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竜な勇者


 リアルが忙しく、更新が遅れております。


 女神教会の作りは何処も大方似たつくりをしているもので、設計士が意図した結果とも言える。普段ならば静寂が泡雪のように降り積もる場所も、重傷な者達を優先して並ぶ長椅子に身を転ばせている。シスター達が忙しなく走り、血が服に染み込むのも厭わず手を取って、女神の奇跡を祈っていた。


 女神像から離れた、教会の角に白髪の矮躯はあった。壁を背に、ステンドグラスを見上げている。白銀の瞳は、鮮やかな色彩を放つ天井ばかりを映して、どのような気持ちを滲ませているのか曖昧だ。鮮やかな現実に呆けるような、そんな矮躯に、これまた矮躯が飛び掛かった。


「タウタっ!」


 懐に顔を埋めるのは、幼いモルであった。タウタの姿をやっとこさ見付けて、不安に苛まれた感情を押し殺せなかったのだ。彼は驚くでもなく、抱き返すでもなく、天井に視線を固定していた。何回か瞬きしてか、なにも言わない顔を不思議そうに見上げるモルに落とした。


「あぁ、無事なようだな……」


「うん」


 やや力強く、だがどうも弱々しく頷いた。


「……、タウタ、だいじょうぶ?」


「無論だ」


 そう言って、角を触る。タウタの言葉に目を丸くさせて、モルはなにも言えなかった。古来人種(ラルヴァスダラーダ)の角は誇りだ、矜持であり、尊厳であり、生き様を語る上では外せない。命に等しい角が折れたとなれば、その意味する事とは。


「あらま、辛気臭い顔……」


 ずけずけと言い放って、壁に項垂れるような矮躯を見下げた。当然、他者への思い遣りのない言葉は反感を買うものだ。棘のある言葉を受けた本人は気にする余裕もないようだが、労る少女には酷く粗暴で配慮のない者だと映る。丁寧に紐解くまでもなく、沈殿するような現実に心の支えの行方すら掴めず、なにをするにしても動く事がままならず、あっちこっちでただ目の前をぼんやり見やるだけ。


 タウタに限らず、比較的浅い怪我をした者であっても、怪我人に追い遣られて壁で項垂れているのが実情だ。過ぎたる現実に、頭だけは受け入れて心が追い付かない。不条理とはそう言うものだ、信じる信じないではないと十全に理解していても手に負えないものなのだ。軽視するには重々しく、直視するには原色だ。


 酷い色に酔って目が回る、故に、呆けるのだ。街の彩りも、人の営みも、目の前を知ると足が竦む。酷く生々しい現実は時に、現実感と乖離する。何処か絵に描いた風景を眺めているような、取り留めもない気持ちだけが蟠っている。手を伸ばせば届く事実に直面するよりはマシだと、脳味噌は現実を淡く見定めるものだ。


「ほなら、タウタさんやったかな。この状況、知ってはったんかいな?」


「……、否。私が知る全ては限りがある、シルトに飛来する、それのみだ」


「ほんまに。ふぅん……」


 顎に指を添え思案、考えを整理する。


 第一に、タウタは何故ロスウェルを待ち構えられたのか。これはタウタ自身がアシャカム()の死に対して報いたいと切実に願い、未来の予定を黒き勇者に尋ねたからだろう。黒き勇者がなにを語り、何故語らなかったのかは定かではないものの、現にこうして迎え撃った結末の悲惨さにタウタはやや呆けているのだから全てを知りはしないのだろう。


 斯く言うウェンユェとて全てを知っているならばもうちょっとマシで無難な最良を選択するのだが、知っていてもどうにもならない場合は除いて、譲歩する線引きはする。ウェンユェは確かにロスウェルの出現と大まかな被害を知りはしていた、それを踏まえて概ね予定通りではある。


 赤き勇者、ヘルが預かっていた書簡に記されていたものだ。だが、どうにも気になるのはタウタが何故勝てない戦いを挑んだのか、である。矜持ではあるのだろう。だとして、そうなるべくしてかは別だ。彼等はロスウェルに殺された友に報いる為に集まった、種族柄そうあるべきだからと言えなくもない。然し着目すべきは挑む理由ではなく挑む行為こそ、である。


 基本、世論として、一般的に挑むと言う行動は賭けである。勝敗が明記されてないならば、確定してないのならば希望的な観測を是とする謂れは存在する。だが、ウェンユェの目にはそうは見えない。不自然なのだ、今、正に抱き着く少女を別動させた理由としては説得力に些か欠けると言わざるを得ない程に。


