王 文月
ワン・ウェンユェと言う竜がいる。人ではない、ものの人化の術は商売の為に磨いた。
「ほな、手筈通り行くでタイヨー。なんやねん、その顔、緊張……って柄でもないやろ。魔物相手に華麗な十八連勝した実力者やろに、なんならおまじないしたろか? まず、指を折ってな……で、折れた指が治る時間を当てるおまじないや。あてらの世界で流行ってん」
「……え、やだ、痛そうだし」
作り上げられた肉体に瑕疵なぞはなく、華やかで何処か毒を含む美人だと自らを評する。翡翠で化粧した目元を、手鏡で確認する。これより大事な商談がある、魔石取引承認書は七転八倒てんやわんやとあったが、なんとか手にした。手にある羊皮紙はそれなりに質が良いが、ウェンユェの世界では紙や魔法記述書が支流であった。最も信頼し信用可能なのは魔法記述書であるので、丸めれた羊皮紙は不安になる。
竜は誓いは死んででも果たすが、嘘は好き放題吐く。ウェンユェは竜らしく嘘が大好きで、他者を踏み台として、糧として見做す悪癖がある。巻き込まれているのは決まって身近に関わる人々で、今日に限って言えばハルカゼタイヨーが被害者となる。辟易した顔、不満があるが口には出さない我慢強さ、そんな姿を見て彼女はあらかわええと微笑む。
微笑まれては彼も気不味くて目を反らし、強面を腑抜けさせる。面倒なのは仕方がない、納得はしたし説明もあった。妻の買い物に付き合う夫の気持ち、或いは仏壇から拝む先祖の気分であろう。
「どうせ言ってもムダだろーけど、ウェンってよーしゃなくね?」
「じゃあどないすんねん、あてらに喧嘩売った弱小クランは野放しかいな? 儲からんやろ? 今なら主力五人がなかば引退、リーダーおらへんのに魔石取引認可されとる組織で、ノウハウがある事務方しかほぼ機能しとらんと来た」
美人の笑顔は猛毒だ、蠱毒から這い出た悪夢である。
「……やり口が薄汚いって、忘れてね? 俺等は勇者なんだぜ……?」
宥める、試みる。
「いややわぁ、あては実働部隊がほぼおらんで潰れるしかないクランを、助けたるって立ち上がった聖者やで。勿体ないやろ、食べなはるなら皿まで食うたるんが粋やろに」
しくじる。ワンセット。
「勇者だぜ……忘れちゃってない?」
ウェンユェの鈴を転がした笑いにタイヨーは目を細めれば、不良特有の圧力が前面に押し出され道行く人々が数歩距離を置く。のを、眼中から外し気付かぬまま。
「実働部隊がって言うの俺だろ? 死ぬくね? ムッキムキだったじゃんあのおっさんたち。それに、クラン入ってんだけど。アイリスさんがいたとこにだぜ? すっげー良いひとたちだぜ? お菓子くれるもん」
「あの三人か、あれは事務方やけどな……。ほなら、あては泣き寝入りすればええんか? 宰相のセルブはんに頼んで潰して貰うんがええか? 裁判して金貰うたればええんか? ちゃうよな、シッドテアンにおってクランを掛け持ちするんが悪いやろなんて言われんわ」
手鏡で肩を突かれ、傍らのタイヨーは唸る。
「……いやあフツーに酷くね。掛け持ちって両立してこそじゃん、シッドテアンは自由主義っぽいけどさぁ。俺、魔物退治舐めてたもん、森にこもるんだぜ?」
「せやかて三日くらいやん、なんや小さい魔石ぎょーさん集めてはるけど、ドラゴンいけや」
「ばっかじゃねえの?」
手鏡チョップを華麗に躱した。
「いけるやろ、タイヨーなら。ドミナント? とか、プレデター? とか、七天魔? とか? 天帝? なんやごっつぅ異名で馳せたプロゲーマー? ちゅうどえらい職業や言うてはったやろ」
「ゲームの話だし」
「でも、出せるんやろ?」
「……なあなあ、ちょっと見ててくれ」
「おん、ええで」
了承に頷くとタイヨーはその場から駆けて一歩目で急加速した。途端、空中に跳ねる。右に飛んだのに、空中でぐねり左に曲がる。足が着いたか、今度は歪に跳ねるスーパーボールのようにランダムな軌道で八の字を描く。
