世界に轟かせる火。
長き時を生きた。幾つもの国が栄えては、滅び、形を変えて栄える。何度も見た。種族が滅び去る様も、変異した種が主流となり語られる日すらも、古来より生きる竜は知った光景だった。
赤い霧を発生させていたのは、傷口だ。意識的に体内のエーテルを噴出させていた。人は、そうすれば容易く近寄れない事をロスウェルは知っていたからだ。
然し、最早不要かと、前脚を大地に穿つ。姑息、とは少しばかり違うのだろうが、エーテルが全く存在しなくなった空間には暫し驚愕したもので。
体外のみならば女神に仕えし神官共が近しい奇跡を使用していたが、体内にも影響を及ぼすとなれば原因は限られよう。ロスウェルは神なる銀黒に対し恨みもなければ、怒りもなかった。神の気紛れになぞにかまけてはいなかった、唯、何故とは考える。直接でなくとも何百年振りか、大地に頭から墜落する羽目になったのは体外のみならず体内のエーテルが完全消滅したからに他ならない。
神の威に背こうとも、盟約は揺らがぬ。
墜落の間際、生命活動では欠かせないエーテルを完全に完璧に滅却された。
つまり、ロスウェルは墜落したのではなく一度死んでいるのだが、永続でなかった為に息を吹き返したのだ。炉心が健在であったのも多大な影響を与えたのだろう、空っぽの体内に呼応し、炉心は緊急爆縮しエーテルを生産した。莫大な量のエーテルを、だ。
空気中のエーテル濃度の著しい低下に対し、空間に余剰エーテルを噴出させれば、体外のエーテル濃度を上昇させられるのは判明した。
体外へ向け莫大なエーテルを浪費した甲斐もあってか、シルト周辺ならば飛行に足る濃度である。翼は風ではなく、エーテルを捕らえる。故に、エーテルがなければ地を這う爬虫類である。竜であるが故に、それは許容出来なかった。長い首を擡げ、自らの選択を悔いる事もなく。
「……、ほう……、此度の勇ありし者には同族もいようとは」
真紅の瞳に映るのは、自らが捨てた余剰エーテルを喰らい尽くす黒き竜。ドス黒い瘴気を口端から漏らして、端が朽ちた翼膜には目玉のような模様。邪竜と言われずとも、そう判断出来る。翡翠の瞳すらなければ、おどろおどろしい空気で勇ありし者だと判別出来なかっただろう。
同じような造形だ、だが、黒き竜は実に悍ましく惨たらしい。ロスウェルは、黒竜らしいと脳裏で納得する。
「同族であるならば、手を抜けぬ」
と。思念を飛ばす。初めましてになる、否、確かに初めましてにはなる。だが、盟約の通りでもある。古き友に託されたのだ、それを果たすには同族であり同格に近しい存在でなければならない。
知っていた、竜を相手にするのだと。兼ねてより、長き、古き、あの頃より。
「我は|シ・ブュセル・ドレイブニル《真なる冥宵龍種》がロスウェル、盟友の契りを果たす竜也」
黒き竜は、細く長く、鋭い尾を揺らす。体格はロスウェルが勝るが、圧力は、エーテルによる共振は遜色がない。美しささえ感じよう禍々しい龍種であるが、だからこそ惜しい。
「天を失いし竜よ、貴様さえ衰え朽ち行くのだな」
黒竜は、その翡翠の瞳孔を鋭利にした。鏡面のように、黒く頑強な鱗は景色を反射している。巨躯でありながら、何処か繊細だ。翼膜が引き裂けて、ボロボロでなければ印象は違ったのだろうか。或いは、そう。
