騎士と僕
僕と言えば自室か図書館かレイちゃんに会いに行ったりか、そんな自堕落な日々を過ごしていた。文官から時折お手伝いを頼まれはするし、娘に会う為レイちゃんのいる旧資料塔に足を運ぶセルブさんともそれなりに話す。
夜になれば自室の戸締まりをしたのにレイちゃんが遊びに来て、最近は黒き姫を伴っていて勘弁して欲しかった。既にセルフちゃんからずっと付き纏われていて読書とか以前に、そんな建設的な行動の前に、独りで自虐して後悔に苛まれる時間すらない。
レイちゃんに会いに行けばそれなりに静かで尊重した時間を得られたのだが、クランを抜け出しツェールの様子を見に来るハバラちゃんとエンカウントすると殊更に厄介になるのだ。角の件は流れておらず、未だに幼子へ求婚した変質者扱いである。本当に、勘弁してくれないかな。
今日はどうしたものか、と僕は朝早くからベッドに転がり見慣れた天井の模様を辿る。朝日の眩しさに苛々半分、起き上がったり寝転んだりもせずに頭を手に預けていた。昨日は朝からセルフちゃん、昼には王様とセルブさん、夕方には黒姫とレイちゃん、夜にはアイリスさんが来た。
正直嬉しかったけれど、なんでもなかったしなにも起きなかった。唯の手紙の配達だった。どうやら貴族からの招待や挨拶である場合が多いらしく、普段ならセルブさんやザルツ王が止めたり確認したりで弾く代物だったけれど、今回の手紙は渡されたのが義理堅いアイリスさんであった為、態々経緯を掻い摘みながら僕に渡しに来たのだ。
確かに朝や昼に渡す機会がなかったな、とは思う。内容は未だ確認していないけれど。まあ、良いやとちょっと離れた机に投げていた。確認しようかなとも考えたが、どうにも億劫でベッドの上から動きたくない。体内時計的には小一時間もすれば、シスターにジョブチェンジしたセルフちゃんが突撃し教会に連行されるので、なるだけ身体を休めたい。無論、そんな理屈は方便ではあったけれども。
損な訳で、そんなこんなで、僕は今忙しくしているのだ。天井の模様を観察する、そんな使命があるのだ。記憶に焼き付きつつあるけれども、目を閉じても分かるけれども。
不意に、僕の鼓膜が痛みを訴える。なんなら、扉から舞い込む衝撃波にすら感じるノックにベッドから転げ落ちそうになった。朝から叩き付けるしては傍迷惑な、金輪際関わりたくない無礼で非礼極まる輩だ。普段の僕ならば無視し、取り敢えず思考に意識を傾け時間を潰すのだけれど。
「なんて迷惑な……」
扉の戸締りをしていないし、狸寝入りするにしても此処暫くは通用していないのに気付き、思い留まって足踏みする。そして値踏みする。効率の良い選択肢は、やはり無視に限るのだけれど。
セルフちゃんはどれだけ僕に怒ったりしても、必ず、こんな事はしない。急用があってもだ、それは僕がどうにもならない困った人間だと理解し受け入れているからだろうけれど、別段セルフちゃんは根が悪い子でもなくば聖女様であらせられるのだから当たり前に善行を積む偉い子なのだけど。
当たり前を当たり前に実行する人間って言うのは、当たり前に少ないし、当たり前って言うのは理想であって現実ではないものだ。人間、立場も違えば視座も違うものだし、当たり前って奴は誰かに押し付けた途端に理想から恐喝に様変わりするものだ。理想を抱えるのは構わない、それが個人の内に収まるのなら、さぞかし美しく気高いのだろう。
その点、セルフちゃんは僕の素行に口出しはしなかった、呆れて、溜息を吐き、眉間を押さえ、笑顔を歪めて、目尻を痙攣させて、笑窪が痺れて、尚、押し付けようとはしなかった。
この前とか、扉の前で一時間位は放置してて、もういないだろうと僕が意気揚々と開け放った扉で顔面を打ち付け、鼻血を吹かせてしまった時は流石にちょっとブチギレてはいたけれど。
小さな鉄拳が震えてはいたし、聖女が鼻血を出す絵面は滑稽ではあったけれど、それでも素行の悪さに口出しはしなかった。勇者であるから、よりは、セルフちゃんが損な性格をしているだけではあるけれども。