ぐねぐねと右に左に、非常に気持ちの悪く、物理法則を歪めた動きを暫くしていた。非常に見ていて不快だ、なのだが、ウェンユェの笑点に突き刺さり美人らしからぬ吹き出し笑いをした。
「キモいよね!? 兎跳び! 前進の加速を左右に維持して、減速する前に跳ねて空中でベクトルを曲げてんだぜ!?」
ぐにゃりぐにゃり、直角、殆ど足が着いていないのに走る速度で飛び跳ねる気色悪い生物がいた。
腹を押さえ、笑いそうなのを堪える美人に、向き直り春風太陽は自信たっぷりに親指を立てながら飛び跳ねる。トドメである。
「どうこれ!? キモくね? ムービング! レレレ撃ちじゃなくて、テクニックとしては兎跳びの応用とかなんだけど、再現出来んだぜ? くっそキモくて俺も笑えるだろ?!」
がっくんがっくん、物理法則が騙される。右に飛ぶのに左に後ろに曲がる。タイヨーの経験したゲームのテクニックだった。
「どないなっとんねん、キモ過ぎやろっ。ふぐぅ、あかん、辛い、人目あるん忘れとるんもかわええやっちゃなぁ! あっふっ!」
奇っ怪な動きをする不良は王都で疎外感を初めて覚えた。生理的に受け付けない動きである自覚はあったが、やり込んだゲームでは右手と左手に馴染んだものだった。気持ちが悪くなるかと考えたが一人称なのは違いないので、思ったより馴染み深い景色である。
「一発芸にしようかな?!」
ぎゅいんぎゅいんとウェンユェを中心に、物凄い速さで周回する気色悪い生物は言った。
「えらいごきげんやね? なんかええことあったんかいな?」
ウェンユェ史上最も恐ろしい声質だった。真顔なので、タイヨーも黙り、スライディングしつつ停止した。キビキビとズボンの土を払うと傍ら、定位置に戻った。
「話を戻そーか。んで? クラン乗っ取りはわかっけどよ、俺しかいねえのどうなん?」
「せやねえ」
相槌は曖昧で、ウェンユェが手鏡を服の中に仕舞い込む。目線の先には、弱小クランの本拠地があった。魔物退治を生業に細々と薬草や他都市までの護衛を兼任する彼等、セグナンスクランは繁盛しているようには見えない。当然、血生臭い職業からか大通りから外れた場所に拠点があり、門に近い場所ではあるものの人通りは少ない。
木造家屋は居酒屋を改修したものであるのか、街並みからは浮いてはいない。開かれた扉を覗けば、奧にカウンターが伺える。繁盛はしてないが、三人程の男性が項垂れて会話をしていた。タイヨーは尻込み足が竦むが、ウェンユェは強気に彼を引く。ずんずんとお構いなしに扉を潜れば、昼間から酒を注ぐグラスを片手に老いた中年男性が振り向いた。腰にはそれぞれの武器を装備し、荒くれ者な見た目ながら目線には知性がチラつく。
怒鳴りそうな見た目とは裏腹にウェンユェの姿を見ると罰が悪いのか、舌打ちをして大仰に三人は面を合わせる。交わされる小声もなんのその、カウンター席にまで進めた歩はカウンターに腰を預けるに至る。
流石にこうも近寄られては無視するのも不可能なので、男達は酒片手に睨みを利かせた。
「おう、セグナンスになんの用だ。うちは今なんもやってねえぞ、護衛にしろ薬草にしろ、やっちゃあいねえからよ。最近主力が軒並み引退しちまった、追い討ちで……今季の魔石集積ノルマもこなせちゃあいねえのさ」
魔石集積は義務であり、魔石取引認可状が有効である為に必要な選別だ。クランを維持する人材、魔石を取引する人材、集積する人材、一つの企業としての権利は認可がなければ行えない。これは国が管理する貴重な資源であり、危険な代物であるからだ。違法な取引は尽きないものだが、彼等セグナンスクランは最後に集積していた魔石取引を終えてからと言うものなにも行動してはいない。
