ウェンユェとタイヨー
優雅なる空の旅を終え、其処から更に畳み掛けて露店巡りしてぶつくさと文句を受けて、かてて加え剰え荷物を押し付けられて。不満はあるが不服申し立ては行わなかったのは春風太陽としては珍しい事になる。恩義には報いるべきで筋は通したい年頃でもあって表情こそ捻くれはする、それこそ苦虫を嚙み潰したようなとは正に現在の春風太陽の表情だ。
困惑もあるが、なにより露店巡りで手に入れた一般的な衣服類が必要なのは理解する。春風太陽すら制服以外にも現地調達した簡素なズボンや衣服に今袖を通しているのだ。生地の質は制服に劣るし、染物の技術も発展こそしているが庶民が羽織る物となると鮮やかとは呼べない。ウェンユェがアオザイ風な豪華で扇情的な衣類ばかり着ているので嫌でも目立つが春風はこの世界に馴染んでいる。土色の衣服、装飾の紐が昔教科書で見た民族衣装を連想させるが袖を通すと存外着心地だって悪くはない。下着はボクサーパンツ派だったが、トランクに似た物にも早々に慣れた。
横では任せていた若しくは押し付けていたとも述べられようか、春風から衣類を受け取るウェンユェ、鮮やかな庶民らしからぬ物は察した通り王族や貴族御用達の品らしい。簡素なドレスだがどうせ御高くてどうせ裁縫し直すのだろうと嘆息する。春風とて女心を全ては汲めないが妹がいたのでそこそこに把握はしているし譲歩する。毎夜衣服の再裁縫しているのも把握していたし、あの鮮やかなドレスもアオザイ風の衣服になるんだなと確信している。どうせなら他の衣服も見たいがウェンユェのポリシーかアオザイしか着ない。それはもうどうだって良いのだが、木の机に肘を預けて対面を睨んだ。
じゃがいもやベーコンや茄子っぽい物を煮込んだ料理から上がる湯気を壁に、四人は顔を突き合わせていた。店は本来ならばもっと繁盛しているのだが、対面に座る一人の威光により店内はガラガラだ。これも全て聖女と勇者が引き起こした珍事で、本当に勘弁したいと春風は思う。煮物と少々硬いパンを瞼の裏に映しつつ、飯より話だろうなと目配せ。
それもこれもウェンユェの計画だろう。春風自身は何故このように王都の一角、それなりに盛況していた飲食店を貸し切った話し合いをするのかは知らない。ただ予定があると腕を引かれた結果であるし、一体何時から予定していたのかも見当が付かない。そう言えば今日のウェンユェの服はこの世界に来た時の豪華なアオザイだなと、目を向ける。
最初から、朝から分かっていたに違いない。細かな説明を省くのは頂けないが考えていてもどうせ同じ末路になるとも至るし、なので春風は顔こそ不機嫌だが口は挟まない。
対面、真っ白な衣服の二人組。片や聖女、片や王都の話題の中心白き勇者。透き通る碧眼と黒い瞳、こうして改めて面を合わせれば馴染みが薄いものだった。異世界に来て早二週間近いか、時を同じくしたのは僅かな時間だ。それなら宿屋の店主の方が目に馴染んですらいるもので、全身真っ白な二人組は庶民の居座るべき飯処には似付かわしくないものだ。
「いやぁ、久し振りやねえ」
なんてウェンユェは言う。
「そうですね、勇者様。わたしとしても色々お伺いしたいのですけど……」
護衛らしき人影はない、あるとすれば席に座さず数歩離れた位置に立つ侍女が一人。アイリスさんだったかな、と春風は反芻。確りしたメイド服は庶民の飯処には全く馴染めてはいないし、カウンター奥からちらちら伺う初老の店主が不憫でならない。
失礼をすれば物理的に首が飛ぶ、聖女と勇者とはそんな存在だ。話題の中心であり中核で、王都を白い噂に塗り潰す張本人なのだから。故に、春風は口を敢えて挟まない。気力がごりごり削がれているので、白き勇者と同じく無言でパンを噛み千切る。硬くてばさばさしたパンだ、煮物に浸して食べるのがセオリーなのは知っていたがどうも日本人としては米が主食であって欲しかった。硬いパンに疑問や不満を捻り込んでいるとウェンユェのころころした声。機嫌は悪くはないようだ。
