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タイヨーの対応


 どれだけの時間が過ぎたろう、獣の唸りも遠くから聞こえるような、或いは耳元で現れるような、不快な音に頭が一杯になりそうだ。魔物の気配がする、とタイヨーは目玉を回す。


「くっそぉ……どっち行けば良いんだ?」


 一寸先も見通せぬ程に濃い霧の中で、対応を迫られるタイヨーは腰に下げていた剣を抜き放ち、なるべく被弾面積を減らさんと身を屈めている。方向感覚が狂ってしまいそうで、なにが飛び出して来るかも分かったもんじゃない、深い霧は。


 靴裏から伝わる砂利の感触と、上から押さえ付ける身体の重さすらなかったならば立っているのもやっとか。呼吸するのも、纏まる霧のような、得体の知れぬ赤黒いなにかが肺をきりきりと痺れさせている。幸い、この場所に至るまでに戦闘へ意識を切り替えていたからか、怪我はない。


 途轍もない衝撃と、壁のような空気の塊に轢かれ空中に跳ね跳んだまでは明瞭だ。赤毛の女傑、ヘルが身を挺して庇ってくれたのもあり怪我はないのだが。茹だるような、雫が落ちるような、服すら重くなりそうな、身体に染み込むこれこそが霊力なのだと遅れて理解する。


 シッドテアンで習った中で、桁違いの霊力は可視化され物理的に影響を及ぼすと耳にした。湿気の高い所にいるような、なんとも言い難い不快感は拭いようがなかった。意識を切り替え、自動防護を働かせているのに。


 タイヨーは視界の隅でチラつく状態異常のランプを切る。超能力を扱う場合、様々な所に意識を使うのは不可能だ。だからこそ、自らがやり込んだ『MMORPG』のキャラクターのステータスをそのまま流用するに至っている。


 普段から全開だと気力が持たない、また、同時に力加減なりで苦労する。近頃は合言葉を口にして意識を戦闘用ステータスに移行していたのだがUIと呼ばれる自らのステータス表記をちらりと伺う。HP、ヒットポイントこそ存在しないがつい先程まで明滅していた状態異常は毒に類するなにかであろう。肌をぴりぴりとさせる空気に、良い加減辟易している。


 鼓膜を時折撫でる得体の知れぬ雑音は、獣の唸りや風のうねりとも受け取れる。滲む不安に目玉を回し辺りを伺えど、見通す先はなく。深い霧ばかりが網膜に染みる。


「やっべぇな……どうしたもんか……」


 剣を手に、歩みを進めるにも指標がなくて身を縮めるしかない。辺りを見渡しても手に入る情報が限られるし、本当にどうしたもんかと汗が滲む。出来れば共に吹き飛んだヘルと合流したいのだが、周囲の赤黒い霧に阻まれてそれすら叶わない。とは言え何時までもこの場に停滞するのも得策ではないのだし、物事を進展させるには行動するしかないとタイヨーは覚悟を決め直す。


 恐る恐るではあったが、確かに一歩進む。タイヨーは馬鹿ではないが、とある勇者のように知っている事なら知っている当たり前を常に叩き出せる異常性はない。もし彼が同じ事態に陥ったのならば、方角を確認するのだろう。辺りが見えない、空も見えない、光が僅かに届いている、よりは蔓延する霧の鈍い発光が明るさを確保している現状を加味して。


 そしてなによりロスウェルが墜落(・・)した事を理解した上でならば、足元の勾配を脳内に反映し、緩やかな上り坂(・・・)へと歩を向けた事だろう。彼は、行動で物事を進展させる人柄ではないので、そうした正しい選択をする。だが、タイヨーは違った。手探りで、緩やかな下り坂に歩を進めたのだ。


 暫く、歩けど進展はない。歩き始めて何分経ったのか。変わらない景色と躓きそうな足元、耳障りな異音に体調が悪くなる空気に焦りが積もる。


「くそ……これどうなってんだ? 歩けば、出られるよな……?」


 真っ直ぐ進めているのかも分からないが、同じ方角に進み続ければ何時か端に辿り着くのを祈っていた。剣の重さは然程気にはならないが、どうにも見通せない事態ってものに耐性がない。タイヨーは職業柄、対策し対応するが情報が不可欠だ。未知を嫌い既知を好む。なによりも、自らの命運が天秤に乗っているならば尚更だ。無意識に柄を握る力が増した。


