聖女と討論
☆
「わたし、大司教ですけど?」
セルフちゃんがあっさり口にした言葉に、僕は疑問符を浮かべた。
それは文官みたいに仕事して、昼間となり近場の飯屋に入った時だ。そんな馬鹿な、聖女が奥に見えてセルフちゃんじゃあないだろ、まさか、いやねえさとか思っちゃったりしたんだよ僕は、馬鹿だから。
次に壁際。
超可愛いメイドさんが立ってて、慌てて戸を閉めようとして。
セルフちゃんに見付かって、今に至る。
アイリスさんが矢鱈に、こう、にこにこなんだけど怖くなって来たな。天使の羽が舞う笑顔が、最早恐怖に変容しているのだ。僕に身に覚えがないから特に、嬉しそうだし幸せそうなら悪くはないけれど。どうも矛先は僕である。勘弁してつかぁさい。誤りながら、ああ、本当に誤りながらに僕は机に並ぶ料理に目を落とす。
豚と鶏を合わせたような肉のステーキ、そして鮮やかで新鮮なサラダだ。セルフちゃんと同じ料理を頼んだのに、聖女らしくなく中々に重たいメニューではないだろうか。まあ、なんでも良いけど。出された料理を前に合掌し頂きますなんざつぶやいていれば、対面の聖女様も手を合わせて祭祀っぽくなにか呟いていた。
純白のセルブに身を包むセルフちゃんは、僕の視線に気付いて小首を傾げた。
「どうされました?」
「セルフちゃんってさ、聖女なのは知ってるんだけど、なんで大司教なの? それとも聖女様って皆そうなの?」
フォークとナイフを手に、美味しそうなステーキを前にした聖女は逡巡する。肉汁が溢れる眼前か、僕の質問か、迷ったのだ。セルフちゃんらしい食い意地だったけど、目線は肉に固定したまま。
「いえ、大司教を賜っていらっしゃるのはわたしを含めてもー……、数名ですね。大体の方は司教まで、だったりします」
「ふうん、女神教会って階位があるにせよ、どうなってるの?」
「え、そうですねー。上から順に、教皇様、大司教、司教、司祭、助祭ですね」
肉は、アガレス王国で馬車の代わりをする生物のものだ。ヒダを重ねた四足草食生物だ。
シルトが復興中で飲食店が軒並み営業していなかったから、偶々巡り合わせて仕舞ったけれども、翌々考えれば営業している数少ない店に客は集まるものだろう。店内には文官達の姿が過半数だし、ちらちらと視線だってある。だからって聖女が民草に紛れ込むなと突っ込むべきか、散策好きだねなんざ皮肉ってみようか。
聖女様が庶民の店に顔を出すのは異常だ、王都でもなく、半壊、否、七割壊したシルトで散策するのも普通ではないけど。セルフちゃんなりに身近に感じて貰う為や、姿を人々に見せる目的があるのだろうけど。
食い意地、だけではないんじゃないかな。セルフちゃんだし。
もう良いけどさ。なんでも。
セルフちゃんは真面目に答えつつ、ステーキを前に生唾を呑み込んでいる。聖女に肉のイメージはなかったが、結構自由らしい。下手な宗教では肉や酒が禁止だったりもするだろうし、その手の不自由さは見受けられない。絵面としては少々奇妙だけれども、まあセルフちゃんだし。
「枢機卿は?」
セルフちゃんは肉にナイフを近付け、また固まった。態々手を止めるのは生真面目であるのが伺えるし、ナイフやフォークを手放さないのは食い意地であるのも分かる。面白い子だなほんと。
「大司教みたいなものですけど、教皇様の補佐を専門にしてますね。今は六人いらっしゃいます。あの、何故このような話を?」
「へえ、根比べ……じゃないや、コンクラーベするの?」
「コン……え、なんです?」
「教皇様を選出」
「あ。そうですね、枢機卿様方の務めです」
「ふうん。ならさ、なんでセルフちゃんって大司教なの? 偉いと良いものだっけ?」
「あ、もしかして勇者様、疑ってます? わたし、こうみえて助祭、司祭、司教と段階を踏んだちゃんっとしたっ! 聖女なのですよっ!」
鼻を鳴らし、ない胸を張る。両手にフォークとナイフを持ち得意気な顔をされるとほんと子供っぽい。兎みたい、とか、野原に咲く花みたいって表現が思い浮かぶ。重たそうなステーキを前にウキウキなセルフちゃんも悪くはないけれど、文官達が穏やかな目で見守って来るのも良いとして。
「大司教になれたのは、どうしてなんだい?」
