王様に会おう? 嫌だけど?
王城に入ってからは、セルフちゃんと途中で別れた。客室と思われる部屋に通されたものの、そこそこ広い室内を見渡す癖は直らない。柔らかい白の家具は部屋の空気を緩め、射し込む光にそっと寄り添っていた。足元の赤い絨毯は金による刺繍のされたもので、手が込んだ品だと僕にも分かる。運動靴で踏むのも、畳の縁を踏むような遣る方ない気持ちを捨てつつ。
部屋の中央に当たる場所には紅茶と、椅子とテーブルと。なんと、ヴィクトリアンメイドだ。背が僕並に高い、大人なお姉さんだ。暗い紺のロングワンピースに白いエプロン、裾の揺れについ目が向く。
悔しくも、奇しくも僕の性癖に刺さる、お淑やかだし清楚なセルフちゃんだがどうにも僕には魅力が感じられない。可愛いって、殺せるって事だとほざいた否乃妹に近い感覚だ。
いや、ないな。となる。それに比べ、眼前にて優雅に音を極力立てず紅茶とスコーンを用意する彼女はどうだろうか。栗色の長いらしき髪はモブキャップで包み、首元の青いスカーフが妙に映えていた。
「……勇者様、どうぞこちらへ」
優雅な所作、服の擦れる音すらない。ごくり、と音がした。なにかと思えば僕だった、柄になく緊張していたのだ。なんせメイドには縁がない、らしきものは既知ではあるものの、本物のメイドである。
すっと椅子を引き、ゆったりと壁際に身を引き、こちらを栗色の瞳で淀みなく見据える様は品性がある。これはきっと、本物らしくなにかしら名のある貴族の令嬢が側仕えを修行場として働いている、そうだ絶対そんな感じの展開だ。醸す空気に僕みたいな庶民さがない、まるで英雄の家系に連なる人間にすら思わせる凄味すら。
紅茶の香り、鼻腔を擽る香りにはたと気付いて、やや足早に席に腰を下ろす。目を伏せ、あくまでも邪魔にならないように徹するメイドの姿に、どうしても目が動かない。これは久々にテンションが上がる。あ、紅茶美味い。
「……えっと、名前とか聞くのは失礼になりますか」
「いえお望みなら、私は……アイリスと申します」
「……家名とかはない、感じですか」
「気兼ねなくアイリスとお呼びください、勇者様」
おや、これは脈なしだ。僕はスコーンを口に放り咀嚼する。砂糖が少し足りないが、貴重なのだろうか。皿の隅に添えられた黄色いジャムの方が甘い、なんと言ったら良いのか分からない味や風味だが。梨と蜜柑の中間、のようなジャムである。味覚がバグってしまうので紅茶で濯ぐ。
ヴィクトリアンメイド、若しくはクラシカルメイド。古風な世界で改めて良かったと染み染み耽り、もう一度だけアイリスさんを見る。今にも弾けそうな桜唇に、ぱっちりした瞳、伏せた目には睫毛、淡い華やかさはあくまでもメイドとしての佇まいである。
僕は、好きな部類だ。こう言った仕事を熟す人間が、何故なら僕だってそうだから。年上のお姉さんだから、だけじゃなく決して。
「勇者様、とアイリスさんは言いますが。僕が勇者であると確証はありませんし、保証はしませんよ」
「はあ……」
「勇者は僕以外にもいるみたいだし、正直これから何人も現れるんじゃないかと僕は考えてます」
「……」
黙秘、よりは思慮が伺えた。
「少なくとも一人は確定してますし、僕を含めるならば二人。勇者とはそんなにも多いものですか? 違うみたいですね」
表情に変化もないが、僕は察する事が出来た。
「勇者が多い、これは通例ではない? なるほど、参考にします。なら、他の勇者はどんな人間ですか? ふむ、知らない訳でもない、か……ふうん……」
自己解決しつつ、アイリスさんのやや鋭くなった瞳から目を反らす。まあ、どうでも良い話だ。勇者が他にいるならば僕はやっぱり勇者じゃない。勇者にはならないしなれない。なるべきじゃないし、そうあれかし。スコーンの残りを乱雑に噛み砕き、紅茶で胃に押し込む。
「にしても……アイリスさんは青なんですね?」
「ッ……何者ですかッ」
僕は、酷く素っ気なくなるべく淡々と口を動かす。
「勇者では?」
アイリスさんの表情が崩れて、同時に僕は腰を深く敢えて沈める。戯言だけどね、追記して。
僕は勇者ではない、これは揺るぎない真理で認識で現象だ。僕はきっと。
「他にないんじゃないかな、ほんと。僕はさ、方針を決めてるんだ」
「……」