「せや、セルフちゃん達はやっぱりドラゴン退治に行くんか?」
「そう、ですね。王宮がゴタゴタしているので当分さきになりそうですけど……一応?」
小首を傾げる姿は愛らしく、ウェンユェとは全く印象が違う。真逆だ。
「ほーん、ゴタゴタねえ?」
「え、ええ。ゴタゴタ、しておりまして」
苦笑いと微笑み、不自然な表情だ。なんだか示し合わせたような顔だ。
「あても、ちょーっとゴタゴタしとるんよ。なんでやろなー」
「さあ、何故でしょうね?」
「…………ああ、そう言う……」
春風は察した。よし関わらないようにしようと黙々と木製のフォークで煮物を口に運ぶ。味は悪くはない、欲を言えば塩気が足りないが別に悪くはない。白い勇者こと、絶対に偽名野郎と示し合わせたようにパンを咀嚼する。男性陣は見事に外野だ、女二人の密やかな戦争を横目に泰平を祈るばかりである。
「あてらはそもそも勇者やないやん?」
「い、いえ勇者様ですよ。確かに式典に参加はしてはいませんでしたが、王家並び教会は勇者様に可能な限りの支援を致します」
「いやいや、勇者言うんはそこの白いのやろ。あてらは一般人、商人や。王家と教会のゴタゴタに巻き込まれる謂れはないんやけど?」
「なんの事でしょう? 勇者様はときおり難しい事を仰りますね」
「いやいや、惚けなさんな。あてかて城壁が一部崩れたり興味なっさそーな奴が勇者になっとったら笑うくらいするわ。第一に、あんた青やろ?」
聖女の羽織るチャジブルは真っ青だ、春風はその布がチャジブルだとは知らずとも目に留まる。数歩引いた位置に立つ侍女もスカーフは青である。
「青? はて? 王家と教会は仲睦まじく世の為に動いておりますが」
「はっはっはっ。おもろいなぁ、陰謀って奴になるん? 教会と王家のバッチバチに流石に巻き込まれたくわないんやけど? そりゃ勇者を抱えた方が世論の支持は受けるやろ、せやけど担がれとるんは変わらへん」
パン硬いな、と男性陣。煮物っぽい料理に浸すと丁度良くなるのを発見した、口が疲れる前に発見したのは大きな転機である。
「いえいえ、翡翠の勇者様。王家と教会は手を取り合っていますよ」
「ほなら、なーんで勇者謁見で王太子すら出さんのや。王家や教会からもっと重鎮出すやろふっつーに」
「わたしは教会で聖女を務めておりますし、重鎮、ではないでしょうか。それに……王太子クルス様は三国列強への視察がありますし……」
「王女もなしってんな阿呆な話あるかいな、あんたんとこの教会と王家がバッチバチに啀み合った結果があの謁見やろ? 教皇がおらんかったのは意外やけどな」
「教皇様はお忙しい方なので……」
「一大事やろ、国内だけで収まらん話なんやろ、あてらはしょーもない話じゃないやろ」
「……、う、あ……でもっ! しかしっ……それはえっとですね……ん、……、アイリスぅう!」
遂に折れて、侍女にたかたかと走ってひしっと言った感じで抱き着いた。身長差から腰辺りのエプロンに顔を埋めていたが、侍女はよしよしとその綺麗な白金の髪を撫でた。慈しみに満ちた茶色の瞳に対し、無言で万歳する白き勇者には若干強めに春風は引いたが、兎に角とばかりにウェンユェがパンを豪快に噛み千切りセルフを指す姿に注視する。
「もぉ、あてがいじめとるみたいやん、悪いやっちゃなぁ」
「……うーん、つーかどう言う話?」
翡翠の瞳が呆れを滲ませた。
「赤と青の話やんけ。なんやタイヨー気付いとらんの?」
「なんそれ。好きな色着けたらいーじゃん」
