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物理は全てを解決するッ


 王太子殿下。


 水銀(アルファノス・テアン)の剣聖にして、王位継承権第一位の王族様であらされる。きっかり立場を僕は弁えるので、確り目上の、恐らく同年代の優男に挨拶を試みた。ものの、さらりと畏まるなと釘を刺した王太子様は一通りの面子を確認すると軽く会釈してからレイちゃんに微笑を向けた。


「久方振りです、レイ女史」


 レイちゃんは、うぞうぞとする腕の奥深く、ウィッチハットに埋めた眼を向けるだけ向けて、横に流した。


「常、吾に礼を尽くすは是とならん。一等、言葉を交わすべきは背の君よ」


 と、なんだか僕を見やって王子様を咎めている。ちょっと待って欲しい、確かに、いや確かにさ。僕の権力ってのはセルフちゃんより高いけれど、レイちゃんには及ばない。勿論、それは感覚ではそうなんだけど、法律とか実際の権力図ではこの茶会の首頭は僕なんだけれども。


 正しいから困る。クルス王太子殿下も返答に虚を突かれて、首筋を撫でて苦笑いを浮かべているじゃあないか。


「と、言う事らしい。初めてお目にかかる、私はクルス・デル・アガレスだ。勇者殿の話は書簡にて把握してはいる」


「はあ、どうもクルスさー……ん?」


 さんと呼べと目が語っておいでだった。やんわりと握手、おや、なんだろう。どうもこの御仁、僕を嫌っているような気がする。


「君からの書簡も届いている」


「はあ、それは良かった」


 めきり、と手が軋む。やはり、嫌われてないかな、これ。笑顔なのに目が猛禽類のそれだ。セルフちゃんやレイちゃんの手前露骨ではないけれど、嫌われるような事は、して、したな。


 したわ。


「大変、興味深い話だったよ。態々、遠征計画を前倒す為こうべを垂れ、遠路遥々、国を越え、休む間なく、こうして面差しを重ねるに至ったが」


 言葉に棘があるってより掘削機のそれじゃねえか。身に覚えがある分、仕方がない。順当で妥当で正当な反応だと思うし、反面、子供染みた様子を見せる姿は存外悪くはない。彼なりの冗談でもあるのだろうか。


「はあ、それはどうも」


 にしても、握手合戦は握力が全てではないけれど、クルスさんは余裕そうだ。それなりの要領と支点、力点、作用点の法則で握り返したのに。親友、略してしーちゃんからはゴリラって呼ばれた僕の握力で、となればアイリスさん絡みの人物ってのは間違いないらしい。


 伊達や酔狂でもなく、正気で剣聖に名を連ねた傑物だ。


「なに、礼には及ばんさ。どちらにせよ、どうなるにせよ、なるようにはなっただろう。然し、……君は、その……想像していたよりずっと此方側(・・・)らしい」


「はあ、なんだか恐れ多いですね」


 目線は同じ、爽やかな青年は一息を花風に任せるとするりと手を離した。剣の柄に手を乗せ、ゆったりとした。不自然な力もなく佇む彼、クルスさんは茶会の席を目で探していた。幸いな事に空席がある、否、より正しく縷述するならば僕は知っていたから空席は二つあるのだ。


 一つはアイリスさんの席なんだけれど、どうにも侍女として控える事に徹しておられる。クルスさんが数刻目線を向けたが、空席に腰を預けた。紅茶を差し出されつつ、彼は蒼い瞳で僕を見やがるのだ。


「それで、勇者殿の見立ては如何様なのかな? 私は使えそうかい?」


 その微笑みは爽やかで、加え、悪質だ。


「そうですね、是非、書簡で話した通りご助力を願いたいんですが」


「かの竜との闘争は推奨しないがな……」


 少々気さくな言動だ、僕はマナーとか独学で学んだので王宮流でも構わないのだけれども、クルスさんは民草っぽく威厳を抑えている。紅茶を啜ると眉を潜めたものの、またちらりと赤毛の少女に目配せしつつも、あくまでも僕に向いている。


「…………待て……まさか……」


 座ったまま、そう、遥か先まで見渡せる此処は風も強く。吹き抜けた風の中に混じった違和感にクルスさんは瞬時に反応した、柄に手を掛けながら右斜方向に碧眼を走らせる。


 資料塔は高層部だ、本城より高く設計されている。なにを隠そうアガレス王国の建築物はウィッチハットに顔を埋め、焼き菓子を栗鼠みたいに齧る少女、神なる銀黒(シ・テアン・レイ)が一から設計したものだ。時代を遡るならば定かではないものの、四世紀は軽く見積もれよう時代から。今でこそ女神教の方が割合は多いが、数世紀前までは黒銀信仰(テアン・レイ)が支流だったのに、時代の流れとは不可思議なものだ。


