僕のやらかし、その全てに付いて
ウェンユェとの会談日から一週間前になる、それが今回の始まりと述べられよう。
事の顛末は決まっている、大概、碌でもない。しかし、僕は学んだので失敗や失格や致命書は避けられる筈だ。二進も三進も行かなくなる前に、事前に先んじて、瓦解させる。僕ならば出来る筈だ、この僕ならば。
僕は数日前にアガレス王より調査を依頼されていた、ドラゴン退治ではなく不可解な事柄を解き明かす方が楽だと言ったからだろうけれど、王城でぐーたら一日を消化するだけなのもどうかと思うし廊下の外で話し合う女中、侍女達にそろそろ貶されそうなので。仕方なく、詮方なく、遣り方なく、気力を母の腹に忘れ産まれた僕でも動くに至った。
頼まれた、だけではない。アイリスさんやセルフちゃんはあれ以来、どうにも付き纏う頻度が増えたし、一人で居たい僕には死活問題だった。朝から食べ物を囲ったり、昼にも紅茶を合間に入れたり、夜には内緒話をしたり、御免被る人間だ。僕は人間嫌いだと熟思うけれど、今に、どうにも納得も許容も出来ない。頻度に文句を言いたい、朝はセルフちゃん、昼は下手をすれば王と宰相のおじさんコンビ、夜には黒い姫君の襲来だ。
どうにかせねばならぬ、僕に政治は分からぬ。しかし人一倍、人付き合いを好まぬ男であった。社会不適合者である自覚はあるけれど、だからなんだってんだ。僕は高らかに宣言する、口に出せるかは別にして。
兎も角、そんな気持ちもあってアガレス王の頼みである事件の解決に乗り出した。王都で発生している謎の昏睡事件である。当初、被害者への聴取を行っていた。いや、行う気ではあったのだけれども被害者は揃いも揃って目を覚まさないので、行えなかった、がより真実に根差した解答になるだろう。
朝が来ればうっきうきなセルフちゃんを振り切り、アイリスさんに全て任せて出立し、僕は地味な服を纏って王都を散策するばかりの日々。帰れば、待ち侘びている姫君へ迂闊にも際会し一通りの遣り取りの後、帰れとほざき撤収して頂く。三日目になると事件の大方の形は見えて来るもので、とある場所で呑気に寛ぎながら僕は情報を整理していた。
「そう……被害者は現在七人、聞き込みは全部叶わなかったけれど」
第一の被害者、居酒屋を営む男性だ。彼は開店準備中にハッシューバップ・カフェンと揉めていたらしい。壊れた看板や店の前を整理する、妻らしき人物からの情報だ。開店準備中、看板を返しに出た夫は誰かと揉めているようだった、様子を伺いに外に出るとハッシューバップ・カフェンの物と思われる破損した珠簾だけが落ちていたらしい。他には、昏睡した夫。国に泣き付いても、剣聖には逆らえないと啜り泣いていた。僕が勇者と見抜いて服に縋られた時は苦労したものだ、あんまり特徴がないけれど髪色で判断されたのだろう。
この国に黒髪は少数だ、僕みたいな黒目も少ない。珍しい、とも言えないけれども。直近の式典で顔の判別が可能なまでに、前側にいた人なのだろう。それでも見破られたのは意外だった、話してもない人に覚えられているのは気味が悪いと僕は思う性格だし、ちょっと複雑だ。
第二の被害者、此方はしがない商人だ。近道をする為に裏路地に入った所、ハッシューバップ・カフェンらしき影を見た、なんぞ被害者と逸れた付き人からの証言は得られた。曰く、夕暮れの中で近道をしたしがない商人と付き人は道を間違えてそれぞれ別行動になった。
付き人は逸れた商人を探し、唐突に悲鳴が上がった方向に駆け足で向かった。現場に到着すると倒れた商人と、夕陽に身を滑らせる小柄な赤毛の人影。王都では珍しい玉簾のような装飾のある衣服特有の、じゃらじゃらした音や、屋根を飛び跳ねる身軽さからハッシューバップ・カフェンで間違いないと断言していた。
事実かは一旦横に置くとして、又もやハッシューバップ・カフェンである。もし商人を襲ったのが剣聖ならばおれにはどうにも出来ないと、付き人は嘆いていた。商人は昏睡から目を覚ましてはいないが、様子を伺わせて貰った所、第一の被害者と同じような状態だった。手首に痣が出来ていたのだ、一人目は足首ではあったけれど。濃い痣は事件の糸口になりそうだ。