「……あんなぁ、この国っちゅーもんは王制派と法制派で絶賛右に剣で左に盾に頭に兜やろ?」
「……また知らんやつ……争ってるみたいな?」
白き勇者に翻訳を目で頼み求む。やや間があったが白き勇者は仕方ないとばかりに口を開いた。
「……日本語だとなんだろ、準備万端、危機一髪、一触即発、天網恢恢疎にして漏らさず、四面楚歌、空に叢雲花に風……狡兎死して走狗烹らる……この辺りかな。いや、一人虚を伝うれば万人実を伝うもんだしさ。嘘だけど」
「テンモーカイカイ? は? つーか嘘吐くなよ! いや、なんか違うの混ざってね? つかめっちゃ言うなよ分からんって。んえ、なに? 俺だけなんか知らん感じ? なに?」
「王制派と法制派、国が豊かならどっちも変わらへんやろに……ほんに、笑えるわぁ」
ウェンユェの横に流した翡翠の瞳に、不意討ちでどきりとした。見て来た中で一等に脳に焼き付く顔で、咀嚼せんとしていたパンを迷わせた。煮物に慌てて目を逃がせば白き勇者は困った聖女を慰める侍女に目を固定していた、正直日本人の恥晒しだと春風は思う。
表情筋こそ死滅していたが、黒い勇者にセクハラを開幕から放った男は信用が出来ないのは揺るぎない事実である。なので春風太陽は重い空気を肺から逃がして、考え込む相棒を改めて観察する。
「でも、争ってる感じないじゃん」
「うーん、どうなんやろ。色々な思惑があって、結果あてらに害が及んどるのは確かやな」
「セルフさんのせぇではねぇだろ? 言うなら王サマじゃねえか?」
「巻き込まれたくないやん、って話したやろがタイヨーっ」
「仕方ねーだろ、どうにも出来ねえんだろ?」
「どうにかは出来る、方法を選ばへんならな」
「あー、倒す云々か……でもさ、俺らが狙われた理由って勇者だからだろ?」
「勇者だとして、どっから情報が漏れたかやね?」
聖女の肩がまたびくりとした、声色は優しいのに毒々しいのは如何な物か。侍女、アイリスの切れ長の目が糸目のウェンユェと重なった。あ、これは関わらないべきだなと春風は妹で培った経験から空気の流れの変化を掴めていた。掴めていないのは熱視線を送る白き勇者だけだ。なんだこいつ、と多分双方で思っているのだろうと春風。
「……セルフルクル様に代わり、不肖アイリスが会談を進ませて頂きます」
腹に顔を埋める聖女を撫でつつ。
「ほな……そも二人は法制派なんやろって所からやな」
「そうですね、教会は法制派ばかりですので自然と法制を支持しております。しかし、王国との関係は良好です」
「……うーん? それ嘘やな。アイリスは何故法制を選ぶん? 必ずしも王制であるべきとは言わんけど間違っとらんのやろ?」
「……それを紐解くと複雑なのですが、そう……三国列強からの圧力もあります。現在、唯一の王位継承権を保持される第一王太子クルス様が黒き大地への遠征に出陣されておりまして」
「なんそれ、初耳じゃねえかまた」
「戦線維持協定です。数年前までは私や他の剣聖が遠征をしていたのですが、一人は黒き獣に討たれ……残るはクルス様と私だけとなっております」
「ふうむ、戦線維持協定ねえ。なんとなくは分かっとるけど、もしかしてこん世界思ったより切羽詰まっとる?」
「そうなりますね、黒き大地から溢れる魔物は減らず増えるばかり。最前線防衛拠点が黒き獣の際に陥落してからは戦線が後退したのもあり、非常に危うくなっておりますから」
聖女は変わらずエプロンに伏しておられた。
「王子様が死ぬかも知れんし、そんな理不尽な要求を断れない王に不信感があるし、黒き獣騒ぎもあるし……せやけど法制になっても解決せんやん」
「そうですね、教会は……、飾りなしに申し上げるならば女神教会の威光はあまりにも……」
