アシャカム
それは海運都市に程近い村、規模としては大きく、立ち並ぶ家屋は石造りだ。道路は最低限の舗装しかされていないものの、馬車程度は通れよう。普段ならばそれなりに閑静な村であるが、今日、昼を過ぎた今は非常に騒がしい。
村人達は、村の中心となる場所に集まっていた。集めた訳ではなく、集まっていたのだ。騒がしさと、物珍しさで目を向けていたからだ。村の中心には勇者を模した石像があった、とても古い石像だからか、精巧に彫られた似姿は所々欠けている。特に繊細に彫られていただろう顔は劣化が酷く、辛うじて全体的に背の高い男性としか判断が出来ない。
聖剣を腰に、洗礼服らしき服装、ただ自然な立ち姿。実寸大ではないものの、その石像は手入れをされていた。苔やツルは見当たらない。ただ流れた時間があんまりにも多くて、どうにもならなかっただけ。とは言え、村人達は古い習わしで石像を小綺麗に整えていても、勇者が実際なにをしたのかを明白に明確に答えられる者は少ない。
とても、古い物語だからだ。
そんな一角には、身丈の低い者達が聞き慣れない言葉で会話しているではないか。玉簾のような装飾のある民族衣装に身を包み、童のような顔と体躯で。身丈を超える巨大な剣を持つ者や、人では持ち上げられよう筈もない歪な鉄塊を持つ者も見受けられた。
一様に、獣耳をパタパタして。多様な肌色をした人々は古来人種で間違いはなく、半遊牧民コミュニティの中でも海運都市方面に展開するコミュニティだ。
皆が、晒した肌に模様があった。白い塗料で描かれた模様の意味する事、即ち古来人種が行う大事、復讐や報復を意味する。身に刻まれた塗料は、身内を焼き骨を砕き、身に纏う儀式。弔いと報いの儀式から、それは行われる。故にか、村人達は怯えていたのだ。
殺気立つ彼等は、身丈に似合わない武器を持つ。片腕のない者もいる、幼子のようなのに歴戦の強者達だ。古来人種の中でも、魔物や魔生物を専門に狩る者達は戦人、或いは牙と呼ばれる。
牙は切り札であり、本来二十人も一カ所に集結しない。半遊牧民コミュニティ、それも海運都市に広がるコミュニティの全ての牙が集まった事実は、村人達を恐れに落とし、それでも尚目を向けさせる。
不意に騒々しい村人達の壁が割けた、その場所には、村人を取り纏める長の姿。齢は七十代だろうか、腰の曲がった老人は古来人種の集団に歩みを進める。彼等は気付いたのか、耳がパタパタして様々な形や色合いをした角が太陽光を反射する。
赤以外の、多様な瞳が老人を射抜く。殺気立っていたが、どうも村人の不安は杞憂であるのか、僅かに目線を交差させて。一人、黒い肌に白い瞳をした古来人種が歩み出る。
白い、まるで羊のような角だ。民族衣装の玉簾がじゃらじゃらと鳴り、素足が石畳を踏む。村の中心は石畳で整えてあったのだ、ぺたぺたした足音をさせて腰の曲がった老人の前に立ち、老獪な顔を童子の顔が仰ぐ。
「村長だな?」
驚嘆に値する重低音、想像を絶する渋い声だ。幼女のような見た目なのに、幼子でしかないのに、深くそれでいて濃い声質に村長は言葉を失った。何時までも返事がなく、不可解だと頭が傾く。人類には有り得ぬ肌色に、瞳孔の白さは見慣れぬ色合いだ。
艷やかな白髪が傾きに合わせ揺れる。
「村長で相違ないか?」
「い、かにも……。ごほんっ……! ええ、私がこの村を取り仕切るアウズと申す者です」
「私は牙が一、タウタ・タウタ。此度、急なる来訪を先ずは詫びようアウズ殿」
手を膝に当て、頭を下げた。真っ黒な肌は日照りを拒絶するようで、真っ白な眼光は顔付きの幼さに反し鋭利だ。研ぎ澄まされた刃を彷彿とさせる、宛ら、濡れたような刀身、触れば肉を容易く断つような。村長、アウズは生唾を飲み込む。優雅に会釈するタウタ・タウタをアウズは知りはしない、が、訪れた事のある古来人種からは耳にする。
牙は特別だ、戦人であり、戦士であり、誇りであり、矜持である。彼等を纏める者、それこそがタウタ・タウタだ。半遊牧民コミュニティでは最も有名な牙だが、滅多な事では姿を現さないのをアウズは知っている。アウズの記憶が確かならば、先代の村長、つまり父の代では姿を現さなかったと記憶にはある。