 若いのだから連れて行かない、のならば村にでも置けば良い。未来ある若人を死なせる謂れはないと判断したのならば、最初から連れ回る必要はない。黒き勇者に会った上での行動なのだから、不自然と言う他ないのだが、では何故連れ回したのかに着目する。


 死ぬと確定した上で、死ぬ未来を選択する意味とはなんだろうか。矜持、安っぽい誓い、はたまた頑固さか。女の子を前にして見栄を張るかのような、なんとも陳腐で虚ろな自己陶酔ではなかろうか。そうであったなら心底に下らない、碌でもない話ではある。死と言う形に意味を付加したとして、意味に得心が行かないのは竜だからか、とウェンユェは内心首を傾げた。


 竜とは、少なくとも盟約を尊ぶ。己が節操もない獣だと思われたくもないし、単にその尊び信じ貫く愚かさを手放せなくなった生き物だ。人と獣の違いとは、竜と獣の違いとは、そんな煮詰まらない類の話ではある。盟約を尊ぶ、からこそ魯鈍極まって滑稽だ、間抜けな蜥蜴と揶揄されたとしても竜は絶大なる力を振るわず盟約に従う。タウタ率いる古来人種(ラルヴァスダラーダ)も竜に似て愚かさを尊ぶのだろう。


 獣と人との違いは、命の息吹すら侵す愚かさである。とは、ウェンユェを商人に仕立てた者の言葉。齢にすれば遥かに先んじていても、その言葉はささくれとなって、針の返しが刺さって抜けなくなった。


 未来が確定しているならば、知って尚、盟約を愚直に盲信し、投身自殺の如く愚かさを体現する行為が、到底、尊ぶものでないと理解するべきである。あんまりに愚かで、馬鹿で、阿呆で、憎たらしい程に憧れる(・・・)。ウェンユェには分かるのだ、だからこそ『天から堕ちた竜』は褒めようもなく、剰え、責めようもなく。


 翡翠の瞳で薄く見やれば、タウタの白い瞳孔と重なった。


「あんさんも大概やわ。ほんにな」


「違いない、な。私とて……否、なにを語るにせよ後の祭りである、か」


 顎を撫で、胡座を解いた彼は立ち上がった。モルの頭を撫でてから、一度ステンドグラスを仰ぐ。


神なる夜(シ・クゥ)様より賜ったお言葉に甘んじてもおれん。して、勇者殿。貴殿の目指す結末はいかほどか?」


「シルトが欲しい」


「……む、それは難しいのではないか」


「カフェンが保持する海運権利の一部を噛ませてもろて、一儲けせな割に合わん。と、思っとった。こうも、な。なってもうたら、まあ、あてにはなんも出来んさかい、しゃあない」


 肩を竦めて、会話に首を捻るモルを観察しつつ。


「そもそも、あてらはセグナンスを有名にって魂胆もある。けどな、宣伝したい領主もおらんと来た。あの阿呆はもっと上手くやれたやろに……ほんに……せや、あてらは竜を討つ為におるから情報共有しようや」


「あぁ、構わない。だが、私もロスウェルめを知らん。長い付き合いではあるが……なにも、知っているとは述べられん」


 その発言は何処か自虐に似ている。いや、そうなのだろう。長い付き合いであるタウタからしてロスウェルの真意を汲み取れず困窮し、こうして愚かな道を歩んだのだから。


「んで……? タウタのとこにゃあアシャカム()はもういねえのか? 僕ぁ、気になるってぇのがよ。ロスウェルに突っ込んで死んだ連中に、それなりに報いがあんのかよ、えぇ?」


「ヤーム、我らは退けはせん……。古来人種(ラルヴァスダラーダ)とは、そうなるべくして……」


「いんや、わかんねぇな。だからぁ、僕ぁてめぇから離れちまったのさ」


 咎める眼に、タウタは言葉を切った。紡ぐべき言葉なぞあるものか、失った事実は然程の苦労もなく瞼の裏に映る。己も死ぬ気だったんだろうが、とばかりなヤームに言い返すも、訂正も、出来る筈もなく。


「わっかんねぇな。てめぇは、その色が抜けた頭でよぉ、なぁに考えてんだ? モルの嬢ちゃんを逃がしたくせして……、どぉやったっらよ、死ににいけんだホジュンババ。今、戦えんのはモルとてめぇだけなんだな? てめぇよ、なんで……いんや、僕ぁ失望しちまったよ」


