もう、すんげえのよ
もう、すんげえ憂鬱。あれから、そうだな。
三日程と言った所だ。
そう、三日も経過したのだ。
滅茶苦茶で全く解決してねえ、身体もなんか色々痛え気がする。
「……、うん……」
幸い、死者は少なかったけれども。なんでこう、ドラゴン騒動でこうまで拗れるのか欠片も分からない。大元の原因は終末人種か、或いは猪突猛進狂信聖女にあるのかは知らんが、僕をなんだと思ってるんだ?
僕は単なる大学院生で、勇者様ではないのだ。何度も言っているけれど。後、此処数日は苛々とか不満が募り続けている。
先ず、僕の怪我に関しては聖女様パワーが活躍して問題っぽい問題はない。睡眠不足ではあるけれど、それは別の原因なので語るのは避けるとして。次に、捕まえた筈の捕虜。これがどうも、皆死んでいる。御丁寧な口封じに若干キレ散らかしそうになったが、まあ、最初から分かってはいた結末だし、知っている話でもある。
だからって許せはしないけれど。
「……、……」
簀巻き男、仮称Xの扱いからして察してはいたからな。それに全くの収穫なし、ではない。取り敢えず、人間の仕業ではないのは確定しているし、帝国の関与も疑える程度には怪しさや情報はあった。捕まえたどいつもこいつもが帝国軍人で、簡単に切り捨てられた、のも列記とした情報だ。
「……んー」
そう思い至ると存外、悪くなかったのかも知れない。国内に存在していたあの仮称Xが持ち出した兵器の情報は少ないけれども、聞きたい相手として触手幼女や老幼女を探しているのが今だ。のだけど、なんと驚き、どちらも見付からない。昨日駄目だったから、今日も今日とて、とかではなく、そりゃシルトの復興臨時拠点に二人が居る訳もないのだ。
一人は住所不定無職の自称五億歳の王であらせられるし、もう一人は自称永遠なる十六歳の偶像で引き篭もりだ。焦ったり急いだりしてはいないから今を優先し保留した。
「……、……」
足を組み、周りの文官と同じように書類に目を通し続ける。判子が必要な物なら仕分けて、不要な物は処理して。早二時間。病み上がりの僕にマジで優しくないアガレス王国文官共を流し見る。皆、目の下の隈が洒落にならない。セルフちゃんも、鉱山での治療を終わらせ昨日帰還した、と、アイリスさんから聞いた。
そうだ、僕はなんと治療され気絶している最中シルトに送り返されていたのだ。目が覚めた途端、アガレス王国の気遣いか派遣されている侍女に無理矢理、仮で組まれた風呂にぶち込まれた。意識が曖昧だったからされるがままに洗われた、のは良い。もう過ぎた話だし、僕は気にしないから。
でも、風呂上がり漸く意識がはっきりして来たら書類の束を押し付けたり会議したり討論大会でアガレス王国法律書を投げ合う祭りにぶち込まれるのは違うだろと、僕は思うのだ。いや、人手が必要なのは理解してはいるけどさ。怪我も残ってないんだし、病人でもないけれどさ、普通に躊躇う範囲ではないだろうか。
兎も角。
竜騒動は決着が付いたと述べるには些か配慮に欠けるけれど、不時着にしろ一応の体裁は整いはしている。キャロルちゃんは鉱山での一件から行動を別にし、現在の行方は把握してはいない。地下から掘り出された例の兵器も残骸を調査する為、王宮魔導師達が鉱山の地へ足を運んではいるらしく、詳しくは後々に期待するしかない。
男達の死体調査は僕も昨日立ち会ったものの、薬物なりは検出されなかった。御手上げと言う奴である。ので、少し話は変わって鉱山で稼働していた魔導機、三機が大破した赤字に付いてはウェンユェからネチネチと嫌味を言われたもので。
帝国から改めて買うにせよ、赤字は赤字だ。シルトの近場に腐りもしない赤竜の骸がある現在、一時的にアガレス王国の資金力は上がってはいるのだけれど、ウェンユェからすれば出さなくて良かった出費でもある。
そして、一番気になっていたアイリスさんだけれど、彼女は白髪とヴァイオレットの瞳をした瀟洒なメイドさんだった。超可愛い。
普段通りに見えて、どうも力加減に四苦八苦しているようで、朝食の準備をする際に何枚か皿を割り、ティーカップを握り潰し、ドアノブを千切っては少々、落ち込んでいた。のを慰める僕ではないから、普通に観察していたら今までしなかった天使みたいな笑顔を向けて来る始末。狂っちまいそうだから、文官達の汗と怒りと信念の異臭漂う臨時指揮拠点に今日も逃げている。