と、気持ち緩やかに問う。視界の隅、誰かさんに向けにこにこした笑顔を振り撒く天使から逃れる為に。
「それは、王様の口添えあって、ですね。元々、司祭として巡礼の儀を行っておりまして。アガレス王国での結界維持、教会へ赴いたり、管理しなければならない範囲が広がったので、大司教に位が上がりました」
勿論日々の献身の賜物ですけど、そう念を押すのは僕が相手だからだ。ある意味信頼され信用されている。僕をなんだと思ってんだ、って点さえ除けば概ね円滑。不敬ではないか、とか思わなければ良し。それに、セルフちゃんの活動は確りしたものだ。
「ふうん、大変だね」
大司教でなければならず、大司教を賜ったのは必要だっただけ、とも限らず、と言う。なら、セルフちゃんは存外に自由な身分なのかも知れない。少なくとも、聖女が複数形であるのを始めは知らなかった訳だし。聖女の中の一人、ではある。僕はてっきりセルフちゃんだけに押し付けているのかと思っていた。
「そうですかね……?」
蓋を開ければ、セルフちゃんは聖女であれかし、と、聖女たれ、と、聖女になりたい、も混ぜた動機があった。聖女に限らず、役割ってもんは望むより望まれるものだけど。
然し、聖女であるのは今更疑いようがない事実だ。知る限り、目の前の少女は聖女様らしいから。
それに、アガレス王国で奴隷制度が存在しないのは教会の意向もあるし、セルフちゃんの頑張りもあって国内での売買自体が禁止された。僕は必ずしも否定する人間ではないから、奴隷制度を断固として廃絶する姿勢には懐疑的であるけれど。
奴隷制度、良くも悪くも、組み込んだ上で成り立つ社会はあるものだ。アガレス王国は偶然、必要にならなかっただけ。侍女や執事が多く存在するアガレス王国であるけれど、労働力の使い方も様々だろう。帝国では家政婦のような人、或いは直ぐに思い付く過酷な環境の労働者として、奴隷制度を活用していたりもする。
だけど、奴隷制度は人権売買するから悪、と簡単な話でもないのだ。帝国では労働力の対価とし清潔である衣食住の提供は当たり前であるし、所有物でありながら奴隷は主人を慕う場合が多い。そりゃあ、考えなくとも言われた事をすれば衣食住が保証されるんだから、当たり前なんだけど。下手に奴隷制度解放運動をしてみろ、奴隷からの袋叩きが待っているだろう。
勇者らしからぬ事を考えてはいるけれど、大真面目に『良いご主人だったんだぞッ』とか『お前にどうこう言われたくないッ』なんざ言われるのが関の山。それか『お前の所為で仕事がなくなったッ』とか糾弾されんのが当たり前の帰結、話の落ちって奴だな。
アガレス王国は、偶然、必要にならなかった。それだけ。それが正しいか正しくないかは別問題なのだ。社会構造としてアガレス王国に奴隷制度が不要だからこそ、国内での売買を規制した所で痛手にはならないし、三国列強の一つ、法国への印象も明るくなるからやっただけに過ぎない。
確かに、人権の売買は倫理的には悪だろう。但し、社会構造の一つとして評価するなら必ずしも悪とはならない。僕は勇者様ではないから、即時的で即物的な心地良さに陶酔する程にイカれちゃあいないのだ。良心の呵責とかないね、まじで。だって幸せじゃんそれも。共産主義だろうが、社会主義だろうが、王権だろうが、変わりゃあしない。
どんな形でも意味や価値ってのを人間は見出すものだから。勇者様如きが手前勝手にしゃしゃるのは、僕のような輩から口出すと、誠にナンセンスだね。
「最近分かりました、勇者様って急にまったく関係ないこと考える癖がありますよね?」
「うん?」
「わたしを見ているのに、見てないな……と」
「大した事は考えてないよ、主に、そうだな……要するに、平和な日常に付いての話でもあるんだけどね」
「はあ」
生返事だった。良くも悪くも、そんなもんだろう。僕は僕の中で大概を解決しようとするから、他人の答えとか応えには期待値が割り当てられないのだ。追求されたらされたで困るから助かりはする、ふらふらしてるから。
「そう言えばさ、キャロルちゃん知らない? なにか言伝とかさ」
ステーキを小さく切り、フォークに刺したタイミングだ。嬉しそうに口を開けたまま固まり、数十悩んでいた。だが流石はセルフちゃん、一旦僕を無視し、口に入れた。なんとも至福極まる顔だ。嚥下すると、もう面倒になったのかステーキを切りながら。
