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勇者とハッシューバップ・カフェン


 姫君との口約束で今回動いているのだ、僕は。元々やる気はなかったが調べていた事柄だったので、姫君の手前それっぽく答えたが、別段看過して記憶から捨てよう程度の話だったのだけれど、じゃあそんな怠惰で剣呑で勤勉なる大学生は、話は変わって姫君に釘を刺されてしまい二進も三進も行かなくなって詰んだ。ので、僕はこうして遣る方なく、益々嫌々にハッシューバップ・カフェンに面したのだ。


 所で、勇者らしい行いとはなんだろう。


 美化して飾り立てるならばそれは人助けではないだろうか。魔王を倒す目的で旅する勇者や、困っている人に首を突っ込んだだけの勇者だっているだろう。世界の危機より身近な脅威に立ち向かう奴だったのかも知れないけれど、僕は確かに人を攫ったがツェール・マグナスちゃんと話し合いをして治そうとしている。故に後者の勇者に属する筈だ、きっと。


 勇者とは斯くあるべしと宣うつもりはないのだけれど、斯くあるべきかは定かではない。第一に少女の病を治す為に動いたのだから、こうして胸倉を捻り上げられる謂れはないのではないだろうか。いいや、傍から見れば正当性は僕なんかじゃなくハッシューバップ・カフェンにありそうだけれど。なんたって僕は人攫いで碌でもないから。


「て、てめぇッ、ツェールに手を出しやがったのかッ」


 見繕うもなにも、体裁も演技もかなぐり捨てた矮躯が僕を締め上げている。が、僕はアイリスさんを横目に小さな手を引き剥がす。


「馴れ馴れしいな、触らないで欲しいんだけど。服がよれるし、話し合いが出来ないじゃないか」


「て、てめぇッ」


 僕は、今日の恒例になりつつある顔面鷲掴みを繰り出した。暴れる矮躯に、なるだけ丁寧にゆっくり言葉を刺して行く。


「離せっつってんだよ、知りたくねえってだけで事実を有耶無耶に出来ると本当に、本心から思ってんのかよ?」


 ついつい、心臓から打ち出す血液の熱が上がる。が、僕は努めて平坦に俯瞰する。ウェンユェや春風を目線で誘導し、椅子に座らせつつ。


「ッ……! 勇者のくせにッ……」


「勇者らしさってなんだろうね、知らないな。それに……君の勇者じゃないからさ、僕は。だからもう一度言おうか、この手を離せ」


 逡巡。迷い、怒り、困惑に不安。様変わりする心に指先が痺れたように痙攣して、力がすっと抜けた。矮躯を見下ろして、僕は足を組み直す。そして尊大にも片肘を突く。


「……なにが目的だ……」


 品定めするかの如き濁った眼、世の中の鬱屈とした憂鬱を溶かし込んだ目は子供には似合わない。日本で生きていると早々馴染めない目をしているのだ、だからと優しく接する気は欠片もない。誰かを救えると、助けられると、本当の意味で理解出来る頭があるなら、誰かを救えると、助けられるなんざ考えは生まれようがない。甘えて絆されて、心底嘆いているだけで。


「話し合いだ。そして、君の犯している間違いを幾つか指摘して角を立てるつもりでもある」


 ハッシューバップ・カフェンは黙った、先を見通せないからだろう。セルフちゃんが服の袖を掴んでいるのを流し見て、僕は碌でもないと評されたやり方を生真面目に行う。


「君は近頃流行っている噂を耳にしたかな? 曰く、ハッシューバップ・カフェンが様々な所で横暴を働いているって話」


「……だからなんだってんだ? 説教か?」


 鳥か竜かを模した面が揺れる。


「いいや? 別に君が横暴しようがどうでも良い。諌めるのも捕らえるのも衛兵の仕事だ、僕は勇者だけれど他人の仕事にとやかく言うつもりは一切ない。王都で支配的な噂、目立っている話の中核だよねって確認なだけさ」


