僕と聖女
任せられてもなぁ、と僕は二度見る羽目になった教会の豪奢なステンドグラスを仰ぐ。身丈が低く髪の長い女神なぞ、誰かを彷彿とさせるものの適当に記憶を切り捨てる。それより右腕が痛いのだ、てっきり水っぽいあの光で魔法とか奇跡的なもので治るとか普通に思い込んでいたのだけれども。
どうやら現実は甘くはなく、僕を包みこんだ鮮やかな青の量子は困ったように僕の周りで煌めいて、申し訳程度に鬱血と擦過傷と複雑ではないような骨折だけを治した。なので現時点、僕のぶら下げた右腕は制御を失っており、上げ下げが不可能だ。見た目上は血塗れで泥だらけなメイドよりは健常ではあるのだけれど、成人男性二人を抱え屋根の上を跳ね跳ぶ位には見た目の満身創痍さは当てにならないのだ。
僕は睡魔と痛みの緩和に意識を手放す気満々だったけれど、普通にアイリスさんに肩を揺さぶられて目が覚めた。アイリスさんであったので不服は口にはしなかったのだが、起こされたのものの僕の役目や役割は最早必要はない訳で、何故こうも関わる事になったのか分からない。正直な話仲違いみたく口論の末に背を向け合ったので顔を合わせたくはなかったのだけれど、黒き勇者はちゃっかり面倒事から逃げ果せているようだし僕だって自室で寝たい。
風呂に入って着替えて、寝たいのだ。とは言えアイリスさんの頼みでもあるし吝かでもないのだけれども。もう一度だけステンドグラスを仰ぐ、次に女神像を見据える。何度観察しても、どうにも記憶に新しい。僕が降り立った場所であるのだから至極当然ではあるけれど、デジャヴ云々で述べるならそうじゃないのだけれど、氏族長の特色を感じる。
由々しき問題でもないし、珍しい事柄でもあるまいし、僕は簡素に流していたのだけれども。この世界の根幹は強く影響が出ているのだろうか。兎も角。傍らに立つ王を見やる。セルフの子供っぽい表情に、王の皺がある顔が向く。
「……セルフよ、我を許せ」
「……っ! なにをっ!」
王の一言は謝罪だった。乾きつつある血塗れたローブを翻し、両膝をその場に擦った。身丈の低い、少女にだ。膝を擦って漸く目線が重なる二人。僕は傍観を選んで、瞼を閉じ一時の休憩に身を浸すアイリスさんを伺う。見た目は、重症だ。破れたスカートの裾は、宛らピッチリした服を纏うウェンユェみたくスリットが映えるようで、健康そうな白い太ももと下着らしき飾りに目が止まる。
太ももに巻いた革紐が肉のぷっくりした質感を増させていたが、実用性の為に無骨だ。なにせ暗器としての短剣を帯びているのだ。銀色の剣を片手に握ったままだし、臨戦態勢を未だに解いてはいない。鈍く銀に光る剣を凝視するも、材質は不明だ。何故発光しているのかとんと見当が付かないが、抜身の刀身の凄味は僕でも感じる。
少し前、親友から貰った曰く付きの日本刀セットに似ている。あの大太刀の濡れているような刀身には正直肝が冷えたが、この銀色の剣は中世に多く見られたブロードソードのようで、全然全く似てない良く分からない形状をしている。刀身にフラーがある訳でもなし、柄も粗雑な作りの十字でもなく、シルエットこそ全長一メートルもない西洋剣だけれど。
材質がもう鉄や金属って風体でもない。銀色の宝石の塊、のような。なにか光っていて奇妙だし。ファンタジー丸出しの品に僕はぶっちゃけ男子なので興味深く思う。セルフちゃんの今後も関心は向けるべきだけれど、ヘルさんとの戦闘で粉砕されていないのだから業物なファンタジーソードにわくわくするのは仕方がないのだ。
