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帝都公女 参


 オッカム教授が退室してから、すっかり講義室を満たしていた緊張は解れぐったりとする学友ばかり。


 昼時である。


 そも、その蝶が舞う瞳は、映るものの興味の対象を絞っていた。華やかな瞳は一人に向いていた。


「きっと独りで食べる算段なのでしょう? なら、私と一緒に昼食でもどうかしら?」


 そうして、リリー公女は講義室からちらほらと散開する学友を見送って、片目を閉じて茶目っ気を出していた。彼女なりにユーモアを混ぜて取っ付き易いようにした、つもりではある。傍らに控える侍女は口出しこそしないが、にべもなく翡翠の目玉を向けている。


 敢えて言語化するならば『似合わないですよ、リリー公女様』であろう瞳だ。無論、帝都公女は視線なぞ無視して、席に腰を休める彼女を注視する。


「お誘いありがとうございます、ぜひ、ご一緒させてください」


 昼食の打診を受けたレイ・グッドゲームは素直に頷いた。


「今日はお菓子の日なの、糖分は嗜好品ですけれど……あなたは好きかしら……?」


「はあ、お菓子の日ですか」


 二人を観察する翡翠は瞬く、今日も平和だ。それは望ましく、温かい日常でもある。


――――。


――。


 帝都学園、帝の住まう城を改修した巨大な建築物。長く複雑な廊下、数多ある談話室、或いは講義室に設えられた政の場の多さ。帝都学園の食堂は――元々他国との催しをする為の広間を改造した――横にも縦にも広く、椅子と丸い机が広がっている。


 食堂とあっては、専門の料理人が腕を鳴らし毎日の献立を組み上げている。腹を空かせた学徒はこの時間だけは己の身分を取り戻すように、雇い囲う近侍(きんじ)――侍女や執事――に迎えられる。彼等は恭しく世話をし、給仕の代わりを務めるのが通例だ。


 帝都学園の運営は国家である。然し、昼時は公務に含めない風潮がある。私的時間と公務時間をきっちり分別するのは帝都の素晴らしい点でもあり、身分格差を排し切れなかった苦渋の決断でもあった。


 黒い花が微風に揺れる、人目を引く暗鬱な太陽は帝都公女の先導に従っていた。侍女に甘えている学徒は黒いルシアを見て興味を持ち、前を闊歩する公女にぎょっと萎縮する。執事に理不尽に当たっていた学徒は公女を見てからと言うもの、背を正し誠実な労いに切り替えていた。


 そうして、二人の歩みが大きな窓から庭園が伺える一角へ至る頃には、閑散とした空き席の椅子が辺りを占めていた。それは、公女故に。或いは黒いルシアの空気に押し潰されてか。


 侍女であるキャロルは公女の椅子を引き、そそくさと反対側の椅子も引く。それはレイ・グッドゲームに侍る近侍の姿が見当たらないからだった。


「ありがとう、キャロル。ついでに、なにかお茶とお菓子を見繕って頂戴な」


 華やかな言葉にキャロルは肩を竦め。


「なんなりと、当方は侍女ですから」


 皮肉を混ぜて踵を返した。


「……、……」


 レイは窓の外、手入れの行き届いた庭園を眺めていた。リリーも目で追うが、特筆して述べられそうな物はない。あるとすれば花か、木か、噴水か。帝が愛した庭園は未だに管理を一人の老人に任せている。その老いた庭師は木に梯子を掛けていた。どうやら、庭に落ちた小鳥の巣を戻しているようだった。


「あの小鳥の巣は……帝国の旗に掲げられているものですか」


 レイのような黒い鳥だ。


 初代帝が愛した鳥、今では生息域を狭めていた。肥沃な大地は黒に塗り潰え、魔物が地を埋め尽くしている。黒き大地――其処は正常な生物が営みを築けぬ地である。草木一本足りとも黒に染まるからだ。


 嘗て、初代帝が見出した黒い鳥、それはリリー公女には馴染み深い名前であった。


「ええ、あの巣はヴィクトリアのものよ。ガブ爺……いえ、庭師が丁重に扱う理由をご存じかしら?」


 机に肘を突き、窓から伸びる陽光に目を細めた。


「国旗、だからですか」


「いいえ、違うわ。ヴィクトリアは生きているからよ、賢明に……」


 庭師が巣を枝の窪みに戻せば、遠巻きに羽ばたいていたヴィクトリアが旋回を止めて近付こうとしている。梯子から退いて、頭に被るキャスケットを直す老人は何処か誇らしそうに巣を見上げてから梯子を小脇に抱えた。


「賢明、ですか」


「ええ、とても……懸命よ。人の手が届く所へ巣を作るようになって、ヴィクトリアは種を繋げているの」


 リリーの目は庭師に向いている、少し憂う瞳だ。


 庭師の彼が離れれば、巣の中で丸まっていた雛は親を求めて鳴く。窓の隔たりがあっても、耳を澄ませば鼓膜を震わせた。親鳥はその美しい翼を広げ、脇目も振らず巣へと身を滑らせる。緩やかな嘆息、それはリリーのものだ。