アイリスさんからの好感度が上下している気がする。
「とりあえず会った人に、話した人にさ、なんのつもりで勇者召喚なんざしたのかを厭味ったらしく問い質してやろうって」
体だけど。僕はそんな事全くこれっぽっちも朝露程にも歯牙に掛けてないが、体裁は必要だ。他の勇者もさぞ苦言をぶつけているのだろうし、僕がなんとも思っていないのは伏せるべきだ。潜入する、とまでは言わないが溶け込む努力は惜しむべからずである。
「……」
「還す手段とかもない風体だ、あればもっと傲慢な態度で下手には出ない。とは言え、得体の知れない奴等を呼ぶんだから様子は伺うのは必然だし、そんな権利は認めるし分かるよ。分からないって気持ち悪い、だからね」
分かったところで気持ち悪い場合もあるにはあるけれども。
「言葉が通じない、文化も違う、人なりも分からない、だからこうしてアイリスさんは伺って様子見しているんだしさ」
ヴィクトリアンメイド、暗器を潜ませるには十二分の容量を保持し傍にいても不思議でもなく、怪しまれ難い淑女。怪しむ相手を赤裸々にするのは僕の悪癖の一つだろうが、足運びや所作で重心のズレは分かってしまうのだ。訓練されていようが、僕には意味も価値もない。
「勇者とは言ったけど、僕からすれば物の怪だ」
「もののけ……?」
そこに食い付くのは予想していなかったかな。そうか、ちょっと言葉を置き換えよう。
「……怪傑、とか……喋る魔物と大差ないって話だよ。現にアイリスさんは僕を怪しんで、不審に思って、万が一に備えて、こうして僕をどうやって殺すか思案しているだろう?」
「……」
身を正したまま、不動に。
「正しいよ、それは。普通だよ、僕だってそうするし。伝承とかにでも勇者の力は伝えられているだろうから、そりゃ悪しき者でない確証もなければ保証もない喋る魔物に信頼や信用なんて置けないさ」
「……何故、其処まで分かっていながら」
「僕が決めてるんだ、これは。今回は、致命傷を、失敗を、失格を、しないって」
「……貴方は、聡明ですね」
「いいや、馬鹿だよどう考えても。好感度はマイナスだしより警戒されるし、御し易いと思えないだろうからね」
「……卑下なさるのですか」
「事実だ。真に聡明なら、既にこの場にはいないからさ」
「貴方には見えているんですか、何処までも……」
「お先真っ暗だね、ほんとうに。僕は斜に構えた天パな天才でもなくば、完璧超人でもないし、暗躍する全知全能でもなければ、どこにでもいる学徒なんだよ」
中身のないカップを置き、僕は天井の模様を視線でなぞる。
「ほんとなんで僕なんだよ、僕はそんなに丈夫じゃないしさ……まあ、良いけどさ。慣れたよ、どうせ碌でもない話になる」
「……あの、勇者様」
カップの上を手で遮る。
「あ、もう要らないです」
即答する。脳髄の疑問を一つ一つ解決して。
「アイリスさんは勇者ってなんだと思います?」
「常軌を逸していなければ、ならないお方だと思います」
RPGの勇者みたく不法侵入強盗とかだろうか、壺割ったり。常人では行えない非道だ、常軌を逸している。勇者の癖に。
「変な意味ではなく、勇者は常なる人々には務まりません。歴史上、勇者様達は例外なく……」
「頭が可笑しい、か。言い得て妙だ。的を射ていると思いますよ。壺を割るとか」
「壺……? ですか?」
「うん、僕には出来ないし。僕の知る一番の勇者は、最弱の勇者だ。彼は、どうにかしてしまうんだ」
「最弱なのにですか?」
「最弱なのに、どうにかしてしまう。なにかがどうにかなってしまうんだ、それは物語の舞台の主役のようにご都合があって。どんな困難も苦境も勇者で英雄には敵わない。だから、そいつは絶対勇者と呼ばれたんだ」
「凄まじいお方なのですね」
「普通だよ、そいつは普通に挫けて諦めて逃げて泣いて、でも最後にどうにもならなくなって最初に戻る。戦績だけを見れば絶対勇者を越える存在はいない、猫に負けてたけど」
そいつは、勇者だった。本当の意味と価値を携えた勇者だったのだ。直接関わりはしなかったが、あの勇者を知る僕には到底、勇者の責任は背負えない。
「英雄にも僕にはなれない、英雄は勝ち続ける事が絶対に無理なんだ。華々しく散って、それが詩になる」
英雄に、僕はなれっこない。憧れない、鮮やかで痛くて耐えられない。