古来人種は人類に比べれば長命種だ、人類が高々百年生きていようと、彼等は平均二百年は生きる。それも姿は幼く初々しいままに、一応彼等は初々しいと言われるのを否定はするが傍目としてはシワも染みもない肌には憧れを抱くものだ。
長命種の中では短命、短命からすれば長命と言う矛盾した種族なのだ。タウタの角や瞳は老いた証で、色が抜けるまで生きた証なのだ。
「此度、我ら牙が集うのを疑問視するのも無理はない」
「は、はぁ……」
「我らとて、人々を無闇に怯え不安に苛むのを肯定はしない。が、近頃騒いでいるものに用があってな」
「それは、竜……ですな? はて……? この村とは真逆の位置で暴れたと耳にしましたが……」
「ああ、その際に我らの友が死んだ。人々も、だが、なにより……牙が死んだのだ」
「な……そんな!? では、もしや……」
「そうだ、地方に根を広げた牙は尽く旅立っているッ……」
黒い肌に映える白い紋様、真っ黒な拳の震えを緩めると。
「奴は、牙を歯牙にかけんッ……我ら牙がだぞッ……!」
振られた拳の空気圧に押されたアウズは、咄嗟に村達に支えられた。
「ロスウェルめッ……! このッ……!」
「あー、タウタ。よくない、怒るの違う」
「タウタ、冷静になるがいい」
「タウタ、人らに当たるな」
数人の友に声を掛けられて、熱が籠もった息をゆっくり捨てる。タウタの怒りは未だに燻る。
「赤竜は滅する、直に……此処へ飛来しよう」
「まさか……? そんな事が……? この村にはなにも……」
「訳は知らんのだ、が、この予言は黒き勇者とやらのものだ」
「黒き勇者……ですか?」
「ああ、なんでも知らぬ日を観る力がある。私とて、常ならば信じはしないが……」
白い目が雲が流れる空を見上げた、此処ではない何処かと、誰かを反芻する。
「あれは……人では、なかろうな……」
薄い笑みにアウズは髭を撫で付ける。
「……はぁ……しかし……」
「なんにせよ、だ。備えろ、アウズ殿。私は信じる、だが人らにも信じて欲しいのだ。私でなくとも構わない、勇者を信じて欲しい……」
タウタは頭を軽く下げていた。
「赤竜を滅するのは我ら……牙の大義だ。友を弔わせてくれないか、人らよ」
「……し、んじますが……。村人の非難場所なぞ……」
「牙の若人を貸し出そう。ふむ……、アウズ殿の指示に従い海運都市まで非難経路を確保しろ。魔物に遅れは取るまい」
数人の牙が頷いた、村長の心配も当たり前だ。非難するにしたって最寄りの都市は未だに遠い、目を細めれば都市を囲う壁も見えるものだが、身軽な若人ならいざ知らず村の人口の四割は老人と幼子である。海に隣接しているのも相俟って馬車より船が多く、漁業の為に作られた船の定員は三名が限度だ。
となれば自然と船を用いるべきで、然し面白くない事に古来人種は海に縁遠いので不慣れであろう。村長は若人達を徒歩や馬車、海には老人や漁業に関わる者を割り振って行く。災難があるとして、村に駐屯する都市から派兵された人々は僅か十名も存在しない。彼等は鎧に身を包んでいるが、古来人種の牙に怯んで立ち竦んでいる始末。
我先にと逃げこそしないし、それなりの覚悟で兵士をする者達ではある。村長達が慌ただしく避難誘導を開始する中、噴水前のタウタに影が差す。
見上げれば、鎧に身を包んだ人間だ。顎髭を撫でる中年は腰にクロスボウを携えていた。
「タウタ殿、私共も赤竜討滅に手を貸しましょう」
と、手を差し出すが。タウタは首を振るう。
「死地と知って尚……か? それに……我らの文化で握手は交わせんのだ。すまない」
中年男性は頭を掻き罰が悪そうに。気楽な素振りだが目は鋭い、優秀な兵士ではあるのだろうとタウタは判断する。
「そりゃ、失敬。なにぶん、疎くて。しかしね、私も兵士の端くれ。国民を護るのが義務ですし、こんなとき位しか働けんのです」
