桃源郷の所在は麓へ至り知る
おまたせ致しました。
本日モ晴天ナリ。
本日モ晴天ナリ。
褻にも晴れにも、青天井だこん畜生め。なんざ言い出せば切りがないし、不満だし不服でもある。
僕は、やはり洞窟から吹き飛ばされていた。壁面に衝突するからって、無理矢理身体を回し、背中側から当たったのは間違いだった。身体が滅茶苦茶に回転しているからだ、唸れ僕の三半規管。
回る視界を精査しつつ、洞窟から吹き飛んだ事で拓けた視野に目を回す。くるくる天と地が流転しているのを尻目に、なんだか分からないが大きな建物が燃え盛っているのを発見する。
人集りの壁は、壮絶な爆風と爆音を撒き散らした洞窟に目を向け、吹き飛んでいる僕を見上げているようだった。さて、今更ながら僕はこの体勢から無事に着地する手段がない訳だけれども。人間一人を容易く空に舞い上がらせた爆風に巻き込まれたままに、一応方法を考える。
この炭鉱の町は岩肌ばかり、落下位置を目算するに硬い大地の上だ。燃え盛る建物の壁面にでも当たる角度ならば逆に良かったのかも知れないけれど、身体が向かう先は人集りもない単なる大地だ。馬車の跡が残る、道である。草木も丁度ない、つまりは緩衝材がないのだ。
「……うーん」
錐揉み回転する肉体制御を程々に諦める。風圧で痛むけれど、頑張って目だって凝らす。高さは、二十はあるかな。距離は、洞窟から、どの程度だろう。これだけの高さ、それなりにあるだろう距離を僕が飛んでいるのは洗礼服あっての事だろうけれども、洗礼服に頼って頭を抱えて丸くなるのが正解なのかも知れない。
背中に受けた衝撃は凄まじく、恐らく洗礼服がなければ肉体はボロボロになっていただろうし、やっぱり洗礼服は最高だ。頑なに鎧を拒絶していた甲斐もある。
「あ、セルフちゃんだ」
煤けた聖女が指差して、あんぐりと僕を見上げているではないか。五体満足そうだし、杞憂であったなら存外事態は末期ではないんだろうけれど。僕としては万が一、なり、最悪って奴を想定していたのだ。この町に入る前に遭遇した兵士は、確かにアガレス王国の兵士姿ではあった。
けれど、全員が僅かに帝国訛りをしていた。気にしないように、態々指摘するつもりもなかったのだけれど、抑揚の付け方とかに僕は繊細だ。況してや、アガレス王国への訪問客なんて隣国から程度だ。帝国のような遥か遠方から足を運ぶ人間は極めて少数だし、それに。
「勇者様」
「アイリスさあむっ」
ふわっと、前に。アイリスさんだ。高さ二十もある空中に、瀟洒な侍女がいた。飛んだのか、はたまた、跳んだのか。細かい話は抜きにして、僕はアイリスさんの麓に顔面から突っ込んでいた。仄かな花の香りに顔が包まれて、ぎゅっと抱き止められたのだ。口を開こうにも、鼻先まで埋もれている。目の前は純白のブラウスと、綺麗なカフス。後、双丘。
「勇者様、こちらは対処致しました」
「ほうでふか」
喋るものの、口は塞がれている。ふんわりとしている。いや、空気が。香りとか、そんな話。銀色がチラついていた、のを見やる。髪の端から量子が舞っていて、アイリスさんが革靴を打ち鳴らすと空中を軽快に蹴っていた。
空気しかない空間であったのに、僕を抱き締めたままに緩やかに下降すると、ほんの暫く舞い上がった羽毛のように空中散歩して、すっと大地に着地した。アイリスさんは僕を麓から離して、静かな瞳で爪先から頭まで流し見ている。
「有り難うございます、色々と」
深い意味はない。駆け寄る聖女を一瞥し、未だに浮遊感が残る身体を解す。
「いえ、私は言われた通りにしたまで、ですので」
エプロンの前に手を重ね、透き通った声で謙遜された。正直、アイリスさんが存在しないだけで事態は深刻化しただろうとも思うし、なにより、終わっちゃあいない。