「後は任せます、くらいしか聞いてませんねー」
「そっか」
「勇者様こそ、なにがあったんですか?」
はてさて一体なんの事だか。
僕は阿呆でもあるから全く欠片も分からないな。ないとすればアイリスさん絡みだが、ないと思うからないな。となると、午前中の聖女様絡みの話だろうか。あの人とは関わりたくないし話題にしたくないのだけれど、他でもないセルフちゃんが話題を振ったのだ。
なにかあるのだろう、そうに違いない。カライト、聖女。『神来社 字』とは腐れ縁だ。SB会に僕を放り込んだ原因で要因は別にし、彼女とは仲良く、な間柄ではない。記憶上、彼女は盲目だった筈だし異常とか異質とかを嫌う人であった。
しかも手に負えないのはそれを破壊、壊滅、粉砕する攻撃的異常者である自覚がない所。破壊してばかりのあの女とは、国を跨いでから関わらないと安堵していたけれど、異世界で再会するのはぶっ飛んだサプライズである。
SB会は異常、異質、非日常の非実在及び実在物質に対し破壊活動を行う組織だ。あの組織に若かりし頃の僕って奴はまんまと捕まって、なんか分からん理屈を言われ、なんか知らんが幹部員の席に押し込まれた訳だ。米国での嫌な思い出の一つだな。
それを踏まえて僕を『丨』と呼んだのだろう。あの頃、彼女が勝手に呼び出した愛称だ。確か、上から書いたら『退く』の意味で、下から書いたら『進む』であると教えてくれた。とどの詰まり『丨』と呼ぶ真意はどっち付かずのクソトンマに等しい訳だ。
嫌がらせかな。嫌がらせだろうな、彼女は僕が嫌いだったろうから。それもこれも、僕が半端だからだけど。だからって責任が僕にあると言いたくもないし、思えない。あくまでも、『神来社 字』は勝手に盲目の道を選び、神眼って胡散臭い才能を捨てたんだから。
原因が僕だったとして、なんだってんだ。知らねえな、そんな話。
ともあれ。
「カライト聖女様とは、ただの世間話する仲だよ。今日が初めましてさ」
「カライト様にもう会ったんですか、変なことしてませんか……?」
失礼な。知り合いたくないから知らない振りしかしてないし。
「挨拶しに来たみたいだよ? 殿下に」
サラダはシルト近辺で栽培されたもの、これだって見覚えが余りないけれど、青や赤、黄が所々あって鮮やかだ。新鮮なレタスやキャベツに似た野菜をベースに盛り付けられた野菜に、僕はフォークを向ける。
「うんうん、挨拶は礼儀ですもんねー」
誰に向けて言っているのか分かんねえな、身に覚えはない。僕は記憶力も悪いから。
サラダにフォーク刺す、口に運ぶ、詰める、サラダにフォーク刺す、口に運ぶ、詰める。身体はこの繰り返しを行わせてセルフちゃんの御喋りをBGMに設定する。
「挨拶とはですね? 人と人の付き合いでは非常に大切なのです。互いに、今日も健やかなれと祈り合う姿勢こそ、清く正しい人の道が――」
サラダにフォーク刺す、口に運ぶ、詰める。む、限界が近い。咀嚼を開始する。聞き流したのは大体八十字程度だろうか、内的環境による解決策、省略と言う機能である。
「――ですから挨拶は、相手を思う心が不可欠です。勇者様に是非、って、そうではなくてっ!」
サラダを僕が突いていると、セルフちゃんが大きな声を出した。口の中に詰められるだけ野菜を詰めた僕は、咀嚼しつつ目を戻す。
「ふぁに?」
「食べ物が入ったままに喋らないっ!」
人にフォークを突き付けるのも大概だけど、なんか、これは身に覚えって奴があるから押し黙るしかない。
「勇者様はほんっとにもっー! 礼節! 良識! 大事ですよっ!」
「ふうん」
漸く口の中の食物繊維の束を胃に押し込めたので、僕は相槌を打った。
「勇者様、あからさま過ぎません?」
「うん?」
「ん」
顎で示された、アイリスさんだ。聖女が顎を用いる意図は呆れか、明らかに前向きな意味合いを含ませてはいないだろうけれど。
「……」
取り敢えず、手軽にフェイタル。
それは僕に対する『to kill ya』ってもんだな。空耳だけれども、度数の高い酒で胃と脳味噌をおしゃかさまにするみたいでもある。ちょっとばかり、口が開かなかった。考えて、考え抜いて、煮詰まったから瞬きする。
