勇者一行
久しぶりに更新。思えば定番から逸れた異世界だなあ。
ワン・ウェンユェは簡易なテントで寛いでいた。唯一の女性とあって天井だけでなく、壁となる垂れ布も施された一角だ。簡素な机と椅子に凭れ、書類を広げ、億劫に開いた翡翠を走らせる。ウェンユェは使える伝は全て活用する性格だ、酒場から広めた商人との損得勘定や小さな交流に始まり、宰相と言う切り札もある。
宰相の書状はあらゆる局面で効果を発揮するが、振り翳すにしても節度はある。セグナンスクランリーダーとして、先ず問題視すべきは維持資金や投資資金の確保だ。投資資金なぞ、少々の稼ぎでは捻出出来はしない。が、竜を討滅した勇者達のクラン、であれば話は大きく変革する。スポンサー集めには最適だ、が、問題は竜は討滅可能なのか。
赤竜、或いはロスウェルは資料に時折記されるようになって、三百年程度の竜種だ。手を回して確保した最新の資料でも二百年以上も前になる。そのロスウェルの体格や概要が描かれているものの、信頼は全く出来ないのが恐ろしい所であるが。
凡そ五十㍍。
太く鋭い鉤爪のある前腕に、強靭なる足。
全長の三割もある尻尾。
一対の翼は体格の倍の百㍍はあるだろう。
推定体重二万六千㌧。
「あら、かわえ」
本当ならばと、くすくす。ウェンユェは喉を鳴らし、にまにまと唇を歪曲させる。桜の舌で下唇を濡らして、机に上体を預ける。ランタンに透かす資料は粗雑ではあるが竜の似姿があった。四脚歩行だが、前腕は補助だろう。肥大した翼は飛行能力の高さが伺える。
赤竜は火属性の霊力生成器官を持つとされているので、竜の息吹には注意したいものだ。人類圏内で観測された竜種の中では身近ではあるが、脅威度に対して竜種を攻め滅ぼす思想はあまり強くはない。これは単純にアガレス王国では竜種の被害が極端に少なかったからに過ぎず、原因は言うまでもないが旧資料塔に住まう超克四種族を恐れていたからだろう。
齢を重ね、遂に赤竜は正常な判断力を失ったのだと噂されている。真実はさて置き、広大な森に潜んでいた怪物は今や都市や村を壊滅させている。目に付く生き物を破壊して、暫くすればまた舞い戻るようだ。
「ほんに呆けとるならしゃあないけど……おん?」
垂れ布が揺れた、其処に糸目を向ける。蒼の瞳と、垂れ布の切れ目から矮躯の肩を鷲掴む手。その手は綺麗で、剣を巧みに操る癖にタコを作っておらず日焼けも少ない。禿頭のゼンや、赤毛のセリアテス、小太りなのに目立たないサイトウの手ではない。消去法でウェンユェは気付く、が、小さな身丈でウェンユェを見上げる姿に薄く瞼を擡げる。
「……竜種が、人らの姿、似せる?」
「……取り敢えず、お連れさんは入りや。そんで、言うとくわ。あてなぁ、どぅも、気に食わん事があるさかい、な?」
垂れ布の切れ目から伸びる手が跳ねる。あたふたして、手刀の形を取った。春風の世界で謝罪の意であるハンドサインであったが。
「し、失礼しますー……」
にへらと、刈り上げた金髪アシンメトリーの若者が室内に入った。満面の笑みを浮かべるウェンユェから顔を背け、腰丈程の少女を指差した。全部コイツが悪いんですって態度だった。
「おどれは礼を失するつもりなんかぁ、あて、困るなぁそんなんされたらぁ」
「おぐっ! いいえ! 入ります! だ!」
「せやねえ、そう言うんがええな」
「俺じゃなくて……コイツが、悪い」
灰の肌をした少女を指差し。責任の確認。
「責任の所在やない、事態の概要を口にせえや」
責任なぞ視認しない。轟沈。
「俺はわるくねぇーって……、まあその、ウェンにも話を通そうってトコ、だな」
「……ふうむ」
灰色の肌をした古来人種は、何処か無垢で垢抜けない。テント内を見渡していた蒼の瞳がウェンユェを捉えると、うむっと言った感じで玉簾の民族衣装を鳴らす。
「シャチョー? お嬢? とやら? 竜から、人ら守る、こなたのつとめ。名も知らぬ竜よ、赤竜に連なるものか?」
小振りな身丈に、額を押さえて嘆息を伸ばした。背凭れに体重を移し、長く細い足を組む。