第三の被害者、此方は変わり種だ。被害に遭ったのは小さいながらクランとして魔物退治を生業にする人々だった。その数、五人。魔物退治を終え、打ち上げをした帰りに事は発生したらしい。真夜中の道でクランの面々は襲われ、五人は昏睡に至っている。店で別れた他のメンバーが次の日にも現れないからと心配になり探した結果、裏道で五人が昏睡する状態で見付けたらしい。
クランの証言では金品の強奪もなく、争った形跡も人数にしては少なかったらしい。魔物退治を生業にする人々を一方的に昏睡させる存在は限られると彼等は言っていた、しかもその内数人は骨折等の怪我をしていた。また彼等は、裏道を見張って怪しい連中には聞き込みもすると息巻いてもいた。犯人は現場を再び訪れる、らしい。僕の知る限り犯人にそんな間抜けいなかったけれども、信じるのは自由なので適当に流した。
全てに共通すると思っていたハッシューバップ・カフェンだが、そうでもないらしい。痣も全てに共通する訳ではなく、クランの面々は生傷があった。なまじ戦闘力と人数がある分、襲撃者に抵抗したのだろうと僕は考えている。
「うーん、それにしても……なんで被害者は目を覚まさないんだ?」
あっても重篤とは呼べぬ怪我、薬物らしき反応はないとクランの面々は証言している。何日も経っても起きない五人を訝しんで薬師を訪ねた結果らしい、薬草や魔法による昏睡ではないのだと。それじゃあ彼等は何故目覚めないのか、それだけが僕には分からない。
分かると言えば、クランの面々が見張る裏道は彼等の努力もあり事件当初の状態を保持していた点だ。お陰で二件目にて着目していた足跡の内、一つがクランの現場にて発見出来た。態々彼等には言わなかったけれど、現場には素足の跡があった。二件目で見付けたハッシューバップ・カフェンらしき、小柄な、子供だろう足跡と特徴が一致した。つまり、ハッシューバップ・カフェンはクランの現場にも存在したのだ。
「……それに、女物の革靴の跡だな」
手元にある薬草学の本を捲りつつ独り言ちる。良くも悪くも、雑多で一件目は証拠が少なかった。だが、僕が見て覚えた景色には二件目、三件目、共に二種類の足跡が残されている。女物の革靴の足跡とハッシューバップ・カフェンの素足の跡だ。これが意味する理由は幾つか考えられる。協力者の可能性、なくはない。
二人での犯行ならば三件目の人数を前に、一方的な襲撃を行えた理屈が単独犯より高まるのだし、悪くはないのだけれど。僕にはそうは見えなかった、足跡の軌跡を辿ると立ち位置や立ち回りに思考が追い付いて来るもので。
「ハッシューバップ・カフェンを犯人と言いたい所だけど、革靴の女こそが今回の真犯人。謎としては、やはり昏睡騒ぎかな……」
古めかしい本を捲りつつ、僕は溜息を一つ。この世界独自の薬草、魔法のような存在を調べてはいるのだが今一成果が出ていない。昏睡させる薬草は幾つもあるらしいが、アガレス王国付近で入手可能な薬物は全て被害者の容態には一致しなかった。甘い匂いがするとか、肌に発疹だとか、舌が紫になるだとか、瞳孔が開いたりだとか、薬師の言論ではそれらしい薬物の反応はないと言うし、この線は潰えたと考えるべきだけれど。
次に魔法、これはクランの人達は疎いらしいので知り合いの付与術師とやらに助力を願ったらしい。なにかしらの魔法影響を受けると霊力残滓とやらが残るらしいのだが、それが全くなかったらしい。霊力残滓を欺く術はあるにはあるがその場合付与術師にはお手上げだとも述べていた。要するに、魔法干渉もなく薬物でもない。気になる点として付与術師は被害者から霊力枯渇症状が伺えると述べていた、霊力は体内に必ず存在するらしく、僕みたいな外部の生き物でなければ切っても切り離せない存在だ。