「……なにが言いてぇ?」


 煮物をフォークで突く春風はピンと来ていないが、薄ら笑いを浮かべるウェンユェはピンと来たらしい。なにせ彼女は聡い、なにせ彼女は疎い彼を掌で守っている。故にハッシューバップ・カフェンの思惑に思考を走らせ始めている。相も変わらず油断ならない人間だ、いや、竜だったかな。目尻に差した翡翠が今日も映えている。


「王都には幾つも噂が流れてる、僕みたいな勇者にしろセルフちゃんにしろ君にしろ、色々ね。ただ気掛かりなのは、夜街を歩いていた人間が昏睡して衰弱して見付かるって噂だ」


 ウェンユェの驚いたような顔、君だって何処まで見透かしているのか僕は分からないのだけれど。思わせ振りな目配せを冷たくあしらって。


「……てめぇ何処まで知ってるんだ(・・・・・・)?」


大体(・・)は知ってるね、今回の件は姫君に言われる前から気になって調べていたし……なにより君の間違いは癪に障る」


「……、ツェールに手を出すな」


 じっとりした圧力に、皮膚がやや痺れた。殺意、と言うのだったか。アイリスさんの凛とした無言の方が僕には効いたので、勘違いだと流す。


「女の子に振り上げる拳は教会も勇者も持ち合わせがないけれど、本当に正しいって思えてるのかな、君が」


「……ッ」


「さてと、前置きはこんな感じで良いかな。そろそろ昼も終わりだ、手筈が違えてなければそろそろもう一人の勇者も来るし……そうだな……煮物食べて待つ?」


 セルフちゃんの煮物だけど、肝心の本人は僕に迫ったハッシューバップ・カフェンの形相に怯えている始末。避難場所に選んだ僕の背だけれど、避難場所は震災地なので御愁傷様である。敢えて掘り返しはしないのだけど、セルフちゃんも大概に運がない。室内を鈍い銀で照らすアイリスの方がハッシューバップ・カフェンから遠いのだ、確かに僕の背後ってのは比較的に安全だ。


 大方静観してぼーとしている僕の背後なのだから、良い観客席である。しかし此度は積極的に煽り散らかす算段なので、正に誤算だろう。胸元を締め上げるのは止めたが、特徴的なくすんだ赤毛と、竜や鳥みたいな面には手が届く。座っている僕と立っている矮躯でやっと視線が同等であるので、やはりどうあっても視界に入る。


「まあ、なんでも良いけど。僕がこうして君と話し合いをしたいってのは、ざっくり言えば王様の頼み事なんだよね」


「……王だと?」


「そう、アガレス王は都の治安を憂いておいでだ。ここ暫く謎の昏睡事件が多発し、剰え昼や夜と関わらず君が難癖を付け暴れてる。僕が探偵だと、言っちゃったから……事件解決の為に奔走してる。事件ってのは謎の昏睡事件の方だけど」


「…………」


 ハッシューバップ・カフェンは金属の塊を肩に預け、一応は聞く姿勢にはなっていた。ツェール・マグナスちゃんとやらには会った事はないけれど、僕の言動から察して身動きが取れない彼には内心助かっている。逆の立場ならば、僕ならばどうしていただろうか。


 兎も角、ウェンユェや春風のじとっとした視線に先を促されているので。魔石照明を一度見上げてから、彼を見やる。


「最初、昏睡事件の発生源を洗っていたんだけれど。奇妙な話だったんだよね、分かる?」


「……?」


 春風や彼は分からないようだ。ウェンユェはにまにましているので、ならば彼女に問う。目を配れば、白い手が合掌し目線を集めた。


「そこの白いのが言うとるように、昏睡事件の真相は随分えらいことになっとるもんやろ? そりゃ人が倒れとって原因不明やからな、普通はもっと大々的に荒れるんやけど……」


