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死んでしまえばいい


 僕はシドルド神父やセルフちゃんとは行動を別にした。


 セルフちゃんとシドルド神父は他の教会への周知徹底、今後この悲劇(・・)が再発しないような対応の為に奔走している。僕はと言えば、教会の裏手にある井戸で頭から水を被っていた。


 滴る水は、驚く程に凍えていて指先が震えていた、気がする。鮮やかな眼前を隠す前髪を撫でて、井戸の脇に腰を休めた。朝から昼に移る今、気温は安定していたけれど、頭がどうにも茹だって冴えなかったからこうして物理的に頭を冷やしていた。傍らには、茶の髪をモブキャップに包み隠すアイリスさんがいる。どうも、シドルド神父は相当に信頼が厚い人のようだ。


 護衛であるアイリスさんがシドルド神父に任せ、セルフちゃんを放置するのは意外だった。彼女は、妙に静かな目で僕を見ている。教会の裏手は木陰となっていて、吹き抜ける爽やかな風は木の葉のざわめきを起こしていた。耳を澄ませば、少し遠くから聖歌が届く。


「……、勇者さま」


 雲の流れる空を見ていれば、聞き慣れない声。修道女の一人が、胸元で手を組み歩みを進めていた。僕に向かって近寄ると、数歩先に立ち止まる。髪先から滴る水がすっかり乾いて、冷えた僕は冷静に姿を観察する。セルフちゃんとは違って、白金の髪に若い葉のような瞳だ。そばかすのある姿からは可愛らしさより、愛らしさが強かった。


 何処か儚げな、何処か幼い姿はセルフちゃんに似ていた。普通、教会に入る人間は二種類に限られる。特筆して修道女は、その身、その心が清らかな事を望まれ親により入信する場合が多い。中世ヨーロッパでも、貴族の箱入り娘が修道女になる場合が多かったのだ。世間知らずで、大切に育てられた、箸より重い物を持った事がないような子達。


 もう一つは、自らの穢からの解脱、教会を駆け込み寺として利用するパターンだ。そう言った止事なき事情を抱えた者達が魂の安らぎや、純粋な衣食住を求め駆け込む場合、大方病的なまでに敬虔な信徒となる。今日、僕に近寄って来たのは前者の、貴族様だ。


 公爵様であるセルフちゃんの手前、修道女達は弁えて身を寄せては来なかったが、こうして一人になった途端にこれである。とは言え、鋭いアイリスさんの瞳に怯えて、若干遠くで立ち止まってはいた。勇者は、偉い人だ。憧れでもあり、切望でもあり、希望なのだろう。


 見えないものより、見える身近の誰かの方がよっぽど救いや助けになるのものだから。人間ってのは、見えないものの価値や意味を真に理解するのは不可能な生き物だから。


「勇者さま……どうか、わたしの告白を受け取ってほしいのです」


 告白。と、言った。


 修道女は、両膝を草木に突いて僕に組んだ手を向ける。それは、神へと祈る姿だった。乞い、縋る姿だ。震える唇に、落ち着かない声質に、寒くて寒くて仕方がなさそうな顔色に、僕は井戸に腰掛けたままに目を配る。


「お好きにどうぞ」


「ありがとう、ございます」


 頭を下げて。俯いたままに、その少女は言う。


「わたしは……罪を犯しました」


「ふうん」


「……わからないのです、わたしは……到底、許されるべきでないと思うのです」


「それで?」


「……はい、わたしは告白いたします。罪を、あかします。わたしは……」


 言葉を切って、緑の瞳に涙が浮かぶ。結んだ手に力が入って、爪が肉を裂いていた。血の滲む手を掲げて、彼女はそれでも言うのだ。


「わたしは……人を、殺めました」


「ふうん、なんで?」


「……わたしは、もう、たえられなかったッ!」


 蹲ると、彼女は祈ったままに力が加わる。手から垂れる赤が増えた。爪が肉を、肉に食い込んで流血しているのだ。


「たえられなかったんですッ! もうっ……ぜんぶ、おわりに、したがったッ!」


 草木が、赤に染まる。蹲り、腹の底から叫ぶ声は怒りや憎しみだけではなかった。それは、怖くて恐ろしくてどうにもならないような、幼い女の子の悲鳴なのだ。


「……あいつはッ! あいつはぁッ! わ、わたしは……もうっ……いやなんです……」


 慟哭は、消え入るように収まった。土下座のように、組んだ手を掲げて蹲る姿は痛々しい。枯れた声に、流れる涙すら流血に紛らわせている。怒りならば、こうもならない。悲しみならば、こうはならない。不条理に、不公平に、振り回されて破滅に至るように。


 彼女は、泣いていた。必死に押し殺して、下唇を噛み締めているような声で泣いていた。僕はそれでも、手は差し出さない。


「そう。でもね、君はただ何時も通り窓を拭いて、通常の規定通りにステンドグラスの角度を決めただけだろう?」


「わざとッ! わ、たしは知っていたッ! し、死んでしまえばいいと……わたしはっ……!」


「いいや、それは祈りであって……願いであって、君の罪じゃない」


 彼女はきっと、サガと呼ばれる男に。だから、彼女は怖くて仕方がなかった。過度な寝不足から、目の下は黒く、窶れてすら見える。泣き腫らした充血する瞳は、どうも定まらずにぐらぐらしている。