聖女が、振り向いた。エプロンを握ってはいたが。
「アイリス、その先はわたしが言いましょう」
「はい、そのように」
澄んだ空を湛えた瞳が勇者を撫でて行く。
「勇者様方がどこまでご存知かは計りかねますが、教会は三国列強からもたらされたものです。古きより……いや、もう誤魔化さず言っちゃいますね? 良いですよね、勇者様?」
白き勇者へのパス。肩を竦めていた。
「えっと、我が教会の権力……そう、権力と言うのはアガレス王国より上なのです。え、ええ、ですので本来どの国の聖女でもないわたしが公爵位をもっていたりするのです」
「……は? やばいの?」
「つまりはその、教会の聖女であってアガレス王国の聖女ではないのです。そ、そりゃあ色々思い入れとかありますよ? クルス様やザルツ様はお優しい方ですから」
「宗教弾圧とかないの凄いよね、普通に」
白き勇者は素直にそう言う。何故ならば日本にて学び得た歴史上過ぎたる権力を持たんとする宗教は弾圧の対象だ、宗教が政治に絡んでいなかった国に持ち込むなぞとても難しい事である。王権の絶対性の為に弾圧し抑圧し圧政するのは自然な話なのだが、どうにもこの世界では弱小に分類されるアガレス王国に女神教会とやらは強い立場を保持しているようだ。
原因として三国列強と女神教会の繋がり、アガレス王自体が消極的な人柄、女神教会が民に受け入れられている。この三点が挙げられようか。春風は詳しくはなかったが、対面に座る白き勇者の雑多な思考は着々と推論を並べていた。
「いやでもですよ? 女神教会も悪い事をしようとしているのではなく……黒き獣の騒ぎの為にやっていまして……」
「王制だと困るの?」
「クルス様は戦地……アガレス王は……過つ王です。黒き勇者の予言では王制であったが為に王の暴走を誰も諌められなかった、ので……法律を王の上に設けようって話になってます」
「政治体制を変えずに法律だけねえ、迷走しとらん?」
「否定はしません……」
アイリスに撫でられつつも聖女は誠実に答えた。
「ほな、一番大事な話なんやけど。あてらに刺客を放った訳、分かるかいな? とぉっても、逆鱗に触れとるんやけど?」
「……刺客? 刺客ですか? 刺客と言いましたか? 繰り返すようですが、勇者様方に対し無礼者がいたのですか?」
ずいっと、セルフは身を寄せた。ウェンユェの瞳とセルフの瞳の交差。
「せやで、憶測やけど……そこの白いのなら理由や訳ってのを把握しとらんかな? 刺客を放つ理由や訳が、あてには分からん。強行策やし、拉致されるん気に入らんし邪魔や」
「待ってください、教会や……無論アガレス王とてそのような愚策はいたしません。知っている限り、教会は御二人の商いに付いても把握した上で自由意志を尊重しておりますよ」
「一枚岩やないやろ、ほんでも」
「いいえ、断言します。教会や王国ではありません……しかしそうなると……その者達は今どこに?」
「知らん、逃げとるからな」
「そう、ですか……」
「やっぱ捕まえたりするのが良かった感じか? つっても手加減できねーしなぁ」
「この場合、考えられる線は絞られるよ」
白い勇者は気力もなく覇気もない平坦な口調で添えて、パンを齧る。ウェンユェの瞳を向けられてもぴくりともしない能面は時折優雅で瀟洒な侍女の姿を見据えてはいたが。
「共有しなければならない前提に、黒き勇者の話にはなかったかも知れない展開だって事。となれば黒き勇者経由で知っていた二人の今後に、良く思わない勢力がいるって話にもなる。アガレス王やセルフちゃんが把握してないなら……事態は最もシンプルでシャープだ。宰相は二人の味方だし、支持者だからね。あの人に掛け合えば商いに必要な認証証明書も揃えて渡してくれただろうに、勿体無いね」
