ひとなりしひ、にて、ひとなるひ
暴。
ボウボウと、パチリ、パチリ、と。
火に包まれた矮躯は、流星のように滑落する。
天から堕ちる火の玉は、姿形を火として。賭して尚、人なりて、ぼうっと燃ゆる。
空間を彩っていた牙も消えて。言の葉も紡ぐまでもなく、火はそうして全てを揺らめかせる。
タウタは、火の視界で友を見ていた。とっくに老いて霞んだ視界だ。ロスウェルの巨体は、変わらない。
視界の端、白い髪は朱に染まっている。指先も、なにもかも。霊力にだって、引火して。タウタは、言葉を選るように、徐ろに手を伸ばした。頭から地表に堕ちる最中に、随分と長く紡いだ人生の足跡を反芻する。
どうにも、やれた事はない。分かってはいたのだ。
ロスウェルを止められはしないのだろう、刃向かえば忽ち滅ぶのは此方で、歩みを妨げられても数刻のみで、他者なれば徒労ではないかと冷たく言い放つだろう事も。
知ってはいた。黒き勇者に、死期を語られても歩んだのは自らの意思だ。復讐がしたかった、とも、人を守りたかった、とも、言えぬ。
着飾る言葉を口にすれば、即ち恥であるから、タウタは納得がしたかったのだ。どんな結末でも、友の気狂いに対し友として行うべきは、と考えた折、なにをやらねばならぬか、自らを決めたのだ。
燃えた指先に、重ねるようにロスウェルを仰ぐ。
あゝ友よ。去らば友よ。
タウタは、少しだけ後悔がある。アシャカムとしては未熟なモル・ルモを残して、逝くのを。
後悔をするならば初めからしなければ、とは言うが、現実はそう上手く運びはせず、どうにも歪んで叶えたい事は妥協の形を成すものだ。けれど、と脳裏で反芻する。
今、タウタがモルにより決死の足止めを阻止されなかったのは、簡単な話、背中側で蹲る黒竜がそうさせたからに他ならない。反発はあった、なにより、モルの気持ちを蔑ろにしたのは否めない。
ヤームが、今、モルを掴んで離さないだろう。瞼を下ろせば幼い子の泣き顔が浮かぶ、あゝ遣る瀬なき事よ。
モルにはもっと教えたくて、モルにはもっと伝えたくて、モルにはもっと知って欲しかった、だが、全てを葬って我を通したのは理由がある。黒竜は、最早動けはしない。胸を貫く剣が、彼女の本領を封じているのだと、タウタは知っている。
「……あゝ…………友、よ」
黒き勇者、偉大なりし神はタウタに伝えた。
慈しむように、然し、淡々と。
憐れむように、然れど、平坦に。
神は苦しんでいるのだ、権能に、責務に。タウタの未来を知る故に、詳らかに語り、優しいから嘘も吐かぬ、あの不器用な御方は誰かに救われるのだろうか。少なくとも、タウタは偉大なりし御方に感謝している。
自らを捨てれば、モルは死なず、英雄は竜を討つ。
燃えた指先も、髪も、不思議と痛みはない。当然だ、『燃え』ているのではないのだから、痛む要素もない。アシャカムが咀嚼し、削り取った現実に痛覚が入り込む余地なぞ許容されないように、互いに、存在に手を触れたからこそ。
互いの存在を消し飛ばす戦いは、ヤームの命が尽きる形で幕を下ろす。塵すらも残さず、火となり、身は消えよう。僅かばかり、ヤームにも謝りたいものだった。アシャカムでありながら、戦いを忌避した彼女には、色々と迷惑を。
それに、凶兆の子を引き取り育てたのはヤームだ。ヤームが居なければ、あの赤毛の娘は、とうに死して、忘れられたに違いない。
「あゝ………、友よ……」
欠けた指先に、ロスウェルの姿を重ねて。竜は、深紅の瞳を逸らさない。古き友を送る、贈る敬意に、涙が浮かぶ。
舞う玉露が、火に変わって。包む火が、彩って。
タウタは、最後に見る。
銀に輝く、星を。
英雄の、降臨を。
間に合わない、のだと予言されていた。タウタは、だから、身を投じた。未来は変えねばならない、信ずるのみが正しさではない。
人生の全てを、投じて、賭して、手は届いたのだ。
「……友よ……、英雄の詩となれば、本望よな……?」
ロスウェルは、きっと。