アイリスさんの瞼が上がって、僕の視線に気付いたのかスカートに出来た新しいスリットを隠し鋭い目が僕に向く。笑顔すらなかった。睨まれた、よりは無表情って感じだけれど。モブキャップのない髪は鮮やかな栗色で、淑やかさに華やかさを携えている。月光に淡く長髪を見つつ、僕は頭を傾ける。
「セルフちゃんはどうするの? 今回、事件にはなっていないから僕の出番がないのだけれど。もし仮に死んでいたなら、僕は探偵らしく犯人を炙り出す気だったし感化されないから看過なんざしなかっただろうね。僕は君に対して釘を刺していたし、だから決して信じていなかったけれど、じゃあさそれで、君はどうしたいんだ? 死にたいの?」
セルフちゃんの罪状は過失致死罪に値するのだろうか、傷害罪と受け取るべきだろうか。本人達が共犯であるのだから、僕は一々噛み付いたりすべきではないのだろうけれど。セルフちゃんの顔は何処か複雑で。
「勇者様は……裁かれるべきだと思いますよね……?」
泣きそうで、不安そうで、狂気を孕んだ瞳。震える指先で僕の裾を掴む少女に、僕は暫し間を置く。決定を他者に委ねる様は惨めで哀れであろうか、自己の未来を他人に押し付けるのは気楽で簡単だろうか、望む事柄が二律相反でもそれは矛盾しないものだろうか。本当はどう言って貰いたいのだろう、言って貰いたい事と聞くべき事には違いがあるだろう。
多少の思慮、僕は変わらない。僕は添え物で、主題は僕にない。王とメイドと聖女の物語に勇者は必要ではなかったし、結末はきっぱりした物ではないけれど。早々にはっきりした物事なんて有り得ないのだから、僕と言う人間は普段通り曖昧に濁すべきなのかも知れないけれども。
「僕は別に正義の味方じゃないからさ、踏み外さなかった君に、境界を越えなかった君に、僕はなにもしないしやらない。僕には関係ない話だろ? それとも、君は他人に救いとか求めてる?」
ヘルさんの欠伸が間を縫った、非常に眠たそうだった。
「……勇者様は、わたしを許すのですか……? 人を、刺す……そんな選択をする人間を許せますか?」
卑怯な話をするなら、僕は関心がない。関心がないから、身を引いている。据えた目的って奴はないけれど、少なくともセルフちゃんの今後は曖昧に濁そうが構いやしない。誰が死のうが殺されようが、僕にはきっと関係ない。
「……、刺された当人じゃないし。それに……そうだな……」
王と聖女とメイドの話だ、僕は居ない。だからなんとも言いようがない。
「君は僕を勇者と言ったけれど、僕は君の勇者じゃないし」
セルフちゃんの目から逃げるように、縋る人間を見捨てるように、でも良心の呵責恥じるように。
「解決した話だろ……君と王とで、最初から」
どうなるにせよ、どうなったにせよ、僕を巻き込む謂れはないだろうに。王との話し合いは最初から済んでいるのだろうし、アイリスさんとも理解していて、なら僕になにをしろと言うのだろう。僕は部外者で振り回されているだけで、錯綜する思惑に流されているだけで。
「……勇者様、わたしを責める言葉も向けないのですね……」
「……、僕は君の勇者様じゃないからね。言っただろう、最初に、全部言ったよ僕は」
そうはならない、許さない、知っているけど知らないと僕は述べて来た。僕は勇者じゃないし正義の味方でもないし、誰かを助けたくも救いたくもない。勝手に救われ助けられるだけのセルフちゃんの物語に、僕はなにもしない。精々、巻き込むなと面倒って態度を貫くだけだ。
ヘルさんが説教したのだろう、それで終わりで良いじゃないか。王と話し合いしたのだろう、そんな感じで良いじゃないか。アイリスさんと間違って、それで良いじゃないか。この僕に、答えを問うのは。
