王と勇者
唐突だが、人は武器足り得るだろうか。
僕は人体のあらゆる部位があんまりにも、他者を害する為に運用するには脆弱極まりないと思考する。例えば足だが、どんなに鍛えても人間の脚部はいとも容易く骨折し、怪我は後々にまで響く瑕疵すら刻むだろう。
拳なんぞとんでもない、武器にするには高精度で精密で脆弱で故障でもすれば取り返しも付かない人体の部位の筆頭だ。
人間って奴は贅沢にも文字を書き、物を掴み、感触や温度、湿度の有無すら判別可能な人類の神器『手』を鈍器に見立て怒れる気持ちを鉄拳に宿し、憎き相手の頬にふんだんに捩じ込む。そのような潤沢なる蛮行を絶やさないものだけれども。
頭ではどうだろう、頭蓋である。脳味噌を格納する箱はそれなりに頑強だが、他者を害する為に頭蓋を差し向けるのは蛮勇を超過し畏怖すら覚えられよう。
要するに、とどの詰まり、人体は武器には不向きであると言う結論になまじっか信じたこの人生。僕の価値観は今日変革を迎えたのだ。
眼前にて繰り広げられしは、頭蓋による横槍である。頭突きで、鍛え抜かれた騎士の剣を受け止め、砕け散らせる異常事態には正直目が覚めたものだ。
砕けた切っ先が宙を舞い、刃引きなぞされようもないそれを左手で握り潰しているのには最早笑うしかあるまい。
世界を救い背で語る英雄でもあるまいに、決して絶望に呑まれない勇者ですら避けると言うのに、燃えるような髪と握り締めた拳の頑強さは修羅を彷彿とさせる。フシュー、と剥いた歯の隙間から息を逃がす様なぞ人間より蒸気系動力の殺戮兵器である。
砕けた剣に唖然とする騎士を見下ろす背の高い女は、右手で胸倉になるだろう鎧に指を引っ掛けた。ぐいっと指先が下に向かえば、飴細工か如く金属製の鎧は螺子曲がり騎士の苦悶の叫びと床が引っ付いた。緩慢な動きに相反した壮絶なる叩き付けで、大理石の床から衝撃を殺せず再び浮き上がった騎士。
女は二回目となる頑強たる鎧の絶叫や落下に鼻を鳴らし、腕を組み直した。野生児、と考えていたが、どうにもそれは誤りであるようだ。これは兵器である。剣の通らぬ肌、鎧の意味を為さない力、常軌を逸した破壊の化身である。
「はんっ、柔らかいもんだねえ。あたしの世界じゃ、スラムの餓鬼ですら相手になんないよそれじゃ」
猛々しく鈍い灼眼は昏睡した騎士を見て呆れに滲み、嘆息一つ。肩を回して体を解した女傑は、やけに紋様が凝ったローブを翻し足元の騎士に屈み込む。
「おいおい、もう気を失っちまったのかい? こんなんで生きてけるのかい、この世界は」
真っ赤な波打つ髪が床に触れても気に留めた様子はなく、指先でつんつんと騎士を触りながら赫赫の勇者は改めて肩を落とす。
この衝撃しかない出来事に一等動揺しているのは救われたウェンユェさん自身であり、王も目先の錯綜に理解が追い付いていないようだった。宰相に至ってはずれた眼鏡を戻しているし、セルフちゃんはなんとなく分かっていたが放心状態だ。
「あ、あんさんどないなっとんの……?」
「……はぁ?」
赫赫の勇者、二メートル近い、いや二メートルを超えていそうな長身を屈めたままウェンユェの言葉に首を傾げた。
「いやいや、あんさん頭大丈夫なん?!」
「はぁ? あたしを馬鹿にしてんのか?」
「ちゃうて! 怪我! 剣が頭に当たっとるように見えたんやけど!」
「あんな霊力も乗ってねえ攻撃であたしが斬られるか! こんなナリでもあたしはネームドの請負官だッ!」
「は?! 怪我せえへんのか!? どないなっとんねん! その身体!」
