表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/85

帝都公女 壱


 ――ガシャアァン――


 鋭い音、決して重たくはない。薄く硬いなにかが粉砕する音色に混ざって、妙に透き通った声が連なる。


SHAS(クソ)ッ!」


 主張の強い凛とした声ではあるが、何処か幼さも残していた。


 声を荒げ苛立ちや動揺を隠せず――組んだ腕を解いては顎に添えて、暫くもすれば腰に手をやって――その数歩の距離で旋回を続ける。


「あの、リリー公女様……?」


 苛立ちをこうも晒しながらも足取りは規則正しく、ピンと糸張る背筋。その一連の所作は機微を識る者ならずとも、厳格な生立ちが伺えた。


「どうしてなの……? 可笑しい、納得できないわ……!」


 茶髪を掻き上げ、ぶつぶつと呟きながら。その特徴的な瞳を揺らす。内で渦巻く困惑は大うねりしているものの、ややもすれば明確な理知を灯しつつあった。


「リリー公女様……? 聞いておられますか……? お召し物が汚れてしまいますよ」


「――いいえ、それは有り得ない、あってはならないわ。そうなっているとしたら、私は」


「リリー公女様……? 割れ物がありますよ、ほら、止まってください」


 再三、リリー公女に呼び掛けた侍女がぱたぱたと駆け足で止めようと主人の前にひょっこり身を向ける。それは侍女なりの気遣いでもあり、身分の違いを理解していても主人の利なり得たれとした忠義だった。


「わきゃっ!?」

「あふっ」


 物思いに耽って前が見えてない側からすれば、丁度視野に入らない位置に飛び出して来たようなもの。常ならば身丈の差で侍女こそを押し飛ばすのだろう。この時に限っては侍女とは思えぬがっちり根の張る体幹が災いし、リリー公女は見事、素っ頓狂な声と共に仰け反ってしまった。


 リリー公女がばたばたしていれば、するりと影は寄り添って。


「――偶にはリリー公女様も庭園を楽しみませんと、もったいないですよ」


 ちょっとだけ皮肉をあしらった言葉。ふと口元に手を寄せ、反芻しつつ。


「――あら、なかなかに辛辣ね。でも、そうね。ありがとう……助かったわ、キャロル」


 手を取り、転倒だけはなんとしても防いだ侍女、キャロルは胸を撫で下ろしている。まるで手間の掛かる赤子を見やる目付きにリリーは口を噤み、強いて噛み付きはしなかった。代わりにキャロルの円な翡翠を見やるのだ。


 煌めく瞳に映るのは、照れ隠しからか髪を手櫛で整える誰かさんが反射している。気付いて咳払い、なんにせよリリーとしては気持ちを切り替えねばならなかったからだ。


「もう……このティーカップはハンニバル様からの品ですよ……?」


 責める口振り。くすんだ癖っ毛の金髪を見下ろせば、床に散らばったティーカップに手を伸ばしている最中。素手で触るのは危険だと制止しようとも口から出る間際、それよりも好奇心が僅かに上回る。


「キャロル――そう、報告。話の続きをお願い、ねえ、良いでしょう?」


 割れたティーカップに目配せし、キャロルは渋々肩を落とした。そもそもの話にはなるが、報告を耳にし信じられずに震え、公女がティーカップを手から落としたのが始まりだ。


 ――公女たるもの動揺を簡単に晒すなぞ恥ではあるのですが、それはそれ、これはこれでしょう――脳裏に走らせキャロルの報告を好奇心を推進力に先決する、それがリリー公女なりの挽回の仕方。


「もう一度、おっしゃってくれないかしら? 聖女様が、どうなされた、と?」


 キャロルの若干引き攣った表情を敢えて流し、問い質す公女様は嘸や良い笑顔に違いない。


「ですから、魔王です。魔王だったんですよ、リリー公女様」


「あの魔王……?」


「他にないですよ、魔王に。魔王が一杯いるなんて勘弁願いたいですけどね、当方としても」


「まあ、そうよね……。もし……もしもなのだけれど……?」


 部屋に香る紅茶の余韻を見るように、蝶が羽を広げたような瞳が揺れる。キャロルはその様子から薄々は察したが、なにかの間違いだろうと楽観しようと試みる。


「……、なんですか? 思い付きで当方を振り回さないで頂きたいのですが……近頃慣れつつあるのでとくに」


 その第一歩は言葉による牽制。否定の言葉を下さい、と言い換える事も可能だ。


「失礼ね、まるで私がワガママみたいに」


 キャロルの斜め下から突く言葉に目を細めた。特徴的な瞳はその些細な変化で色彩を豊かにして、部屋に入り込む朝日を反射していた。奇妙な話、キャロルは主人である公女の瞳の色を表現する語彙を持たない。『特徴的な瞳』だと改めて思いながら肩を竦める。


