竜退治
竜を滅ぼすにはなにが必要だろうか。
勇ましく、恐れぬ猛者?
ああ、きっとそれは必要不可欠だ。詩になるような、胸を高鳴らせる登場人物は。
純然たる意思で揃えられた至高の武具は?
ああ、確かにそれは外せない。語る上で討ち取った竜の名を引き継いだり、竜退治の醍醐味とも言えよう。
だが、僕は現実主義で利己的で、無難で平凡なのだ。
故に、竜にはやはり火力だと考える。殺し切る一撃だ、胸が熱くなる情動は要らない、英雄達の戦いは無駄ではなくとも泥を塗るように、秘めた一撃を喰らわせるのが一番だ。
罠を仕掛けるのも間違いじゃあない、僕ならそうする。
僕ならば、真正面から騙し化かしているし、逃げるし戦わない。殺すには、なにが必要か、それだけが議題で論点である。
毒も良い、それで死ぬなら最適だ。
森に住むならば火攻めも悪くはない、焼けなくとも二酸化炭素中毒が狙えよう。
池が近くにあるならば水に沈めるのだって悪くはない。ああ、それともアガレス王国で開発された気球に爆発物や薬物を積載させて機雷にするのも悪くはない。損害に目を瞑るならば、なんだって可能ではある。
然し、やはり一撃だ、根本から打ち砕くような。英雄ならば挫けぬだろうが、僕は実利を重んじる。それは僕だけでなく、恐らくは春風太陽、優しい琥珀の勇者ですら、そうだろう。冷たくて慢心もなくて確定で、やっと揃えて動いている。
「ふむ、背の君」
悍ましい腕が四本、否、今増えたから合計八本。禁書を手に紅茶を楽しむ老婆のような少女を見やる。レイちゃんはほんのりとした太陽を受け止め、周りを相も変わらぬ暗がりへと墜落させながら開口する。焼き菓子を放る僕に、器用に受け取りながら。
「こら、投げるでない。焼き菓子とは投擲に不向きであろうに……」
焼き菓子を黒い霧を纏った指先でなぞれば、宙を舞う。
「ふむ……? 音速で叩き付けようものなれば、対象の頑強性も脆弱性も些事たるものではある、か……して、背の君」
さらりと怖い事を垂れていたけれど、僕は耳から受け止め脳で透過する。聞かなかった事にするのだ、やはり内的環境の平和とは斯くあるべきだし。
「うん? どうしたの?」
旧資料塔、その最上階で僕達はお茶会を催している。主催は超克四種族のレイちゃんで、参加者は僕とセルフちゃん、それに黒き勇者だ。侍女と言う枠では僕らの癒しアイリスさんや、慣れない侍女服で躓きそうなハッシューバップ・カフェンことハバラちゃんやツェールちゃんも見受けられた。
躓き、慌てた所作で僕にぶつかったのは、白くなってしまった髪を持つツェールちゃんだ。
「あ、あわ。す、すいませんっ! わ、私、えと、えっと!」
トレイから落ちそうな焼き菓子を然り気に補助し、レイちゃんにポンポン投げる。器用に捕まえていたのだけれど、ちょっとにべたい眼で見られた。膝元から狼狽えて飛び退き、頭をぶんぶん下げるツェールちゃんに手を振り。
「良いよ、気にしなくても。それで? 最近調子は良い?」
ツェールちゃんとは、少し振りになる。聖女、セルフちゃんと一緒に町中を徘徊したりするのも飽きて、聖堂での厄介も熱りが冷めたので、難儀なものだが、ぶっちゃけまじで暇なのだ。僕に割り振られた仕事もないし、文官も久方振りの休暇を満喫しているらしいし、勇者のお仕事たる王都徘徊も先日終えたし。
「は、はい。父との、その……ありがとうございます……」
「いいさ、別に。目も……少しよくなったみたいだね」
赤い目には、蒼が混じって独特だ。生来の色味を取り戻しつつある、ようだ。一発で解決はしないけれど、回復に向かっているならば上々と言えよう。僕がなにかをした訳でもないけれど、そんなどうでも良い事ばかり頭で捏ねていれば、セルフちゃんが頬を膨らませて僕を睨んでいる。
「質問させて頂いても……?」
「どうぞ?」
優雅に、僕は紅茶を啜る。アイリスさんが淹れた物ではなく、ハバラちゃんがあたふた淹れた物だ。少々渋いのは愛嬌として看過する、丁度目が冴えて悪くはない。
「そのー……一言、そう、一言です」
焼き菓子をウィッチハットの影に押し込むレイちゃんに目配せしてから、丸い机に項垂れた。
「一言貰えれば正装したのですが……?」