「出てこいッ! 白き勇者ッ! 貴様ッ! 約束を違えるとはなんたる無礼者かッ!」
思考がぐちゃぐちゃになった。
身に覚えがないな、本当に全くない。
声からして女性だけれど、僕に約束らしき記憶はない。誰かの代打だとしても、僕を叱るような相手も身に覚えがない。
恨まれる覚えも、今の所はない筈だけれど。
どうも、当たり前って奴を僕は見落としたらしい。人間生きていれば知らぬままに誰かを殺すものだ、知らないってのは幸せだし、救いにすらなるものだから。
当たり前に翻弄され、現在困窮している。もしや、と机にある手紙を破く。文章に目を走らせれば、僕が陥った事態に納得と理解が出来た。
納得した時には、外に向かって開く筈の扉が内に向かって開いた。蝶番らしき金属が横を抜け、背後の魔石照明を粉砕した。破片が散らばり、甲高い音がしたか。扉は、白銀の鎧を纏う女に壊されてしまった。
綺麗な床に叩き伏せる木製の扉を観察しつつ、僕は手紙を片手に相手を見やる。僕より背は低いが、手紙の主であるのは間違いない。
「えっと、初めまして、騎士副団長さん」
「貴様ぁッ!」
ずかずかと、扉を踏み付ける度に重厚な金属が擦れる音が響く。
剣を抜き放ちそうな剣幕で、僕に詰め寄れば、胸倉に手が伸びた。
掴まれるのは嫌だから、普通に身を引く。怒りが加速して、ぐっと伸びた腕に捕まった。首を絞める女に、僕は、当たり前にも不機嫌になる。
朝から本当に、本当に朝から、朝からさあ。良い加減にしねえと切れそうだ。思考の乱れを感じて、血液の温度をなんとか落とす事に注視する。
僕は冷淡で平坦であるのに努める、激情に染まり易く、冷めるのも早いと自覚しているからだ。
アンガーマネジメントと呼ばれるものの中には、憤りを感じたら三秒間相手を殺すつもりで殺す手段を考えろって愉快な言葉がある。
必要な備品をリストにする。実際に相手を殺すのに適切な場所と時間を考える、そして、殺した後の死体の扱いも考えるのだ。そうすれば自然に面倒になる、面倒な気持ちが沸かなかったらそれは天啓だ、天命だ、天誅だ、実行すべきだと知り合いは言っていた。多分、参考にしたら駄目な部類のアンガーマネジメントだと、熟思う。
完全犯罪は存在しない、しかし、未解決事件なら僕にだって可能だろうし。なにより僕は、その頭が可笑しいアンガーマネジメントの否定派だから。此処は親友の意見である信じる者は救われないし助からないけど信じる限りは救われてるし助かるって問答を活用しよう。
うわ、この人、年上のお姉さんだ!
違うか?
いや、こう言う理屈だった筈だ。間違いない、僕は悪くない。
「貴様ぁっ! 何故っ! 時刻も守らんのだっ!」
「それは、ほら、知らなかったんで」
「もうよいッ! 剣を取れッ、此処にて貴様の真意見極めてくれるッ!」
「え、嫌ですけど。なんか、こう、決闘をするって私用は理解しますけど強制力はないしさ……」
ざっと法律を学んだ僕だからこそ騎士団の副団長の意見には否定的だ。そもそもの話をするならば決闘を挑まれる心当たりもないし、決闘を行った際の利益もない。無駄に怪我をしてセルフちゃんに呆れられるのも嫌だし、この人の目はどうも僕に殺意があるようにも思える。命の保証もない上に、利もなくば、理由すらない。
よって、僕は決闘の申し出を拒絶する。僕はアガレス王国の法律上、勇者位と言う剣聖と凡そ同じ地位が付与されているので、僕に対する強制権は王のみとなっている。無論、法律の改正があったので法律が一番上にあるのだから好き勝手とはならないのだけれども、騎士団の副団長が目上である僕に取る言動にしては些か適切であるとは思いようもなく。
はてさて、胸倉を鷲掴み恐喝するのは構わないが、第三者に見られれば飛ぶのは年上のお姉さんである首であるで、仕方なく頭を動かす。遣る方ない、年上のお姉さんは僕の正義である。
「それでも貴様は勇者かッ!?」