「他意はありませんとも、当方は軍人ですから?」


「今は私の側付きよ」


 是非もなし、キャロルの小さな肩が上下する。リリー公女は続けて。


「あなた、勇者には会えたのよね?」


「ええ、聖女様にも会いましたとも。なんなら当方は――四階はありましたかね――窓から聖女様を投擲しましたので?」


「なにしてるのよ、聖女様に」


「緊急事態でしたし、なにより、正体が魔王でしょう?」


「キャロルからしても不自然な点はなかった?」


「あり、ませんね……? うーん……信じられないのは当方もです」


「じゃあ、これはなによ」


 小脇の書斎、其処から一枚の号外新聞を引ったくるようにしてキャロルへ突き向けた。キャロルは見出しをなぞり、肩をまたもや竦めるのだ。


「アガレス王からの声明ですね、厳密に言い直すなら――勇者により真実は暴かれたっ! 望むは聖女奪還っ!――ですね」


 ちらりと見出しを見る、後半は小さく書かれているようだ。


 この世界に招かれた『勇者』の一人が魔王を討ち滅ぼした、つまりはそんな内容だ。『魔王』は強大である以上に『死』を超克している。先代勇者が討ち滅ぼしたのも確かであり、同時に討ち滅ぼせなかったのも事実。


「相変わらず細かいわね、あなた」


「侍女である前に、当方は軍人ですから? 螺子の一つが見付からないと夜更けになろうと眠れないものなのです」


「そうね、そうだったわね。まあ、良いとして……。そうなると……私が送り付けた手紙は不利益になるかしら……?」


 問いではなく、自問である。手にした号外新聞なぞ意識から抜けて思考は未来へと移る。


 助力を願った経緯はどうあれ、現在の状況では下手に勇者と関わるのを避けたいのが本音である。時期として、もう遅いからだ。公女が手紙を出して早数週間、この手にある号外も一週間遅れと噂程度に耳にする。


「私……大丈夫かな……、やっぱりバグ(・・)ってる……?」


「はいはい、そうですね公女様」


「なんにも分かってないでしょうに、相槌だけ上手いわね?」


 皮肉を返してみる。


「そうでしょうとも、当方、分かっております。ええとも」


 キャロルの選択は思考放棄だった、この短くも長い付き合いで学んだ対処方法だったからだ。


「……適当ね、ほんとに。私はあの(・・)リリー公女よ?」


「はあ。存じ上げておりますよ、公女様」


 本当に分かっているのか、疑わしいとばかりの目に澄ました顔でキャロルは答える。


「……まあ良いわ、納得してあげる。私は公女様なんだから」


 それはリリー公女からすれば呪いなのだろう、キャロルにだけ見せる年相応な態度はどうにも噂の『リリー公女様』ではない。


 彼女は瞳を横に逃がした、別段後ろめたくて目を反らした訳ではない。特筆すべき瞳の先にあるのは特別でもない窓。帝都の景色を切り取って提供する書斎は馴染み深くなっていた。積まれた書類は異常な量ではないし、新聞だって混ざっている。


 キャロルが公女の目線を辿っていると、鼻腔を擽る仄かな花。発生源を探って両者の瞳が動けば、丁度紅茶が染みる床ではないか。なにより、普通ならば見る機会のない白髪の侍女である。


 割れたティーカップを片付ける所作に音はなく、見るまで気付きもしなかった。驚きはあってもキャロルとリリーが見慣れつつある風景の一つである。二人の視線に気付いて、帝都式の侍女服を纏う彼女は新底に不思議そうな顔で首を傾げた。


