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珍しい青の靴。



 シルトの教会は限りなく無傷に近い状態で現存する。これは他の建造物とは全く違う原理で建てられたからだ。曰く、先代勇者よりも前にこの教会はなかったのだと。途方もない昔からあるらしいけれど、アガレス王国のみならずこの大陸『アースウェル』に点在する教会はレイちゃんが造っている。


 少なくとも新たな教会を建設する流れもなく、現存する教会は例外なく同じ造形だ。椅子なりなんなりは別にしても、大まかな形は変わらない。その理由は先代勇者が願った『平和の実現』であったそうだ。


 先代勇者が召喚された時代は不毛の地であったらしい。長い戦争がそうさせたのだ。大地と気候を歪に曲げて、人は絶滅に追いやられたのだ。至る所から溢れる黒波に押し潰されて、人同士で馬鹿みたいに共食いして。それは相当に凄惨であったろう。


 先代勇者の願った平和は叶ったと思う、少なくとも絶滅していないのだから。


「……どうして、ゆうしゃさま……?」


「……、……」


 袖を掴まれて、僕は立ち止まっていた。いや、立ち竦んでいた。


 あゝ違う、直面しちまったのだ。


 先代勇者を引き合いに出してまで現実から逃げていた。


 先代勇者は勇者(・・)だ。なら、こんなにも立ち眩んだ僕は勇者(・・)であろうか。


 解は決まっている。


「ゆうしゃさま、なんで、こたえてくれないの……?」


 怪我こそ、ない。年端も行かぬ少女は、その碧眼と小麦の髪はアガレスの民だと分かる。赤い頬に、簡素なワンピース。青い靴は親から貰ったのだろう、新品なのか宝石みたいだ。


 ちょっと此処らでは覚えのない珍しい意匠だ、まるで――そうだな。


「ゆうしゃさま?」


「……、……なに?」


「ゆうしゃさま……なんで……? どうして、きてくれなかったの……?」


「……、……そうだね。僕は、他の勇者とは違うんだ」


 その場に屈んで、僕は女の子と目線を合わせた。そんな行動を、そんな姿を、こんな事を普段通りの僕はしない。きっと、目線を合わせるなんてしない。受け止められないから、流して、流れて、見透かすだけ。


 女の子は泣いてはいない。泣きそうな顔でもない。真っ白な僕を『勇者』だと信じているだけだ。


「どうして……? ゆうしゃさま……?」


「……例えばそう、君は僕がどうして居なかったか分からないんだろうね。それは、遠かったからだよ」


「でも、おうじさまはきてくれたよ?」


「……、そうだったね。うん、そうだ。僕は……」


 なんで僕は言い訳を考えている?


 方法なら幾らでもあった(・・・)。選択したくなくて、流されて、甘んじていたのは僕だ。曖昧にして、どっか馬鹿にしてたんだ。異世界ってのを、馬鹿にしてるんだ。目の前を現実(・・)だと信じずに、()みたいに馬鹿にしてるからだろうに。


 世界を救う、とか。誰かを助ける、とか。後ろに括弧を付けて、笑いを含めて、馬鹿にしている人間だからだ。どれも、これも。僕が招いた現実(・・)だ。


 なら、そんな僕がどんな言い訳して、どんな嘘を吐いて、どんな面をすれば良いってんだろう。表情なんて作らない、表情なんざ作らない。誰かとの関わり方を見失った僕に、軽々しく関われる程に誇れない。生き恥を晒して、世間にずっと指差されて、集まる目に目眩がして。


 そんな世間に酷くつまんない顔で、少し顎を上げて、見下ろすように僕は視線を向ける。


「ゆうしゃさま……わかってるの。ほんとは、きてくれたって」


「……、うん」


 目線を合わせたから。ヤンキーみたいに屈んだから。前に下げた手を小さな手が握った。女の子の体温を鮮明に感じる、指先に鼓動が伝わっている。


「ゆうしゃさまは、まいにちすごく、たいへいそうなの」


「まあ、そう言う意見もあるよね」


「だって、みんなのごはんとか、おうちとか……」


 手を握ったまま、きょろきょろ見渡していた。此処は教会の近く、帰る場所を失った人々が暮らす臨時住居(木と布のテント)が犇めいていた。僕が用意したものだ、書類に承認して、足りないなら会議して、色々に交渉して、掻き集めた物だ。


 僕が手を回さなくても、何処かの誰かがやっただろうけれど。


 教会前の大通りは臨時住居ばかりで、隙間を縫うように小さな子供達が駆けている。遠巻きに僕を伺うのは、それなりに齢を重ねた人達だ。単に気が引けるのか、女の子のように近付いては来ていない。


 あゝそうじゃないな(・・・・・・・)


