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カライトデートログ


 気に入らなかったので、ちょっと加筆修正しました。



 聖女カライト。若く、そして少女とも言えぬ齢の淑女。女神教らしい純白の衣服は黄金の装飾で近寄り難さが増し、益々悪目立ちをしている。


 壊れた噴水の傍らで彼女は手を広げていた。大仰に、ではなかったけれど、誰かを迎え入れるような所作だ。これは彼女より後に約束の地に現れた僕への対応ではない。彼女は聖女だ。


 名前が知られているとか、そうではなくて。有名人特有のあれでもない。単に、どう見ても聖女様だから民草の注目を集めるに至る。被災した人々の支えである女神教のどうやって見ても位が高い聖女が眼前に存在すれば、人々は歩みを向けざるを得ないものだ。


 宵闇に没し、尚、ちらちらする篝火に身を寄せるように。朝日を受け、金色と白を強調させる聖女は荘厳で神聖で、近寄り難さは柔らかい微笑みで微睡むように溶けている。彼女に個人として苦手意識がある僕だけは違う意見はあったが、概ね、客観視するとそうなる。


 手に巻き付いた貴金属の高い鳴りと、背に吊るされたシンボルの重荷。金で彩るのは、導きであるからだろう。迷う人に灯台として存在するからだろう。


 何度確認したか、彼女は聖女である。


 人々の安寧を祈り、女神教の教えを広め、世界をより良くせんとする者。神を信じ、迷う民を導く者。


 故に、遠目で見付けた僕は悩んでいた。近付くには遠く、人集りを掻き分けるのも至難であるからだ。身長からすれば、僕の無駄に高い背によって聖女の姿こそはっきり瞳に収まっているのだけど。


 方向は見失わないが、こうも人がたむろしているとなれば見えていようと手は届かないものだ。手を伸ばしたくないの誤表記かも知れない。


「……さながら、空に浮かぶ……」


 ぼやきを途中で捨てて、肩を気持ち落とす。誘った側の手前、正直嫌々で渋々なのだけれど、声を掛けねば無作法であろうなとか考えちゃったりする。


 聖女の声に耳を傾ける皆に合わせ、取り敢えずは傍観し宗教勧誘の方法を観察する。前向きに見当はするけれど、どうも踏ん切りは付かない。


「聖女さま、邪竜を討ったのは勇者様方だと。では……もう、このシルトは平和になるのでしょうか?」


 なんぞと草臥れ(くたび)た老婦人。


「ええ、そうです。予言の時は過ぎました。勇者と英雄が手を取り合った今、このシルトは護られましょう」


「これは、これは……女神様のお導きなのでしょうか……? 女神様はなぜ、このような、試練をお与えになるのですか?」


「いいえ、そうではないのです。女神様はあなたへ、また、そちらのあなたにも。このような試練を課しはしないでしょう」


「そ、それは、見捨てられたと……言うことですか……?」


「いいえ。どこに、愛すべき子を試す親がいましょう?」


 親は子を試さない、唯、愛している。愛なき親は親たれはしない。被造物は造物主を愛するものだろうか、造物主は被造物を愛するものだろうか。


 ふむ。


 はてさて……。


 僕は冷たい目で聖女を見ていた。


 冷たいってよりは熱に魘されていない、と言えるけれど。信徒が手を編み、祈る姿を一瞥する。


 彼等は、大なり小なり失って、寄る辺もなく、故に篝火に近付くのだ。縋る姿は滑稽で浅ましいとは僕は思わない、なんにせよ信じているのだから。正しさなんてものは曖昧模糊で支離滅裂なものだし、信じる事は選び捨てる事でもあるのだ。


 選べた人間の気持ちに僕は全く理解が示せないでいるし、それを恥じるだけの知恵はある。彼等には聖女の言葉は導きで、篝火で、信じられるものなのだろう。僕からすれば遠回しに抉られるような、酷く有り触れた憂鬱が気儘に踊る話だった。


 言外に詰られているようなとか。


 損な気分。


 そんな感じ。


「女神様はあなたを、あなたも、お試しにはならないでしょう。女神様はあなたや、あなたこそ、愛しておいでなのです」


 故、神は人の苦しみを望まぬのだそうだ。老夫婦は震える手を結って、なにやら小さく呟いていた。祈り、であろう。セルフちゃんが口にしていた言葉でもある。距離があって、尚且つこの人集りだ。聞き逃しはしたし、詳しくはないけれど、口の動きでなんとなしに内容は把握した。