アオザイやチーパオを合わせたような独特な衣装は、太ももの横に大きなスリットが入っていた。白くてもちっとした肉感が外気に晒され、堪らず太陽は天井たる簡易テントの布に目線を逃がした。何時もならば、余裕と悪戯心も加味し、からかうのだろう、今回ばかりは意識に残さず古来人種を見下ろす。
薄っすら糸目で、くつくつ喉を震わせて。室内の空気は異様に張り詰めた。春風は逃走したかったが、後が恐ろしくて手汗を服に擦り付けていた。そも、ウェンユェは気難しい方だ。矢鱈に厳しく、稀に甘い時は罠が仕込まれている。しかも引く程の美人で、冷たくて蠱惑だ。舌で舐めずるような感覚に包まれそうで、掌を盃に包まれるように、一線を引いて眺めていたい人物なのである。
だからこそテレビ越しに見る人物と言った印象が未だに拭えないのだが。
巻き込まれれば当然、損をする。利はなくはない、が、気苦労は損得に値しないだろう。
「えらい……はっきりしとる言い分やねえ。まあ……ええや。……席があるんやし、座りはったらどないやろか?」
『何時まで見下させんだおどれは、首が疲れるやろが』
と、タイヨーは察した。小首を傾げ遠慮する少女の背を押し、慌てて椅子に誘導する。少女は納得こそしなかったが、簡素な椅子に腰を預けた。のだが、机の高さはウェンユェに合わせていたので顔だけ机からはみ出すような、絶妙に視点が低かったのだ。椅子は高めに作っていたのに、座高の低さを甘く見積もってしまった。ウェンユェは絶妙な間を置き、目尻に差す緋色の尾を引く。
今日の差し色は緋色であった、ぴっちりした黒地に細い緋色の刺繍がワンポイント。全体はやはり黒地に翡翠であるのだが、胸元に垂れる紐は緋に染まっていて身体の揺れに遅れ遅れ追従している。
「それでー……そう、あてが竜種かってのは正解であり間違いやな。あてらは竜種やけど、竜の姿にはおいそれとなれへんし。なにより……」
するりするりと、滑らかな鱗。大蛇のような、淡い翡翠を滲ませる尾が古来人種の周囲を揺蕩う。切っ先か如き尾先は、ランタンの光量調節部を操作していた。
「む、黒竜? 人らに味方するとは信じられぬ」
灰色の指が尾を示す。
「んー……あては、ワン・ウェンユェ。或いは、そうやな……堕ちた竜や」
指先同士を合わせ、ウェンユェは笑窪を深めた。
「堕つる……?」
「せや、止事なき、けったいな話やさい。まあ、あてのはええから。赤竜とは因縁あらへんし、なんならあてはしばき倒す為におるからなぁ」
「……むう」
「ほんとだぜ? あ、モルちゃんもちゃんと名乗ろうな」
「ぬう、モル・ルモ、戦人。誇り高き戦人だ」
「おおきに。ほな、本題や。モル・ルモはなして此処におるんかな。打診になるんやろけど」
「赤竜が、村襲う。次は、海に近いはず……? 族長、そう考える。人ら、逃がすの、手伝う? こなたはいずれでもいい」
打診、ではなく警告。あくまでも彼等の振る舞いは人を守らんとしていて、同時に決起するのを止める訳でも促す訳でもなかった。自由にしろ、死にたくなければ逃げよ、である。
「んー……手を貸すのはわるぅないけど、人手は限られてるからなぁ……。せやねえ……サイ、ゼン、テスはどう思いなはる?」
と、垂れ布に向かって。数秒すると、すごすごと聞き耳を立てていた中年三人衆が入って来た。ウェンユェの微笑みに口笛を吹いたり、膨らむ腹を叩いて音を鳴らしたり、ない髪を慈しむように頭を撫でたり、それぞれが気の置き所を探している始末。春風の残念そうな視線に無言の視線が交差していたが、机に尾先がこつりと触れれば視線はウェンユェに集まった。
「おれぁ、かまやしねえが……あの村にゃ顔くれぇの知り合いは……ま、片手くれぇいるしな」
ゼンは言う。続けてセリアテスは赤毛を掻き。
「お嬢、私は反対する。第一に赤竜の脅威度が分かってない、合理的に考えるなら回避して、道順を迂回に切り替えた方が良い。此方の出せる方策も少ない」
サイトウは、腹を撫でて。
「うーん、人助けってぇのは悪くねえがな。あの村に対竜設備はねえぞ? やつぁ矢も砲も効きゃしねえし、半端な毒も食っちまうからよぉ。赤竜は、竜の中でも名が売れてんだ」
「俺は……避難だけでもって思う。村の規模によるけどさ」
「人らの好きにするべきだ。こなたは竜を滅……ふぁ?」