彼は最後まで人が好きだったのだろう、人が好きで、信じていて、自らの内にある基準が破綻しているのすら、気付いてはいないのだろう。
あゝ、許せぬ。ロスウェルの目の奥、確かにアル、意思。
あゝ、許せるものか。友を誑かし、貶め、正確な認識を歪めし者。
あゝ、許せぬ。友は、弱っていた。弱っていたからこそ、侵されたのだ。純粋で、純情で、正しき悪意で、真っ当に相容れぬ化物に。
「……、精々、底から見ているがいい」
勇ありし者は、貴様を討つであろう。先代勇者に続き、導かれ辿り着くであろう。
『黒き星の王よ、滅びの末に地獄へ堕ちろ』
ロスウェルの最後を友として見届けたい衝動と、裏腹に小さい頃に憧れた竜の雄大さに想いは揺れ動く。
瞼で瞳を隠せば、遠き日、あやす母の声も耳内に響く。
曰く、ロスウェルは真なりし竜。人を、護った竜。魔物への障壁となり、勇者と共に生きた竜。
伝説は、過去の栄光だ。人の仇となる未来になぞ染まった、哀れな、竜。
銀に輝く流星が、踊る姿に英雄を知る。
「……、水銀…………」
剣聖。神造兵器を操る者の中でも、銀は特別だ。
どうか、祈る。
そして、託す。
――――。
――――。
――――。
黄金の髪を靡かせて、赤い衣を風に乗せ、銀に輝く剣を佩き、之即ち神話の一幕なりや。
クルス・デル・アガレスは空を踏み締めて、加速していた身体を滑らせ、減速する。銀の剣を右手に握り、切っ先は大地に向けたままに。
視界には、火に包まれた古来人種が墜落するのを確かに捉え、黒竜の鼻先に向かう姿を、見据えていた。
助けに向かうべきか? 否、眼前に聳え立つ火は許してはくれまい。
「クク、クハハハッ! 水銀かッ!」
思念を携えた咆哮に、衣服が後方へと引っ張られた。背にするは、遠くに半壊したシルト。それに、誰とも知れぬ黒竜。守るべき、護るべき、人は未だに存在するなれば、英雄は、剣聖は、勇ましく雄々しく、剣を掲げねばなるまい。
黄金が風に引っ張られて、燻る熱量に鼻を啜る。何処か余裕を持って、笑窪に少しばかり影を落とした。不敵な笑みに焦燥はなく、据えた剣に力みはなく、極々自然に脱力して空に立つ。
「やあ、ロスウェル。成人の儀、以来かな? 君は、そうだな――」
剣が回る、指が手繰る。軽快に回して、剣の腹を肩に乗せる。
「――どうにもならないまでに、歪められたのだと理解はする。けれど、だ。私は、剣聖で……アガレスを守らねばならないんだ」
「我が、歪む……、世迷い言を。我ぞ、冥宵の真なる竜也」
「……そう、だろうね。私も、知っているよ。いいや……皆、知ってるんだ」
知っているだろう?
銀とは。
剣聖とは、何たるか。
熾烈にて、苛烈にて、激烈にて、火は息吹く。風を火に、地を火に、目前の英雄に差し向ける。巨大な津波のように、押し寄せる火炎を彼は冷静に観察すると。
片手を前に、剣を後方に位置付け、腰をやや落とす。
「私、水銀はロスウェルの罪に対す罰として、相対する。身は刃、眼差しは鋼、振るうは己が心、一振りの剣となり敵を討つ――――」
水銀が、波打つ。刃の輪郭が曖昧になって、水のように、空気のように、或いはプラズマのように。類似する物質はない、形態はない、泡沫の幻朧のように、摩天楼を天衣無縫に激突させて滲ませたような。
慧解するには、過多に過ぎる不可解が、瓦解世界に抱懐知るかの如く、彼は輝く夜空を打ち砕くかの如く、言ふなれば取り巻く虚に打ち伏せるとも捉えられる様子で。
黄金の髪は銀に煮え立ち、碧瞳は色彩を抜き、淡かれた一瞥をロスウェルに刺し突けた。
時の流れは緩慢となり、停滞した時間の分だけ英雄は勇者を凌駕し、華々しく、仰々しく、剣を緩慢に構える。
指先を沿わせれば、泡立つ刃。鋼は、金属とも述べれず。宛ら隠せなかった光が、箱を砕いて、蓋を弾いて、増加する。
「ロスウェル、私は水銀の剣聖だ」
「動にて示せッ! 人の子よッ!」
怯え、なし。
怯む? 懐疑、故、確信、之、核心。
笑止。
