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赤き勇者


 僕は普段から手遅れで二進も三進も行かなくて、どうにも何時も詰んでいて碌でもない。だからだろう、僕は夜風に思い馳せる気持ちはなくて、冷たい風に皮膚が軋む。


 月らしき天体達を見上げて、城下の淡い灯をにべたく見やる。白き城壁の縁に佇んで、城下を見渡す王はただ其処にある。その老いた眼も、蓄えた髭も、どうにも。


 吹き抜ける風が僕を撫でて行く。王の赤いマントが、鮮やかだ。傍らで、城下を見下ろす黒き勇者。彼女はなにを思い願うのだろう、未来を押し付けられた事に憂うのだろうか。物語の主役ならばきっと、気の利いた台詞の一つは贈れたのだろうけれど。


 大体は手遅れになって動く僕には、贈れる言葉は浮かばなかった。王は、不意に目線を上げた。そして、僕を見付けると少し驚いた顔をした。


 風下に立つ僕だから気が付かなかったのか、ぼんやりしていた瞳は未来を視ようとしていたのか、僕には分からない。特筆して足音を消してもいなかったし、特別に声を掛けたりもしていなかった。だから、僕には分からない。


「勇者殿、出られたのですな」


 咎める口振りではなかった。王は困ったような、複雑な顔で顎髭を撫でる。ついっと月を見て。


「勇者殿は、知っておられるのだな?」


「……、お先真っ暗ってやつだろ」


「我は……王としては失格なのだそうだ」


 黒き勇者を一瞥し、薄く笑う。自嘲と後悔と、民の未来が過る。


「どうやら我は、民を捨て逃げ出すそうだ。遠くない……先で」


 王冠を指差した。


「先の事を知り、語られ……我は思ったのだ」


 僕は、欠伸をする彼女を伺う。ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんは嘘を吐かない、全てを詳らかに語りもしないけれど。良心の呵責がそうさせるのか、零に至った希望を諦め切れないからか、彼女はああして関心を持たないのに未来を歌う。


 未来を知らぬ人を絶望に導かんとする悪趣味でもなしに、淡々と粛々と、世迷い言のように。終わりを告げるように、それは悪い事だろうか。好まれる行いではないし誇れる語り口でもないけれど、彼女なりに悩んで生きようとしている。僕にはきっと、誰かに会う事すら出来ないだろう。


 都合が良い人には絶対になれないけれど、彼女はそうして王たる矜持を示している。命を投げ出さず、命を見限らず、でも希望に茹だって自惚れず、絶望に絆されて喚くでもなく。その有り様は人間讃歌にはならないけれど、尊いと思う。


「勇者殿……否、予言ではおらぬ者……。そなたは……何者であろうか」


 僕は、痛む右手を無気力に垂らして此処に立つ。格好は悪くて、汚くて、手遅ればかりの僕は此処に居る。周りが進む先に追い付けず、誰からも相手をされなくなったなにかに縋って立ち竦む。僕は歩けなくなる、どうしようもなく歩が止まる。


 なにかは、大事で。なにかは、大切だ。僕は皆のように器用じゃないし、要領が良くもないから出遅れるのだ。何時だったか、僕はそうなった。


「僕は勇者じゃあないけれど」


 王の質問に簡潔に答えて、僕は声を絞る。王の姿は凛々しいのに、虚飾に過ぎなくて空っぽで、崩れていても胸を張る。そんな王に、僕は僕なりの回答を持っていた。


「メタ階層序列三位、新機関(ノヴム・オルガヌム)って呼ばれるメタ(上位概念機構)の一人だ。一応はね」


 さっぱり、分からないって顔で僅かに笑った。僕も軽く肩を竦める。


「うむ、そうか。して、勇者殿はなにをしに参られた?」


「さあね、僕にはさっぱりだ。だけど、僕は貴方の選択を、選び抜いた結末を変える為にいる」


 烏滸がましいし、望まれない。理念や理想で人は生きられる、死を選ぶのだって尊厳があれば人って奴は選びやがる。生きる事は過ちだと、誰かは言っていたっけな。


 だからなんだってんだ。理想で死ぬのは美しいなんざ、僕は認めない。認めるなんて僕には無理だ。死ぬなら死んどけば良い、理想や理念で飾るのが気に食わない。気に食わないから僕は王の選択を尊ばない。