 人差し指が彼を指す。


「おどれの噂が潰しとる……しかも、や。発生した場所に合わせて、剣聖が暴れとる。ほな、おどれが主犯か? ちゃうわな? 剣聖騒ぎと昏睡事件は別物や」


「そう、別物だ。だから僕はこう考えた、君が後出しジャンケンをしてるってね。じゃあ、そもそもなんで勇者に関わるのかって疑問もある」


「せやな、それだけならあてに喧嘩を売る道理はあらへん。ほなら答えっちゅーもんは限られるわな?」


「そうだね、それもこれも別物って事だ。全部繋がってる、全部一つの理由、なんてものは推理小説の見過ぎだし。なにより、君が抱えている問題は一つだけじゃないからね」


「……オレは……」


 彼が口を開くが、僕は無視する。


「一つ、昏睡事件の首謀者は別にいる。二つ、首謀者を君は擁護してる。三つ、春風君やウェンユェに関わる理由は上記と関わらない」


「……どこまで、分かってんだ……?」


 それは怯えだろうか、怒りであろうか、声が僅かに震えている。


「あてが動く時はトドメを刺せる時やねん」


「僕が動く時は二進も三進も行かなくなってからだからね」


 ウェンユェが作り笑いを貼り付ける。熟、僕は勇者とは呼べない。ウェンユェのタレコミ、考え、思惑に流されつつ相乗させて今回に至っている。何処まで、ならば今回の全容、押さえて見越して画策して、どう崩したろかな、なんざ僕やウェンユェは密談していた。いいや、密談と言う高尚な話し合いはなかったけれども。事態を完全に把握した上で僕は致命傷を、ウェンユェは塩を用意したに過ぎない。


「せやから、今おらん赤き勇者には手伝ってもろとる。ちょーと忙しくしとるけど、しゃあないわ」


「だね、君を足止めするにはこの方が都合が良いし。こう言うのってのはさ、支柱を狙うべきだから」


「ほんまにな、おどれが勇者にちょっかいかけとる根本、その腐敗をあてらは潰す。ついでに、おどれの話に首を出させて貰う」


「因みにだけど、名前を聞かせてくれないかな。忘れちゃったんだよね」


 彼は、得体の知れない僕達を見てから唾を飲み込んだ。


「オレは……ハバラ……ハバラ・ラバハだ。てめぇは……?」


「勇者です、宜しくお願い致します」


「ウェンユェや、宜しゅうな」


 昼下がり、僕達は改めて剣聖と向き合った。曰く、先代ハッシューバップ・カフェンは優れた人であったらしい。剣聖に付いては僕も調べてはいたけれど、先代亡き後、引き継がれず埃ではなく行方不明を被っていた神造兵器をまた世間に引っ張り出したのが目の前の彼である。彼に付いて情報は実際ない、殆どないが憶測はある。ハッシューバップクランをも引き継いでいるのだから、先代との関わりがあるのは確かだろう。


 とは言ったものの先代も今代でクランが荒んでいるのは、彼岸から憂いているに違いない。なにせ今代は各所で難癖を付け、横暴を働いている。それも理由ありきではあるのだけれど、剣聖とは多少の無茶が通るものだからなんとかなっている節がある。国からすれば貴重な戦力であり、栄光であり、同時に忌避するものだ。アイリスさんが良い例である、彼女は一種の心的外傷から最前線を退いた。ではその最前線を担っているのは、そう他でもない国の宝である王太子である。王太子が身代わりなぞ、剣聖とは斯様に影響力があるものだろうか。いや事実、王太子クルス様とやらは剣聖活動を中止したアイリスに代わって活躍しているし。


 国に単騎で匹敵する存在だからこそ、彼等剣聖とは特別で異質なのだろう。単純な武力、神造兵器の及ぼす害に利が常なる理を瓦解させてしまうから、無茶が通るし道理が折れる。まあ、アイリスさんのワガママは可愛いものだけど。この小僧、じゃなかったハバラは憎たらしい位にはやらかしている。今も、前も。