「否定したんだけどね、皆はそう言ってるかな」
アガレス王国の騎士団の中には勇者を妬み恨む者がいるようで、剣聖に並ぶと言われつつも勇者とは実績がないから疎み妬むのだ。気持ちは非常に分かるのだけれど、勇者とは基本味方であるのに何故忌避するのだろうか。答えは単純、騎士達は矜持の塊だ。ぽっと出の勇者にはいそうですかと引き下がるようならば、竜退治に赴くのだってもっと早くから行動したのだろう。
と言うのも彼等騎士団はクランとの共闘や傭兵の招集を嫌うからだ。堅物と言うべきか、愚者と罵るべきか難際であるけれど、僕に対し当たりが強いのは他の勇者とは違ってなにもしていないからである。ぱっと見は毎日ぐーたらして偶に文官みたいに仕事して、基本自室に籠もるか女の子に会いに行くばかり。僕は傍目だと最悪なのかも知れない、実際そうだし否定材料がない。
ならば黒き勇者はどうなっているのだろうか、あの人こそなにもしていないように思う。でもあの子の場合振る舞いや立ち回りからして高貴さが滲むので、軽々しく扱えないと思わされる空気がある。しかも、アガレス王すらちゃっかりあの姫君を敬っている節がある。異世界の女王とは凄いものである、同じ筈なのに僕は恐喝され姫君は敬意を払われているのだから。
「ええいッ! 理屈はどうでもよいっ! 貴様の腐り切った性根、私が叩き直してやるッ!」
「あー、……困ったな」
否定出来ないのが辛いけれど、さてどうし。ん。待て、力強い。僕持ち上がって。いやいや、待て待て待て。
「庭に出ろッ!」
僕は、空を飛んだ。
僕は、空を飛んでいる。
僕が、空を飛んでいた。
背中から窓を突き破ったのだ。
僕の部屋が位置する場所は、城の内にある庭園にも面していた。木や花、王家に連なる人々が談笑する為のテラス、噴水もある非常に豪華な庭園だ。
庭師とは旧資料塔に行き来する中で顔見知りになっていた、作業中だろう庭師、確か名前は。そうだ、ジェリコのおじいさんと目が合った。あんぐりと口を開けている、頭に被った帽子がズレている。
身体がくるくると回っている。
ガラスの破片が、澄み渡る青空を反射してちょっと綺麗だった。
目が回る、事はなかったけれど。落下までが長い、なにせ僕の自室は四階に相当する高さにあった。下が芝生や花壇にせよ、死ぬ可能性がある高所なのは間違いない。一応、公的記録上人間は十数メートルからの落下でも死ななかったと言うし、物理計算したとして僕の加速された質量を足二本で支えた時に発生する衝撃は。
駄目だな、まともに降りれば骨折する。空挺部隊で採用される五点接地ならば五から十位の高さであれば無事に済むらしいし、そうしなければならない。幸いな事に僕は、幸いかはちょっと違うが、今回だけは感謝すべきだろう技術を会得している。
海外移住の際に習得させられたので、四階相当でもなんとか無傷で済むだろう。回転する身体を制御しつつ、落下地点を確認する。芝生、障害物になりそうな石や木はない。足先に集中。足が、地面に。
するり、とは行かなったが、芝生に転がって勢いを流す。数秒間、瞬く。庭師のジェリコおじいさんが駆け寄る姿が遠目に見えるが、身体に吐く草を払いつつ身を擡げれば、既に白銀の鎧が太陽を跳ね返し輝いているではないか。
仁王立ちで、僕の前に立つお姉さん。金髪と碧眼、アガレス王国の民に多い姿だ。右目下にある泣き黒子が特徴的な、ツンとした美人である。アイリスさんよりは柔らかいが、怒りに染まった騎士様に愛想笑いは通じそうにない。ジェリコのおじいさんが騎士様の登場に足を止め、心配そうにしていたので軽く手を振りつつ安否を知らせる。
「……なんだその、情けない姿は」
お前まじでふざけるなよ。五点接地出来る僕じゃなかったら。
ああ、いや、女傑とか普通に着地しそうだな、直立で。
ああ、いやでもセルフちゃんや黒き姫君じゃあ死ぬ可能性だってあるだろう。
ああ、いや、そうでもないかも知れないな。