「……」
僕を見詰める飴玉は、完全に硬直した顔を不気味に思う様子もなく、唯、見透かすように定めている。鼻腔を刺激する肉の焼けた香ばしさを突き放して、野菜の青臭さに染める。フォークを止めて、僕だってセルフちゃんを見返すのだ。
「じゃあ君はどうなの? 僕を勇者様って決め付けて縋る事に付いて、それを正常であり通常だと思えるの?」
「わたしは勇者様を信じておりますから」
「……、……あっそ」
皮肉も意地の悪いささくれも意に介さない力技だ。僕が敵わない方針に八方塞り、手詰まり、デッドロックしている訳だけれど。さて、どうしたものか、損な下らない事を考えるのは視界の隅でちらちら銀とか白が揺れているからだ。
「セルフちゃんはカライト聖女とは知り合いなの?」
「特別親しくはありませんが、勤勉な方ではないでしょうか?」
「どうしてそう思ったの? 知り合ってないのにさ」
「聖女、とは神の奇跡の代理人ですから。民からの目は自然と集まるものです。そのような目を向けられようとも、敬虔な信徒であると称されるカライト様は、さぞや勤勉なのだろうと思いますけど」
「ふうん」
「む。勇者様から言わせれば……その、世間の評価とかは信頼とかしない感じかも知れないですけど」
肉を完食したセルフちゃんは傍らのコップを手にした。喉を潤すと、切っていた言葉の続きを思い付いた顔をした。
「勇者様は変わりましたね」
「……そうかな?」
僕は僕自身の評価を不得意とするので、セルフちゃんの主張に今一しっくり来ないのだけれど。僕はと言えば、最初と今では方針が違うので、変わったと言われるのも間違いなんかじゃあないだろう。一番一緒に過ごしたセルフちゃんからの指摘だ、良いか悪いかは別として。
「なにがどう変化したの?」
「わたしを、見てくれてますから」
「……、……そうだね」
僕は残ったサラダを口に押し込み、咀嚼し、嚥下する。昼下がりの飯屋は文官達の専門的な会話が伺えて、一般人は逆に戸を開け、異様に厳格な騒々しさに萎縮していたりする。シルトの経済に付いて、或いはシルトにて落ちた生産性と、今年度の収益に付いてだったり。
それとも壁側で語り合う文官達を例にし、意識を向ければ、彼等は古来人種に付いて語り合っているではないか。小さな隣人は頼もしくもあり、配慮すべき対象だ。比較的に欲深い者は少なく、誠実にして勤勉だ。先代亡き後ヤームが実質的に率いるカフェンクランでは、人類に対して接した期間が長い故に寛容であったり理解を示してくれる。
例えば文化的に忌避する握手も、カフェンメンバーであれば応じて頂ける場合が多い。これはそもそも古来人種のコミュニティでの習わしや規律を毛嫌いした者達が集まったからで、同時に他のコミュニティとは毛色が違うのだ。
ヤームさんとかはかなりその傾向が強く、民族衣装に腕を通している姿は見た試しがない。なんか、こう、スカート履いてて、女性だと知った。正味、小さい隣人達の性別を当てられるか不安だ。
未だに分からない時がある。ヤームさんとか声が低めで一人称は男性形を好んで使うし、恐ろしいのは公用語に訛りがあるから殊更分からんって頭を抱えていた。が、竜解体会議にてウェンユェからヤームさんは女の子やでしゃんとせぇや、なんざ言われたのだ。
そんな話知らんけど。
普通にさ、無難な礼儀を通していたのに、アガレス流の挨拶で女史へ向けるべき礼節ってのを選ばなかったのが御気に召さなかったらしい。ヤームさんは気にする性格ではなかったけれども。女の子かよ。
そんな話は知らねえよ。まあ思い出しても徒労だ。
最近、会えていないハバラちゃんとかは赤毛を取り繕う為に民族衣装を着てはいたけれど、近しい年代のモルちゃんとは派閥が違う。モルちゃんはヤームさんが実質牽引する半遊牧民コミュニティ所属の戦士で、アシャカムを継承した牙見習いだ。
ちょっとごちゃごちゃしてはいるが、要約すればアシャカムを受け継いだアシャカムの見習い、だ。物体と役割が同音異義語だから糸玉みたくごちゃごちゃするのだけど、こう改めれば雁字搦めな糸も疎にして筒抜けに見えなくも、ないかも。