 と言うのもあるけれど、なんで銀はテアンで黒がレイなのに黒銀信仰だけテアン・レイって真逆に翻訳されるんだろう。後で女神様の奇跡にデバッカーとかいないのかセルフちゃんに問い詰め、じゃなくて聞いてみようかな。女神様の奇跡雑過ぎじゃね、と。いや、確かに僕のいた世界でもAI任せの翻訳って時折珍事を起こしたが、文法的に英語よりは独語に近いし、となれば日本語との共通点も多い筈なのだけれども。


 日常の雑多が思考に混じる、のを諌めて。遥か遠方から吹き抜けた不安や不吉な空気に意識を戻す。クルスさんの細められた目が僕を睨み付け、嘆息した。


「勇者殿は知っておられたのか……?」


「いいえ? 何処で、位です。何時、は、近々ってのもありますけど」


 遠方、僕の肉眼でも捉えられる圏内に真紅の物体が地平線から迫り上がっている。ふとすれば、塔が揺れ始めた。セルフちゃんは分厚い経典を胸元に抱え、なにやらぶつぶつと口にしている。不安そうではあるが、絶賛不意打ちの地震で転けそうなツェールちゃんを気に掛けるべきだろう。


「あ、え、えう?!」


 おっと、見事に床に突っ伏した。白いドロワーズが丸見えだ。居た堪れないので目を逃がせば、金の瞳が憂いを纏って、僕を射抜かんばかりの暗澹たる退屈を仰せであられた。


「死、忘れ給う事、……即ち、愚かよ」


 急ぐでもなく、囁くような、吐息、ブレスを混在させた声は億劫だ。耳障りが非常に良い声だなと、毎度思う。僕は全知ではないけれど、黒き勇者、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんは未来を知り得ておられるのだ。毎夜自室に健気に怠そうに通われれば嫌でも竜に付いて語られるものだ。


 知っている限り、かなり前から言われている。具体的には文官見習いとして間違われた頃、あの時にはユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんに毎夜耳元で囁かれていた。だからこそクルスさんに書簡を送り、届いた内容を見て、ちょっとばかり僕を嫌いながらも駆け付けておられるのだ。


「黒き……否、貴女様はかつてより現人神(・・・)であられると耳にした。遅れ馳せながら、お目通り願う事、謹んで詫びる」


 頭を垂れれば、柔らかな金が舞う。所作に形容詞を付随させるならばキラキラが妥当かな、と思考の淵で練る。


 彼女は、紅茶の水面からくゆる湯気を吐息で淡いて、すっと透き通った空に目を向ける。とても緩慢で、ゆったりまったりと眼がクルスさんに定まった、が、特になにも言うつもりはないらしい。


 そうなのだ、この困った人は喋る気が基本ない。話し掛けられても無視はしないけれど、言葉を紡いだり出力されない。入力に対しての出力に時間差もあるし、出力は入力に従わない場合もある。僕だって大概欠陥製品ではあるけれども、彼女、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんも碌でもない機構をしている。


 待てど返答もなし、クルスさんは困ってか頬を掻き。


「ご貴名をお伺いしても宜しいか……?」


「…………はぁ」


 溜息って訳じゃあないのだ、僕は近頃気付いた。呆れたりしている訳でも、面倒だからって訳でもない。理由や訳は微睡む憂鬱を帯びてはいない、単にそんな子なのだ。


「宜しく、てよ」


「…………」


「わたくしは………………、わたくしの……勇者様?」


 え、あ、本当にまじで面倒なパターンじゃねえかよ。


 ちょっと考えて、クルスさんに向き直す。不思議な間はあったが、察したのか目が合う。


「えー……ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃん……です。名前を呼ぶなら、全てを口にして頂きたい」


「……全て……」


「ええ、全てです。宜しくない、と……」


「は、はぁ……そうか。その、全てを……?」


「全て、です。絶対に、略称は……宜しく?」


 と、僕は彼女を会話に引き込む。


「…………ない、わ」


「だそうです」


 地震の揺れの最中、彼女の胸部も上下している。視線に気付かれたのか、金色の瞳が細まって、涙袋に影を差す。紅茶の水面が凪とならぬ今、こんな会話をしているのもどうかとは思うけれど。