「勇者様……、どうか、貴方が背負って頂けませんか……?」
アイリスさんの言葉に軋む。筋違いだろうに。背負うべき責務から逃避して、忌避して、押し付けて甘んじて巻き込んで。僕に一体、なにを求めるのだろう。理想を描くのも、夢想を願うのも、希望を抱くのも、僕には関係ない話だろうに。ヘルさんの荒々しい寝息に、僕は息を逃がした。
「……間違っている、とは分かっております。ですが、もう、もはや、信じるべき未来がないのです」
「……、いやだからって僕を信じるのはどうかと思うけどねほんとに」
偶々現れた例外に、全部委ねて信じちゃえは中々愉快に狂っているだろう。黒き勇者の言葉を鵜呑みにするのは縦しんば許容するとして、信じたから一つ二つ三つの悶着があってこうなって、じゃあ良く分からないこの例外に全部未来任せて信じてみようぜってやばいだろう。宛ら共通テスト模試で山感にて出題範囲を当てようとするような無謀だ、僕は剥がし切れなかったシールのような気持ちで唸ってしまう。
「他にも勇者はいるじゃないか……太陽君とかさ」
「……彼は、死すると」
「……あー……そう。僕は彼より信じられないと思うけどね」
多分大体そう。部分的にそう。セルフちゃんやアイリスさんの言葉に、僕は王に目線を預けた。どうにかして欲しいのだけれど。
「まあ、別に良いけどさ、信じる信じないとか。じゃあ、セルフちゃんは僕を勇者って言い切る気なんだね?」
「はい、そうします。わたしは、勇者様の言葉に疑いを持ちません」
「どうかと思うけどね、いや、ほんとに。え、なに、困る……じゃああれか? 僕が君の裸が世界を救うって言ったら脱ぐの? アイリスさんとの接吻で覚醒するとかさ」
「はい」
「はい、じゃねえよしっかりしろ」
駄目だこいつら。正しく間違っている。僕に全部押し付ける気しかない、いいや、僕が釘を刺して回った腹いせもあるのかも知れないけれど。全然収まりが悪いだろう。なにもしない、なにもしてくれない、なら巻き込むし押し付けるって言うのは早々にイカれているのだけれど。
王はセルフちゃんの今後に憂いているだろうし、アイリスさんだって。いや、ヘルさん的にもどうなんだろう。僕は信頼や信用される行動や結果はなにも残したつもりはないのだけれど。突飛な責任転嫁に僕は思考が迷った。
「わたしは……、わたしの知る未来を信じています」
「……あっそ……」
「ですから、わたしが裁かれないなら……わたしは未来より勇者様を信じます」
「……そうはならんだろ」
本音だった。いや、狂ってる。イカれてる。年下の少女と年上の女性に詰め寄られて喜ぶ程に楽観視は出来ない、僕はそんな年頃だ。普通にドン引きだ。出会って来た変態や狂人の中でもそこそこ平均値を超過している。お前の所為だからお前を信じるからな、なんぞ脅迫だ。
僕がなにをしたのだろう。なにもしてないんだけれど、アイリスさんの静かな瞳に頭が痛くなる。
「ザルツ王……これで良いんですかね? 僕はそうは思わないけど」
「うむ……、しかし勇者殿は二人を見逃すのだろう?」
「まぁ。僕は二人が嫌いじゃないから、掘り起こしたりしないですね。うん、どうでも良いですかね」
王の手が僕の肩に置かれた。
「では、此度の騒動を黙認するのだな?」
「……罪を問うにも罰がないし、死んでないし。僕より、そっちがどうしたいかでは。僕は平民、貴方は王、此処は貴方の世界で秩序は王の意思でしょう」
まじで。近世、王政万歳。圧政であろうが悪法であろうが、法は法だ。どんなに優れた指導者でも結果は望むべきものにはならないものだけれど、今回に限っては望むべき未来が叶う。黙認して流して終わりだ。
