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勇者とは?


 振り返ろう、僕はどんな人間だろうか。


 少なくとも褒められた人間ではないし、称賛ではなく硝酸を浴びせられるべき人間だ。何故、僕は人殺し未満の人でなしだからだ。他人と自己を明確に区別しているのに他人と自己の境界線が曖昧な僕だから、だからきっと人の気持ちが終ぞ分からないのだろうけれど。綺麗事が嫌いだ、煙に巻く態度に嗚咽が上がる、見繕った粘性のある蠱毒に皮膚が内から裂け膨らむのが、目にも耳にも堪えられない。絶えられないから、僕は足が止まる。


 振り向く先を見透かせない、渦のような凍て付く暗がりへと沈むばかり。膝を濡らす泥濘に足が上がらなくて、進めなくて、重力に従って流されて没するままに。流れ星が横切る宇宙()を視界の果てで捉え、願い託すにはあまりに儚く脆く、それでも尚手を伸ばすのは僕が歩けなくなったからだろう。


 その星と共に全部消えちゃいそうなのに、月夜に爆ぜて輝く夜空の下から願うのも祈るのも、当たり前ってもんがどうにも理解が出来ない。ああ、これは、これは死に至る病(・・・・・・・・)だ。自己喪失に驕って、奢る程に豊かでもなく言えない(癒えない)病に反吐が出る。どうだって良い癖に、つまらなかったとばかりな顔で感受性の薄い馬鹿の戯言でしかないのに。


 thinking nothing else will hurt quite like this,

 and yet even now i'm still breaking down.


 僕は目を覚ましたまま、現実を薄めて見ている。鮮やかな太陽に焼かれる錯覚の後、黒衣のドレスの揺らめきを認識する。


 僕の前、朝だってのに真っ黒な姫君はいた。


 僕『に』割り振られた自室なのだが、鍵だってあるのだが、ああいや鍵はしてなかったかも知れないな。僕は近頃うっかり忘れる、元々の借家の悪癖で戸締りをしていなかったのかも知れない。


 名も知らぬ侍女達には無言にて退散して貰っていたのに、寝具の上で寝たふりをする何時もの習慣は黒衣の飛来で頓挫した。聖女たるセルフちゃんが呆れて部屋に突撃して来やがるまでは、こうして無駄に過去に嘆き苦しんで、少し多めに振り返るばかりの僕を今回引っ叩いた現実は、鮮やかではないものの色濃くて網膜が拒絶した。


 取り敢えず僕は恒例になりつつある狸寝入りに移行して、自己に斜めに向き合う事にする。が。のだが。そうしたかったのだけども。


「おぶっ!? ……! ……!? ……かッ!?」


 呼吸器を抑えられてはそうも言えなかった、正直腹立つけど顔面に押し付けてふんすと鼻を鳴らす姫君を睨む。金色の瞳と重なった。離れない、ので、左手で姫君の小さな顔面を鷲掴み押しやった。


 顔面の重みを離せたけれど、耳は変わらず跳ねたりしていやがった。顔面を鷲掴みにする僕もどうかとは思うけれど、あいつみたいに関わって来るのが悪い。


 僕に単なる美人も可愛いも通じないので、万力のように力を込めた。普通に痛そうだ、無言ではあるがじたばた藻掻いている。


「……っッ! 不敬(セフゥム)ッ……! 不敬(セフゥム)ッ……!」


 誠に強い抗議だ、不敬は貴様だ。


「どの口で言ってんだこいつ……」


 まじでそう思う、寝ている人間の顔面を胸部に沈める方がどうかしている。倫理観はどうなっていやがるのだ。


 まあ、あいつなら顔にレモンを絞るだろうけど、無論僕は涙を浮かべたままに親友の鼻先へ鉄拳を見舞ったが。あいつは鼻血を畳に注ぎながら笑顔でおはようと宣うのだけれども。