ヤームさんの立場とか、あんまり知らないけど死去したタウタって族長とかも、モルちゃん自体の考えとかも詳しく知らんので、この辺りの案件を僕はウェンユェとか春風君に投げてる。関わらない方が良いだろう、耳にする話では残った半遊牧民コミュニティとヤームさんが揉めてモルちゃんって子を春風君がフォローして。
「……、主人公みたいだな……?」
セルフちゃんには聞こえていなかったが、壁際のメイド様には小首を傾げられ、誤魔化すようにステーキを楽しむ。
どうもどうやら、春風太陽君は主人公っぽく、族長の死に落ち込むモルちゃんを応援し、適切に支えて、族長にまで押し上げやがったらしい。経緯しか全く分からないけど、竜解体に半遊牧民コミュニティも加わるって朗報からして、超絶に成功したのだろうな。僕がやっても、モルちゃんを励ましたり、前向きにはさせたり、そんな展開は訪れないだろうし。
やはり勇者って凄いなって他人事に思ってる。やはり僕は勇者ではないな、不適切だと結論する。
太陽君が主人公として、相棒枠のヘルさんと言えば竜解体の現場指揮者らしい。あの人、一見は蛮族そうだけど、ちゃんとし過ぎているのだ。古来人種に囲まれた二メートルはある巨躯、あの絵面だけは記憶に残ったもので。アガレス王国の復興効率は古来人種の協力と、赤竜の遺体が過分に影響している。壊れた船団の修復、街の再構築、瓦礫の撤去と廃棄場所の確保。
破損した水道は本当に困っているけども、小さい隣人達が地下水路に着手している。驚きなのは、そんな施工、瓦礫の解体、運搬や計画を古来人種は熟達している点だった。これは正直予想外で、想像より数段復興が早い。日本のフル稼働には勝らないが、どうも、その作業の迅速さはレイちゃんが起因するらしい。
なんでも、クルス殿下曰く『ふむ? 彼等は神の為に国を興したからね、このアガレスの地を切り拓いたのは神なる銀黒様だよ?』と。だから僕は『じゃあなんで女神様ばかり推してるの? 教会の支配ってやつ?』なんざ返したもので、殿下は首を撫で『正確に言えば先代勇者様と、だからね。勇者様は女神様に導かれた人だからさ』と。
答えになってなくない、それ。
思ったのは果たして僕だけだろうか。アガレス王国の歴史や成り立ちも掘り返すとごっちゃごちゃで整理に苦しむ。他の国もそうなんだろうけど、凄い面倒だ。兎も角、慣れた手と臨機応変に対処する司令塔が活躍している。
忙しそうだし、現場で僕は役立たずだし、会議以来、顔を合わせちゃあいないけれど。
「ねえ、セルフちゃん。ちょっと討論しないかい?」
ステーキの最後を肉叉で貫いて、僕は暇潰しに提案する。関わらないって立ち回りは僕の思考に余裕を出させるので、ならばいっそ積極的に他人と関わってみてるのだ。セルフちゃんは食べ終えて、紅茶を楽しみつつ注文した焼き菓子を待っているだけだから、付き合ってくれるだろう。
透き通った瞳は不審そうに細まったけど、嘆息一つ流して。
「勇者様から話し掛けてくるときは、その……あの……困ることばかりなので身構えちゃいますね? 文官さんたちみたいな感じです?」
背筋を正し、ちょっと楽しそうな顔でどうぞと続けた。僕は、ステーキを食べ、胃に押し込み。聖女だからって風体は改めないし世間体を鑑みないので、他の文官に見られようが意識の端に蹴っ飛ばして、片肘を机に突く。輩みたいだが、楽な格好なだけだ、深堀りすべき要素もない。
「じゃあ、そうだな……君にとって『勇者』はなんだい?」
「……?」
小さい人差し指だな。
「僕を指差すの止めようか、珍しく対話をしてるんだぜ? 勇者って形に着目しようよ」
「えっと……なら……んー、『勇者』とは災厄を退ける方です、かね?」
「つまり、セルフちゃんの考える勇者は『役割』であり、如何なる手段を選択しようとも『災厄の根絶』を為し得れば勇者って定義を満たす訳だね?」
「……、い、いえ。ちくちく返されたら、違うように思います。わたし、その、勇者様は正しくて民を導いて、救う人かなと?」
「でもさ、主張する『勇者』は誰かを助け、救う人な訳だろう? それだって『勇者』を形作るのは『役割』であり、その『役割』ってもんを満たせば『勇者』なんだけど?」
「む……ですが、勇者様は女神様に導かれておりますから。わたしが救い手を伸ばしても、その役割で『勇者』を満たしはしないですよ」