 読唇術はちょっとしたコツで獲得可能な技術だ、当然、僕なんかみたいな奴は色々な経緯や経路にて会得している。老夫婦の祈りに呼応し辺りの人々も祈りを捧げていて、僕は改めて近寄り難さを突き付けられている。


「……、……」


 嫌だな、面倒だな、とか思う。当たり前に。生態として。


 幸い(ほんとに)目線を向けようがなにしようが盲目の聖女には勘付かれはしない。だから僕が能動的になるか、或いはこうして白い服を纏った勇者に気付かれていない今は停滞が可能である。物事は保留しても、選択せずとも突き進むけれど、受動に努めれば時間稼ぎにはなる。


 非生産的で非効率ではある。


 輝いているようにすら思える聖女の言葉に縋る民草の熱気に紛れ、僕はもうちょっとだけ粘る。現実逃避って奴だ。


 女神様は施し、救いを手向けた存在だ。魔物に怯えた人々を助け、奇跡を、恩寵を授けた存在だ。では、勇者は誰の導きであるのか。


 女神様だと、彼等は言う。世界は様々だ、このファンタジーな世界に呼び出された勇者達は誰一人として同じ世界の者ではない。世界線が違う存在を召喚する理由、或いは、召喚を助けた理由は不可解ではある。


 勇者を呼ぶ、即ち『枠から外れた力を持っていながら魔物の根本を滅ぼしもせず』剰え『災厄に直接的に立ち向かわない』理由や訳の説明がない。僕は女神様とやらに会ってはいないし、導かれもしていないけれど、さて、納得させる意味や価値はあったのだろうか。


 娯楽の線は否定しない。僕だって知っている話だ。この世界の枠外、正に外なる神(アウター・ゴッデス)の考えなぞ慮れるものでもない。僕だったから知っている話、娯楽の為だけに世界の一つや二つを盤上にダイスを振る奴だって存在した。


 善悪を説くつもりは欠片もない、倫理ってのも押し付けだ。まあ、悪趣味ではあるだろう。あらゆる存在を弄ぶ行いは。


 この世界に関わる女神様ってのはどうだろうか。


 本当に善良なのかな? そいつ。


 そいつの正気は誰が保証する?


「……、んー……」


 信じるのは構わないけれど、僕はそんなもんにすら猜疑を向ける。大体、災厄の悪性は誰が判断を下すべきかすら悩ましいものだ。例えば、世界を破壊する存在なら悪だろうか。どんな理由があっても、そいつは悪と言えるだろうか。


 兎角。


 僕は吹き抜けた涼やかな風に目を向けた。ちょっと強めの風だ。異世界ってのにも随分慣れたものだ、初めはキョロキョロしてばっかりだった。街並み、建築、人、空。見ていて考えなきゃならない事ばかりだった。


 思い返せば時間としてそんなに経過はしていない。半年、にもならない。辺りは瓦礫の山。炊き出しの匂いと、人の喧騒、聖女の嫌に透き通った導きにはどうにも落ち着かないのだけれど。


 奇跡、傷を癒し、意志を交わす。それを齎す存在は恐らく、超克四種族(シ・テンス)の主と同格か、格上の外なる者に違いはないだろうし。


 この異世界に存在する力は大別すれば三つある。僕はそう判断した。本来在るべきでない力だって存在を確認してしまっているからだ。


 一つ、物理だ。僕の知悉する世界法則。


 科学とでも言えるだろう。ある種の信仰だ、僕の世界じゃ大体の人が信じていたな。僕だって信じているし、変わったならそりゃ最悪だ。


 でも面白い話、科学を信仰と僕が判断するのには理由がある。


 科学は帰納法で成り立つ理だからだ。例えば、グルーのパラドックスと言うものがある。


 グルー(Grue)(Green)(Blue)を掛け合わせた造語だ。


 そしてグルーの定義は『今日までは緑で明日からは青い』である。


 それを踏まえ、今までずっと存在Aを緑と観測していた時『存在Aは緑である』と定義していたならば、それ自体は矛盾はしない。問題は『存在Aはグルーである』だって矛盾しない点だ。一見は問題ないように思うけれど、得られた結果は全く違うものだ。


 もっと噛み砕けば、今までずっとジャンプしたら上昇していたのに、そのジャンプは次の瞬間『下降』を始めようが矛盾しないのだ。帰納法で成り立つ科学は単に膨大な複数の事実を信じて、次発生する事実を信じているだけの詰まらないものである。