新規で雇うとしても人材はいないのだ、いたとして傭兵崩れかなかば野盗の類ばかり。魔石を集める為に安定した狩りを行える訳でもなくば、教育だけで納期には間に合わない。三人は相談した結果、納期を境にクランを畳む決意をしていたのだ。
「つまらん面しとるな、まあええ。あては客やない、商談にきとるからな」
「ああ? 今更小魔石を集めても足んねえぞ。王都近辺はシッドテアンの縄張りだ、いたずらに触りゃ剣聖の怒りに触れるぜ。だから、最低でも隣の街境まで足を運ばなきゃなんねーしな。ま、精々今からじゃあノルマの半分もいかねえよ」
酒を飲み干して、どんとカウンターに置く。不甲斐ないとばかりに、憤りを隠せずにいた。
「あんさんらは店を畳む、それで、残された主力は誰が面倒みるんかいな?」
さぞ悪辣な表情であるだろう、男三人は酒の臭いを鼻息に混ぜて掴みかかろうとばかりに。だが、寸前で三人は酒を入れたジョッキを見て、なにかを思い出したのかすごすごと椅子に腰を落ち着けた。
「この前あった魔石取引を全部回しても、一年ってとこだな。教会もタダじゃねえ……奇跡代もばかにならねえしよぅ。おれらだって、分かってんだ。でもよぉ、なぁ?」
スキンヘッドの中年は隣の小太りながら筋骨隆々な男性に話題を渡す、白い顎髭を触る中年は頷いた。
「そうだなぁ、おれらは前線引退した身だしよ。魔物に斬った張った出来る人材もいやしねえのよ。ここいらじゃ魔物退治って職は不人気だしよ?」
「そうなのか? でも、シッドテアンとかカフェンがあるじゃねえか。子供人気凄いんだろ、シッドテアンは」
タイヨーが指摘すれば、ズバリそれだと三人が指差した。
「そうさ、シッドテアンは人気だろうよ。でもあそこは紹介がなけりゃ入れねえし、所属してんのも元騎士隊長とかばっかだぞ? うちみてーな傭兵崩れや野盗崩れなんざ比べらんねえぞ」
顎髭を撫でる中年はやってられるかとばかりである、タイヨーは夢がないなと独りごちる。
「んだんだ、ちげぇね。おらも王都に来たっけどよ、シルトのがよっぽどよがったろうよぅ。王都にちけえとこはシッドテアンがおるし、憧れてクラン創っでも、現実はかれえもんだぁ。あいつら馬鹿だけど、体力はあっだもんなぁ?」
酒が入ってか呂律の怪しい赤髪をした中年、確か杖を使っていた人物である。腰には木製らしき材質の良さそうな杖を帯びていた。
「そうさな、あの馬鹿共が起きんなら仕方ねえだろう。おれらは事務なんだしよう、取引とか出来ても物がねえときた。こりゃもう終いだな」
がっはっはっ、と豪快に笑ったスキンヘッド。呼応して小太り、赤髪も笑う。パン、と乾いた炸裂音が笑い声を打ち消した。ウェンユェがカウンターに肘を預け、蠱惑的な瞳を晒しているではないか。本能を撫でる魅惑に誰かの生唾を飲み込む音が、妙に響く。
「話は聞かせてもろたで兄弟。なんやごっつぅ大変やったんやろう? あてええことしたるさかい、あんさんらセグナンスクラン、その全てをあてに売る気はないか? この飴舐めたらハッピーでピースやで」
見せびらかすのは羊皮紙、宰相の徽章が刻まれた最上位書類。魔石取引及びクラン経営認可状だ。目を張る三人は、首を捻る。
「ハッピー? ピース? なんだそれ、おらしらんど」
「本物、だな、ちげえねえ。よーとったな、今の時期新興クランは認めないって宣言されてたろうに」
「んだな、アガレスは管理下に置きてえから弱小解体して軍部に魔石専門を作るって触れ込みだ。あんた、何者だ?」
「あては商いの娘やて。ハッピー、ピースはタイヨーんとこで幸せや平和っちゅう言葉らしいわ。どないやろか、あてが経営者、あんたら従業員、雇うたるからちょっち海運都市シルトにいかへんか?」
提案は、三人を揺すぶった。だが、スキンヘッドの中年は目の前で怪しく笑う翡翠の目をした女に気を許さない。
「何故、今なんだ? 嬢ちゃん、シルトは赤竜で難儀してるって知ってっか?」