黒竜の背中から胸を縦貫する得体の知れぬ剣がなければ。
「問う、我が眼前に並ぶ竜よ。我と相対するか?」
満身創痍なのはどちらか、老いて朽ちるロスウェルは真紅を輝かせて黒竜を問い質す。何故ならば、巨大な剣で背から貫かれ、片腕を巻き込み貫通したままだ。抜くでもなくば、折るでもなくば。
下半部、剣先からは重油の如し血が常に滴り、粘性と呪詛と霊力の淀みが混ざって実に大地に悪い。ロスウェルさえも異常だと理解出来る、古き友が大地に貫いた竜を彷彿とさせるが悲痛さはこうもなかっただろう。
封印されている、とも言えなくはない。また、別の世界でも勇ありし者とは因縁があるのやも知れん。そうロスウェルは反芻し、身を翻して黒竜に正す。巻き込んだ木々が彼方に飛ぶのを尻目に、尾を大地に打ち付ける。
「貴様……邪竜か」
ロスウェルは邪竜ではない。悪逆非道を行い、多くの血は流したが邪竜ではないのだ。無論聖竜とも呼べないのだが、同時に、あらゆる存在への敵対者、故に邪たる竜とも呼びようはなく。ロスウェルは土地を守護する存在だ、人を救う存在だ、今でさえ彼なりの方法ではあったが土地に牙を穿ちもしていないのだ。
大地を汚染する黒血は、淀みなく止め処なく。ロスウェルが撒き散らすエーテルを呑み込み呪詛を臭わせている。翡翠の瞳に理を伺えなければ言葉すら不要であったし、ロスウェルが長年アガレスに座した理由の一つでもある。
黒竜、否、邪竜の滅却は世界安寧の為に必然だ。ロスウェルが邪竜を滅ぼす者、真なる龍種であり大地を守り切った偉大なりし者であれば、幾ら勇者であるからとて、汚される大地には逆鱗を撫で付けられるような不快感が込み上がる。
鉤爪を動かし、怒りに染まり出した真紅に黒竜は応える。胸元を貫かれて尚、炉心を大破させて尚生き永らえる同胞を、そして自らの盟約に心底納得する。
「我が身は朽ちる、故、この境を恨む。砌、全盛期たればと祈るは罪と知るが……我が威は神と知れ」
黒竜の身動ぎで大地が唸る、巨大な生物が相対すれば力場も変容する。胸元から生える切っ先が大地を削り、単なる身動ぎが深々と大地へ傷跡を走らせる。煌々と翡翠に輝く瞳は妙に理を宿し、悍ましさの中に確かに、消えない灯火を伺える。
「ッ……!」
見事な、壮絶な、強烈な、右前脚竜パンチなんぞと、とある勇者ならば宣うのだろう。
ロスウェルの頬をぶっ飛ばした右手が、金属を思わせる爪が外殻と触れ合って火花を散らす。散った火花が樹木に引火して、足元が嫌に明るくなった。
長い首が加速された質量の反動で弧を描き、同時に、刹那、剣かのような尾が顎をかち上げた。ロスウェルは、真紅をギラつかせる。尾を噛み、強引に身を捻る。
黒竜は、身を屈め胸元の剣を大地に突き刺す。あまりに予想外な抵抗に、歴戦のロスウェルは敢えて翼を器用に手繰り、黒竜の眉間に叩き込む。衝撃で大地が引っくり返った、疎らに存在した雲が圧縮され爆発した空気により消え失せて、世界が揺れる。
「小癪なッ!」
黒竜は、それでも怯まない。左の前脚がロスウェルの胴を引っ掻けば、堅牢な鱗が火花を散らし赤熱する。身を後退させ得る破壊力に、振動だけで周囲の木々が舞い上がる。巨大な、巨大な竜が肉薄し殴り合っているのだ。当然、被害は尋常ではなかった。