「…………駆動音……?」
そう、洞窟は崩落している。が。崩れた岩石の隙間から、青白い光が漏れている。次第に大地だって揺れて、体幹がない者は立つのも一苦労な程だ。僕は体幹はある方だし、アイリスさんは言わずもがな、駆け寄っていた聖女は顔面から大地にバスターしていたけれど、途中でセルフちゃんより小さな人影に支えられていた。
野次馬のおじさん達は屈強な炭鉱夫なので、騒ぎになんだなんだと宣うものの倒れたりよろけたりもしてはいなかった。兎も角、岩石が盛り上がって来ていた。下に、なにかがあって、地上に這い出ようとしているのだ。
十中八九、例の存在Xだろう。
僕は服の土を払い除けつつ、さてどうしたものかと思考を回す。崩落は進んでいるし、青白い光は強くなる。が、取り敢えず。僕の興味はセルフちゃんと、小さな女の子だ。見た目は少年で、手には。
「……ふうん」
ナイフだ、随分実用的な。小さな体躯に見合わない武骨さと物々しさがある。とは言ったもののセルフちゃんが脅されていたりする様子でもないし、想定していた厄介に巻き込まれた結果なのだろうけれども。
「君は、帝国の人間なんだよね? それで? 君はどうしてセルフちゃんを守るのかな?」
立ち位置や視線からそう判断する。少年のような少女は武骨なナイフを手にしたまま軽く会釈し、目は奇妙にも違う所を見ていた。
「はい、当方は帝国軍人です。キャロル・ヴェンデッタ、です。聖女様にはなにかと縁がございまして……軍人でもありますから」
「ふうん。にしてもさ、実力さえあれば年齢も性別も、種族だって不問だって噂だけれど、事実っぽいな」
少し関心する。帝国は魔物の脅威に対して確実で堅実な対策を講じている訳だけれど、国として差別するより実利を尊ぶ傾向がある。帝王は存在するけれども、賢王でもある。過度な独裁は否定しないし、実態はどうあれ、こんな幼い女の子すら軍人にしているのは国柄に他らならないのは確かだ。アガレス王国とは思想が違うのだろう。
アガレス王国は良くも悪くも奥ゆかしくも古めかしいと言うか、平和にこそ逆上せていると言うか、アガレスでは戦争は貴族の務めであり平民にはあんまり関係がない。帝国も軍隊って組織を作り上げているので近しいけれど、王国と帝国では内容が違うものだ。
特筆して女性の起用率が物語っているけれど。
「そうなると、あの手紙の送り主は」
「そ、それより今の打開を話しませんか?」
と、キャロルちゃんが当たり前みたいに言う。どうやら見ていた先は倒壊する洞窟らしい。直ぐにどうにかしなければならないのか甚だ疑問なので、僕は僕の興味に素直になって、話半分に流す。瓦礫が飛来していてもだ。傍らに落ちた岩石をちらっと流し見て僕はキャロルちゃんを見下ろす。
「うん、それはそれとしてね。キャロルちゃんはどうして勇者なんかに助けを求めたのか知りたいな」
「な、なぜ……ちゃんってつけるんですか?」
「女の子だから」
「な、なぜ知って……いや、洞窟からなにか出て来てますがッ!」
見る。魔導機っぽい。ちょっと巨大ではあるけれど、まあ、暫くは大丈夫だと思う。
「あれは良いからさ。君が誰かは分かったし、手紙の送り主の思惑を知りたいな」
「いやいや! ですから今じゃなくても……!」
押し問答である。僕は適当に折れようか悩んでいたら、怪我人の治療をしていたらしいセルフちゃんがキャロルちゃんの肩を叩いて、なんか頭を振っている。僕を残念そうに、にべたい碧眼で見て、失礼な感じだ。セルフちゃんらしいっちゃらしいけれども、誠に不敬である。
「勇者様に……当たり前は通じませんよ、諦めてくださいねー。えーっと、キャロルさー……ん?」