「おん、分かっとるよ」
「なら……そうだな、具体的な経営方針はあるのか? シルトっていやぁカフェンクランの本拠地だぞ。此処にもいるけどよ、先代が海好きだったからな」
「でもよ、今代の剣聖っていやぁ随分騒がせてねえか? 王と軋轢しかうんでねえし、なにより、おれらの敵かも知んねえ」
「決まった話じゃあねえだろ、あんな不思議な事やれんのは剣聖くれえしかいねえのも、分かるがなぁ」
スキンヘッド、小太りは酒で不満を流し込むと、熱を帯びた吐息をウェンユェに垂らす。ウェンユェは、その冷たい顔に笑顔を貼り付けたまま翡翠の瞳を背けない。真剣な眼差し、嘘や冗談でもない真摯な瞳だ。
「赤竜を討伐する」
無言が続いた。小太りは肩を落とし、グラスに新たな酒を注ぐ。赤髪は摘みである豆をがりがりと咀嚼する。スキンヘッドは、酒を一口入れてうがいするかのようにして飲み込む。
魔石照明を見ていたスキンヘッドは、黒い目をウェンユェに戻した。
「無茶苦茶だな。おれらを戦力に数えるのはお門違いだぞ、嬢ちゃん。どっか他所の貴族令嬢か知らんがな、人を誑かすには蜜だけじゃなく信頼と信用が不可欠だ。現実、赤竜のやばさを嬢ちゃんは知らねえ……飛べたとしてもだ」
スキンヘッドは裏路地で起きた空中浮遊を、ウェンユェの魔法かなにかだと結論を出していた。
「わるいこどいわね、おらたちがあんだら襲ったんは謝る。金はねえげと、な」
「そうだなぁ、どーも現実を知らんらしい。まさか北の小国連中か、お前? 商いっつったら、あそこだしな」
タイヨーは劣勢かなと、ちらりと伺う。唇が悪質に曲がっていた。
「ほな、赤竜の逸話を教えてくれへん?」
スキンヘッドは苦笑いし、豆を齧って咳払い。
「仕方ねえな、裏路地の謝礼っつーことで教えてやるよ」
「おおきに」
ころころした笑顔は、タイヨーならば逃げていた。ぱっと見は人懐っこい顔なのだが薄く空いた目は笑っていないのだ、付き合いが長い彼ならば初手で勘繰り尻尾を巻くだろう事態であったが男三人は気付かない。
「赤竜、こいつぁ二百年も生きて老化しちまった奴だ。元々、縄張りからでねえのに、ボケちまったから徘徊するようになった。竜の中じゃあ位は中程らしいがな? 腐っても呆けても、竜にちげえねえ」
「んだんだ。おらはきいだど、術師二十人が返り討ちにあったっで。赤竜だがら、火じゃねえがとおもうんだげと、なーんぞ不思議でのう」
「領主が出した討伐隊も全滅、結果どうにもならねえから呆けた竜がこねえように祈るしかねえときた。矢も大砲も鱗に弾かれるからなぁ」
小太りは自らの腹を叩き、身振りとした。震える腹を見据えたウェンユェは首を傾げる。
「ほーん、二百年程度かあ……魔法とか使うん?」
「んだんだ、火だとは思うんだけどな? 古来人種が協力した討伐隊は、古来人種だけをころじだっできいだ」
真っ赤な顔で、鼻を啜る。
「器用やねえ、人はどないなっとるん?」
「それが、無傷って触れ込みだぜ。わからねえんだ、怪我してねえのに古来人種の戦士が死ぬんだ。呪いにちげえねえ、だから割りに合わねえ仕事だ。どーせ数年すれば老衰すんだろうよ」
スキンヘッドが言うと、ウェンユェは試算していたのか即座には口を開かなかった。
「呪いってもんは、一般的なもんかいな?」
「ん? 変な質問だな。そりゃ超克四種族なら呪いくれえやりそうだけどなぁ、得体の知れん術を使うからのぅ」
腹を撫でつつ、小太りは一応真面目に答えた。酒を継ぎ足す三人はウェンユェをちらりと伺うのだが、ふと青年を思い出したのか視線が集まった。スキンヘッドはなにやら考え込み、豆片手に宙ぶらりんだ。
「なあ、あんたら……五人のうちの一人か? ほら、なんだっけ、勇者ってんだっけか」
「どないしてそう思うん?」
「いや、だってよぉ、お前さんらの言葉なーんか可笑しいって思ってりゃ、公共語じゃねえや」