頭を唐突に撫でたのは、真っ赤な長髪を靡かせる巨躯だった。あの巨体で気配がないのは反則だろと春風は毎回思いつつ、高鳴った心臓を密かに宥めるのに注力する。
灼熱の瞳と、翡翠の瞳が衝突した。
「あたしも考えを言っても?」
「ええよ別に」
「んじゃあ……ぶっちゃけさぁ」
巨躯は、腕を組む。彼女、ヘルの意見は大方正しい。感情だけでなく理性のある解答を常に選んでいる。無論、誇れる己を貫く性格なのも加味されるのだが、長年選択を迫られた経験はヘルに現実と理想の違いを刷り込ませるに至った。良いか悪いかは別にしても、決して無駄ではなかった。
「赤竜の討滅以前に、報酬の保証じゃねえかな。そりゃ、あたしだって助かる命は助けるべきだなぁとは思うさ。でもね、同時に世は弱肉強食だろ?」
「いやいや、だからってっ」
春風の口に人差し指を当て、閉ざした。
「見捨てるつもりはねえさ、避難誘導ってのも悪くはねえし。ただ、自主に任せるべきだろ? 無闇に関わっても指揮系統が混乱するだろ? しかも責任はこっち持ちだぞ?」
ぐうの音も出ない正論だ。村の人々だって馬鹿ではないし、近隣の領主だって愚鈍でもない。備えとは有事の前に行われるべきものであり、有事にて行うのは対処だ。ヘルは請負機関にて請負官同士の意見衝突で散々な目にあった。だからこそ指揮系統の管理は尊重し慎重に判断する。
不要な諍いも有事には必要ではない、怠らないべきは備えと対処である。
「つまり、参戦したいやつはタイヨーだけって事かいな」
「わりぃか、普通に考えて……助けんだろ」
ウェンユェは言い淀む青年を優雅に視界に収めた。
「それは、妹さんより、か?」
タイヨーの目が僅かに大きくなって、暫しの時間を浪費し、徐ろに首を振った。それを見てウェンユェは改めてモル・ルモを気楽に見やる。
「と、まあ、あてらは関わる気は、今はないな。あてらは商売も兼ねてるから、堪忍な」
「む? 責めはせん。こなたらは行く、人らは一晩、近寄らぬほうがいい。人らが増えぬほうが、こなたらはよいのだ。赤竜はこなたらの、はらからを……たくさん、葬っておるからな」
空気が軋むような錯覚、黒の毛がやや逆立っていた。それは、身丈には全く似つかわしくない怒気を孕んだからだ。開かれた瞳孔の鈍さはタイヨーに悪寒を走らせて、身震いしていた。小柄だ、しかし、人類ではないのだ。古来人種の戦士、戦人を葬る赤竜は途方もない怪物に違いない。
アガレス王国の騎士団では討ち取れはしないだろう、討滅したとして損害は甚大だ。シ・テアン・レイの威光も薄くなった現代、隣接した国に付け入る隙を与えるのをアガレス王は良しとはしないだろう。故にウェンユェの提案はすんなりと通るのだ、騎士団には言えないが、勇者でなければ立ち向かえない存在だ。
黒き勇者は特筆して言及はしていなかったか、と思考を走らせつつ。
「それはほんに、気の毒に。せやね……なしてそうなっとる? 赤竜は呆けとるんやろ?」
ウェンユェの何気ない言葉に、チリッと火花のような殺意が飛ぶ。漏れた怒りは相当で、灰色の肌をした少女は玉簾を鳴らす。机に上体を乗せ、顔を寄せたのだ。
「赤竜は呆けてはおらぬ。こなたらは、ワケを知らん。はらからを、死に浴びせた報いはせねばなるまい」
「……ほおん、呆けとらんのか」
「うむ、赤竜はなにやら覚悟しておった」
「覚悟……?」
「死ぬことを、だ。ワケは知らん、然し、そうきく。こなたらを屠るなぞ、よっぽどぞ」
角を撫でて、古来人種を相手に喧嘩を売る意味を示す。大概の種族は彼等に喧嘩を売らない、況してや殺害なぞ可能であっても実行しない。彼等は、温厚だ。だが一度怒れば、烈火の波となり族滅まで止まらない。
報復する、彼等は復讐を嫌悪しない。宗教観もあれば、文化も影響するが、祖先は黒き大地で抗いに抗った種族だ。元来、争いに長けているのだからそれなりに気性が荒い。特筆すべきは同族の為にならば命を差し出す気高さと、報復は必ず完遂する性質だ。モル・ルモは、だからこそ首を傾げる。
「赤竜とてホジュンババでない、こなたらに牙を剥くはホジュンババであろ?」