「ゆうしゃさま、ありがとう……」


「……、どうも」


「でもね……、でも……」


 手は冷たい、僕の手は感情の隆起はない。心肺も女の子より小さくて、緩慢で。


「どうして……」


 ぐっと。地面に顔を伏せた。女の子の肩が次第に揺れて、ゆっくり僕に戻る。目尻に涙。流れる間際だ。


「おかあさんかえってこないの……?」


「……君、名前は?」


「わたし……るーし」


 ルーシ。


 僕は膨大な数の書類を呼び起こす。女の子の身形を注視する。アガレス王国で多い小麦の髪、透き通る碧眼、手首に巻いている飾りはミサンガのようだった。あの飾りは、確か。


 そうだ。知っている、僕は知っている。シルトの民間伝承だ。海に繰り出す者が多い海運都市シルトにある、お呪い(まじな)だ。はは、呪いとは笑える。本当に。


「ルーシ、君の名前はルシアから来てるんだろうね。きっと君の親御さんは……」


 あゝ違うな、これは違う。


 そうじゃないな。


 僕はなにをほざいている?


 気付いたから、女の子の不思議そうな顔を確りと見据え直す。現実を直視する。鮮やかで、艶やかで、目玉が痛くなる目の前をちゃんと見る。


 ルーシ、有り触れた名前だ。ルシアに因んだ名は珍しくはない。


 だが、手首の飾りは漁師や海運都市ならではの、海商関係者が身に着けている場合が多い装飾だ。


 親と子で左右別で、揃って初めて価値が生まれる。揃わずやっと、意味が生まれる。


 右手に通されたミサンガ。


 つまり、親は左手にミサンガをしている。海商関係者、或いは漁師関係者。でも、女の子が探しているのは母親だ。となれば、力仕事ばかりの漁師の線は薄い。


「……、君の親御さんだけど、念の為に確認しても良いかな」


 海商関係者。女性。女の子は見た目、舌っ足らず、身形からして十代ですらないだろう。推定八から九として。


 アガレスの結婚、出産に至るまでの年齢平均は日本より低い。統計からすれば親は二十代前半だ。


 二十代前半。

 金髪碧眼の女性。

 左手にミサンガ。

 海商関係者。

 娘はルーシ。


「……」


 特定には十二分だ。十全だ。


 海商関係者は身元書類を確りと管理し、提出している。行方不明者の数だけじゃない、名前も分かっている。個人を特定出来るだけの、身元判別が可能なまでの情報がある。人相書類を、僕はさも当然の如く覚えている(・・・・・)


 忘れてない(・・・・・)


「君はルーシ・ソレスアちゃんだね」


「うん、そうだよ……?」


 女の子は僕が家名を口にしても、理解しなかった。一度足りとも君は口に出さなかった(・・・・・・・・)癖に、未熟で幼くて気付きやしない。


 僕が口走った言葉に、遠巻きで伺っていた老夫婦がはっとした顔をした。次に口を開こうとする僕を見て、思わずと言った素振りで手を伸ばしている。


 でも、僕は躊躇いなく口に出せる。幼い女の子に嘘は吐かない。そっと肩に感触。見るまでもない、ずっと傍らに控えていた聖女様しか有り得ない。


「お母さんはフィーアだね?」


 右肩、がしっと掴まれた。


 金属の感触、鋭い感触だ。強く握っているのだろうか、だから、なんだってんだ。洗礼服はこんなもんじゃ破れやしない。傷付きはしねえ、こんなもんじゃあ『先代勇者の服』は壊れない。


 カライト聖女。


 お前は僕に刹那的で、最も屈辱的な台詞を吐かせるつもりなのかも知れないけれど。


 図に乗るなよ聖女。


「君のお母さんはね、死んでた。見付かってるよ」


「……っ!」


 右側から息が詰まる音がする。より、一層右肩に圧力が増した。女の子、ルーシは言葉尻だけを捉えたのか一瞬花が咲くような顔をして、顔をして。


 そうならないように、態々そうした僕に。言葉を簡単にして、順番は間違えずに言った僕に。


「死んだんだ。お仕事をしてたんだね、海にお母さんはいたよ」


「……おかあさんは、いいものあつめてたの」


「うん、知ってるよ。君のお母さんは海商だ。そんな君のお母さんは……昨日だ」


 手を取るルーシに、僕は笑わない。笑顔も作れない僕は、温かい声すら作れない僕は、平坦に淡々と指摘出来る。


「ルーシ、君はお母さんを見てるよ(・・・・)


「……ちがう」


「違わない、見た筈だ(・・・・)


「ちがうッ!」


「いや、会った筈だ(・・・・・)


「ちがう……ちがうッ! ちがうッ! ちがうッ!」


 僕を平手で、ばたばたしている。叩いているのは僕の腕。洗礼服を貫通しやしない打撃だ。


「そうかい、そうだな……まあ、そうかもね。良いんじゃない? それでも。僕は咎めないし、間違いだとは思わねえさ。でもね、ルーシ。変わらないんだよ、そうやっても現実(・・)ってのは」