髪のない頭を掻く姿にそれもそうかと二人は納得する。教会の聖女に奇跡を授けられ言語の壁をすり抜けているのだが、発声は全く変化はない。酒に酔いふらふらした彼等だからこそ反応が遅れたのだろうが、違和感を覚えると耳に馴染まない音がするもので。
相手に直接意味が伝わるからか、無意識に作用するからか、少しだけ不思議そうな顔をしつつも大抵は流す話題でもある。異国の人々の中では教会に御布施して奇跡を賜る者もいるので、珍しいが珍しくもない。聖女達の齎す奇跡には代金が発生するので、翻訳奇跡は庶民が手軽に手を出せない代物ではある。しかし逆に貴族なり身分の高い人物には馴染み深い奇跡であった。
スキンヘッドは身分の高い人物と関わる機会もあって、知識にあったのだ。赤毛の中年はカウンターに項垂れつつ、二人に口を開いた。
「おらもなぁ、元をだどりゃぁ、王宮に勤めてだぁ術師だがらよう? 嬢ちゃん、人どしでの恰好しでっげど、人じゃあねえんだなぁ」
目を擦り、今にでも夢に旅立ちそうだ。小太りが背を叩き眠気を飛ばしてやりつつ、赤毛の言葉に乗っかる。
「そうだ、おめえらは身なりが良い。坊主も教養ってのが滲んでらぁ。身分が高いやつで、異国の言葉、聖女様の奇跡に……みねえ面。集国にしちゃ護衛が少ねえ……ものをしらねえときてる」
スキンヘッドが更に続ける。
「勇者だな? そうだろ? ええ? なんだってうちに関わる? 赤竜なんざもんを仕留めるたぁ、豪胆で、じぼれが過ぎるぜ」
「そうかいな? うーんとな……」
ウェンユェは、薄ら笑いを振り撒いた。そして、手元が落ち着かないのか豆を摘み倦ねるスキンヘッドに豆を摘み差し出した。受け取らされたスキンヘッドは、視界に広がる四本の腕に、固まった。
いや、首筋を撫でる真っ黒な尾に慄いた。滑らかで冷たくて、金属を思わせる外殻には覚えがあった。赤髪と小太りを順繰りに撫でる巨大な尾は、空中でうねり大蛇の如く這う。尾先から一番伸びる細長い鱗は、宛ら磨かれた剣に思えた。
「竜人種……って風じゃねえな。でけえしな」
「ちげえねえ、あいつらは幼子みてえだし角もありゃ翼もあるが隠したりしねぇよ……」
「そう、あては竜種や、こん世界やと赤竜に近いかもなぁ。せやからな? ちょいとしばき回したろかな、思ってん」
「……だとしても、赤竜は止めな。でかさがちげえ、記録にあるのが二百年ってだけの、古の竜だぞ」
「あてのが多分、格は上やけどな。それに、勇者言うんは一人やない、せやろ?」
「……他の勇者も赤竜の討滅に乗り出すってわけか。でもよう、勇者がつえぇってんで有名なのは先代くれえだ。おれらぁ、あんたらを知らねえからなぁ」
品定め、交渉の席にまでやっと辿り着いた。三人の男は、酔いを追い払いながらに二人を吟味する。話が美味い、甘くて即決しそうだが、腑に落ちない。
「セグナンスに関わるにしてもよ、なぁんでこう間が良いんだ。おれらは勇者と共にってぇ名誉で釣るのはわかっけどよう、普通なら剣聖がいやがるカフェンか、つえぇってんで有名なシッドテアンだろうよ」
威嚇のように腹を叩き、身体を撫でる尾を越え女を睨む。
「んだ、声をかげる相手まちがっとるで。おらたちは主力をうじなったばかり、力にはなれんどぉ」
赤毛は酒をカウンターに零したが、服の袖で拭うと目の奥底に知性を宿す。
「あては成り上がりが好きやねん、シッドテアン? カフェン? 有名やろが、気に入らん。あてらはセグナンスを勇者達のクランにしたるって決めたんや」
「ばかばかしいぜ、事務しかいねえ。おっさんしかいねえ、仕事も全部手放してんだ。魔石の貯蔵もねえから商人も近寄りゃしねえ。あんのは拠点と、知識だけだってんだ。美味すぎる話だ、てめえらが犯人じゃねえかと思えるぜ」
