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赤き勇者と聖女


 聖女と呼ばれ、祭り上げられた人生。誇るべき産まれでもなく、ただ単に寂れた孤児院から聖女としての人生が始まった。信仰心、と言われればあるにはあっても、所詮は表面だけで。内面、本当の所は女神を信じられてはいないのではないかと渦巻いて。


 信じなくちゃならなくて、縋らなくちゃいけなくて、毎日を生きる為に己を律した。別段女神を信仰していて不都合はないし、聖女として生きる事は幸福だ。綺麗な衣が何枚も、毎日御風呂に入れて、間食だって可能だ。立場上、聖女としての体裁はあるものの教皇や教会に縛られてもいない。


 あるとすれば毎夜欠かさず教会で祈りを捧げ、経典の外装が擦り切れて頁が何枚か落ちる程に読んで、聖女らしくあろうと振る舞う位。暖かい寝具に温かい紅茶、聖女でありながら一代限りの公爵位も持つ人生は豊かで不幸ではない。


 聖女だから、王の過つ未来の話は信じられた。勇者の言葉だから、信じる。信じた上で信仰(・・)に殺される。殺されるから、信じるから、救いと助けの方法がない。祈り捧げても奇跡はない、信仰しているからどうにかしなければならない。


 王は、勇者を殺す。女神様の導きを歪める存在だ。女神様の教えに背いても女神様の導きや正しさを信じるしか道はなく、剰え例外的な勇者も降臨したのだから尚更だ。迷いはした、黒き勇者の言葉は毒だった。身体の奥底にあった漠然とした不安や黒い気持ちを刺激されて、指先は痺れた。


 黒き勇者の言葉は真実だ。だからこそだろう。セルフルクル・メルクマルクロスト公爵、或いは聖女は女神の像の前に傅く(両膝をつく)


 城から離れたこの場、教会の祈りの場でセルフルクル・メルクマルクロストは信仰を捧げる。自らの犯した過ちを告白して、懺悔する。両手を胸元で絡ませて、その澄んだ青が石造りの女神を拝む。


 頭上のステンドグラスから溢れる月光が流れるような金髪を七色に彩って、確りと正装したセルフルクル・メルクマルクロストの真っ青なチャジブルは深い紫すら浮かべている。


 両膝を床に、手を胸元に、女神を深く見上げて、宝石のような薄かったり濃かったり濃淡が噛み合った瞳は其処にある。未だに幼い口元も、大事にされたから日焼けのない肌も、ささくれない指先も此処にある。


 女神教の像は、白き石から掘り出されている。薄く泡沫の幻の衣のような髪を身に纏う、小柄な乙女。滑らかな足も、踊るような仕草も、憂うような微笑みも。女神の姿には終ぞ息が詰まる。石膏で出来ているのに、あどけなさに含まれた妖美は背筋を凍らせる。


 虹色の女神は、現世にて表現する言葉が存在しない。語れないから、明確な色がない。故にセルフルクル・メルクマルクロストの住むこの世界ではむぇあむゅー(・・・・・・)とも呼ばれる。


 勇者たる春風太陽ならばそれは|むぇあむゅー《そこにあって、そこにない者》と聞こえよう。或いは赤き勇者には神とやらの概念が廃れつつある世界故にむぇあむゅー(南の流川に西の花筏)に変換されるのか、若しくはワン・ウェンユェならばむぇあむゅー(言葉にならない神さま)と聞こえるのかも知れない。


 学があって語彙のある勇者ならばむぇあむゅー(遍在=偏在)と受け取るのだろう。それか、彼ならばどう解釈しただろうか。


 その女神は滅びを退けるべく、導き、救い、助け、示したのだ。道を、未来を、人類を。絶えず出現する魔物に対し術を齎した、奇跡と言う盾は滅びの矛を止めた。ならばいっそ、魔物なぞ根絶やしにして欲しいと願うのは業であろうか。セルフルクル・メルクマルクロストは女神像の無機質な眼を見詰めそう思う。


「……、…………」


 毎夜繰り返す祈りは凡そ淹れた紅茶が冷める程の時間、今夜はより長く祈りが続いた。遠くから響いた騒音や振動で教会の外は俄に騒々しくなっていたものの、教会の中は水を打ったような静けさが支配していた。