「…………なんだ……?」


 違和感。見渡す。分からない。立ち止まり、剣を構える。


 不意に、唐突に、視界が真っ赤に染まった。なにか、途方もない大きな。


「な……なんだ……こりゃ?!」


 眼前から突き刺さる紅の光に切っ先を定め、半歩足を引く。じゃりっとした感触は、砂か。見上げる程の、大きな紅。縦長の黒い亀裂が収縮して、タイヨーを射抜く。


『汝、剣を佩け。勇ありし者にいくばくかの祈りと、死を以て相対する』


 脳味噌に直接叩き込まれた言葉に、タイヨーは理解してしまった。今、前にあるのは、墜落した竜の目玉なのだと。巨大な目玉の煌々とした輝きに圧倒され、指先が震えて、膝が笑う。絶大なる意思を携え、矮小で愚かな木っ端、タイヨーを押し潰す声は。


 真なる竜種、ロスウェルで間違いはなかった。切っ先が、震えて定まらない。怯えている自覚はなくとも、身体が強張って逃げるに逃げられない。タイヨーは強く、瞼を絞る。そして、一息だけ細く吹く。


「……そ、そうか、ロスウェルなんだな。なぁ、おい。教えてくれよ、どうして人を襲うんだてめぇは……?」


『我は盟約に従い、死を以て誓いを果たす』


 脳内で反響する声にこめかみを押さえ、眉を上げる。怯えていても、逃げない。矜持や信念ではなく、そうしなければならないと利己的に判断したのだ。タイヨーは馬鹿ではない、なんなら地頭はかなり良い方になる。


 何故、ロスウェルは会話をするのか。殺したいだけなら理解される前に大きな前脚でぺちんとすれば終わるのに、態々声を掛けているのだ。真意なぞ見当も付かなくても、実利を得るなら乗らない手はなかった。冷静に努めて、跳ね上がった心拍を宥めつつ。


「そりゃなんでだよ、俺らとさ、関係なくねぇーか? 勇者っつっても、昔の人だろ?」


 言葉を交わせる以上、意思の疎通は押して測るしかない。


『我が命運尽きしこそ許容す、盟約に反すは是とせず。故、朽ちゆけど翼を天に掲げん』


 ちょっとなにを言われたのか、分からん。と、タイヨーが数秒首を捻り、暫くして理解する。頭に木霊する意識に気が散るが、つまりロスウェルは死にそうだが約束を守らなければならない、らしいのだ。


「だからってよ、なんで殺して回るんだ……? 訳わからんし、ねえーよ、なぁ、ロスウェル」


 心底怖い、心底怖い。然し、でも、虚飾でも虚勢でも強気な言葉を選び態度に表した。


「てめぇがどんだけ凄くても、殺し回ってなんになるんだよ。約束? ふざけんな、誰かを殺さなきゃならない約束なんてするなよ。意味わかんねえわ」


『…………』


「ロスウェル、あんたがなにを考えてんのか知らねーし、分かんねーが。少なくとも、俺は……他にあったんじゃねぇかって思うんだ」


 ロスウェルは答えない、瞳孔はタイヨーを見下ろしたままだ。霧で全体像を伺えない、強靭な鱗が伺える。息吹も、耳に入る。


「……誰との約束かはしんねーけど、俺は……間違ってるって思う。誰かを殺して得られるものなんて、誇れねえだろうが」


 否定すれば、ロスウェルの瞳がギョロリと蠢き矮小な人間を凝視する。今までは視界には入れている程度で、今からは視界に定めているに変わった。明確に認識し、暗雲に沈める巨体から更に霧を発生させた。


『竜とは斯く在る、我の道は揺らがぬ』


「……なら引きこもってりゃいーじゃん。そーしてねえ、なら、人ってのに用があんだろ? どうしてだ? 憎まれるような事を、アガレスの人達がしたってのか?」


 アガレスの人達を守りたい、と高尚な考えは春風太陽にはない。唯、目の前で知り合いが死ぬのは気分が良いものでもないし、見知らぬ世界に飛ばされた恨み、確執を抜きに当たり前に倫理観がそうさせる。愚かと言われればそうだろう、結局は価値観を押し付け合っているだけで、話し合いの体裁でエゴの殴り合いをしているだけなのだから。


