炭鉱の町Ⅴ
「……、うーん」
困った事に、ハイキックを繰り出してから動きがない。
蹴った瞬間こそくぐもった声らしき音はしたが、直撃に狼狽え続け呻く訳でもなく、耳を澄ませど声はない。時折、湖畔に落下した水滴が音を出してはいるけれど、これと言って感想も浮かばない。
じっとりした湿気が服と肌を吸い合わせて不快ではあるし、ロゴルさんが全くピクリともしないから、鼓膜は嫌でも震えず異様な静寂が襲って来ている。耳鳴りは正に幻聴だ、どうにかならないかと左右や上下を確認しても徒労になった。
「……、……」
片手に持つランタンの煌めきは、影をくっきりと浮き彫りにする。試しにちょっと上に掲げても、眼前に伸びる影はない。光の屈折率に干渉しているのか、或いはレイちゃんの言う反認識とか、方法が幾つか浮かぶものの見えない相手に対策を講じるには知識が不足しているのを否めない。
僕は直感に従う。直感、噛み砕いて細分化して具に解釈するなら、膨大な経験と知識を組み合わせた脊髄反射みたいな強度で行われる比類なき異常な速度の論理的且つ理論的思考回路により導かれた結論、を勘と言うならば、僕は勘で動いて直感する。
「…………」
僕の見立てでは、嘗てガランシャッタちゃんに対し行われた嫌がらせ、ミーム汚染術式とやらではないのだろうかとも考えている。レイちゃんの述べていた話によれば、全ての存在には適切な値が割り振られるが、術者の任意でその値を剥奪すると存在はしても在るとも有るとも述べられなくなるそうな。
あるかなきか、と言った風情の風の動きも、存在値が割り振られているから認識出来ており、意識し、考え、感じられるのだそうだ。今一、ピンと来ない。要は、認識する為のラベルがなくなって、認識は出来ていないが存在は、現象は依然として目の前に座している、のだろう。
氏族長代理が司る認識って機構と似ていたが、厳密にはその広義から引っこ抜いた狭義の、しかもかてて加え陰湿な使い方をしているみたいな感じかな。なんで僕が反ミームを是として完全に思慮する選択肢から一旦外したかと言えば、僕は蹴った認識を保持するからだ。
完全ではないし、完璧でもない。
反ミームの恐ろしさは、自覚を与えない点だと思う。世界五分前仮説ってのがあるけれど、あの理屈に照らし合わせるならばそこそこに理解が及ぶ。世界五分前仮説ってものは、世界は五分前に発生したのだ、って仮説だ。否定しようにも『認識』が密接に絡み合うこの論法に有効的な反論は少ない。
否定するのは何事も容易ではないけれども。今回僕が陥る事態、それ自体の認識は強固に保持している。透明なだけだ、声を殺し、足音を闇に溶かし、気配を淡いて誰かはいる。僕に魔法が使えたら良かったのかも知れないけれど、まあ、そんなもんないし、要らんし。
と、ちょっとだけ拗ねるみたいな思考を横に置いて。試すべき事柄の優先順位を決め、地底湖が照らし伸びる僕の影に目を落とす。反ミーム系を否定したものの、知覚不可能を強制されている可能性までは否定出来ない。もっと僕の持論に猜疑の目を向け、批判的に討論するならば、『眼前に存在しない』を刷り込まれた可能性は看過出来ないだろう。
透明である事、知覚不可能の強制、眼前に存在しない知覚、似てはいるし結論も近しいのだけれど、全て別物で、区別し判別する必要はある。例えるなら箸、肉叉、匙みたいな差異。『食べる』結果と言う結論に違いはなくとも、経緯や方法は異なる。
この些細な違いにだって僕は気掛かりで、ぞわぞわする内的問題解決の為、畢竟、自己満足の達成を目指し脳髄を掻き回す。一秒も経ってはいない、現実の速度に思考を並走させる。