魔力、エーテル、マナ、霊力、呼び方は様々だけれど、それは生命線のような物らしく、枯渇すると著しい倦怠感や疲労感、或いは昏睡に至る。昏睡に至るのであるが、どうも酷くとも二三日で目を覚ます症状であるらしく、今回の昏睡症状とは関与していないように思う。
「……、うーん、女物の革靴……靴跡が特徴的だったから靴屋のオーダーメイドって奴だろうし……まあ、貴族の令嬢だろうな」
女物の革靴を履く容疑者の特定は容易だろう、革靴のサイズや靴跡の形は寸分違わずスケッチして保持している。王都で貴族向けの靴屋を開いているのは三軒、内新しい意匠を取り入れ女性に人気なのは一軒だ。セルフちゃんがそんな話をしていたので、容疑者の特定は存外簡単だろう。となるとやはり、無視出来ないのは昏睡症状だ。
「……わかんねえ、なんだこれ」
魔術書とか言う、なんか立ち入り禁止っぽいエリアから掻っ攫った本の束。もう三十冊は読んだが、魔法の原理とか理論とか、降霊術とか死霊術とか、なんかそんな話だ。書いてある言語が随分と古めかしい言語体系ではあるけれど。
僕は勤勉なので、テスト前より遥か前には全部頭に叩き込むタイプだ。所謂、日頃の努力、積み重ねもあるけれどなんとか読めてはいる。セルフちゃんは古語にからっきしだから頼り甲斐はなかったが、宰相のセルブさんやアガレス王は疎い訳でもなく、どうにも読めない言語の解説に教鞭を振るって頂き、僕はこの幽霊塔とか噂される旧図書館にて居座るに至った。
勉学は良い、知識は力だ。ペンは剣より強し、と誰かが世迷言をほざいていたし。
とまあ、そんな訳で僕は一通りの知るべき情報は得ていた。今読んでいるのはイドから捻出されたアウラと肉体とのアウフヘーベンに付いて、だ。なんだそれ、笑える。兎角。
「人の子、か」
「うわ、ちっか……誰だお前?」
真横に、大きな白いなにかが来た。目を横に再度確認する。ウィッチハットだ、顔は影に埋めて伺えない。辛うじて、唇が傍らに置く魔石照明で照らされていた。身丈は、低い。百五十の後半はあるだろうか。やけに嗄れた、老婆のような声で語り掛けて来た不審者がいた。
「吾を詳述したるは拙速なるものゆえ、往古を酷薄に曝す故もなし。時艱たるは徒になろう。許せ、人の子よ」
ゆったりと、実に窓辺から眺める朝焼けに微睡むような口振りで喋った。自若この上なく、人々の時間とは均衡が、釣り合いとやらが取れていない話し方だった。
「……、あっそう」
やべえな、様子の可笑しい奴じゃねえか。魔術書を捲り、目線を外す。隣、矢鱈に冷たい息を首筋に浴びせ、不審者は言う。
「人の子は、身罷る摂理を逆行す学問に目を付けるもの。酣たるは命の花が笑む頃ゆえ、然し、壟断たり得とて減摩されるが常よな」
「はぁ、そう」
魔術書の内容に興味があるのだろうか、この本を読む僕に話し掛けて来たし。誰かは知らないが、なんだろう、凄まじく聞き取り難い言語だ。
古い、堅苦しい、翻訳奇跡が貫通しそう。僕の補完があって聞き取れている気がする、実は僕は翻訳奇跡なしでセルフちゃんと既に話せるのだ。言わないけれど、あんなにも耳には原文、頭に意訳を突き付けられれば嫌でも覚えてしまう。
特別な学びもなく、セルフちゃんやアイリスさんの扱う公用言語は習得した。正に今、古典となる言語体系の一部を独学や偏見で学び中であるので、耳に入って来る異質な発音や抑揚に意識が縫い付けられる。
魔術書の内容より、何時しか真横の不審者が気になった。
「君は、どうして此処にいるの? 誰もいないって聞いたから来たのに」
旧図書館、正確にはアガレス王国建国から存在した旧王宮資料塔。立ち入る者が存在せず、文官も新資料塔に足を向けている。だからこそ、僕は優雅に独りぼっちを満喫していたのに。
迷惑な侍女の気遣いもなく、セルフちゃんのお茶会に巻き込まれもせず、ヘルさんの兵士訓練に突き合わされて走り込みをさせられもせず、平和で平穏なる一日を充実させる理想郷であったのだ。
さっきまでは。