 平和を謳おうが、争いを求めようが、とどの詰まり方向性が違うと言うだけなのだ。ロスウェルだって巨大な力を振り翳し主張しているだけで、本質、根っ子は変わらない。タイヨーだってそうだ、実の所を抜き取れば其処に大差なぞないのだ。


神なる銀黒(シ・テアン・レイ)との盟約により、此処に座す。系譜に連なる者なれば、我が意は()の威と知れ。我こそ神なる冥宵の王シ・ブュセル・ガランシャッタ契りし竜種(ドレイブニル)也』


「ぁあ? ちげぇよ。許可とかさぁ、そんなんじゃなくて。あんたが、どーしてこんな事するかだろーが。俺は死にたくねえ、死ぬ訳にもいかねえ、アガレスの人達だってそうだ。わかれよ」


 話が通じない、訳ではないのに。どうにも歯車が致命的に噛み合わない感覚。大小様々な組み合わせを無視して、丸に四角を重ねたような違和感にタイヨーは歯噛みする。


「その、なに? 神様? とかが許したからって、なんでも出来ると思うのは違うだろ。ぁあ、分かんねーなー、まじで。てめえの話だろ?」


 切っ先に怯える道理はないだろう、竜種、ロスウェルからすれば小さな鈍らだ。だが、言葉に目を向けてはいた。


『勇ありし者よ、終末に備えよ。我が朽ちる身、勇ありし者に捧げん』


「……ぁあ? なに言ってんだまじで……?」


『並ぶ言は不要、動にて示せ。我が身、我が生、全てを以て盟約を果たさん』


 地響き、はしなかった。霧が更に濃くなって、目が痛くなって、瞬きする。タイヨーは咳き込む、ながら、また数歩下がった。涙を袖で拭えば、深紅に照らされた異形に目が釘付けにされる。赤い霧から、じんわりと形を成したそれは、大地を踏み締めて。


 咄嗟に飛び退いた。寸刻もなく、霧のような霊力を分ち過ぎるのは鋭い鎌か。見た覚えのある風体だが、見た事はないだろう姿である。前脚に該当するだろう鋭い鎌は金属っぽく、図体は棘のあるアルマジロのような。顔に位置する所には、鋭利な牙が並び肉食獣めいている。ふと、胸元が涼しくなっているのに気付く。


 鎌に引っ掛かったのか、シャツが横合いに斬られていたのだ。幸い肉を絶ってはいなかったのだが、柄を握る手は力が強まった。咄嗟に飛び退かねば両断されていたのだろと思い返せば、ぞっとしないもので、銘もない良くある市販品の剣で受け止められそうにもないなと、脳裏では冷静に分析する己がいた。


 焦りはある、恐ろしくもある、だからこそ脳裏に佇むプロゲーマーとしての春風太陽は冷静に迅速に相手の行動を分析していた。咆哮なぞもない、死体を動かしているかのような不気味な静寂に意思は感じられない。真っ黒な目玉はタイヨーを見ている、とも思えない。


 深紅の輝きを背に、霧から滲み出る異形の化物達は、黒い以外に共通点を挙げるとするならば何らかの対象を殺傷するような機構を備えた、生物の中でも何処か虫のように、殺意のみで塗り上げた造形をしている。殺すだけに特化して、生物らしい造形を削いで、極限まで生き物らしさを削いで削いで削いだ果ての姿のようだ。


 殺意だけで造形された独特な気持ち悪さと、数学的な美しさも感じる奇天烈な事態にタイヨーは眉を顰ませつつ、眼前を埋め尽くして行く魔物の群れに、頭は逃走に切り替えていた。と述べるより、既に駆け出していた。跳ね跳び、鎌を蹴って魔物を乗り越える。突き出された槍のような器官を仰け反って、回避した。