「……、今からではシルトへと向かった所で……間に合わないだろう」


 クルスさんの言いたい事は理解出来る、遠方に赤黒い真紅が見えていても距離は膨大だ。遥か遠き地より迫り上がる身が巻き起こす地揺れが、此処に到達するまでの衝撃を生み出せる巨躯であると誇示している。馬車で三日と呼ばれる距離をクルスさんがどんな速さで到達し得るかは、それこそ至り達し得ぬものだが。


「……レイ女史」


「些事たる現の揺らぎも吾には余香なきゆえ、剰え、冥宵竜種ブュセル・ドレイブニルであるからな。主となるものとは不干渉であるゆえ、数多ある手も一本も貸せぬ」


「…………、そうか」


 クルスさんは妙に息を伸ばした。


「疑問なんだけれどさ、竜はどうやって飛んでるのかな?」


「原理は難しくはなかろう?」


 白銀に輝く目玉を複製し、闇より入り出る様は悍ましい。流石に、セルフちゃんは居心地の良いものでもないのか分厚い経典を撫でて抱え込んでいる。目がちらちらと僕やアイリスさんを伺って不安気でもある。そんな姿は絶賛転けた醜態に赤面するツェールちゃんと被るし、年相応だ。


「そうさな……ひとえには括れぬが、魔力を運用し気流を操作する、或いは自らの身体質量を軽減させるものもいような。変わり種であれば、周囲の多数概念を少数概念により押し潰し飛翔する方法もあるが……」


 大きなウィッチハットの端を摘み、ぐいっと擡げた。近頃はレイちゃんなりに気遣って言葉遣いをなるだけ古めかしくはしないように、ちゃっかりと努力しているらしい。らしい、とは簡単に、僕は関与してないからだ。セルフちゃんとかが話し相手になって、現代らしく柔らかな文法や言葉を伝えている、らしい。


 思い返せばレイちゃんの言葉遣いは柔らかくはなった。


「あの、多数概念ってなんですか?」


 悍ましきレイちゃんや、赤竜由来の地揺れに声は震えてはいたが、セルフちゃんは好奇心が勝ったらしい。レイちゃんのお悩み相談に付き合った成果もあるのだろうけれど。


「ふむ、弟子達にも師たる理を縫わねばならん、か。良かろう」


 幾本の腕が蠢く、禁書ばかりを手にする老婆か如き少女は思ったより柔和に言葉を紡ぐ。


「つまり、マイノリティとかの話だよね?」


 面白半分、語る気満々でふんすと小振りな鼻を鳴らしたのを見計らって横合いから言葉で殴打してみる。


「ぐっ……違……否……。左様、だ」


 おや、クリティカル。


 やっちまったぜ。


 白銀の眼光十三、睨まれたが僕は素知らぬ顔で指を立てる。


「あー、例えばそうだな……この世界は丸いと思うかい?」


「あ、え、はい。女神様に連なる……超克四種族(シ・テンス)の方々がこの世界は丸いと仰っておりますし……?」


「じゃあ、この世界が平坦な大地が何処までも続くとは……思わない訳だ?」


「はい、神なる銀黒(シ・テアン・レイ)様が反証しているのはアガレス王国では有名です。第一に、女神様はこの地を丸くお創りになさったと経典に記載されておりますから……?」


 経典を手に、そう言った。


「でも、それは事実や真実や真理や現実かは、君は知らないだろう? もしかすれば世界の果ては遥かなる壁かも知れないし、深淵の見通せぬ滝かも知れない。そう、否定ってものは一番、大変なものだから」


「そうなのですか……?」


「否定するのは大変だよ、肯定するのは簡単だ、信じれば良い。これは、プラスとマイナスの差なんだよ」


「足し引き、ですか?」


「えっと、君がもし贅沢を嫌ってお菓子を食べない人だとしよう」


「はい、欲深いことは芯を狂わせるものですからね。わ、わたしは節度を弁えてますよ……?」


 机に広げられた焼き菓子を見る目は、やや時間を遡った己を反芻させたのだろう。


「それは食べないであって、食べられない、とは違うんだよね」


「……貧困の差には取り組んでいますけど、うまくいかないものですよね……?」


「それはそうだけれど、えっとねセルフちゃん」


「はい」


「君がもし耳を塞ぐとどうなるかな?」


 身振り手振り。


「はい……? えっと……聞こえない、ですよね?」


「いいや?」


 僕は勿体振り、また加えて首を振るう。


「聞こえない、じゃないのですか?」


「それは聞こえない(・・・・・)じゃあないんだ。物事には向きがある、後ろや前に、或いは足し引きに、そんなもんが密接に絡まるものだ。セルフちゃん、耳を塞いだ場合聞こえない(・・・・・)ではなくて、聞かない(・・・・)なんだ」