「……、アイリス」


 己の騎士、教会からの差し向けもあってアイリスはセルフルクル・メルクマルクロストの正騎士としての側面もある。彼女は主君を守護する盾であり矛なのだ。城の方向から響く音からして、勇者との衝突に発展したのだろうと目方を付け一息逃がす。


 セルフとしては見捨てて欲しかったのだが、アイリスは頑なであった。なにより、黒の勇者の予言を鑑みればセルフが捕まる謂れはない。予定通り事は運んだのだし、王は受け入れ協力的であった。望まれぬ殺人ではなく望まれる殺人に於いて目標の完遂を妨げる障害は存在し得ない、筈だったのだが。


 黒の勇者すら知らない勇者の出現によって事態は緩やかに歪んでいる、この教会から始まった。長身の黒髪の勇者。酷く特徴らしい特徴がなくて女の装いをしたって違和感がなさそうな、そんな勇者の言葉が今になって背中を刺している。


 とても聡明な方だとアイリスは言っていたが、セルフにはとても恐ろしい方だとも映っていた。なにもかもを巻き込んで打ち砕くような、底から混濁が滲み出るような、それでいて線引きしているような。


「……、ヘル様はどう思われますか?」


 女神像を見据えたままセルフは口を開いた。虚空には静けさが満たしていたが、その一言で真っ赤な癖のある髪が踊る。小柄なセルフを悠々と見下ろす巨躯は地鳴らしもさせずに、背に立っていた。指摘、暴かれた女傑は血の滲む唇を弧にして心底愉快そうだ。


「ヘル様……勇者とはなにものでしょうか?」


「……さぁ? あたしは勇者を知らないねえ……」


 ヘルは記憶を漁り、そう答える。振り返らないセルフになにかを感じたのか、近場の長椅子に乱暴に腰を休める。片腕を背凭れに乗せ我が物顔だ。指先で赤毛を玩び、小声で焼けちまったと呟いて。


「わたしは……正しくはないのでしょうね」


「さあ……どうだろうねえ……? あたしは暴力による統一ってのを知ってるからなぁ……」


 髪先の焦げを見据える灼眼は夜の更けに染まって影を湛えている。


「それは、正しかったでしょうか?」


「……少なくとも、格差はあるわな」


 弱き者に生きる価値なし。と本気で言い切って実行した奴等がいる。平和ではないし、豊かではあっても理想ではない。血に染まった道だが、目指したのは平和なのだろうとヘルは納得はしている。今更反旗を翻すのも、仮初でも平穏ならば、現状に甘んじ受け入れるのは罪にはならないだろう。とも、ヘルは思うのだ。


 仮初でも、嘘でも、実現した現実に向き合うのは責任だ。


「もし……未来で間違いを起こす人間を過去で正せたなら、それは正義になりましょうか?」


「なら、ないさ。どんなに狂っちまった奴でも、やってなきゃそいつを咎めちゃ道理が通らねえ」


「それが、ヘル様の死因(・・・・・・)でも?」


 ヘルは、息を捨てる。少し、迷う。髪先を確認してから、血の滲む頬を掻く。今一実感が沸かない話だ。


「そうさね、あたしがいちゃもんつけるのならわるかぁねえさ。正しいって話でもないだろうが……嬢ちゃんこそどうなんだい?」


 祈る手が僅かに反応した。灼眼と碧眼が互いを見る事なく、会話は闇に溶けて行く。


「……罪です。人を殺す事は……」


「……あたしだって沢山殺してきたよ、ギャングにチンピラ、スラムにいた頃にゃあ名も知らねえ爺すら蹴り殺したさ」


「辛くはないのですか……辛くはないのでしょうか……?」


「生きる為さ」


 上も下もない、生きたいから他人を殺した。殺した理由如何で罪の重さは変わらないとは思うが、ヘルはだから恥じない。全て決めて選んだ生き方だ。飢える仲間を蹴落として、蛆の滴る肉にして、道端で金目のものの為に肌を交わす。なんざ、生きたいからやっただけだった。