「……みな、死した。方法は知らん、が……あの息吹はなんだ……?」


「聞かれてもよぅ、僕ぁ知るかってぇんだよ」


 タウタは折れた角に触れ目を横に逃がした。ヤームの嫌味にも反応はせず、白いもふもふした耳が一旦畳まれて。


「ロスウェルは、どうやって我らを殺したのだ……? なにも、見えはしなかったが……」


「呪いだとでも? ババ言ってんなよぉ、そりゃあ超克四種族(シ・テンス)だぁ言うにゃあ分かるが……」


「魔法と呪いは違うものなん?」


「ちげぇよ、全くちげぇ。魔術ってのと魔法ってのと、呪いってのは全くちげぇさ」


 傍らで頷く少女、モルですら知っているとなれば常識なのだろう。人々の喧嘩を一度伺って、先を促した。


「呪い、ってもんはどう違うん?」


「あー、理解ができねえ、に尽きる。僕ぁ、それ(・・)呪い(・・)って呼ぶがよ、人らがどう呼ぶかは……そんなに知りゃしねえな。先代は……あの妙な力を、勇者(・・)がもつそれを、加護だとか呪いだとか、言ってらしたがな」


「あて?」


 キョトンとした顔だ。己を指差し、糸目の笑顔が呆けていた。


「おう、勇者ってのは呪いを持ってんだ」


「堪忍してぇなぁ、あて呪われとるん? もう厄憑きやのにー」


「女神の加護ってぇなのもあるだろうよ」


「そないなもん、もってへんけど」


「どうだかな? あんたが人らの姿なのも納得してねえよ僕ぁ」


「……、ロスウェルは……倒せるのか?」


 モルの素直な感想に皆が押し黙る。否、にやにやした笑顔を絶やさないウェンユェだけが異質なのだ。集まる視線に、懐、胸元の隙間から一枚の書簡を取り出した。豪華ではないが、材質は良質だ。タウタやヤームは直感的に王宮御用達の書簡だと気付いて、逆に眉を顰めるに至る。


「ロスウェルがなにをしたか、に付いてはあいつ……やのうて、白き勇者が考察してくれとる」


「……そりゃあ、待て……おかしくねぇか? 順序がよ」


 明確な怒気だ。


「そりゃそうやろ、あの阿呆がこれを書いたんロスウェルが暴れなはる前やもん」


「……、いろいろぉ、ある……が。いまは、いまだきゃあ呑み込んでやらぁ。……あー、で? なんだってんだ?」


「あの阿呆曰く、ロスウェルがあんさんら古来人種(ラルヴァスダラーダ)になにをしたか、は、思ったより簡単やね。息、つまり呼吸や」


「……呼吸?」


「そ。生き物には欠かせへん空気、それを二酸化炭素っちゅーもんで満たしとるだけ。せやから……そう、タウタはんは知っとるやろけど。大体死んどるのは古来人種(ラルヴァスダラーダ)だけやったろ?」


 思い返せば、今回の墜落を除いて人々の生死を脅かした例は実は少なかったりするのだ。村々を襲ったものの、シルトの領主が放った兵士はかなりの人数が生存していた。真っ先に死んだのは彼等、古来人種(ラルヴァスダラーダ)だ。


「どう言う事だ?」


「二酸化炭素っちゅーもんはさ、重たくてな。下に溜まる(・・・・・)もんや。せやから、背が低い順に死んどるだけやさかい」


「……では、邪な空気とやらは呪いではないか。身丈の選別をしているのだろう?」


「単純に火を吹いとる訳とちゃうし、態々しとるのはまちがいないやろ。でもな、これは呪いとはちゃう。水に浸けたらいずれは死ぬやろ? それとおんなじ、せやけど、殺すだけならそんなもん回りくどくて敵わんわ」


「ロスウェルは、やはり我らを狙ったのか」


「そうやろな、どう考えても。心当たりはないやろけど、難しい話とちゃうと思う。あてもロスウェルならそうするやろし」


「何故だ? 手間暇をかける見返りはなかろう。古来人種(ラルヴァスダラーダ)とて、ロスウェルの息吹には耐えられん」


「こなたも、分からん。ロスウェルは、遠回りしているぞ」


「簡単やって、ロスウェルは別に滅ぼす気なんて最初からあらへんのやろ。となると、や。厄介なあんさんらを狙い撃ちしつつ、適度に間引く方法を選択するやろ」


「滅ぼす気がないだと? 現に村は幾つも滅ぼされた。老若男女問わず、だ。人らの生死とて少なくない、むしろ、だ。むしろ、我らより多くが死んでいる。兵士が、憎む程にだぞ」