「吾の住処たるゆえ、泰然と吾に解を求む汝こそ、吾たるは誰何すべきであろうな。糾弾はせぬゆえ、肩の力は抜くが良い人の子よ」
「えぇ、此処……図書館だろ?」
真横の不審者は、ケープを指でもぞもぞして。薄い生地で出来た下着のような、ワンピースタイプの衣を揺らす。その場で両手を掲げ、薄暗い此処を見渡すように促した。
「吾は知を尊ぶ、人の子らと面差しを重ねるは、閑暇たるが、徒然たり得ても、人の子らは軽易と縁を結ばぬものゆえ。磊落に姿を正せど類焼は免れぬゆえ、な」
白い服、白いフード付きケープ、白いウィッチハット。薄暗い此処では魔石照明の温かな丸い光が頼りだ。青白い肌を目で辿れば、胸元が緩いエンパイアスタイルのワンピースだからか鎖骨が浮いていた。痩せ型の、骨格や声からして女の不審者。
「つまりは、誰かに会いたくないから、会わなくて済む此処にいる、ね。暇じゃない? いや、人それぞれだけどさ」
「ふむ、羨望はない。人の子らの生は、アカシックたるレコードに妬心もない。吾たるはレコードに巣食い、根を張り巡らすが吾の原拠よ」
「なんでそう、言えるんだ? 人間がいないと死にますって言ってないそれ? なら、人間がいる内になにかしたら良いんじゃない?」
「……くく、吾たるを斯様にも幼子のように。人の子らの命を縛するがあまり、吾たるが縄目の恥と知る、か」
なにが面白いのか、ウィッチハットの鍔を摘み押し下げ、影の渦で唇が弧を描く。少女のようで老獪な魔女のように、傍らで机に肘を置いた。僕の顔を覗き込むでもなく、魔道書に視線を落としていた。
「ふむ、禁書を並べなにを求む。揺籃期に記されし禁忌を、その眼差しはなんと見る。爾後果敢にも禁忌を刻むゆえに、命を暴威に曝すは愚となろう」
「あ、ごめん。読んじゃ駄目な奴だったよね。まあ確かに、気色悪いよねこれ」
立ち入り禁ず、とあった棚から引っ張り出した古びた本の山。表紙は人間の皮膚を用いているのか、僅かに油の残った作りをしている。中には本文を血を混ぜた塗料で描いているのか、滲み黒い。SAN値チェックすべき品々だろうけれど、僕は見慣れているので抵抗はなかった。
「内容は正直どうでも良いんだけどね、事件の解決に直結しないし。無駄足だったかな」
「左様、か。背の君、背の人、汝は素敵だ」
冷たい空気が肌を撫でる、産毛の逆立ちを無視して。枝垂れ掛るような、口付きに僕は改めて不審者を視界に戻した。寒くないのかな、こんな薄手で。漸くマスターした魔石照明の操作を行い、強まった柔らかな灯りは不審者を影から浮き彫りにする。肌の色が透けるエンパイアスタイルのワンピースに、豪奢でもないフード付きケープ、そしてなにより純白のウィッチハット。
「このような禁書もあるぞ」
青白い手が、二本。否六本だ。幾つもの腕が、不審者の影から生えていた。それぞれの手が独立して蠢き並べていた禁書を開いて僕に向ける、もう読んだ奴だから有難迷惑だった。小さな親切大きなお世話である。
「あっそ……ああそうだ、司書かなにかならさ。五日経っても昏睡症状から開放されない原因って分からない? 薬物でもなく、魔法でもない、考えられる線は外法しかないよね」
「ふむ、千尋の意識白濁か。易易とあり、黙契たるものよ。安手にて吾の憩いを妨げ、汝は解を求むではなく、寸裂な現を纏め……吾に舌禍をもらたらさんとする」
「……、そう」
「吾は、黒死人種が一、シ・テアン・レイ。汝は、吾を知りながら吾を無下にするか。ゆえに、素敵だ」
うぞうぞとSAN値チェックしたい見た目で、腕が四位を囲って蠕動している。
「まあ、内容によっては君に用がある訳でもないし。確かに、なんか居るってセルフちゃんが言ってたな……。アイリスさんは行くなって念押ししてたかも……」
腕を組み思い出した、あんまり覚えがない。多分、都合良く忘れたのだろうけれども。
「吾に解を求むか、それとも、汝は解を求めぬか」
こいつ、僕が何処まで知っているのか理解している可能性が高い。油断ならない相手だけれど、そう言えば隠してもないから油断も糞もなかった。