「……えぇっと」


聞こえない(・・・・・)にしろ、見えない(・・・・)にしろ、理解出来ない(・・・・・・)にしろ、そいつが選択した結果じゃあないのさ。それはど……うやっても後ろ向きにもなれないし、マイナスじゃあないんだ」


「……は、はぁ……よく、分かんないです……」


「目を瞑る事と目が見えない事には看過出来ない差異があるものだし、戦えないのと戦わないは全く別物だ。似ている、は、全く違うって意味なんだよ」


「……ようするに、その……」


 やっと伝わったのか、少しだけ嫌そうな顔をした。明るい話題ではないから当然だ。


「ああ、確かに。勇者殿の言説は正しい、私も王宮魔導師とは論を交える事はあるが、この世界は果てすら知れぬ程に巨大だ。いまだ、誰も果ては知らぬゆえに、反証は難しいものとなっている。否定は難しいものだ、彼の言論を照らし合わせるならば後ろ向きに属する物事だからな」


 クルスさんは地揺れに意識を向けつつも、何処か落ち着いた、達観した風体だ。慌てるでもなく、怒りに染まるでもなく、民を憂うが焦り駆られるでもなく、セルフちゃんに代わって会話に入って来た。


「その点を考慮すれば、勇者殿の書簡は私の選択を奪う行為ではあったな。後ろ向きで、帰省せざるを得ぬ事態だ」


 颯爽と言う言葉と優雅を混ぜれば彼が出来上がりそうだ、催しに顔を出せば求婚を迫る者が後を絶たないであろう。爽やかで誠実で、落ち着いていて紳士で真摯な好青年である。僕とは対比されるべきでもない前向きな人間だ。


「……なにを、なさったんです……?」


「全部? 教えたんだ、今までの事」


 セルフちゃんが頭を抱えて仰け反っていた。クルスさんは目こそ笑ってはいないが、爽やかな笑顔だ。若干、漏れ出た威圧に肉体が軋むけれど、気の所為だと普通に流す。


「……聖女様や父上には、口を出しはしないさ。もう、過ぎた物事だからな。だが、一点、どうにも釈然としない」


 柄を握り込む手、腰掛けている癖に死を浴びせられよう圧力。クルス王太子は僕を睨んでいる、最初から僕を嫌っている。それは個人的な感情を起因に、原因は僕に、要因は恐らく。


 銀色の量子が金髪から舞う。溢れた余剰の霊力は時折視覚化される、らしい。僕は感覚的に全く欠片も感じないのだけれど、そんな顔色を変えない僕をクルスさんは訝しむ。


「弁明はあるかね、君」


「君が良い人で、本当に良かったよ」


 胸を張らずに言ってやる、矜持や誇りはないから。


「……、良い人ではないだろう。魔物のみならず、人も斬る」


「都合が良い人なんだよ、僕からすれば」


「断るとは考えないのか?」


「頼んではないからね」


「……、君、嫌われるぞ……?」


「それでも竜に立ち向かうし、竜の前で立ち塞がるしかない。君は良い人過ぎて心底、惚れ惚れするぜ。君が選んだんだ、だから、僕からすれば好い気味だね?」


 紅茶を啜る、渋い。


「……、いいさ。君の思惑は理解してはいる、私を引き出す理由として利用したのも、いいだろう。事実、都合が良い人、ではあるからな」


「それは良かった、断れないってのは大変だしね。今回の場合は断らない、だけれどね」


「……くくっ……全くだな。私とて、個人的にあの書簡には腹立ちもあるが……理解はする。なにより私は……これでも剣聖だからな」


 柔らかな笑顔は彼なりの誇りなのだろう。立ち上がり、立ち向かう。のだろう。素晴らしい、僕には全く欠片も関わりのない話だから。憧れもなく、誇らしくもなく、何処か他人事に思う。


「理解はする、許しもしよう。だが、納得はせぬものだ。それで? 我が師、水銀(アルファノス・テアン)のアイリス様に対し行った非礼に無礼に失礼を、どう釈明して頂こうか?」