セルフちゃんは教会で聖女の仕事、付き添いはアイリスさん。今日は顔を合わせはしないだろう、順調に事が運べば。
「うん、すんげえ憂鬱……あーあ、どっか海にいきたい。ちょっと沖まで流されたい気分だな」
「……、ねえ、丨くんだよね?」
「……、は……?」
『丨』は『数字』でも『英語』でもない。日本語で『丨』は『コン』と読む。僕を『コン』と呼んだ誰かに、手にしていた書類なぞに意識も向けられやしなかった。見る、凝視する。そして、記憶の奥底に転がった姿と合致して、ふと数秒考える。
「久し振りー?」
シルト復興臨時指揮拠点、大層な名とは裏腹に簡素な木と布で天井と壁あれば良いよね理論で仮組みされただけの、粗悪な拠点。足元は赤土色で、文官達の中には高価そうな絨毯を広げていたりする。
あれは靴が汚れるから、ではなく書類を汚さない為に近場にあった布を敷いただけではあるけれど、そんな役にも立ちもしない雑事を脳裏で走らせて。
改めて、この空気に似合わない。否、似合うのか判断出来ない『聖女』に目を向ける。黒髪、黒目、そして、真っ白な聖女服。僕が硬直しているのを見てか、鼻をふふんと鳴らし、嫌な笑みを浮かべた。唇を極端に弧にした笑顔は、覚えがある。
「…………?」
なんだこいつって顔で僕は応戦した。隈と憂鬱と、茹だる文官の熱気に後押しされた説得力を確かに僕は武器とした。
「……、え、もしかして、違う? 人違い? この、声で……?」
判断材料が記憶にある声とは驚きだ。そんなの印象に過ぎなくて、ちょっと環境と習慣で変化する頼りない糸に、こいつは縋り付いている。記憶の中にある誰かと重ねて。
「いや、僕はただの勇者ですけど……聖女様は、その……どちら様の……?」
良し、知らない振りしよう。
異世界で会った知り合いには積極的に関わりたくないってのが本音、特筆して僕に友人は少ないし、知り合いは大概碌でもねえからだ。列挙するまでもなく厄介、極めて有害だ。なんで聖女をしてやがるのかは知らないが、知り合いなら尚更関わりたくない。
「へえ、あっしは枢機卿の一声にて、この未曾有の苦難への助太刀に参った、しがない尼でございますぜえ」
日本語だった。が、一瞬考え直す。うん、翻訳の奇跡が僕にはあるから反応しても問題にはならないか、なら、そうだな。頭の中で逆に公共語、或いは公用語と呼ばれる主言語に翻訳する。詰まる所、この尼、ではなく、聖女は枢機卿から派遣された聖女様であるらしい。
「これは、御丁寧にありがとう御座います。私は、文官のように思うかも知れませんが、勇者をやらせて頂いております」
「……初めまして、勇者様?」
見えてすらいない真っ黒な瞳がぎゅっと収縮して、僕の差し出した手を確かに見た聖女は、何度か頷いた。手に触れないのは、単純に彼女の両手に祭具らしき指輪や装飾があるからだろう。手になにかを持てないような装飾だ。セルフちゃんとはまた様子が違う聖女様である。
身長は百六十はあるだろう。真っ白な肌に、真っ黒な長髪、真っ黒な見えてない筈の瞳。純白と純金に重武装した聖女様に伸ばしていた手に、なにか、棒が当たる。見やれば、御付きっぽいむすっとした神父が僕の手を杖で押しているからだ。
聖女様に近付くな、とばかりの眼力。アガレス王国に有り触れた血筋っぽいから、シルトの神父さんだろうか。杖は豪華ではないが、細部に女神教のシンボルが彫られている。
「聖女様、王太子殿下はここより更に奥の執務室におられます」
神父の睨みを受け流し、僕は書類に目を戻す。聖女様はジャラジャラとした音をさせ。
「それも大事ではありますが、勇者様こそ、我等女神教の信徒は敬うべきではありませんか? そうではないと?」
曲がり過ぎた唇、笑みは確かに見る人が見れば天使とか女神とかを比喩に持ち出すのだろうけれど。僕には悪辣で、悪質だ。知り合いでなくとも知り合って来る気配がする、凄く、面倒な展開。
書類の中に『行動せねば変わらない』なんざ記述を見付ける。流し見れば、赤竜の骸を即座に解体してその膨れ上がった資金力でシルトの街を復興する為にシルト領主邸再興計画書が描かれていた。取り敢えず、寸法と材質、高さや広さをざっと計算する。建築強度に不備あり、震度四程度も耐えられそうにない。材質に竜を流用するとか書かれているが、あの骨を加工する技師は存在しないのを知らないらしい。