誠に不敬である。この聖女。
「……、『当たり前』ってなんだろうね?」
ふとした疑問。
「わたしにきいてます? うーん、うーん……そうですねー? 良識、でしょうか?」
顎に人差し指を添えて、聖女は言う。僕に向けた言い分だ、不敬にして不敬、不敬祭りである。
「当たり前は得難いもので、そうあれかし、そうならねば、と日々努力しなければならないものです。ですから、それらを纏めた理想や祈りこそが『当たり前』なんですよ」
ふんすっと鼻を鳴らす様は迷える子羊を導く先導者で、煽動者、と考えるのは僕にしても不敬極まるので、まあ言わないし考えないけど。それを横に置いても。
「言い得て妙だね、悪くないな。僕は、習慣や惰性、変化の薄さだと考えていたし」
「やっぱりなんだか、……えっと、後ろ向きですね?」
「前向きではないかな? でも、僕の中では『当たり前』は足し引きに当て嵌めたら、後ろ向きな話で、華やかなものなんかじゃあないからさ」
「お二人方ッ! 状況を考えてくださいッ!」
岩が降って来ている、が、僕は気にしない。危ないものは弾き飛ばして頂けるのだ、そう、傍らに控えるアイリスさんに。キャロルちゃんの怯えや困惑は当たり前なんだろうけれども、異常ってものは過ぎたら常になるものだから。故に、思いの外深刻な顔をしていないのだけれども。
「状況を考えても、僕は変わらないけど。セルフちゃんも逃げないんだろ?」
「民を置いて平静にはなれません」
きっぱりと言われた、そう、頑固なのだ。セルフちゃんの美徳でもあるし、狂い信んじる道にも通ずる。
「その信念は素晴らしいものなんだろうけどさ、僕には君が言い訳しているように聞こえるんだよね? なんて言うか『私は聖女』って感じで」
「勇者様って、ほんっとに良識がないですね?」
怒った顔、でもなかった。それは以前見た表情である。セルフちゃんは別に理想主義で浪漫に溺れてもいないし、狂ったように信じようとするのも盲目的だからなんかじゃあない。僕に言わせればそれは。
「勇者様こそ、どうして関わるんですか? わたしの頼みとかに興味はないんですよね? 見知らぬ世界の見知らぬ誰かに、勇者様は思い入れる敬虔な人でもないんでしょう?」
セルフちゃんの唸る角度のアッパーカットに体力が削られた、大体二割。でも違う。函蓋のように、相違しているんだ。
「それはちょっと違うかな……? 僕は存外、人間讃歌してもいる方だしさ。セルフちゃんの行動はどうにも言い訳的で、どうしても打算ありきで、そうして全部知っていても、どうやっても貫こうって決意があるんだよね」
「うーん、褒めたいんですか、それともわたしと決闘したいんですか? わたし、その、聖女ですので? それなりに戒律があるんですけどー」
純粋な困惑に。
「強いて言えば、分からないからかな。君はシドルド神父を告発したし、同時に、彼を庇おうともした。本心では『当たり前』ってのを分かっていたのにさ」
「今ッ! このSHASな今ッ! 控えて頂けませんかねッ!?」
キャロルちゃんは洞窟の瓦礫から這い出る金属を見たままに叫んだ。分かっていないな、これだからキャロルちゃんは僕なんかに目を付けるのだ。因みにセルフちゃんは肩を竦め嘆息している、めんどくさいって感じだ。
「勇者様が押し付けたから、とも言えますけど……わたしはわたしがなさねばならない、と、信じます。それに、わたしだって悩みはしますから」
「手段と結果、或いは目的と目標かな」
「いえ、普通にめんどくさいですね」
「ふうん」
珍しく本心だ。
「今もめんどくさいです……早く帰って、身を清めて、寝たいんですっ」