「生きる事から逃げちゃいけないよ」


 王、ザルツ・デル・アガレス。彼は寂しそうに城下を視ていた。なにを考えて思ったのだろう。僕にはさっぱり欠片も分からないから、共倒れする勇者に拍手を送らない。誰かを救ったり助けたつもりで死にはしないし、そんな言葉で片付けられない。


 誇りって奴があれば人は生きる、誇りがなくとも飯さえあれば人は生きる、でも両方なくなると途端に呆気なく死んでしまう。僕には終ぞ分かり得ない気持ちだ。人が死ぬ事は特別じゃない、人が死ぬ事は劇的じゃない、人が死ぬ事は美しいもんじゃない。知ってるんだろ、皆知ってるから目を反らしてるんだろう。


「しかし、我は臆病者なのだ」


 未来で立ち向かえないから、向き合えないから。じゃあ今選択したそれは、尊んで誇って語り継ぐ話なのか。違うだろうに、恥じて苦しんで声を殺しただけの話だろうに。


「僕は勇者じゃないからさ、間違ったままの貴方に正しさって奴を突き付けられる。人の心って奴を踏み躙って、こうして言える」


 王の胸ぐらを掴む。左手に掴む襟が、肥えた肉体の重みが、血の温かさが僕には伝わった。


「甘えるなよザルツ・デル・アガレス」


「そなたは勇者……であろうよ。我の愚行を諌める者よ、我の決意を愚弄する者よ」


「あぁ、馬鹿にするよ、虚仮にするさ。なんだっておっさんの死のダンスに付き合わなくちゃならないんだ? 誰に向かって救い助けたと言ってやがるんだ? 民か? お前か? それともなんだ?」


「未来は変わらぬ、と信じてはおらん。しかし、我は……誇り信じられぬ。我は……人なのだ。人間なのだよ、勇者」


「人間だからって……それが間違いだって、分かって逃げんのは……っ!」


 王の首を絞めていた左手に、生温い感触。赤い、赤い色だ。ザルツ・デル・アガレスの手が赤いのだ。いいや、赤いマントの下に隠していたのだろうか。風下だったのに気付けなかった、僕は臭いに敏感でも、僕自身の臭いだと自動で無視していた。


 暗くて赤いマントに目をやれなかった。陰陽や濃淡だと看過していた。僕は、気付かなかった。血の滴る王に、気付いていなかった。


「な……こんな……」


 既に手遅れ。

 また手遅れ。

 今日も手遅れ。

 明日も手遅れ。

 何時も手遅れ。


 だからもしも、だからきっと、だからやっと、僕は。僕には、王の力のない声に気付かなかった。僕では、王の変化に気付かなかった。手が、離れていた。


 間に合うと思った。

 間に合ったと考えた。

 間に合うと信じた。

 間に合ったと祈った。

 間に合う訳がないのに。

 願いなんて叶わないのに。

 求めても与えられなかったのに。

 僕は、また、間に合わなかった。

 僕は勇者ではない。

 僕が勇者ではない。

 僕に勇者は似合わない。

 何時、思った。

 僕なんかが救い助けられたって、言われないのに。

 僕に、言ってくれた奴はいなかったのに。

 どうして。

 どうしてこう、僕は間違える。


 僕には、分からない。僕では、分からない。


 僕は勇者ではないから。


「人は……つよくはなれないのだ。我は、我を信じられぬ」


「信じられぬ……じゃねえんだよ、馬鹿野郎……」


 僕は覚悟しない、決意しない、諦めるし流すし受け止めない。どんな事もこんな事だってつもりになっていれば幾分かマシなのに。マシだったのに。


 親友の蒼い瞳が脳裏に過る。軋む。苛立ち。いいや、これは後悔だ。僕は後悔ばかりしている。


「……、……死んでも変わらないだろ……。死は救いじゃない、助けにもならないんだよ」


「分かっておる、我とて、知ってお……」


 区切り、ふらついた。僕は慌てて、王を抱える。折れた右腕が更に変な方向に曲がったけれど、なんとか城壁から落下する結末は避けられた。重い、肥えた肉体に力の入っていない足腰は今の僕には酷く堪える。回りそうな視界で、王をなんとか石壁に預け、僕は連なって転けそうになりながら背を当てる。