甲高い咆哮が交差し、互いに身を質量兵器として突貫する。ぐしゃ、や、ガシャン、と、生々しいのか金属染みているのか理解不能な音が炸裂する。
「我を前に臆さぬかッ」
黒竜は、咆哮で応答する。悪意、害意をまぶした殺意に塗り固められた、何処か物悲しい掠れた轟だ。金属、あらゆる生物にも勝る外殻は未知の金属としか思えないものだ。砲弾であろうが、火であろうが、通さぬだろう生体装甲だ。
確かに、竜の中では生物らしい存在も多い。だが、真なる龍種とは生物の枠外に存在している。本来ならばロスウェルに寿命なぞ定義すら不可能であったが、災厄の余波、後遺症は致命となっていた。
炉心だけは変わらない、肉体を構成する分子が一つ残らず消えたとて、そのような状態の真なる龍種を死と定義すら不可能であるのだ。彼等の生死は、物質界にはない。思念エネルギー、と言う訳ですらない。彼等真なる龍種は根源を、起源を、世界情報に据えている。
縦令、身が、魂が、滅ぼうとも世界は竜を保証する。証明する、絶対的で圧倒的で、神に連なる存在だと。
当然だ。至極、当たり前の話なのだ。
逆なのだ、全て語る上で逆さまなのだ。
竜は、世界の前に在ったのだから。
故に、真なる龍種とは他の龍種とは全くの別物だ。二万年すら近しいと感じる程に遥か時の彼方より、この世界を創り上げた大いなる竜から、零れ、解け、産まれたのだから。爬虫類の進化でも、退化でもない。
根本から違えている。ロスウェルの前に存在する黒竜も、見た目の深手に対して気配りがないのは必然だ。
「あゝ! 貴様はッ! 真に同胞であったかッ!」
喜ばしい事だ。歓喜に震える。心が弾む、とうに枯れた本能が燻り、熱を帯びる。
「黒竜……、否ッ。真なる邪竜ッ!」
終末を告げる黒竜、それは全てを喰らい尽くす。羽ばたけば死を招き、咆哮が悪夢を降らせ、眼差しは死を湛え、息吹は終りを告げる。
真なる龍種の中でも、世界にたったの一存在しか現れない文明回帰機構。
この世界の黒竜はとうに滅ぼされた。今では物言わぬ抜け殻よ、とロスウェルは感慨に打ち震える。
ロスウェルが文明均衡維持機構とすれば、彼女は、数多ある世界の、何処か彼方の、悠久の果てに座す終わりを告げる黒竜である。対極ではない、近しい存在とも言えよう。均衡とは即ち、栄え滅びる事と知る。
「くっ、クハハハッ! 良いッッッ! 良いぞッッッ! 血が、肉が、本能がッッ、こうも滾るとはなッッッ!」
真紅が、駆ける。尾が、割れた大地を打ち、黒竜に投石する。意にも介さないのは、流石か。頭蓋で、角で叩き割り、寸の間もなく竜が激突する。真っ赤な、真紅の光。
つんざく。空が染まる。青が死ぬ、辺りを染める。眩い稲妻に酷似した、なにか得体の知れぬエネルギーが黒竜の胸部を撃ち抜けど、腹部に傷を作りもしない。
必然であろう。格の話ならば、ロスウェルは負けていた。炉心が大破した黒竜であるのに、拮抗するのがやっと、いいや。
違うのだろう? と、ロスウェルは真紅の瞳孔で見据える。
シルト、人が住まう街は健在だ。身動ぎで国を容易く滅ぼせる両者が激突したにも関わらず、手を抜き、抜かりなく万事全て誘導されているだけ。
掌の上で、弄ばれているだけ。
「貴様は、なにゆえ、人と歩む?」
黒竜は、応えない。
