よくある異世界転移ものらしく
僕は勇者らしい。
そもそも、第一に勇者とはなんだろう。勇ある者、とするならば僕にはない。怖じけて挫けて流されて、勇者らしい出来事に不向きな人格をしているように思う。行動の面でもなにかを変えようと能動的に働きかけた試しもなく、大方二進も三進も行かず詰んでから遣る方なく行動しているようなのが僕だ。
例えば僕がなにかをして変化したとしよう、より良い方向に進むとしても、その第一歩はどうしようもなく出ないだろう。傍観者、或いは言葉を選ばなければ、屑でしかない。
では勇者とする定義に内面を適用するとなれば、それこそ僕には有り得ないし似合わないし、虫酸が大気圏を突き抜け宇宙にすら飛ぶものだ。なんたって僕は別れに対して希薄で薄情だ『またね』に『どうだかな』とか『さてね』ってにべなく返す人間だし、有り体に言って、僕ならそんな勇者好きになれないのだけれど。
それならば、実力の面で勇者の可否を判断出来るだろうか、聖剣よりナイフの方が似合う勇者なぞ、それは勇者足り得るのか甚だ疑問だ。なにより、実力の有無だけで勇者であるかなんぞは無関係だと思うし。
最弱の勇者、もとい最弱でも勇者は名乗れるのだし、実例を僕は知っている。そいつは絶対勇者と呼ばれてすらいるのだ、長い歴史の内たったの数十年しか生きなかった癖に。故に、勇者は力のみで選定出来ないのではと思うようになった。僕が無力でなくとも、力のみで選別された勇者なぞ御免被るものだし、そんな筋肉野郎はお呼びじゃない。
ならば更に視座を変えよう、魔王の敵、魔王を打倒する者を勇者とすれば僕は勇者と呼べるのではないだろうか。
いやきっとないなそんな話。戯言も過ぎれば虚言に至るものだけれど、まあ凡そ蓋と函の違いってものも大概どうとでもなる損な話だし、実際問題、現状の把握に追い付いて面倒だなって感じているだけなのかも知れないけれど。一等に優柔不断に曖昧模糊にするより、喉に突っかえた違和感を呑み込んで。僕は改めて勇者とは、と思考を回す。
「勇者……ねえ。聖剣とか持ってるイメージだな、僕は。魔法なら光属性ってやつ。あと……白い服で名前のどっかに神とか入ってそう。それに、元日本人の転生者みたいな……?」
随分、すんなり納得出来た。超幼女にあげた刀三本携えれば様になるだろうか、いやないな。服は、ああ、そう言えば今日はしーちゃんに押し付けられたアロハシャツにジーパンだった。勇者には到底、見えないな。
僕の有り触れた名前に神なんぞ大層な代物は入ってないし。兎も角と、僕は現実逃避を止めた。
言葉が分からない少女に連れられ、呑気に街中を歩いていたのだけれど。
文明水準は建築物から見れば、そうだな。中世と言われたら其処まで古くはないし、近世に酷似しているのだが、どう見ても衛生観念の高さが伺える。大通りらしき場所しか散策してはいないけれど、石畳に乱雑に塵は放られてはいないし異臭もしない。中世ってのは最悪だ、汚え臭え世の中が腐っていて、個人の主義が暴力に螺子曲がる時代だ。
黒は白になるし、白は黒になる。中世に僕は夢を見れないけれど、見た感じ、もっと繁栄している。いや、一般的に偏見で固まった想像通りの『中世』って奴ではあるのかも知れない。
「無知は罪だし罰だな……絶対現代一択なんだけど」
行き交う人々の服もやや古めかしいものの清潔で、色彩も鮮やか。なのに遠目にも工場地帯らしきものもないし電気やガスの気配はない。歪な文化体系ではある。論理的に、理論的に解説出来ない抜けがある気がする。
数多ある露店には看板もあり、レジらしき箱の前で店主と客が硬貨を遣り取りしているし、商品には説明なのか字の書かれた板が添えられている。
識字率がそれなりに高く、値段の交渉なりも可能で衛生観念も悪くなく、治安も見た限りは悪くはなさそうだ。チグハグさはあるが、中世ってよりは近世寄り、第一時大戦前の石油革命真っ只中なのに肝心の石油なしって風体だ。ああいや、流石に過言だった。