右手の剣を、偉大な火を、薙ぐ。
途端、時間は収束する。またぞろ、定かではない銀が駆ける。
キィィィィィン、なんざ剣は嘶く。鞘に押し込んだ余韻だ、銀に侵され、犯された現実が回帰する。一振り、衝撃はなく、勢いもなく、壮絶でも凄惨でもなく。
大仰に述べるにはあんまりにも呆気ない。
するりと、ゆっくりと、撫でて、加え鞘に仕舞う。髪から散る銀の量子が四散し、不明瞭にはためいた衣も落ち着いていた。
ロスウェルは、ゆらりと大地に沈む。火が、失われていた。鎮火させられたのだ、何故かも知れぬ。
「…………」
クルス・デル・アガレス。王位継承第一位、アガレスの王太子。水銀の後継にして、生きる伝説。
今、現存する剣聖の中でも逸した生きる英雄。夥しい死と生を、詩と政を、史と正を背に浴びせられた象徴。人類の守護者であり、人類の敵の、天敵。
救いを求められれば彼は赴く、助けを請われれば拒まず受け入れる。
赦しを乞うならば、彼は眼差しを向け、静かに耳を傾ける。
英雄であるからだ。
「……この、ような……」
思念は、弱々しい。ロスウェルを斬ったからだ。
全て、ではないが。言葉に表すならロ/スウェ/ル、であろうか。
肉体ではなく、存在を狙い斬り伏せた。火に実体はない、ならば、ロスウェルを斬れば良い。水銀であれば、可能だ。
静寂に波紋を浮かべる瞳は、鞘に押し込んだ、捻り込み抑えた銀を脳裏に浮かべる。完全に扱えてはいない、であるのに、偉大な、古の竜に終止符を打つには十二分であった。
自らは先代の水銀より劣ると自負するし、なにより、見初めた神らは己を剣聖とは呼ばない。自惚れず、驕らず、弛まず、打ち拉がれるかの様で歩みを続けている。束の間、代理、代用、偽物。
本物ではないと、知っている。だが、今だけは。
幼少の砌、父から語られた竜を、弔うのを許して欲しかった。
完璧でなければならない、汚点は構わない。名誉と汚れは幾らでも被る、喜んで着込む、歪で悍ましい装飾を拒まない。
だから、ロスウェルを前に、人間として、クルス・デル・アガレスとして。
「………ロスウェル」
先代勇者と共に空を駆け、魔物を葬った。
胸が、躍った。
世界の広さに、高鳴った。あの衝動は忘れられない。
一体何処で、狂ったのだろうか。一体何故に、狂ったのだろうか。
知っている、分かっている、理解している、考えている、思っている。自らが、未熟で幼稚で頗る質の悪い事を、頭に満たさんとしているのは。
誰かの声がする。『水銀であるならば』と。
誰かの声がする。『本物であるならば』と。
誰かの声がする。『君でさえなければ』と。
「あゝ……認めよう。私は――――剣聖であって、英雄には至れないのだろう。ロスウェル、君の人生は華やかだったかい? 私は、……君に憧れたんだ。その、翼に。その、息吹きに。その、轟きに」
ロスウェルが地に伏せて、空中に立ち竦んでいる。前にあるのは、現から消えつつあるロスウェルの巨大な紅玉だ。意識は、僅かにだが残像している。己の振るうエゴが未成熟であるからだろうとクルスは濁す。
「……、君はとうに、狂っていたんだな。それで……? どうして、こんな事をしたんだい……?」
本音で述べれば、民草からの訴えに首を縦に振りたくはなかった。友、でもなければ、殆ど初対面であっても。だからなんだと、宣うのか。
ロスウェルの深紅は、異常に静かで。怒りに染まるでもない、安心さえしていそうな眼差しだ。
「……とうに忘れられた、我が友の約定よ」
物理的ではなく、ロスウェルを斬り伏せたからか電波する思念も掠れている。今にでも空に消えそうな声だ。
「約定、か。それは、果たせたのかい?」
「クク。我が滅びこそ、約定と知れ」
ロスウェルは初めから、死に場所を探していたのだろう。蝕まれつつある精神を引っ提げて、抗って、死が訪れるように仕向けたのだ。
賢ければ、滅ぼすだけならば、方法は幾らでもあるだろう。最も愚かにして、最も賢き選択を、竜は選び抜いたのだ。