「……森への避難誘導、ではどうか?」
言外にではあったが、タウタなりの気遣いでもあった。死ぬ事を是とはしないし、足手纏は少ない方がより最適だ。牙と人間の共闘がないとは言わないものの、あまり例がないのも事実。とても単純な話、彼等古来人種さえいれば大概は解決するからだ。
あったとしても、黒き大地の事例が大半であろう。
「いえね、赤竜に用があるんです。私……に、限らず……故郷の村を焼かれた連中ばっかりで、ね。引くに引けんのですよ、分かるでしょう?」
肩を竦める姿は京楽だ、ちゃらんぽらんにも映る。だが眼の奥底に燻る炎の揺らめきは誤魔化せない、手を見れば、分厚いタコから血が滲んでいた。どれだけ射ったのか、並々ならぬ執念か、使い込まれたクロスボウを見やってから肩を落とす。
吹き抜ける風は強い、僅かな潮の香りにタウタは空を仰ぐ。
「友、か……であれば報いねばならんな」
「ええ、大層な力はありやしませんが、ね」
肩を竦めれば、慌ただしい声。鎧の擦れる音に目をやれば、若い兵士ではないか。その様子は焦りなのか、不慣れであるからか。気楽で力の入っていない自然体の兵士に比べれば差は歴然だ、隊長になるのだろう男は眼前で息を切らし肩を上下させる若い兵士に意識を向ける。
「なにがあった?」
「ッ、魔物の群れが迫ってますッ! み、見える限り大量のッ!」
物見やぐらに配置させていた兵士だ。つまり森側から魔物が迫っている、と言う。壁はあっても、木製だ。数匹ならいざ知らず、今正にドタバタとしている最中であるのが拍車をかける。
「なにッ!?」
魔物は、基本群れない。群れ、と言う生存戦略とは無縁だからだ。生き残る事は魔物の一番ではない、故に群れと言うにはお粗末ではある。のだが、幾つかの例外に於て群れを形成する事例がある。
中年の男は、森側の壁に顔を向けつつ。
「まさか、本当に赤竜が迫っているのか……?」
赤竜は、非常に強い魔力の塊だ。だからか、魔力に酔ったのか、魔物は正常な動きを損なう。王宮魔術師達の見解ではもっと深く突っ込んだ話になるのだろうが、兵長の彼は詳しくは知らないし知る必要もない。ただ、赤竜が迫れば魔物が押し寄せる揺るぎない真実だけ十全に理解していれば、工程なぞ些事たるものだ。
なんたって、なんだって、こんな村に。とは思う。だがそんなものは今更で、十に迫る村がそうして魔物に呑まれ消えたのだ。汗ばむ手を握り固めた兵長は、なるだけ動揺してない風を装う。恥ずかしさからではない、率いる兵士は経験が浅く若い者達だからだ。
熟練の兵士の前であっても、指揮する立場なれば顔を敗色に染める訳にはいかない。
「ふむ……スタンピードか、やつらしいな……」
タウタの落ち着いた呟きは、聞き慣れない老獪さは、若い兵士の焦りや動揺を疑問符に埋めさせた。不可解極まる低音に慌てていた現在が宙ぶらりんだ。
「スタンピードは黒き大地固有だと、習いましたが……?」
「若人よ、否だ。銀黒の御業にもあるが、魔物は魔力だ。向きを合わせれば……なぞ、と、ほざいている暇もないか」
短く息を切り捨て、風を小さな肩が断つ。じゃらんと玉簾を鳴らして、素足が石畳を踏む。友、様々な古来人種達に顎をしゃくる。
「滅しろ、手暇はかけるなッ」
「応ッ」
「赤竜めの目論見なぞに我ら牙は退かぬッ」
「応ッ」
「散りゆく友へ報いをッ!」
「応ッ」
「先ゆく友への手向けをッ!」
「応ッ」
「赤竜なんするものぞッ!」
「我ら牙! 銀黒の使徒ッ!」
「主を冒涜す奴らに牙を穿てッ」
「応ッ!」
と、数多の声が重なった。それぞれに掲げる獲物を太陽に照らし、鮮やかな民族衣装が踊る。途端に、突風。先程までいた、確かにあった矮躯は、瞬きの内に忽然と、瞼を閉じて上げるまでの時間で綺麗さっぱりいなくなった。
流れる噴水と、勇者の彫刻と、あるのは呆けた兵士や村人だけ。
銀黒に仕える種、古来人種は牙を持つ。
我、敵を穿つアシャカムなるぞ。
勇ましく、猛々しく、雄々しく。
謳う。
赤竜とは、今日にて、終わりなるぞと。