 剣を側面に当てて、反動を押し殺し深い霧に身体を投げ込む。地面、踏み締めて、走る。逃げる、恥もなければ外聞もない、英雄たらんと生きているつもりは微塵もない。生きる為に、妹の為に、唯それだけを糧に足を前に繰り出す。四方から溢れ出る魔物の隙間を縫い走る、股下を抜けて、上を越えて、横を駆けて、魔物を蹴って。


 それでも、深い霧を有耶無耶に、視界に広がる魔物の津波は終わりが見えない。しくじった、タイヨーは反芻し反省し、駆け抜ける、立ち止まれば死ぬ。ルート取りをミスすれば死ぬ。リアルタイムアタック、通称RTAをやっているようだと内心愚痴を零した。


 下手なボスより道中の雑魚のクソ乱数に殺されてばかりな、御祈りして変数と戦うような、コントローラを握る手がじっとり湿って行くような、ぎゅうっと心臓が締まるような、なんとも言い難い独特な空気に呑まれたら終わる。雑魚は雑魚ではない、逃げる事とタイム短縮は非常に密接な関わりを持つ。道中、無視する徘徊Botに四苦八苦しつつ最適で最速なルート取りを行わなければ直接死を宣告されるように、ワンミスで即死だろう猛攻を猶予もない即座の判断で回避する。


 ボス、この場合追って来る様子のないロスウェルは考えない。だからって。


「あんまりだろっ、この数はッッ!?」


 数十じゃあない。逃げているのに、自動車並の速度で駆け抜けているのに、突き放した魔物の影から視界を黒塗りにする新たな魔物は、際限がないにも程があった。速い奴もいる、捕まれたら数秒も掛からず群れに貪られ挽肉すら残らぬだろう。異形共、生物ではないそれ。


 RTAの見所は、変数が良い方向に向かった時に宿るのか、悪しき方向に向かった所に宿るのかは議論が絶えないが、今がクソ乱数のクソマップのクソエリアだとタイヨーは深く考えるでもなく結論とした。何処の馬鹿が、足の踏み場もない程に敵性モブを敷き詰めるのかと。


 恐らくこのゲームを前世でプレイしていたならば、コントローラーをモニターに投げ付けている。配信中であってもだ。


 せめて、唯一の救いようとして、攻勢する敵性モブが生き物であったならば話は違うのだろう。ゲームであればクリアを前提に梃入れするし、プレイヤーの周囲に存在するモブの思考ルーチンも『同時攻撃可能上限』が設定されようものだが。


 現在、他の魔物を問答無用で切り裂き眼前に躍り出た魔物にそんな優しくて生温い『温情』なぞ存在しない。味方だろうが巻き込むし、貫くし、踏み付けるし、切り裂くし、躊躇いがない。回避可能な猶予があんまりにもない、敵性のモブを、一撃で致命を放つモブ擬きを、なんで視界が悪いエリアに敷き詰めるのかと。開発者がいたならば、右拳と左拳が大活躍しよう。


「くっそッッ!」


 進路を塞ぐ魔物の頭に剣を投擲し、突き刺さった剣を足場に魔物を飛び越える。幸先もなにも、どん詰まりに近い。唯一の武器すら失うのすら厭わず回避を優先する。兎に角距離を確保する、なにがなんでも包囲網の縮小を避ける、でなければ死ぬ。死ぬ、と、タイヨーは理解する。理解してしまったから、逃げている。何故、強靭で屈強なボスが敵性モブの群れをけしかけて来るのかと、理不尽にも程度があろうと、文句を言い出せば切りが無い。


「ッッ!」


 足場にした魔物、が、靴裏の摩擦が足りない。踏み込みが浅くなった。ミス、明らかなミス。致命的な凡ミス、ルート取りが良くとも速度が足りない。左右から、筋骨隆々な悪魔のような獣が飛び掛かっている。毛すらない、真黒な肌に血管っぽい筋の浮く化物だ。鋭い牙や造形は、狼男と悪魔を五分で配合し溢れ出る殺意でぶち撒けたかのような凶悪な姿をしている。