 どいつもこいつも、他人に簡単に関わって来やがるのは吝かだ。そう、吝か、だ。長い耳がしゅんと萎びたので頃合いだろうと鑑みてぱっと手を離す。


 普段は魯鈍極まるのに、今回ばかりは堪えたようだ。姫君らしくなく、即座なる所作で顔を諸手で摩っている。晴天霹靂、淀みのない太陽光に夜を塗りたくっているのも変わらないが、変わらず関わって来るのもどうかしている。詮方なく、上体を起こして寝具の端に足を投げ出す。


 数秒待つと、柔らかな陶器が僕の目前に。人差し指だ。


不敬(セフゥム)……」


「…………あっそ」


 僕ながら素っ気なかった。長い耳の動きが落ち着いたか、僕の顔を覗き込むと怠惰に微睡む唇を動かした。


「わたくしの勇者様は悪をどう視ていらして?」


「……交通事故。馬車に轢かれる子供と同じさ。えっと……なんでこう……脈絡無視するかなほんと……」


 頭痛で痛い。そう言えば頭痛で痛いは重語にならないんじゃなかろうか、頭痛は症状で痛いは感想だし、それぞれに込められた意味、携えた形には大きな違いがあるのだから。どうでも良いけど。ちょっとは気が逸れた。


「そう。では、人は何時死ぬのかしら? 忘れられた時? それとも決まっているから?」


「……生きてるからだろ、飾り立てても良い事ないよまじで。生き物は死ぬべきだし、死なない生き物ってのはいちゃいけないんだよ。まあ、死なんて解釈によるけども……概ね生きていたら死ねる。おすすめしないけどね」


 僕は肩を竦めて適当に口を動かした。黒き姫君はゆったりとした動きで真っ白過ぎて色素のないかの如き髪を手の甲で掬って流す、一つ一つの動きが洗礼された絵画のようで非常に落ち着けない。馴染めないし見慣れない。代理で慣れたつもりだったけれども、実際そうでもないらしい。朝日で煌めく銀髪は本当に綺麗で脆そうだった。


「剣聖は……斯様な……。勇者様、人は救えるものかしら」


「……。助けられないし、助からない。救える訳ないだろ、都合が良いだけさ……。前にも言ったけど、人はみんなじゃない、人はひとりなんだよ。どうするかなんざ僕に分かるか」


「では、見捨てるものなのかしら」


「……はぁ」


 朝からなんでこう。なんでこう、本当にさあ。僕の荒れそうな心を俯瞰して嘆息に逃がす。クールに行こう。僕は冷血な奴なのだし、沸騰するには沸点が低過ぎる。起こし方に不満はあったけれど実はそんなに嫌じゃないのだ、方法は未だ親友より常識的、ではないか。ではないが他者との関わりを知ってはいた、一応は。問題は関わってさえ来なければ、である。そもそも論だ、経緯ではない。敵がどんなに良い奴で高尚であれ、五月蠅い死ね、なのと酷似している。


「勇者とは正しくあるべきもの?」


「……いやそうは思わないな。そもそも、魔王打倒とかって不意打ちの正当化だし。僕の世界なら不法侵入に過失致死、最悪名誉棄損も訴えられそうだけどね。正しさと悪しきなんざものを勇者に混ぜるのは堕落的だよ。流れ星みたいに抱えて爆ぜるかも知れないのに、気が知れないね」


 僕は、大袈裟に肩を竦める。背から射し込む朝日が眩しくて瞼を下した。


「ではわたくしの勇者様なら、祈り願っても宜しくて?」


「……ん? おつかいなら嫌だけど」


「ええ、宜しくて?」


「…………、ん?」


 なんだ、意味が分からない。分からなくて不可解だ。


「…………はあ」


 呆れている、ではなく喋る事に疲れたような溜息。事実そうなのだろう、他者と言葉を交わすのを彼女はあまり好まない。僕に対しては積極的だが、僕以外が彼女の声を確りとした認識で知っているかは甚だ疑問だ。僕より耳に馴染んだ奴はそうはいまい。


 心底疑問に思う程度には口を動かさないので、時折彼女の世話をしているだろう侍女達には同情しているしプロとアマの差を感じる。僕だって侍女と会話した試しがないけれど、それは世話される謂れがないからこそだ。