「じゃあハバラちゃん」


「女の子なのそいつ? え、ハバラちゃん?」


 春風が呑気に口にした。


「オレをちゃんって呼ぶなッ!」


 また胸元を締め上げられそうになったが、寸前でアイリスさんの銀に光る剣が間に入った。鋭い瞳にハバラは暴力を止め、面を揺らす。


「どうでも良い事気にするね……なんでも良いけどさ。質問なんだけど、君って人じゃないよね?」


「人じゃねえのハバラちゃん!?」


 春風は素直に驚いた。ちょっと会話に合いの手を差し込むのを控えてはくれまいか。


「ちゃんって呼ぶなッ! 聞いてんのかッ」


「……うーんハバラちゃんってさ、人じゃないなと僕は思ってる。アガレス王国は別に他種族への軋轢ってないしさ、別にどんな種族でも良いんだけど」


「だからちゃんって呼ぶなッ!」


 めんどくせぇな。


「じゃあ、ハバラの種族を当ててみようか?」


 僕はハバラの姿を再確認する。くすんだ赤毛、派手な民族衣装、風変わりな面。衣服類から晒される肌は見えてはいない。極力晒さないようにしている、としか思えない作りだ。


「一つ、君の身長は百四十未満、かなりの矮躯だね。二つ、君の名前は回文である点。三つ、容姿を極端に秘匿する衣服だって事。そして四つ、その身体能力の高さ」


 天井の梁から軽々飛び降りたハバラに、身の熟しに僕は記憶に整理していた情報を繋ぎ合わせていた。


「回文ってなんだっけ?」


「……、トマトみたいなどっちからでも読める文だよ」


「ふーん……」


 春風の緊張の糸は切れたらしい。三十分しか保たないのか、残念だ。


「兎角、君は異種族である可能性が高い。しかもその矮躯と態とらしい(・・・・・)赤毛から、恐らく君は、自身の種族を疎ましく思っているね」


 ハバラ・ラバハは黙したままだった。春風は緊張が抜けてしまい、煮物にまた手を伸ばしている。横に座る保護者は気にしていないようだし、僕を倣って流す。


「疎まれる種族とはなんだろう? アガレス王国は差別が少ない国だ。異種族を弾圧しないし、異種族だからと贔屓もしない。悪く言えば事勿れ主義って奴だけれど、住んでいる人々も存外に受け入れる姿勢があるみたいだよ」


 アガレス王国で出会える異種族には限りがあるし、異種間との共生化は着々と進んではいるが未だ難航中だと言わざるを得ない。アガレス王の腹心、確か、セルブ。セルブと言う宰相が先日言っていた。身元書類がある分だと二割程度は異種族であるらしく、主に古来人種(ラルヴァスダラーダ)と呼ばれる者達だ。彼等は独自のコミニティを築いており、人間種へ干渉するのはその中でも新しいコミニティが多い。


 閉鎖的で排他的な民族もいるにはいるが、この世界で数が一番多い異種族ではあろうか。


「つまり、君は古来人種(ラルヴァスダラーダ)だろう? しかも、きっと祖先に近いコミニティか……或いは、疎まれてないかな」


「……! な、なぜッ?!」


 激しい動揺に、民族衣装が遅れる。|珠簾《美しい玉を用いたすだれ》のような装飾達が玲瓏に鳴った。僕は観察力に優れた人間なので、頭の回転を利用し導いた結論なだけだけれど。勇者って立ち位置がハバラをより混乱へと招いているのだろうな。とは言え、当てずっぽうではなく確固たる確証があってハバラ・ラバハを古来人種(ラルヴァスダラーダ)と判断したのだ。一つ目に矮躯、彼等は背が兎に角低い。成人したとしても百四十を越える者は存在せず、齢を重ねようと幼い傾向にある。二つ目に、大きな被り物で頭部を隠して僅かにこめかみや後頭部の毛を見せている点だ。


 しかし古来人種(ラルヴァスダラーダ)には赤毛(・・)は存在しない。だから普通は否定すべきだが、僕はそれが態とらしい見繕った姿に見えるのだ。大きな被り物の一部であろうと踏んでいる。三つ目に名前だ、彼等の風習か名付けのルールとして苗字と名前が回文になっている事が絶対なのだ。古い風習らしいのだが、僕が知る限りの情報ではそうなのだ。