「女神様に導かれた人、これを前提にするなら、いやそれが勇者なら役割には縛れない訳だね?」
なら僕は勇者とちゃうか。女神様に会ってはいないからね。役割でないなら、僕は勇者ではない。確定だ。内心確信していると。
「ええ、ですから、勇者様は『勇者』です」
強く信じられた。
「女神様に導かれてないとしても、君、僕を勇者にする気しかないよね」
「信じておりますから」
強く頷き、あくまでも侍女として振る舞うアイリスさんにもダメージを貰ったが。
「……、やっぱりさ、その形より、役割より、君みたいな『誰かに請われた子の虚像』じゃないかな? 形ってものは、己が定義するのではなく往々にして他が定義するものだし? 僕が証拠ね」
中々に痛快な返し。僕を勇者と定義するセルフちゃんには返す術はない筈だ。暴論ってもんは激しいからこそ突き抜けて来やがるからな、僕は勇者じゃない、この主張が何度無下にされたか。思い出すまでもない。
「なら、勇者様は『勇者』ですね」
無垢な笑顔だ。そして何故か初手に戻った。え、僕押し負けてんだけど。可笑しいな、信仰対象にされるって、もしかしてだけど双方詰み手なのかも。御手上げじゃないか。
となると、否定し続ける僕の足掻きってかなり滑稽で、正に道化では?
嫌だから続けるけどさ。
「なら、次の議題だ。厭味で卑屈な僕から質問しよう、君にとって『幸せ』とはなんだい?」
「……平等に権利を認め、平和に生きる事です」
奴隷制度を思い出したのか、確固たる意志が伺える。
「君は個人の権利を認めるけれど、平等ってのは必ずしも善ではないよ?」
「どうして、ですか?」
奴隷制度の話に通ずるからか、やや怒気に似た気迫を帯びていた。真剣なのだろう。
「平等ってのはさ、そうだな……対等である訳じゃあないからさ」
「平等なのに、対等ではない……?」
「もし、パンを二個貰えなければ飢えて苦しむ人、パンを二個貰らわずとも飢えず苦しまない人、その二人がいたとしようか」
「はい」
「双方に、焼き立てのパンを配ろう。手元には三つ、さあ、君ならどうする?」
「飢えて苦しむ方に、二つ差し上げますね」
「それは本当に平等かい? 平等ってのは、双方が満たされる均等ではないよ。一つと半分を配るのが『平等』だろう? これは男女、性別の違いだろうと必ず発生する個人による『平等が抱える最も致命的な欠陥』さ」
焼き菓子の香りが厨房から漂っていたけど、僕達の区画は重々しく錆の臭いが満たしつつある。湿度が上がったような気もする。
「ええ、そうしてパンを配れば平等ではありますが……平等には公平さも必要ですよ。でなければ……、飢える人は幸せでしょうか?」
「幸せは個人の問題だよ。幸せってものに普遍はないし、決定権は他人に委ねられないものさ。少なくとも、僕はそう学んで生きてるね。それに、公平さを内包した平等は一過性の誤認に過ぎないんじゃない? だって、それは個人の権利否定にも繋がるし、平等を正義とする主張こそ過ちだと言わざるを得ないかな」
「ですが、幸せは……みなで作り上げ、みなで共有すべきです」
「幸せ自体が個人の裁量である点に着眼すれば、幸せの押し売りは善でもなければ、悪に傾倒してるけどね。確かに、公平にして平等さ。でも同時に忘れちゃならない事があって、平等は救いでも助けでもない」
「……、むう」
聖女様は困っている様子だ。貴重な砂糖が焦がされた匂いに釣られるでもなし、聖女の関心は僕の口先に向いている。
「同情とはなにかな? 労る気持ち、心を痛める気持ち、色々思い浮かべられるけれど、僕からすると同情は見下しているのとなんら変わりないかな」
「心を痛め親身に親切に、手を向けるのは間違いなのでしょうか?」
純粋な疑問だ。
「いいや? 正の反対は誤であるように、悪くはないんじゃない? ただね、同情って、哀れみって、見下しだろう。手前勝手に決め付けて、押し売って、その場その場の即時的で刹那的な自己欲求の充足に浸る程に、僕は愚かにはなれないけどさ」
「勇者様は他の誰かのやさしさがあるとは考えてらっしゃらないのです? 熟れたルシアは甘さを増しますが、腐るにも至りますし」