「気になるのは、どうやって僕にバレていないか、だよね」
答える訳もない謎の存在Xにぼやく。態々思考に減速を与え、行動を起こさない、起こせない、どちらでも構わないが、誰かさんかも知れない虚空に目線を走らせる。
「一つ宛、考察して推察して、語ろうかな?」
僕はその場を回る、ゆっくりとだ。小粋な探偵あるある、喋りながらじっと出来ない、多動的衝動のあるあれだ。
「可能性、一。僕『が』存在Xを認識出来ない。これには妙な説得力がある、認識に手を伸ばす力には驚嘆だぜって感想くらいはあるかな? まあ、でも、そうなると僕の初手、ハイキックの認識って『誰かを蹴った』にはならないよね?」
コツリ、コツリ。反響する革靴の音色。閉所だからか良く響く。
「誰かを蹴った認識があるなら、『存在全てを認識出来ない』訳じゃあ、ないんだ。これは確定事項だね。もう、一つ目の謎が解けた。実に順調だけれど――」
腕を組み、指先で顎に触れる。小粋な探偵ならばシルクハットの鍔にでも指を当てたりするのだろうけれど。
「でも、僕には姿は見えていないんだよね。事実として、声は耳にしたな? 感触もあった、体温はちょっと分かんないな。まあそれは良いんだけれど、『姿の認識が出来ない』と仮定すると、腑に落ちる点もある」
虚空は闇。背側が明るいから、来た道の方が狭くて暗いから、古木に空いた坩堝のようで、深淵を覗く時、なんて洒落た一節が脳裏に過る。
「『姿の認識が出来ない』だけなら、それは『透明』じゃあない。透明であるのと、姿の認識が出来ないのと、かなり似てはいるんだけどさ。シンプル且つ大胆な解釈をしてみよう『姿』って一体全体『どっからどこまで』なんだろうね?」
首を傾げる。
「声、感触は『姿』に属してはないらしい。となると、当然『聴覚』と『触覚』は有効的な対策にはなるかもね。『嗅覚』は、正直良く分かんないな、火薬の臭いと、湿度のある土って感じだけだ。あぁ、あと、血なまぐさいかな?」
ロゴルさんの頬部に起伏は見受けられないし、暗がりから滴り、傾斜をじんわり侵食する黒は、血だろう。
「足元を見たら分かるけどさ、靴跡出来るんだよね。でも、僕とアイリスさんのものしかないんだ。あれれー? 可笑しーな? 僕は確かに、記憶を遡る限りアイリスさんより近い存在Xを蹴ったんだけど?」
歩き回った甲斐はあった。僕の刻んだ足跡の円は解説に、推理パートの肉付けになっている。中々にやるじゃないか僕。とか自画自賛しようかとも思って、寝不足と過労でテンションのボルトが緩んでるのを思い出した。あれだ、多分、控えた方が良い。
ちょっとだけ沈黙。気を取り直して。
「となると、だ。僕の『視覚』の異常に行き着くものだよね、暗いって言っても、ランタンがあるし、目は良いからさ。見逃す線はないな。じゃあ、『視覚』にはなにが含まれているだろう? 足跡、これは確定したね?」
うん、どう見てもない。アイリスさんは斜め後ろだし、ロゴルさんは下り坂の天辺だ。だとすると、一応同じ靴跡って可能性も考慮して、やはりないなと否定する。
「同じ靴跡なら、それこそ、蹴った僕からして、たたらを踏んでなきゃ満足出来ないし。うーん、『視覚』はどうやら、存在Xに繋がるものにまで及ぶらしい。だったら『透明なだけ』ではないね?」
透明なだけならば足跡はどうやっても刻まれる。そりゃあ、魔法とか魔術は知らん。どっかの青いタヌキみてえに僅かに浮遊してるってんなら、もう笑っちまうけれど。あ、終ちゃんに昔煽られたな。