神なる銀黒との茶会に、しょぼい衣服で、しかもベールさえして髪を隠した黒い装いは不向きだと主張したいらしい。別に白くなった所で防御力が上がるだけなのに、警戒するならば必然だけれど、どうせ洗礼服なぞ歯牙には掛けないのだし。
レイちゃんだって身形には五月蝿くもないし、煩わしいと億劫な態度をする人柄だ。まあ、朝方に僕が言った内容からして見知らぬ黒き勇者とレイちゃんがいたとなれば不満も察しはするけれど。
「人らは装いに敏感よな……? なんでも良かろうに……」
一番無沈着な奴、レイちゃんがぼやいて片肘を突く。目は禁書に縫い付いている。
「此度の茶会、主催こそ吾であれど、本命は背の君であるからな。背の君自体、装いは簡素であろう」
僕は肩を竦める、なんたって適当に見繕ったシャツにスラックスだからだ。材質は良いが、それだけである。洗礼服は窮屈だから、近頃は袖を通しもしてない。朝方にセルフちゃんが突撃して来て徘徊がなければ、簡素なものだ。
「……黒き勇者を見習ってください」
花畑のある最上階、甘い香りを頬に受けて。
傍らに視界を変えれば、太陽なんざ死ねとばかりな漆黒だ。喪に服すかのような、真っ黒で豪奢で繊細な装いだ。肩に掛けたフィシューには見覚えのない花の模様、紅茶を手にす腕にはオペラグローブ、陽射し対策だろうか、普段は頭に飾りも付けないのに今日は確りとベールを纏っている。
薄手のベールを通して金に主張する眼は、何処かを見るでもなく薄ぼんやりと微睡んでいる。表情から億劫で気怠く満身創痍ではあるけれど、伸びた背筋や所作は一流だ。彼女、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんの周囲だけ高貴と言うか近寄り難いと言うか、レイちゃんはSAN値チェック系だからまた違うけれども、彼女の場合容易く触れてはならない感覚に陥る。
年上お姉さんだ。正直揺れる。
「……で、何処に違いがあるの?」
「…………え?」
「いや、ベールしてるし」
「私は聖女ですよ……?」
「……?」
「なんですか、その……なに言ってんだこいつ、みたいな顔っ! ぐっ、勇者様はほんとっ……もうっいいですっ!」
なんだこいつ、とは思った。一人ジタバタするセルフちゃんを無視し、焼き菓子を咀嚼する。結構甘い、曰くツェールちゃん作。それなりに焼き菓子を作る事に精通しているのか、紅茶の渋さを打ち消す程度には満足感がある。
ハバラちゃんは暇なのだろう、部屋の片隅で大きなレンチを布で拭いていた。剣聖らしさが段々なくなっていたので、少しだけ観察する。目線に気付かれた、赤い目が僕を射抜き舌を打って顔を背けた。侍女とは思えぬ対応だった。
「それで、背の君。例の、そう、騎士とやらは如何様に処す?」
「ん、ああ。えっと……」
記憶を漁りつつ、ふと思い出した。例の騎士、僕を窓から投げ捨てた騎士とは一悶着の後に発展はない。顔を合わせないように頑張ったし、面会する気もないし、そも、ごたごたしていた。
クレヴィア・シトラウスさん、だったかな。合ってる、筈だ。あの人はこう、悪い人ではないのだろうと思う。窓から放ったのも、勇者って先入観からだろうし、あの人自身が頑強だから失念していたのだろうから。
腹は立ったが今更だし、流した事柄だ。勇者に並々ならぬ思いがあるのは慮れたが、じゃあ僕にどうしろとって話でもある。否定し続けてるだろうに、あいつ、じゃない、クレヴィアさんは眼力で責め立てるし。
「いや、処すもなにもないけど」
「ほう」
「なんです? なんの話ですか? また、またですか? 今度はなにをやったんですか……?」
「…………」
「なんですか、そのー……お前が言うのか、みたいな顔……」
「いや、違う。僕は断じて思ってない。なにかやっちゃいました? なんざより、なにもしてないけどな? な、僕だぜ?」
「なにもしてない、即ちそれこそが本質と知るが」
「おっとレイちゃん、心ない揚げ足取りはちょっと控えて貰おうか。それで、こんな風になにもしてねえ僕はだな、当たり前に困惑する生態をしてるんだ」
「はぁ……その、え、待ってください。例の騎士ってなんですかっ」
しまったな。
「うーん、……」
あの怒りと矛先の原因や要因。ふと考えて分かった。そうか。顎に手を添え、僕は思考を一通り回した労力をどう補填するかに切り替えつつ。