 どんな世界でも変わらないだろうとヘルは考える。


 生きる事は、殺す事だ。


「死にたくねえ……だから嫌でも咥えんだ。死にたくねえ、だから誰かをぶっ殺す。正しさ? 要らねえ、腹が膨れねえからな」


「ヘル様は強いですね……」


「強くはないさ」


「いいえ、お強いです。自らを基準に置く、そんな事が出来るヘル様はお強いのです」


「私と違って、かい?」


 セルフは答えない。虚空に回した手、ヘルの前には時代錯誤なホログラムがあった。それは請負証にある機能の一つで、保護した者や物にマーカーを打ち地図に表示する機能である。この数日で未習得な地理情報を確保し、城にて沈黙するアイリスのマーカーを見ていた。


 マーカーの他に、請負証は生体情報モニター機能もある。簡易ながら一時的に対象の安否確認が可能なのだ。精々生きているか死んでいるかの判別ではあるが、請負官は現場総括を生業にするので必要な機能だった。今回は監視を含め、王、ザルツ・デル・アガレスの安否確認が主だ。


「それでも……殺してでも(・・・・・)……!」


「なんであんたは……信じないんだい?」


 セルフの声量の上がりに反して、ヘルは声を抑えた。マーカーの動きをちらりと伺い。


「信じない……? わたしは、疑った事などありません」


「いいかい? それはね嬢ちゃん。信じちゃいないさ。人を信じなくちゃ駄目なんだよ、信じるべきはそこだ。あたしにゃあ女神ってのが良く分からねえが、聖女ってのはそうなんだろ?」


 セルフは、女神像を眺めていた。月光に滲む金髪と赤髪。


「嬢ちゃんはどうして、王を信じないんだい? 一緒にいたんだろう?」


「……、はい。ザルツ様には大変、お世話になりました」


 孤児院から教会へ、教会から国防の大結界へ。大結界から公爵と聖女へ。全てではないが王の図らいあっての人生だ。


「黒き勇者様が仰りました、わたしは……だから……」


「それがあたしにゃあ分からん。未来って変わるもんだろう? 変えようとしねえと、つまらねえだろ?」


「……、民の命に、目を瞑れと」


「……それこそ、てんで道理が通らねえさ。王様は良いのかい? 物事には優先順位があるもんだが、目の前の命にすら手を差し伸べてねえのに民は救えるのかい?」


「……、いいえ。救ってなどおりません、助けている訳でもありません。信じているだけなのです」


「……なんだっけか? 信じる者は救われる、だっけさぁ? どうなんだい、そりゃ? 信じるってのは毒さね。次第に体を蝕んで、終いにゃ泡吹いて卒倒さ」


「……、ですが」


「模索するのは大事じゃないかねえ、抗って、馬鹿みたいに強がって、よ」


 請負機関は諦めが悪い、惨めだろうが格好が悪かろうが、結果が全てだ。やらねば死ぬ、やらねば生き残れない。綺麗事だけで世界は回らないのは十二分に承知していて、尚ヘルは考える。


「自分を誇れなきゃ、やっちゃぁ駄目なのさ」


 後悔するならば死んだ方が良い、誇りだけは貫くべきだ。皆死んでも、やってやったぞと言える生き方を選ぶ。請負機関の人間はロマンチストが多勢だ、底に現実を据えて抗って強がって生きて来た。人間と言う種を滅ぼされないように、魔生物から逃げて戦って生きている。