「はあ? 当たり前だろうさ、単なる銃器とか刀剣類で怪我するネームドがいてたまるかってんだい」
「いやいや、それは生物学的に……ありえん……はずや」
目の前にはいるが。
「そう言われてもねえ……レク坊よりゃあ……」
顎に手を添えて呟き、よっこらせと立ち上がると王に向けて歩を向けた。騎士の動揺と王の引き攣った顔には甚く共感出来そうだが、家臣の暴走を抑えられなかった男に王の資質はあるものだろうか。僕の知る王には二種類いた、一人は甘ちゃんで虫唾が走って地雷を踏んで来るが真に迫る真っ直ぐさがあった。もう一人は我等が氏族長である、君臨し君臨せず然もあらばあれとばかりに無限に微睡む困った幼女様だ。代理が過労で絶命しないかそこそこ深刻に加味すべき困った王だ。
彼女の場合個人を個人として尊重しているから『お前と私の話に世界を前提に持ち出すな』とか不機嫌になるし、超対等に尊大だから手に負えないのだけれども。逸れた思考を蹴飛ばして正す。
赫赫の勇者、背丈が二メートルに近い彼女の足音は大きい、威圧する意図がなくとも控える騎士が竦むまでに。輝く灼眼の恐ろしさは不良君とは比べるべくもなく造次に勝鬨が轟こう。足首付近まで伸びた自由奔放な髪の赤さはステンドグラスからの色合いを拒絶し、我を主張している。王まで目測一メートルを切ると不意に足を止め、女傑は腕を組む。
「王と言ったな? この落とし前はどうつける気だ? あたしらの界隈じゃ根切りだ族滅が主流なんだけどねえ……? 妥当なのは首の一つかねえ?」
と、文句を言わせない態度だ。
「騎士の暴走を全ていさめれようものだろうか、我の意を間違って汲む愚か者を許せとは言わぬ。しかし、国は勇者との友好を望んでおるのだ」
「違うねえ」
眼光が増した。女傑からはなにか赤い靄が浮かび、熱気を上げている。ほんとに人間だろうか、蒸気系動力兵器説が馬鹿に出来なくなって来た。空気の痺れに皮膚がちくりとする。女傑の怒りは現実に熱として顕現し、若干気温の増した玉座の間で王は汗を拭う。慎重に探って言葉を紡いだ。
「違う、とはどう違うのだ……?」
「謝罪だよ、謝罪。あんたのしなきゃならん話は。命かけてんだ、あたしも黙っちゃいられないよ」
女傑の言葉は正論だ、物事の優先順位を決めて決して曲げてはいけない不文律である。曲げれば返し刃に諸刃が自らを裂くのだ。人はそうあるべきだと僕も思うし、願う。
「む、無論だ。申し訳ない、ウェンユェ殿!」
頭を潔く下げた王に宰相は眉間を押さえていたが、あくまでも下手を貫いている。ウェンユェの糸目が少し開き、倒れた騎士を流し目に数秒間が空いた。個人的な感情を遣り繰りして宥めたのか、軽く咳払いすると軽薄な笑みを湛える。調子を戻したのか、幾分か余裕がある。
と、思わせたいのだろう。それすらも嘘か、或いは。
実際問題、僕達の立場は不安定だ。不明瞭だから人類繁栄の秘訣たる相互不殺の抑止が働いているだけで、もし逆上した勇者を敵に回せど頭痛の種にならないならば対等に交渉なぞ不可能になる。ウェンユェの焦りは尤もで、僕を含め王が尊重しているから話し合いが行われているのだ。女傑は例外だ。
僕達を面倒だからと殺したり力で捻じ伏せるのは簡単だろうし、相手は一国の王である。ならば翡翠の瞳をした彼女は譲歩する、相手に望むのは首でもなくば実利に即したものとなるだろう。首に価値はないし、名誉より実績を重んじそうな彼女なら騎士の問題を流すだろう。