 可能性として、敢えて僕を誘導している線は否定出来ないけれど、ハバラ・ラバハは適度に嘯く器用さには恵まれてはいないだろう。全て偽りならばそれはそれで拍手喝采すべきだけれども、そうはならない。


古来人種(ラルヴァスダラーダ)は別段疎まれる種族でもないし、隠すものでもないだろうに。どうしてハバラは隠すのかな」


 ハバラは大きく肩を落とし、金属の塊を回転させて首を捻る。何回か回すと、決意したのか被り物を揺らした。


「……はぁ、別に……? オレは……お前ら人に隠してねえよ」


 中性的な声、男女のどちらにも捉えられる声質が鼓膜に触れる。ハバラの手にある金属の塊、神造兵器が床にどんと置かれ、その矮躯が動く。徐ろに珠玉が垂れる被り物から、頭を引っこ抜くと古来人種(ラルヴァスダラーダ)最大の特徴である捻じれ曲がった、羊のような角が一等に目へ飛び込んだ。金色の謎めいた結晶が角を彩り、深い紺を基色に、魔石照明で光りを反射している。思わず綺麗だと口にしそうになって、意識を傾倒させつつ。


 角は、誇りなのだそうだ。磨かれた珠玉のように、深い紺と濃い緑が織り成す色彩は何時までも飽きない移りを見せている。ワンポイントに金が混じった角は、確かに、そりゃあ綺麗なものだった。だからセルブさんが闇の話で古来人種(ラルヴァスダラーダ)を引き合いに出し解説したのだろう。角は必ず誰かに売れる(・・・)。彼等が人から離れ遊牧民を続ける意味が、説得力が角にはあった。


「……随分、綺麗やね」


 ウェンユェが思わず口から溢した。褒め言葉に、ハバラの頭部、人の耳がある場所から横に垂れる赤毛(・・)に包まれた獣っぽい耳がぴくぴく動いた。僕は、くすんだ赤毛に正直驚いている。特徴は古来人種(ラルヴァスダラーダ)でしかないのに、古来人種(ラルヴァスダラーダ)では存在しない赤毛(・・)の子だ。丸っこい顔に、円な瞳、少し上向く鼻に、くすんだ赤毛だ。


 赤毛である。赤毛なのだ。被り物を外すと少女っぽさが強くなって、僕はやはりちゃんを付けるか逡巡する。約二秒。他六秒。


「ハバラ、君は……同族から隠していたんだね」


「綺麗だと思うけどなぁ……耳可愛いよな。妹がおんなじよーなパーカー着てたの思い出すわ」


「せやねえ、ええ角やんか。どないして隠すん? ああでも、悪い奴に付きまとわれるもんなぁ?」


 凄い嫌味だな、感心する。凄えなこいつ。


「人に隠してねえって言ったろッ! オレの話を聞けてめえらッ」


 被り物をぶんぶん振り、怒り心頭だが威圧感は被り物と共に消えていて、どうにも肩から力が抜けて仕方がない。確かに、ハバラ、そうハバラちゃんの言う通りだ。人には隠す気はなかったのだろう、隠す理由を悟られ難いからだ。古来人種(ラルヴァスダラーダ)は赤毛を忌避している、災厄を招く、凶兆の目印だと言う。アガレス王国の資料からの情報だから信憑性は高い筈だ、きっと。王族の抱える知識では細かな理由や要因は記載されてはいなかったのだけれど、産まれない子であるからだろう。


 アルビノや虹彩異色症は、元の世界でも異質とされ忌避されていた。物珍しいとは即ち、分からないから怖い、である。だから僕は考えていてもどうにもならないなと、実に利己的な思考で早々に打ち切る。そしてついつい、目の前で揺れる切っ先っぽい角に手が動いた。ぱしっと角に触れた、捻じれ一回転する角にだ。ひんやり冷たくて、すべすべで、とても硬い。金属より温もりがあって、布より冷たい。