僕が怪我をしていないのは完璧な五点接地もあるかも知れないけれど、この真っ白な軍服みたいな洗礼服にも要因がある。要人用対物理魔法防御の奇跡が施された一級品で、特注の中でもぶっち切りの代物だ。金貨にすると数百枚、国宝級だとセルフちゃんはドヤ顔で言っていた。教会の誇る戦略級戦闘衣服、らしい。顔面への防備はないのでセルフちゃんとか鼻血を出しているけれど、恐らくこの衣服であれば背中から落ちても怪我はしない。
なにせ興味本位で果物用のナイフで刺したら、ナイフが折れたし、痛みや衝撃も僕にはなかった。足元の衝撃は回避出来なさそうだから結局情けない着地になりそうだけれども。となればやはり騎士様の言説には異を唱えるべきだろうか、それとも僕の非力さを恨むべきか。人間なんだから仕方がないだろう、と開き直ろうにも騎士様だって一応人間だ。
僕は魔力とかないから分からないけれど、魔力がある人間は頑丈で強靭なものらしいし。これはレイちゃんがぼやいていたから確かだ、僕は零だからこの世界の住人みたく強靭なる肉体は手に入りようがないらしい。魔力がないから魔力を視認出来てもいないらしいから、逆にレイちゃんの撒き散らしているだろう魔力にも酔ったりしないのだろうけれども。なんとなく五感には触れたりするけれど、ヘルさんとかも首を傾げる位には僕に縁がない代物だ。
ともかく、剣を抜き放なたんとする騎士様を見やって、さてどうしようかなとやや他人事に思考を修正する。座ったままも格好が付かないので、気力はないが立ち上がる。
「あのさ、本当になんで決闘なの? 決闘なんて屈辱を晴らすとかさ、もっと慎重で神聖なものじゃなかったっけ?」
騎士とは、貴族でもある。少なくともアガレス王国の騎士は貴族出のエリートが多く、貴族の秩序が反映されているとも言えよう。だからこそ、決闘とはフランクな話題でもないし場を確り整えて立会人や両者の合意の下で管理されるべきものだ。それ全てを無視し決闘をするなんざ、野盗の類と同義であるし美的感性も疑われたり品位も下がるのだけれど、全部無視し強行するとは一体僕になんの恨みがあるのだろう。
親殺した位の恨みかな。うーん。いやなら顔を合わせた瞬間に袈裟斬りも致し方あるまい。あの顔からするとペット殺された位だな。ふむ。
「貴様は……勇者ではない。あの日、現れるべきだった勇者ではない。故に、私は……王国の民を守らねばならんッ」
白銀の剣は手入れが行き届き、濁りのない切っ先は美しくもあった。僕に向けていなければ。騎士様は両手で剣を持ち、顔の横に構える。油断もなくば隙もなく、下手な動きをすれば一刀で斬り伏せる凄味を感じる。流れる微風に乗った花の香りを思考の隅に添え、僕はどうしたものかと思案を回す。断るには現状が差し迫っているし、拒絶するには事態が捻じれている。
どうやら僕は八方塞がりであるらしい、二進も三進も行かないとは正にこれだ。騎士様曰く、僕は勇者ではないらしいし、其処は同意するけれど。悪意もなければ害意もないし、僕なんかが国の転覆を企てようもないのだけれども、騎士様には問答は無用そうでもある。
「構えろ、王国に仇なす者であれば剣に映る、故に私は問おう。貴様が勇者であるかを」
「……あっそう」
剣の輝きに比例して、細められた眼光が突き刺さる。王道に構えられた剣を手に、騎士は宣言する。
「私は、アガレス王国近衛騎士団所属、クレヴィア・シトラウス。いざ、尋常に……勝負」
「いやいやいやいや!」
目で見て、考えて。鼻先に振るわれた剣に、半歩身を引く。下がらなければ斬られていた、確実に、如実に。迫る命の危機は淡白で切実だ。洒落にもならない、飾りすらなく殺意を塗り固めた鋼が空気を割く。上から、横から、変えて、突き刺す構え。身を、前にして。
「ッ! 正気か貴様ッ!」
加速する前の剣先に腹を押し当てる、やはり、加速していなければ剣は洗礼服を貫けないようだ。身を押せば自ずと体勢に無理が出る、クレヴィアさんの意表を突いたが流石は騎士。直ぐに持ち直し、僕を蹴って後方に飛んだ。