諸手をぎゅっと固め、主張を強めた。その意見には僕だって賛同する。なんたって億劫で気怠いのは僕もだし、セルフちゃんも充血した目を何時までもしている訳には、だ。民衆の平穏は祈り導くものの、本心や核心ってもんは簡素なものでもある。
常々考えてはいたけれども、物事は美化や虚飾を剥ぎ取ると実に単純な関係図を描くものだ。少なくとも、迫り上がってる魔導機に付いては非常に怠いって感想が七割以上あるし、セルフちゃんもそうなのだろうけれど。
「じゃあ、取り敢えず積もる話もあるけど、あの迫り上がってる魔導機だね」
「に、逃げる選択が最良ではないかと愚考しますが」
キャロル・ヴェンデッタ、ズレたキャスケットを押さえそう言った。確かに、逃走の選択肢は極めて効率的だ。齎される被害への黙認、見て見ぬ振りをした上で良心の呵責がないならば、損な話にはならないのだろうけど。
僕だけの話なら、思い入れなぞないので倫理観的には可能だ。傍目の評価に関してもいっそ誰一人助からなければ問題にはならないし、見捨てたとかなんやかんや指摘されても最善は尽くしたと言い張れば良い。僕だけなら逃げてはいる、なにか他になければ。
今逃げていないのは、セルフちゃんがそう決めたから。僕としても死なない選択肢があるなら選択する、人は死ぬものだけれど、断じて死なない可能性を破棄する行いは正当とは呼べない。良心や良識より、これは実利に根差した回答でもある。
目の前で騒ぎながら駆けて行く古来人種達をちょっと目で追って、親方っぽい人達が拳を合わせ魔導機に乗り込む姿を。
「ちょっと待って、それは考えてなかったな」
炭鉱夫は魔導機を、三機を起動させつつある。逃げる為なんかじゃあない、ぶん殴る気で搭乗している。古来人種達の矮躯が赤灯に照らされ、手振りの誘導を元に馬鹿みたいな唸りを魔導機が上げる。
関節の軋みと、魔導機特有のエネルギー循環音だ。エンジンとはまた違った独特の唸りを響かせ、瓦礫から這い出る金属装甲に向かっているではないか。ならば、と。
「うーん、捕まえた人達はどうしたの? 結局何人いたの?」
質問に、アイリスさんが前に出た。
「五人、捕縛しております。四人は馬車へ、残りの一人は簀巻きにし投げております」
「ふうん……、ああ、あの人?」
燃え盛る館の隅、地に転がる芋虫みたいな姿。人集りの所為で気付かなかったけれど、案外近い。魔導機三機がぐしゃんがしゃん前進するのとは真逆へ歩を進め、簀巻きになった成人男性に近寄った。顔色は悪いが、息はあるし意識もあるようだ。
アガレス王国の鎧姿で、中身は帝国の人間。両手の袖は真っ赤だが、手自体は綺麗である。首を傾げているとセルフちゃんが経典を掲げ示した。成る程、治したらしい。
「えーと、なんと言うかさ、言った通りになったと思わない?」
最初に言った通りに。男の目は冷静で、簀巻きにされたままに口元を歪めた。
「あんたらは、なにも、なにも分かっちゃあいねえよ」
「そっか。話す気はなさそうだね。じゃあさ、質問を変えるんだけど。君や君達ってなんなの? 好きでやってる感じなのかな」
「誰が好き好んでやるかよ」
「ふうん、でもそれは君が選んだからじゃあないか、とは言わないよ。選択肢は無数にあるけれど、その全てを選択出来るなんざ僕は思わない。人生はやり直せる、とか、失敗作のお母さん……ああいや失敗は成功の母? とかさ」
男を見下ろして、僕は言うのだ。淡々と。
「そんな話をする奴は決まって選べた奴だし、何時だって前向きな奴等だけだ」
「……なにが言いたい?」
簀巻きの男の真剣な顔は、どうにも絵面として滑稽ではあるけれど。笑う訳でもなく、僕は男の瞳を見透かした。