「あては首を貰っても金にならんし、いらへんよ。せや、この件を掘り返してくれるなっちゅーのはどうかいな? あんさんらの勇者の理想を押し付けられてもあては困る、商いの娘になにをせえいうん?」
けらけらと薄氷の笑い声の後、一層低くした声と確り見開かれた切れ目の翡翠が王を射貫いていた。僕は騎士を眺めて生きてるか確認する不良君とセルフちゃんを確認し、これまで全く欠片も一単語も喋らない真っ黒な淑女を伺う。真っ黒な、喪服にすら映るドレスに色白の肌、真っ白な髪に金の瞳。なにより横に伸びた耳はエルフのようでいた。病的な白さと黒さに、濁った目玉には覚えがある。
「……心があるの?」
ボソッと、綺麗な声で囁いた。僕は聞き逃さない。寡黙な子、無口な子なのであろう。僕を見て溢したちょっと痛い独り言に首を突っ込むのも野暮だし、若気の至りに理解ある大学生の僕は内心で自己完結して納得しつつ、思考から外していた会話に意識を戻す。
どうやら王との話は進んでいるらしく、今後に付いての再確認の段階だった。
「ならば、翡翠の勇者と琥珀の勇者は共に商いを行う、のだな?」
琥珀の勇者だと。ああ、不良君か。
「せやね、軌道に乗るまでには色々あると思うけど……あての見立てでは手が六個分くらいやね」
「ふむ……然し元手もなかろう?」
「いらへんよ、働きたいねん。酒場でもなんでもするわ」
「で、あるか……。王都を発つのであろう?」
「せやねえ、暫くはこの子と王都にはおるけど。勇者やからって贔屓は癪に障るしな」
「俺も同じだな、齧った感じ魔物退治で稼げるみてーだし。大いなる災いってのもぴんとこないしよ」
「せやから、別の角度から情報集めもせなあかん」
王は頷く。
「二人の今後を祈ろう。して、赤き勇者はどうすると言うのだ? 要望があれば申すが良い」
赫赫改め赤き勇者は唸る。組んだ腕のまま左右を歩き、手を叩く。ちょ、衝撃波でステンドグラス軋んだぞ止めろ女傑。ステンドグラスの落下に怯える僕を尻目に女傑は快活に己を親指で誇示し胸を張った。
「あたしは請負官だ、依頼なら請け負うのが請負機関の規定でね。金と倫理に反しねえなら、魔生物の討伐から護衛、採取に交渉なんでもしてやるさ。ま、今のあたしの請負証は機能が殆ど使えないけどねえ……」
虚空を指でなぞり、女傑は不敵に笑う。
「うむ、ならば……黒き勇者は変わらぬとして」
僕と目が合った。どう命名してくれるのか僅かに期待をしつつ、言葉を待つ。暫くしても声が掛からないので。不可解なので王を見直す。
「勇者よ、そなたはどうするのだ?」
え、僕だけなし。特徴がないとは常々自覚はあるけれどあんまりだろう。僕はどうせ言えないので悩む素振りでお茶を濁す。さて、僕の決めている行動からするならば。
「とりあえず、勇者ってなにするんですか? セルフちゃんは魔物の討伐、ドラゴン退治を例にあげてくれましたが」
「ドラゴンだって?! いるのかこの世界にもッ!」
「……おっと」
瞬きなく、鼻先に赤き勇者の顔面があった。意識の隙間に刺さって本音が出そうになったので、無理矢理意識を切り替える。僕は瞬きの後に努めて冷たく脳裏で熟考する。
「さあ? いるらしいですよ? それを討伐ってのも勇者の仕事なら僕には向かないし。結局、この国は勇者になにをして欲しいのかなって、王様はどう考えてます?」
「大いなる災いを退け民を救って頂きたいのもそうだが、直近では地方領主からドラゴンへの苦言が出ておる」