『ざぁんねぇーん! 犯人はUFOどぅえーす!』殴ったろかなまじで。
おや、駄目だ。思考が逸れた。思考の向きを直して、湿気でぐじゅぐじゅする地面を踏み躙る。靴跡はどうやったって残る、湿気、水溜りにより柔らかくなっているからだ。
「『透明なだけ』であるなら、靴跡は見付かるし、頑張れば抜け落ちた頭髪なんかも見付けられるかも知れない。でもそうさ、そんな話にはならなかった。残りの線は『姿が認識出来ない』だけ。『姿』に含まる範囲は、僕が他者、存在Xを知覚するのに十二分の情報だけれど――」
僕は、そんな詰まらない、否、碌でもない話をしながら目測で立ち位置を決める。僕は、僕の身体を完全に掌握している。欠落と呼べず、才能とも言えぬ体質はこんな時にだって活用出来るのだ。思った通りに身体が動く、ミスなんて許されない、思った通りにしか動かない僕だからこそ行える妙技。
「あのさ、僕と『目線が重なった』の、気付いた?」
囁く。否、嘯く。
力、物理、質量足す速度。
相手のこめかみ、恐らくは。回転回し蹴り、利き足の左で、しかも踵を本気で叩き込む。骨に響く鈍い音、肉を潰す絶妙な感触。パシャっと足首に生温い液体が飛散した感覚。量はない、だが、確かに感じた。昔経験した感触、感覚だ。誰かの顔面を蹴り飛ばした時の、前歯か、鼻っ面を破砕する感触である。
踵が痛くすらある。僕の全力はアイリスさんには及びはしないだろうけれど、嘗て、僕を評価した奴は言っていた。
「僕が表舞台に立つのは駄目なんだってさ? 曰く、金メダルってものに価値がなくなるから、らしいけれど」
振り抜いた足を下げて、足首を見やる。なにか液体の感覚はあるが、血らしき液体は認識出来なかった。予測通りである。僕は適当に話しながら、右足を下から、大地を爪先で抉るように蹴り抜く。中途、腰丈まで上がる前に、硬い金属の感触。そして、潰れる感触。
「ん、まずったな」
潰れたのは、まあ、普通は足なのだけれど。洗礼服に依って僕の足は宛ら鋼鉄の塊と化すようだ。肉にまで到達していなければ良いけれど、感触からすると腹部か脇腹だ。アガレス王国の一般的に配給される鎧で考えるならば、其処は可動の問題で小さな板を何枚かズラして重ねていた筈だ。
埋められない隙間は鎖帷子で保護する系統だったので、棍棒と化した足で打撃するには一番良い部位ではある。
「起き上がれよ、Hurry、Hurry、Hurry、Hurry!」
大きく声を張る。
呻く声、吐瀉する音、鼻腔を弄る酸っぱい異臭。だが、見えない。見えないが、僕は『存在を認識』出来ていた。見えずとも、どうやったって『視覚』が機能しない程度、そんなに難しい話じゃあない。第一に、僕が存在Xに気付いた時点で終わりだ。それは本当に偶然にしたって必然性を帯びている、偶々感じ取れた、ああいや、僕は正確無比で猜疑に溺れる人間だ。
「あー、えっと……確かこうだ。T'es fou? ん? これはフランスか……あー、なんだっけ。Stronzo……これはパスタの国だっけ。えー、يا ابن الكلب《君は子犬かな》……流石に……分かるな、うん、違う」
手を組み合わせ、関節を伸ばす。肉体の硬直を察知し対処する、足元から這い上がる冷気が原因だ。仄かな光源と、ランタンと、冷たい空気。指先が爪と同じ温度に感じられる、天井から垂れた一滴が背筋に触れるとぞわりともする。
早く出たい、こうも滞在すれば気にしていなかった寒さも辛さに変換されるものだけれども。見えない存在Xは、咳き込んでいるらしい。少し先にある水溜まりに不規則な波紋が広がっているかのような音だ。ぶち撒けられたのは咳か、鼻血か、吐瀉か、見えないから判別に時間が必要だ。