「つまりはさ、今選べる選択肢は君が選べるのかどうかって話なんだよね」
アイリスさんを顎で示し、背後の騒音を鑑みて簀巻きの男に顔を寄せる。屈んで、顔を覗き込んだのだ。
「君は選べる権利はあるし、選択肢は無数にある世の中ではあるけれど、望んだり祈った選択に結び付く訳でもない。決まって、後ろ向きなもんだからさ」
「仲間を売れってか? はん……ばかばかしい。俺は帝国軍人だ、下手に拷問してみろ、帝国からの批難は避けられねぇぞ」
「いや、それはないな。君達は居なかったし知らなかったで終わりだろう? 諜報員、或いは工作員の最期なんて大方相場が決まってるよ」
覚えがある話だ、僕の話ではなく、知り合った人の話として。それは、美化するには理不尽で無情で救いがない話ではあるけれど。
「君達が利用されていて抗えないのだろうと仮定しても、僕が君達を見過ごすかは別問題であるべきだよね。まあ、僕としては君達から得られる情報に関心がないんだけど、でもさ」
男の顔は底冷えする冷たさで、感情を内に押し込んでいるようだ。
「君達は誰かを攫ったし、その誰かはきっと死んでいるんだろうからさ。君達の良心とか、折り合いってどうしてるのかな?」
「……仕事は仕事だ、どんなにクソでもな小僧」
「それだよそれ、なんで美化しようとするかな……? 本当に理解出来ないよ、心底に」
「……」
男は沈黙する。沈黙を埋めるのは魔導機の騒音と古来人種の高い声、人間の野太い掛け声だ。迫り上がって来ている魔導機は三機より巨大で、どうやって地下に持ち運んだのか不思議なほどである。
「アレとかどうやってもってきたの?」
「なにも分かってねえ、なにもな。アレはあったのさ、初めから間違えてんのはてめえだよ勇者」
「……目的が読めないな? 魔導機って、大なり小なりの前者ではあるけれど、武力として振るうってのはどうしてかな?」
「さあな、勇者が死んだ方が喜ぶやつもいるのさ」
「それが分からない、態々あんなものに頼らず暗殺でも毒殺でも良いんじゃない? となると君は合理性がない回答をした、つまり嘘を吐いた訳だ」
「だったらなんだ? 世の中、一を足して二になると限らねえもんだぜ」
「いいや、搭乗しているだろう存在Xの独断だとして、魔導機を仕込んでいた理由だよ。単純に、君達は勇者を脅かしている今が偶々なだけで本来の目的は別にある、と考えるのが合理性の信徒的には丸いかな?」
魔導機、仮称Xは唸りをいっそう響かせ、その巨躯を遂に現した。他の魔導機とは造形が違い、人形に近、いや。なんだあれ。
「……なにあれ宇宙世紀始まったのか……?」
「宇宙世紀……? なにかの暦ですか勇者様?」
セルフちゃんに言われ、残った理性で首を振るい妙な雑念を払う。ファンタジー世界に全く合わない形に思考が乱れた。だって二足歩行の巨大な機械である。見た目の全体像は人に近いが、どうも色んな種族の骨を縫い合わせたような歪さもある。
鳥の模型に腕をぶち込んでいるような気持ち悪さがあるのだ。金属の塊ではある、黒いのに青白く光る姿も不気味で。翼っぽい機関も背に広げつつあって。土砂山、岩石の渦から這い出た姿はどうも機械的でありながら生物っぽさが拭えぬ代物だ。
囲むように展開された三機の魔導機も、杭打ちやツルハシみたいな装備を迷わせていた。
「なに、あれ」
簡潔に且つ簡略に簀巻きの男に問う。男は唇を歪めて、僕を濁った目で見上げた。
「言い換えりゃ、あれだって神造兵器だろうよ。もっと分かりやすく言ってやろうか? 良く分からねえ代物ってコトだよ」
勝ち誇るような、否、理解不能だからそう言った物だって甘んじるような態度である。もう一度伺う。鳥の白骨模型を人っぽく造形させたように、どうにもチグハグで歪だ。