「僕は、勇者じゃないし英雄でもない。だからきっかりと、言い切るよ」
アイリスさんの伏せた目を一瞥し、室内に舞い込む軽快な扉を叩く音に耳を傾ける。遂に、王に会う。嫌だけれど、不本意極まるけれど、二進も三進も行かなくて詰んでいるのだしどうにもならない。僕は肩を竦め、椅子から腰を上げた。
「そうはならないって」
アイリスさんの目から逃れ、室内に響く音にどうぞと答えた。間を空け、扉は外に向かって開いた。
「勇者様……?」
客室に訪れたのは、セルフちゃんであった。開口一番、不安そうな。いいやこの場合不満そうな目で僕をじとりと睨んでいる。後ろに控えるアイリスさんと僕を交互に見て、腰に手を当てた。睨まれる覚えはそんなにないけれど、ちょっとだけ姿に違和感。
「……はぁ……」
なんだろう。嘆息を零し眉間を押さえられる覚えも、あるにはあるけれども。そう言えば、彼女の金髪が良く見えるな。腰程の癖のない白金の髪は、所々光の屈折で虹をチラつかせている。澄んだ碧眼を細め僕を睨む姿は年相応な印象だ。
「あ、服変わったね」
「……まあ、はい」
セルフちゃんは手を叩き納得した僕に呆れている様子だ。そうか、簡素な修道服ではないのだ。カトリックで用いられる純白のアルブに明るい青のストラ、帯びのような布を首から掛けて前側で交差させているものがストラと呼ばれるけども、それに、最後にはストラと同色のチャジブルを纏っているのだから。
ゆったりとした服は重くないのかなとも思う。修道服より露出が減ったが、綺麗な長髪を流した姿は新鮮だ。公式な場になるから衣服の位を上げたのだろう。恐らく彼女の用いる礼服の中でも一番手の込んだ物だ。
チャジブルが彼女の動きにやや遅れて揺れる。鮮やかな青は、意識に残るものだった。
「なぜ、勇者様は衣が同じなんですかっ」
両腰に手を当て、ずいっと胸元に顔が近付いた。思わず半歩身を下げて、僕は襟を摘まむ。
「アロハシャツって言うんだよ、これ」
「アイリスに、着替えさせるように言い含めていたのですがっ」
「僕が断ったんだ、いやいや、アロハシャツって前の世界じゃそこそこ礼服なんだよ」
全部嘘だが、吐いて良い嘘と悪い嘘はあると思うのだ。アイリスさんを擁護するのも含め、僕が実は親友から強引に押し付けられたプレゼントのアロハシャツを気に入っているとも言える。白い生地に金色の花模様で、なんか礼服と押し通せそうな見た目なのだし。細やかな刺繍はセルフちゃんのチャジブルにも勝るとは言わないが劣りはしない。
親友曰く一着二十万する、アロハシャツ如きが。全て僕の採寸のフルオーダーメイドなので着心地は抜群である。普段なら絶対腕を通せない代物だが、雑に丸まった塵か有様で貰ったし。
「それは、失礼しました。礼服……なんですね? たしかに、これは……金ですか? こんな純度で……え、こんなに柔らかいんだ……」
裾を興味本位で触るセルフちゃん。生地も無論一級品だ。伊達に札束アロハシャツではないのだ。僕は胸を張り、自慢そうに鼻を鳴らす。
「親友のお墨付きだよ。ドレスコードをアロハシャツで突破する試みから出来上がった代物だ。そんじょそこらのアロハシャツじゃない、一点物だしね」
「ん? その言い方だとアロハシャツなるものは礼服ではないのでは……?」
訝しむ蒼の瞳に首を振る。
「いいや、礼服だよ。僕の世界の常識さ、本当だよ、嘘じゃない」
声を上擦らせそうになったが、なんとか耐えて。僕は咳払い一つ。修道女から聖女にジョブチェンジした少女の意思を押し、まあまあと廊下に仕向ける。
「王様と会おう」
嫌だけれど。すっげぇ怪しまれたが、瞼で目を拭って何度か、凄くなにか言いたそうなのを我慢しているのか、漸く納得させられたのか徐ろに踵を返した。服程度で押し問答になるのは望まないし、背後に居座るアイリスさんの目もある。やれやれ、先が長い。この世界に来て、凡そ体感三時間。ほぼ正確だろう、豪華な廊下を歩み出した聖女様を見据えて。
僕は王様に会う、嫌だけれど。仕方ないのだ。三時間でしかない、異世界放浪。見た景色は街と城と客室だけだ。謁見の間に行けば勇者に付いてもっと分かるだろう。ドラゴンに期待を膨らませつつ、さて碌でもなくなって来たぜと内心で一人ごちる。