「……善後策って奴が、僕にはない。瑕疵は往々にして目を瞑るべきなんだろうけれど、それすら見過ごせないんだよね」
「左様か、ならば難詰するは未来か。掌に現を、折々にて人の子は岡惚れするような愚行を働くゆえに」
「ふうん、レイちゃんはそんなに動きたくないのか」
「な、なな、……なんとっ!」
腕がわちゃわちゃして、僕の顔にぐいっと寄った。ウィッチハットに隠されていた瞳は、真っ白に輝いていた。渦巻く白く濁った瞳孔に呼応して、息は冷気が強くなっていた。
「働きたくない」
「ではないゆえ」
「レイちゃん」
「お、おお。素敵、だっ!」
万歳であろうか、六本腕を掲げる姿は幼子を彷彿とさせる。SAN値チェックの為にダイスを振るべきだろうか、1d100で。
コロコロ、98、ファンブル、即死。なんてね。そんなんで死んでられるか。
「じゃあ素敵ついでに、レイちゃんって甘い物好きかな? セルフちゃんのお茶会に来ない? どうせ暇ならさ」
そして願わくば僕のスケープゴートになって貰いたい。セルフちゃんの開催する質疑応答は胃がそろそろ限界なのだ、素人質問で恐縮なのですが、も僕には辛い記憶しかないけれど。あ、鬱。
「む……然し、吾たるは超克四種族。人の子らは忌避すべき存在に他ならぬゆえに、許せ、背の君」
憂鬱と暗鬱を溶かした溜息を肺から絞れば冷たくて空気中の水分が凝縮、後に凝固して濁った。人ならざるレイちゃんはあんまり人前に出たくないらしい。でもこんな寂れた塔で引き篭もるばかりを是ともしてないようで、言動に反して興味はあるようだった。
「僕は気にしないけれどね、なんなら僕が紹介しようか?」
六本腕は机へと禁書を重ねて行く、ぐらぐらとするが上を押さえた。
「さ、左様か? 然し、吾の身は人の子らの尊厳を縊死させるようなもの、緘黙し現の流れに任せるべきであるゆえ。稚い容姿であれど、露にも、人の傍におれぬゆえ」
緩い下着のようなワンピースの胸元を押さえ、六本腕は蠢く。一つはウィッチハットの鍔をもじもじ触れて、二本は頬を押さえ、残りは胸元。いいや、僕の袖を摘む一本もあるけれど。器用に役割分担されていた。
「そうかな、僕には普通だけどね」
灰色の髪をした女とか、超絶尊大全裸幼女とか、目隠し系軍服野郎とか、竜とか、妖精もいたな。知り合いに碌でもない奴等ばかりが跋扈していて普通が泡沫に舞う幻覚が見えた。そんな話もあってレイちゃんの容姿や異常さは受け入れ難いとは呼べない、受け入れるもなにも慣れているのだけれど。
「さ、左様か?」
「左様左様、セルフちゃんとか気にしないって。女の子の友達欲しいって言ってたし、なんなら僕達は友達だろ?」
手を差し出した。
「さ、左様かっ」
がしっと冷たい六本腕が手に巻き付いた。僕の顔を覗き込む姿は、噂に聞く長命種らしくはなくて、人付き合いが苦手な、頑是ない少女に映った。
「レイちゃん的に、僕が解決しようとしてる事件って分かる?」
「む、そうさな……被害者には霊力残留もなくば薬物反応も絶無であると、そう言ったな。であれど、吾が簡略に述べれよう雑事は、吾とは余香もなきゆえ知らぬ」
「まあね、だから僕は困ってる。僕の頭が原因を当てられない。由々しき事態だ、本当にやばい……僕は多分、頭が良い人間じゃないけれど……知っている事や分かる事には、右に出る奴はいない筈……なんだけど」
片手を握られたまま、僕は俯く。思考をどれだけ回転させど、思考をどんなに捏ね回しても、僕は分からないし知らない。情報が足りないって事で、調べ物をした。これは紐解けば二日前からそうだ、事件の全容は拙くも理解している。このままでは顛末が碌でもなくなるので、打てる手を網羅しているに過ぎない。
レイちゃんはこの世界の枠外だ。この世界の知識に精通した長命種であり、逸脱者だ。可能性は、その関与。超克四種族が今回の事件に絡んでいるのを早期に確信し、僕なりに解決策を模索した。二日悩み、結論、昏睡事件の犯人をぶっ殺すしかなくなった。ので、僕を基準にするのを放棄した。