「なにか?」


「あなた、いつから……」


 いや、とリリーは口にしている最中に続けるべき台詞を否定する。


 彼女はある日突然現れた。小さな子供が入るかも知れない鞄だけを手に――アガレス王宮式――侍女服姿で、ご主人様求む、と追記するようにだ。


 その際に帝都公女が陥った困惑は計り知れず、とある勇者ならば『フィボナッチ数列っぽいよね』と表現するのだろう。


 続けて『ほら、1、2、3,、5、8、13、21、34、55、89、144、233、377……みたいな? 分かるかな?』と訳の分からない事をほざいて有耶無耶にしようとするのだろう。


 帝都公女の場合は簡単だ。


 色々な要素が重なって信用と信頼が可能な人材に限りがあるので、始めから雇わない選択肢はなかった。選択したのは紛れもないが、片方がYESだとしてもう片方がNOである保証はない。是非を問われ択を迫られるも選べない事態、そんな風に矛盾する世の中だと知ってはいても、帝都公女はスラングを口中で跳ねさせる。


 選択の余地がないのであれば、それは選択であるのかは甚だしいものではある。然し重ねて、必ずしも悪いとも限らない。


 過って、公女は唇をキュッとしてスラングが出ないように配慮した。その小さな変化を二人の侍女は見逃しはしない。片やそこそこの付き合いの長さから、片や表情が薄い相手に慣れているから、と両極端な経験値が応えた形ではあった。


 最初に沈黙を破ったのは帝都公女だった。


「――いえ、それよりも。今日の予定はどう?」


 優先すべきは他にある。横に控えていたキャロルが懐から手帳を取り出し、多忙な公女の予定を振り返る。


「本日は学徒として振る舞って頂くほかに、かねてより仰っていた勇者との場が整っております」


 キャロルは侍女として、また秘書のように公女を支えている。年月で言えば短くも長い期間、数年程度。本来、公女となれば付き人や公務の殿回りと言う役職を侍女一人に任せるものではない。帝都に存在する貴族であれば常に侍女を数名引き連れていなければ寧ろ品位を疑われるのだが、帝都公女のリリーからすると信用し信頼出来るのはキャロル位なのだ。


 となれば必然、キャロルの仕事量も倍増する。キャロルの担う仕事には大別し身辺警護、身の世話、公務補助とある。別々の鍛えられた人材を雇うべきだが、そうはならなかった。


 割れたティーカップを片付ける白髮の侍女も一週間前やっと雇った程に公女は身の回りを固めるのを毛嫌いしている。キャロルが耳にした話では当然の理由と納得はしているものの、仕事量の苦言はどうしてもあるものだ。無論、公女の人なりを今となって完全に理解したので、今更文句を口にはしない。


 第一に、帝都公女には敵が多い。


 広い館、その執務室に目を向けてキャロルは反芻する。毅然と振る舞う公女は未だに十六歳、大人であり子供だ。


「黄? それとも赤?」


「そのように変な呼び方をするの公女様だけですよ――えっと、翡翠の勇者様です。ああいえ、失礼を。ウェンユェ様ですね」


「そう……」


 顎に指を沿わせ、公女は思案を巡らせている。端から見れば上の空のようでもあり、その実忙しない。喜んでいるのもあるし、時期の問題も無視出来ない。対談の形にはなったのを単純に万歳出来るならばそうはならなかったが、じゃあ嬉しくないとも断ぜず、唸りばかりが増える。


 しかも翡翠の勇者が相手だ。本来のシナリオ(・・・・・・・)ならば、有り得ない展開だった。第一に、勇者召喚は三国列強――帝国、法国、集国――と王国が行うものだ。


 なにを間違えて(・・・・・・・)王国が全員召喚しているのかは定かではないものの、黙りを決め込むばかりの法国が活発化し、集国は逆に怪しい程に影を薄めているのが現状。逆に帝国は他国に出遅れている、ドタバタを狙い澄ましたかのような巧妙にして絶妙な時期であったから。


 帝都公女はその特殊な目を細め、ややもすると。


「制服の用意をお願いするわ」


 凛々しく口にした。それは帝都公女が学徒であるから、それとも気合を入れなければならないから、か。


 どちらにせよ、物語は今宵も動き出す。


 それは壊れたままでも動ける誰かの所為で。


 それはズタボロでガガンボみたいな心をした誰かの所為で。


 でも、それはきっと平和な物語の始まりだ――。

 始まるぞー!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