だからこそ、故にこそ。古来人種達が駆けて行く。彼等は勇敢だ、一度盟友とした者達に深い慈悲と愛情を注ぐ者達だ。彼等の文化では一度永久の誓いを立てれば、他の誰か、は求めないらしい。
恋人であったり、愛人であったり。死別しても、その誰かを思って生きて行く。頑固とも言えるし、或いはそれは。途中で思考を切る。傍らのセルフちゃんの肩を掴み、胸元に引き寄せた。
「はうっ!? 勇者さまっ?!」
予測した、予見した軌道だ。セルフちゃんが先程まで立っていた場所に古来人種の一人が吹き飛んで来ていたのだ。大地を転がり、反動を利用してひょいっと立ち上がった。大丈夫かと言う間もなく、又もや仮称Xへ駆けて行く。
仮称Xが排出した蒸気のような、青白い靄に身体を押されたらしい。彼等は矮躯の通り軽いから、思いの外あっさり飛んだのだろう。
仮称X、それは巨大だ。魔導機、三機に比べ四倍はあるだろうか。ぱっと見は四階建てのビルが動くかの如き圧迫感しかないけれど、動きに俊敏さはない。関節の軋みか、理解不能な動力の音か、地から這いずる重低音と高音混じりの呻きに気を取られそうになる。
狙うならば頭部だろうか。だが、重要な機関は大体身体の奥に隠すものでもある。胸部の装甲は分厚いし、そこでふと鳥ではなく竜を模しているのかと考える。竜と鳥は似ているから、それは僕の知る進化論では鳩とティラノサウルスが同じ物だったからそう感じたのかも知れない。
現代でも鳥の歩き方は恐竜と著しく類似すると知り合った誰かが何時やらに言っていた気もする、確か、探検家か冒険家か、ふざけた職種のお姉さんだったな。真っ青な髪を地毛と言い張り、カラコンを入れ碧眼となった目を魔眼と言い張るお姉さんだった。
ダウナーを気取って煙草を吸う度に咳き込む愉快な人ではあったけれども。おっと、思考が逸れた。
「あのぅ……?」
困った顔のセルフちゃんが上目に僕を。ああ、ずっと抱き寄せていたのだ。こればかりは悪癖による弊害だ。
「にしても、セルフちゃんって柔らかいよね」
筋肉不足だ。丸々とはしてはいないけれど、身丈の通り脆弱である。聖女らしい装いでなければ容易に傷付き、崩れるだろう身体だ。細くて脆くて幼くて、親友の面影を僕は見ているのかも知れない。
「……、あー……、えっと……えいっ」
「ぐふ」
小脇にしていた経典の角が頬に突き刺さった。痛いので仕方なく観察に切り替え、セルフちゃんを解放すれば、当の本人は気にしていないようにアイリスさんに声を掛ける。
「アイリス、あれを知っていますか?」
アイリスさんは仮称Xを見上げ、頷いた。
「昔……一度だけ、似たものを見た事があります」
記憶の戸棚を探すような口振りだ。アイリスさんの昔は何処までなのかは分からないけれど、見た目通りの年齢ではあるのだろうから、いや待て、アイリスさんって何歳なんだろう。この世界の住人はさらりと百歳が存在するから困るのだ。
シルト復興の際、集まった重鎮の幾人かは見た目が若いのに普通に歳上だったりしたので非常に困った事がある。古来人種とか、モルちゃんは若いがヤームって人は百五十歳らしいし、まじで区別が出来ない。
因みに神なる冥宵の王ちゃんは『余は十億と二歳だヨ! フハハ!』と教えてくれた。閣下みたいだから、もうちょっと感覚に馴染みを覚えさせて欲しい。神なる銀黒ちゃんは『吾は紛うことなき乙女ゆえ、永遠なる十六歳だ』と述べていた。十六歳ってのは世界的に成人と未成年の狭間らしい、偶像かよ。
その点、セルフちゃんは目で見た情報通りだ。十六歳、今年には成人する聖人である。キャロルちゃんも同じ位だろうか。
「アイリスさんって何歳なんですか」