 だから、科学は信仰なんざほざくのだ。ともあれ、この世界の理に科学は適用可能だ。何時まで信じられるかは知らないし、保証もないけれど。


 二つ目はエーテル。僕が知らない固有の法則だ。発生も知らないが、欠かせないのだと言う。この理は、科学として主張しても成立する。エーテルの動き、性質を、理を仮定し信じるならそれだって科学だから。本当に帰納法は便利だな。


「…………」


 三つ目、異なる理だ。


 この世界を成り立たせている理が上記の二つだとすると全く違う系譜の理。女神の奇跡が正にそれだ。エーテルでもなければ物理でもない。この世界の法則では説明出来ない力。これは、勇者が持つ力も例外じゃあない。


 ウェンユェの力は結局分からないままだ、馬鹿みたいにでっかい黒竜、なのは把握している。王都からも見えたから。春風君の力は、なんとなく知ってはいる。普通に周りが告げ口してくれるから。


 曰く、重力を無視して壁を走る、だとか。火や水の魔法を使う、だとか。色々だ。能力の正体には至れてはいないけど、別に明かす必要はないだろう。


 黒い勇者、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんは未来視とかになるのだろうか。うん、久し振りに彼女の名前を思い浮かべたけど、やはり何回考えても長いな。


 ヘルさんは、分からないな。必要ないだろ、既に戦艦なのに。


「……あれ? 僕、存外……知らないな……?」


 肝心な勇者の事を知らない事実に気付いた。興味がなかったし、調べなかったからだ。必要そうではあるけど、おいそれと明かすものではなさそうだし。今更調べるのも憚られる。敵ではないのだし、気にはなるけれど流しつつ。


 この世界の理とは別の理、それは勇者、女神、或いは他の神とやらも保持しているだろう。説明しようにも法則が違うからどうもならない。もっと俯瞰するなら、それが。


「ん……?」


 肩を叩かれた気がした。見やれば、真横にカライト。


「おはようございます、随分……お待ちしましたよ?」


 顔は笑顔だ。目は僕に向いてはいるが見えてはいない。話し掛けた覚えはないが、何時の間に気付かれたのだろう。聖女様は指先の金属を鳴らし、叩いた手を合わせて首を傾げている。


「あのー……勇者様……? ですよね……?」


「ああ、失礼しました。はい、僕です。すみません、その、皆さんに教えを説いていらしたので」


 見渡せば、人々は炊き出しの為か散り始めていた。その時にでも誰かに導かれたか、独り言でも気付かれたか、それか身長の高さから憶測か。なんにせよ。


「あら。そうでしたか。それで、今日はどうしましょう……?」


 もじもじと、手を合わせている。僅かに火照った頬は気恥ずかしいのかは判断が付かない。


「そうですね、先ずは赤竜の下に足を運びませんか?」


「ロスウェル……ですか。たしかに、興味はあります。かの竜は……邪悪となる、のは少々意外でしたからね……」


 先導が必要か、と思い差し出した手は空気を乗せたまま。カライト聖女様は少し落ち込んだ声で踵を返し、綺麗な黒髪を靡かせて歩き出していた。自然と背を追う形になった。盲目であれど、生活に支障はなし。


 天才性故か、瓦礫を器用にも把握し足を運んでいた。傍目からじゃあ盲目だとは思えない流麗さだ。音の反響を利用しているのは良いが、独特なクリック音なりを発してはいない。僅かな音で、把握しているのだろう。


 例えば手の装飾とかで。


「意外ですか? でも、黒き勇者は予言していましたよ? 随分前からだった筈ですけど」


 黒き勇者の予言は他の勇者が訪れるより前に明かされている。全てではないにせよ、その中に近況である赤竜の予言が含まれていないとは思えない。でなければ召喚されたばかりの勇者に竜退治を推奨するアガレス王は居ない筈だ。あの人は臆病だし、同時に馬鹿じゃあない。


 アガレス王は初めから赤竜が討たれる事実は知っていた。どうやってかは知らないにしても、だ。当然、今頃頑張っているだろうセルフちゃんが教会に伝えていない、それこそない話だろう。何故ならば、予言がなかったなら王様率いる王制派と教会率いる法制派でじわじわとジメッたい争いだってなかっただろうし。


 解決せずズルズルしてやがる話にはならんやろ、とはウェンユェの言葉だったか?