肉体を浮遊させ、加速させた絶大な質量を問答無用に叩き伏せるだけだった。ロスウェルの顎を撃ち抜く黒竜の左前脚が、遂に鱗へ僅かな亀裂を走らせる。
爆風と、得体の知れぬ呪詛が混ざりぐねり、数キロ、吹き飛んだ。無様にも、大地を幼竜の如く転がったのだ。隆起した山々を背で破砕し、一際大きな山脈で漸く勢いが収まった。人が住まない、険しい山々だ。古来人種が住まう大自然に突っ込み、巨山たる肉体で木々を、川を、山を薙ぎ倒したのだ。
数キロに及ぶ直線を大地に引き、反動を殺したロスウェルは眼光を滾らせる。
「ぐぉぉお……」
明滅する視界の中、苦悶の声を漏らした。体格では劣らぬが、出力に差異が有り過ぎるのだ。こうも容易く吹き飛ばされたのは、先代の勇ありし者以来であろうかと、ロスウェルは頭を振る。
肉体になぞ意味もなければ価値はない、筈だ。忌々しき災厄さえなければ、それさえなければ、こうも肉体に引っ張られる事はなかったのだろう。熾烈な一撃から思考力を回復させ、損傷を修復する。
黒竜はついぞ人を気に掛けているようだ、引き裂くでも、叩き伏せるでも、息吹でも、他に攻撃手段はあるだろうに。態々、大きく振り被って突き放す方法を選んでいるのだ。舐められている、侮辱されている、とはロスウェルは感じなかった。
不思議な事だ、黒竜からは慢心を伺えない。故に、ロスウェルは応えなければならない。その身は竜であるが故に。
後ろ脚で山を蹴り潰す。掲げた翼で天を埋めるように、覆うように広げる。エーテルを捉え、翼膜で捕らえたエーテルを媒介に身を空に押し上げる。
「ぐぅ……ぉおおッ!」
舞い上がる前に、黒竜が、ロスウェルの首根っ子に噛み付いた。大地に引き摺られそうになりながらも、真紅は更なる輝きを携える。
「がぁぁあアアアッ!」
長い首故、首を噛まれようと頭部の向きには融通が利く。凶悪な口から放たれたのは、霊力に指向性を持たせたものだ。エーテルは、物質でありその立ち振る舞いには未解明な部分が多い。爆縮され、圧縮され、超高圧力で超高速で循環させたエーテルは、様々な物質を削り飛ばす性質がある。
俗に述べればレーザーのようで、火や水等の属性すら付加されていない霊力は時にエーテルの性質を顕著に宿す。溶かすでもなく、エーテルはあらゆる物質を、触れた全ての存在値とでも言うべきか、それを消滅させる。
特筆して莫大なエーテルを操る真なる龍種の息吹は破壊的で壊滅的だ。黒竜の横っ面をぶん殴ったエーテルレーザーは、然し効力を十全に発揮しなかった。黒竜の頭全てをエーテルで染め上げたのに、鱗に触れ拡散した木漏れ日の如し束ですら大地や空を引き裂いて破り捨てているのに。
黒竜は止まらない。何故ならば、霊力を喰らっているからだ。ならば、と、白き濁流は忽ち赤黒く染まる。黒煙、口端から揺らぐ残り火。
尋常ではない熱量で、足元の木が燃え盛る。川が瞬きもなく枯れ果てる、逃げ遅れた魔物が朽ちて塵となる。大地が、朱に溺れ、爪が溶解した地に埋まる。
どろりとした大地の中心で、ロスウェルは黒竜の頭部に全力で息吹く。
消し炭になれ、消え失せろ、燃え果てろ、塵すら残さず紅となれ。とばかりに、炉心を回転させる。
真紅の、極太い線が黒竜の鱗を赤熱させ、熱波で景色は歪曲する。熱で、空気が上に上に押し上げられる。足元から吹き荒ぶ暴風すらも歯牙に掛けず、炉心で作られたエーテルを順次放ち続ける。爆煙に、爆雷に、黒竜の姿が呑まれようと緩める選択肢はなかった。