異臭は、然程ないように思う。音は、良く分からなかった。なんとなしに液体っぽさが含まれていたので、なにか体液ではあるだろう。視界は良好だが、視界に頼れないのだから不満もある。おっと、観察出来ないのに観察してしまった。
「帝国のスラング……ああ、思い出した。よう兄弟、なんか辛い事でもあった? 汚泥に蹲ってってどうしたよ? おいおい、そんな姿じゃあ――」
指を、指す。人さし指で地面を、だ。態々、大仰に。口元を歪め、鋭い犬歯を剥く笑顔で。心底に目がげらげらする顔で、頭は右に傾けて、なんならヤンキー座りまでして。
この煽り方は終ちゃんから教わったのだ。後輩から僕は躊躇いなく習えるのだ。
「――――G´ISだぜ」
「ぎ」
「ぎ?」
「あ、ぐっ……SHASッ!」
思ったより近い、胃酸で焼けた声帯からガラガラの音圧。頬を叩いたのは唾か血か、吐瀉か。出来れば唾位にして欲しい。血は感染症のリスクが高過ぎるし、幸い怪我はしていないから生傷はないけれど。
異世界固有の病例も数多く頭に叩き込んでいると、ふと考えちまって、やっぱり日本より不衛生だったりして、胃の裏から撫でられる気持ち悪さが込み上がって仕方がないのだ。殺菌方法が煮沸しかない、とは言わないが。
教会の聖水とか、水道水とか。後者はレイちゃんの都市型術式なのでアガレス王国の功績ではないけれど、石鹸とかはある。開発し、殺菌作用があると確認され、販売したのだ。調香師が。華族、貴族に向け香水を作る人達の中に石鹸を作る材料と経路を正確に辿れた人間が存在したらしい。
木の灰と水と動物か植物の油、これだけだ。化学式は知らないんだろうけれど、一般家庭でも非常に簡単に作成可能なのは大きかったらしく。調香師は独占するでもなく、レシピを女神教会に伝え今では大陸に広く浸透している。発明は偉大だが、先ずは調香師に称賛を贈りたいものだ。
石鹸は僕の友達だ、喋らないしなに考えてんのか分からんけど、まあ人間と大差ない。人間も大概訳分かんねえ生態と思考してるんだし。
兎も角。袖で頬に飛沫した汚染を拭いつつ。
「それも知ってる、予習復習する人間なんだよね。近頃は帝国の新聞を手に入れたりしたり、どんな地形なのかなあ、とか、どんな国かなあ、とか、恋する乙女みたいに、トランペット吹きの少年みたいな眼差しで新聞に列なる文字を追う毎日さ」
セルフちゃんがこの場に居たら、『死んだ魚みたいですよ……それも、シルトの港で見る、新鮮な。ほら、分かります? あの、口をぽーっとして、目は、どーん、です』とか言うんだろうけれど。
誠に不敬。
誰が新鮮な魚の死体だ、僕の表情筋は休暇しているものの、心はそんなに貧しくはない。つもりだ。一応は。
「君は帝国の人間だね。勇者をあんまり知らないのかな? 僕って別に超能力とか魔法とか魔術とか奇跡とか、なんにもなくても、驚いたりしないんだ。未知の概念でもないし、だから? って考える人間でもある」
「じゃねぇッ! じゃねえよッ! なんでぇ、場所が分かるんだてめぇッ! これは、これは人の理じゃねえんだよォッ!」
「……サルトルがさ、『実在は本質に先行する』って言ってたんだ」
「……あぁんッ?!」
「これはヒュームの懐疑主義やカントの現象と物自体の区別に通じる。超自然的な現象があっても、それが、『知の枠外』だとしても、驚くことなく現実として受け止められる。この僕の態度は、現象をそのまま認識し、過度な形而上学的推測を避けるプラグマティズム……実際主義にも近いと思わない?」