 危うく死ぬ所だった。もう死んでしまいそうだけれど。


「うむ……すまぬ」


「ほんとにね……。あんた、ほんと勘弁してくれ……」


 血濡れた左手で前髪を掻き上げれば、血が髪に絡んで髪が前に落ちず視界を妨げなくなる。こんなにも綺麗な星空なのに、こんなにも美しい月達なのに、どうして僕はおっさんと並んで空を見上げているのだろう。


 一応、横目に視るユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんはいるけれど。口を開く気はないようで。


「王様……生きてる?」


「ん、む。うむ。申せ」


 意識が遠くなりつつあるようだ。僕は、空を見上げて、血の中で思う。流れ出した生命が、僕の薄汚れたパーカーを染めて行く。腰に生えた短剣を観察し、流す。


「その剣って、どう見ても刺されたって感じだけど」


「うむ……そうだな」


「誰にやられたの?」


「……、知らぬな」


「嘘が下手だよ、吐くなら徹底しなくちゃ」


 僕みたいになるからさ、と追記。短剣の造形に覚えはないが、根本まで刺さり切ってないのを加味すれば人体構造を知らないのか、非力なのか、躊躇ったのかのどれかだと分かる。人間を刺すのは存外難しい、王は刺されてはいたけれど間に合う傷であった筈だ。抜かずに呑気をこいて散歩に繰り出す王を、僕は咎めたい。


 死ぬつもりか、って。そうなんだろうけれど。


「候補を言おうか? アイリスさんだろ、セルフちゃんにウェンユェ、ヘルさんと……ついでに太陽君」


「……うむ」


 王の瞳は、僕を捉えない。構わず、僕は言う。


「アイリスさんはどうだろう? 貴方に頼まれたらやりそうだ。でも、それなら前からやるだろう? 死角から飛び込む謂れはない。ああいや、刺されるってのは怖いから背中を向けたって線もあるね?」


「そうだな、勇者よ」


 声は、届いているようだ。


「でも、高さに納得は出来ないな。刺された箇所は腰付近、アイリスさんだと下から抉りこむような角度だ。刺さった剣は真っ直ぐなのに、可笑しいだろ?」


「うむ、そうであろうな」


「次にないなって人に太陽君を出そう。彼は恨んではいそうだよね、異世界は不本意で帰れないって言われたし」


「であるな」


「太陽君の場合、その高さで不意打ちで刺突するなら深々と刺さっていなくちゃならない。根本までかっきりと、日本人だから間際でビビった線は捨てられないけれどね」


「うむ、琥珀の、勇者は強そうであるな」


「じゃ、ヘルさん。技術はあるし力もある。でもぶっ殺すなら頭を砕けば良い。ナイフを使う理由も、半殺しも理屈が通らない。いいや、そりゃ隠したいって可能性もあるけどね。違うだろう? そんなつまらない事を、あの人はしない。なんならぶっ殺したって自ら言う人間だ」


「赤き勇者か」


「じゃ、ウェンユェさん。あの人は難しいね、国が分裂してる事に気付いた才女だ。王を信じる派と信じない派のね。でも、彼女はあっけらかんと考えから捨ててる。なんでだろう? それは彼女が良い奴だからさ。王に関わらず、傷付きそうな太陽君を引っ張って行っちゃったしね」


「ふむ、翡翠の……」


「そう、ウェンユェの凄い所は誰かの為になにも言わず頑張る事。今頃は城下町だろう? いざこざに近い方が都合がいいってのに、利益、損得勘定なしに彼女は太陽君を連れて行ったのさ」