鎧を纏っているとは思えない身軽さだ。ハバラちゃんの方がうろちょろしているけれども、中々に侮れない。見事に構えられた剣、息をゆっくり長く吐いている。僕もそれに応えるように、昔の感覚に意識を変える。
効率的に、能率的に、淡々と粛々と。
海外にいた時の僕、親友に会う前の僕、誰とも知り合わなかった頃の僕、常軌を逸していた僕に、近付いた。
もやもやしていた気分が晴れて、錆びて、冷えて、凍る。
身を正し、半歩片足を引く。
腕は構えない、無駄だから。
腰は落とさない、必要ない。
殺す事に、特別な力はなにもなくて良い。
僕は、そう、欠落している。
激しい感情もない。
豊かな日々もない。
あるのは、単に決まり切った毎日。
形と色だけ。それに価値はなく、それに意味はない。
僕は、何時だって、そうだった。
「貴様……武芸の心得があるのか?」
「いいや? 違うな、僕はそんなんじゃねえさ」
「……、ふん」
僕は、騎士の踏み込みに反応する。速く、速く、鋭く、無駄なく必要なく、切っ掛けは要らない。この行為に意味はないし価値もない、僕はクレヴィア・シトラウスの足を踏んでいた。踏み込む間際に先んじて。力が入る予兆を察知して、推測して、予測して、潰す。行動とは欠点だ、こんな風に行動を踏めばどうにもならなくなる。
「なっ!? くっ?!」
驚く彼女に、隙を見た。
剣を脇に抱える。洗礼服なら斬られない。
次に、剣を奪い首に捻り込めば。
縺れるように転がって、クレヴィアの真っ青に透き通る瞳と目線が重なった。何秒か経った。昔の僕は、沈む。今の僕は、浮かぶ。昂ぶる事もなく、酷く寒気がする。とても、疲れた気がする。汗が額に滲むのは緊張からではない、筈だ。頬を流れた汗が、一つ。白銀の鎧に一滴落ちる。
「……まあ、納得はしないだろうけどさ。僕の勝ちで良いかな?」
「……なんのつもりだ」
剣を奪い首筋に当てた僕に、クレヴィアさんは心底嫌そうに言った。大きな溜息が出そうになったが、なんとか耐えて苦く笑う。
「年上のお姉さんが好きなんだよね、僕は。それに、勇者らしくないだろ?」
腕を膝で押さえ付け、首筋に剣を添えたまま僕は宣った。強気な瞳に、数刻色々思い出したりして。肩を落とす。どうしてこう、愚直なのだうか。
「くっ……辱めなぞ受けぬッ! 私を殺せッ!」
「……え、いや人生で一度は聞いてみたい台詞上位かも……って、感動している場合じゃないな。あのさ、僕は勇者で君は騎士だ、敵でもないし味方で、しかも女性だよ? 何処に年上系お姉さんを殺す勇者がいるんだ?」
有り得ないね、全く。
本当に朝からなんだってこうなるのか。
剣を小脇に捨て、身体を解放する。ポケットに手を入れ、起き上がらないクレヴィアを見下ろした。
「勘違いするのは好きにして良いよ、自由だから。でも、君の理想を僕に押し付けるなら僕だって抵抗はする。君が拳で来るなら僕だって拳を握るし、君が対話を望むなら紅茶でも淹れるさ」
「…………」
クレヴィアさんは答えない、無理もない。
「君にとって、僕はなんなのかは知らないけれどね。少なくとも、僕は年上のお姉さんには甘い男だぜ」
びしっと決め顔。睨まれたままに、踵を返す。本当、朝から勘弁して欲しい。もう、寝たい。寝たいけど、セルフちゃんがそろそろ襲来する。辛い、ああ、めんどくせえ。
どうやって壊された窓と扉を言い訳したものかと考えながら、僕は今日だって何処か他人事に風を切る。所詮は笑い話、僕の戒め、僕の恥晒しだったから。女の子を組み伏せて勝ち誇る程、僕は終わってはいないし、それで茹だるような憂鬱が晴れるような人間でもないのだ。
精一杯の不満や、滲む申し訳なさに苛まれて嫌になる。だから、クレヴィアさんから逃げるように足も速くなった。心配そうなジェリコじいさんに会釈しつつ、僕は去る。これ以上、独りぼっちの時間が奪われてなるものかと、固く強く、決意するのである。
昔と今に違いはないなんて、僕は、信じたくない。