「せえやねえ……理由……か。頭抱えるんもしゃあないわな、ほな、見る所かえよか。赤竜は、死んでもやらなきゃならんもんを抱えとる、せやろ? それは、そうさな。あんさんらを敵に回してもかまへん理由で、実際そうなっとるやん? せやけど……一切無視しても、赤竜は金になるからなぁ……」
「…………う、む?」
モル・ルモすら若干引いたが、少しの後に納得したようだった。
「金に困る、は、こなた分からぬが……村は任せるといい。こなたらのはらからは、二十はいる。赤竜討滅、頑張る」
ふんす、小さな拳を握り意気込みを見せて、モル・ルモは椅子から飛び降りた。壁の垂れ布を手で除けながら振り返ると、唸って腕を組む女傑、ヘルを伺った。
「……、嬢ちゃん。提案なんだけどさ」
「赤竜討伐は決定事項やけど……、前倒しの話かいな?」
薄っすらとした笑窪に、ヘルは肯定する。
「これは、その……勘の話だからね、言うか悩んでんだけど……」
歯切れは悪いが、ウェンユェは無理に突っ込まず、引き寄せた自らの尾を撫でていた。宛ら猫を撫でるような仕草に、春風は昔見た映画を反芻する。
「どーも、いかせちゃなんねえ気がすんのさ」
「……ふむ……せやけど、あてらはなんもやれんよ? 避難誘導っちゅーもんも言うとったやん」
「んー……いや、討伐するってのは分からんでもないし、やれることっつーのもあんまねえが。なんつーか、その、もしかして赤竜って……話せる相手じゃないだろうね?」
ぽかんとしたのは、モル・ルモだった。小首を傾げ、耳がパタパタする。
「……そうだぞ?」
「まじかよ」
春風の呟きにヘルも伴う。
「話し合うか、とはならんにしても、頭はあるっつーなら……どうにか村を襲うのが無理って思わせらんねえかなあと……あたしは思うのさ。どうせなら早いに越したことねえだろ?」
討伐出来るならば、古来人種が集結している機会は見逃せないだろう。
「……、そうやねえ……。ほな、村にタイヨーと一緒に行ってみたらええやん。くれぐれも死なんように、気ぃ配りぃや」
「え、良いのか?」
春風がウェンユェに言い返せば、漆黒の尾を撫でる手が止まり、目尻を痺れさせて。
「いうても無駄やろが、おどれら。ほなら保護者同伴で手を打つわ。あてはエンリェルとちゃうし、人でもあらへんからな。人の機微には寛容なつもりやけど?」
尾が波打つ。
「なら、じゃあ、行ってくる。どーせ切羽詰まってんだし、やれるだけはやりてぇし」
「む?」
「そうさな、あたしも気になる……竜だぜ? 竜ってあんまいねえんだよ、会いてぇんだよな」
少し期待に踊るヘルをにべたく見詰め、嘆息一つ。
「ほな、決まりや。ゼン、テス、サイ、あんさんらは拠点たたみぃ」
ぱんっぱんっと、軽快な手拍子。
「そりゃないぜぇお嬢!」
「ええ? おらたぢ出じだっかだよぉ?」
「こぅりゃ! 中々にぃえぐいのぅ!」
呼ばれた三人衆はうぇえっと抗議の声。折角簡易拠点を設置したのに、使用したのは一時間過ぎる程度となればそうもなろう。鋭い尾先の凄味に渋々、嫌そうに禿頭を撫でたり腹を叩いたり赤毛を掻くが、糸目から晒された翡翠には抵抗は無意味で。
「知らんわ、どあほ。時は金なり、口よりてぇ動かしぃや?」
「あいあい、やるぞおめぇら!」
「んだ、やるしがねぇ!」
「やったるどぉ!」
事態の急変に固まるモル・ルモの横を足早に三人衆が抜ける。
「あてらは海運都市、あんたらは村。急ぎなはれ、走りんさいな。時間はあんまないから、はよしぃや」
漆黒の尻尾にぐいぐいと春風が押される。
「突然だなほんとさぁ!」
「はっはっはっ、ま、気楽にいこうやハル坊。死にそうなら逃げるだけさね」
「む? くるのか? むぅ?」
各々の言葉に、勇者達の行動は始まる。
「商人やけど……あて、勇者やからねえ」
「俺は一応、勇者だしな……」
「勇者じゃなくとも請負官だからな、請け負うのが性だよ」
心底、分からない。モル・ルモは蒼の瞳を数回瞼で拭って。
「勇者……は、三人もいる? こなたの知る勇者は一人ぞ?」
そんな疑問にウェンユェは尻尾を何時の間にか消して、その両腕を組んだまま首を傾けた。苦笑い半分、愉快そうな顔半分だ。
「勇者は五人おるよ、戦えるんは三人……やろけどな」
と、答えた。