「うむ」


「最初から知っていたんだろうけど、あの二人はちゃんと勇者って感じだ。予言の勇者って感じ、誰かの為に頑張れる奴だよ。僕はそう、思う」


「……ん、うむ。翡翠と琥珀の勇者は民を助けんと、黒き波に……」


「そうかい。じゃあさ、最後だ」


 僕は知っていた事を言う。


「セルフちゃんはどうだろう? あの子ってまともかな? 僕からすればまともだけれど、あんなに目が逝った奴はそんなにいない。絶望って未来を知って、苦しんだんだろうけれどさ。これさ、分かるかな? あの子さ、一度も僕に聞かなかったんだよ」


 勇者ですか、と。疑問にすら思わない。それは何故だろう、僕が勇者でないと黒き勇者から教わっただろうに。


「勇者じゃないのに、僕みたいな分からない奴に期待する。未来って奴を夢想する、愚かで哀れな神の使徒さ。まあ、別に信じるのは勝手だけどね。でも僕は信じていなかったから、セルフちゃんがこうやって王を刺すのは知っていたよ」


「ふ、くく。勇者殿は、酷なことを申すものよ」


「疑うだろ、普通に。あの子だけだよ、疑わなかったの。王様ですら、皆に丸々の勇者ってつけて僕にはしなかったのにさ」


「ははは……全て分かっておるようだ」


 王の笑いに吐血も混ざる。


「僕はなにも分からないさ。知っていただけだよ、碌でもないってね」


 僕は肩を竦めてみせた。王にはもう映らないようだけど。


「ならば……勇者よ。聖女をどうか、見逃してほしい。無理は、承知だ……だが、だが……」


 王の続かなくなった台詞に、僕は冷めた目をしているのだろう。人には見せられないような目だ。


「……、嫌だね。態々、飛び降りようとしてた貴方の思慮も、今まであっただろうあんたとセルフちゃんとの日常も、僕は一切を尊重しない。人殺しがのうのうと生きられると……ほんとの意味で理解するだけの頭があって、ほんとに……なんとかなるなんざ思っちゃいねえだろうに」


 僕ながら、ぞっとする声だった。抜け落ちた抑揚を取り繕うように、僕は空を見上げる。本当、手遅ればかりだ。


「そんな感じで正義みたくセルフちゃんには落とし前って奴を僕から贈るつもりだったけれど、王様、あんたって奴は心底ツイてるぜ……?」


 風斬りの音。膨大な髪が揺らめいて、城壁を駆け上がった赤がすとんと軽やかに着地する。ずんずんと、歩み。僕を見て、王を見て。なにを言うでもなく懐から水晶を抜き出した。翳そうとする灼零のヘルに、僕は気障っぽく口にする。


「遅いじゃないか、僕の最初のパーティメンバーなのに」


「悪るかったね、あんたも儲けもじゃないかい? あたしが来たんだっ! 死にはしないってね!」


 そう、僕は知っていた。こうなるだろうから、セルフちゃんに気付かれないように、本気で企んだ。引き込まれる前に、僕は、赤き勇者を仲間にしていた。


 首を絞められるように、した。だから、セルフちゃんに聞かれずに囁やけた。耳元で、悪魔のように呟いた。一種の賭けではあったが、僕はセルフちゃんの語った話より彼女を納得させられたのだろう。


 水晶から淡い光が溢れ、次第にその不思議な量子は網膜を焼く光の奔流となった。身体を包む青く澄んだ量子に、ヘルさんは満足そうに牙を剥いて笑う。


「さあて、あのガキンチョにはあたしからのきっつーい説教さね!」


「うん、任せるよ。赤き勇者」


 僕は、そうして目を瞑る。やっと、落ち着いて眠れそうだ。


 人が死ぬ物語程、碌でもない話はないだろうさ。僕はだから、僕に頼らない。肝心な所で失敗して致命傷になって失格しちゃう僕なら、こうする。全部、任せれば良い。


 僕だから、そうする。あいつなら、どうするだろう。いいや、戯言だな。


 心地良い睡魔に、僕は溶けた。


 やっと、成功だ。


 僕を始めから終わりまで、当てにしなければ良かったんだから。


 皮肉なもんだね。そんなもんだよなぁ。(・・・・・・・・・)


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