「がァァァあああッッ!」
だが、目に見える光景に反し辺りへ撒き散らされる被害は異様に低い。これもそれも、黒竜が意図して抑えているのだろう。浴びせられる火と雷と闇の属性を呑み込んでいるからか、本来であれば数キロ程度に存在する全てを発火させ灰燼にする焔が抑制されている。普通の龍種が放つ息吹とは訳が違う、ロスウェルの息吹は文字通り壊滅の意思そのものだ。
体内に多元宇宙規模の炉心を保有するのもあって、用いる事が可能なエーテルは、本当に言葉のままに無限大なのだ。永久機関たる炉心の影響で、体内や体外のエーテル総量になぞ意識を向ける必要はなく、畢竟、使用可能ポテンシャルは他の存在の比ではない。
出力自体の上限はあるものの、息継ぎは欠片もない。
ロスウェルは紅に堕ちる眼前を見据えたままに、脳裏では逆転し穏やかなものだった。電池切れしないラジコンみたいだ、と勇者なら例えようか、世に産み出される破壊の権化は著しい戦果を連に述べれずも終わりがない。
そうだ、終わりがないのだ。ロスウェルは神なる冥宵の王より賜った炉心を用いて、慈悲なく暴虐を尽くして来た。対象が絶命しても暫くは息吹を止めず、ずっとそうしていた。
それが最も効果的であったからだ。終わりがない攻撃だ、超必殺であるのにゲージは常に虹色に輝いている、と春風なら称するのだろうが、此処は現実だ。
実際問題、黒竜が浴びながらに対応して対処して対抗していなければ、アースウェル全土を燃やし尽くせるのだろう。半端な龍種とは格が違うのだ、容易く大陸なぞ泡沫に消し尽くせよう。
そうなっていないのはひとえに黒竜、ウェンユェが喰らった天から地まで呑み込んでいるからだ。辺りに飛散する熱波なぞ、僅かなものとすら言える。その僅かな熱量だけで大地は赤熱し、溶解し、木々は燃え、川は枯れ、風は荒び、空間が断末魔の叫びを上げるのだ。
どろりとした大地へ沈み込む黒竜は、不意に身を引く。ロスウェルは踏ん張ったが、咄嗟であったので溶解した大地に爪が掛からない。
尾先、黒曜石の剣が煌めいて。ロスウェルの顎と接触する。カチ上がる頭部、巨大な熱線が天に向く。雲が裂けて、瞬間、宇宙まで突き抜ける筈だった熱線はナニカ透明な壁に阻まれた。
波紋を広げる天は、熱線に触れ合うと銀に呼応する。理解不能な数列が空を彩って、接触した熱線は唐突に端から消えて行くのだ。
此処はアースウェル、そのアガレスの地。神なる銀黒が環境維持大結界を展開する地、故、法外で外法な一撃から土地に根付く生命を庇護したのだ。
牙を噛み合わせ、最早意味を成さぬ熱線を強引に断ち切る。頭を振るい、崩れた体勢を直さんとする。ロスウェルの眼光は衰えない、軋む節々、息吹の残りで喉を焼く。立ち所に回復したとて、限界がある。
限界が、出来てしまったのだ。災厄を滅ぼさんと、生命を守護せんと、アイリスを刻み立ち向かった故に。であるから、限界はさしものロスウェルとて間近だ。開幕の即死がなければ、墜落さえなければ話は変わったのだろうか。
「人に、惹かれ……焦がれるる、なれば汝もまた、人を知ったる……か」
思念は、妙に落ち着いた声色だった。激しい肉体の衝突に反して、ロスウェルは穏やかとさえ言える。