 誰であれどうでも良いけど。


 黒き勇者の語る予言は断片ばかりだが、少なくとも赤竜は知られている話である。特に、重鎮達には。カライト聖女は次期枢機卿の役職が確約された人物で、まさか知らないとは道筋としては杜撰だ。てっきり知っているのだと思っていたが、思い違いだったのだろうか。


「……勇者様は知っておられますか? 先代勇者様の盟友として、アガレス王国を守護する聖竜だったのですよ? 女神教の信徒でも、信奉する方はいらっしゃいます」


「ふうん……」


 女神教って本当に自由だな、唯一神教っぽいのに。


 割と他の宗教に寛容だ。


 多神教っぽさがあるのは、加え、排他的な行動をしないのは宗教規模が巨大だからだろう。閉鎖的な地理だと過激で排他的な宗教になりがちではあるから、こうも世界的に広まる程度に規模が膨らめば寛容になるのも不思議ではないけれど。


「女神教の教義では、レイちゃ……超克四種族(シ・テンス)はどんな扱いなんですか?」


「良い質問ですね」


 砕かれた正門を潜り、積まれた土砂に足を向け聖女はそう口にした。整備は進んではいるけど、道程は険しい。盲目ならば尚更大変だろうに、足運びは自然だ。これで全く見えていないのだからカライト聖女様は天才性に未だに溢れていると言わざるを得ない。


 苦手意識が芽吹いている、すくすく育っているのを認識する。言わないし、顔にも出さないけれど。


 僕はやはり、この人が苦手だ。


「女神教では、彼等を使徒と、御使いだと判断しております。世界には、神が沢山いらっしゃいますからね」


「へえ? 多神教なんですね?」


「いえ、私個人の考えです。信奉対象は基本的には女神様だけですよ。実際、奇跡を扱えるのは聖女のみでしょう?」


 肩を竦めた。


「勇者様はこの世界の住人ではないですよね? 同じように、私もそうなのです。神に導かれ、この世界に住まわせて頂いております」


「そう、だったのですか。だから……僕を知り合いだと仰っていたのですか」


 意外そうに見繕う僕は、嘸や浅ましく滑稽であろう。自覚はするけれど、だからと知りたくもない訳で。


 境遇とか知らないし、興味がない。右から左に聞き逃したい衝動を理性で宥める。宥める、とは、蹴り飛ばし踏み潰す事だ。


 感情的な頭を押さえて、内側に仕舞い込むのだ。外的要因を内的要因で相殺すれば、世は泰平であると僕は敢えて信仰する人間だ。


「そんなに似てますか、僕は」


 さも当たり前に嘯いて。


「ええ、私の知る人に似ていらしたので。まあ、その話は掘り返すものでもないです。私は……この世界以外を知っています、なので、女神教の崇める存在だけが神だとも思えないのですよね」


 不敬かも知れないですが、そうクスリと笑う。林に近付いて来た。先を見れば、堆い赤い鱗。鱗、と言っても巨大過ぎて城壁のようだ。距離があるのに、シルトに向けられた影は広い。薄暗くなった辺りを見て、足元に気を配る。


「私を導いた神は、確かに神と述べられよう権能を保持しておりました。しかし、同時に超克四種族(シ・テンス)も神の御使いでもありましょう?」


「もっと信心深いのかと思いましたけど、意外とばっさり言うんですね」


「神を信じております。ですが彼等は、女神様を信奉してはおられないでしょう?」


「……確かに、レ……超克四種族(シ・テンス)の方々は女神様を信奉してはいなさそうですけど、敬意は払っているのでは? それとも争う気なんです?」


「……過激な方はいらっしゃいますが、他の神に付いて排斥する行いは不敬としてます。女神様が赦した方々ですからね」


 外なる神(アウター・ゴッデス)とか旧支配者グレート・オールド・ワン古の神(エルダー・ゴッデス)とか。ちょっと前に話し合った話題である。ざっくり纏めると、旧支配者をぶん殴って平和を齎したのが女神様である。


 で、外なる神(アウター・ゴッデス)超克四種族(シ・テンス)達の主である。これは女神と他の神を区別しただけに過ぎないだろう。


 異なる理を持っている者達だっただけで、女神も外なる神と言える。つまり、本来神と呼ぶべき存在は古の神(エルダー・ゴッデス)である筈だ。この世界に元から存在した理。どうしてか旧支配者グレート・オールド・ワンにより追いやられ、その横っ面をぶち殴った外なる神(アウター・ゴッデス)の一柱が女神と讃えられている。


 まあ、人間とはそんなもんだろう。聖女は不満があるように口にしていた。


「貴女は、古の神(エルダー・ゴッデス)を信じるべきだと言いたいんですか?」


 カライト聖女は答えない。前を行くから顔も見えなかった。あの時、尋ねた事を加味すればそうなるだろう。彼女はあの夜『この世界は歪んでいる』と口にした。僕は必ずしも悪くはないと言ったが、彼女はその歪みをどう見ているのだろう。