「集国からの渋茶と、帝都名物、蜂蜜菓子です」


 穏やかな時の隙間を縫ってキャロルが配膳を始めた。ティーカップから揺れる湯気は独特な香りが漂い、リリーは一度会釈し。


「奇を衒うのはあまり良くないわよ……」


 リリーは渋い茶が苦手だ。集国は帝国より複雑な多民族国家である。趣味趣向も多様で、公女とて全てを受け入れられるかは別問題であった。渋さも強く、香りはやや独自の癖がある。蜂蜜菓子の丸い甘さにはフルーツを用いた定番の紅茶が合うものだ。


「渋いものが合いますから、なによりも、健康によいかと」


 皮肉でもなんでもない、キャロルは良かれと思って選択したのだ。他の品々は身丈の高い近侍に占領され、人気が薄い品を持って来たのもあった。敢えて詳らかにする必要はないが、リリーはキャロルのそうした隠し事をなんとなく察してはいる。


 キャロルは軍人だ。他の近侍と違って教育を受けてもおらず、舐められている部分があった。直接的な問題にはならないにせよ、根深いものではある。他の学徒が連れている近侍はカフスやスカーフの留め具なり、主から贈られた宝石を身に着けている。


 正式な近侍としての徽章とさえ言える物であったが、キャロルにはない。侍女服一つでも国が違えば様式は変わるものだ。スカート丈が膝まで切られ、フリルが多い。髪留めに当たるヘッドドレスもアガレスで用いられるモブキャップではない。これは近侍も主を飾る一要員として捉えているからで、キャロルもまた愛らしい姿であった。


 唯、他の侍女のようなお淑やかな立ち姿ではない。足を揃え、背筋に鉄骨を通し、背で腕を組む。どう見ても訓練された軍人だ。頭に被るべきはふりふりのヘッドドレスではなく、磨かれた軍帽であるべき振る舞いである。その姿を是正する声はない、何故ならばリリー公女が認めているからだ。


 キャロル・ヴェンデッタの翡翠の瞳は幼さに反して異常に鋭い、手袋に隠された指は傷跡が消えないのだろうとさえ勘繰れる程に。


「まあ、あなたはそうよね……、レイは構わないかしら」


「お構いなく。出されたものは毒でも皿まで食べるのが生き様、と、友人が口煩いものでしたから」


 凄く渋い茶を啜り、レイは眉一つ動かさない。


「そ、そう。少し変わってらっしゃいますわね、あなたのご友人」


 キャロルの気遣いでジャムはあった。スプーンで掬い、渋い茶に投入しつつリリーは苦く笑った。


「私もそう思いますが、粋、と言うものです。私の友人は罠に喜んで飛び込む方なのです」


「それは、どう……いえ、勇ましいのでしょうが……」


 一度茶を啜り、ジャムを追加する。二回目である。


「勇ましい、とは違うと思います。彼女は、相手の策略を力で潰す工程にこそ価値を見出していますから」


「……そ、そう」


 茶を啜り、ジャムを追加する。三回目となる。キャロルの翡翠はなにも語らぬ。


「……?」


 レイは不意に紅茶から目線を上げた。リリー公女はどうしてか甘いだけの茶を啜りながら視線の先に向く。広間は様々な学徒を収めるだけの十二分の奥行きを持ち、加え二人の異彩は近場を閑散とさせていた。公的な場にあって私的な空間を占領していたのもあり、学徒の喧騒とは無縁である。


 これは学徒が疎遠に立ち回らんとした結果で、リリー公女が悪名に馳せる令嬢であるからではない。寧ろ逆、慕われ敬われた結果だ。孤高、その二文字が当て嵌まるだろう。時に、二人の孤高が関心を持つとすれば相応な不可解が発生した事を言外に示すのだ。


 要約すると、二人の会話を遮って一人の学徒が立っていた。窓辺で陽を受ける二人は優れた画家の作品のようで、安直には犯し難い神聖さがあった。その物事の機微を知ってか知らずか、爽やかな男子学徒が立っている。


 レイがなにかを口にする前に、リリーは特筆すべき瞳が定める。然り気なく彼女は口に指を添え、レイの出番を挫いた。


 昼時であれ、帝都公女に謁見するとなれば公務である。


「そう畏まらないでくださいな、あなたと私は学友なのですから。それで、なにかご用でも?」


 学徒は底冷えするような声に、瞳に踵を浮かせる。ぐっと、視界の隅で握られた拳を一瞥してリリーは紅茶を優雅に一口。


 失敗した。


 紅茶は壮絶に甘い、想定していた甘さではない。舌に絡み付く砂のような感触はジャムを投入したにも関わらず、無意識で砂糖を追加した為であった。


 砂糖が溶け切れず底に滞留していたが、気にもしなかった一口に砂糖の塊が雪崩れたのだ。リリーの公務を貼り付けた顔が一瞬揺れ、目尻が僅かに痙攣する。傍目では学友との心休まる一時を無為にされた怒りとも捉えられるだろう。