 目の前で憂い涙袋に影を差す彼女の場合は状況が違う、着付けが必要だろう衣服なのにだ。全部同じように思っていたが、毎度衣服が変化しているのをちょっと一昨日位にはたと気付いた、当たり前なのに。


 大まかな括りは確かに変わらないのだけど、細部の刺繍やフリルの量には変化があった。人形のような彼女ではあるけれど、豪華絢爛な喪服みたいな、まあそんな服を一人で着られるとは思えない。


「……はぁ。勇者様、……少女の病を癒して差し上げて」


「……医者じゃないんだけど……医大生だから強ち間違っとらんって奴だな」


 一応は医大生だ。優れた現代医療に知悉する身ではある、とは言え医療の進歩を体験しつつ恩恵を受けつつも、じゃあこの身一つでどうにかなるものだろうか。否である、道具もないし抗生物質すら怪しい。


 この世界の医療は女神の奇跡に依存している部分が多大で、民間医療も呪いのような薬草を煎じた程度。内側を侵食する癌には無力だろうし、百年前位には感染病で一万人に迫る人間が死んだようだった。


 王宮の持つ資料を漁るのが日課である僕は歴史を読み返すのだが、一万人に迫る、とはこの国の人口の半分だ。普通ならば滅んでいるが、その辺りから女神教会の勢力は干渉を強めたようだった。奇跡は感染病に通じたのだ、最初こそ御布施有りきだったようだが、直ぐに事態の深刻さを理解し女神教会は大々的に人員を割いた。


 他国に散らばる女神教会の信徒、聖職者を招集し感染病の拡大を抑えたのだ。故に、アガレス王国は女神教会に頭が上がらないのだ。僕みたいな人間は、感染病の発生源が女神教会で盛大なマッチポンプを疑ってしまうけれども。残された資料を漁る限り、その感染病の特徴は肌に痣が浮かび終いには血の池に沈むものだ。肉体のあらゆる場所が脆弱となり、崩れるように死ぬらしい。


 細胞の自己死亡、ネクローシスやアポトーシスに似ている。真意は定かではないが細胞組織がもし暴走した自壊を繰り広げた末路ならば身体の崩壊には納得する所がある。


「それで? 女神教会に頼らない理由は?」


「教会は、御布施を求めるもの」


「……慈善事業、じゃなかったなそういや」


 価格は破格、ではない。民間人が普段遣いで手を出すには躊躇するけれど、払えない額ではない。但し、最近の女神教会の実態はどう変化しているのかは把握し切れてはいない。が、僕のような勇者ならば話が変わる。


「あれが払えないって事はない筈だけどな……」


 腕を組み思案する。教会が利用不可能な理由。金でもなくば身分でもなし、病の完治を主題にするならばきっと。色々思考を走らせる、時期を鑑みる、敢えて僕に頼む姫君から逆算する。僕でなければならない理屈。論理的且つ理論的思考で穴埋めする。導かれる答えってものは存外無限ではない。確率論ではあるし、統計でもあるし、真実とは呼べない。しかし、人類が古きより築いた牙城、学問ってものは極限まで突き詰めると未来予知に迫る思考回路を形成するに至る。


 故に僕は当然、当たり前に分かる事だけ分かるから。知っている事だけ知っているから。


「……なるほどね」


 そこそこに分かっていた。だからこそ次なる現実を演算する。必要な情報が不足しているし、事態の全容は憶測と推測で埋め足している。不完全であれど形は整えた。出来上がった形に対して、一撃で崩壊させる手段を加味する。話の支柱、根本、根源、それをどう崩すか。台無しにするか、僕はそう言った事柄に聡いので熟考するまでもなかった。


「よし、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃん。僕はその不治の病の誰かを誘拐しようと思う」