古来人種のヤームさんが紙巻きした薬種に火を付け蒸しながら愚痴らされていたので、赤竜の骨には信頼があるが、加工しようにも小さな彼等でも一部、なんだっけ。そうだ、牙達しか刃が立たないらしい。いや、この場合歯だろうか。
当初ぶつ切りでの解体計画を立てたが、骨が容易に切れないと知り、ウェンユェ率いる人類とヤーム率いる古来人種での会合では腐りもしない肉を消費しながら削るように解体するしかないと結論したばかりである。タイヨー君がチェンソーでも貸そうか、とか言ってたけど、彼は古来人種を過小評価していると思い却下した。
小さな彼等は容易に素手で鉄塊を引き裂く種族だ。チェンソー如きで切れるなら、現代医療でも苦労はしない。いっそ鉄製で金剛石を混ぜた糸鋸の方が現実的だ。それかグラインダーを用いるのも悪くはないけれど、そんな単純な話にはならなかった。著しい強度を誇るだけではないらしい。
死して尚、心臓すらないのに、魔法的に強化され、死して尚滅びていないらしい。詳しくは分からないけれど、王宮魔導師と小さな彼等が言い争う姿は筆舌に尽くし難い光景ではあったな。子供と大人が言い争ってる風だったし。
なんざ考えて、書類に却下の判子を押す。押したと同時、気配がした。黒い目が僕の横っ面を見てやがるような感じだ。
「勇者様は女神教会では有名なのですよ? 我等が女神様のお導きを体現し、赤竜を討った一人ですから」
「……それはどうも」
僕の先回りは、最善とは呼ばない。最良でもなければ、最悪でもなかったけれど。それに表舞台で活躍した覚えはないんだけれど、セルフちゃんと同じ所属なら耳にしたとしても不思議ではないか。
「カライト様、お気持ちは分かりますが……お忙しい殿下にこそ、その慈愛をですね」
神父は僕を伺って、気不味そうに目を反らした。にしても、カライトと言う名前らしい。とても珍しい響きだ、王国や帝国とも違う耳心地に違和感。
日本語ならばそれは『神来社』で、名前は『字』で『あざな』と読む人間がつい連想される。黒髪、黒目の壊滅大好き大和撫子だった筈だ。
それこそSB会N4の『神来社 字』みたいな、超壊滅大和撫子に酷似している。嫌な話だ。更に深く思い出すのは止めよう、僕の精神衛生を考慮しなければ。今日は既に絶不調なのだし。
「むう」
カライト様は不服らしい、頬を膨らませ指を芋虫みたいに動かしている。荘厳な純金の擦れる高い音色に神父はぎょっとして、自らより歳が下な女の子に萎縮している様子だ。
聖女とは大別すると三種類存在する。
様々な国にある教会の聖女様、結界維持を主にする聖女様、そして最後に総本山の聖女様だ。この黒髪の聖女様が纏う聖女服はセルフちゃんより格式がやや高いものであり、背にするシンボルのみならず、手にすら枷のように煌めいている。
窮屈そうだが、何処か触れられそうにない空気も感じるけれど、豪華な身形にしては態度は子供っぽくてチグハグだ。
「勇者様はどう思いますか? 私は人助けをするだけ、格式張った鎖に縛られるのを良しとすべきでしょうか?」
なんて、手を広げ宣うのだ。
「僕からすると、挨拶は礼儀だと思いますけど」
セルフちゃんが僕に言った台詞を思い出し、そのまま転用する。反論されるとは思わなかったのか、カライト聖女は大きく目を開き、それから唇を曲げた。
「なるほど」
「勇者様も仰る通り、王太子殿下への挨拶をしましょう……!」
神父さんも大変だな。案外、悪い人ではないのでは。他国の聖女に気安く触れれば外交問題に発展する可能性もあるし、特筆してカライト聖女様は握手が出来る姿ではない。僕の知らない戒律とか、巡礼だとか、試練だとかあるのやも知れない。不用意に手を差し出すのはこの世界では少々リスクを伴うものなのだ。
何故ならば、そも、『握手』が失礼である場合がある。古来人種では手と手を結ぶのは死の印であるとか、手の結びは容易く解けるから不吉だとか、そんな習わしがある。これはヤームさんから聞いた雑学で、人間社会に馴染む彼等でも握手には抵抗があるそうだ。