「……知っとるみたいに言うなほんま、あんさんのそれ、ほんに気に食わん」
「そうだろうね、知ってるよ。ウェンユェだって知っていて、裏付けなんだろう? 探り合いも大概にして本題にしようぜって言う方が楽かな。どうせ僕やセルフちゃんを利用する目的で来たんだろうからさ、敢えて口は挟まなかったけれど」
「……ほんに、お前嫌いやわ。まあええわ、あてらに喧嘩吹っ掛けたのはクランや」
「まじ?」
直ぐに反応したのは春風だった、当然所属しているので僅かながら身内意識があったからだ。
「クラン言うても大中小様々や、タイヨーのとこ、シッドテアンとはちゃうな」
「あ、そうなのか」
「タイヨーも知っとるようにクランっつーもんは魔石関連の企業や。国からの認可状なしにやれへんのやけど、別に綺麗なだけじゃ世は回らんわな?」
「なるほど……クランですか」
セルフは顎に指を当て暫し思考を回し、白い勇者は話題の転換に興味を向けず黙々と煮物をフォークで口に運んでいた。
「何処のクランかは知らんが、相当に阿呆ではあるわな。勇者のなーにが目的か知らんけど……んあ、なんやねん」
ウェンユェの不思議そうな声、それは白い勇者が無礼にもフォークの先で指したからだ。嫌いだと言われたからかは定かではないものの、到底礼を失しない振る舞いではなかった。
「勇者が拉致する理由の前になんだけど、クランって存外不自由だよね。てっきり僕はクランって組織は冒険者達だと思っていたけれども、胸が躍るような冒険はないし、魔石収集が生業で本業だ。魔物を狩るついでに村や他の国への護衛、或いは採取なんかもやるみたいだけどさ」
違和感。春風は首を捻る。
「クランの主軸は魔石売買やからな、国の仲介ありきやけど。せやからクランっちゅーもんは思ったよりあんまない。タイヨーのおるシッドテアンに最大手のドレイブニルが代表的やな。シッドテアンに関しちゃあ、そこのメイドさんのが詳しいんちゃうか?」
アイリスは何回か瞬きして、困ったように薄く笑った。
「ええ、まあ……私の剣聖時代に出来たクランですからね……古巣になりますから」
「水銀の剣聖が立ち上げたアガレス王国を本拠地とするシッドテアン、同じように他のやつが立ち上げて帝国に本拠地があるドレイブニル、どちらにせよ神造兵器所有者が先導者になっとるからな。クランは様々やけど、一目置かれるやつはそうなっとる」
「クランってのは国の管理下にあって管理下にない独立した組織、だっけ。神造兵器所有者が頭になっているから国家権力に対しての圧力、抑止力があるんだろうけど」
「なんで?」
「要約するなら……殴られたら殴り返せる、かな」
「それなら分かるわ、ありがとう」
「……、せやからどっかのクランが勇者に興味、或いは利用せんとしとるのは確定や。どうせならそっちに矛先むけえ話なんやけども、あてが美人やからな……しゃあないわ」
「はははは」
「くふふふ」
白き勇者は冗談だと勘繰って面白くもなさそうな、酷くからっとした笑いを零した。二人の全く欠片も、葉に乗る朝露程にも楽しそうな空気のない笑いの応酬は暫し続いた。互いに嫌いなのか、好んでいないのかは知りようがないが、仲良くとは行かないようだった。
割って入れるのは空気を読めないではなく読まない当人たる白い勇者で、セルフが席を立っているのを良い事に他人の煮物まで食べ始めていた。聖女は特別なにかを言うつもりはなさそうだが、その行動に慣れているのか眉間を抑えていた。指摘すべきか許容すべきかで悩んでいる顔である。