 そして、思い出した。やらかした。


「あ」


 やばい、やらかしたぞ。


 ハバラちゃんは、円な瞳をぱちくりさせて僕をまじまじと見詰めている。朱色の瞳に意識がない。現実を認識するまでに一体何秒経っただろうか、僕は何事もなかったように手を離して片肘を突く。生温い余った煮物に肉叉を立て、口に一つ。それなりに美味い。


 咀嚼していると、ハバラちゃんが被り物を床に落としたか、珠簾みたいな飾りがじゃらじゃら鳴った。僕は正直、目を背けていた。ので詳しくは分からない。胸倉に小さな手が引っ付いて、するする首に。めきりっ、なんぞ首が軋む。気管が潰れそうな握力だ。アイリスさんを目で止めて、僕は渋々ホールドアップした。


「て、てめぇ……初めて会ったんだ。初めてなのにッ! 初めて……なのにッ!」


「いやごめん、違うんだ。刺さりそうだったからさ」


 ホールドアップ、首を横に振るう。はりーあっぷ、ほーりぃしっと、おおまいごっと、僕は悪くない。


「初めてでッ! て、てめぇにッ! オレがッ! 求婚されなきゃなんねえッ!? て、てめえなんてな! ちょっとでかくて優しそうな女みてーなだけでッ! オレ、や、やだッ! いやだねっ!」


「がひゅぅ」


 あ、やばい。気管だけ締まっていて喋れない。言い訳は良い訳なし、であるか。ふむ。あ、やばい。血流が減って阿呆になって来た。真面目に考えなきゃならないのに。あ、ハバラちゃん顔真っ赤じゃないか、可愛い系だ。セルフちゃんより活発っぽい。いや違うだろう、先ずは考えないと。首を絞める手は小さいけれど、僕は振り解けないだろう。腕力は僕よりあるのだ、古来人種(ラルヴァスダラーダ)とは身体能力が比類ないと書いていた。


 ヘルさんでもどうか分からないけれど。多分本気なら僕はミンチである。喉を絞めるのは力が入り過ぎているだけ、脅しが命に足を伸ばしているに過ぎない。だから。あ。ちょっと指先に痺れが。不味いな。


「……ぐ」


 僕は精一杯の抵抗に思考を蹴飛ばし過去を振り返る。先駆者達の選択を振り返る、こんな状況は初めてだ。どうしたものか。あいつなら多分更なる燃料を追加するのだろうけれど、では英雄ならばどうする、いやいやどうするもあるか、こうはならないから。指先の感覚が薄くなっている。春風は、またかって目で僕を見ている。いや違う、助けろ。


 ウェンユェは笑っている、てめえ覚えてろよ。アイリスさんは剣を彷徨わせて伺っている、が、頼むとハバラちゃんの腕が宙を舞うので却下。セルフちゃんは、駄目だオロオロしているだけだ。く。ならば厨房から顔を出す店主。


 おい待て逃げるな、料理器具で顔を隠しやがった。てめえもっと美味いもの作れよな、特にパンは硬いし風味が悪いからな、この、てめえ。


「んー? まぁたやらかしたのかい、少年」


 この声は。やっと来た。目を向ける、二メートルを凌ぐ女傑が、膨大な赤髪を床に引き摺って何時の間にか立っていた。ハバラは、背後からぬっと影を落とす巨躯に飛び跳ねた。木製の床が膂力により弾け砕けた。破片が辺りに散り、アイリスさんがスカートを翻してセルフちゃんを庇う。


 くるくると縦回転した矮躯が、巨大なレンチ片手に天井へ。梁に足を引っ掛けて、重力を無視した姿で静止した。細められた朱色には獰猛な気配。赤さでは勝る女傑は灰色のローブを靡かせて、肩を大袈裟に竦めた。いや、片肩と言い直そう。何故なら小脇には、痩せた女の子が抱えられていたのだ。


 ハバラ・ラバハは珠簾の飾りをざわめかせ、カラカラとした音色を奏でた。黒く金に輝く、巨大なる工具が女傑に定まった。


「おいおい、待ちなよ。あたしは話し合いって聞いたんだが……」


 ヘルさんは頭を乱雑に掻いて僕を睨んだ、騙したつもりはない。気配が薄いヘルさんが悪いのだ。僕だって不意に二メートルの巨躯が背後に立つと驚くと思うし、ハバラちゃんは百四十もない矮躯だからそりゃあ過剰な反応を示すだろう。