英雄により、死する。唯絶命したのならば、手綱を失った炉心は暴走する、それでは約定は守れやしない。
誓いは死して尚果たさねばならない、竜たればそれは必然であり揺るぎようもない真理である。水銀の一撃で、生命体としても、ロスウェルとしても終幕だ。
長い、非常に長い時を生きたとロスウェルは脳裏に浮かべる。胸の奥底で脈打つ炉心を、物質的で霊的な機関を、分離する。出力が著しく低下したのは、一時的な処置であったが。
鼻先で、小さな紅玉が浮かぶ。胸の奥から引き出した、炉心である。
「……、それは受け取れないな? 私には過ぎたるものさ」
「……元より、必要ではなかろう」
「ふふ、違いない。となると――」
目を背後に、巨大な黒竜が座していた大地が伺える。大きく陥没した大地だ、だが、肝心の黒竜はそこにはない。
少し目を細めれば、女性の姿。背に翼を生やした、見慣れぬ衣装に身を飾る麗しい美姫の姿。切れ長の眼光が、近付く程にクルスを突き刺して、いざ声が届くだろう距離になると女は空中で立ち止まってしまった。
警戒しなければならない相手、ではないものの、クルスとしては無闇に神の齎した炉心を必ずしも受け渡すべきでもないと、思考を回している。単純に、勇者の力が増すのは喜ばしいのだろうが、同時に王国を脅かす危険性も孕むものだ。
落ち着いた碧眼を受けて、女、ウェンユェの翡翠はやや笑う。口元に手を当て、極々柔和な微笑みを浮かべていた。
「剣聖、ほんにようやりますわぁ」
「それは結構。お気に召したようでなによりだ。君の噂も、私は耳にしているよ。ウェンユェさん」
翡翠の瞳が細くなる、クルスの言動を細やかに注視するかの如く。翼を動かし忙しなく飛翔する、でもなく、ふわふわと舞う彼女は地に寝そべるロスウェルを見下ろす。体格差は歴然であるが、ロスウェルは鼻先で飛ぶウェンユェを見付けると、何処か懐かしむように鼻を鳴らす。
「……邪竜だな?」
「邪竜やった。やね。今はもう、そないな呼び名は似合わんさかい」
「クク。胸を貫いた剣、その担い手こそが、であるな?」
ウェンユェは、少しだけ間を置く。胸元を撫で、今の姿では生えていない剣を記憶で辿り。
「あてを貫いた小僧は……なんにせよ、や。あんさんの、それ、心臓をくれるんやろ?」
「好きにするがいい」
「……そうさせて貰うわ。と、言う訳なんやけど。剣聖としてはどないやろ、あてを信じてみるか、信じへんのか」
クルスは、鼓動を打つ炉心を一瞥する。指先で柄を叩き、吟味する。
「私としては、人を救えるなら願ったり叶ったり、ではある、か。然し、君が回収しなくとも神なる冥宵の王様は手を差し伸べようし――」
ロスウェルの命は弱々しい。灯火もなく、燻りのみが、矜持のみが彼を支えている。
「――君が炉心を欲するのは打算だろう? 過ぎたる力は身を滅ぼす、と忠告はしよう」
「はは、えらい警戒するもんやね。あては別に、平和的な解決方法やと思っとるよ」
「そうかな、私が斬っても、回収されようとも、君に委ねるよりは、とも思うが……。それらを引っくるめて、君がシルトを守ったのは伺える」
シルトの方向に目をやり、彼は苦く肩を竦めた。体裁や立場からすれば肯定する言い分はないのだが、クルスとて彼女が行った全てが自分本位ではないと理解している。
シルトは、本来ならば地図には残らない。それは、知っていたのだから。とうに、とっくに、知った上で見過ごしていたのだから。
傍観を止めた理由は、否、傍観を中止する必要に迫られたのは勇者の手紙だ。あの手紙で、クルスがこの時期、黒き大地から離れても問題がないと判断出来たのだ。
黒き星は、ロスウェルに目を向けていた。ならば。
「君の貢献に敬意を、そして、私は君にこそ炉心を託す。故に、異論はなかったりするんだ」
やや軽快に口にした。本音ではある。彼女は、剣聖のあっけらかんとした応対に何度か瞳を瞼で拭い、ほなら、と目先にある炉心に手を翳した。