様々な憶測を立て、僕は納得する。シルトの神父が勇者様に対して悪感情を抱くのは、ちょっと理解するには情報不足だし。なら口で言えば、とも思うかも知れないけれど、それは聖女様の前で言う自体が失礼だろうから。杖でさらっと咎めて眼力で意思を送信するしか方法もない、か。
現に、聖女様は気付いていなかった。気不味そうな顔も、本当ならこんな事はしたくないって意味が込められていたのやも知れないし、一方的に他者は他者を決め付ける世の中だからこそ、慎重に見定めなければならない気もする。
「そう焦る必要はないのではないでしょう? メルクマルクロスト様がいらっしゃるので民の治療は殆ど完遂された、そう耳にしております。なので、私が来た意味、実はなかったりしません?」
「いいえ、なにを仰るのですか聖女様。貴女様の御助力に感謝致しております」
「そうですかー……。そう、勇者様? 一つお聞きしても?」
「どうぞ……?」
書類片手の僕に、見えていない目玉を向け、やんわりと微笑んだ。
「もし、この世界を構成する要素に、この世界由来でないものが見付かったら、貴方はどうなされますか」
質問の意図が汲めない。勇者はこの世界からすれば異物ではあるけれど、大事な主語が抜けた質問に僕は答えに詰まる。
「少なくとも平和であるなら、それは偽物であっても、本物でなくとも、必ずしも誤りではないと思いますよ」
と、無難に答える。そうすれば聖女様は頷き、しゃらしゃらした音をさせながら踵を返した。
「ふふ、ありがとうございます。では、あまり殿方を持たせるのも野暮ですから、顔を合わせて来ますね」
手を振るう姿は紛う事なき聖女様だ。黄金の装飾すら霞む美しさに、臓腑が凍て付く冷たさを内包した女性。可憐な少女でもなく、年上のお姉さんでもない。強いて言えば同世代か後輩みたいな、そんな印象がする。
遠退く背をぼんやり見ていると、近場の文官がまた面倒そうな人が来たなとぼやいた。独り言っぽいけど、僕が顔を向けると苦く笑い言い繕うように。
「勇者様はご存知ですか? あの方は法国で次期枢機卿の聖女様なんですよ」
「そりゃまた、随分と高名な聖女様を派遣したもんですね……? 法国からの一声でこの街に聖職者が増えたのは知ってますけど……」
「別に、悪い話ではないのですよ? ただ、神父さんに握手を咎められたじゃないですか、あれって、いま洗礼中だからなんです」
「へえ、男子禁制みたいな?」
書類を整理しつつ、傍らの文官と共にちょっとした小休憩。セルフちゃんからの差し入れ、ルシアの乾燥チップの入った籠を手前に寄せる。朝方、僕に渡して来たのだ。アイリスさん経由で。ルシアには回復とか回帰とか、明るい意味が多数組み込まれているので、健康を祈った差し入れだろう。
冷めきった紅茶をカップに注ぎ、同僚にも御裾分けする。僕一人じゃあ食べ切れないからだ。口にチップを放れば、爽やかな香り。砂糖ではなく塩をまぶしているのはルシアの甘さと絶妙に絡まって、しょっぱさが全体をすっきりとさせる一撃になっていた。
シンプルに美味しい。疲れに染みる。セルフちゃんって良い子だな。同僚と心地良い一時を味わいつつ、書類には目を通す。
「わあ、美味しー……っと、洗礼って誰かと触れる事が問題らしいですよ。無垢な……魂? だとかなんとか……まあ、そんな感じらしいです。私も詳しくないんですよね、女神様より、法律と税金ですな」
彼等文官は神官とは考え方が違う人が多い、アガレス王国はてっきり教会に染まった国だとばかり考えていたけれど、実際は司法と理屈の頭でっかちばかりである。これはザルツ王がああ見えて文官側の人間であるからだ。
宰相のセルブさんとザルツ王が確りしている分、法制国家に移行した際に思ったよりすんなりと置き換われた理由だろう。周辺の貴族や派閥が五月蝿いのは否めないけれど、王の威光は健在だ。法制になったのもあり国は所有物から、国の最終決定権を保持する管理者に変わったが、ザルツ王的にはどんな心境なのだろう。
「確かに。カライト聖女様とセルフちゃんって同じじゃないですか、でも扱い違うのはどうしてなんです?」
「それは簡単ですよ、カライト聖女様は外の聖女様ですから。そもそも勇者様は、聖女様の事を何処まで知ってますか?」
ルシアの甘みと仄かな塩の辛さを楽しみつつ首を傾げる。
「聖女を、ですか……?」