 でも、この事件は。


「君の行動は、死には直結してないよ。この数十年、なんだってこの教会は朝焼け(・・・)を知らなくなったか、だよ」


「それは……どういう……?」


 人差し指を立てる。脇に控えていたアイリスさんが、裏手の戸を見やっていた。軋む音に目をやれば、其処には何故かシドルド神父の姿。


「そうでしょう、シドルド神父」


「……、いやはや、勇者様は実に変わった人だ」


「どうして、神父様が……」


 苦笑いを浮かべて後ろ手に組んだままに、僕はそんなシドルド神父に淡々と述べる。


「彼女は彼を殺した犯人ではないと、僕は推測していました。同時に、朝焼けを知らぬ筈がない貴方の言動がずっと気に掛かっていました。だってそうでしょう? この数百年、この教会では朝焼けの被害が零だったんですよ。正しく、過去から現在までを引き継いでいる教会なんです」


「ふむ……なるほど、しかし……なぜ、事故ではないとお考えで?」


「最初に言ったでしょう、犯人がいる。殺意を携えた誰かがいる、毎朝祈る体裁(・・・・)で通う被害者を、どうにか殺してやろう(・・・・・・)とする人がいた。僕は、事件現場を見て、彼女を先ず疑った。でも、そうすると不自然だった」


「不自然とは?」


 アイリスさんが不思議そうに言った。僕はなるべく簡潔に返す。


「先客は君達だろ?」


「!」


「そう、つまり態々……彼が祈る際に、ステンドグラスの角度を変えた人物がいる。それはもう、貴方しかいないでしょう。シドルド神父」


「そんな……神父様っ……」


 祈る手の流血は、罪や罰だろうか。いいや、それは意味であって形ではない。


「敵いませんな……、あの者は……そうですな。死んでしまえばいい、……人間でした」


 思考を打ち切る、多分僕は凄く冷たい顔なのだろう。祈り狼狽える修道女は、僕を見上げると脊髄反射的に目を背けたから。


「否定はしませんよ、僕は。まあ、こんな女の子をここまで追い込むんだから、相当だ」


 足を組み直す。見下ろす先では、怯える哀れで愚かな女の子。酷く、虫唾が走る気持ちを噛み締めて殺す。一息だけ逃がす。


 「貴方は、彼を殺した。確かな殺意で、ステンドグラスの向きを変えてね。でもそれは決して褒められた行いなんかじゃあないけれど、少なくとも一人は助かり救われたんだろ? そう言うつもりなんだろ?」


 シドルド神父を、頭を傾けて見た。


「でも、最初から間違えていた、って釘を刺すし角を立てるよ。敢えて、じゃない、狙って、意図して指摘する。僕はその場の空気(・・・・・・)とか許容する風潮(・・・・・・)が大嫌いだ。皆で間違えれば正解になるような、どうしようもない世界ではあるけれどね」


 シドルド神父の青い瞳は、静かだった。


「……僕の世界には『函蓋』って言葉がある。容器と、容器を閉じる物、これの役割や用途は一致するだろう? だけどね、だから最初(・・)から間違えてんだよ」


「し、神父様は……わたしの、わたしの……」


 見てやれば、黙った。


「一から十まで素晴らしいね、称賛に値する、良くやった、悪しき逆徒は滅んだのだ。魔王を倒した勇者はさぞかし素晴らしいんだろう? 間違いを暴いた奴はみなに褒められるんだろ? なあ、そうだよな?(・・・・・・) お前らの理屈は。……まあ、全部間違えてはいるけれど」


 それは悪い事だろうか、僕には分からない。区別が出来るだけで。


「救われたのかな、助かったのかな、それは真に、本当に、本当の本当の意味でさ。彼女の罪や罰の重みは、与えた貴方は、どう考える? どう思ってんだ?」


「……、そうですな」


「僕はだから、許せない。許す訳ないだろう、人を殺しておいて、どの面下げたらいけしゃあしゃあに……」


 言い切る前には胸倉を掴まれていた、それは本当に意外にもアイリスさんに。だから、溜息を吐いた。長く、細く、ゆっくりと。手に触れると、逡巡した目が伏せられた。


「もう、しわけありません」


 自身に驚いているような素振りで手を離した、僕は目だけ向けて。


「僕はさ、優しくなんかないんだ。だから、いや、だけど……そうだな、考えてくれたら良いな。シドルド神父、僕は人殺しなんて死んでしまえと思うけれど、貴方は、誇って良い。最初から全部間違えていたけれど、函と蓋に違いはないからさ……」


 そうして、井戸から腰を離した。これからどうするのかとか、僕は興味がない。どうなろうが知った事じゃない。


「ほんと、碌でもねえな……」


 独りごちる、そして、僕は歩く。風変わりな街を、人々の営みの合間を縫うように、何時だってそうやって生きている。


 終わりなんざない、そんなちんけな言葉で片付く現実はそれこそ特例で例外で異常で怪奇なものだ。有り触れた、煮え切らない話ばかり。それが現実、紙に描かれる物語なんかじゃないんだから都合なんて大概螺曲がっているものだ。それは悪い事だろうか、悲しい事だろうか、僕はそうは思わない。


 終わったり始まったり、明確な節目なんざ気持ちが悪いだろうさ。


 人間、そんなもんだ。


 本当に、そんなもんだ。


 何時もより少しだけ暑い陽射しを見上げて、僕はポケットに手を押し込んだ。

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