「……まあ、つまりはどこぞのクランが問題なんだろうね。問題なんだから、そこで問題だ。僕やセルフちゃんをどう利用するのが一番良いんだろうね? 利用される僕にも利用され方があるものだろう? クランの人達はきっと僕やセルフちゃんが口出ししようと、事実を認めなければ良いだけだし、こうして会っているのも噂になるし利点はなさそうだけれど」
見た目こそ清廉潔白、品位のある白き勇者だが行動の節々からは服装にどうにも合致していない癖のようなものが伺える。例えば対面の人間にやや喧嘩腰であったり、フォークで他者を指す等どうしても服装の印象とは乖離している。女神教会の正装であり、勇者に与える特別な衣服は似合っているのに異質だ。
「着眼点がちゃうな、……あては剣聖に用があるねん」
「それこそ、視座の相違で立ち位置の相異だよ。美人だからって調子に乗ってないかな、僕は論外を容赦なく蹴り飛ばせる人間だよ」
ウェンユェは唐突に貼り付けていた笑顔を消し去っていた、怒りより困惑が顔に浮かび訝しそうに眉を顰める。
「おどれ……、そないなやつやっけ? あてが思っていた以上に関わるやん。どうでもえーって面しとるくせに、あの黒い……ユーフェさんみたいにどうでもえーって面しとるやん今も」
「ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんだね、呼ぶ時はフルネームでしか宜しくないから注意だ」
白き勇者は少し得意気だ。正直ムカつく表情であった。
「ほんに、めんどくせぇなおどれは……」
「僕は要望に応えてるだけだからね、僕に向かって言うのは間違ってるよ。逆になんで巻き込むのかな、関わりたくないって出て行ったのは他でもない君じゃないか」
「……それは、そうやけど」
春風は珍しくしゅんとしたウェンユェに驚いたが、煮物が冷めるのでフォークを操るのを優先する。今一話が見えて来ないし、一々口を挟み思考を突っ込んで場を乱すよりは静観を正とする。前世界から己が阿呆だと自覚があるので、話は決まった後に耳にしたいのだ。
「ほなら、アイリスさんは貸し出してくれへんのかいな。勇者のよしみやん」
「いいや他人だろ、難癖付けるのは良くないさ」
「……じゃあもう、どないせぇ言うん? あてかて無敵ちゃうねん。解決しとらんまま王都を離れる訳にもいかへんし……アイリスさんはどうやねん? あんたの裁量やろ」
アイリスは数度瞼で綺麗な瞳を拭ったか、切れ長の目でウェンユェを見据えるとその慎ましい桜唇を開く。
「私は白き勇者に全権を託しております」
「……なに言うてるん? 死ね言われたら死ぬん?」
「はい」
即答だった。白き勇者は頬を掻き、嘆息して。
「色々あって、僕も当惑してるよ。一応念の為に言うけどさ……いやだって服脱いでって言ったらまじで脱ぐと思わないじゃん……普通さぁ」
凄く、面倒そうな顔をした。アイリスは澄ました顔だ。
「……あんたそんな他人任せな人やないやろ……? なにがあればそうなんねん? もしかしてあてらって巨悪の前におらんか?」
「ん? は!? 言ったら服を脱ぐ!?」
「ちょ、タイヨー黙っとり」
「いやいやいやいや! お前ざけんなよ! うらや、じゃねえ! クソ野郎め!」
「タイヨー! ええから黙っとり!」
太陽を無理矢理抑えて。
「まあ、気持ちは分かるよ。洗脳とか疑われても仕方がないけれど、今回だって確りきっちりはっきり、僕は悪くない。僕は悪くない筈だ……いやだって、そうだろ……なあ?」
本当に困っている顔だ。
「……ぇえ?」
「……ほんまに、どないなっとるん。じゃあええ、良くないけどまぁええわ流したる……んであんたは、あてらを見捨てるんか?」
「……アイリスさんを引き合いに出すなって話だよ。クランの件なら動いてみるさ、聖女と勇者のハッピーセットで」
「ほならな、見返りは……」