 僕は多分きっと、真顔だったのだろう。アイリスさんと目が合った。


「王太子様、ご歓談のさなかお声掛けして申し訳ありません。書簡には、どのように記されておりましたか……?」


「はい、我が師……実は」


「お待ちくださいませ、私は侍女で御座います。相応しき振る舞いをなさってくださいませ」


「……」


 クルスさんは顎に手を当て、何回か瞬くと咳払いを一つ。


「アイリス、書簡には君が……その、夜伽らしき行為に及んだと解釈出来る……その、だな」


「……はぁ……?」


 不可解そうに頭が傾いて、僕を一瞥すると。


「私は勇者様との関係は御座いませんが……」


「し、しかし……でなければ何故、彼はアイリスの背、そこにある模様を克明に記載する……?」


 つまりは、見る機会が限られるのに背中にある魔法陣を複写したから、消去法で十二分に観察可能な時間が必要で、要するに夜伽に近しい位の肌を晒す行いがあった、と述べたいのだろう。間違いではないけれど、僕がアイリスさんの肌を見たのは二度だ。


 一度目は逃げた、二度目は背だけ見た。それも数十秒だけれども。そう、要約するに僕は嫌がらせを携えさせた書簡で王太子殿下の頬を殴ったのだ。聞けばクルスさんは、アイリスさんの外した席を補う為に動いているらしい。好意、師弟、或いは、と見越して挑発紛いな事柄を書簡に記した。効果はテキメンって奴だけれども、存外クルスさんは大人だった。


 怒り心頭ってより、何故そんな状況になったのかが不可解極まるって感じ。実際に確認したい、と言う話なのだろう。


「勇者とは……常なる者に務まりますか? 否、でしょう。彼は……言葉を選ばなければ……常軌を逸している」


 アイリスさんは僕を見てそう言った、酷い言われようだ。僕は基本なにもしてないけれどな、あ、焼き菓子美味しい。


「常識の違いだよ、立ち位置、視座、観点って話なだけさ。僕以外の誰かは、それを常識と言う」


 お、やっと地響きが収まって来た。彼方には、舞い上がらんと翼を掲げた真紅。巨大な巨大な、竜だ。身を地面から起こして、正に羽ばたくって風体。


「少し違うな、僕の世界観はそんなに鮮やかで夢見も良くはねえし。殊更、僕の常識って奴は小さい頃に義務教育ですくすく育てたものだし」


 肩を竦める。


「正しさ云々じゃあないよ、これは、そうだな。見解の相違」


「碌でもないな」


「左様かな」


「左様」


「左様かあ」


 竜が駆ける天に、僕は憧れない。夢はもう、終わりで良い。


「話を戻すけれど、竜はどうやって飛ぶのか? そう、あんなものは飛べない。普通なら、重力でぺしゃんこさ」


 一㌖はあるだろう巨躯が、空力だけで飛ばそうとしてみろ。大地は忽ち剥げ千切れ飛ぶわ。のだが、そうはならない。ヘリコプターですら、真下に行けば風で飛ばされそうになる。あんな巨躯を原始的な羽ばたきで浮遊させ、滑翔させるには一体どれだけの物理エネルギーが必要なのか。そして着目する。


 空に舞い上がり、太陽を一瞬遮った。王国に巨大な闇を落とした体躯は、翻る。甲高い咆哮もなく、だが、きっと、あの真紅の竜は此方を見定めている。


「詳しい話は分かんないけど、レイちゃんには、このアガレス王国全域に展開する防壁に機能を付け加えて貰った」


 親指を立てる、太陽を遮る竜を指す。太陽に近付き過ぎたイカロスは、蝋で出来た翼を焼かれて堕ちるのだ。今回も似たものだ。巨大な、巨大な、巨大な、竜。


 竜は、どうやって飛んでいる?


「答えは単純」


 手を合わせる。


 遥かなる遠方。竜は踊る。


 イカロスは地に堕ちる。


 古の竜を大地に縫い付けた偉大なる先代勇者とは、ちょっとばかり違うけれど。


 錐揉みする巨躯。


 僕は此処ぞと知る、ばかりに決め顔だ。


「このアガレスに於て、物理法則を適用するだけさ」


 嘸かし、重たい身体だろう。


 嘸かし、巨大な身体だろう。


 嘸かし、頑強な鱗だろう。


 嘸かし、強力な肉体だろう。


 嘸かし、物理法則を無視しているのだろう。


 良いだろう、それは異世界ファンタジーならではだ。


 此処は、僕の知る世界ではない。


 ならば、僕だって。


 親指を真下に向けて、宣うのだ。


「いやぁ、碌でもないなぁ」


 大きな土煙は、バンカーバスターを投下した大地の如く。天を貫き生えた茸雲を見届けた後に、僕は呆ける皆を尻目に頭を抱えて床に俯せになった。


 対ショック体勢、ヨシ。


 さらば、冥宵竜種ブュセル・ドレイブニル


 憧れの、赤竜。


 格好良い姿を、真近で見たかったよ。


 グッドラック。

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