「うむ、ならば我の行いを咎めないのだな?」
娘のように贔屓するセルフちゃんになにかがあったとしても、揉み消すだけだろうに。王と聖女だから、とかじゃない。だけじゃない。もしかすれば血縁の可能性だってあるだろうが、僕は知りたくもないし知りもしない。二人の是迄を知らないのだし、知る気もない。慮る気苦労もないし、察した所でなにも変わりはしない。
「ヘルさんのおかげで怪我もないし、罪とかないって言い張るし、裁かないなら僕の所為だって宣うし………………」
狂信者二名と臆病な王。王だから全部思いのままに圧政すれば良い。
「勇者殿は、……拘束せんでもよかろう?」
「はい、そのように」
「え、なに。また牢獄は勘弁したいんだけど。僕は、悪くない」
「で、あるか」
「王の采配なんですか、あの脆い牢獄」
「みなまで言わねばならぬ愚者でもあるまい、此度の件を何処まで見透かしておるのだ?」
「さあ……どうだったかな」
そもそも僕は何故捕まったのか、そりゃ無論セルフちゃんの画策だ。王ははいはいと頷いて僕を拘束したのだろうし、ぶっちゃけ恨み辛みは募っていそうだが、僕は悪くない。
「ではセルフよ、我は勇者殿を……黒き勇者の予言にない者を信じるべきなのだな」
「はい、王様。わたしからもお願い申し上げます」
「ならば、我は勇者殿を信じよう」
「いやいや……揃いも揃って」
僕に丸投げする気だ。未来が真っ暗だからって投げ遣りになるなよ、迷惑極まる。お通夜みたいな顔で僕を囲むな。ヘルさん、は寝ているし。アイリスさんはセルフちゃんに並ぶし、王はセルフちゃん第一だし。逃げ場がない、逃げ場がないぞこれ。解決してない癖に、お前らの心境ってどうなってんだそれ。
どうやったらそうなるのか欠片も理解に苦しむのだけれど。
「改めて勇者殿、未来を頼む」
「はぁ」
癖で安請け合いして、頭を振るう。馬鹿馬鹿しい話だ。なにを考えてんのか、どうしたいのか、良く分からない。頭が可笑しくて滑稽で阿呆らしい。
遅滞すべきか、僅かに。思考が纏まらない。
「え、じゃあ三人ともなかった事にするの?」
「うむ、此度の件は諸外国にとって有利に働くのでな。我が国としては勇者殿の召喚を各国に示すのだ。未来を救う勇者は、そちであるとな」
「いやまて、それは違うでしょう。僕よりウェンユェとか太陽君がいるじゃないですか」
「しかし、黒き勇者の言では国を転々とする者達であろう。適任者はおらんかったのだ」
「……、……僕が勇者……?」
「そうであろう、遠き地から降りた者なのだからな」
「……勇者、か。ううん……他の勇者に丸投げしたいんだけど……そうもいかない感じですかね?」
「うむ、しかしだな。諸外国にとって、先手を打てたのは大きな波となろう。そも、勇者召喚の秘奥義は我が国の古き伝承ゆえ我が国の優勢ではあったが」
「軍事利用目的なら他を当たって欲しいけど、勇者ってそう言うものか……? だったかも……」
「勇者様」
「勇者殿」
「勇者様」
え、なんだこれ。可笑しいな。僕は頭を埋め尽くす言葉を十分の一に圧縮する。つまり、未来を変える為に色々利用されるのだろう。
「……、とりあえず……もう話し合いが終わりで良いなら、風呂とか着替えとか優先でお願いしたいんですよね」
もう、どうでも良いや。
考えるのがめんどくせぇ。
僕は三人と寝転けるヘルを視界に収めて地に目を伏せる。少しだけ、何時もと違う。誰も死ななかったし殺さなかった。だからだろう、僕はぶっきらぼうに思考放棄に甘んじた。
