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氏族長


 天然パーマの掛かった黒髪を乱雑に掻いて、片手間に珈琲を啜る。全面ガラス張りの会議室の一角に陣取り、否乃は思考を回していた。会議室は氏族が招集されなければ滅多に使われない場所であるのだが、今回は自主勉学の避難場所として活用していた。自室に閉じ籠もると麗しの妹や喧しい老人に絡まれるので、二人がなるだけ近寄らない会議室に着目したのである。


 誤算と言うならば、珍しく執務室の裏から這い出ている存在が、机の上に居座っている位だろうか。否乃の額からは嫌な汗が流れ、退室も已む無しかと目を彷徨わせている。自らが勉学に励み早三時間、一息入れる為に珈琲を注いでまったりと会議室に戻って二分強。


 広々とした空調の整った会議室にひょっこり顔を出されてから十秒とちょっと。虹色に煌めく不可思議で不可解で不可能な長髪が、恰も生き物のように揺れては靡いている。途方もなく、気不味い。


 珈琲の風味が口内から失せて、レポートを手繰る指先は自然と震える。我等が氏族の長たる存在が、机の上でぺたんと女の子座りしている。室内を舞う長大な髪は、全面ガラス張りから射し込む陽光を複雑怪奇に反射して彩りを姦しく網膜へと叩き付けている。


「……、……」


 否乃は努めて冷静に無言を貫き珈琲を口に押し込む。苦味も風味もあったものではないが僅かでも荒ぶる心内を静寂にせんと努力は惜しまないので、実際の効果は然程良好ではなかったが、気持ちは楽になったと楽観するようにする。


 衣服なぞ一つも纏わぬ年端も行かぬ少女を直視するのも難儀ではあるが、第一に氏族長が今此処に座す理由が分からない。否乃には心当たりはないし、付き人たる氏族長の代理、ホレイズの姿は欠片もない。異常だが、まあ、無限の変数に偶々事故ったと思い直す。


 少なくとも否乃は心の平和をそうやって確保した。妹や老人から逃れる術が裏目に出てはいたが、嫌いだとか苦手だとか感情面の話ではなく。純粋に崇め祀る存在で、敵わないと理性や本能が訴えているから触れ合わないだけ。なにを考えてなにを行うかなぞ否乃には分からないと、思っているし理解しているつもりだ。


 長い付き合い、ではあるが未だに謎ばかりである。性質(・・)を用いるのは禁忌であるし、更に向けようとは何故か思えない。無色透明な髪と瞳、小さな手足に円な瞳。上向く睫毛もクリスタルのようで、ガラスのようで、儚くて脆そうで繊細で現実味がない。


 現代社会の会議室には全く似付かわしくない姿が視界の隅にあるのが、最早質の悪い冗談である。レポートの文字を目で何度もなぞるが脳味噌が受け付けず、ちっとも次なる行に進めない。


「……、……否乃か」


「……っ!」


 肩が跳ねる。無限の猿定理とも呼ばわれる氏族長には幾つか困った事がある、一つは無意識で無作為で無差別な変数である点だ。彼女の歩みは世界を創造し破壊し変化させる。有の全て、根源であるのだから当たり前だ。二つ目に、乱数の内時折ファンブルを引いて自我らしき苛烈で冷酷な面を見せる点だ。


 普段ならうにーとかむなーとか、姿形に合った幼女なのだが。平坦でにべたくて、尊大で対等なる氏族長(・・・)が現れた際は一同騒然となるものだ。


 あんまりにも動かないから代理(・・)が存在するのだし、あんまりにも動かないから氏族長(・・・)に困っていた。メタロジカル・ロジック、超論理の幼女が机の上でもぞもぞしている。


 否乃が生唾を飲み込み、思春期であるからにして照れ隠しに目を伏せつつ。膨大な髪を渦巻かせ、空中に浮く氏族長の様子を伺う。無限の質量をした髪を器用に王座として、肘掛けっぽく頬杖を突く様に嫌な汗が背を走る。