「腑に落ちようか、あの阿呆も……、末まで人を、気に掛けておったゆえ」
思念が帯びる感情は複雑で、でも、そう、とっても温かく。久しい友に出会えたように、過去が瞼の裏で映っているかのようで。黒竜は、ウェンユェは思念に漸く答える。
余裕がないから、無駄は省いていた。然し、そう切り捨てようにもロスウェルには同胞として言葉を捧げねばならなかった。
「……理解したと?」
「……、ククッ。戯け、忘れようもなきことよ、言は、不要也ッッ!」
誂うような、何処か喜色を帯びたのは内容より黒竜が応えた事に対してなのだろう。長い尾同士が激しく交差して、ロスウェルとウェンユェは縺れて大地を耕す。途端、黒竜の力が弱まって押し込まれ始めた。
それもそうだろう、ロスウェルが長年の蓄積で得られた感覚で、隙を突き黒竜が爪を掛ける大地を鑑みて、自らは脚ではなく翼でエーテルを促進させ推進力にしたのだ。溶解した地にて爪は役には立たぬもの、やられた事を返し、同時に強靭な両椀で黒竜を押さえ付ける。
翼から迸るエーテルの波すら無駄にせず、揺蕩う霊力を手繰って加速する。目的は、方角は、山脈だ。剣が貫通する黒竜を縛るには、剣を山にでも穿たせるに限る。死を忘れはしない、が、安々と死んでやるつもりは毛頭ない。
竜は、竜とは、独り善がりで身勝手極まり、堅物で思考は人の倫理観に反するものだ。
黒竜は、ロスウェルにより強引に山脈へと埋め込まれた。抵抗より早く、加速した質量を十二分に活かした突撃に返せる術なぞなく、豪快且つ端的に山脈を穿った。崩壊する瓦礫に四肢が埋もれ、身体を縦貫する剣が引っ掛かり即座に身を起こせない。
のを、ロスウェルは理解していた。強靭な脚で、頭を上げる黒竜を踏み抜く。大地に縫い付けて、翼を掲げた。天を覆う翼をだ。
雄大にして獰猛な、捕食者の目玉が収縮する。口端から滾り、牙の隙間から溢れ出す熱が空間を歪ませて行く。息吹の準備段階だ、真下にならば、無効化も完全ではないだろうとロスウェルは考えていた。
相手は恐らく格上なのだろう、然し、炉心が大破しているのならば簡単な話でもない。満身創痍なのはお前もだろうと、荒々しい動きに反して冷たい深紅は問い質す。
視界の隅で、白が走る。深紅に煮え滾る刹那、ロスウェルの鼻先になにかが、白が着地した。
それは小さい、非常に小さい身丈だ。ロスウェルの巨体からすれば、だが、それは見間違う事はないだろう。
古き友の姿に、息吹も止まる。
「タウタかッ!」
「ふたび、言えど止まらんのだろう、友よ」
「おぐぉッ!?」
同時、であった。
左目に小さな拳が叩き込まれたのは。
感電するような、痛感。鱗の内側ががなり立ち、噴き、噴火する紅。黒竜に浴びせたのは、肉を潤す血だ。夥しい血だ。
目玉が、潰れたからだ。身丈に合っていない恐るべき膂力で、ロスウェルの桁外れな質量が後退する。爪が大地を引っ繰り返し、木の根を掘り起こして、山を削る。
痛みから身を退く訳もなく。
ロスウェルが後退したのは、凄まじい衝撃を浴びせられたからだ。堅牢な瞼を下ろし防ぐのすら間に合わぬ突貫により、左目が爆裂したのだ。血、だけではない。空中に四散したのは、網膜や虹彩も含まれる。
だからなんだと宣うのか?
竜たるロスウェルであれば、真なる者に之を問うべきか?