道は石畳、建物も石、木ばかり。でも、硝子製品もあるし、鏡だって売っている。あれは、なんだろう。露店の一つに軽く目を向ける。
金属の加工品だ。他にもちょこちょこ目に入るし、いよいよ以て、時代が分からない。前を行く小柄な少女の、修道服特有のベールを流し見る。
「ねえ、君。一つ質問したいのだけれど、良いかな」
「はい? なんでしょう勇者様」
言語は通じる、僕がなにかをしたのではなく少女。名を未だ聞いていなかったな。が、なにやら光って僕の右手に触れてから意思疎通が可能になった。僕の口から放たれる音の羅列は日本語なのだが、少女の歌みたいな羅列も変化がないが、どうやら通じるようになったので気にもしていないのが本音だ。魔法や魔術に奇跡にうんたらかんたら、のなにかではあるだろうけれど。
いずれにせよ、会話が可能になったので、手暇でもある。この際、疑問をぶつけるべきだろう。時代云々ではなく、もっと核心的な認識に付いて。
「君が言う勇者って、僕の事だよね」
「はい、そうです。勇者様」
「勇者の定義ってのはどうなってるの? 僕は少なくとも救いを求める人間の手を素気無く弾けてしまうのだけれど」
少女は、その深く澄んだ瞳で僕を見上げた。思えば、大通りの一角で見つめ合う形になっていた。
僕は存外に背が高く、随分下に頭があった。蜂蜜のように煌めく髪と、林檎のような赤みのある頬。素肌を覆う修道服らしき黒に、嫌に明確に白い肌は浮いている。儚い印象だが、僕の知る限りの知り合いにはもっと背が低くて脆くて幼くて無垢で壊れた子がいる。そう、なにかあって壊れた子だ。
その見た目十代前半の子に比べれば健康だし普通だし、保護欲らしきものも芽吹く気配はない。何分、見慣れている景色だ。知らない話ではなかったし、知りたい光景でもなかった。目端に映る街並みを観察しつつ、少女、十代後半辺りだろう修道女を見下げる。
「勇者様は、この国を、民を救ってくださると聞き及んでおります」
「義理立て云々なら、恐らく、きっとさ。僕は元の世界から拉致された事になっているだろう被害者な訳だけれど、突拍子も無く世界を民を救えって述べられて二つ返事で頷く程に頭の螺子はとんじゃあいないし、なんなら正にこうして言うべき事柄を君にぶつけてるんだけどさ」
実際どうなんだよ、と。ぶっちゃけ僕の事だが心底どうでも良い話だ。召喚された身、の体だから至極当然に言うべきだろう台詞を口にはしたが、僕は所謂、異世界召喚被害者ではない。一般人だし、同時に氏族の中でも上位にめり込む人間だ。有と言う全てを背負う者達の末席にいて、烏滸がましくも蚊帳の外で、慎ましくも浅ましく、平坦に関わらず生きて来た。が、此度は他でもない英雄と幼女から名指しされた。
何してくれちゃってんの、頭可笑しいだろ。とか、はは、わろす。とか、言いたいし、言ってやる。多分どうせ言えないけれど、ちゃっかり覚悟したのだ。僕に定番は分からぬ、しかし人一倍異常に精通していた。かの暴虐で残虐で排他な幼女は泣かせねばなるまい。
うむむ、と。少女の困ったような顔、名も知らぬ花の香りを漂わせる、名も知らぬ少女の言葉。相手は、勇者と確信していて僕は懐疑的に少女かどうかすら疑っている。
あの服の下を見てもないし、訊いてもないから。僕は疑ってばかりだ、己自身ですら疑いの指先をめり込ませるのが、僕と言うどうにもならん人間の生態だ。
「勇者様のお怒りは、ご尤もです。しかし……勇者様……どうか……この国の王に会ってくださいませんか……?」
「……ふうん」
丸投げじゃないか、それ。とも言わずに。だからさ、質問を有耶無耶にするな。とか言わずに。押し並べて冷たく相槌で澄ます。どいつもこいつも、と、アイツなら言うのだろうなとも脳裏に過る。