「て、てめえが赤き勇者かッ! ツェールから離れろッ!」


「うん? ああ、この子かい? いや聞いてくれよ、この子は鎖に繋がれてたのさ。なんだっけか? クランって所でよ」


 ぞくりとする、圧力に。身体から迸る赤や青が建物を震えさせる。室内の気圧が上がったような、身体中を包まれるような、布団の山に埋まるような錯覚と喉奥に突っ掛かる酸素。僕は、ハバラちゃんを見上げた。苦々しい顔で。


「てめえ、オレのクランに手を出しやがったなッ」


「あぁ? あんな酷い仕打ちした元締めかい? なら、拳骨食らう覚悟はあるんだろうねえっ! あんたのお仲間はおねんね中さね!」


 犬歯を剥き、腰を少し落としたか。


「ツェールから手を離せッ!」


 怒号。


「見過ごすかってんだいっ!」


ホジュンババ(大馬鹿野郎)!」


 聞き慣れない言語だった。ハバラ・ラバハちゃんの口から放たれた音程や抑揚は独特だ。セルフちゃんの翻訳奇跡を貫通し耳に残ったのは、普段耳にする公用言語とは相違点があったからだろう。


「がはっ!? なん。だいっっ?!」


 突然、巨躯が傾く。蹌踉めいて、小脇に抱えた少女が床に転がる。更には、あのヘルさんが傍らにあったテーブルを粉砕して転倒しているではないか。


「チィッ! ホジュンババ(大馬鹿野郎)!」


 ハバラ・ラバハの矮躯が跳ねる。金属の塊、巨大な工具が舞う。凄まじい風圧で、僕は転げたらしい。後頭部の痛みに瞬きすれば、壁に衝突していたと、気付く。痛みより先に状況把握を優先して、セルフちゃんとアイリスさんを見付ける。次に、砕けたテーブルから跳ね起きるヘルさんと。


 曲がり角を持つ矮躯が、ツェールと呼ばれる病的な娘に飛び掛かっている。否、飛び掛かられて、壁に背を叩き付けられている。否、背中が壁に埋まっている。工具で掴み掛かる手を防いで、勢いを殺せず膂力すら負けて押し潰さんとしているのだ。


「ツェールっ! ツェールっ! もう動くな! オレを見るんだツェール! ぐぅッ!?」


 床を踏み込む、矮躯の素足。床を砕く厚底の靴。何処かの貴族だろう洒落たドレスで、身丈の低いハバラ・ラバハを押しやっているのだ。有り得ない光景だ、ツェール・マグナスは人である。人は古来人種(ラルヴァスダラーダ)の膂力に敵わない、どれだけ肉体の大きさが違っても、あの今にでも折れそうな足や腕は鉄の塊を飴細工のように簡単に砕き(・・)、薄っぺらな紙のように引き裂く(・・・・)力があるのだ。


 そんな怪物を、剰え同じ身丈の女の子が優勢であるのは納得出来ようものだろうか。


「ツェールぅう! とまれぇッッ!」


 春風は、いや、ウェンユェは何処だ。僕は痛む身体を起こして。再び強烈な風に、ものの見事に、軽々しく、発泡スチロールの如く、吹き飛んだ。あ、これ、ちょっと考えてなかったなと。何処か他人事に、脊髄反射のない僕は瞬きせずに、ああ、一週間振りとなるだろうか。


 迫りくる物体への肉体殴打を、顔面に味わった。鈍く酷い響きが、脳髄を跋扈して、そして、なんだか、現実が朧に苛まれて、痛覚と骨が折れる感覚と、意識の明滅と。頭の上に眩く光に。


 あ。また。これだ。なんぞ反芻して。鉄の臭いに、僕は。


 ハッシューバップ・カフェンは古来人種で赤毛で剣聖。


 剣聖も様々ですね。

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