「いいや、それは魔物(・・)の仕業であってロスウェルはあんさんらを払い除けとるだけや。それにな、あの阿呆の話はさ、ここで終わりやない」


「……、続けてくれ」


「ロスウェルは、死ぬ」


「あぁ? そう、だな。討たねばならん」


「せやからちゃうて、ロスウェルはもう寿命やねん」


「……だから、なんだ? 寿命、だとして何故暴れる?」


「知らんよ、あてはなんでもは知らんし。こん手紙の内容もそれくらいやし。ああでもな、ロスウェルっちゅーもんは万年生きた竜なんやろ?」


「だなぁ、先代勇者様を知る、極僅かの存在だ。寿命……か。あるのか……? あの冥宵竜種ブュセル・ドレイブニルに……寿命が?」


「ある。そして尽きようとしている。あてを信じんでもええさかい、これはこの書簡にある通りやから」


 開いた書簡の片隅に、銀色に輝く刻印。三つの天体を象ったそれは、銀の霊力は神なる銀黒(シ・テアン・レイ)の徽章だ。神が保証する事実に、彼等は息を呑み込む。恐る恐ると言った風体で、タウタは書簡を目でなぞり。


「……」


「なんでもは知らんけど、竜となれば知っとる事もあるさかい。ほな、今にでも死にそうで、せやけど誓いがある時……竜がどんな考え方するか知っとるかいな?」


「……それは……分からん。我等ならば、否、人らも次代を繋がんとするだろう。未来に、なにか、そうだ。一つでもと、残さんとするものだ。形あるもの、形なきもの、いずれにせよ、だ」


「……竜はな、盟約を厳格に確実に遵守する。どんな事があっても、どうなろうが、それだけは揺らがん」


「……であれば、此度の気狂いは先代勇者(・・・・)との盟約だと?」


「せやろうな、耳にした話からすれば。兎角、や。今までを天から並べてみぃ、何故、より今に目を向けぇや。理由、訳は知らんでもええさかい。息の根止めたるには、なにを、しなければあかんのか」


 ウェンユェの主張は一貫している。ヤームが頭を乱雑に掻き、今を振り返る。


「カフェンの出せる人手は多くねえ、領民の安全ってぇのを守るにゃあ数が入り用だからな。いずれ、やつぁ動く。動くってなりゃ、溢れる魔物をどうにかするしかねえ」


 ロスウェルが活動を再開するとなれば、即ち撒き散らされた瘴気から魔物が溢れ出る事を意味する。現時点での魔物被害が少ないのはロスウェルの墜落により巻き込まれた魔物が多く、また霊力の淀みに寄っているからだろう。魔物は怯えない、何処までも無機質に霊力を集める。


 普段ならば高い霊力の方にばかり集まって行くものだ。現にこうして街を覆う壁が半壊しているにも関わらず、魔物が押し寄せていないのは餌となる霊力に困っていないからだ。魔物は霊力を求めている、神官であったり、目の前で奔走する修道士達は格好の的であろう。


 人々の霊力量は千差万別であるが、修道士は奇跡の代行はもとより魔学に教養が求められる。必然的に道行く人々より高い魔力を内包しているのだから、魔物としては狙わない道理はない。魔物の襲来がないからこそ繋げている命は多く、この上に魔物すら飛び込めば事態は目も当てられない惨状を迎えよう事は自明である。