 古の神(エルダー・ゴッデス)となれば、その現人神であるユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんは御使いだ。信じるべき、御使い。


 女神教が彼女の扱いに慎重になって困っているのは知っている。教会は古の神(エルダー・ゴッデス)か女神かを天秤に乗せなければならないのだ。民からすれば雰囲気で崇めているけれど、聖職者はそうはいかない。


 盛られた土砂で出来た坂道を上がり、僕は乱れない足運びをする聖女様を追う。


「私は、……他の方々を否定してはおりませんよ? 信ずる神を限らせる謂れはないでしょう?」


 念の為か、伸びた沈黙を破って補足した。破壊に傾倒する人間の言葉とは思えないないけれど、異世界にて変わった可能性は否定出来ない。度々僕に問うたのは勇者が、真に勇者と呼べるか疑っているだけだろうか。


「……まあ、そりゃあ好きにして良いと思いますよ、僕も。セルフちゃんとかみてると女神教って緩いなとは、感じますから」


「そうですね、メルクマルクロスト様は信心深い方です。それに、女神様と古の神(エルダー・ゴッデス)の区別はしていないようですし……?」


「でも、女神教内では二分されているんでしょう?」


「否定はしません。私やメルクマルクロスト様は志を共にしますが、枢機卿の方々にしても意見は様々……」


「……聞きたくない話ですね」


 勇者の扱いが悪くなる可能性もある争いだ。


「ご安心ください、勇者様方の権利は私や、後押しする枢機卿の方々によって護られますよ」


「だと良いですけどね」


 ヘルさん達は神託があるが、僕はない。厳密には勇者じゃないのだ。他と扱いは違うべきなのだが、どうも自体はそう簡単じゃあない。僕を勇者として担いだ教会も一枚岩ではないし、現状、僕を擁護する人々が存在しているから勇者をやらされている。勇者だから許されている。


 二分割されたその信仰は僕を巻き込むものだ。本当に超絶に関わりたくない。


「――だからよぅ、僕ぁ言ったろう。赤竜の骨なぞ加工すんのは無理だ、ってよぉ」


「しかし! 赤竜の骨は貴重だっ! 利用価値はあるだろう?! それを安易に他国に売り払うなぞ愚かだッ!」


「んぁー、僕ぁ責任者じゃあねえからよぅ。人らの思惑? ってんのを言われても困らぁ。大体、あんたぁ何処の誰かもしんねえし……」


 揉め事だろうか。小さな子供達が背の高い中年と言い争っていた。子供達、とは古来人種(ラルヴァスダラーダ)である。一番前に立つのは緑の髪をし、凄くやさぐれた態度でキセルを咥える幼女さんだ。


 古来人種(ラルヴァスダラーダ)特有の民族衣装ではなく、簡素なワンピース風の衣服に、小物を収納する背嚢(リュックサック)を背負っていた。小さい人だ、背丈で言えば小学生程だろう。数値にするなら百四十もなさそうで、細くて白い腕も第一成長期すら来てないようにぷにっとしている。


 足元を見れば簡素な草履で、苛々を体現し地をやや抉っている。ヤームさんだ、どう見ても幼女がキセルを咥え、紫煙に巻かれながら眼光を走らせている。


「私はアガレスの文官だっ! 此度の赤竜を管理する一人でもある! こうも勝手に売り払うのを控えて頂きたいのだッ!」


「あーん? 文官、ねえ……? んなこたぁ知らんぞ? 僕ぁ、お嬢に許可された範囲の仕事だと思う。それとも、一々処理に困る骨を貯蔵すんのか? ババ言うなぁ人らはよぅ……」


 怒り、ではなく困惑が勝っているようだ。僕も記憶を探り、少し納得する。カライト聖女様は耳を傾けておいでだ。


「赤竜は貴重な財産だッ! 我が国の経済状況は年々悪化しているのを存じ上げないと?! これも! それも! 魔石需要が高まる昨今、肝心の魔石排出量が期待値に満たないからだが……であるがッ! 赤竜は並大抵の魔石より価値のある資産なのだぞッ?! それを散財するとは如何なものかッ!?」


 文官を名乗った中年、確かに、装いは作業に従事する人々より上品である。アガレスの貴族、ではありそうだ。肥え太っていたならば偉そうな態度に見合った風格みたいなのも付加されるけど、中年はどちらかと言えば痩せ型である。険しい表情に、血走った目玉、目の下に隈を作ってヨレヨレだ。