 肉薄する身丈もある拳が、なんの冗談か他の小型の魔物を砕きながら突き進んでいるのだ。閃光、赤い霧より赤く。


 猛烈な衝撃にタイヨー空中で足をバタつかせ、着地を失敗し勢いのままに地面を滑る。魔物に波が、紅蓮に包まれた。熱波、否、肌を凍て付かせる()は衰えず、口端から蒸気を吹く巨躯が近場の魔物の頭を力任せに引き抜いていた。


「ぼさっとすんなハル坊ッ!」


 灼熱の髪を靡かせて、ローブを翻し、迫り来る魔物を殴打すれば空間が感電する。鼓膜を殴る炸裂音に、頭がふわっと意識を回す。吹き飛ぶ臓物と、塵に散り行く魔物と、凍て付く炎が魔物の進行速度を僅かに緩めたか。


 地面から起き上がって、迫る魔物から距離を取れば、巨躯の女傑は手を翳す。


「わりぃッ! 助かったッ!」


「良いから走んなッ!」


 凍る炎が魔物の波を凪げば、四肢がぎちぎちと不快に唸り引き千切れて行く。凍った手足を顧みず、無理矢理に強引に動かす魔物だから足止めに丁度良い。ヘルは凍った魔物を足で蹴って、後続に叩き込むと駆け出したタイヨーに並走する。


「こりゃまた、凄い数だねぇっ」


「まじでなッ! どうするよ?! 逃げるしかねーけどさッ!」


「おら受けとんな!」


 足元に突き刺さったのは、数刻前に放棄した剣だ。名工の剣ではないものの、ないよりはあった方が良いに決まっていた。流れに乗り、引き抜いて駆ける。タイヨーが一瞬、動揺した。前を塞がれたのだ、が、雄叫びと衝撃が走れば障害物たる魔物の津波を突き破り、紅蓮を尾に先陣を切って行くヘルはなんとも頼もしい。


 四方から飛び掛かる魔物もなんのその、言葉通り千切っては投げ千切っては投げ、を見せ付けられるとはタイヨーも予想外である。


「姉御ッ! 逃げるにしても、ロスウェルはどうするッ?! あれ、まじで勝てんのかッ?! 勝てる系のボス挙動じゃねえんだが?! なんだよ! 目玉だけで俺何人分だあれッ!?」


「喋ってないで、足を動かせってんだいッ」


 ヘルの大声は凄まじい、タイヨーの精一杯の叫び声は魔物を打ち砕く轟音に消されていたが、赤い髪を靡かせる女傑のそれは一味違う。騒音も看過し超過した破壊力のある、また、芯に響く答えは迷いを焦りを絶ってくれた。


 足に込める力を増す。普通ならば、ヘルに置いて行かれるのだろう。自動車に迫る俊足でも、女傑からすれば軽く駆けた程度なのだろう。事実、ヘルが何度か目をタイヨーに向け位置取りに配慮しているのが分かる。


 有り難いと思う反面、足を引っ張っている自覚に板挟みにされたタイヨーはそれでも前に進む。大きな背を必死に追うしか道もなければ、選択肢もないのだ。余裕を持って並走するからか、不意に現れた魔物は大概蹴りや拳を叩き込まれ、巨躯に見合わず、紙切れの如く霧に消えている。


「なぁ! まじで! どー勝てってんだ?!」


「さぁてね……? アタシはロスウェルを見てねえからなんとも言えないが、生きてるなら、死ぬだろうさ」


 なんて、少しぶっきらぼうでやや気楽に肩を竦める。背後に迫る魔物を袈裟懸けに斬り抜け、タイヨーは手に入れた情報を整理する。


 本体はなにかの冗談みたく巨大で、ビルと蟻で戦っているかのような絶望感がある。目玉だけでも身丈の何倍か見当が付かない。ただ、視界一杯が紅に染まった事実だけを認めてふとタイヨーは引っ掛かりを覚えた。


 追い縋る魔物の数が目減りしたのもあって、思考に割り当てられるリソースが増したからだ。そもそも論、ロスウェルはタイヨーを殺そうとしている。ならば何故。


「なんで、ぷちっとしねえんだ……?」


 殺すだけなら、ロスウェルが動けば簡単だ。態々逃げられるような、魔物を解き放って様子を見守るのは理解出来ない。或いは、怪我が思ったより深刻で動けないのか。増えるのは疑問ばかりだが、態々半端で中途を演じていると仮定するならば、問題は理由に行き当たる。