ウェンユェが切り返そうとしたが、白き勇者に手で制止された。訝しむと。
「君の事だろうから魔石売買の何割か、みたいな話だろう。僕は困ってないから必要ないよ、タダ、無料、慈善事業ってやつで手を打とう」
「……なにがしたいん?」
目的が分からない、利益のない話だ。打算も分からないし、曖昧だ、怪しいし信頼も信用も出来ない。胡散臭いにも限度や節度があるのだが、目前の男は肩を竦めて。
「あれ、可笑しいな……助けてくれって言ったのは、君じゃないか。助かるかは君達次第だけどね。それに……」
なんざ、ほざくのだ。ウェンユェは、だから一定の距離感を維持していた。一番厄介だなと、初見で分かっていたのにこうも関わりになるとは世の中は最悪に出来ているものである。
言動は褒められないが、行動は勇者らしいのがどうにも癪に障る。しかし、きっと助かる未来を掴めるのはこんな阿呆なのだろうとウェンユェは脳裏で切り捨てた。続けようとする言葉を敢えて区切って白き勇者はウェンユェを見透かすのだ、だがそれは予想外を見付けたかのようでもあった。
「……なるほどね、思っていたよりどうしようもないな」
ウェンユェの眉が傾いて、また難癖かと不機嫌に染まる。しかし間際、瞬く合間もなく銀が走る。ウェンユェの頬数センチ横を貫いた流動する剣は、確かになにかを指し貫かんとした。
ウェンユェの黒髪が僅かに床へ。クラシカルメイドな服を靡かせて、重力の感じられない足運び。優雅でいて何処か獣に酷似した身軽さで、なにもない空間を貫いた所作のままに鋭い舌打ちが付随する。
「アイリスさん、ストップ」
「……心得ました」
白き勇者の制止に、剣を手元に手繰り寄せて聖女と白き勇者の前に立ち塞がるアイリスは構えこそ解かないが次なる動きを止めた。視線は、茶の瞳は研ぎ澄まされた切っ先のように一分の油断も慢心もなくば、ウェンユェや春風でもなく天井を射殺している。
「なにすんだッ、て」
「君達を助けてくれたんだよ」
「ぁあ?!」
春風の怒号に、白き勇者の瞳は平坦ににべなく答えた。否、目線は四メートルはあるだろう天井、その梁に立つなにかを捉えている。
「剣聖は伊達じゃねえってかっ?! おうよっ!」
不意に、聞き覚えのない声。酷く幼い声、荒々しい語り口にしては。それこそ第二次成長期すら経ていないような、野太くもなく中性的な音域だ。
「不届き者には、脳天からくれてやりましょう」
獰猛な笑みで語り掛けるアイリスは目立った動きこそしないが、身から上げる圧力が場を軋ませた。否、実際に身体から立ち上る霊力や殺意が木製の床や壁やテーブルを軋ませ、コップや皿が震えているのだ。銀に眩く剣から溢れる水のような、気体のような、固体のような、プラズマのような物質がゆらゆらしている様は宛ら飢えた狼達である。牙を剥き今か今かと唸っているのだ。
「おうよ、怖い怖い。でも残念じゃ、ワシゃあ剣聖よ。ただじゃあすまねぇそうさせねぇ、えぇ? アルファノス・テアンのおじょーさんっ?」
梁の上、矮躯はからからと笑う。酷く乾いた笑いは見た目の幼さに不釣り合いで歪だ。
「ハッシューバップ・カフェン……噂には聞いておりましたが、貴方のようなお子様が引き継いでいたのですね」
ウェンユェや春風は堪らず席から立ち上がり、梁の上で膝を折る少年らしき人物を見上げていた。聖女はそれこそ怯えからか、席を立たず黙々と聖女の煮物を食べる勇者の肩に身を寄せていた。白き勇者の平凡さと平坦さと異質さはさて置き、ハッシューバップ・カフェンと呼ばれた少年か少女か分からない矮躯は梁の上を闊歩する。
肩に担がれていた真っ黒な金属体をくるくる回せば、金色の混じった部分が魔石照明でギラギラと光る。一メートルちょっとあるか、矮躯からすれば大きな金属の塊だ。