「……ふむ、なにを学んでいる?」


「あ、えっと……あー……竜界の言語体系とか……あー、です」


 竜界の言語体系は凡そ一つに集約されている、統一されているのだ。幾つかの言語が混ざり変化し統一された為に方言らしきものはあるものの、基本は一つである。性質を用いれば一瞬で学び極めれようが、否乃は勉学を好いていた。新しい知識を学び感じ活用するのが好きなので、代理からの方針もありこうして自主勉学に励んでいたのだ。


 まさか会議室にて氏族長に直面するとは考えてもいなかったのだが。


「そうか、励むと良い。時には……休息も挟め」


「うす……」


 軽く会釈する。否乃は脳内にある夥しい疑問符を否定し、ふと氏族長を見やる。ガラス張りの外、ビルの山々を見透かす瞳は相変わらず引く程綺麗だった。綺麗で美しくて現実味がない、天元突破していて気持ちが悪くなりそうな位には、脳味噌に悪い。普段から超絶なるイケメンたるホレイズを見て慣れていたつもりだったが、浅はかな考えだったなと目を逃がす。


「氏族長……質問しても?」


「ああ、好きにしろ」


「……なんで選んだんですか?」


「主語を省くな、対話とはそうあるべきではないだろう。無駄を省くなとは言わんが、下限は思慮すべきだな。私はお前と話をしているに過ぎん、理解出来るか?」


 否乃は、数秒考える。正直焦る。頭の中に突っ込みと疑問が花吹雪を起こした。


「うっす……。色々込みなんすけど……正直なんであの世界に派遣すんのが俺じゃねえのかなって」


「お前が失敗したから、だ」


「…………は?」


 随分間抜けだった事だろうと、否乃は後々考える。表情が崩れた青年は、鼓膜を揺さぶる声に吸い込まれた。


「お前は、あの世界にて死んだ(・・・)


「……ちょ……そりゃつまり否定(・・)の強度を上回る奴がいんのか!? 馬鹿な……ありえねえ。アカシックレコードに記載なんざねえんだぞ!?」


「事実、お前は死ぬ。故に、お前は選ばれなかっただろう?」


 尊大だが、対等な目線で。見下ろしも見上げもしない幼女に狼狽える。眠たそうにも思える瞳は、瞳孔すら透明で常に移り行く。


「つーか、死んでるだって? 俺にそんな記憶は……いや、上位連中の力で……いやでも……いやいや……そんなら誰が否定を上回るんだ……?」


「堅物の方がまだ御し易いものだが、二つ返事も難儀ではあるか。まあ……良い。私がお前を生かし、あいつを選んだ、それだけの話だからな」


 身振り手振りに注視して、否乃は眉を潜める。いや、困惑に混乱が重なっている。


「なんで……死んでないのに死ぬって分かるんですか……?」


「否乃、お前ならばどう解釈する?」


 目線が重なって、否乃は瞬きもせず向き合った。それが正解で最も望んだ選択であったから、氏族長の瞳を見る度に不安に苛まれて怖くなっていても。それでも何処かほっとする、包まれる感覚に酷く落ち着いて。


 痺れていた脳は回る。幾つも浮かぶ可能性を取捨選択して、導く答えは一等に結果を示す。


何回目(・・・)……ですか?」


 氏族長の頬が緩んだ、口角を上げて薄く笑う姿は初めて見たものだ。初めて見た仕草に、初めて見せる表情。心の臓を直接鷲掴みにされるような感覚と、粘性のある恐怖は人ならざる、人智を超越した幼女を理解出来ないからだろう。