「ァあッ? サルトルゥ? プラグマァ? 誰だソイツぁッ!? 言葉通じねえのかてめぇッ!」
「会話の千本ノックって奴だね、君と対話する気ないし? 僕は喋ってはいるけれど、『対話』じゃない、『対応』であり『対策』だ。蓋と函を間違えるなG´IS。あ、待って、オマケとして対話してる、ついで、ちょっとした蛇足ってやつ」
手を叩く。
どうだ存在X、嘸やウザかろう。終ちゃん直伝だ、切れ味が一味も二味も違う。
後、僕の寝不足が深刻で、テンションのバグが、穴だらけにして乱高下している。体内環境、特筆するなら脳内分泌されている物質が幸福感や充足感、所謂、快楽で無理矢理に疲労を押し退けようとしている。
かなり、可笑しい。眠気はないが、ない、が。口は動かさなければならない。どうやっても。
「集団的規範や権威を拒否し、個の主体性を重視する。それは実存主義と呼ばれてるんだよね。参考にするなら、そうだな……? ニーチェの『超人』やキルケゴールのー、『個の主体性』とかさ? 良いんじゃない?」
肩を竦める。僕の影しか地面にはない、未だ、視界に人の姿がない。僕はどうやって存在Xを認識しているのか、勘、と述べても良い。
直感でもある。
噛み砕くなら、論理と理論に道を役立てつつ、その前にぶっちゃけるならば。
「反響定位って知ってる?」
言葉に意味や価値はないけれど、音には価値や意味があったのだ。
確かに存在する、耳に入る音の時間、角度、強弱、小さな違いを僕は明確にして明瞭に分類し、細分化可能だ。
昔、興味本位で体内時計の誤差を試験させられた事があり、『しーくんって光格子時計搭載してるん?』とドン引きされた。苦い記憶だ、よし忘れよう。
だから、反響定位により、僕はざっくりと把握していたのだ。視界は頼りにならないし、聴覚しかない。嗅覚は、ちょっと人間には無理だけれど。閉鎖空間だし嗅覚でも一縷の可能性は否定しないが。
「僕が話していた理由は、君を見付ける為だよ。まあ、第一に、なんで君達ってレールの上を歩かなかったの? 靴跡がさ、気になってさ。ああ、勿論、君の靴跡は見えてないよ」
踏んだ感触で深さや大きさを確認していた。数や、歩き方、角度、全部。体重は七十前後あるだろう、とか、歩幅から百七十はあるな、とか、歩き方から作業員とも違うな、とか。道中に考えていた。
僕の特技は並列思考を用いた自虐暴虐だけれども。
今回の己すら突き刺す猜疑心は活用され、一つの仮説を裏付けた。決定打は湖畔である。ロゴルさんは近寄らなかった、作業員は近付けない。霊力飽和に怯えているから。
「君達の足跡は……此処までちゃんとある。ああ、見えてないよ、ほんとに。さっきまでさ、ほら、ぐるぐる歩いて確認してたんだよ。顔を地面に近付けて喋る訳にもいかないしさ」
軽快に言葉を紡げば、男が嚥下する音が鼓膜を突く。
「勇者風情がふざけやがって……!」
「勇者じゃないんだけど、皆そう言うよねほんと」
声からして、丸めた拳を突き出すと顔があるだろう。本当に近い。
「てめぇなにを使ってやがるッ!?」
ざり。爪先で土を蹴るような音だ。飛び掛かるような、それこそなにかを手に身を投げ出す音だ。位置からすれば、首、心臓、どちらの可能性が高いだろうか。音を耳にした、時には僕はヤンキー座りから楽々と立ち上がって、後方に飛んでいた。兎跳びの要領で距離を置いたのだ。
「だからさ、何度でも言うけど、僕は君を『視覚』で認識してないよ」
「ならなんで避けられんだてめぇ!」
「合理的判断による効率と能率が良い動向、及び結果……?」