「約束……ねぇ……?」


 誰かを殺してでも、なのに、殺し尽くすでもなく。魔物の大群を生み出し圧殺するまでに容赦がないのに、躊躇はあるような。耳にしたのは、先代勇者と共に戦った竜である情報。細かい話は知り得なくとも、先代勇者との盟約とやらが関係するのは確定事項だ。


 ロスウェル自身が人間にどんな感情を抱いているのかは不明瞭ではあるが、数百年も人類圏内で温厚に生きていたのだから敵対心はないのだろう。先代勇者がなにかをロスウェルに託し、ロスウェルは先代勇者に連なって生きている。恐らく、神なる冥宵の王シ・ブュセル・ガランシャッタとは関係がないのだろう。


「……、ヘルさん。俺さ、思うんだが」


「あーん?! なんだってッ?!」


 魔物に踵落としを食らわせ、その騒音からかヘルは大声で聞き返す。走りながら、流れるように魔物を葬る女傑に追従するだけとなったタイヨーは考えを纏め直して。


「だから! ロスウェルの目的って俺らじゃねえかって!」


「はぁ? あー、勇者……か?」


 魔物の顔面を鷲掴み、地面に埋め込んだヘルは何処か納得しているようだった。


「そう、それ。ロスウェルが暴れ出したのってさ、俺らが来る前っつー話だろ? でも、そんときには、ほら、あの、ユーフェ……なんとか……う。黒き勇者……がいたんだろ?」


「ふーん、なるほどねぇ。アタシらが来たから、か。ん? 敵って事か?」


「いや、違……くもないか。多分あれだわ、試練的なやつじゃねーかなって?」


 凄い不満そうな顔をヘルはしたが、竜はそんなものかもなと妙に切り替えが早く、歪んだ顔が戻って。


「結局、ぶん殴るしかないって話だな」


「まあ、あー、うん? うん、そうだな。クリア条件がわかんねーし……イベントフラグ的に回収するべきフラグってのわかんねーしな……」


「旗ねえ……? 旗と言えば、だ。ハル坊としちゃ、まぁだ話し合いしてーのか?」


「いや、そのイベはもう踏んだ。こっちの陣営的に、ロスウェルに関係しそーな超克四種族(シ・テンス)も見当たんねーし? 卵みてーなの盗んだとか、逆鱗触ったみてーなのなら楽なんだけど」


「逆鱗触ると駄目なのかい」


「え、逆鱗に触れるって逸話知らね?」


「知らん。ん? 竜は逆鱗関係なしで暴れてたみたいだし、アタシの知る竜ってチンピラみたいだからねえ。あーでも……師匠がなんか言ってたかもねえ……」


 呑気に会話してはいたが、足は止めない。確かに魔物は減った、霧も薄くなったようにも思える。だが、未だに助かってはいないのだ。警戒は欠かさず、然し先を見越して考えを二人は整理する。


「ロスウェルが試練みてーなのをしているとして……クリア条件は……やっぱ倒せなんかな……? えー、狙うなら目か? つーか、先代勇者ってあのレベルと戦ってたのかよ……?」


 竜を討った先代勇者とて、精々が、と甘く考えていた。様々なゲームを経験した上で、あの常軌を逸した巨体は経験不足と言わざるを得ない。あるとすれば、五十メートル程度だ。巨大にしても限度がある、アガレス王国の城よりでかいのはなにかの冗談であって欲しかったが、どんなに悲観しても現実は無情だ。


 墜落しただけで、爆撃でも食らったのかと錯覚する破壊力を生み出した質量。細長い、東洋系の竜なら一kmあっても許容出来るが。西洋らしくゴツく、太く、逞しいままに一kmだ。翼を広げた影だけで、辺りが暗がりになって夜みたいになるレベルはちょっと経験ないな、なんざタイヨーはぶつぶつぼやく。


 攻略法と言えば鱗を足場に登竜、もとい登山するか。目玉を重点的に狙うか、或いは体内に飛び込んで打開するか。真正面から殴り合うにしてもスケールが違うので釣り合わないし、タイヨーが再現可能なゲームだとロボット系はあるものの、五十メートルそこそこがやっとだ。