王宮流儀のカウンターだ。聖女様と侮るなかれ、未成年にして文官達との討論で磨いた口撃魔法は年齢に見合わぬ練度である。因みに、僕への皮肉とかが包まれているのは明白だが、面白いのはそれだけじゃあない所。
聖女としてやや複雑な立ち位置のセルフちゃんらしさである。さっきまで肉に煌めいていた瞳は鋭い知性と揺るぎない信念が灯されている。これには遠巻きに僕達を眺めていた文官達も『大人気ないぞ勇者様』から『流石は聖女様』に変わりつつある。君達はどっちの味方なんだ、現実的な僕より理想的なセルフちゃんが優勢なのか。
文官達は浪漫が好きだが冷静だ。僅かに他国の奴隷制度が浸透していたアガレス王国で、廃絶に際し一悶着は発生していた。と言うのも、外交官の一人が帝国から高級奴隷を下賜されたが故の騒動だ。結局、その高級奴隷はアガレス王国で制度から廃絶されたので、自然に奴隷ではなく王宮侍女としての身分を獲得している。元々は側付きであったらしいのだけれど、自由とは呼べぬとして王宮侍女になったらしい。
僕の部屋のベッドメイキング、衣服の整理なりをしている一人が正にそうだ。大人のお姉さんであり、黒髪の人だ。怖いんだよな、あの人。ちょっと苦手だ。兎角、奴隷制度の廃絶を行えた理由は倫理の重視より長期的利益の面が強い。帝国も一々気にする話ではないけれど、法国への印象も悪くはないし、奴隷制度を起用した際に発生する問題点を鑑みた結果である。
セルフちゃんの訴えで動いた事にはなるけど、文官達が見たのは『奴隷制度を採用した場合、貴族階級であるこの国にて、最低限保証される人権を弄る羽目になる』非常に厄介な光景だ。アガレス王国の憲法は人の権利の保証を確約し、誰であれ守るべき国民である証明だ。
社会的地位とは別に存在する人権が憲法により確約されるので、いざ奴隷制度を認めるとなると憲法の改正に着手せねばならない。時代により適切な法が施行されるべきではあるけれど、アガレス王国は王制であるのに法制の国だったのだ。
あらゆる表現の自由を保障し遵守する『尊厳権利』
最低限文化的な営みをあらゆる状況で保障し遵守す『生存権利』
この二大権利に、法制と王制の静かなる戦いにて新たに加わったのが政治への『参戦権利』だ。これにより、王だけが国の命運を握らなくなったのだ。が、此方は調整中だ。日本みたいには進まず、管理体制や組織の改革でてんやわんやしている。取り敢えず、王が率いる国王党、国民の意見を反映する宰相が率いる国民党、この二大巨頭により今は運営されている。
昔と大幅な違いが実はなかったりする、国王の派閥が主導で、宰相たるセルブさんが助言や反論をし窘める流れは昔から行っていた。だから、長いアガレス王国の歴史で国民決起による暴動が発生しなかったのだろう。けれど、明確に決まった権利により、より身近に国民は政治に介入出来るようになったのは紛れもない事実だ。
後単純に、法制と王制問題で憲法は王権より最上位に再度改変されたのが大きい。一応、前までは憲法なんざ知らない、と王権を振り翳す事が出来たけど、憲法第一で第二に王権となる。同列に法律であるので、ちょっとややこしいし注意せねばならない。
そんな訳でセルフちゃんの理想主義に揺れるのではない。筈、なのだが、文官達の目線はどうもセルフちゃん擁護の色をしている。納得出来ないんだけど。お前等の冷徹にして冷静な現実主義は帝都にでも旅行中かよ。
僕が劣勢なのは何故だ、いやセルフちゃんの可憐さに脳を焼かれただけだろうか、この野郎共。
「……、……。人に優しくする時に必要なのは思い遣りじゃあないよ、思い入れない事だよ」
「ん、思いやる心こそ人にやさしくなれますよ?」
文官達は僕の主張に前傾姿勢だ。そう、僕が論じ操る言葉は耳に馴染むものではないからだ。
「誰かに優しくする際に問題となるのは、優しくする対象を選別する事にある。君はきっと、誰であれ優しくなれるのかも知れないけど」
「つまり?」
セルフちゃんは察しが付かなかったらしい。純白の衣服が眩しくて目を逃がせば、アイリスさんの静かな瞳。アイリスさんだけは僕の言葉に、意見に思い当たっていそうだ。何時ぞや教会で揉めた時に知った話だから。
「アイリスはわかります?」