手始めにレイちゃんみたいな存在の捜索に方向転換して、望み通り出会えた訳だ。それも可能性、一縷の望みではあったけれども。出会えなければこの世界の知識を収集し、人間らしく足掻くつもりだった。取り敢えず匿っているだろうハッシューバップ・カフェンを話し合いの場に引摺り出して、最悪血みどろの事件を結末とする。僕ならばきっと、きっとハッシューバップ・カフェンと名も知らぬ令嬢の死を以て結末になる、碌でもない終わりになる。
例えば、死ぬしかない令嬢に感化されたハッシューバップ・カフェンが無理心中とか。考えるだけでぞっとする可能性だ。
「自信家であるな?」
「いや、これは自虐だよ。凄まじい返し刃を秘めてる、僕は一言多いもんだからさ……まあいいや、僕なりに出したのはレイちゃんみたいな存在の関与だよ」
「ほう、それは超克四種族のいずれかであると。斯様な辺鄙な地にて種子を希求するとは、不覚であるゆえ。超克四種族のいずれだと、背の人は知る」
「聞いちゃう? うん、僕はずばり、知らん。知る訳ないじゃあないか、知るか、なんだそいつ、わかんねえよ」
お手上げこの上なし。断片しか僕は知り得ていないし、親交もないのだから。アガレス王国の歴史上直接絡んでいるのは二種族、レイちゃんと終末人種だ。彼等の戦いは壮絶で、三百年も前の出来事なのに王国の随所に爪痕が刻まれている。巨大な大穴は今では湖に、アガレス王国の国境にある山々は削れた月のような形へ、山もなかった地は隆起して雲を貫く山脈に変貌している。
人々を貪る、あらゆる物、者を喰らったそいつはレイちゃんにより滅尽された。多大な被害はあったが、このアガレス王国の地から退けたのだ。それも、終末人種そのものではなく、多大に血を分けられたアガレス王国の王妃様と言う、なんとも煮え切らない話だ。
「レイちゃんは終末人種と戦ってくれたんだよね?」
「左様、あの者は末端ではあったが、災厄の騒ぎに乗じ吾の収集した禁書を喰らいおった。滅してくれたわ、子種の分際で程度を知らぬ不敬よ。頭からレコードを侵食し、残骸は奈落に突き落としたゆえ」
がんっと、机を腕の一本が叩いた。憤慨である。
「む、そうか。此度の昏睡、また終末人種の眷属の仕業やも知れぬ」
「へえ、じゃあ平和的に解決したいよね。レイちゃん的には嫌かも知れないけれど、君には関与してない話だろ?」
六本腕が器用にも腕を組み、その内の一本がウィッチハットを摘む。小さな口から溢れる冷気は色濃い、魔石照明の温もりを凍らせる程に。
「因縁あるゆえ必ずとは言えぬが、吾も終末人種であれば滅すのは吝かではないゆえ。良かろう、背の君の提案、是とする」
「それは良かったよ。じゃあ、早速だけどお昼を一緒に行かない? レイちゃんってなに食べてるの?」
僕は立ち上がり、薄暗い資料室を見渡す。体内時計からしてもうちょっとで昼になる、セルフちゃんやアイリスさんと食事をする約束だったので、日頃の恨み、もといサプライズを兼ねてセルフちゃんに会いに行こう。魔石照明を手に取り、僕より小柄な魔女に手を向ける。一応、淑女だ。エスコートはすべきだろう、しーちゃんは年齢は関係なく女はエスコートすべきと豪語していたし。
「お手をどうぞ、シ・テアン・レイ嬢。此度は、この勇者が貴女をエスコート致します」
「お、おお! 素敵、だっ!」
そうして、しーちゃん一押しの決め台詞を満更悪くないなと思いつつ、口にした。レイちゃんも喜んでいるので、僕は悪くない筈だ。さて、セルフちゃんの素っ頓狂な顔が今から楽しみで楽しみで、仕方がない。よしよし、勇者らしからぬ思考、趣向、殊更に碌でもなくなってきたぜ。
超克四種族 シ・テンス
黒死人種 レイズダラット
神なる銀黒 シ・テアン・レイ
要するにSAN値チェックすべきだが、存外可愛い子。腕を生やしたりなんなり好き勝手なので問題児ではある。