと囁かれていても、この数日間、立ち振る舞いからするとそうは思えない。音も連れずにゅっと現れては侍女らしく、そして気付けば姿がなくなる。これでは幻か、妖精の類である。
「そら、商売に決まっとりますわ。帝都の賃金はええから、あてとしても満足してますぅ」
侍女は澄ました顔で、ウェンユェのころころした楽しそうな顔とは正反対であった。




