僕は勇者じゃない
王城と教会の一件から早三日。色々あったが特筆すべき事柄はあまりない。風呂場が完備されていたのが魔法的な装置によるもので、王都の水道インフラも魔法装置によるとか王様が解説してくれた時だけは正直すげえなと思ったものだけれども。文明水準が思ったよりも高いのは電気、ガスの代用エネルギーが存在するからだ。
現代日本より優れている点もちょこちょこ見られるし、いよいよ舐め切った態度で胸を張る事なんざ不可能になっていた。そもそも、火を用いず夜に抗っている時点で察しはしていたけれども。魔物の体内に必ず生成される魔石の恩恵は、僕が思っている以上にあるのだろう。
兎にも角にも、勉学に費やした有意義な三日間であった。
今、僕は腕を引かれるままに騒がしい群衆の影にいる。
大きな広間を見下ろすテラスの影で、王の演説を横目に僕はいた。他にも赤き勇者ことヘルさんだっているのだが、口が寂しいのも紛らわせる程度の菓子しかないこの場は居心地が良くはないらしくむすっとした表情をしている。
充てがわれた席に身を沈め、偉いだろう王の家臣達から冷ややかな目を向けられている。力こそ正義ならば、アイリスさんを見事に下したヘルさんこそ絶対的な正義と過言すべきかも知れないけれど。僕はと言えばセルフちゃんの所属する女神教会の推薦と奇妙な気に入りによって、パーカーに袖を通すでもなく、真っ白な服を纏っている。
男性、それも聖人用礼服とか言う物だそうで。僕からすると矢鱈に豪華な軍服に思えるのだけれど、儀礼的な剣が腰にもあって座るだけで億劫だ。傍から見れば我らが氏族長の代理みたいな威で立ちであろうか、豪華絢爛とは言わないが細部に拘った純白の聖人服だ。僕はどうやら巻き込まれつつある、足先から沼に引き摺られているのだ。実に、勘弁したい。
勇者として教会は祭り上げる気らしいし。兎も角、大きな地響きみたいな群衆の声に僕とヘルさんは緊張らしきものは一切なかった。そりゃあ多少面倒だなとは思うけれど。民衆の目から影になる此処でドギマギする訳もなく、僕は背筋の張った淑やかなメイドに会釈する。紅茶を差し出したアイリスさんから受け取り、取り敢えず一口頂いて。
目を横にやれば正装でガチガチに重装した聖女も伺えよう。真横だから逃げ場がないとも言える。
「……どうされました?」
小首を傾げるセルフちゃんはこの三日で一通りの整理を終えたのか、普段通りに思える。僕を嫌うでもなく狂ってる信仰で濾した瞳を向けている、悪い、とは言わない。なにかを信じるって事はなにかを信じないと言う事なのだから、選択する強さのある人間に僕からなにかを言う事はない。
「……いいや別に。それより奇跡って凄いよね」
僕は三日前まで熟れ過ぎた果実の如き色合いをしていた腕を振り、そう言った。セルフちゃんの鈴音の祈りと不可思議パワーにより、僕の腕は正常な状態になっていた。後遺症らしきものもなく、聖女経由で女神の奇跡って奴は振る舞われたのだ。僕の腕に限らず、傷だらけのヘルさんやアイリスさんだって見事に治ってしまった。多少、セルフちゃんからは疲労を伺えたがなにかを消費したってよりは気持ち的な部分が過半を占めているだろう。
分厚い経典を膝上に置き、小首を傾げる少女。肌の露出を絶対に許さないとばかりのゆったりしたローブも相俟って、今日は一段と聖女らしい。
「そうですか……? ところで、痛いところはございませんか?」
アイリスさんもかっちり栗毛をモブキャップに仕舞って一歩後ろに控えている。銀色の剣を装備はしていないのだけれど、その全円スカートの内側に隠し持っているのだろう。アイリスさんは侍女ではあるが、第一に聖女の専属護衛だ。嘗ては剣聖と言う特権階級の一人であったようなのだが、剣聖の地位を捨て自らの主を定め護衛に捩じ込んだとも言えよう。
目を横にすれば、澄み渡る青空が広がっている。視界の隅には倒壊した城壁を修復する足場も遠目に伺えたが、作業は一旦中断され広間に民草を充填するのを優先しているようだ。王の演説を右から左に流しつつ、少しだけ冷え込む風の一吹きに息を逃した。
アイリスさんやセルフちゃんからは独特な花の匂いが漂っていた。名も知れぬ異世界の花の香りだ。例えるべき花の姿形も浮かばないのだけれど、別段不快になるような匂いではない。仄かに擽って淡く風に溶けているだけなのだし、気にする必要はないのだろうけど。