コイツなに言ってんの、みたいに話題を振った。誠に巧みな反撃である、僕への非難と僕の逃走経路の破壊を同時進行してやがるのだ。聖女なのに。アイリスさんは、エプロンの前で手を合わせたままに思慮を浮かべる。
「勇者様はきっと、優しさの本質は無知により成り立つのだとお考えなのでしょう」
「知らない方がやさしいのですか……?」
「セルフちゃんの優しさってなんだい? 僕の定義では、相手にする事、それ自体も優しさだと思うのさ。どんな返し方、反応でも無関心であるより優しいだろうからね」
「んー……?」
「セルフちゃんはさ、優しいには無条件の愛だとか考えてたりする? それは違うんだよね、だってセルフちゃんって平等も博愛も信仰なんざしないじゃないか」
「……、……むむ」
「博愛とは、全てを須らくに愛し、愛した人と道端の塵芥を同列に扱い同劣にする異常者の思想だからね」
「む、むむ」
「平等とは、全てを対等にするではなく、全てに均等に分配する事で、優しさから最も遠い思想だよ。平等にあるのは美辞麗句だけで、本質的に致命傷になるし」
「それは……先程、しましたね?」
「物事に優劣、順序、区別って名前の差別、それらを用いるからこそ君は成り立つのさ」
「んー……」
「例題を出そっか?」
「頼み、ます」
セルフちゃんは到着した焼き菓子を一つ手にした。僕も焼き菓子を手にする。右手に一つ、左手に一つ。
「これは心底につまらない話になるけれど。とある女の子がいました、優しいで有名なA子ちゃんです。女の子には想い人がいました。想い人の為なら、どんな事だってやりたい、そんな年頃です」
「ふ、ふむ。恋ですね」
「恋だろうね、恋って求める傾向ばかりでつまら、まあ、ともかく……」
咳払い、左手がA子ちゃん、右手が想い人だ。
「そうして、その女の子は恋をしましたので、想い人と過ごす日々は充実しておりましたが、女の子、A子ちゃんはとある悩みがありました」
左手の焼き菓子を歩かせるみたいに上下させる。
「悩みですか」
「はい、そうです。A子ちゃんはよく物を盗まれるのです。犯人は分からず、ずっと悩んでました。みんなに相談もしました、想い人は、A子ちゃんを慰めました」
「盗みですか」
「然しある日、なんとびっくり、想い人がA子ちゃんの大切な宝物を盗んでいる姿がありました」
「え、ええ……」
ドン引きしている。右手の焼き菓子を強く振り視線を集めながら、僕は淡々と語る。
「A子ちゃんは、想い人の行動に心を痛めました。何故ならば、彼が好きだったからです。ですが、彼はA子ちゃんの優しさにつけ込んだ悪漢でありました、初めから、優しいから利用されたのです」
この話は昔話ではある、省略とちょっと手は加えてはいるけども。概ね形は変わらない。
「う、うわぁ……」
「A子ちゃんは、到底、とてもじゃありませんが、想い人にやさしくなれませんでした。それもこれも、想い人を知ったが為です。ならばいっそ、知りたくなかったと深く嘆んだ事でしょう」
右手の菓子を砕き、口に放り込む。
「では、質問です。A子ちゃんの優しさは、偽物でしたか?」
「違う、と、思います」
左手の焼き菓子を咀嚼する。手を合わせ、僕は嚥下する。
「この話には続きがあるけど、知らないが為に優しくなれるもので、知った上での優しさは狂気の沙汰でもあるよね。恋は盲目、とはイカした言い回しだけれどもさ。セルフちゃんは、知った上で好きで、知った上で優しくなれるのかい?」
「……、わかりません。きっと、わたしは許せます……けど……」
「だよね。さてさて、じゃあ僕はここらでおさらばだ」
「えっ! 逃げないでくださいよっ! 気になるじゃないですかっ!」
文官達の聞き耳を伺い、僕ははっきり口にする。
「逃げないさ、唯、仕事の時間だよ」
セルフちゃんの至極不満そうな顔に雑に決め顔をしてやって、僕は離席する。颯爽と肩で風を切る僕を、誰であれ止められよう筈もなし。
さあ、仕事の時間だ。
文官の引き攣った顔を引き連れ、僕は勇者ではないのを良い事に知らんぷりで歩み続ける。
やはり僕は勇者ではないな。
「セルフちゃんは柔らかいよね」
「経典の角は硬いですよ」
「そうだったね」
ナチュラルなセクハラ野郎。