「ありゃ……ばかでかい工具か?」
「正確にはレンチだろうね」
春風と白き勇者は短く言葉を交わした。矮躯の手にある金属、その姿は黒と金の不可解な金属で出来たレンチなのだ。金属の塊であろうに軽々と手遊びするのは異様に映るもので、アイリスが目と剣で絶賛足止め中だから観察出来ていた。
「おどれが、あんのふざけた輩共の元締めかいな」
「おうよ? そうなるわいな」
「ほーん、おどれがやらかしとるんやな?」
「いやぁ、ワシゃあ勇者が気になってしかたねぇのよ」
ウェンユェは、カチリとした。表情が消えて、数秒。また薄ら笑いを浮かべた。矮躯は、肩程に伸ばした赤い髪を指に巻き付けて首を大袈裟に傾けた。その褐色の肌に、鳥か竜かを模しただろう仮面。
どう見ても異文化。勇者達とて馴染めてはいないのだが、王都に馴染めてはいないのはハッシューバップ・カフェンも同じである。衣装すら多彩に派手で、網膜を指し貫かんとしている。押し潰すような風体に嫌気はあるものの、白き勇者は一瞥の後に煮物に戻した。
「気になるならなんしてもええんか、おどれ」
「おうとも、お前さんが勇者ならワシゃぁ剣聖じゃ。剣聖は謂わば、神、じゃからのぅ?」
首を傾げ、口を歪曲させる。からかい、戯れ、質の悪い冗談で柄の悪い嘘。だが、真に迫るはその気概。信念、否、矜持であろうか。我が道に悪しき正しきなぞなし、構いもしなければ気にもせず。故に、黒曜石の如き金属をくるくる回して言い切る姿は清々しいのだ。
「神を語るんかいな、このぼけ。おどれみたいな餓鬼はちょー腹立つわ、どないしてくれるん? あてのこの、怒り」
「はっはぁ、ワシゃぁ人から外れとるしのぅ。人は知らん」
「人? ハッ……おどれ覚悟せえや、五体満足で生涯を終えられるぅ思うとんなら、いま此処で、ふざけ散らかした頭を潰したるさかい。せやからな? ほな、降りてきぃや……?」
ウェンユェは構えない、笑顔を貼り付けて。小柄なそいつは少し黙る。後に。
「竜……か。珍しいもんじゃなぁ。竜といやぁ、赤竜が暴れとったなぁ……えぇ? 竜のおじょーちゃん」
「……」
ハッシューバップ・カフェンと呼ばれる矮躯が翻り、ストンと床に着地した。目測五メートルはあるだろう高所であったが、高さを感じる重みはなく、悠然と肩に金属を担いでにかにか犬歯を剥いている。
この場の空気を支配せんとする中、唯一人、白き勇者は食べ終わった煮物に合掌して酷く冷めた目を横に流す。腰を落とすアイリスを押し留めて、机に肘を突いた。
「……僕はさ、嘘吐きだと思うし嫌われる事の方がずっと多い人間だ。色々七面倒な事を好めないものだし、億劫で死にたくなる」
「……そうさな、ワシも面倒は嫌いじゃ。勇者の力を見定めさせて貰うとするかのぅ?」
「だから言ってるだろ、嘘吐きなんだよ。嘘吐きだからさ、本来の道筋が嫌いでちょっと省略したいと思う」
ハッシューバップ・カフェンは白き勇者の言動に金属の塊を回しつつ、耳を傾けていた。なにが言いたいのか理解出来なかったからだ。
「えっと、なんだっけ。ツェール・マグナスちゃんだったかな?」
「てめぇ何処でその名をッッッ!!」
矮躯は白き勇者の胸倉を掴んでいた。荒ぶる激情からか髪が波打っていたが、白き勇者の片手はアイリスの手首を握って剣を止めている。無言の抗議を流して。
白き勇者事、そいつは態とらしい笑顔でこう宣うのだ。
「じゃあ、君と僕とで対等に平等に公平で誠実に……話し合いをしようか」
それは、そんな笑顔はどう見ても勇者ではなかった。
ハッシューバップ・カフェン
アルファノス・テアン
Q剣聖とはなんですか?
A神造兵器所有者です。
Qそも読んでいる人おるん?
A……どうだかな。