「式典云々は良いんですけど、実際問題僕はなにをしなくちゃならないんです?」
王は顎に手を添え、アイリスとセルフを一目向けた後に口を開く。
「勇者殿が如何程の未来を知っているのか察する所ではないが、我が国の置かれた現状は把握しているのだろう?」
「あー、えっと……確か戦線維持協定でしたっけ?」
「……如何様に知り得た? そのような機会なぞ……」
訝しまれている、が、僕は別に身に宿る性質を用いた訳ではない。耳に入った情報を態々主要な思考に回さなかっただけで、僕は耳や記憶は良いから覚えるよりは知っていただけだけれど。つまりメイド達の噂話や道行く宮廷勤めの人々の囁きや、会話から抜粋すべき情報を統合して輪郭を掴めてはいる。
僕は馬鹿だが、考えなしに生きてはいないのだ。聞き逃しているのではなく聞き流しているのだから、思考に挟む余地はなかったのだけれども。そんな単純な話だが、王やアイリスさんやセルフちゃんからすれば得体が知れない存在に映るのだろう。場の空気からして、生唾を呑み込むアイリスさんにどう言い繕うかも悩む。
単純で簡潔な話なのだけれども。
「面と向かって話すだけじゃなく、耳に入る事は往々にしてままある事では? 人の口は糸で縛れないものだし噂話ってものは宮廷の醍醐味でしょう」
あっけらかんと種明かし。種も仕掛けもないのだけれど、気分は概ね文字通り。
「ふむ……確かに、メイド達の目もあろうな」
「ウェンユェとかも気付いているんじゃないですかね? 僕だってこの世界に国家があって他国があって、それで平和らしくなってるのも分かるし」
「しかし、勇者殿は鋭いものだな。隠し立ててはおらんが、詳らかにした覚えは我にはない。前の世界では軍師をしておったのか?」
「僕は……立ち回り的には探偵になるのかな……? まあ、良いや。頭脳労働は得意じゃないので、期待はしないで欲しいです。肉体労働もあんまり得意じゃないですけど」
「しかし、我は勇者殿の聡明さを信ずるが」
「……聡明なら、最初っから関わらないんですけどね。ウェンユェは太陽君を連れて逃げちゃったし」
「ウェンユェ殿が商いを行うのは知っておったが、召喚され日の浅い者であるのに決断する、確固たる意思ある者であるな」
我には出来ようか、とでも続けそうな顔だ。ウェンユェは馬鹿じゃない、僕を見て打算込みで話をあまり振らないのもそうだろう。あの人だけは僕を中心には据えてはいないし、道端の石ころみたく気にしてはいないが石ころは石ころでも爆発するだろうって確信を持って嫌がっているような、気がする。
気持ち程度、春風太陽君とは扱いが違う。セルフちゃんの本質、核心部にもいち早く気付いた上で、自らの利の計算を行った後で、ああして即決し行動する姿には惚れ惚れする強かさが伺えよう。僕はだらだら巻き込まれて引き摺られている訳だし、ウェンユェが語った年齢に遜色なく老獪さを出している。ババアなんぞ呼んだら消し炭にされそうだけれども。
「我が国は潤沢な平地、山間もあって農業が盛んだ。武器の原料たる金属は帝国の輸出量を上回らぬが、他国に比べれば裕福であろうな」
「が、しかし、と続く訳ですね」
「うむ、我が国は魔石の保有量が少ないのだ」
「魔物が少ないから、ですかね」
「であるな、我が国は他国より圧倒的に魔物被害が少ないのだ」
理由は多くは分からないと言った風情だ。魔物の発生原理が判明していない以上僕だって分からない。が、物事の本質には結果と経緯が密接に絡むものである。魔物が少ないのは立地なのか、他に要因があるのか、なんにせよ魔物関連に口を出せる人間では僕はないので無視するしかないのだけど。