「私ですか……? そう、ですね……恐らく十九から、二四歳の前後ではないかと」
「……、え、そうなんだ」
まじかよ歳上じゃない可能性あるのかよ。実際、分からないけども。本人が首を傾げて悩み耽っているし。兎も角、昔って範囲は百年の感覚でないなら問題にはならないだろう。
「きゃあっ!」
下らない事ばかり考えていれば高い悲鳴、身を屈めたのはキャロルちゃんである。僕達の目線を受けて咳払いすると、背筋を正し妙に凛とした表情をした。そも、魔導機の一機がハンマーのような部位で仮称Xを横殴りにしたからだったけれど、その衝撃は青白い閃光と金属が削れ空間に花火を打ち上げさせた。
地すら揺れる衝撃だが、どうにも当事者意識が芽生えない。遠目に観察して、親方達の掛け声や怒号が反響しているからだろうか。魔導機の半端じゃない殴り合いは、最近見た覚えのある絵面だ。
あれは、竜同士であったけれど。大きさや質量も遥かに相違しているからか、どうにも緊張感に欠けている気はするのだ。一応、飛び散る瓦礫や駆動域に巻き込まれたら死ぬのでそこそこに気は張り詰めなければならないのだけども。
「うーん」
どうしても気は引き締まらない。キャロルちゃんがズレたキャスケットを直す姿を見下ろして、アイリスさんを見やる。
「どうにかなります?」
「襲撃され、退くのも癪ですので、斬り伏せたのです。当時は然程……脅威ではありませんでしたが……」
「あ、もしかして勝てない感じ……です?」
「…………」
アイリスさんは僕に瞳を向けた。まるで、なにかを問う眼差し。選択を迫る人間の瞳だ。
「勇者様は、必ずしも私達が解決すべきとは……考えないのでしょう」
「まあ、そうだね? 三十六計逃げるに如かず、今でなければならないのか? 今はそれほどに看過出来ないのか? 全てに自責と後悔をするのは最早傲慢だし、逆に今を一等に考えるのは君達の言う所の『当たり前』なのかも知れないけれどね」
肩を竦める。逃げたい人間は逃げている。勇敢に立ち向かった彼等は今でなければならなかったのだろうし、女手はそうして勇敢な者達の犠牲の上で安全を保証され、馬車に寄り集まって逃げている。そんな光景を態々『当たり前』だから口に出したりはしなかったけれど、それだって当たり前に、勇者が馬車に乗って逃げちゃあいけないなんて決め付けも甚だしいだろう。
僕は戦えないのだ。セルフちゃんも戦えないのだ。逃げちゃあいけないなんて、僕は思わない。自己犠牲で僕は、僕を正当に扱えやしない。そんな話。
「ですが、もし……私は……私として意見しても、宜しいでしょうか」
「……アイリスさん」
彼女は、周囲の騒動なぞ眼中になかった。人々の逃げる姿を見るでもなく、その場に両膝を突いて、僕の手を取った。手は震えていて、冷たくて、記憶が疼いて僕は咄嗟に軽く抵抗した。手は、離してくれた。同時に、しっとりと目を伏せてしまった。握られた左手の震えを誤魔化すようにポケットに押し込んだ。
「私は……前の、本来の私に戻るのが怖いのです」
「……、……」
「私は、……この、指の震えに向き合わなければならないのです」
「……、僕はそう思わないけどね」
本当に、本当にだ。
「勇者様……、どうか……私に」
目の前に聳える理不尽に、抗うだけの勇気をください。
茶色の瞳に僕は穿たれた。差し出された手を、僕は見詰めていた。
見詰めるだけしか、出来なかった。信頼して、信用して、委ねて、頼って。
脳裏に声がする。
あいつの声だ。
聞き馴染んだ声、耳障りな位に透き通った声だ。
あいつの、手を取れなかった僕が、一体どうしたらこの手を握られる。
一体全体、どうやったら顔向け出来るんだ?