「それにな、嬢ちゃん。そりゃあたしら勇者ってのを過小評価してんのさ、困ったら先ずは……相談だろ?」


 ばっと振り向いたセルフの顔は、今にも泣きそうで。目を彷徨わせて、俯いて、背けた。


「……もう、手遅れなんです。だから、もう、良いのです。わたしは、わたしは……衛兵を待ちますから」


「……来ないだろうけどねえ」


「……、それは……」


 ヘルは髪先を触りつつ、小柄な女神像を仰ぐ。


「第一に、少年曰く王様は嬢ちゃんのせいで死んだ事にはしないようにするだろうってよ、珍しくも殺される側が共犯者って奴らしい。飛び降りたり、遺書だったり、だそうだ」


「……、告白致します」


「そうかい? 第二にね、あんなチンケなナイフじゃ人は死なねえのさ。内臓の位置的にも、ありゃ出血で死ぬには相当な時間がいるだろうねえ?」


「……、ですが、刺したのは揺るぎません」


「第三に、嬢ちゃんは王様を殺せてない」


「……、そう……ですか。ですが、変わりません」


「そうさ。殺せてないし死んじゃいない。こりゃあ、あたしの技能球ありきの結果だが、咎められるべきは王様だよ」


 回避も出来ただろうに、避けなかった。散歩して時間を潰す余裕のある王は、セルフの一撃を敢えて食らっている。でなければ辻褄が合わない。王は自らの未来を信じられずにセルフへと丸投げした。憤るべきは、大人である者達だ。


 誤りを押し付け逃げる大人が、子供になにを残せると言うのか。


「あんたは抱え込み過ぎさ、この程度の流血で騒ぐのも阿呆らしいし……」


「……、しかし」


「しかし、じゃないんだよ。万事丸く収まるって言ってんだ、殺される側が味方すんだからよ」


「でも、それじゃあヘル様が未来で死にます!」


「あたしの生き死になんざあたしのもんさ、嬢ちゃんに首を突っ込まれる謂れはないね」


 ぎりっと、歯軋り。口の端から鮮血が垂れて、チャジブルを深い紺に染める。セルフの顔は聖女と言うより、年端も行かぬスラムの餓鬼みたいだとヘルは反芻する。廃れながらも、狂いながらも、盲目に突っ走る人間の目玉だ。蒼の宝石に似合わない狂信は、ヘルにはピンと来ないものだ。


 前の世界で()と言う概念は殆ど廃れていたし、宗教とやらは統一時代の流川家によって尽く滅ぼされた。宗教弾圧なぞ現実的でない事象ではあったが、現にヘルは宗教を知らない。どれだけの流血と族滅により成し得たのかは当時の終局間際しか知らないヘルには全体を把握出来はしないが、なにかを信じて祈る事は悪いとは思えないのが本音だ。


 自身より圧倒的な上位者に縋るのは、全部が全部悪である訳はない。三大魔女の派閥の内、ヘルはウィータエ派に属する。弟子と言う訳でもないのだが、それだって宗教に近い物になるのだろう。魔女の力、知識、地位に畏怖し尊敬し目指し信じ祈るのだから、凡そヘルの神と述べれよう。


 ヘルは折り合いを付け、睨むような悲しむような苦しむようなセルフの頭に掌を預ける。


「間違いを正すばっかで世界は回らねえし、正しい事ってよくわからんけどね。あたしはこれ以上嬢ちゃんを責めねえし、咎めねえさ。真実なんて必ずしも明るみにする必要はない、ってのは旦那の台詞だが、最近はあたしもそう思えるようになったよ」


 肩を竦める、セルフの納得していない顔を見て。


「あたしはな、諦めを押し売りされたくねえのさ。他はぶっちゃけしらん、王様の気持ちも分かるしよ?」


 ヘル個人の話は終わっている、セルフに対して諦めるのを他人に強制するなと指摘するだけで満足ではある。王が死ぬのが正しい正しくないに限らず論点は単純に個人の自由に付いてだけだ。


 王の思惑には共感出来る部分もあるのだ、少年(・・)のように潔癖で酷く正常ではないのだ。


 ぽんぽん、と近付いたセルフの頭を叩く。ヘルの緩い空気に反してセルフの顔は険しさを増した。馬鹿にされているような、軽視されているような気がしたからだ。真意は兎も角として、胸倉を掴み取りそうな手だけを彷徨わせていた。


「あたしからの説教は終わりさ……残りは……そうさな」


 ヘルの不敵な笑みに、教会の大扉が答える。入って来たのは、三人だ。セルフがたたらを踏んで、蹌踉めいて女神像に背をぶつける。思ったより登場が早かったな、とヘルは思考する。少年は寝ていた筈だが、恐らくは起こされたのだろう。


 鋭い眼光と力の入り切らない所作に目配せし、ヘルは改めて体を長椅子に預け。


「勇者様ってやつに任せるよ」


 どかりと、片足を長椅子に投げた。獰猛ながらに朗らかな笑みだった。

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