なるべく短い台詞を考えていたけれど、相手の体勢が不明瞭なので位置把握に努める。眼前より数歩先、身を屈めてはいるが立ち上がっている。後は分からない。
「女神の加護ってやつかSHASッ!」
「逆に聞きたいんだけど、僕にそんなのある訳ないだろ。直感だよ、うん、本当に」
「それが加護なんだろうがッ! あぁ、畜生ッ。てめぇのせいで計画がめちゃくちゃだッ!」
「阻止する側だから、ありがとう、なのかなこの場合?」
「うるせえッ! 水銀にかつての力はねえッ、てめぇら全員ぶっ殺して終いだッ!」
「その理屈は、ちょっと共感性に乏しいな。犯罪は判断を下す奴等も殺せば犯す法もなくなるって寸法だ、どうも、蓋と函の違いも知らないみたいだね」
革靴の音、砂利混じり。水分を含む大地、靴裏に引っ付いて、足裏が少し盛られた。僅かに身長が伸びている。相手、存在Xと睨み合ったままだ。いや、僕は見えていないから、向かい合ったままと述べた方が正確だろう。
「ん、お前らさ……もしかしてツェール・マグナスって女の子知ってたりする?」
脳内のパズルが組み合わさった。久し振りに、血液が沸騰しそうになり頭を振るう。存在Xは怒りを顕にしたが、流石はプロ、今では全くの無音である。
「ハバラちゃんと僕を結び付けた理由は、勇者の観察かな? だとすると、ツェールちゃんがなんであんな事になっていたか、にも繋がるね」
ツェールちゃんは記憶が曖昧だ。それでも、姿も知らず、なにか記憶から大事な一部始終が抜け落ちた気がすると言ってもいた。それはハバラちゃんにも当て嵌まる。あの時の僕は取り敢えず横に置いて、最悪でもなく解決でもないって考えていた。
「お前ら、人攫いだろ? いや、攫う必要もないのか? 裏にいるんだな? ツェールちゃんに間違いを押し付けた悪い大人が、お前を辿れば、いるんだな?」
存在Xは答えない。
「終末人種がいるんだな?」
駆け出す音。真横。駆け抜けられた。手を伸ばしたら、指先がなにかに触れて、捕まえられなかった。響く水の音。光る湖畔に身を投じた音だろう、だが、水面は揺れてはいなかった。
視覚としては。
「……、よし、逃げよう」
嫌な感じだ。僕は踵を返し、上半身を倒す。大地を踏み込み、一気に坂道を駆け上がる。頂上に倒れ伏すロゴルさんを確認し、医学的に絶命しているのを確認する。其処からは大急ぎだ。
真っ暗な、狭い洞窟を駆けて駆けて。ランタンをガシャガシャ揺らして。僕は大急ぎで走る。途中まで差し掛かったタイミングで、背後から洞窟全体を撹拌させる衝撃と音が襲って来た。
振り返らない。壁が呼応して、水色に輝いている。ランタンの光なんて必要ないまでに。ランタンを捨てる、壁に打ち付けられて遂に砕けた。尻目に。走る。全力で。
洞窟、外、あれは光。白い穴。目掛けて、走る。飛び出す。身体を、ぶん投げる。背中を押した爆風と、視界が土煙に包まれて。
身体を包んだ浮遊感と、天地が逆転した感覚。おっと、この感じ、僕は空を飛んでいる。
他人事に考えつつ、僕って奴は祈る神もいないので、一時的に女神教会に入信しようかなとか。
「あ、やば」
壁面、目の前。頭を抱える、目を、閉じ、る。嫌だまた顔面は。もう、この世界で二回はやらかし。ちょ待てや現実。早いって速いって。これ絶対痛い奴じゃ。
衝撃に備えて――。
主人公って思ったより不備かも知れない。
休みなので皆様の為に更新致しますぅ、と言ったら体裁が良いのでそう述べて置こう。
蓋と函、目的や目標は別物で酷似するからこそ線にて画するべきってのはとある勇者の考えだ。