「我が国の位置する場が、黒き大地より遠き地であるからであろうが……」
「ああ、それが例の……戦線って奴ですね」
腕が痛い。長話になりそうだな、まじか。頑張れ僕。
「うむ、三国列強からの締め上げも増しておる。家臣の試算では、四年後には我が国の経済が破綻しかねんようでな」
腕を組む王の顔付きは文官のそれだ。経済政策に頭を悩ませる人間に、日本とか言う国土と反比例したバグみたいな国力に富んだ島国に住んでいた大学生には縁遠い話題だ。僕は医大にいたし、尚更話題に乗れない。国の立て直しとか普通なら行うのかも知れないが、彼等も馬鹿ではないので僕は現代知識無双は不可能だろうし、自惚れてもいないから曖昧に頷く。
恰も分かってますよ、と頷いて。
「積もる話もありますけど、直近の問題はなんなんです?」
「ドラゴンであるな」
「ドラゴンですか……はぁ」
「うむ、ドラゴンの出す被害が許容を超えておる……が、我が国の兵は弱兵なのだ。公にはせぬが、クランの抱える人材より数段劣ろう」
「でも、ドラゴンですよ?」
「討てぬか?」
「死ねと?」
「否、強いはせぬよ」
「ですよね」
一安心。頼むなら其処で寝心地良さそうに寛ぐ女傑や、血だらけなのに背筋を張っているアイリスさんに願いたい。僕は一般人だ。
「可及的速やかに赤竜の討滅をせねばならぬ、が……赤き勇者は万全ではあるまい」
答えるべき当人のいびきに王は咳払い一つ。セルフを見やって。
「奇跡の行使を聖女殿に願うとして、だ。赤竜の討滅に割く人員であるな」
「……良いんじゃないですかね、一人で」
親指で差した。
「王国としての格に関わろう? 辺境からの押し上げも考慮するならば……」
じっとりと見られれば嫌でも分かる。この流れはどうせ勇者御一行様の出番である。僧侶の役割に聖女がいるならば、僕の役割は荷物持ちとかで同行したりして無駄にある無駄な知識を披露する香具師の類だろうか。
「そもそもギルド? 魔物専門の人達はどうなんですか?」
「うむ……我もそう考えはしたのだが、自国の兵も出せずとなると品位を疑われるのだ。負ける戦に兵を送り出す程に愚劣にはなれんよ」
そりゃそうか。弱兵、ではあるだろう。物量は正義だが損失は無視出来ようもなし、取れる手段は勇者頼りの個の力。ヘルならば討てるだろうと思わせるのは、アイリスさんがいるからだろう。アイリスだって竜とやらを屠る事は可能だろうけれど、聖女の護衛もあるから離れられないのだろう。
「まあ、なんでも良いんですけど。とりあえず明日にしませんか、今後なんて明日に任せて」
「う、む。で、あるな」
王は少しだけ悩んだが、ローブの端を摘んだセルフに頷き語りを閉ざした。やっと一段落。眠いし痛いし疲れた。異世界には既に凝りたので、次回があるならば断固として拒絶しようと決心する。
長い話は後日に任せるべきであろう、セルフちゃんの危うく蒼い瞳から逃げるように僕は踵を返す。なにか言いたそうな目で言い足そうとする前に、僕は歩を出す。積もる話ばかり、累積に苛まれそうな今。やらなければならない事は足枷だ、万事尖らず終わらせるなんざ夢のまた夢でもあろう。ドラゴンの討滅って話に移ったものの、セルフちゃんの狂気的な信仰は解決していない。
いや、最初から解決なんてしていない。問題にならなかっただけで、これからも可能性を孕んで行く。そう言う、はっきりとしない物事ばかりが僕に積み重なって行く。本当に。
「……ドラゴンかぁ……」
僕はそうして、何時ものように、またぼやく。