「……なにもしてないんだよね」
「はぁ……そう、ですか……?」
気怠そうな顔で、もう体裁も死んじゃえとばかりだ。上体を机に任せ焼き菓子を飾る姿は、聖女と言うより。
「そう、なにもしてねえからって怒られたんだ。宛ら……なにもしてないのに壊れた、のに、壊した責任を押し付けられるような」
我ながら皮肉が鋭い、いいや、この場合は鈍いと言える。錆びた刃物みたいな言葉回しだったが、セルフちゃんは平らな碧眼で。
「そーですかー、神はー善なるもののー罪をー、必ずやー、おー赦しーくださいまーすよー」
なんて宣うのだ。
だから罪がねえっつってんだろ。後、勇者に置き換えて理解しろ。
なにもしてないからこそ、なにもしてないお前が悪い、とか原罪にしたってエグいだろ。僕は断固抗議するけどな、暴論に抗うには拳だと耳にした覚えもある。
セルフちゃんだって、こう、なんだろ、あゝ神は貴方を赦すでしょうエーメンとか言いながら銃口を突き付けるタイプだろうに。事勿れ、でもなく、なきにしも有らず、ならぬ、亡きにしも非ずって感じ。
思考が逸れたな。悪い癖だ。
「まあ、騎士とのいざこざは今日で、一応の節目、区切りってやつを迎えられるだろうさ……なにを思うにせよ、事実や真実や真理ってのは揺らがねえもんだろ?」
認識した上での誤認なぞ、人間の十八番であり希望や願いや祈りではあるけれど。
「ハバラちゃん的にさ、心配してないの? ほら、なんとか地方の、そう、シルトってとこにいる皆をさ」
すげぇ舌打ちをされた、眼力は幼い顔には似合わない。セルフちゃんも月に何回も同じ遣り取りをすれば慣れたのか、日向の暖かさと花の香りに気を緩めたままだ。
「…………、ちゃんって呼ぶな……。ぁー……心配、といやぁ心配だ。当たり前だろ」
「でも、安全なツェールちゃんを君は選んだんだろう」
僕は僅かばかりの思慮を挟む、思案して考慮して、言葉に気を回し、言葉を選ぶ。
「選択ってものは……選び、手に取る事、じゃない。残すものを掴んで離さなかった、結果だ。だから、もし君が後悔するにしたって、選んだ、ではなく残せたって思うと良いよ」
と、なるだけは配慮した。角に触れ二秒、頭が傾く。
「……なにいってんだテメェ、たりめぇだろ……。神様も、いるから……そりゃ心配ってだけじゃねえ」
ちらりと伺うのはレイちゃん。確か、古来人種の信仰対象そのものだ。居た堪れない空気感だなとは思っていたが、己が信ずる神を見る気持ちってどんな気分なのだろうか。母親がセーラ服を着て登下校に追従する、みたいな。いや、それはもっと死ねるな。
兎も角。
「そっか」
「む、崇めても良いぞ、奉る事に興じるが良い、背の君よ」
悪戯な笑顔に肩を竦める、だって今更に過ぎる。僕からしたら頑固な少女だし、SAN値チェック系少女ってマイナージャンルな子だ。どうしても神聖さより悍ましさが先行する、今だって八本も生やして別々に動かしているのだ。
「はは」
我ながら乾いた笑い方だった、シニカル色の声を引き、暫し思案。
「実際さ、今回の竜騒ぎの結末は決まったものなんだよね?」
「…………、そう……?」
渋い紅茶に目線を落としたまま、長い耳が反応した。豊満な胸部を机に任せ、彼女は僕へと目を向ける。ゆっくりと、じんわりとだ。
「わたくしの知る明日は、知り得ぬ明日でもあるわ。もし……いいえ、些細な食い違い、かしら……?」
やや、会話の流れに乗れない。僕なりに洒落た解答をしてみようとは思うけれど、濁して流すのが一番良い気もする。真っ白な肌はレイちゃんみたいで現実味を薄め、憂う瞳は奥深くまで鮮やかだ。
「あー、うん。……えー、竜だけど。ロスウェル、って名前らしいね。文献にあったよ」
机に置いていた羊皮紙を手に、僕は言う。セルフちゃんも一応背を正し、話し合いに相応しい姿になった。レイちゃんは、変わらず禁書を読み耽っているけれども。
「ロスウェル……ですか。かの竜は人里に近寄らないようにしている、と聞きます。竜も様々ではあるのでしょうけど……アガレス王国としては共生を選びたかった相手なのですが」
「でも……敵わないから叶わない、か。なんで平和や和平って奴を拒絶するんだろうね、少なくともアガレス王国に心当たりはないんだろうし」