「ちがああぁうッッッッ!」


 耳鳴りがする程に高い声だ。声変わりしてないからだ。


「うん、思い出して来た――フィーア・ソレスアの死亡報告書類に目を通した感じ、死因の推定は頚椎の骨折だ。頚椎って七つあって、五から四番目を折ってたみたいだな。だから、肺の中にあれだけ水が入ってたんだろうけど……」


 ロスウェルが墜落した衝撃で、塵のように吹き飛ばされたに違いない。


 背中側から衝撃を受けた、或いは首に飛来した物体が激突したに違いない。そのまま陸から押し出されて、海で溺れている。


 最悪なのが、脊椎骨折の原因だろう外傷、打撲傷しかなかった事だ。


 要するに、フィーア・ソレスアは藻掻けずに苦しみ死んでいる。


 人間の身体は、可動するには電気信号が不可欠だ。その電気信号は脊椎の骨折と共に自律神経系を切断され断絶され、絶縁されてしまったのだ。


 碌な死に方じゃあないな。


 呼吸系は生きていたのだろう。手足の怪我もない、爪も剥がれちゃいないし、素足だったのに怪我はなかった。


「……待ちなさい、それは……それ以上口にしては」


黙ってろ(・・・・)神来社 字(・・・・・)今、俺が話してる(・・・・・・・・)


 日本語でぶん殴れば、びくっとした手が離れた。震える彼女を他所に、僕はルーシ・ソレスアを改めて見透かす。


「君は此処で、天に葬送される姿を見ている。加え、君のお母さんは間違いなく死んでいる」


「ち、ちがう」


「君のお母さんの死因は溺死だ」


 泳げず、息は出来たまま。海に放り出されて、海底に。


 その時に、フィーア・ソレスアはどんな景色を見ただろうか。


 キラキラした水面は、遠かったろう。


「君のお母さんに罪もなければ、罰も受けちゃいない。でも、苦しんで死んだ」


「……、……うぅ」


「僕の所為だな。僕がロスウェルを墜落させたから、だから、ルーシ――君のお母さんは、僕が殺した」


「……、さない……」


 凄く小さい声だ。殆ど息遣いと変わらない。声が音を成していない。だから、聞き取れない。汲み取れない。


「ゆるさないぃッッッ!」


 叫びは最早、衝撃だった。


 僕は、すかさず立ち上がった。顔を引っ掻かれたくはないし。


 遥か真下に、右足に抱き付く小娘を見る。


「あああぁあああッッッッ!」


 僕は、小娘を酷く億劫に見る。足に絡むルーシ・ソレスアを澄ました顔で俯瞰する。


 勇者(・・)ならば、そうはならないのだろう。


 僕は君の勇者様ではないから。


 思いっ切り足に力を入れて。


 抱き付く子供を、ほぼ蹴るように。


 ぶん投げるように。


 容赦なく、躊躇なく。


「邪魔」


 放り捨てる。


 矮躯が空中で回っている。


 当たり前だ。


 僕の膂力だ、本気で蹴り投げたのだ。絡んで、抱いて、足を離さないのだから。足を本気で振って、解いて、当然急な動きに小さな手が掴まり続けられる道理はない。


 地面を跳ねて、ゴロゴロして。遠巻きに見ていた老夫婦に突っ込んだ。ちょっとした騒ぎだ。


 僕は、息を切る。ポッケに手を突っ込み歩き出す。もう、目を向けない。構わない。


「貴方はなんてことをッ!?」


 咎める声。神来社字だ。慌てた様子で駆け寄っている。


 周囲の目を、集まる声を、僕は聞き逃さないし見過ごさない。


 そんなに器用じゃない。


「勇者じゃない」

「勇者様どうして」

「わざとだろ」

「人の心がねえのか」

「蹴るこたぁねえだろ」

「大丈夫かい」

「あんたぁ、ようやっとるよ」

「勇者」

「勇者さま」

「勇者さん」

「勇者」

「ゆーしゃ」

「勇者様」


 僕は勇者様じゃない。


 だから、もう知りゃしない。


 関係ない、関心がない、興味がない、どうだって良い。


 ぁあ、どうでも良い。


 心底から、どうだって良い。


 下らない、碌でもない。


「損なもんだ」


 現実ってのはな。


「ん……あぁ、そうか(・・・)


 だから、あの青い靴に気付いていたのか僕は。


――何時から?


――――――――――――――――――。


――――――最初から。

作者より


 あの、小麦って表現で。小麦粉って出たんすよ。予測変換で。


 もしかして、いや、今まで使った『小麦』は知らぬ間に『小麦粉』になって……いや、まさかな……?


 どうだって良いけど。

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