「特にはなにも……ないかな。あ、そうだ。黒き勇者って来てないの?」
観覧席を見渡せど、黒き勇者の姿はない。この場に居て欲しいウェンユェや太陽君もいないし、向いていないヘルさんや僕だけってのは違和感しかないのだけど。教会の件でちゃっかり面倒事を回避して以来、顔すら合わせていないのだ。一応、あの人の勇者であるのは認めたのでそれなりに気を向けているのである。
「黒き勇者様は、このような場を好まないので……」
鬱って顔だ。沈み込んだ表情から察するに本来は式典に参加して欲しかったのだろうけれど、細やかな祈りは素気なく断わられたのだろう。黒き勇者ことユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんならばそうするだろう、元来僕しか狙い撃ちにしていないのだし、僕目的なら夜に部屋にでも顔を出せば良いし。
それもないと言うならば気分ではないのではないだろうか、だって気分屋だろうあの人。
「まあ、だろうね。僕だって本当は断りたいんだよ」
「……何故断らないのですか?」
「うーん……」
僕は悩む素振りで紅茶を啜る。色々ある、が。
「先ず、僕が基本関わりたくないソロ気質な人間で友人とかも極力作らないってのも加味して欲しいんだけれど。毎回、それで失敗する僕は異常を常にしてみようと思ったんだ」
「……はぁ」
今一分からないと言った風体だ。僕は指を立てる。
「僕はさ、後悔しかしてきてない。恥の多い人生だけれど、だからこそ僕だって改善は試みる訳で、徒労になってしまうかも知れないけれどね?」
「前向き、なのですね?」
「いや、結構後ろ向きで前進してるかな?」
割と真剣に思う。他に思い付かないから逆をしようってのは後ろ向きだろう。前向きってのは何時もと同じ事をしながらそんな事にはならないって慢心する事だ、損なものだから本当に前向きなんかじゃあない。
「後ろ向きで、前進……? とんちですか?」
僕の面は多分そんなに分厚くないので、絶妙な表情だったのだろう。アイリスさんの切れ目に導かれて暫しの間を切り止め紅茶に移す。よし、一段落。
「つーかよぉ、あたしはこの式典に必要かい?」
ぐだぁとした声色に、菓子を摘んだまま振るう手。椅子に項垂れる長身の女傑は赫髪を背凭れに挟んで御機嫌斜めであった、気持ちは分かるが年上らしく振る舞って欲しいものだ。僕は嫌だけど態度は整然としているように思う、明らかに面倒だからと項垂れてはいない。
「あたしはさぁ、請負人なんだよ。客人みたいな扱いってのもあんましっくりこねえのさ」
「客人、ではあります」
「……あと、そこのメイドがあたしを嫌ってるし……」
殴り合いの大喧嘩をしたのを安全圏から傍観していた僕は折り合いが付かなかったのだと理解する。殴り合ったから友達理論は脳筋の十八番だと考えていたけれど、そうでもないらしい。傍目からだとアイリスさんやヘルさんの軋轢はなさそうだし、紅茶や菓子の用意等に贔屓や歪みはないのだが。
どうも二人の仲は改善していないらしい。
「そうなのですか、アイリス?」
「はぁ、いえ、私からはなにも御座いませんが」
「……ほらそれ、それだよ。かっー。あんた器用だよほんっとに……」
頭を荒々しく掻き、ヘルは言う。アイリスさんの顔は涼やかだ。テラスに入って来た風に揺れる全円スカートの拡がりが僕を擽る。
「あたしにだけ狙い撃ちで、ほんっとに器用だねえ。あんた、剣聖なんだろ? 剣聖ってのは皆そうなのかい? てか、剣聖ってのはなんなのさ?」
「はぁ。剣聖ですが、なにか?」
ヘルさんは菓子を持つ手でアイリスを指す、行儀は悪いが嫌味がないのは裏表のなさからだろうか。
「剣聖ってのは、この国だけにいるのかい?」
「いえ、剣聖は連盟の管理下にあります」
「うん? なら簡単に辞めれなくないかい?」
「そうですね、私は他の剣聖とは別枠ですし」
「ううん? 剣聖ってまじでなんなんだい?」
「剣聖は、この世界に十三本しかない神造兵器の所有者を示すものです」
新たな用語だ。神造兵器、と言ったのだ。シッド、か。脳幹の片隅に整理して、取り敢えず保留だ。
「はえー……つぅとだ、神造兵器ってのはそんだけすげえんだな?」
「そうです、アイリスは凄いのですよっ」
食い気味のセルフちゃん。ヘルさんの言葉が続く前に聖女は更に追加とばかりに口を開いた。