答えろよ、お前はさ、どんな認識をしてるんだ?
底質さを関係性により曖昧にする事の犯罪性を認識すべきだろ?
こんなにも善で正しくて明るくて良さに包まれた場所を、お前ってクソ野郎は後ろ向きにして混濁して淡いて罵れるんだろ?
「……、僕は……」
お前は何時も、お前は初めから、お前は終わりすら、クソ野郎で本質からして、どうにもならねえ、どん詰まりだ。
碌でもない人間だ、お前は。
お前は、誰かを救ったり助けたりする高尚な人間なのか?
誰一人、思い入れずに生きられると思ってんのか?
質問の答えを仄めかし、お前は文句か碌でなし。
過る。『あんたなんか、産まれてこなければ良かったのに』
過る。『君は失敗を恐れてはいないな、成功こそを恐れている。なぜって、そんりゃあ……そうしなきゃぁ、今までの全てに押し潰されてしまうからねえ?』
過る。『私を貴方を最も強い言葉で批難する。貴方は、どうしてそうなのだ』
過る。『どうしてあの時言ってくれなかったの、あの時なら、あの時なら、間に合ったじゃん』
過る。『冒険家ってのは無謀を好まない、無謀は行為であり、冒険家の目的は冒険さ。その点、少年は目的と目標をテレコにしてるわ』
過る。『生きる理由を問うのは関心しないなぁ、ボクぁ。生きる理由っつーのはね、生きていて、死んだ後にでるもんなんだよ君ぃ』
過る。『友情、努力、勇気、これらを学び、私は思った。それこそが人の弱点であり脆弱性なのだ、と。ならばどうだ、君は、真逆な君は果たして本当に、強いのか?』
過る。『しーくん、ありがとね』
「……、はは。僕はさ、間違えるし、過ちに気付いてもどうにもなんないけど、だったら、僕は……僕を信じない。だから、アイリスさんには申し訳ないけど……」
手は取れない。
手は、取れないのだ。
魔導機の一機が炎を上げる。仮称Xに打ち上げられて、空中で四散する。搭乗席から、男性が滑落する。受け止める古来人種と、駆動部に入っていた油が吹き上がっては引火して、宛ら祭りのように賑やかで。
何処か知らない世界を、車窓から眺めるような気持ちが拭えなくて。
「勇者様は、自らに価値がないと考えていませんか? たとえ、わたしが価値があると申し上げても……勇者様には届きませんか?」
袖を引かれた。セルフちゃんの碧眼は、鮮やかで澄んでいる。穏やかな湖畔のようで、鐘の鳴る日のようで。濁りがない瞳だ。
「僕は――――」
選択する。
流されたからからじゃない。
選べなかったからじゃない。
逃げると言えば逃げられる。
僕は、セルフちゃんやアイリスさんの未来を選ばなくちゃならない。
二人を、信じても良い。
僕を疑って、僕は二人を信じたって良い。
決めたから。勇者様じゃあないけれど、だからこそ、僕は選ばなくてはならない。
生きる事は、選択か?
選択は、生きる事になるのか?
僕には終ぞ分からない。他の誰かなんて、分からない。
エピソードタイトル? そりゃあ、もう、ふかふかよ。