 だとすれば、ロスウェルが再活動する前に討たねばならない、避難するまでの猶予すら幾ばくもあるまいし、武器を手に攻勢に討って出ねば先は開けない。


「勇者殿、ロスウェルを討つ算段はあるのか? 我らの他に数手はないのだ」


「せえねぇ……あるには、あるけど。討つ算段は書簡にもある通り」


 ひらひらした書簡を一瞥し、タウタは腕を組む。悩むような、考えて見通せないような風体だ。


水銀(アルファノス・テアン)の手を借りるのは些か現実的ではあるまい。戦線にて日夜防衛していようし、書簡を届けるだけでも下手をすれば月の満ち欠けですら足りん」


「それこそ前もって手を回さにゃあならんぜ……? あー、待てよ? まさかよぉ……呼べてんのか? あの水銀(アルファノス・テアン)を?」


「むむ、水銀(アルファノス・テアン)ならば、こなた達は勝てる?」


「勝てるもなにも、あの英雄だぜ? 国と真正面からドンパチすらできらぁ」


「ロスウェルも違わない」


 モルの言い分は分かるが、ヤームの曇っていた眼差しは澄んでいて、ウェンユェの思惑に口角を上げていた。


「まさかよぅ、水銀(アルファノス・テアン)たぁ思わなかったなあ」


「せや、そのまさか、を実現する。先読みに長けた阿呆がウチにはおってな、そいつが英雄を引っ張り出す。となれば、あての身内をどうにか見付け出したいんやけどぉ……」


 書簡をひらひらさせつつ、続く言葉を濁して回す。ふと見やれば、喧嘩をしていた人々は修道士に説き伏せられていて、騒々しくも落ち着きを取り戻していた。些細な切っ掛けだったのだろう、だが、緊迫すれば僅かな綻びとはささくれ立ってしまうものだ。


 夜は未だ先だ。一日は未だ終わらない。


「……連絡手段もないしな、さてさて……」


「無闇に入るのは無謀であるからな、賛同出来んが……。然し……目印になるものはないのか? そも、生きているのか?」


「生死には危機感持ってへんよ?」


「あの密度の霊力は有害だ、毒と変わらんぞ。他の勇者殿は人らと変わらんと耳にしたが?」


「せやねえ……それはあても知ってるんやけど……」


「……ならば、手遅れではないか?」


 飛び抜けた密度の霊力は人体に悪影響しかない。触れた肌は爛れ、呼吸器は麻痺し、血液は淀み、心拍は乱れる。霊力中毒による悪影響は広く知られており、彼等古来人種(ラルヴァスダラーダ)の許容量でもロスウェルの側では本調子とは呼べなくなる。


 幼いモルであれば居続けるのは容易ではないだろう。であれば、人らである他の勇者達は最早手を差し伸べられようか、とタウタは疑問視していた。だが、問われたウェンユェはにやにやとした唇のままに首を振るう。


「勇者もそれぞれ、二人が中毒で死ぬのはない。断言する。でも、もしかすれば……いっちゃん霊力に強いのはあの阿呆なんかな……?」


 独り言に近いものだ。


「あの阿呆、とは、誰ぞ?」


 モルに袖を引かれ、ウェンユェは暫し言葉を迷わせた。


「うーん……、あんな、あんさんらの神様とよーくっついとるんやけど……フッツーな顔しとるんよ。有り得るんかな、あの馬鹿みたいな霊力を浴びてるんやろし?」


「それは……その、勇者達とはそうなのか……? そう言う存在、なのかも知れんな……?」


「ま、せやから二人の安否は魔物に殺されてへんか、だけ。あの濃霧じゃあ誘導するにも光すら届きそうにないし……どないしたもんかな」


「言って置くがよぉ、風でどうにかは出来ねえぞ。霊力の淀みだからなぁ、ありゃ。霧みてぇだが、僕ぁ知る限りあんなものを払う術を知らねえな」


「うーん……霊力の影響が強くて中がよー分からんし……」


 霊力の霧の影響は多大にある。先ず、視界が確保されていない。中が全く見えていないのだ。莫大な霊力により、感覚からして麻痺し区別が付かない。とある勇者なら抹茶味みたいな、とでも例えるのだろう。濃過ぎれば、全ては抹茶味の丸々になるように、濃密なロスウェルの霊力、或いは魔力にはそれだけの圧力がある。


 他を踏み潰し押しやる圧力だ。半端な存在を塗り潰し秘してしまう影響力には頭も上がらないものだが、そうも言ってばかりでは居られない。


「火を付ける……?」


 街の外に顔を向けた後に、自らの考えを否定するように唇を指先で押さえた。


「もし、魔法で火を付けたらどうなるか、すら分かんねえのか? ありゃロスウェルの霊力だしよぅ、簡単にゃあ付かねえぜ? 付いたとして、大爆発だなぁ。下手を打てばシルトがなくなる」


「霊力ってもんはなにかに交換しなくちゃあかんし、等価交換の法則に準じとるからな。質量にするにせよ、エネルギーはエネルギー……どうにか消費したいんやけど?」


「霊力の淀みを取り払うならば消費するしかない、か。消費すれば創造されよう魔物の数も抑えられようが……術がないな。火を付ける、は恐らく可能だ。あの霊力の霧はロスウェルの管轄であって、管理下ではないゆえ」