 服装は上品で質が良いのに、着こなす人は随分窶れている。間違いなくアガレスの文官だ。仕事馬鹿ってより、代人が存在しないから疲労が積もりに積もった文官である。ぱっと見ただけで文官の中でも高等な人だとは気付いたけれど、解体現場に態々足を運ぶとは珍しい。


 基本、現場には部下を派遣するものだから。


「あゎー、んぁー……? んむ……知らん。おう、てぇ止めんなぁ。解体続けろー」


 ヤームさんは頭を掻き、ばっさり切り捨て合図する。古来人種(ラルヴァスダラーダ)達は文官に目線は送るが、ヤームからの指示に素直に従った。解体現場、此処はロスウェルの尾先に位置する。巨大な鱗を切り出し運搬する台車、肉を運ぶ台車、骨を掲げ小走りする子達。


 見渡せば数十人が活気に満ちて、様々な声や音がする。金属が衝突するかのような高い音色だってするし、そんな粗雑な環境音にピクピクと反応を示す垂れ耳は目に留まるものだ。


 古来人種(ラルヴァスダラーダ)の特徴として、やはりモフモフな耳と独特な角は語る上で外せない。ヤームさんの耳は垂れつつも横に伸びていて、ふりふりする姿はちょいと愛らしくもある。黒く捻れた勇ましい角も相俟って、人間の女児ってより、創作物で見られる獣人っぽさは拭えない。


 のだが、彼等は誇り高い戦士だったりする。ヤームさんは特筆して女児みたいな背格好の彼等の中でも、群を抜いて眼力が鋭角だ。首から下げたテアンレイ(黒銀信仰)のシンボルが現す通り、種としての矜持が伺える。同時に、民族衣装に拘らないのはヤームさんらしくもあるだろう。


 老獪な女児、日本語として表記するならば。衝突的矛盾を内包した印象を与える一人であり、そんな彼女の若葉の瞳は困ったように彷徨っている。そして当然と、帰結として、知り合いであり地位があり頼るべき相手として、僕みたいな便利そうな駒を見付けて喜色を浮かべた。にんまりと唇を曲げ、次にへの字に折れた。


 それは傍らに存在する見慣れぬ聖女を見付けたからだろう。カライト聖女様は喧騒に興味を向け、キョロキョロと周囲を伺っておいでだ。


「手を止めて頂きたいッ! 何度、言わせるおつもりかッ! 話し合いの最中ではないかっ!」


「話し合って、その上でやってらぁ。人たれば、書類ってぇのが大切よ。ねえなら帰れぇ。僕ぁ、お嬢から言付けられてんだ、ババ言うな」


「ぐっ……だが、ヤーム殿も存じてらっしゃるだろう? 赤竜は限りある資源だ、無駄にするのは如何か? 現状、復興の諸々で商人に足元を見られているのだ。たかだか、小麦粉と赤竜の肉が釣り合うとお思いか?」


「いんや? 僕ぁ人ではねえ、が、価値くれえ分かる。が、あんたぁそもそもババなんだよ。シルトの物流ってえのは商人に頼ってんだ、それも、大都市規模の難民を支えにゃならん」


「そ、それはそうではあるが、だからと、こうもぽんぽんと売り捌く訳には……」


「ならよう。商人との商談で、賄える財産はあんのか? きいたぜ? アガレスの蔵はルシアも実らねえってよ」


 目線は僕を見ていた。まあ、確かに。話し合った仲であり、覚えていたのだろう。アガレス王国は肥沃な大地特有の余裕もあり、食料の備蓄なりはある。王都周辺なら一万人規模の難民でも飢えさせる事はない。これは嘗ての教訓でもあって、備蓄しているからだ。問題はシルトまでの距離にある。


 商人を経由するのも、そもそもが物流による弊害だ。それに、直接的な物資補給だけでなくロスウェルと言う資産を金銭に変換するにしたって、商人に頼らざるを得ないのが現実である。無闇矢鱈に売り捌くのは良しとはしていないのだし、それなりに大きな商会と手を結んでいるのだから存外悪くはない筈だ。


 貯蓄した食料を運搬する、誰が、商会が。では、対価は。となる。貴金属なり、純粋に金銭だったりで賄うには規模が規模、到底アガレスの経済に余裕はない。ので、赤竜が対価なのだ。自国の組織内で完結していれば尚良かったが、そうはならなかったので、損失には目を瞑っているのだ。


 クルスさんやセルブさんが肩を落としていた理由の一つである。ただ、シルト復興を赤竜により完全に賄えるのならば、多少の不利益は看過すべきだろうとも思う。下手に資産を切り出すよりはよっぽど現実に根差した解決策である。集国からの商人が多勢であるのは否めないけれど、致し方ないのだ。