「実に……良い質問だ」


 渦巻く髪が、否乃の頭をぽんぽんと叩く。


「お前から始まって幾度の失敗を経て、私が口を挟んだのだ。詮方ないものだが、堅物を黙らせるしか方法もないしな」


「……なるほど……? なら、その……他に誰が失敗したんすか? アイロニーとかは?」


「ふむ……、……失敗しているな」


「…………、それは、ホレイズは知ってるんすか?」


「いいや? 私は特別言ってはいないな。そもそも、そんな認識(・・・・・)すらないだろう?」


「何故……ですか?」


「さてな、忘れたんじゃないか?」


 否乃は語る気の失せた氏族長に、次なる言葉を続けられなかった。氏族長の落とした特級の変数に、今後の思考の方向を変えざるを得なくなった。珈琲を飲み干した青年は氏族長に倣って街並みを見渡す。


「……、勘弁してくれよ」


 アカシックレコードすら関係なく、世界は回帰する。何回目の回転かは知り得ようもなく、氏族長が動いたのが今回ってだけの話。それは偽りもなくば驕りもなく氏族を死なせんが為に口を挟んだ結果で、否乃の疑問を片付ける一撃であった。


 氏族長が力を振るったのなら全て納得出来る。力を振るう自体が事態の深刻さを増している。認識がどうにも出来なかったなにか(・・・)とは一体全体。


 氏族の敵となるなにか(・・・)を氏族長は知っているのだろう。語らないのならば知る必要はないのであろう。だから、否乃は自らの勉学に向き直すしかない。


「時に……お前は転生もの? 異世界ファンタジーとやらは好んで読むのか?」


 視界の隅にいる氏族長に、普通に困りながら。


「いやぁ……俺つえーは憧れないですね。俺含めて氏族って負けられないじゃないですか、戦いっつーか、基本は戦争でしょう? 俺は戦士じゃなくて兵士で、負けたら次はないですし。負けられないのと勝ちたいって違うと思うし……あ、タメ口すんません」


「構わんさ、気にするな。私は気にもせん。しかしな、アルトールが述べていただろう? 異世界ファンタジーは男子の夢と聞くが」


「あー……んー、実感の問題ですかね。俺は……多分……氏族の皆にしか優しくなれないですよ、それでも有を見捨てられないって感じです。そりゃ……未知って面白いですけど」


「空から突然女の子が、とやらは好まないのか? アルトール曰く日常から急に世界の命運を賭けた戦い、のようなものを学徒は好むとな」


「いやぁ、俺はファンタジー物より戦記派ですね。勉学も兼ねて……いやまあぶっちゃけ……俺は氏族(・・)って奴なんすよ。と言うか、氏族(・・)って奴に誇りがあります。まあ……つーか、氏族長って意外に色々知ってるんすね……」


 氏族長の口からそんな俗世に塗れた話題が飛来すると考えてはいなかった、淡々と量子法則とか超論理に付いてとか語られた方が幾分はマシだ。


「お前にしろトルセンティアにしろ、私をなんだと思っている? 私とてそれなりに話すぞ」


「うっす……そうすか。あ、質問なんすけど……なんで服着ないんすか?」


「気になるのか?」


「そりゃあ……はい」


「恥じるべき箇所はないが……? なんだ? 欲情でもしているのか? 未成熟だぞ?」


 心底不思議そうに胸を触り小首を傾げられて、否乃はぐったり項垂れる。価値観の相違である、誠に遺憾ながらうら若き学徒と咳すら飛び越した、有の始まりから存在する人とは視座が著しく違うのだ。幼女であるから未だマシだ、と無理矢理納得する。


「そっすか……そっすか……あ、ところで氏族長」


「うん? なんだ」


「あいつなら死なないんすか?」


「死なんだろうな、私との約束もある」


「そりゃまた……解明したいもんすね」


「気にするだけ無駄だ、お前とあいつとではお前の方が好ましく思っているよ」


「……うっす」


 否乃は、自惚れろお前が好きだと言われて狼狽えない程に成熟なぞしていなかった。しかも不意打ちされれば弱々しく頷くしかない訳で、気不味さに苛まれる自主勉学の始まりであった。


 氏族長ってどんな人?


 一言で表すなら神様。


 氏族ってどんなもの?


 一言で表すなら氏族長大好き軍団。


 但し主人公は例外とする。

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