「うん? どう違うん?」


「要約すれば、霊力が及ぶ範囲はロスウェルの目が届いている。だが、同時にロスウェルは霊力を管理していないのだ」


「ふうん……我が懐、金の出処、金は羽持ちって感じやね」


「あん? あー、なんだ。まあ、多分そうなのか? 僕ぁよぅ分からねえが……火を付けるのは避けた方が良いだろうよ、あの量の霊力を火に変換するのは身投げに等しいぜ」


「水では駄目なのか?」


 モルの言葉にヤームは渋い顔だ。


「あの量だぜ、嬢ちゃん。シルトが沈む……まではいかねぇが、海までなだれるだろうな。瓦礫と混ざった水は危ねえんだ」


「そうなのか?」


「あぁ、モルにゃあ馴染みがねえだろうけどな。川を堰き止めて貯水池ってのにする集落とか見た事あんだろ? たまーに大雨で崩れた日にゃあ、川下は水と岩と木で家屋も人らもぐっちゃぐちゃさ」


「うむ……」


「水ってのは危ねえもんなんだよ。人らにせよ、古来人種(ラルヴァスダラーダ)だってそうだ。息ができねぇと死ぬしかねぇわな……?」


「ロスウェルめが我らを死にやった方法もそうだがな」


「ハッ……ん……消費するにしても量や質からして見越せる対価がでけぇ……無難な水ですらそうなんだからな」


「あてがどうにかしたるわ」


「どうにか?」


「信用出来へん?」


「……いや、信頼出来ねえぞ。信用はしてるぜ? でもよぅ、丸く収まる方法なんざねえ。空気にするにせよ、爆風にならぁ。水だって洪水だ。火は火事じゃすまねぇしな。土はもってのほかだぜ?」


「ヤームに続けて述べるが、不用意に手を出すべきではないのではないか。他の勇者殿が魔力中毒で倒れないならば、いずれ、霧から抜け出そう。急く思いは理解するが」


「それは……えらい見当違いやねえ。あてはシルトを救おう思っとるだけやさかい、信じてみぃや(・・・・・・)


 ぞわり、とした。生々しくて、生温くて、血腥い。竜種としての言葉だ。縦長の瞳孔を晒して、三人を威嚇し反対を押し破る様はどうやっても竜のそれだ。動機はシルトの救済と口にはするが、真意は別にもあるのだろう。


 噛み付こうとするヤームをタウタは目線で諌めた。数秒の沈黙を置いて、モルが首を傾げた。


「では、どうする? こなたはなにをする?」


「ん……人が住んどらん方向ってあるかいな? 周辺の村ってどうなっとる?」


「む、それはモルしか知らんな……地図は……ないな。暫し待たれよ」


 タウタやヤームがそうして踵を返し、忙しない修道士の間に消えるのを見送って。モルはにやにやするウェンユェを見上げる、何回見ても竜種だ。人の姿をした竜、竜にしては人懐っこいなとは思う。


 だが、漏れ出る圧力はロスウェルに迫っていた。


「ウェンユェは、なにをする?」


「……ん? せやねえ、シルトを守る為の、英雄が来るまでの、精々な足掻きってやつやね」


 なんて宣って、翡翠の瞳が獰猛に光る。焦りもない、迷いもない、何処か楽しそうな顔は状況には似合わない。だが、どうにも悪意も見受けられずにモルは困惑する。


 不思議と、にやにやしながらも、言葉は冷たくても、誰かを大切にするウェンユェに惹かれているのだと自覚する。妙な人ではあった、悪意とは無縁で悪質で、本意は露程にも汲み取れなくて見繕ったような、揺るがないのは信念か矜持か。


「ウェンユェ、は……人らがすきなのか」


 ウェンユェは、又してもきょとんとした。予想していなかった言葉に面食らって、なにか言い繕う間もなく、肩を竦めた。口にはしない、だが、確かに肯定と受け取れるだけの言外を、ウェンユェは示した。


 だからこそモルは納得した、変わってはいても、竜だとしても、共に歩かんとする意思は十分に理解出来る。思想が違っても、同じ目線になろうと必死なのが分かるのだ。モルは幼い、故にタウタやヤームよりウェンユェと言う美姫の本質を本能的に感じ取れていた。


 困ったな、と頬を撫でてウェンユェは唇を弧にして。


「あては商人やからな、誰かをずぅっと求めてるんよ。そんだけ」


 照れ隠しなのだろう、素直ではない。だが、モルは耳をぱたぱたしていた。

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