 

「くっ……書類があれば良いのだなっ!? ならば、失礼するッ!」


 憤怒を顕に踵を返し、振り返った文官は僕を見るや否やぎょっとして、気持ち大人しくなった。疚しい事をしている訳でもあるまいに、叱られる子供みたいにだ。僕から文官へ言いたい事もないし、関係がない話に態々首を突っ込む人間でもなし。


 軽く会釈し、足早に横を抜けた文官をちょっとだけ見てから意識を戻す。それは勿論、キセルを咥えた幼女さんにだ。


「おう、勇者様じぁないか。僕ぁこーみえて忙しいからよぅ、用があんなら手短に頼むぜぇ」


 横に伸びる耳が羽ばたく。小さな身丈にキセル、言動は男性系を多用しながらも口調はやや穏やか。普段会話する機会がない種類の人物で、僕としても切り出し方に悩む。ものの、ヤームさんなりに気を配ったのか、軽く話題を振るって来た。


「うん、久し振り。早速なんだけど、ヤームさんの所でさ、どっか遠くに出て行った人とかいる?」


「話がみえねえが……伝令で一人、だな? うちのお嬢の所在報告……に、言伝をな。ちょちょいと」


 ヤームさんの表情は険しい。幾分か理解はする。きっと、王都から報告に態々出向いたメンバーは嘸や熱く語ったろう。自らのクラン長が侍女服を纏い紅茶を配る様子を。


「あー、そうだよね」


「んで、なんの話になるんだ?」


「噂話の裏付け、かな。正直、この線は考えてないけれど」


「おん、話がみえねえ。ま、いい。んで? そっちの聖女様は?」


 カライト聖女を見上げ、ヤームは露骨に嫌な顔をした。仲が悪いから、とか、宗教的な対立があるから、とかではない。純粋に厄介な種を撒きに来たのかと若緑の瞳は語っていた。僕としては単なるデートでも、傍目では権力者二人の現場視察である。


 先程まで喚いていた文官とは対外的にも扱いが違うし、ヤームさんもおもてなしをすべきなのか、或いはと困惑している。僕が出歩いているのも相俟って不思議ではあるんだろうけれど。


「私はカライト・ローデハイデと申します」


「んあ? あ、あぁ……カフェンのヤームってんだ、宜しくたのまぁ。おいおい、勇者……なにしに来た? 面倒な話なら嫌だぜ僕ぁ」


「初めに言った通りだよ。それで、解体は順調?」


「いんや? 全く歯がたたねえな」


 背にする赤竜を顎でしゃくり、頭を掻いた。ヤームさんが苛々しているように、彼等の作業は難航しているようだ。シルト復興はモルが率いる半遊牧民コミュニティ、赤竜解体はカフェンクランメンバー、そう言った区分で作業をしているようだ。


 主な原因として挙げられるのは、モルが率いるメンバーは比較的に若いからだと言う。どうしても身体能力や経験から赤竜解体をカフェンが請け負う形が最善であった。鱗が引く程に頑強で、其処らに溢れる剣じゃあ傷一つ付かないのである。必然、アシャカム達は魔法とやらを用いつつじんわりと鱗を切り出し、骨を絶ち、運搬するに至る。


 それは復興より数段負担の掛かる作業であるらしく、ヤームさんも常に不機嫌そうに赤竜の骸を睨み付けていた。


「そう言えばさ、赤竜ってなんで腐らないの?」


「それなぁ、どー言えば伝わるか……」


 素朴な疑問だ。ヤームさんは言葉尻を伸ばし、近場に切り出された赤竜のブロックを示した。


「ロスウェルの身体ってえのは、魔力の塊だ」


「うん」


「魔力は濃度ってえのがある」


「うん」


「だから腐らん」


「うん?」


「魔力密度が高えんだよ」


「あー、なんとなく分かった」


 蜂蜜は腐らない、みたいな理屈だろうか。蜂蜜は高い糖度に対し水分が異様に低い食べ物だ。細菌は活動するにしても適度な水分が不可欠であり、蜂蜜が保持する水分は活性化の基準に満たない場合が多い。


 そして、水分が少ないと言う事はそれだけ蜂蜜の濃度が高いと言う話になる。加え、水分が不可欠な細菌は異様な濃度を誇る蜂蜜に触れ合った瞬間、自らの水分をぶっこ抜かれ死滅するのだ。科学的な用語なら浸透圧と言われる。