にしても、王と述べた。王制の国が悪いとは言わないが、法制国家日本の民としては受け付けない文化もあるのではないだろうか。貴族階級制度に諸々、会う以前に頭痛が増した。王が、と言うのなら国主導の行事、もとい儀式ではあったのだろうけれど。国がやるとして、現場に修道女達だけとは如何なものか。文官の一人や二人は控えさせるべきではないだろうか、いいや、この場合考えるべきは召喚された理由や訳なのかも知れないけれど。いやいや、次いでに文官があの場にいないとなると代替となる人物がいると言う事になる。
目下、案内の手を止め僕に向き合って来る少女こそ文官が控えていなかった理由ではないだろうか。
両手を胸元で合わせ、上目に僕を見る姿からは噂に聞く貴族っぽい傲慢さも野心もないようだけど。修道女っぽいしそりゃそうなのかも知れないが、何分、僕はやっぱり疑い深い人間だ。部品の製造かなにかがどうにかなっちまって欠陥を抱え、本来想定されていた機能から逸脱した機関が動いてしまっている。
人差し指を立て、少女を示す。
「君は、一体なんなんだ? なにかしらの宗教家だとして、国事に一枚噛んでいるようだし。窮地に陥っていない国に態々僕を呼び付けた理路は理解に苦しむし、なによりだ、なによりお前……じゃないな……君の立場が僕には分からない」
少女の目が僅かに大きくなった。
「なぜ窮地でない事を、いえ……勇者様ならば……。わた、し……は……えっと、申し遅れました。セルフルクル・メルクマルクロストと申します」
「せる、める、く……ん? ごめんもう一回お願い出来るかな」
なんつったんだこのアマ、じゃない。僕は冷静な大学生だ。よし。少女のカーテシーに似た所作にはやや目を引かれた、僕だって初めて、ではないけれど、見慣れないものだからだ。優雅で高貴な振る舞いなら英雄に勝るものはないけれども。
「セルフルクル・メルマルクロストです、勇者様」
「……、……。ごめん無理だ、前後不覚に陥った。愛称とかないのかな」
「そう、ですね。えっと……」
顎に指を添え、暫し。少女の唸りの後、思い付いたのか手を合わせた。
「セルフ……とお呼びください勇者様」
「分かった、そう呼ぶよ。えっと、セルフ、ちゃん」
性別不詳、暫定女性。身長は百五十位かな。詳細は妥協し、看過し、保留する。
「はいっ。ところで勇者様のお名前は?」
「ん、ああ、僕は……」
「――俺の邪魔をすんじゃねえよ、あぁ? なに言ってんだコラ?」
名乗ろうとした間際、肩に強い衝撃が走った。肩にぶつかって来たなにかを目で追うが、それは僕に用がある訳でもなくばセルフちゃんにも意識は向けていないようだ。
僕よりは背が低いが、妙に見覚えのある服装だった。多少お洒落になった学生服、と言った風情なのだ。この世界の人々の装いとはズレた空気に、黒装束が目の前を通過した。
あれは、魔術師になるのだろうか、男や女が連なっている。
追われる男は若く、十代であろうか。腕捲くりして、着崩して、茶髪のアシンメトリーの刈り上げで、粗暴な言動だ。どう見ても不良だ、僕の人生であまり関わりのない人種。魔術師の女に手を引っ張らて止まるように言われていたが、不良は目を吊り上げつつ歩を繰り出している。
「だから離せっつってんだろうがっ! あぁ? なーに言ってんのかもわからねえし、妹は何処だよオイッ」
怒号に酷似していた、が、魔術師の手は振り解いてはいなかった。見た目からも力負けしているようには思いようがないし、となると外見に似合わず根は穏便で温かな人柄なのだろう。
隣で、驚いたのか諸手を包み抱えるセルフちゃんに目配せ。どんどん離れる不良と魔術師風の男女達。
「あれは、知り合いかな」
「いいえ……恐らく……勇者様……かと」
「……ふうん」
おや、勇者が一人ではない可能性が出て来たぞ、と僕は反芻し胃に下す。
「勇者……か……」
勇者、勇ある者。または、魔の王を打ち倒す者。決して諦めなかった者、挫けず抗う者、先んじて導く者。勇者と英雄は別物だ。僕はとうに知っている、そして僕は勇者なぞ尊い人間でもない。
有り触れた些末で些細な日常を尊ぶ、普通な大学生だ。