「神造兵器は女神様を模して造られたものと、古来より存在するモノリスから発生する場合がありましてっ!」
「メルクマルクロスト様……」
おや、アイリスさんからの圧が凄い。
「アイリスはなんと、モノリスからの神造兵器を賜わっているのですっ! 我が国の誇る剣聖なのですよ!」
「セルフルクル・メルクマルクロスト様」
アイリスさんからの圧が凄いんだけど。
「……、はい」
笑顔、でもなく切れ目がセルフちゃんを咎めた。ヘルさんは眉を潜め思考を伸ばしている。
「つまり、神造兵器ってのは……なんだい?」
確かにその通りだ、焼き増しにはなるが酷く正しい。結局神造兵器とはどんな物だろうか、凄いなにかではあるのだろうけれど。
セルフちゃんはアイリスさんをちらちら伺いながらやや声を収めて。
「神造兵器保有資格者は単騎で国と渡り合える力が与えられます、なので剣聖は貴重であり危険でもあります」
「ふむ……、具体的には力ってのは分かるのかい? もしかすれば出会えるもんかね?」
「……うーん……難しいですね、その質問……」
顎に指を添え困り顔だ。
「……難しい?」
「ええ、神造兵器の有する力は多岐に渡るのです。わたしの知るものだと……帝国に存在する二振り、鳴剣と竜槍でしょうか……?」
造語のような違和感、単語一つ一つを直接頭に流し込まれる感覚は未だに慣れないものだ。翻訳の限界なのだろうが、意味合いはなんとなしに掴めたような気もする。他の意味合いもありそうなのがセルフちゃんの翻訳奇跡の難点であるし、魅力の一つかも知れないのだけれども。例えば林檎って翻訳されたとして赤い果実が原型になったり、甘くてシャキシャキしているから林檎として翻訳していたり、理由は様々だ。
元の意味合いと受け取り側での意味合いが同じだとは限らない。日本語ですみませんと言えど謝罪や感謝どちらで使われたのか英語に翻訳する際に頭を抱える状況に近いだろうか。文脈から凡そ道筋は見えるものだけれども。
「剣に槍か、あたしにもくれないかい?」
「無理……じゃないかなと?」
セルフちゃんの言い難そうな顔と仕草に、女傑はにっかり歯を見せて笑う。冗談半分だったのだろう。
「そんで? 剣っつーのはどんな感じさ?」
「えっと、噂では一鳴きで数千の魔物を無力化したとか」
「ほーん。じゃあ槍ってのは?」
「先代の勇者様が振るっていた槍で、かつて大地の如き巨竜を穿った偉大なる槍ですっ」
ぐっと拳。セルフちゃんの語る先代勇者は凄まじい偉業を打ち立てたのだろうが、そんな槍は現在この国にはないのだし。となるとやはり勇者自体が別段この国だけの存在って訳じゃあなさそうだ。勇者ばかりだなこの世界って呆れるべきか、異例なのかと目を向けるべきか。
「っと、それより勇者様方。王様の演説からしてもう少しで出番ですよっ」
宮廷務めのお偉方からの視線が痛くなっていたので、セルフちゃんの頑張ってくださいって感じの握り拳には感謝をやや向ける。さて、僕はなにを話すべきかは決めている。
三日間、事前に打ち合わせを怠らなかったので台詞は頭に入っている。椅子から腰を上げ、窮屈な洗礼服を翻す。全く、本当に厄介極まる。
「……はぁ……空は青いってのに」
気分は晴れないものだ。喧騒は、歓声で。雄叫びは未来を担う勇者への祈りか。
テラスの影から身を押して、僕とヘルさんは王を挟んで民を見渡す。
広い世界、知らない世界。気分は落ち込む、気は進まない。嫌だし、義理はない。でも、仕方がない。
「民よ! 遠き地から参られた勇ある者達である!」
両手を大仰に広げて。舞い上がる熱量が増して。声と拍手と足踏みが肌を痺れさせる。人見知りではない、でも、人集りは好めない。気疲れするから遠慮したい。
ヘルさんは姿勢が綺麗だ、武芸の色合いが濃いものの。僕はひ弱に映るだろうか、良く分からないな。
なるだけ、見繕う。
「白き勇者と赤き勇者が! 黒き災厄を必ずや退けるであろう!」
夥しい群衆に紛れる二つ、僕は目を細める。やっぱり、居た。翡翠の瞳をした女と、腕を引かれる男。こんなにも大勢の人間から探すのは集中力が必要だったけれど、僕はだろうなと思いつつ目を横に流す。
「……ぁー、僕はそっち側だろうに」
ぼそりと、澄み渡る空に吹く。風は僕の戯言を運んで行く。何時もとは何処か違う、そんな毎日に僕は。
思考を、切る。
それはきっと、詳らかにするなんて野暮な話だろうから。
風変わりな世界の片隅で、僕は長く息を捨てた。