炉心の輝きを間にして、黒竜と赤竜は意識を交わす。
「……」
言葉は不要だ。
炉心が一際強く脈打つと、その玉はウェンユェの胸元に沈み込む。暫くすると、ウェンユェは伏せていた目を上げ、一息だけ回して、瞼を閉じたロスウェルを見やる。
「……ほんに、せこいなぁ」
炉心の譲渡はウェンユェには収穫だ、大破していた基盤をそれなりに修復出来たのもあるし、黒竜の姿に回帰して被った被害にもお釣りはある。然し、炉心を与えられた所為でこれから先、ロスウェルが担っていた役割を押し付けられたとも捉えられる。
剣聖は息を引き取り、身動ぎもしない骸を眺めていた。
「――その顔からして、ロスウェルから託されたんだね」
「せやねえ……、正直……ほんまに竜のわっるぅとこもええとこも、あったんやろけど」
「良い点か、難しい話だ。私にはロスウェルが本意でないと見抜けたし、真なる敵を特定はしている。でもね、彼は……彼が出した被害は早々に忘れられないさ」
「そらそうやろうな。あてかて最善とは思わん」
シルトは崩壊間際だ。死者も数え切れない。シルトから移住する民も増えるのは必然であるし、王国の経済の傾きはより強くなる一方だ。悪しき竜、と後に語られるのだろう。
真相はどうあれ、命を燃やした罪は、爪痕は消えはしない。
「……せや、あの白いのはなんか言っとった?」
「ん、ああ……彼か。いいや、私は知らないな」
なんて、二人は高度を落としシルトから此方を見上げる人々に向かう。復興も何年必要なのか、概算しようもない。
唯、英雄と勇者は、確かに竜を討った。存外呆気なく、意外にもすっきりせず、英雄らしく、勇者らしく、そして禍根も残して。
遺された意思を押し付けられてか、はたまた歓声を上げる人々を見てか、ウェンユェは自らの尾を引き寄せ、撫で付ける。
「うちの三人衆が商会の生き残りとか、貴族とか、集めなはっとるから……暫くは会議になるなぁ」
「……私はあまり長期滞在したくないのだが、仕方ない、か。付き合うよ、それなりに前に進めるようになるまでは」
「ほんまに、助かるわぁ。よっ、流石は王太子殿下っ」
「嫌味かい?」
惨状に、素直には喜べない。当たり前の積み重ねだ。だが、だからこそ英雄らしく微笑みは絶やさないのだ。見上げる群集の歓喜に比例して、何人の勇ある人々が犠牲になったのかを実感して行く。
喜劇とは呼べず、然れど、悲劇にも在らず。
竜退治は、幕を下ろした。本番は此処からだ、とウェンユェは肩を落とす。考えなければならない事ばかりだ、タイヨーやヘルの行方も、タウタを失ってしまったモルにも、都市機能が麻痺したシルトの復興も、一長一短では終わらないのだろう。物語ならば、それは簡素に忘れられるのだ。
だが、此処は嫌になるまで現実で、都合なんてものはふとした間際で気分が移る。故に、ウェンユェは空を仰ぐ。
「ほんに、あては勇者やないな……」
頭の中では、ロスウェルの残した身体をどう利用するかを巡らせている。既にそれは、勇者よりは商人であって、また竜と言うには欲に浸かった思考回路だと自負する。
ひたすらに脳裏に焼き付くのは、人を理解出来なかった頃の己ばかり。今は、人に寄り添えているのか不安に苛まれる。
竜とは、元来自由な生き物だ。自らに枷を嵌め鎖に繋がれ、同族からは嘸かし滑稽で愚鈍に映るのだろう。
「なんにせぇ、竜は……討てたんや」
遠目に、竜だからか視力は誤魔化せずに、燃え盛るタウタの亡骸と。
遠耳に、竜だからか聴力を誤魔化せずに、泣き崩れるモルの矮躯を。
瞼で翡翠を拭う。
「はてさて……どないしたろかな」
そうして、ウェンユェは大きく息を切る。
商人は立ち上がる、折れても、ズタボロでも、そうして富を築く。それが性だから、それが好きだから、それが金より得難いものを手に出来る最良だと疑わない。
ウェンユェは悩まない、商人であるのは誇りだ。人との隙間に、心を据える唯一の手段なのだ。
翡翠は計算する、未来の、求める富の形を。