「…………そう、宜しくてよ」


「……名前とか知らないかな? 見た目の特徴あると良いんだけど」


「ツェール・マグナス……酷く痩せた……白髪の女の子……」


「ふうん、そっか。じゃ、丁寧に攫わないとね。となれば我等が勇者一行、赤き勇者に頼むのが妥当かな。後はそうだな、不治の病の治し方(・・・)って奴を考えなきゃね」


「……そうね」


「治し方を考えてるから、僕はこうして人でなしなんだけども。話し合いってさ、土俵が違うと通じないんだよね。話し合いの席に座らせるには十二発位は殴っても良いってのは親友の言葉さ、しーちゃんは苛烈で熾烈だから殴り過ぎな気は……するけど……効かないしね、うん。いやほら、嫌でも耳を傾けさせる手段ってのは……人間の弱点や傷口に凶器を突き立てる事だからね」


「……碌でもないわ」


「いや、ほんとにね。褒められたやり方じゃあないさ。でも別に僕は悪かったり善かったり、正しかったりを綯い交ぜにするし、どれもこれもが甚だしいものだ。実際そうじゃない? 経緯、経路って踏み外さなきゃどんな形でも道なんだぜ?」


 僕は決め顔でそう言ったが、凄く冷めた、転た寝に微睡む姫君を見て数秒もなく止めた。取り繕う相手ではなかったな、そりゃそうか。


 基本素で話せている相手なのだし、本音や本心は別にしても気楽に構えず会話する仲ではあると思う。僕はそんな糧にもならない事を脳裏で捏ねつつやや視線の上にいる姫君を仰ぐ。


 座っている僕と立っている姫君、背丈の都合から胸部辺りを注視しなければならないのが気掛かりではあるのだけれど。姫君は僕の目線に思い抜ける事も避けて身体を捩るでもなく、堂々と繰り広げる毎日に億劫と怠惰を滲ませ呼吸をする。


 今日の肩掛けたるフィシューには名も知らぬ花の模様が刺繍されていた。僅かな風でも揺れる生地の薄さに、姫君の吐息の形を見る。


「それにしたって唐突だね、僕はそんなに良い人ではないけれど? 誰かを助けるって傲慢に溺れちゃいないし驕れない」


「勇者様ではなくて?」


「勇者ね、うんまあ、そうだったっけ一応。でもさ、僕は勇者には憧れなかった人間だ。正義って奴に酷く寒気がした、人間なんだ」


「それでも、勇者様は……想い人の為に形振り構わず生きるのを、否定しないのではなくて?」


「……手痛いな。いやまあ、そうかもね。だから僕は誘拐する気満々なんだけどさ、分かって知っているから。人間関係は弱点だしね、増えたり深まったりすると強度って奴が落ちるもんだし。失うって選択肢が蔓延るからさ、友達とかって」


 姫君は唐突に、不意に、だが徐ろに。僕の頭を両手で包んで胸元に沈めた。少し、頭がバグった。何秒か反応出来なかった。反応する前に思考が駆ける。


「……わたくしは勇者様の友にはなれは、しないわ」


「そうだね……ちょっと待って、そろそろセルフちゃんが突撃する時間なんだけど」


 体内時計的には。扉、ノックもなく弾ける。勢い良く廊下側へ開かれた。純白の衣に身を包む、身丈の低い聖女はそこにある。僕と黒き勇者を視界に入れたのだろう、頬を押さえてわなわな震えているではないか。直ちに赤面した、変な言葉、慌てた言語の羅列が翻訳奇跡を超過する。


 ぶんぶん振られた腕。小柄な聖女。びしっと指差し。


「逢引ですかぁっ!?」


「違うよ、どっからどう見たってね」


「いやいや! どう見ても恋仲では?! はっ! わたし邪魔ですかね?!」


 不必要な勘繰り。


「いらない、いらないよその気遣い……」


 めんどくせぇなほんと。


 僕は朝一から齎された頭痛が痛い。どうなったにせよ、どうなるにせよ、僕はこれから勇者らしく見知らぬ少女誘拐を敢行する。褒められた行いではないのだけれど、褒められたくて行う訳でもない。赤き勇者をどう言いくるめるかを脳裏で議論しつつ、僕は淡々と姫君から逃れ粛々と暴走機関車セルフちゃんの額にデコピンした。


 そりゃもう、精一杯の力で。加減はした。一応補足。

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