愚に極まりし問答。
肉体の損傷なぞロスウェルには些細な物事で、どうとでもなる事柄だ。タウタが覚悟を決めた、それは喜ばしくも寂しくもあり。
嘗てない。昂り。激情が鼓動する。
「く、クハハハッ! 友よッ!」
左目から垂れる血を、瞬き拭えば。潰れ、白い肉と脂肪の混ざった瞳は。
陥没し、剥き出す血管から噴く暗褐色も。
忽ちの内に、捻れるように肉が隆起し、ぐにゃぐにゃと血管が蠢き、解れた肉が集積する。
二度、瞼を閉ざせば。次に見せるは輝く紅玉だ。
莫大な霊力を煌々と纏う目玉が、最早、推論もなしに、タウタと遇った。
空中、高度にして三百と七十メートルはあるか。真っ白な、黒い肌をしたタウタは在った。
白と紅、視線が錯綜する。交差する。
「ついにッ! 決めたのだなッ!」
咆哮に乗せた思念に、タウタは自由落下する身を捻り答えた。空中を蹴り潰し、身を再び舞い上がらせた。
爆風、後、ロスウェルの尾が空間を横断する。圧縮された空気は、熱されて、尾の周囲は燃え盛り。
「ロスウェぇえええぇえルッッッ!」
尾の上を駆ける白雷。ジグザクに、剛に。
閃光。
瓦礫、熱、置き去りに。
朽ちる身、折れた片角。すら、余分か。
よもや。よもや。
況や。
恰も、宛ら、専ら。
世界をぐるぐる廻す。
「喰らえッ!」
虚空に生えた牙は。口が。
「喰らえッ!」
無数に生えて、ロスウェルの紅玉に映えた牙が。
ギザギザな、牙達は。
「喰らえッ!」
アシャカム。
偉大なる銀の神より賜りし、血。
古来人種の奥の手。
神なれば、之、アイリス、やれ呼する。
命を熱量に、命を燃やして、牙は。
アシャカムは、世界から ロスウェルのに る は た
よ は す 消えたの が、 たるが。
ロス ル にくが
崩れ、 ふせ がきゅ 冥夜 が。
弾けるは 血 無く く 亡き 歯。
無数。 歯、 口。
がぎゅるるる。
ぶちり。
喰う。
喰う。
喰う。
空。
歯。
ハ。
「く、クハハハッ! ャカムッ! 」
ウェル 抵抗す けれど歯は杭、悔い、喰い、苦に威。
次なる獲物。
飢える。
ヒトカミ。 ナナカミ。
五十七。
「タウ めがッ! ドレイブニルがッ、どうあ 、 よッッッ」
世界に、紅。
タウタの喰い荒らす世界に、竜が轟く。
タウタを、その爪が叩く。爪は、中途で消え、爪先が地面に刺さる。巨大な柱は、大地を上下させる。だが、脊椎が虫食いばかりで覗く尾で薙いでしまえば、タウタは深々と大地に穴を形成し、茸雲を上げる。
「ドレイブニルたる力を、友よ、あゝ! 友よッッッ! 魅せようッッ!」
深海から噴き上がる火山。
噴火する星。
空に浮かぶ魔法陣。
紅、血、肉。
「我が身に宿るは神の威ッッッ!」
喰われた肉に。骨の出た脇腹に。霊力が削れた内に。
小さな炉心が、ロスウェルの胸の中心に。心臓の鼓動が、鼓膜を打つ。
どくり、どくり、とだ。
「我魂に刻む、魂に誓う、原始の焔にて、燃えよ、燃えよ全てェッッ」
ドレイブニルがロスウェル。
巨竜は、燃え盛る。肉から迸る火炎が、傷すら、削り取られた現実すら焼き切る。
太陽は、翼を、燃える天幕で世界に帳を落とす。
魂を発火剤に。
肉を起爆させ。
全てに火を。
全ては火に。
溶けない。
燃える?
否。
火に。
火となる。
「ぅううるぁあああァァァああ嗚呼アッッッ」
ロスウェル、喉から叫ぶ。怒りではない、悲しみ、とは呼ばぬ。
地から飛び立 タウタが、土煙 上昇するのは、貫通して垂直に。
また、目が 確かに、感情は共にした。
故に、ロスウェルは友を殺す。
故に、ロスウェルは友を火に。
故に。
「滅べ」
世界に火は、そうして灯る。
いやあ、お久しぶりでごめんなさい。忙しい……シンプルに時間がががが。
それはそうと皆様は誰が好きです?
作者的には、その、くふふ、皆さっ!
ホントだヨ?