災いがないのに。卵が先か鶏が先か、八衢に圧壊してるよなそれ。まあ、良いけどさ。そんなもんだろうし。早いんだよ、遅いのではなく。アイリスさんの目に見られているのでなにかを企みも企てもしないけれどもさ。
「えっと、じゃあ僕は具体的にはなにをするんですか? 討伐? ドラゴンを? 僕が?」
無理じゃん、どう楽観しても透けて来る茹だるような死の気配に、僕は眉を顰めた。
「うむ……しかし直ぐにはせぬ。勇者としての目覚め、覚醒の為に護衛をつけて狩りの腕を上げに行ってはくれまいか?」
覚醒するかそんな簡単に。言いそうになった、歯を食い縛って思考に集中する。僕の知る最弱の勇者なんざ覚醒なぞしなかったし泥臭く足掻いて喚いていたぞ。僕は王が嫌いだ、こう、もう嫌いだ。そもそも最初を違えている相手にどうこう言えた義理も権利もないけれど。セルフちゃんに目を向ければ、済んだ空色の瞳があった。見れば見る度に宝飾品のように感じる。
吸い込む色合いは僕には辛い、その色は君の物ではない。君の色は君だけの色じゃない、僕は君のその色に見られると堪らなく堪らなく。
ぞっとする黒い感情が漏れそうになって、親友の呑気顔を思い出した。頬が緩んでしまうけれど、少し落ち着いた。
セルフちゃんの不安そうでいて、円らな玲瓏を眺め。僕は思い付く。
「なら、セルフちゃんと一緒でも?」
ほぐうと聖女が呻く、が無視。
「うむ、聖女様は女神の奇跡により傷を癒せるからのう。剣聖がおれば然したる問題もあるまい」
快く受け入れてくれた王は好きだ、最高だ。僕はセルフちゃんの素っ頓狂な顔が拝めて満足した。
「最終目標はドラゴン退治、先ずはスライムからだし……とは言え仲間がいると思う訳なんだよね。僕、非力だし」
赤き勇者と目が合い、手を差し出す。
「どうも勇者です、パーティーに入ってください」
「ん、いいぞ、少年。魔生物なら任せるといい」
心底平穏な切り出しで打診した、笑顔は向けてはいなかったのに即答され、握り潰されるかもと思っていた手はそっと包まれた。どうせなら黒の勇者も引き込みたいのだが、彼女は虚空を見詰めて会話なぞする気がない。始めから終わりまで関心がないようだ。
「剣聖よ、二人を頼む」
「はッ、仰せのままに」
斜め後ろから響いた声に僕は驚いた、まさかアイリスさんが剣聖とは。強いとは察していたものの、剣の腕で伸し上がったのだろうか。侍女のような振る舞いはやはり、僕達への警戒だろう。兎角。
アイリスさんと一緒に居て良いとかご褒美かも知れない。しーごめん、僕は年上のお姉さんがぶっちゃけ好きだ。
テンション上がって来たかも、これは中々どうして、女神の導きとやらであろうか。入信しようかな、信じてなくとも信者になれるだろうか、いや、流石にないか。ないな。
さて、勇者御一行が一応は完成した。
面子は破戒僧、変顔聖女、人型蒸気兵器、以上。あれ、これどう考えても勇者らしくないぞ。僕は深く思考に沈む、下らない議論の後にどうでも良くなるように。
僕は勇者ではないけれど、失敗と失格と欠陥と致命だけは、今回ばかりはしないと誓う。僕には、王が壊れたブリキに映る。僕のように欠陥を抱えて動いているのではなく、壊れても終われないから溺れ続けるのだ。僕は知っている、十全に、十二分に知っているから口を結んで傍観を選択した。だから今更どうとは言わない、僕には、どうでも良い話だ。
嘘では、ない。本音でもないけれど。
それは余白だ。
きっと、他人事だから。
僕の心は壊れない。