 そもそも液体が持つ性質は様々で、濃度に差異がある液体は、より高い濃度へ移動し濃度を均一にしようとする働きが確認されている。


 蜂蜜の例以外でもナメクジに塩を振り撒けばナメクジは縮むし、あれとかも浸透圧により発生する現象である。浸透圧死、必ず殺しそうな技みたいだな。ふふ。


「……、……楽しそうだな」


「……、……うん?」


 ヤームさんが燻らせるキセルで思考が乱れたのを自覚した。戻そう。


 ロスウェルに置き換えるならば、ロスウェルの霊力密度が高く付着した細菌が即座に死滅している、になるのだろうけれど。


「あんたぁ、他の勇者にゃあ会いにいかねえのか?」


 僕が頭の中でロスウェルが何故腐らないのか理論を構築し論理的に考えていたら、ヤームさんはそう言った。僕は今、嫌そうな顔になったのだろう。


「仲がわりぃのか、勇者なのによぅ」


「仲良くなる工程が抜けてるんだよね、第一に」


 王様との謁見、その後の談話。それからハバラちゃん絡みのいざこざ、加え、赤竜での重鎮会議。以上が仲良くなる切っ掛けで、工程である。僕は奥手で卑屈なので、出会って五秒じゃあ意気投合する生態をしていない。


 なるだけ関わりたくないし、関わらずに済ませたいのが本音ではある。傍らで作業音に知的好奇心を擽られている聖女様にだって、本音では顔を見たくない。僕は嫌いってより苦手意識があるだけなのだけど、カライト聖女は僕を嫌っているだろうから尚更だ。


 まあ『僕』と『勇者』は別物ではあるけれど。


「輪に入るにゃあ、歩み寄りってぇのも大事だぜ? 若えんだからな」


「僕が歩み寄ると、大体、解散しちゃうんだよね。不思議とさ」


 昔から入ったサークルを軒並み粉砕している、僕が原因とは限らないにしても。切っ掛けになる役回りではある。そんなもんだから、僕は蚊帳の外に身を置く訳だけど。


「そう言うもんかねえ、僕ぁ分からんな」


 響く金槌の音色、鋸の音色。吹き抜ける風に揺れる林。居心地は悪くはないが、少々見飽きる景色だ。ふと、小柄な彼等を見ていて思い出す。


「あ、もう一つだけ質問なんだけど」


「んー? なんでぇ、改まってよぅ」


「いやさ、デートするなら外せない、推せる景観ってやつに疎いんだけれどさ。ヤームさんは詳しくないかなって」


「おう、堂々としとりゃ許されるとぉ勘違いしとらんか?」


 冗談半分だったが、どうやら労いや様子見を兼ねて訪れたのは煽りに該当するらしい。お土産とか持参すれば体裁は整うけれども、朝方に思い付いただけだったから手ぶらである。この場合、僕に非はあるだろう。


「暇ならてぇ貸せぇ、しねえなら帰れ」


 しっしっ。


 扱いが急に害虫のそれだ。


 とは言え、僕としても一応の用事は済んだので抵抗はしない。そもそも長居する予定もなかったし、なにより彼等の仕事を邪魔している自覚はある。件の文官は気にはなるが、ああした言い争いなぞ『アガレスの文官』って前提に据えれば、生真面目で熱心極まるので有り触れた日常でもあった。


 書類を用意せんとはしていたけれども、恐らくそれは叶うまい。僕の見立てではウェンユェからの釘刺しが入って、あの文官が消沈する未来が浮かぶ。いずれにせよ。


「カライト様は行ってみたい所ありますか?」


「それなら、礼拝をしたいですね?」


「……、……教会ですか」


 礼拝。嫌な言葉だ。何故、と言われれば知り合いに会うからだ。出来れば会いたくない。アイリスさんにも、セルフちゃんにも。でもきっと会うしかないのだろう展開だ。どうにか足止めしようと思考は巡らせたけれど、良い方法が浮かばないので早々に諦める。無駄な労力、略して無力であるからだ。


 僕はどうせ流される。


 カライト聖女の微笑みを直視したくなくて空を仰いだ。今日も今日とて受動的にして内向的な僕だけれど、青い空だけはどんな時も見ていて飽きないものだ。


「はよぉ、うせろホジュンババっ!」


 怒鳴り声がするが、気の所為だろうし。


「うーん、反省はしつつ後悔はしない感じかな……」


 ぼやいたのは、せめてもの、細やかな反逆だった。


関係ない話なんですが、良ければ新作の方もどうぞ。あっちは、こんなに卑屈でネジ曲がってて、勝手に独りで傷付く主人公ではないですLoL

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