 確かに、礼節の通った語り口を意識はしたのだ。問題は紅茶で、動揺を隠さんと感情を押しやった事。要因の一つ目であり、次に、二つ目。ちょっとだけ嫌な感じだと瞳を曇らせていた。思い直し、なるたけ早く目線を外した。


 『あなたを見たくもないわ』と捉えられる状況であった点、この二つが壮絶に重なって学徒は萎縮した。


 リリーがしまった、と勘繰った際には手遅れ。学徒は気を許す学友としてではなく、公女と貴族で分割された。


「……、……っ」


 ローブの端を握り手汗を拭って、公的な場に様変わりした不安に緊張をしている。リリーは紅茶を一啜り、口内で静かにスラングとワルツを披露して。


「……発言を、許可しますわ。なんなりと、あなたの意を謳ってくださるかしら」


 紅茶の水面で揺れる己の瞳を見据え、リリーは学友ではなく公女として振る舞いを切り替えた。詮なき事ではあるが、本意ではない。新入生のレイに現場を見られたのも、また対面するのも年頃のリリーには嫌なものだ。


 それはそれとして、リリーなりに配慮して気を配るのは彼女が本質的に理解していたのだろう。瞳を伏し、陽に照らされた公女へ学徒は恭しく礼を通した。


「有り難き幸せ。私は……フェルドー家の長男、ロー・フォン・フェルドーと申します」


 肩に掛からない程の赤髪に、穏やかな灼眼。溌剌としつつ義を貫く精悍な顔立ちは印象に強い。フェルドー家は代々優れた魔導師を輩出している、その長男に悪い噂はない。熱心で誠実、思い付きで浪漫に走るオッカム教授に振り回されている様子は馴染み深くもあったか。


「フェルドー……長男となれば、あなたは次期当主ですわね。隣接していたのは……そう、集国ではなくて?」


「はい、恐れながら。私の父は辺境伯の位を帝様より賜っております」


 火を纏う眼も、色合いに対してとても落ち着いている。


「集国は多部族連合国家、御せぬ者達も多いとか……?」


「はい、国を興さんと侵犯する愚劣な蛮族めには苦心もしております。ですが、フェルドー家の威信に誓って帝都にはエーテルの残滓すら漂わせは致しません。子々孫々まで、必ずや」


 鍛えられた拳をぐっと示した。拳に掴むのは誇りであり民の安寧である自負。


「……、そう、あなたの忠義は分かりました。それで、あなたの用件は?」


「私は、この学園で生徒会と呼ばれる管理組織に属しておりまして――レイ・グッドゲーム嬢の……宿に関する話で相談がございます」


「……、私の宿はありますが」


 レイは小首を傾げた。


「失礼、グッドゲーム嬢。アガレス王国の大使館は、その……通学の便が悪いと耳にしまして……」


 ローは公女をちらりと見た、不敬かも知れないからだ。ローの要らぬ思慮も公女は気に留めてはいないようだった。


「あなた、大使館から学園へ?」


「はい、初登校になります。凡そ二時間ですね。交通は路面電車を活用しています」


SHAS(うそぉ)……失礼、今のはお忘れなさってくださいな。その、それは……早急に改善しなければならないわ。私としても見過ごせないわ」


 公女は眉間を抑えた。体裁とか最早どうにでもなれとばかりに机に項垂れている。


 大使館から、となると帝都の最も端だ。


 先々代の帝の嫌がらせでそのような立地になったが、通学を加味すればとても宜しくはない事態である。路面電車を使用した費用は誰が払うのか。使者であるレイ・グッドゲームに対して、品位を疑う帝都の無礼がこうして明るみに出た以上は対処しなければならない。


 ロー・フォン・フェルドーの懸念は公女にこそ刺さった。まさか、帝都の誇る外交官が私情で大使を無碍にするとは考えてもいなかったのだ。成る程、ともリリーは納得もしていた。侍女の一人も連れないのは明らかに可笑しいのだ。


「あなた、ちょっと案内した帝都の文官を覚えてらして?」


「はい、我が国の大使館で接待しているかと」


 レイは頷く。


「そう。ロー・フォン・フェルドー、あなたは素晴らしいわ。後は私が受け持ちます、下がりなさい」


「は、はい。御心のままにっ!」


 リリー公女は背筋を正して断言する。そして行動は迅速だ。


「キャロル、その外交官の資料と、帝都一速い魔導車の用意をお願い」


仰せのままに(ユア ハイネス)――午後の講義はどうなさいますか?」


 キャロルは懐から取り出した本に大きく線を引く。是正措置を済まして、ぱたりと閉じれば、なにやら幾分かわくわくした面持ちだ。


「答える必要はなくってよ。これは私への宣戦布告に相応しいわ、法定速度など――G´IS(クソ喰らえ)!」


 ロー・フォン・フェルドーは後日語る、その勢いは正に――背筋の筋肉が引き裂けるような――衝撃であったと。

 ユアハイネスについて。冗長になり過ぎるかなと思い直し、敢えて造語にはしていません。まあ、こんな感じの意味合いだよと伝われば良いなあと。


 すみません、一部誤字がありました。

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