「そうですね、シルト周辺で横暴を働いているので……もし、かしたら……かの竜の怒りを買った可能性はありますが……」
「誰かが、か、シルトが、かは別にして?」
「はい。わたしの知る範囲ですと、シルトにおられるダウナー家は王への忠誠も高く、竜への敬意も払う御仁なのです……勇者様は、やはり竜を討ちますか……?」
意外だ、セルフちゃんならば予言に、予見に歯向かうような事をしないと思っていた。嘗て、王を刺突したように。竜の討滅は黒き勇者こと、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんが断言している。
結果こそ詳らかに語りはしなかったが、竜が討滅、或いは死亡するのは確定している。ならば、それを覆すような意見ってのは珍しく思うし、なんなら不思議な変化だと勘繰っている。とは言え、セルフちゃんは根が優しくて黒き勇者を真実、真理、事実とせずに僕を基盤にしているからとも思える。
僕は竜討滅に名を貸し、実働がウェンユェだとしても参加はしているのだけれど、別段乗り気じゃあないんだな、これが。こうしてだらだら茶会を開いたのもあって、セルフちゃんなりに僕の立ち位置を確認したいってのも理解は出来る。のらりくらりとする馬鹿を信じるお前が悪い、と突っぱねる程に無関心ではないので。
「んー……、悪くはないけどさ。興味はあるし。でも忘れてないかな、アガレス王国は竜退治を推奨してるよ、最初から。だからって選択肢は限られないけれど、選択しなきゃ進まない世の中でもないけれども」
セルフちゃんはそうですか、と相槌を打ってそれっきり考え込んで黙ってしまった。会話もないなら焼き菓子でもと、口に放って咀嚼していればウィッチハットが揺れた。
「……ロスウェルと述べたな? ふむ……冥宵竜種であるか。あやつは古から生きる竜よ、人の言葉で態度は変えぬがな」
「あー……視野が狭い?」
「否。誓いを遵守する、と述べ給え。背の君は時折、言葉回しが攻撃性のある後ろ向きであるな」
予想斜め上からのボディーブローに、ちょいとばかし鳩尾に食らった。紫煙を吹くウィッチを見てなにか言おうか迷って、けれど、紅茶で濯ぎ流すのが僕と言うしょうもない人間なのだった。
「ふうん……、アガレス王国としても竜退治したいんだし、実際退治の為に色々準備したし……今更どうもならないけど。手筈通りしないとさ、困る人がいるし」
「左様か」
「左様だね」
「時に、勇者様。クルス殿下が遠征より帰省なさったのを……ご存知ですか?」
「ほう、あの若人か」
返すより先にレイちゃんが反応した、ので、僕は知らないなとばかりに肩を上げる。無論詳しくはって前提ではあるけれど、そんなには知らないし知ろうとはしていなかった。これは正直、男だからとかじゃなくて時期の問題だ。バタバタとしたし、ちょっと後回しにしていた。
「戦線維持協定は問題ないのかな? 聞けば、ほら、アイリスさんと同じ系譜の剣聖だったっよね?」
背後に立つ侍女、アイリスさんを見やる。茶の目は暫し伏せられて、考えが纏まったのか目が合った。
「王太子殿下は、私と同様に水銀の名で知られております」
「って事は水銀の神造兵器が二つある、で良いんだよね。不思議なもんだけど……まああんまり興味とかはないんだけど」
「はあ……御説明致しましょうか?」
「いいや?」
僕の陳腐な匙加減で、アイリスさんはそれこそ要領を得ずに小首を傾げた。ふと、そんな時。風が一つ吹けば、花の香りに意識が向く。
アイリスさんの目が鋭く横に向けば、足音が一つ。革靴の硬質な音色と、腰に佩く剣が奏でる音には自然と注目が集まるもので。赤色の、軍服だろうか、に身を包む長身の青年がいた。
愛想が良さそうな、青年だ。鍛え抜かれただろう肉体が、豪奢でありつつ実用性を考慮された服の下にはあるのだろう。剣の重みすら感じない優雅な所作と、蒼く澄んだ目。花混じりの風に靡く金髪、アガレス王の血筋だと、なんとなしに気付かされた。
僕は席を立とうとするが、手を向け首を振った。それは、驚いて戸惑うセルフちゃんにも。優しそうで柔和な笑顔、でも、笑顔に染めた目だけは鋭利でアイリスさんに酷似している。アガレス王の息子、にしてはどうも。