 尻尾の一撃で粉微塵になりそうで踏ん切りは付かない。出来れば標的にはなりたくはないし、生き残る事が優先だ。だから、思考の隅には申し訳なくも見捨てて逃げる道が最適ではないかと問う己が座している。だからだろう、タイヨーの表情を見てヘルは咎めるでもなく。


「なんにせよ、だよ。アタシもあんなでかいのは初めましてになるし、武器もないからねえ……とっとと逃げるのが一番さ」


「……でも、シルトもだし……堕ちた近くには村があったろ?」


「……、霊力の反応はないよ。とっくに」


「……!」


 向かう筈だった村は、もう。


 タイヨーは拳を固め、そして緩める。頭を振り、眼光を強めた。


「くそ……、俺に、俺はなにが出来んだよ……」


 勇者だと、言われた。勇者である自覚はない、確かに変わった力はある、頭に直接刷り込まれて馴染んでいる力は、あるにはある。女神の導きだと、災厄に立ち向かう勇者であると。だが、英雄になんかなれっこない。ちょっと前まで、筋トレが趣味のゲームがちょいと上手い人間だった。異世界に来て、胸が躍る気持ちは認める。


 置いて来た妹が気に掛かるが、わくわくしていなかったかと言われれば否定はしない。しないが、物語の主役だと胸は張れないのだ。何時だって、不安ばかりが増して。


「なんでもかんでも抱えちゃいけないね、そりゃあもう、むしろ良くねえのさ。なんでもは、出来ないもんだからな」


 魔物の姿はなく、霧は随分と薄まった。わずかに太陽らしき光も見えるか、ヘルは空を仰いでからタイヨーに目を流す。


「アタシにも出来る限界がある、最善を尽くしても手からこぼれちまうもんでね。ハル坊だってそうだ、抱えるべき事と、抱えちゃダメなラインを押さえな」


「……、でも、可能性があって……、それを踏まえた上で逃げるのは、ちげーだろ。俺は、間違えてるんじゃねえーかって不安になるんだ。今、こっから逃げんのも、俺が間違えて、誰かにそれが向かってるようなさ……?」


 ヘルはその言葉に溜息を溢した。


「夢を語るのは立派さ、でもよ、現実を語りな。あの竜に報いる手があんまりねえし、霧のせいで視界も感知も麻痺ってんだ。それに、間違ってるなんざ知らないね、ハル坊がどう思ってるかさ」


「……それは……」


 言葉に詰まる。やらなければならない事は、俺が、やらなければならない事なのかと反芻する。人助けは、自らの倫理観や引っ掛かりの為に動いているに過ぎず、勇者だからと言う枷を否定は出来ない。少なくとも、日本で生きている間で交通事故を目撃し行った事なぞ、通報程度だ。


 遠巻きに、そんな程度。だから、だから。


 妹を孤独にする現状も、妹を孤独にする未来も許せない。


「……、妹に会う事だ」


 考え抜いて、ポツリと出した答えは簡単だった。ヘルは犬歯を剥き、にっと笑うと並走するタイヨーの肩を軽く叩く。


「そうさ、それだけで儲けもんさ。だから、ちょいと止まりな」


 ローブが翻って、ヘルはタイヨーを背にまるで立ち塞がるかのように立った。


 否、そうなのだ。熱感知術式や、第六感に触れた得体の知れないなにかに気付いたのだ。敵意こそないが、背筋を撫でる生温い気配はロスウェルの圧迫感とは明瞭に違う。


「いねえからなぁ、……家族ってやつ。そう言うもんってのに疎いんだが、それでも、家族ってやつは得難いもので捨て難いものってのは分かるさ」


 タイヨーの肌を痺れさせる感覚、ヘルに遅れながらもなにかに気付いた。前から近寄る、なにかを、だ。自然に、喉が鳴る。溜まった生唾が鬱陶しい。


 視界の悪さは幾分かマシでも。妹に会う為に、春風太陽は迷いなく剣を正道に構えて、腰を落とす。


 その瞳は、妹の為なら世界を滅ぼせる凄味があった。

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