言われて気付く、大して知らないな。断片的には理解するけども、聖女ってなに、と言われて明確な回答がない。給与が発生する仕事でもあり、女神教の信徒であり。聖女と修道女の違いが分からない。聖人、は男性も存在するけれども。妙な話だ、聖女は修道女となにを以て区別するのだろう。
教会所属の人々は洗礼名を授けられるものだし、修道女も奇跡を。
「まさか、修道女達って奇跡を扱えないんですか……?」
「その通りです。厳密には医療術式は使えますが、魔力を用いていますね。その点、聖女様方は奇跡の代行者なのですよ」
「へえ。セルフちゃん凄いんだ」
「凄い方ですよ、アガレス王国に慈愛を向けて下さる数少ない聖女様ですから」
「あ、そっか。セルフちゃんってアガレス王国に独自判断でいるだけなんでしたっけ?」
「そうなんですよ。教会との繋がりも確保出来ますし、我が国にとって欠けてはならないお方ですな」
比較的に若い文官はそう言って笑い、肩を大袈裟に竦めた。聖女に関して関心があんまりなかったけれど、もう一度考え直した方が良いのかも知れない。セルフちゃんはあんな子だけれど、聖女であり、重鎮だ。アイリスさんが庇護する理由はそれだけではないのだろうけれども。
「因みに、セルフちゃんとカライト聖女様ってどっちが偉いんです?」
「……、難しい質問ですね。次期枢機卿であるカライト様の方が権威があるかと存じますが……我が国基準ではメルクマルクロスト様の方に贔屓したいです」
「……複雑なんですね、教会も。それは何故です? そんなに違いますかね?」
「メルクマルクロスト様の好意ありきで結界維持も安定してますからね。それに、奇跡を扱える上に保有魔力も高いのが我等が聖女様ですからな!」
「普通違うんですか?」
「メルクマルクロスト様は飛び抜けてます、他の聖女とは違って悪い噂もないですし? 分かりません? あの方の物欲って、その、少女らしいじゃないですか……」
最後だけ声を潜めた。
「ここまで認知されてるんだセルフちゃん……」
セルフちゃんは聖女である、中身も聖女らしい子である。が、年相応な面がある。
食べ物だ、特筆して甘味。
街中の散策をし、屋台で買い食いする様子が噂されたりする程度には大好きである。基本、自身の給金の過半数は孤児院等に寄付しているセルフちゃんではあるけれど、残りは甘味に変わっているのは皆に知られているようだ。民草も知っていて批判されている訳でもなく好意的に受け入れられている、聖女ってだけだと馴染みがないが、甘味を美味しそうに食べる姿は単なる少女だ。
それが何年も続けば流石に認知されるのも仕方がないだろう。セルフちゃんへの贈り物が食べ物ばかりなのを教会関係者が口にしていたような。セルフちゃんは、こう、花より団子なのだ。可愛い衣服、装飾に興味がない訳ではないらしいけれど、聖女だし、戒律って縛りがない飲食に固執するのも自然な流れではあるけど。
若い文官にまで認知されていたのか。セルフちゃんが何時か肥満にならないか心配だ。
「他の聖女は違うと……?」
セルフちゃんの純粋無垢さに一発食らったが、気を取り直して問う。実は名も知らぬ若い同僚だが、彼は厳かに頷いた。名前も知らぬ、と、言いつつ僕は一方的に知ってはいるけども、態々呼ぶ仲でもないから知らないで良いって寸法だ。
「中には、聖女の名を貶すような方もいるのです」
「カライト聖女様がそうだと?」
「で、ない事を祈るばかりです……。私の知り得る聖女様は、みな、なにかしらが歪んでましたから……」
若そうな文官、彼は嘆息を伸ばしてから、御馳走様ですと会釈した。書類を手に、他の部門の処理が必要なのか足早に去って行く。まあ、追い掛ける理由もないし、ルシアチップを一つ摘み優雅に腰掛け直す。
「聖女様ねえ……壊滅させてばかりなあの女に、なにが祈れるんだろうな……?」
どうかどうか、滅びてください。とか。それは、笑えない冗談だ。実に不気味。SHASな状況だ。
僕は、山盛りのルシアチップを見やって、今日も長くなりそうだと気合を入れ直した。
『ルシアチップ』
ルシアを薄切りにして熱した油でサクっと揚げる、仕上げに塩を一つまみまぶせば完成。蜂蜜のような柔らかい甘さに、レモンのような仄かな酸味、そして後味もすっと消えて爽快な一品。