腰の剣を誇示し、スキンヘッドは詰め寄った。タイヨーはどうしようとばかりに目配せ、ウェンユェの尾が翻って剣のような尾がスキンヘッドの顎を掬う。鼻先に甘い吐息を回して、にこやかに穏やかに囁いた。幼子をあやすように。
「おもろいやろが、ぽっと出が竜をぶっ飛ばすんやで。シッドテアンでもカフェンでもなけりゃ、他所様の剣聖でもない。あてら勇者とおどれらがやるんや」
その芯が通った声に、男三人は揺すぶれた。心に直接響く声に、だからと、故にと眉を急勾配にして。
「それだけでなんでやれんだ? わかんねえぞ、ちっともよぉッ」
「んだ、おらもわがんねえ。クランに拘るんがな、勇者なら少数精鋭ってきまっどるしなぁ」
「だな、わかんねえぞ嬢ちゃん達。クランに拘るのはなんでだ? 名誉や名声の分配も、得られる金だって独占するのが良いに決まってんだ」
「あてに一極集中してみい、阿呆抜かすなや。そないな事になったらあての優雅な商いは落っことすやろが、商人は助け合いする時代やで? 蹴落として登っても足場が崩れたら笑えんさかい、せやから取り込める先駆者を勧誘するんや」
三人は、押し黙った。見詰め合うと、三人は肯定するように頷いて、スキンヘッドと小太りと赤毛はウェンユェの尾に触れた。
「なんやねん、せくはら? かいな。えっちぃ……って感じやないか、そか」
スキンヘッドは、酒を注いでいたグラスを床に叩き付け割った。
「おれはゼンだ。元剣士、腕は訛ったがやれねえこたぁねえな。上手く使ってみせろよ、お嬢」
小太りも後に続く。
「サイトウ、元仇討人だ。宜しくな、お嬢。見極めさせてもらうぜ、それが傲慢か、信念かをな」
「は? あ、いや続けてください」
赤毛も、ぎらりとした赤い目を光らせグラスを握り潰す。
「おらは、いいや。私は元王宮術師第三席次、セリアテス。お嬢の目は、ずっと綺麗だから。実に、興味深い、乗ってみようじゃないか」
ウェンユェは改めて、にこやかな笑顔を向けた。四本の手を組み。
「あては翡翠の勇者王 文月。あんたらの社長や、よしなに」
「あー、ども、琥珀の勇者っす。えっと、ハルカゼタイヨーです。あ、春風が家名だから、宜しく。え、俺役職なんなの?」
「あんさんはあての護衛やし……秘書みたいなもん、かなぁ。うーん……ああせや、夫やね」
「違うが」
「ええねん、分かりやすいやろ」
「違うが……?」
「黙っとれ」
笑ってないと怖いので、タイヨーは逃げる。顔を背けた、立ち向かうのは無理だった。
「で、他にも赤い勇者、白い勇者、黒い勇者も書類上はあてのクランに入るさかい、宜しゅう頼むわ。あー、それから五人の面倒もあてがみたるから安心せえや」
三人の目は力強い、燻っていた野心に火を灯したのだ。老いたる身体に鞭と飴を入れたのは、他でもないウェンユェであった。
四本の腕を開き、三人を導く牧師の如く、天を仰ぐ。細やかな祝福を願うように、これからの未来を暗示し祈るように。
「ほな、こんなとこ売っぱらって海運都市にいこかっ!」
「はやくねえか? 思い出とか抜かしはしねえがなあ」
腹を撫でるはサイトウ。ウェンユェはびしっと尻尾で叩いた。
「即断即決! 王都にセグナンスの未来はないっ! どうせあんたら知り合いおらんし、身内もおらんやろがっ!」
「ちげえねえ!」
スキンヘッドのゼンが同調した。
「んだんだ、おらも鞄一個で足りるど!」
息巻くはセリアテス。
「がっはっはっ! お嬢はするでぇな! おれらは生涯孤独、だぁからいい歳して魔物とやりあってんだっ!」
「せやろせやろ。せやから、はよ動きなはれや! 時は金なり! 時間だけは待ちはせんからな!」
囃し立て、追い立てる社長に一番不満そうなのはタイヨーである。
「えー、俺あの剣聖とかどうなってんのかしらねーし、ききてーんだけど」
「うっさいわ、あれはあてらには関係あらへんやろがっ!」
濡れた布で叩くような、そんな音が響いたのだった。